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楽園のおはなし (2-33) BACK / TOP / NEXT |
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「……ばば様、宜しかったのですか。あのような、簡素で礼の欠片もない葬儀などを天使、それも殺戮に一任するなんて」 「そうですわ。シリウスなど、よりによって鷲獅子を娶ったとか……裏切りではありませんか。今すぐ里から去るよう命じなくては」 暗い、冥い道を三つの影が進む。先頭を行く老婆は、ふとフードを下ろし、後方の齢二十半ばを過ぎた娘ふたりを鋭い眼でじいと見つめた。 やせ細った灰色の毛髪が、暗がりでごく僅かに風にそよぐ。見慣れた筈の皺の深い顔が一瞬険しくなったのを見て、娘達は口を閉じた。 「プロキオン、ベテルギウス。お前達は、いつ長の代行人としての発言権を得たんだい」 前者は老婆に向かって左に立つ娘。亜麻色の長い髪を丁寧に纏め、老婆と揃いの白い衣装に備えたフードにしまい込む。賢い顔立ちだった。 向かって右、同色の髪を同じように纏めたあどけない顔の娘。どちらもよく似た目つきをしており、一目で姉妹である事が見てとれる。 ふたりはシリウスと同年齢の一角獣、純血の星の民だった。長の補佐役として、神官を長く務める老婆シャムの世話人でもある。 「それは……」 「でもばば様っ、」 「エライの事も考えておやり、あの娘が塔に籠もった事でお前達は慰み者にならずに済んだ。でも、などと言える立場じゃない筈だよ」 口ごもるふたりに老婆は嘆息した。今し方、彼女達を連れ、惨劇の後始末をしているというシリウスの仲間の元に出向いたばかりだ。 発端は仲間から「天使が死体を漁っている」と聞かされた為だ。闇に隠れながら里の外れに向かうと、一人の男が何やら指揮を執っている。 天使の中でも特に慈悲に欠けるという、通称「殺戮」。驚いた事に、彼は里の襲撃者を迎撃しただけでなく、荼毘師としても動いていた。 生き残りをも使って遺体を回収し、顔色も変えずに淡々と薪の山へそれを放る男は、若い娘の眼にさぞ衝撃の存在として映っただろう。 急いで立ち去ろうとした時――見送りに参加して欲しい、と声を掛けてきたのは、弔いを手伝っているという、十代半ばほどの少年だった。 『誰かが冥い道の対岸に立つ事で、死した者達が目指すべき場所が理解しやすくなると思うのでね』 曰く、自分はシリウスと契約を交わした人間の身内に当たる人間なのだと言う。哀しげな声を前に、三人は参列を断る事が出来なくなった。 言われるままに、路傍で少年が自ら摘んだといういくつかの小さな花を炎の中に放り、黙祷を捧げる。 そうしている間、少年は殺戮に何事かを話し掛け、残忍な天使はこちらに一瞥を投げはしたものの、手出しをしてこようとはしなかった。 シリウスの雇い主の身内であると同時に、彼が殺戮と何かしら縁のある存在だという事は嫌でも見てとれる。 しかし、彼は黙祷を終えたこちらに「感謝するよ」と礼まで述べてくる始末だった。互いに頭を下げた後、こうして帰途に着いたのだ。 ……不思議な少年だったね、とシャムは頭を振る。ふたりの娘はあまりにも粗末な式を思い返したのか、微かに涙ぐんだ。 「交流こそなかったが、お前達はシリウスの幼なじみだったね。だが、里に不可欠な神官であっても、偉ぶっていいわけではないんだよ」 しゅんとうなだれるふたりを前に、分かったらそれでいいんだよと神官長は微笑み、顔を上げるよう促す。 