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ある魔獣と神獣の語らい(楽園のおはなし3章SS) BACK / TOP / NEXT |
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「まだ、『ウロコ』が少し残っているねぇ」 右手を掴まれたまま、少年は眼前の男を見た。前髪は長めに伸ばしてあり、その表情はあまりよく見えない。 象牙色の髪は手入れされているわけではなく、ぼさぼさとした伸び方といい馬の鬣を彷彿とさせる。 見上げた先、辛うじて見える目元が優しげにたるんだ。 黒塗りの瞳は慈悲や慈愛といった感情に細められ、訝しむように片目を細めた少年を愛しげに見つめていた。 「レビヤタン、初めてにしては上手く出来ている方だとボクは思うよ。キミの『人型変化』は」 「そうでしょうか」 「うん。尻尾……うん、下半身が消せるようになったら、きっともっと良いかな」 手を掴んだまま、男の視線が俄かに動いた。少年は釣られるようにしてその先、己の足下へ目を向ける。 ヒトのそれと同じ二本足、その後ろ、脊髄からまっすぐ伸びるようにして銀瑠璃の鱗に覆われた蛇の胴体が地面に下ろされていた。 僅かに歪んだ少年の顔を、男はやはり微笑ましいと言わんばかりの目で見守っている。 「……何か、言いたい事でも」 「ううん。なんにもないよ。ボクもはじめの頃は苦労したなあと思ってね」 男の視線は妙に甘く、むず痒さと息苦しさを感じさせられた。無意識に体に緊張が走る。 少年は名をレヴィといった。 世界創世の頃に神々の手で造られた史上最強の生物、海蛇型魔獣リヴァイアタンが正体に相当する。 彼は実母から産み落とされてまだ数百年程しか経たない幼子で、今はとある女神の住まいに厄介になっていた。 産まれた際、彼の周辺は酷く慌ただしかった。 母が彼を生んだ事に気付けないほど事態は混乱していたという。 紆余曲折の末、彼は流れ着いた島国でヒトの子と暫しを過ごし、その後ある事件を経て地母神ヘラに拾われた。 ヘラとその臣下の側で過ごすうち、彼の心境に若干の変動があった。 「世界に終末を運ぶ化け物としてではなく、ヒトに近しい姿で、彼等と同じ時を過ごしたい」。 ヒトの子に注がれた友愛、ヘラを始めとした屋敷に住まう住民が良くしてくれた事がその理由だった。 島国の友人を模した人型への擬態から、リヴァイアタン特有の魔力に怪力の調整、 立ち振る舞いから言葉遣いと両親の気質を知る者から見たら有り得ないほど、彼の努力は徹底していた。 完璧主義と言っても良かった。周囲は喜び半分、呆れ半分で訓練に付き合った。 屋敷の住人のみならずレヴィの学習範囲は外界や人の世でいう犯罪者、伝説の魔獣にまで及び、 一部からは「心配ですの」と苦情が出た。 が、今も彼に反省した様子はない。 芽生えた知識欲と好奇心は留まる事を知らない。義母となったヘラの気質が影響している事は明白だった。 「参考になりました。まだ努力が足りないという事ですね。ベヒモス」 「努力、かなあ。そんなに無理をしないでも良いと、ボクは思うよ。レビヤタン」 「問題ありません。好きでしている事ですから」 「擬態して二足歩行するだけでも支障はないと、ボクは思うよ。敢えて練習する必要はないと思うのだけれど。 どうしてもキミには『人型変化』しなければならない理由があるのかい? 焦っているように見えてしまうよ」 自身と同じく、世界最強と謡われる古代の生物・ベヒモス。 今は亡き実父の親友であったという彼の問いに、レヴィは俄かに声を詰まらせた。 人型変化――魔獣として、巨躯並びに化け物の姿を有する彼等である。 ヒトの姿に変身するのには個々の好みや理由、利便性などが挙げられた。 ベヒモスは古い時代から故郷の孤島に暮らす女神、通称「海の魔女」をはじめ島に僅かにある漁師、農民と交流があり、 彼等との意志疎通を計る上で、或いは島に住まう生物の生態管理を担う側として人型を維持していた。 いつからそうしていたのか、と問うと、もう忘れてしまった、と彼は言う。 「焦っている、というわけでは……」 「そうなのかい?」 