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楽園のおはなし (2-40)

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「うっ、く……そこ、通せよ」

絶体絶命というやつだ――ヤコブは、あと少しで街外れに続く丘に辿り着くというところで、武器を携えた天使達に取り囲まれた。
あの黒毛の獣にしてやられたのか、天使達も無傷というわけではない。翼が折れ、鮮血が滴り落ちている者もいる。
伝説上の生き物とされる天使の中にも、魂と生命が存在している……自分が帝都の大学院で纏めた報告書は、あながち間違いではなかった。
一人納得すると同時、そんな事を考えている場合ではないと思い直す。天使達の凶器は、一斉にこちらに向けられていた。

「通すわけにはいかない。貴殿には、我々と来て貰う」
「なっ、どういう意味だ」
「我らの主が、貴殿を必要としている為だ……他、多くを語る義務はない」
「俺には知る権利があるだろ、勝手だぞ!」
「人間の、知り及ぶ事ではないという事だ……なに、我らと来れば、自ずと理由は知れよう」

ヤコブは考える。武器を向けられ、敵意をぶつけられ、危機的状況に陥っている事に変わりはない。
しかし、彼らは自分を主人の元に連行しなければならないと言った。それは果たして、生死を問うものなのか。

(賭けて、みるか)

一歩下がり、目を閉じる。諦めたのか、そんな微かな、安堵の空気が天使達の中に流れた。ヤコブはその隙を見逃さない。
ほんの僅か、武器の切っ先が揺らめき、下げられる気配が走った瞬間。顔を上げ、意志の強い眼で前を捉えて走り出す。

「しまっ、」
「まっ、待て! 追え、追うのだ!!」
「おのれ、人間風情が!」

走って、走って、人生の中で一番必死になって駆けて、夢中で逃げた。追ってくる、天使が、剣が追ってくる。
威勢の良さとは裏腹に、ヤコブの頭は恐怖でいっぱいだった。殺されるかもしれない、母を置いて逝く事になるかもしれない。
記憶も朧気な、優秀な研究者だったという父に懺悔する。幼いヤコブは、当時若くして亡くなったという父の顔を、よく覚えていなかった。

(どうする、嫌だ、ごめん親父、駄目だ、まだ死にたくない……)
「貴様っ、待てと言っている!!」
「……う、うわあああっ! 来るな、来るな畜生っ!!」

手が伸ばされ、青年の髪を掴もうとした、その瞬間。

「――な〜んて、させるワケないでしょがッ! バカなの!?」

ヤコブの背を追い越し、正に追い縋っていた筈の天使の体が吹っ飛んでいく。ぽかんと呆けたのは、ヤコブのみならず天使達も同じだった。
頭が白く染まったところを、横から思いきり引き寄せられる。悲鳴を上げかけたヤコブの目に、漆黒に艶めく美しい長髪が映った。
躍動感溢れる肢体が急ブレーキを掛け、双方の間に凛と立つ。振り向いた血色の悪い肌の上で、琥珀色の瞳が輝いていた。

「ちょっと、何ボケッとしてんの!? ニジーは? 一緒じゃなかったの!?」
「え、へっ、あ……?」
「うへ、お前ホントに藍夜なワケ? もういいよ、ここは僕が引き受けるから、さっさと向こう行って!」
「なっ、あ、アイヤって誰だよ! お前、一体……」
「そんなのす〜ぐ思い出せるよ。ホラ、邪魔だってば、行った行った!」

見覚えがある、何故か強烈にそう思う。更に言うなら、粗雑で乱暴、第一印象は最悪だった。
少女に今度こそ背中を叩かれ、ヤコブはよろめきながら頷き返す。再度口汚く罵られ、腑に落ちない、と閉口しながら背を向けた。

「貴様、何者だ! 邪魔立てするなら、」
「アー、僕知ってるよ。他人様に名前聞くときは、まず自分から名乗るのが礼儀なんだって」

騎獣としての自尊心がある。ヤコブが丘を登り始めたのを見届けてから、黒髪の少女、琥珀は天使達に凶悪な笑みを投げかけた。
両の鼓膜はもう、向こうから下りてくる愛しいひとの駆け足を捉えている。いつ離脱しよっかな、とは、流石に口にしない。

「僕は、琥珀。アー、アンバーでもいっか。藍夜の……ううん、『ウリエル』の、騎獣!」

宣言と共に、体躯を上は鷲、下は獅子へと強制的に変化させた。嘴に意識を掻き集め、一気に灼熱のブレスを撒き散らす。
……ヤコブが丘の中ほどに着いた時、再び彼の前に別の天使が群がった。刹那、まごつく彼に雷のように鋭く早く、手を差し出す者がある。