ぱっとはにかみながら顔を上げたふたりの娘は、しかし、シャムの方を見て表情を強張らせた。 「うん? どうかしたのかい、プロキオン、ベテルギウ……」 「――やっぱりそうだったのねえ。誰かを供物として雄どもに捧げる事で、里の重臣の一部が恩恵を受けていた、と。素晴らしい政だわぁ」 「!?」 眼前の震える娘達ではない、何者かの声が背後より掛けられる。気配を察知出来なかった事に驚愕して、神官長は振り向いた。 闇を払うのは、金色の膜を張った翠の翼だ。大きく広げたそれを伴い、静かに着地した女は、輝く肌の上に魅力的な笑みを浮かべる。 真っ赤な瞳が、三人の神官を射抜いた。この場から逃げ出す事は許さない、紅玉に似た眼が嘲りの色を見せる。 「ねえ、好きでもない男に抱かれるのと、一生好きな男と体を重ねられないの。どちらの女が悲惨かしらぁ」 「……誰だい、お前は。名乗りもせずに、不躾な」 「あらぁ、『名乗りもせずに不躾』なのはそちらもよねぇ? うふふっ、星の民の品性も地に堕ちたわねぇ」 「ば、ばば様。この女は、もしかして」 「金の膜を張る翠の大翼……もしや、告知天使ガブリエルでは」 赤い瞳の女が鼻で笑うのと、ふたりの娘の悲鳴が暗がりに轟いたのは殆んど同時だった。 はっと振り向くと、亜麻色の髪は引きずり出され、うなじには町を襲った惨劇の主犯たる黒い魔獣が噛みついているのが見える。 「何を! やめなされ!!」 「残念だけど不正解。あたしはガブリエルじゃないわ」 「そんな事はどうでもよろしい! プロキオン達を離せと言っておるのよ」 「やだぁ! アナタ、あたしに命令出来る立場だとでも思ってるの? ……思い上がりもいいところね、シャム神官長」 「! わたしを知っておるのだね、それに星の民の里の仕組みも」 「うふふっ、そうでなきゃあたし自ら来ないわよぅ。ねえ、今アナタ達の神官としての真価が試されようとしているのよ、質問に答えてね」 地面に引きずり倒される若い娘達を、シャムは狼狽しながら見下ろした。いいとも、答えてみせよう、声を絞り出して女に頷き返す。 「そう、イイコねぇ。あたし、賢い仔は大好きよ……では質問。『魔王が現れた町は、最終的にどうなる』のだったかしらね?」 「魔王!? ……そうか、お前は彼の方の奥方だね。口に出すのも穢らわしい、娼婦の女。それが今時分、何の用なんだい」 「あらぁ、失礼ね。あたしに触れていいのは魔王様だけ……うふふっ、それより答えて貰いましょうか。どうなるのだったかしらね」 赤い眼の悪魔。魔王の妻として悪名高い女を前に、神官長は身が竦む思いだった。 しかし、未だ娘達から離れない魔獣を見るに、脅しではないという事が嫌でも実感させられる。 答えにしくじれば、部下は惨たらしく魔獣の腹の中行きだ。嫌な汗が頬と背筋を伝う中、小さく嘆息して冷静さを呼び戻すよう努めた。 「滅んでしまうのだろ。町の惨状からして、どうも此度は半端のように見えるがね」 「うふふっ、そう。やだぁ、アナタ本当に頭がいいのね? 残念だわ、その通りよ」 「よかった、これでふたりは助かる」。 内心で安堵した瞬間、シャムは自身の神官服が、背後から浴びせられた何らかの液体でたちどころに濡れていく様を見た。 ぬるりと温かく、べっとりとこびりつき、纏わりつくもの。一瞬で嗅覚は奪われ、全身を襲う嫌悪感と虚脱感に、神官長は膝を折る。 見上げた先で、あの赤い眼がうっすらと欠け月のように細まるのを見た。両眼を見開く最中、さざ波のようにささやかな笑い声が木霊する。 「答えられた事は評価するわ。でもあんなものじゃないの……いい? 己が保身を優先して、アナタ方は身近な同朋との約束を反故にした。 