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ある魔獣とその義父(楽園のおはなし3章SS) BACK / TOP / NEXT |
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呼吸を整える。心音は高めで、鼓動はやや速くなっていた。 装備を手早く確認。鉈、刀が一対。投擲用ナイフが四本、同じく短刀は六。刺針は四、上等だろう。 「――はじめ!」 開始の合図。息一つ肺からひねり出し、疾走。 草原を這うように駆け出すと同時に、地表から湧き出る無数の鋼糸。 青葉と土の間できらりと光った、思った瞬間、先端に結ばれたナイフごとこちらに飛来。 避ける。軌道を読み、踏み留まり、或いは前方に疾駆。 避けきった! なおも腕のように蝮のようにうねりながら、向こうは自身に追い縋る。交差点を予測する。 至近距離まで待ち、跳躍。三、二、一――三本は後方へ流れ、二本は絡まり、残り一本がしぶとく追ってくる。 ワイヤーだけに気を取られているのは不味い。眼前、空を引き裂く音がした。 視線を正面へ、背後の追跡者は気配で辿る、真っ向から飛来するもの、一、二、三、四本の短刀。 かわした、否、時間差で五本目が飛んでくる。 神官服、飾り布の裾を掴み短刀を弾き、振り払う。同時に場に踏み留まる、後方、ワイヤーの到着だ。 振り向き様に身を屈め、腰の鉈を鞘から一気に引き抜く。刃の中央で奇襲を受け、抜く勢いで糸を巻き取る。 腕に絡まないうちに振り切るのがセオリーだ、体を反転、見据える正面、抜き切った鉈を投擲。 ワイヤーを操る張本人へ。相手の顔色は変わりもしない、腕を一振りするだけで、鋼糸は直ぐに彼の手の中へ。 (――右、) 糸を見やる隙を彼は決して見逃さない。 草原は重い鋼鉄の靴を滑らせる、俄かに踏み締め、身体を斜め四十五度へスライド。 真横から、先程の絡み合ったままのナイフが鋼糸ごと飛来。逆方向、数テンポ遅れて追尾する残り二本。 彼が利き手の指先をこちらに伸ばしたのが見えた。この後は魔法攻撃が待っている…… 「槍か炎か、」 間に合うか!? 刀を抜きワイヤーを切断――は不可能、絡みつくのを刀ごと投げ捨てる。 踏み込む! 言葉短く魔法を詠唱、脚部に力と速度を加算。強く草を踏み抜き、躊躇わず彼の眼前へ。 両脇確認、問題ない。体躯を低く、勢い殺さず突き出した拳で懐、鳩尾に狙いを定め―― 「やぁ。レヴィ」 「――っ、どちらでもな」 最後まで言葉は吐き出せず。手のうちのワイヤーと、黒布を纏う脚部が閃いた。魔法と見せかけての打撃攻撃。 彼の得手としては初手の初手。早計だったか、しかしもう速度は殺せない! 左腕を地に着け、軸にする。身体を反転。払われかけた脚が鋼糸に取られる、構わない、腕から「鱗」を召喚。 眼前、屈んだ師が腕を横薙ぎに走らせたのが見えた。視界の端で甲高い口笛に似た音がする。 (ナイフ、或いは小太刀) 銀光が星明かりのように瞬き、露出召喚した鱗の一撃は、師が握るナイフによって阻まれた。 一方、ワイヤーは取って返され、巻き取られた自身の足は容易く強く牽引される。 後方へ投げ飛ばされながら間合いを目測。師の右手にはナイフが、左手にはワイヤーが残されたままだ。 着地、同時にレヴィは再度前へ跳ぶ。伸ばした鱗が地を抉り、草がぱっと空を舞った。 受けて立つ、そう言わんばかりに師は張りつめていた鋼糸を緩める。足が解かれ、少年は師の懐へ飛び込んだ。 一打、突き上げた掌底はナイフに阻まれ。二打、逆の手による追撃は足を蹴られた事でバランスを崩壊。 三打目、倒れ込みながら腕を全力で振り上げる。袈裟懸けの鱗の斬撃、師は二歩下がって回避した。 レヴィの手が草原に着く。刹那、足で自身の腕の鱗を蹴り上げた。鈍い衝撃、それでも体勢を整えるには十分。 ぐるんと天地が入れ替わる、宙に向き直ったレヴィが見たのは、師が両腕を交差させた瞬間だった。 後方から空を裂く音が来る。ワイヤー二連、狙われた首も背も防御せず、少年は服に仕込んだナイフを抜いた。 まずは二本、続けて一本を投擲。師の腕が翻る、鋼糸はぱっと煌めき、ナイフを絡め落とした。 レヴィ着地。師の腕が交わるより早く足を振り抜く。渾身の力を込めた足蹴だが、師はこれを片腕で制した。 (間合いに入れば――まだ勝機はある!) 