「琥珀ー! 撤退するよっ、走れ走れー!!」

腕を伸ばし、手を貸し、夜色髪の青年を引ったくるよう連れ去る者。空色の髪、赤紫の瞳、心底楽しそうに、ヤコブを誘拐する青年が一人。
真っ白なたてがみを揺らす角持ちの獣にしがみつき、じたばたと懸命に足掻きながらその胴に跨がり、ヤコブは眼前にある背中を見た。
男にしては細い体格、何故か思いきりはしゃぎ、笑い声を上げる誘拐犯……振り落とされそうになり、慌ててその腰に腕を回す。

「おっ、お前っ、ニゼル!? なんでここにっ、っていうか何なんだよこれ、どうなって!?」
「えっとー、ヤコブ? 詳しい話は後でねっ、あと、あんまり喋んない方がいいと思うなー……シリウス、琥珀!」
『ああ。任せておけ、ニゼル=アルジル』
『ほいほーい!』
「う、う、ぅわあー!?」

ふわりと、浮遊感に見舞われた。がくんと首が危険な角度に揺れ、勢いよく舌を噛み、口内に広がる鉄の味にヤコブは顔をしかめる。
同時に、自分の現状に目を見開いた。空中だ……白毛の騎獣の脚は、今や天駆ける蹄となり、羊飼いと青年を天空を経由して運んでいる。

「なっ、な、なに、何がっ、何がどうなって!」
「あはは、俺、誘拐犯になっちゃった! ねえ、シリウス。合流場所とか、サラカエルから聞いてる?」
「サラッ、何!?」
『落ち着け、話は安全な場に着いてからだ……ニゼル=アルジル、天使の娘から転移陣の展開地の座標を聞いてある。そこまで行くぞ』
「うっ、馬が! 馬が喋ったぁー!?」
『……ニジー? コイツ、ホントに藍夜なの? 全然性格違うケド』
「ぐわーっ! 化け物が喋ったー!?」
『何ソレェ!? ちょっとぉ! 失礼すぎじゃない!?』
『……馬じゃないと、言ってるだろう』

ニゼルは、けらけらと笑いながら視線を背後に向けた。ヤコブより向こう、青空の中に、今なお鮮やかな、漆黒の雷や純白の光槍が見える。

(……大丈夫、サラカエルならちゃんと追いついてくれる筈。だって、これからウリエルが目を覚ますんだから)

微かな不安を振り切るよう、頭を振った。ふと、後ろから服を掴まれる感覚がある。目だけで振り向くと、ヤコブの不安げな表情があった。
そりゃあ怖い筈だ、ニゼルは苦笑混じりに小さく微笑む。ヤコブはぎょっとしたように目を見開き、もう一度服をしっかり掴んできた。
手を伸ばし、彼の二の腕をぽんぽんと叩く。俄かに、青年はむっと唇を尖らせた。プライドの高さは、鳥羽藍夜に通じるものがあるらしい。

(ヤコブのお母さんの事……なんて言ったらいいのかなあ)

彼の首元で揺れていた白銀の護符は、徐々に赤錆に染まりつつある。ミリアムは確かに冥府に向かったのだと確信し、ニゼルは俯いた。
不意に、琥珀があっと声を上げる。つられて視線を動かすと、眼下に青紫色に光り輝く魔法陣が展開されている様子が見えた。
二匹の鷲馬を抱えたアンブロシアが、空いている方の腕を懸命に振っている。片手を上げて応え、ニゼル達は一気に転送陣に身を潜らせた。






「アン、いい判断だったねー。転送陣を俺達にしか見えないようにするなんて……お陰でミカエルも追っかけてきてないみたいだし」
「サラカエルさんの指示ですから。でも、本当に凄いのは真珠ちゃんなんですよ。転送陣の周りに、天使除けの結界を張ってくれたんです」

思っていたより、ヒッポグリフの双子の成長は早いのかもしれない。ニゼルは、偉いね真珠、と膝上で丸まっている白羽根を撫でてやる。
俺も撫でろよ、そう言わんばかりに太ももに顎を乗せてきた黒羽根については、頭頂部を指先でぐしゃぐしゃにしてやった。
ヤコブを連れ去って、既に一時間あまり。サラカエルが手配したという空き家は、森の中に隠されるようにして建っている山小屋だ。
鬱蒼と茂る木々と悲劇の天使の結界によって、静かに過ごす事が出来ている。ニゼルは、淹れて貰ったハーブティーを口にして息を吐いた。

