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楽園のおはなし (2-43)

 BACK / TOP / NEXT / 「この話の別視点」




「んー! それにしても、いい天気だねー!」
「ニゼル……君、元気なものだね」

結局、あれからニゼルはケイロンの指示の元、畑仕事に向かわされてしまっている。とはいえ、見るもの全てが新しい物事ばかりだ。
羊飼いは慣れないながらも、言われた通り畑の手入れ、収穫作業に勤しんだ。いつの間にか駆り出されていた親友は不満げな顔をしている。

「っていうか、藍夜まで手伝いに出てこなくてもよかったのにー。覚醒して間もないんだから、色々大変なんでしょ?」
「何を言っているんだい、君ばかりを働かせておくわけにいかないじゃないか。ケイロン先生は、一度こうしろと仰ると長いのだよ」

それって昔から振り回されてたって事、聞き返そうとして口を閉じた。藍夜は忌々しげに、目についたところから雑草を強引に抜いている。

「僕は慣れているがね、君はそうではないだろうし。これらの作業は腰に負担が掛かるし、何より本来なら一銭の稼ぎにもならないからね」
「……えーっと、藍夜?」
「休息を得るべくここを頼った筈なのに、何故僕達は働かされているのだろうね。働かざる者食うべからず、というが限度があるものだよ」
「えっと、あの、藍夜さーん? ……もう! 藍夜、顔怖いよ。ちょっと休もう、ね!」
「何を言っているんだい、こんなに草が生え放題なのに放っておけるわけがないじゃないか。いいから、君こそきちんと休んでおきたまえ」

一度言い出したら長い、くどいのは、自分もではないか――危うく喉から出かけた言葉を飲み込むべく、ニゼルは口をもごもごさせた。
昼も過ぎ、気温が少しずつ下がり始めている。農園の横の広場では、真珠を岩に座らせ、件の医師が何やら教えを説いていた。
どちらも真面目な顔をしている。これなら本当に任せておいても大事なさそうだと、ニゼルは内心で胸を撫で降ろした。

「ふー。野菜育てるのって、大変なんだねー。羊とは勝手が全然違うから、びっくりだよ」
「それはそうだろうとも、どちらも生命あるものに変わりはないが、構造その他からして別物だからね」
「うーん、そこまで大げさな話のつもりじゃなかったんだけど……」
「何か言ったかい」
「ううん、何にも。あはは、藍夜って背中にも目がついてるみたいだよね」

言われた通り、給水だけは済ませて親友の横に屈み込む。見習うように草をむしり、ニゼルは黙々と手を動かす親友の横顔を見つめた。

(もう、二度と会えなくなっちゃうんだ。それだけは何か、ちょっとなあ)

あ、と思いがけず声が漏れる。どうかしたのかい、驚いたようにこちらを見る二色の瞳に、ニゼルはにこりと笑い返した。

「うん、ちょっと用事を思い出した。すぐ済ませてくるから、ケイロン先生の診療所に行ってていい?」
「おや、珊瑚か琥珀の様子見かい。シリウスが見張っている筈だが、気になるなら休憩がてらそうしたまえよ」

見張りって、見張りだとも、短い応酬に互いに苦笑して、ニゼルはぱっと立ち上がる。親友は、わざわざ膝についた泥を落としてくれた。
お礼を告げて背を向ける。診療所に着くと予想した通り、鷲獅子と黒羽根が不慣れな料理に挑んで、台所に黒煙を上げているところだった。
窓を開け、一角獣は懸命に後片付けに勤しんでいる。えらく怒られたのか、琥珀と珊瑚は床上に正座して、しゅんとうなだれていた。
これ、俺がいなくなっても本当に大丈夫かな――一瞬、心に魔が差す。頭を振り、ニゼルは親友ともどもあてがわれた寝室に向かった。