予想はしていた。片手をその腕に添え、そこを軸に身を翻す。首を狙う鱗が、虹色が、駆け上がる。 死神の鎌の一振りが如きそれを、しかしサラカエルは享受しない。 眼前で棚引く教え子の服。その飾り布をありったけの力で掴み、地表目掛けて振り下ろした。 「!?」 「ああ、危ない危ない」 鱗の一撃は僅かに、師の髪を数本散らすに留める。笑う師に対し、レヴィの顔は微かに曇った。 斬撃をかわしたサラカエル。彼が飾り布を離したとき、レヴィと彼との間には人一人分ほどの隙間があった。 見上げる教え子、見下ろす師。双方ともに、むざむざ見逃すような性質ではない。 レヴィは未だ師が握る鋼糸に手を伸ばし、サラカエルはそれを見送りながら半歩、左足を後ろに下げる。 少年の体はまだ宙にあった、受け身も取らずに伸ばした手が鋼糸を掴む。 師の足下、ふとレヴィは、革張りの黒靴の先端から微細な音と鋭利な光が迸ったのを見た。小型の破片だ。 ナイフと呼ぶには短く、柄もない。硝子片と呼んでも差し支えないそれが、師の靴先から生えている。 銀瑠璃の煌めきと、それを覆う虹色の光沢。レヴィはそれに見覚えがあった。まるで自分の鱗そっくりの…… それが何か。師の狙いはどれか。その瞬間全てを察した。 何か叫ぼうとして、しかし突き出された師の足は少年の指を掠め、鮮烈な痛みに言葉を無理やり飲み込ませる。 鮮血が噴いた。追撃、翻るサラカエルの黒コート。倒れ伏したレヴィの指は、辛うじて五指、繋がっていた。 狙われたのは頭部、こめかみ。咄嗟に鱗を展開、さながら手のひらのように広げ、頭を庇い―― 「――そこまで!!」 虚空を突き抜ける声。若い女のもの。 レヴィの頭に凶刃が刺さる直前、サラカエルの足はそのままの格好で固まっていた。 追い打ちが来ない事に戸惑い――それこそ少年は制止の合図さえ聞こえていなかった――レヴィは顔を上げる。 頭上、陽光を背負い、顔に陰を落としながらも師が楽しげに微笑んでこちらを見下ろすのが視認出来た。 「いや、多少肝が冷えたよ。お疲れ、レヴィ」 「……、有難う御座います。先生」 差し出された手を掴もうとして、少年は自身の手が血塗れであるのに気が付いた。 手に気付かなかったような素振りでゆるりと自ら立ち上がり、鞘に下げた布で指先の血を拭う。 幾ら拭いても出血は止まらなかった。訝しむような顔を浮かべる彼を、師は「こちらへおいで」と誘導する。 背に手を当てられ、押されるままに向かった先には、開始、終了ともに合図を出した天使が立っていた。 「レヴィ、お疲れー……って、うわ、怪我してるじゃないか!」 「問題ありません」 「なくないよ! もう、サラカエル!! ちゃんと手加減するって言ってたじゃんか」 二人を向かい入れたのは、見知った顔、馴染み深い空色の髪の乙女だった。 彼女の言い分に、教え子が一瞬不満げに顔を歪めたのを師は見逃さない。小さく肩を竦めてみせる。 娘もまた気付いていたのか、微かにサラカエルに咎める視線を投げ、直後そのまま無言でレヴィを引き寄せた。 「いえ、異常ありません。大した事は、」 「ああ、そう? このままアスターのところに戻っても平気だって言うなら、俺も回復掛けないよ」 「あはは。レヴィ、今回は君の完敗みたいだね」 「もう……邪魔ー、サラカエル」 「はいはい」 腕捲り一つ、娘は少年の手を掴むと、血の滴るそれにそっと手を翳した。ふわりと温かな光が生まれる。 赤紫色の微かな光。十秒ほど大人しくしていると、痛みが次第に引いていくのが感じられた。 きっかり十二秒。娘が手を退けると、骨だけで手と繋がっていたレヴィの指は、完全に元通りに復元していた。 見事なものだ――口にこそしないが、内心素直に感心するサラカエル。 とはいえ、彼女の対天使にあたる娘はこの半分ほどの時間で回復を完了させてしまう技量の持ち主だ。 決して賞賛せず、まだまだだね、とは心の中でだけの呟きに留めた。 「はい、出来た。どう? どこか痛くない?」 「はい、問題ありません」 「そっか、良かったー。ごめんね、俺もアンみたいにもっと早く治してあげられたらいいんだけど」 「お互い精進だね。今日は僕も危なかった」 「ほんとにね! サラカエル、そのうちレヴィに負けちゃうんじゃないの?」 満面の笑み浮かべる師と、同じように微笑む娘。 どうして二人は顔を合わせるといつもこうなるのだろう。