「擬態では補え切れない要素が見受けられるようになってきたので。それだけです」 見透かされたのかと、レヴィは一瞬息を呑む。事実、言い表しようのない焦りが内心あった。 ヘラの屋敷に住まう者の中には、自分に同じく神獣、魔獣の類がいくつかあった。 彼等のいずれもがベヒモスに同じく人型変化能力を有しており、早いうちから二足歩行のまま敷地内を自在に闊歩していたという。 彼らがヘラの護衛に当たる事が出来るほど優秀だと知り、いつしかレヴィは力量不足を感じるようになった。 今現在、ヘラの屋敷に彼らの姿は見えない。それぞれが所用の為、屋敷を離れて行動しているという話だった。 ……ヘラには命を救われたようなものだ。 彼らの代わりになれたら……それは言わば驕りか、的外れな自尊かもしれない。 それでもこのままは――無自覚ながら最強の生物としての自負も含まれるのか――自分の中では許し難い事であったのだ。 「なら、擬態でも対応出来るような術を磨いたらいいのではないのかな、レビヤタン」 「そうですね。ですがヒトの姿に近付く事で、有益となる要素も増えます。手が多いに越した事はありません」 「ふうん、そうなのかい?」 「何でしょう」 「ううん。キミはほんとうに、お父様にそっくりだなあと思ってね」 「……何度も言いますが、僕に『父親』などいません」 「分かっているよ、レビヤタン。キミにボクらの思い出や残り香を押し付けるつもりは、もうないから」 「分かって……いえ、問題ありません」 実父、先代の雄型リヴァイアタン。 ベヒモスが目を細めて懐かしむ旧友の姿を、レヴィは知らない。知るより前に、彼の命は絶たれた為だった。 危険生物の間引き――彼を手がけた天使や神は、そう神託を下したという。 夫の死の折、文字通り発狂した実母は胎からレヴィを産み落とし、その出生に気付かぬままその場を逃走した。 孤独のまま暫くを海流に揉まれて過ごし気が付いたら今こうして友人を自称する魔獣と話をしている。 故に、レヴィは未だ両親の声はおろか声、姿形、立ち振る舞い、その温もりや教育方針さえ知らないでいる。 ベヒモス、並びに彼の友人ジズによれば、彼ら二竜は伝説より遥かに大らかで飄々とした気質であったという 。話を聞くだけならヘラに似ている。 そう考えてしまうのはベヒモスと交流する機会が増えたからだろうか。詳細を知らずにいたのは、ある意味幸運だったと思う。 お陰でヘラ、サラカエルとは適度な距離を取れている。 (マザーコンプレックス、とは、……アスターさんにまた何か言われる要素が増えてしまうだけのような) 故郷とは名ばかりの北海を漂い、友に出会い、後に仮初めではあるものの、信頼に足る家族を得た。 それに感情のあらゆるを託す事は、古代の魔獣らからすれば間抜けにも見えるか。 そうではない……獣でも神でもヒトでも何者であろうとも、分かり合えるもの、通じるものは確かにある筈だ。 拾われたあの日以来、彼女らに返したいと願う恩義と真心に、嘘偽りはないのだから。 「父が……母が、周りにとって如何な存在であったかは、問題ありません」 「うん?」 「大切な事は、彼等の血肉と遺志を通じて僕の中に流れています。それだけで十分です」 「そうなのかい。いや……そうなのかも、しれないねえ」 傍ら、右手を手放してベヒモスが黒瞳を細める。空いた手の平を目の前に運び、じいと見つめ、レヴィは考えていた。 最強の生物。神々の傑作。残酷無慈悲な性分。世界終焉の刻に捧げられるが為の肉塊。 それが「リヴァイアタン」だ。その血を脈々と継ぐ自身もまた、どこかそういった性質を有するのだろう。 今は、まだ。まだ知らずに、触れぬままでいた方が良い事もある。 「――おやぁ、レビヤタン。どうやらそろそろ帰宅の時間らしいねえ」 「ああ、」 「……い、おーいっ! レーヴィー!! おぉーい!!」 「『ニゼル』さん、『ウリエル』さん……そうですね。時間が経つのは早いものです」 顔を上げれば太陽が頭上高くにあった。眩しさに思わず目を細める。 出迎えの天使が砂浜から手を振っていた。応えるように頷き返し、一時「半」人型変化形態から擬態姿へ戻る。 夏の空の下、同色の清々しい髪が優雅に揺らめく。