「えっと……ああ、あった、あった。ちゃんと持ってきてた」

寝具の横に放っていた鞄の中から、一冊の小さなノートを取り出す。藍夜の黒い手帳よりは大きいそれを、ニゼルは机に乗せ、席に着いた。
鳥羽藍夜の転生を待つ最中、立ち寄った田舎町で手に入れたものだ。職人手製の革張りのカバーと、手漉きの紙であつらえたノート。
俺には少し豪華すぎるやつだよね、と、購入した当時の事を思い出して羊飼いは苦笑する。
藍夜みたいな自分の手帳が欲しい、と殺戮の隣で零した折、どうせ持つなら良い物の方がいいさ、と強引に押しつけられた品だった。
未だに代金の立て替えは追いついていない。彼は食べ物に関する衛生意識はおろか、金銭感覚も怪しいのではないかとニゼルは踏んでいる。

「三日坊主ならず年坊主? だもんねー。俺って本当、日記とか書くの向いてないなあ」

ページをめくると、自筆の日記やぼやきなどが点在しているのが見えた。主に旅仲間との日々や、愚痴、成長記録などが記されている。
独白の通り、日付はばらばらだった。一日置きに書かれているかと思いきや、明らかに年単位で状況が飛んでいるものもある。

「息吹の月、三日、晴れ。そっか、サラカエルが藍夜を見つけたって出掛けてった日だ……あ、年数書いてないといつの事か分かんないな。
 うわぁ、駄目じゃん俺。藍夜は店の事マメに書いてたのになー。主にお金の話だったけど、俺に読まれてたって事は流石に知らないよね」

親友を真似て始めてみた、旅の記録。思い返してみれば、色々な出来事があった。ニゼルはくつくつと笑いを噛み殺して、ノートを閉じる。
すぐ近くから、シリウスの怒声が聞こえた。ようやく片付けが終わったのか、部屋中に漂っていた焦げ臭さがすっかり消えている。
妻の言い訳じみた反論に、彼は素早く言い返していた。珊瑚は幼いから大目に見るとしても、琥珀の性根を直すのは至難の業かもしれない。

「もう。シリウスも怒りっぽいんだもんなー。ちゃんと夫婦円満でやってくれないかな? ああ、でも元々、ああいう夫婦だっけ……」

胸を突き刺すような、鋭い痛み。両目を乱暴にこすると、ニゼルは背もたれから背中を剥がし、もう一度ノートを手に取る。
おもむろにカバーを外し、裏表紙にあたる部分にやはりサラカエルに買って貰った万年筆で、すらすらと何事かを書き込み始めた。
それは、誰にも気付かれないように記した秘密の日記だ。頭から二度ほど繰り返して目を通し、ニゼルはひとり満足してうんうんと頷く。
正直に言えば、誰にも読ませたくない文面だった。厳重にカバーをとりつけ、外れない事を確認してからノートをしまう。

「俺って、結構感傷に浸る方だったのかな」

ぽつりとぼやいてから、寝室を後にした。台所で逆切れし始めていた琥珀を宥め、喧嘩を中和するべく珊瑚を奪って人質にとり、畑に戻る。
黒羽根を見つけた途端、親友は顔を引きつらせていた。絶えず、笑みが溢れる農園。その中心に居座り、ニゼルは愛しいもの達を見渡す。
いつまでも皆が仲良く過ごしてくれたらいい……大神に代わって天使長が羊飼いを迎えにきたのは、それから三日後の事だった。






「……ふ、結局、トバアイヤ君も連れてきてしまったのかね。ニゼル君」
「ああ、うん。へへ、成りゆきってやつだよね……はあ……」

よく晴れた、初夏の日。畑をいじり、鷲馬の双子を愛で、アンブロシアと料理に興じる日々。そんな平和にもあっという間に刻限は訪れる。
畑に突如として姿を現したミカエルが、診療所の裏口を経由してニゼルを連れ出そうとした折、羊飼いは殺戮の天使に呼び止められた。
ヘラを慕っている彼なら、当然着いてくるものと理解出来る。驚いたのは、彼の横に当然というような顔で、親友が待機していた為だった。

