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苦いもの、甘いもの(楽園のおはなし2章SS)


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「……おい、これは一体、何事だ」

テーブルの上に山のように積まれた袋や調理器具を前に、俺は向かいに立つ娘に問いかける。
清潔な亜麻織りのエプロンを身に着けながら、相手はくるりと振り向き、可憐に笑った。

「いやだ、あにさま、ご存知ないの。今日は、カカオ豆を使ったお菓子でお祝いをする日なのよ」

お祝い、俺がオウム返しをすれば、そうよお祝いなの、と娘は頬を染めながら微笑む。
お祝い……お祝いとは。祝いの品を仕込む段取りにしろ、材料も道具も過剰のような気がした。
思いきってそう突っ込んでみるも、娘は「あにさまは頭がお堅くいらっしゃるから」と素知らぬ顔だ。
どう窘めようと適う相手ではないと、俺は十数年以上のつきあいとなる相手に苦笑する。

「エライ。それで、このカカオ豆とやらはどこから調達したんだ。まさか神殿から盗んだわけではないだろうな」
「シリウスあにさま! なんて事を仰るの、そんな野蛮な事致しません。長方に頼んだら、都合よく分けて下すったのよ」

「都合よく」。俺はその言葉をわざと聞こえなかったふりをした。おおかた、俺の不在の折に長に我が儘を言ったのに違いない。
長をはじめ、里の者はこの妹を大変に甘やかしている。若い雌は貴重だし、何より贔屓目に見てもこれは器量も愛想もいい。
……自慢の妹だ。時々、このように突拍子もない事をしでかしては、俺を含めた周囲を困惑させて止まないが。

「ほらあにさま、これから秘密の調理をするのだから、出ていって下さいな」
「おい、ひとりで大丈夫なのか」
「もちろん。わたしだっていつまでも子供じゃないのだから、これくらい大丈夫よ。さ、早く」

お前はそう言うが、俺から見ればいつまでも子供なのだがな……皆まで言うより早く、台所を追われる。
こうなったら、料理が終わるまで鍋の一つも使わせては貰えまい。手持ち無沙汰になった俺は、渋々と裏口に回った――

「……で、追い出されちゃったのか。相変わらず、妹に頭が上がらないな」
「致し方なかろう。お前とて、面と向かって相手をすれば同じ事態になるのだろ」

――星の民が暮らす土地は、近隣の山々と天上の優れた天候に恵まれ、水も空気もとてもよく澄んでいる。
穢れを嫌う種族として、これ以上ない快適な生育環境だった。
今は亡き先祖方が旅の果てにこの地を探し当てた可能性もなくはないのだが、俺の知るところではない。
井戸から汲み上げた水をぐびぐびと飲み干す横で、先ほど顔を出した幼なじみが、気のいい笑みを浮かべている。

「そんで、その、何だっけ? カカオ豆がどうとか」
「ああ、人間の文化の一つであるらしい。俺もそこまで詳しくは知らんが、エライは夢見がちなところがあるからな」
「人間の文化ねえ。そんなのに傾倒して、何の得になるのやら。豆自体、高いんだよな?」
「……あれの小遣いのうち三月分は飛ぶな」
「……まあ、エライの事だしな」

生まれてからというもの、だいたいはこの顔ぶれで日々を過ごしてきた。互いの考えなど、手にとるように分かる。
それでも俺も、幼なじみのゴラも、妹の考えている事がたまに先読み出来なくなる場合があるのだった。
女心というものも関係しているかもしれないが、危ない真似だけはしないでくれと切に願う。

「そもそも、カカオ豆の菓子って油分の塊なんだろ。俺達が食べられる代物かな」
「言うな、ゴラ。食べなければ食べないで、あれに泣かれるだけだぞ」
「その後だって、三日くらいは口利いて貰えなくなるんだろ……前に、お前がやらかした事があったじゃないか」
「お前もそうだろう、ゴラ。忘れたとは、言わせんぞ」

南無三、合掌。ゴラの本心までは知らないが、俺達はそうしてしみじみと空の青さを堪能した。

「あっ、あにさま、ゴラ。こんなところにいたの、探したのよ」

そうして俺達が現実逃避をしている時に、エライはにこにこと機嫌が良さそうな顔で寄ってくる。
親の心仔知らず、もとい、兄の心妹知らずといったところか。俺も歳を食ったなと、自分で自分に呆れてしまった。