銀の髪飾りが陽光を跳ね除け、煌めいた。 見知った天使だ。ヘラの屋敷に住み、サラカエル同様彼女の庇護の下、安穏の生活を享受する高位天使の乙女。 乙女の隣で、義父サラカエルによく似た面立ちの男がベヒモスに軽く一礼する。 男が酷く嫉妬深い気質である事を短い付き合いながらレヴィは知っていた。 乙女の付き添いだけでなく、自分がベヒモスらの元に居着くのをなんだかんだ言って一番嫌がったのは、 なんとサラカエル以上に彼の方だった。 「それでは、ベヒモス。また一週間後に」 「うん。その頃には良い向日葵油が出来ているとボクは思うよ。お土産用に、急いでこしらえておくとしよう」 「そんなに頂いても、使い切れませんよ」 「キミのお屋敷には、料理の上手い子がいるのだろ。その子に任せるとするよ」 あの、声の綺麗な小鳥みたいなちいさい子――悪戯心に満ちたウインクを、レヴィは複雑な顔で受け止めた。 ベヒモスの苦笑と同時に、件の空色天使がレヴィの頭に手を乗せる。柔い手つきで髪を撫でる。 「有難うねー、ベヒモス! あ、こないだ貰ったワイン、ヘラ喜んでたよー。ちょっと甘口かもーだって」 「そうかなあ、ジズとボクにはちょうど良かったのだけれど。うん、感想有難うねえ」 「では、レヴィ。戻ろうか、アスターが首を長くして待っているからね」 「はい、ウリエルさん」 「……、またねえ。レビヤタン」 「ベヒモス、ジズに宜しく伝えて下さい」 「うん。またねえ」 天使の能力とは様々だ。神に仕える身であるのだから、人外じみた不可思議な彼らの力は特別なものである。 レヴィが光の粒子に全身を包まれたかと思いきや、次の瞬間には、彼とふたりの天使の姿は掻き消えていた。 何度見ても驚きの光景だねえ、瞬間移動かあ――如何に太古の生物とはいえ、そこまでの力は持っていない。 (リヴァイアタンだったら、もしかしたら……彼、出し惜しみ、する方だったからなあ。どうだったのかなあ) ……リヴァイアタン、ひいてはその息子であるレヴィもまた魔力に富んだ生物だ。己やジズより優れているとさえ思う。 鼻息を一つ噴いて、ベヒモスは踵を返した。「また一週間後」。小柄な少年の呟きを反芻する。 レヴィとの初の出会いは、彼の意志を無碍にするような、酷く強引なものだった。 今でこそ交流を持てているが、こうして平常通りに会話出来るようになるまで時間も掛かった。 先の、空色の天使やレヴィが懇意にする繁鼠髪の少女の配慮なくして、現在の友愛は保てなかったに違いない。 「縁、かあ」 旧友の姿に思いを馳せる。彼の子息は立派な魔獣に育ってくれる事だろう。 生後はさておき、今の彼が置かれる環境は、実り多き恵まれたものであるに相違ない。 「(……ねえ、リヴァイアタン。彼とはこれからも友達であれたら良いよねえ。ボクはそう思っているよ)」 そう願う事が出来るのは、恐らくとても幸せな事だ。 無表情の中にも微かな感情は滲み出る。ややひねくれた気性は、育ての親のみならず実父の影響も継ぎしもの。 次代の生贄、レヴィ。彼にとって、この世界が優しいものであり続けたらいいとベヒモスは改めて願った。 目を閉じ、南方の風を吸い込む。潮の匂いに白鳥の羽音が混ざる。また冬が訪れようとしていた。 …… 「わぁ! アスター、本で読みましたの。えぇと、どらこにあん、っていうのに似てますのう」 「アスターさん。着替えをしてきますから先に台所に行っていて下さいと僕は」 「レヴィが頑張っている事、知ってますの。努力して良い子ですの。それは誉められるべきものですの」 「……そうでしょうか」 「問題ありませんのぅ。ヒトでもない、竜でもない、そんな混ざり合いの今のレヴィだって、格好良いですの」 「……………………厳密には竜、ではないのですが」 「もう、細かい事はいーんですの。さ、早くしないとシア母さまのシチュー冷めちゃいますの!」 「……はい」 「――うん、いや。あれは、恐らく『落ちた』ね」 「うん。レヴィって……あー、琥珀もそうだったけど。魔獣って皆純情なんだねー」 (誰が為の特訓なのか) |
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