「うーん……ウリエル、まだかなあ。告知ってどんな感じなんだろうね?」
「わたしも告知を経験した事はないですね……人間の身に生まれる事自体、珍しい事ですから」
「そっか。じゃ、どれくらい時間が掛かるか分かんないよね。気長に待つしかないかー、サラカエルもまだみたいだし」
「アー、ニジー。ソレ、おサルなら帰ってきたみたいだよ」

窓の外を眺めていた琥珀に促され、扉を開ける。やあ、といつもの挨拶を返しながらも、殺戮は少し疲れた表情を浮かべていた。

「お帰り、サラカエル。大丈夫?」
「巻くのに手こずっただけさ。ウリエルは?」
「ガブリエルが奥に連れていったけど、それっきりだよ」

ニゼルは、サラカエルに転移した直後の事を手短に説明する。小屋の前でニゼル達を待ち受けていたのは、他ならぬガブリエルだった。
ヤコブを預かる、たった一言だけ口にした天使は、何がなんだか分からない、という困惑の顔をしたヤコブを連れ、奥の部屋に消えていく。
詳しい話もあったものではない。話し終えた後、ニゼルはほんの少し、不満そうに眉間にうっすらと皺を刻んだ。
肩を竦め、不意に殺戮が羊飼いの額を指でぱちんと弾く。痛い! 思わず悲鳴を上げてしまったニゼルを、サラカエルは鼻で笑い飛ばした。

「やあ、ガブリエルが自分の仕事の事しか考えない天使だって事くらい、アスモダイの件で分かっていた話だろ。期待するだけ無駄だよ」
「えー? でもそれにしたって、いくらなんでも説明足りなさすぎじゃない?」
「こちらも手空きである事に違いないんだ。今後の予定も立てていないし、今のうちに気を休めておいた方がまだ利口さ」

ソファに腰掛け、天井を見上げて大きく息を吐いた殺戮に、ニゼルは呆れたように嘆息する。自分こそ疲れてる癖に、とは言わずにおいた。
向かいに着席して伸びていると、簡易キッチンからシリウスが顔を出し、軽食の用意が出来た、と簡単な料理を運んできてくれる。
早速チーズを挟めたパンを手に取り、もしゃもしゃと口の中に突っ込んだ。行儀が悪いぞ、と窘められるも、ニゼルは構わず食事を続ける。
サラカエルも羊飼いから皿を受け取り、サンドイッチを口に運んだ。彼の場合、味わうというより義務感で摂っているだけのように見える。
とはいえ、食べ物に困らないというのは素晴らしい事だ。一人うんうんと頷き、気が済むまで夢中で胃袋を満たした。

「……君、仮にも親友の一大事って時に、よくもそんな普段通りにしていられるもんだね。感心するよ」
「え? サラカエル、ご飯足りなかった?」
「やあ、誰もそんな話していないじゃないか。そうじゃなくて――」

――ニゼルの行動が気に入らなかったのか、サラカエルは渋面を浮かべている。嫌みを続けようとした天使だが、ふとその表情が強張った。
視線が動く。つられて、ニゼルも殺戮の視線の先、部屋の奥へ続く扉を見た。いつの間にか扉は開かれてあり、一人の男が姿を見せている。

「藍、じゃなかった、えっと……」
「やあ、『ウリエル』。気分はどうだい」
「えっ、ウリエル? ああ、じゃ、告知は成功……」

サラカエルの顔が、これ以上ないくらいに柔らかく微笑んだ。一瞬それに見とれた後、ニゼルはぶんぶんと首を横に振る。
倣うように席を立ち、髪を解いた青年、ヤコブの元へと駆け寄った。彼は心ここに在らずという風な、ぼうっとした顔をしている。
複雑な心境だった。果たして、自分の事を少しでも覚えてくれているのだろうか。ニゼルは、笑いかける殺戮とヤコブを忙しなく見比べる。

「……聞け。告知は、無事滞りなく完了した。協力に、感謝する」

ヤコブの横に、ふとガブリエルが降りたった。扉を潜って来ればいいものを、わざわざ能力を使い、部屋と部屋の間を転移してきたらしい。
偉い天使ほど、派手に登場しなきゃいけない決まりでもあるのかな――口から出かけた揶揄を、ニゼルは辛うじて喉奥へ押しやる。
ヤコブは虚ろな目で彼女を見た。告知天使は彼に小さく頷き返し、再び翼を広げて床を蹴る。そのまま、空気中に溶けるように姿を消した。
はらはらと零れ落ちる金色に光る羽根を見送り、ニゼルは大きく息を吐く。微動だにしないヤコブの二の腕を軽く叩き、声を掛けた。