「エライ、調理は済んだのか。ずいぶんと早いな」
「残念でした、あにさま。今は冷やして固めているところなのよ、空き時間が出来たというところなの」
「……わざわざ溶かして固めるのか。それって、意味があるのか」
「あ、なんて事を言うの、ゴラ。あなたにはカカオ菓子あげないわ、絶対よ」

それはそれで助かる、幼なじみがそう小声でぼやいたのを、俺は聞かなかったふりをする。
妹は、母譲りの愛らしい顔をむすっと不機嫌の表情に変えてみせた。こうなると、小一時間はこのままだ。
慌ててゴラは取り繕い始めたが、エライは手で耳を塞ぎ、聞こえないふりをする。俺は、妙な知恵を付けたものだと嘆息した。

「エライ。ゴラは麦の分配の会合で疲れているのだ。そう意地の悪い事をしてやるな」
「……そうなの。そうね、あにさまが、どうしてもって言うなら」

どうしてもだ、俺は苦笑いしながら諭し、なら許してもいいわ、妹はゴラに仲直りの握手を求める。
ゴラは、心底ほっとした顔でそれを握り返した。いつも通りの光景だが、いくつになっても変わらないなとどこか安心する。
俺の心情も知らず、エライはにこにこと楽しそうに笑い、ゴラも苦笑した。ああ、俺は幸せ者だと、強く思う。

「それで、カカオ菓子はどんなものを作ったのだ。少しくらい、教えてくれてもいいだろう」
「もう、あにさまったら分かってないのね。こういうのは、最初は知らない方がびっくり出来て楽しいのよ」
「シリウスはお堅いからなあ。仕方ないさ、エライ」
「もう、ゴラ、あなたもあにさまには甘いのだから」
「おい、ふたり掛かりとは卑怯じゃないか。なんだなんだ、俺ばかりが除け者か」
「でも、俺も気になるな。なあエライ、ヒントくらい教えてくれないか」
「仕方がない大人達ね。あのね、今日作ったお菓子はねえ……」

よく晴れた空の下で、俺達は笑った。
こんな何気ない日常が、いつまでも続いていけばいい。それは恐らく、幸いそのものであるのに違いないのだ。






「……つ、ケツ? ちょっとケツ、シーリーウース! コイツ、いつまで寝てるつもりなワケ?」
「琥珀ー? 疲れてるみたいだし、もう少しだけ寝かせてあげたら?」

意識を、現実に呼び戻される。良い夢を見ていたのだと、俺はぼんやりとした頭を横に振った。
あ、起きた、と好きに言ってくれるのは、今は俺と騎獣契約を交わしている、不思議な気配を持つ人間だ。
その隣、長い黒髪の美しい娘の姿をとる凶悪な魔獣が、腰に手を当て、俺を正面から睨み下ろしてくれている。
表情は不機嫌そのもの、少しの仮眠すら自身の用事に劣るらしい。相変わらず身勝手な性格だと、俺は小さく嘆息した。

「言っとくケド、ニジーを背中に乗せてあげたのは僕が先だからね! あんまり調子乗んないでよ」
「……契約を結んでいるのは、俺の方だろう。お前はあくまで仮だ、仮」
「なっ、何なワケ、コイツ!? ちょっとニジー! なんとか言ってやってよ!!」

この魔獣、つまりは鷲獅子の雌は、旅をしているうちに俺を好いてしまった体らしい。
更に言えば、俺もそれが満更ではなかったりする。食って掛かられるのには慣れてしまった。

「もー、またすーぐ喧嘩するー。琥珀、シリウスに用事があるんじゃなかったのー?」

俺達の諍いにしか見えない応酬を止めるのは、契約主である人間ニゼルの仕事だ。奴は今回も慣れたように魔獣を諫める。
でも、だって、ともごもごと口を濁らせ、不満そうに鷲獅子は黙り込んだ。
……この現象を、ヒトの言葉ではなんと例えられていただろうか。確か、パブロフのなんとか、といった筈だ。
あっさりとニゼル=アルジルに丸め込まれているあたり、この魔獣が奴に口で勝てる日は、一生来る事はないだろう。