「おかしいと思っていたのだよ。数日前から、サラカエルが動揺しているのが伝わってきたからね……まさか、ゼウス様と密会していたとは」
「密会って。大げさだなあ、話があるからって言われて、仕方なくつき合ってあげてただけなのに」
「似たようなものじゃないのかい、ニゼル。サラカエル、君も君だよ、何故僕にまで話を濁して伝えようとするんだい」
「はあ……こうなるのが、目に見えて分かっていたから黙っていたのに」
「何か言ったかい、サラカエル」
「何でもないよ、ウリエル」
「あー、サラカエル? 藍夜のお説教喰らいたくなかったら、小声ででもあんまり反応しない方がいいよ。逆に長引いちゃうから」

聞けば、対天使の中でも殺戮と審判官はその能力の特性上、他のものよりも精神的な感応、繋がりが深くなっているという。
互いの感情が高ぶるとき、荒むとき、対存在側もその影響を受け、精神がざわつく事がよくあるのだと親友は補足した。
便利なのか不便なのかよく分からないね、素直な感想を述べるニゼルに、審判の際には利点として働く特性だよ、藍夜は肩を竦めて見せる。

「では、話を戻そうじゃないか。僕達は今、どこに向かっているんだい」
「いや、ウリエル。僕が聞くのもおかしな話だろうけど、本気で着いてくるつもりなのかな」
「そうでなければ、ここにはいないというものだよ、サラカエル。それとも何か、僕がこの場にいると不都合な事でもあるのかい」

うんざりしたように溜め息を吐き、顔を逸らして、サラカエルは返答する事を早くも放棄したようだった。
矛先を変え、親友がじろりとこちらを睨みつけてくる。ニゼルは、まるで生きた心地がしなかった。
アンブロシアらにも黙って出てきたのだ、内々に済ませたい用事である事くらい、彼も理解している筈なのに。殺戮につられて嘆息する。

「あのね、藍夜。置いてかれそうになったからって拗ねないの。ほら、用事を早く済ませて、さっさとキザ男達から離れよう? ねっ!」
「ニゼル、君ね、」
「キザ男、分かったらさくっと移動して。でないと藍夜、うーん、ウリエルにずっと文句並べられるだけだから」
「……ふ、いいとも、では急ぐとしよう。我々としても、時間は惜しいのでね」

診療所を訪ねた時と同じように、雑木林に踏み込んだ。あらかじめミカエルかラファエルが展開していたのか、既に転送陣が開かれている。
藍夜の顔が、いきなり訝しむそれに変わった。いいから着いてきて、ニゼルが懸命に宥め、不快そうに顔を歪めた親友ともども転移する。
……浮遊感は、いつもの倍あった。ぐらりと視界が揺れ、嘔吐感すらすら覚えて体が傾ぐ。横から伸びてきた腕が、羊飼いの肩を掴んだ。

「……藍夜」
「話は後だよ、ニゼル。ここは一体……」

言われて初めて、転移が済んでいた事に気がつく。下から吹き付ける冷たい風が、ぞくりと全身を撫でていった。

「風……遺跡の一種かい。塔の中のようにも思えるが」
「うーん。とりあえず上には行けないみたいだし、下に……下……う、わぁっ、高っ!」
「あんまり覗き込まない方が身の為だよ。底が見えないからね」
「……ふ、そういう事だ。では諸君、長い道のりとなるが先を急ごう。転移を始めとした術は、封じられているのでね」

立たされているのは、空洞となった建築物の中、殆んど空中に等しい場所だ。崩落した残骸か、足元の小さな瓦礫のみが支えになっている。
皆の中でも特に大きな声で下を覗いたニゼルは、あまりの高さ、そして強烈な風と暗闇を前に、ただ驚きの声を上げて狼狽えた。
正気を保っていられるのは、大神を前にしているという意地と、心強い天使の存在のお陰だ。なんとかしっかり立ち上がり、ゼウスに続く。