少年は小さく首を傾げた。 「先生」 「うん? なんだい」 「先生の靴の仕込みナイフですが……」 「ああ、君から貰った鱗さ。剣も鋼糸も通さないだろ。同じ素材なら劈開に沿わせれば貫通出来るからね」 自分と師の横で、娘のこめかみに筋が浮いているのをレヴィは見た。今聞くべき事ではなかったかもしれない。 「あれってレヴィの身体から剥いだやつだよね、親愛の証にくれたんだよね。ねえ、レヴィ」 「……………………はい」 「やぁ、空気読めるようになってきたね。レヴィ」 やはり聞くべきではなかった。眼前、ついに嫌みと怒声とを織り交ぜながら、ちくちく言い始める娘。 いいから行け、そう言う代わりに、苦笑を滲ませたサラカエルがひらりと軽く手を振った。 「……僕もまだまだか」 青い空、白亜の色を纏う住まい、屋敷をぐるりと囲う草原と呼ぶに相応しい広大な庭。 そんな美しい風景に合わない、大小二つ隣接して置かれた岩場が、レヴィのお気に入りの休憩所だった。 日が照ると石肌はじんわり暖まり、寝転んでも良し、寄り掛かっても良しの見張り台代わりになる。 結界を介して年中一定の気温と湿度を保ち続ける屋敷一帯。 この岩場とて例外ではなく、年を通して快適に日々過ごせる事が約束されている。 岩の上は夏場でも暖まり過ぎないでいてくれる為、寒冷地出身の身としては正に打ってつけの陣地であった。 「(鱗に頼り過ぎるのも考えものか。とはいえこの身長体重の時にしか、あんな小回りは出来ない)」 毎日実施する師との手合わせ。彼は「殺戮」の称号を付与された天使だけあって、手数の多さには頭が下がる。 試行錯誤を経てなんとか渡り合えるようになってはきた……否、先の鱗の転用といい未だ勝てる見込みはない。 擬態での生活にもだいぶん慣れてきた。ヒトの行動の模範もそこそこ上手くやれている自信がある。 だが、まだだ――少年は歯噛みした。 まだ戦闘技術も経験も全てが浅い。「世界最強の生物」の名に甘んじている部分がまだあるというのだろうか。 剣も鋼糸も通さない神秘の鱗で身を覆う我が原型。まさか転じて、鱗で体を傷付けられる事になろうとは。 (護らなければ……いけないのに) 初めてこの屋敷に連れて来られた日の事を思い出す。 豪雨の中、行く宛てのない自分を何の迷いもなく受け入れた師と、その主。彼女の配下の者達。 命など枯れ果てる寸前だった。世界中の天使や神に疎まれ、蔑まれ、憎まれ、挙げ句罪を犯して生き長らえた。 生きる資格など、ありはしない。 嘗て自分を友として受け入れた人間は、自分を逃がす為に悲惨な目に合った。安否も確認が取れていない。 誰かを、何かを犠牲にしなければ存在していられない生命など……あの頃、自分は確かに自暴自棄になっていた。 無我夢中で追っ手から逃げ、命からがら見知らぬ街に紛れ、塵を漁り暮らしていた。 師とその主とて、衣服や僅かな金銭を奪う為に接触したようなものだった。強襲され、さぞ驚いた事だろう。 それなのに、「彼等」は柔らかく笑いかけてくれた。 ここにいてもいい、あらゆる傷が癒えるまで、心が穏やかに変わるまで、この屋敷に住めばいい。 彼等は皆一様にそう言って、素性もろくに知らないまま自分を易々と屋敷に招き入れた。 名前をくれた。専用の服と寝床、温かい食事に生きる術、目的さえ与えてくれた。 自身を否定する種族の側でありながら、咎めるそれらを退け護ってくれた。 一生掛かっても返せる恩ではない。 自分に高い魔力と攻撃性、戦闘技術の才があると知ってからは、彼等を護衛出来るよう鍛錬を絶やさなかった。 師は率先して訓練をつけてくれたし、先の娘を始めとして、主に仕える天使も魔力開発に尽くしてくれた。 どんな困難があろうと、如何なる脅威が訪れようと、決して屈せず、跳ね除けるだけの力が欲しい。 それ故に、当面の目標を師に据えた。何度やっても、まるで勝てた試しはないが。 「何時になれば……いや、焦りは禁物か」 独白は誰の耳にも届かぬよう小さな声で。屋敷の方から、自分を呼ぶ聞き慣れた声がした。 一度だけ返事をして、レヴィは岩場を難なく降りる。頭上では、トリの羽撃き音がぐるぐると旋回していた。 結界も学ぶべきかもしれない――一瞥を投げ、少年は屋敷の裏門に手を掛けた。 |
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