「でも、じゃないでしょー? ほら、そのままだと、またシリウス眠っちゃうよ?」
「ふ、ふーんだ。騎獣のクセにニジーをほったらかして寝こけるとか〜」
「あのね、琥珀。シリウスは昨日琥珀が台所を燃やしかけたのを消し止めてくれたんでしょ。恩を仇で返すつもり?」
「だ、だって〜!」
「……何でもいいが、用事がないなら俺は寝所で休むぞ。眠いのは確かだからな」

昨晩の事だ。料理下手の分際で、この鷲獅子は何が何でも作らなければならないものがある、と台所に立った。
結果は火を見るよりも明らかで、皮肉にも強すぎる火で鍋が一つ昇天する。更に、宿の一室を丸ごと焼きそうになった。
俺と他の旅仲間の手で大事に至らなかったし、その後、これは別の仲間の指導の元で調理を完遂したと聞いている。
何にそこまで駆り立てられているのか……うむ、と喉奥でうなったところで、至近距離から声がした。

「……っはい、コレ! ばっ、ばれんたいんだか何だかだから、仕方なく、だからね! 調子乗んないでよ!?」

張本人、琥珀だ。上目遣いにこちらを見る鷲獅子の顔は、いつもの褐色混じりのそれにほんのり朱が差している。
突き出された手のうちから、俺は小さく可愛い包みを受け取った。ご丁寧に、俺の瞳の色のリボンで封がされている。
これは何だ……疑問に首を傾げていると、琥珀からのお手製バレンタインチョコだよ、とニゼルが朗らかに笑ってみせた。

「もー、鈍いなあ、シリウス。大好きな彼氏に本命チョコ、ってやつだよ。気がついてあげなくちゃ、そこは」

無言で視線を動かしてみれば、鷲獅子の顔は今度こそ耳まで真っ赤に染まっている。
俺は、おもむろに包みを解き中を改めた。あの日……エライが作ったものと同じ菓子が、そこにある。

「わざわざ、作ったのか。俺の為に」

尋ねてみると、琥珀はちら、とこちらを盗み見た。最早、うっすらと目が潤んでさえいる。

「わ、悪かったね、どーせ料理下手ですよ〜。シアが手伝ってくれたから、ソコソコ食べられそうだケド」
「……」
「……な、何。なんか言ったら? 黙りとか、スッゴく落ち着かないんだケド」

ああ、なんといじらしい事か。染み出す湧き水のように、喜びが胸に溢れた。
それと同時に、俺の脳裏に過ぎるものがある。

『あにさま、あにさま。どう、美味しい? とても上手に焼けたのよ、カカオ粒を混ぜ込んだ焼き菓子なの』

あの日……エライは、カカオ豆と小麦粉、バターを用いて、実に美味い焼き菓子をこしらえてくれた。
何の因果か、或いは縁か。目の前の菓子は、それと同じものだ。一枚摘まんで口に放る。
なるほど確かに、これが作ったにしては良い味、香り、見てくれだった。不思議と、塩気を強く感じてしまう。

「……ッ、て、け、ケツ!? な、なななっ、なんで泣いてっ、」

皆まで言わせるつもりは、ない。俺は、問答無用で眼前の鷲獅子を両腕の中に収めた。
暖かく、気分が安らぐ。焼き菓子の残り香か、微かに甘い匂いがした。

「おー、バレンタインの魔法、様々だね! よかったねー、琥珀」
「っひ、うへ、や、はっ、離してよ!? うわあっ、ニジー! 何とかしてよ〜!!」
「……もう、ニゼルさん? そういうのデバガメって言うそうですよ? あんまり見ちゃいけませんっ」
「えー、アンだって見てるじゃない! いいのいいの、琥珀もね、たまにはデレたって罰は当たらないんだから!」
「うわーっ! ちょっと、ケツ! 馬ァー! 離してってば〜!!」

暴れる肢体を無理やり抱き込む。「馬じゃないと言ってるだろう」、お決まりの返しもせず、俺はくつくつと笑った。
香りを残す口内は、甘く、ほろ苦い。これが抵抗し疲れたら嫌がらせに口付けでもしてやるかと、密かに企む。

『――あにさま。どう、美味しい?』

……俺にはもう、そうする事でしか、遠い何時か、遙か彼方に霞んだ記憶を振り払う術がないのだ。
背後から引きずり寄せようとする目に見えぬもの、悔恨。それを振り切るように、俺は最愛を抱く腕に、力を込めた。




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 UP:19/02/15