「なんていうか……不思議なところだね」
「不思議というよりは、なんだろうね。僕には、物寂しい場所に見えるよ」

錆びついて赤黒く染まった内壁は、ぐるりとニゼル達の足場を囲むように緩やかな曲線を描き、それでいて真っ直ぐに天を差していた。
まるで大樹の中身をくり抜いて作った塔であるかのようだ。上も下もどちらも果てがないのか、視界は暗闇を捉えるばかりになっている。
宙を漂う、手のひらほどの大きさもない、剥離した瓦礫の断片。冷風が吹き上げる中、それらはその場に留まるようにして微動だにしない。
思わず手を伸ばし、目の前の破片に触れてみようとしてみたが、それは指が触れようとした瞬間、接触を拒むように自ら遠退いていった。
……塔の中に、呼吸を可能とした宇宙空間と共に閉じ込められたような錯覚を覚える。そこまで詳しくなかったな、ニゼルは頭を振った。
強風が服や髪をあおり、この場の匂いや他者の気配を根こそぎ奪っていく。進むしかないか、と羊飼いは親友と手を繋いで階下を目指した。

「……あの、キザ男? 一体どこまで行けば、」
「ふ、そう案ずる事はないよ、ニゼル君。どうやら、向こうから来てくれたようだ」

錆びついた金属製と思わしき、底へと続く階段。いい加減、殺風景な景色にうんざりし始めた頃、ぱっと世界が変わる。
気がつけば、ニゼル達は遺跡の底と思わしき部屋にいた。錆びた金属製の床や壁からして、あの塔の内部である事は予想出来る。
しかし、ぼんやりと広く空虚なドーム状の屋内は、魔王が得意とする黒塗りの結界を彷彿とさせ、酷く不気味なものであるように見えた。

「……おや、いつの間に、底に着いていたのだろうね」
「藍夜……キザ男。ここって、」
「目的地、というべきかな。なに、目当てのものは、我々の上にあるとも」

――上? 聞き返すより早く頭上を仰ぎ、ニゼルは言葉を失う。
言われて初めて、宙に浮いている、否、あの浮遊する金属片のように空中に固定されている物体に気がついた。

「……ヘラ様」

殺戮の、苦鳴に似た低い声が空洞にぼうと響く。ニゼル達の頭上、宙に磔の如く留められているのは、半ばミイラと化した女神の姿だった。
髪の殆んどは抜け、剥き出しになった骨に気休め程度の皮膚が僅かに残されている。光沢があったであろう衣も、原型を残していない。
無惨、非情、悲惨。其処に在るというだけで、酷い辱めのように思えた。全身を言葉にし難い悪寒が走り、羊飼いは身を竦ませる。

(あれは……『わたし』「俺」だ)

見ただけで、それが地母神の朽ちかけた残骸だと分かった。空洞と化した眼窩は、この場と同じように空虚で虚しい、冥い光を留めている。
呼ばれていたのかもしれない。招かれていたのかもしれない。頭を振り、気合いを入れるように深く嘆息した。
隣で、唯一事態が飲み込めていない親友が狼狽えている。ニゼルは、やはり藍夜には事前に説明しておかなくてよかった、と考えた。
ここにきて彼に反対でもされてしまったら、恐らく決意が鈍くなる。自分も大概だなあと、自分自身に呆れて止まない。

「ヘラ様? どういう事なんだい、ニゼル、サラカエル。ここは一体なんなんだ、何故……何故、ヘラ様があのような醜態を」
「藍夜……」
「落ち着きなよ、ウリエル。ゼウス様からこの場所に彼女が安置されている事を聞いたのさ。別に、君に隠していたわけじゃないよ」
「安置? なら、それなら、あれは本当にヘラ様なのかい。僕には……な、亡骸のようにしか……」

愕然とそれを見上げる親友の横顔を、ニゼルは切ない眼差しで見つめた。ごめんね、藍夜――その一言が、まるで喉から先に出てこない。
視線を藍夜から外し、もう一度ヘラの肉体を見上げる。いよいよだ……ニゼルは、体中の至るところから、力が抜けていくのを感じた。