「とりあえず、座ったら? 走り回って、疲れてるでしょ?」

ヤコブは、一度ゆっくりと瞬きをして頷き返す。サラカエルに支えられながら、ふらつく足でソファに向かい、腰を下ろした。
ぼんやりとしたままの黒と夜の瞳が、こちらを見つめてくる。二色の瞳だ……それは、かつて鳥羽藍夜が有していた双眸だった。
あきらかに、ヤコブのものから色が変化している。目つきも、以前に比べて僅かに鋭くなったように見えた。
本当に、告知は成功したのだ。ニゼルはあまりにも淡白なガブリエルの報告を思い返し、やっぱり説明不足だよなあ、と内心で呆れ返る。

「ま、そのうち心身共に順応出来る筈さ。紅茶でよかったかな? 君は香草茶の方が好みだったらしいけど、今は飲めれば何でもいいだろ」

成功さえすれば構わないのか、殺戮はいつもの人好きのする笑みをより柔らかいものに変えていた。珍しく、率先して紅茶を淹れている。
分かりやすいよなあ、ニゼルは口をもごもごさせた。ふと視線を感じて顔を上げると、先よりは色濃く感情を滲ませている二色と目が合う。

「……ニゼル、」
「え? あ、うん。あれ? 俺の事、分かるの?」
「いや……」

ヤコブの反応は鈍いままだ。横から差し出されたカップとソーサーを受け取り、青年は素直にそれを口に含んだ。
正直、どきどきしている自分がいる。ニゼルは、いつヤコブから話の続きを聞く事が出来るのかと、思わず姿勢を正していた。
もふん、と膝に柔らかな感触が走る。視線を落とすと、羊飼いの膝に頭や胸などを乗せ、玩具代わりに遊んでいる双子の鷲馬の姿が見えた。
だいたい、こうした遊びを考えつくのは珊瑚の仕事だ。おもむろに手を伸ばし、黒羽根の神獣の首根っこを掴んで持ち上げる。
割と、重たくなったように感じられた。人型になったら何歳くらいになっているんだろう、ニゼルは首を傾げつつ、笑顔で珊瑚を威嚇する。

「こらー、珊瑚? 大事な話してるんだから、ほら、真珠と遊んでおいで」
『○△▼□ー!』
「はいはい、何言ってるのか分かりませんよー。もう、言う事聞かないなら、真珠にくっつけないように俺がぎゅーってしちゃうからね?」
「……君がふたりの教育に携わったからか、ずいぶんとピーピー喧しく鳴くものだね。ニゼル」
「え、そうかな? 遊びたい盛りだろうし、ちょっとはね。だからって、俺の膝を玩具にしていいよなんて、一言、も……?」

掛けられた言葉に、まるで自分の周りの時間が止まってしまったかのように感じられた。口をぽかんと開けたまま、声の主に顔を向ける。

「やあ、ウリエル。気分はどうだい」
「やあ、サラカエル。良くはないよ、散々運動させられてしまったからね」

ニゼルは両目をこすった。ゆったり、堂々とソファに腰を下ろしてふんぞり返るその姿は、先ほどのヤコブとは雰囲気が全く違っている。
黒と夜の二色がこちらを見た。悪戯を思いついた子供のように目が細められ、苦笑や自嘲を混ぜたような、複雑な笑みが零された。

「なんだろうね、だんだん、頭がはっきりしていくような……夢から醒めた心地のようだよ」
「え……あ、藍夜? あっ! えっと、いや、その……」

思わず口をついて出た名前に、彼自身は既に高位天使ウリエルであった事を思い出して、口ごもる。
対する夜色の髪の男は、今度こそ苦笑しながら羊飼いを見た。ふと気だるげな動作で髪を纏め、対天使から渡された紐でそれを結わえる。
纏め終えた髪を手で払い、もう一度、まっすぐにニゼルを見つめた。いよいよ胸を弾ませて、ニゼルは眼前の微笑む男に笑い返す。

「ふむ、この髪、長くて少しばかり邪魔だね。君はどう思う?」
「そう? 俺は、綺麗な髪だし、切っちゃったらもったいないなーって思うけど」
「しばらくは記憶の統合に苦戦を強いられるような気がするが……ただいま、ニゼル。今回は、きちんと留守を守ってくれていたようだね」
「……うん、結構、頑張ったからね。珊瑚は言う事聞かないし、サラカエルは相変わらず嫌み言わないと死んじゃうし……おかえり、藍夜」