「ねえ、キザ男、ううん、ゼウス。約束、ちゃんと守ってよね」
「……ニゼル? 約束とはどういう、」
「ふ、勿論だとも。わたしも、ヘラには恨まれたくないのでね」
「ゼウス様? ニゼル……待ちたまえ、さっきから何の話を……っ説明したまえ、サラカエル!」

力だけでない、痛覚、嗅覚、他、あらゆる五感。これこそが、「死」そのものに繋がる体感だとついに理解に至る。
羊飼いは、迷わず歩き出した。ヘラの真下に向かうにつれ、指先から、耳から、毛髪の先から、ざらざらと零れ落ちるものがある。
ニゼル=アルジルの、器の固有情報だ。それは奇しくも、ケイロンに宣言したような星か煙のようにぼんやりとした儚いものとして在った。
声が遠退く、意識と五感がヘラに向く。立ち止まり、頭上ぴったりに地母神の器が見えた時、ニゼルはいよいよ強い浮遊感に襲われた。

「ニゼル? ……ニゼル、待ちたまえ!!」

遠くから、近くから、「親友」『可愛い部下』の声が、稲妻のように轟く。
ゆるりと振り向いた時、彼は目の前に立ち塞がる不可視の壁に行く手を阻まれ、激高に任せて拳を打ち付けていた。
地母神ヘラを復活させる為に、塔そのものが形成した結界だ。破る事が出来る者には限りがある。「ニゼル」は静かに、目を閉じた。

『……ル、ニゼル! 何を考え……勝手……る……』
「――うん。ごめんね、藍夜」

おかしい事に、涙の一粒も出てこない。俺って薄情だよなあ、薄れいく混濁した意識の中で、ぼんやりとそう思う。
こうなる事は始めから分かっていた。恐らく、鳥羽藍夜は決して自分を許そうとはしないだろう。
それどころか、その死を認められず、なんとしても生き返らせようと足掻くかもしれない。流石にそれは大げさかな、小さな苦笑が漏れた。
頭が強引に引っ張られる。あらゆる感覚が端から消え失せ、自分そのものが空っぽになっていく……ここでニゼルは、ようやく恐怖した。
失うのが怖いのではない。死ぬ事そのものも覚悟の上だ。では、何が一番恐ろしいのか……はっと振り向き、親友を見返す。

「藍夜、藍夜! お願い……俺の事、忘れ」

言葉は最期まで吐き出されない。藍夜の眼前、透明な壁の向こう。ざらりと一際大きな砂が羊飼いの体から溢れ、刹那、音もなく霧散した。
血が滲み始めた拳を、ウリエルは解こうとしない。もう一度強く壁にそれを打ちつけ、彼は血が吹き出るほど強く唇を噛み、下を向く。
怒り、否、憤怒が床に吸い込まれていった。赤黒い斑は錆に飲まれ、染みとして、言葉として形を成さない。

「……ニゼル」

歯噛みし、ずるずるとその場に膝から崩れ落ちる。実のところ、理解ならすぐに出来ていた。
ミカエルが現れ、ゼウスが現れ、それにすんなりと着いていく対天使。その胸中は、期待と困惑、悲哀に満ち、藍夜の精神をも蝕むほど。
彼が、そこまで感情を剥き出しにする機会は滅多にない。ここのところ、ニゼルともども様子がおかしい事にも気付いていたのだ。
ヘラの復活と、ニゼル=アルジルの返還。これで全てに説明がつく。藍夜は、友人が立っていた場所に虚ろな視線を戻した。

「……すまないな、ウリエル」

分かっていた通り、二色の眼差しの先に、見慣れた羊飼いの姿はない。代わりに完全なる復活を遂げた美貌の女神がひとり、立っている。
栗色の髪、仔牛のそれに似た黒く丸い瞳。色白の肢体を、光沢感に濡れた清潔な衣が覆い隠し、否応なしにその存在感を強調していた。
毅然とした表情が、居合わせた者達を冷静な眼で見渡していく。消失した青年を労るように、長い睫毛が一度、ゆっくりと上下した。





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 UP:19/04/28