間抜けの分際でよく言うよ、サラカエルは早速嫌みを飛ばし。本当にご無事で良かったです、アンブロシアは目尻の涙を指で拭った。
摘まみ上げられたままの珊瑚がばたばたと暴れ始め、ニゼルとウリエル――鳥羽藍夜の記憶を有するヤコブが、その身を両手で抱き留める。
我関せずという風に真珠は丸くなり、お祝いしよっか、と琥珀が酒瓶を持ち出すも、シリウスの手でやんわりと没収されてしまっていた。
……日常が戻ってくる。破顔し、ニゼルはたまらずウリエルの真横に腰を下ろした。親友は、かつての苦笑じみた笑みでそれを見る。

「不思議なものだね。何故、ガブリエルは『鳥羽藍夜の記憶を基盤に』、僕を覚醒させたのだろう」
「うーん。分かんないよね、だって相手はガブリエルだし。考えはあるんだろうけど、教えてくれなさそう」

突き詰めて言えば、ウリエルの覚醒に鳥羽藍夜の記憶や思い出は不要であった筈なのだと、親友は話した。
なんて呼んだらいいのかな、眉間に力を込めたニゼルに、面倒だから君さえよければ藍夜でいいよ、ウリエルは苦笑する。
「藍夜」。呼び慣れた、何よりも身近な名にほっとした。ご満悦とばかりににこにこするニゼルに、藍夜は何度も苦笑ばかり漏らしている。

「サラカエルには悪い事をしてしまったかもしれないね。鳥羽藍夜は、少なくとも、天上界にいた頃の僕とは性格が多少異なっているから」
「う、うーん。なんだろう、逆にややこしくなってない? 結局、ウリエルになれた、っていうのは間違いないんだよね?」
「当たり前さ。でなきゃ、ガブリエルだって告知完了とは言わないよ……全く、どこまで間抜けなんだか」
「うっ、すぐそうやって嫌み飛ばすー。ちょっと気になったから、藍夜と話してただけですー! もうっ、性格悪すぎっ」
「ニゼル、サラカエル。よしたまえよ、喧嘩のせいで真珠達の人格形成に影響があっては、ことだからね」

引き続き、シリウスの軽食を皆で囲みながら、一行は残された疑問に首を傾げ合った。
「何故、新たな器を得て覚醒させられた筈の審判官が、生前のヒトの記憶を持ち越しているのか」。
考えても答えらしい答えは出てこない。サラカエルは早くも再考を放棄したらしく、新しく沸かした湯で紅茶を淹れ直していた。
出されたそれで喉を湿らせ、また、立ち上る上品な香りにうっとりする。たまには紅茶もいいものだね、親友は肩を竦めてくつろいでいた。

「とにかく、ヤコブの住んでいた街に魔王が出現したのは確かな話だ。まだ何かあるかもしれん。今日は早めに休息した方がいいだろうな」
「だね〜、特にニジー! 藍夜が復活シャキーンだから、夜通しお喋りしてそうだもん!」
「いや、シャキーンて……野菜じゃないんだから」
「琥珀。君には明日、先の街で僕に『邪魔』などと暴言を吐いた事について話があるから、今夜はぐっすり、しっかり休んでおきたまえよ」
「うへ!? なっ、うわぁ、ちょっとぉ! 目が本気なんだケド!?」
「妻よ……何故、お前はそんなに余計な一言が多いのだ」
「ふふ。よかったですね、サラカエルさん」
「ふん、よく言うよ……どいつもこいつも間抜け揃いで、たいがい頭が痛いけどね」

夜が、帳を降ろす前に。語り合いたい衝動を抑えながら、それぞれにあてがわれた部屋へと足を向ける。
気を遣ってくれたのか、殺戮は途中、何ならニゼルと部屋を交換してやってもいい、と言い出した。
ぎょっと驚く羊飼いを放置して、彼は振り返らずに屋根裏部屋へと向かってしまう。

「ニゼル、どうかしたのかい」
「え? あ、ううん、なんでもない。よし、俺達も寝よっか、藍夜」

ニゼルは、ふと親友自身が口にしていた言葉を思い出していた。「鳥羽藍夜と天上界に住んでいた頃のウリエルは、性格が違っている」と。
長い年月を掛け、狂おしい想いで探した対天使。ようやく会えたそのひとは、サラカエルの知る彼とは別の人格を主軸に据えて存在する。
それは、殺戮の天使にとってどんな意味を持つ告知だったというのだろう。
とっくに黒衣が消えた扉を見上げ、不意にちくりと痛んだ心臓を服越しに鷲掴みするように、ニゼルは白銀の護符を強く握った。





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 UP:19/04/16