誇り高い種と宣っておきながら、そんな矛盾が赦されると思っていたの? 地に堕ちれば、最期に行き着く先はあたし達の胃の中だけよ。 アナタ方は自ら虚構の繁栄に縋りつき、正しいもの、護るべきものに背を向けた。そうして堕ちた純血種に、主は手を伸べやしないのよ」 何を言われているのか理解出来ない。シャムは、振り向けもしない背後で、幼少の頃から世話してきた娘らが喰われていく音を聞いた。 苦鳴と苦悶、粘着質な咀嚼音が耳を打つ。確かに、部下達は自分に助けを求めていた。老婆は髪を掻き毟り、発狂したように首を振る。 ……リリスは、恍惚とした甘やかな笑みを浮かべた。翼が惨状を吹き飛ばすように強く羽ばたき、老いた一角獣に顔を上げるよう命令する。 「けど、少なくともこの機会において、アナタが単身助かる術はあるわ。シャム神官長」 重なる赤い眼と紫紺の眼。見下ろし、見下す双眸が神官長を捕らえた。怯える眼の老婆に、赤い眼の悪魔は柔らかく語りかける。 「これからある男に指定される地へと移住し、そこから定期的に『贄』を捧げて欲しいの。つまりはそうねぇ……畜産契約ってやつかしら」 「……ちく、さん……? な、なんという事を。あたし共に、ただの食用肉に成り下がれと言うのかい」 「端的に言えばそうなるわ、あたし達って地に堕ちた者の集まりですもの。お肉は特に大好きなの……一角獣なんて食べ応えがありそうよ」 「そんな、そんな馬鹿なぁ……っせ、せめて、産まれたばかりの赤子や長らだけでも!?」 「生憎、長なら死んだわよ。シリウス君が手に掛けてくれたの……エライちゃん、すっごく可哀想だったわぁ。お陰で手間は省けたけどね。 ねえ、それにさっきあたし言ったわよね、地に堕ちた獣に手を差し伸べる者はいないって。やだぁ、アナタやっぱり頭悪いのかしらぁ?」 ごとりごとりと、膝のすぐ横に転がってきたものがあった。シャムは、それに視線を落とす事が出来ない。 恐怖と自尊が胸の内で揺れている。神官服に飛び散った液体の温度に、老婆の喉は震えるばかりだった。 「カンタンな事よねぇ。アナタがイエスと言いさえすれば、少なくとも全滅は免れる事が出来る。それとも今から殺戮に助けを求めに行く? 無理よねぇ、プライドが高いっていうのも大変ね? それに、あたしだって毎日捧げろなんて無茶は言わないわ。いい条件だと思うけど」 「う、ううぅ……」 「ほら、早く。あの天使に嗅ぎつけられると厄介なのよぅ。何なら首を振ってくれるだけでいいの……それなら罪悪感も少ないでしょう」 自分は今、恐ろしいものと契約を締結しようとしている。シャムは俯き、動いたかどうかも分からないほどに弱々しい力で、頷いた。 決まりね、打ち寄せる波のように密やかに、鼓膜の内側に女の声が反響する。気付けば、自分のすぐ近く、耳元で悪魔が囁きかけていた。 「逃げようなんて思わない事ね。アナタの醜い心の中にこそ、あたし達という悪意が住まうのだから」 刹那、強風が吹き神官服があおられる。目を開けたとき、眼前には風に揺れる牧草と、点々と散らばる赤黒い染みが残されるばかりだった。 へたり込んでいた老婆は、いつしか自身が落涙し、粗相していた事に気付く。体を突き刺す冷たい夜風が、さも心を砕いていくようだった。 「――つきあわせて悪いな、ニゼル=アルジル。眠くはないか」 「んー、大丈夫だよ、早起きには慣れてるし」 「俺は、なんだ、近頃自分が、ずいぶんと我が儘になったような気がする。面倒かける」 「そんな、大げさだよ。シリウスがつけたいケジメでしょ? 契約主として付き添うのは当たり前だよ」 一夜明け、朝方戻ってきた藍夜とサラカエルを出迎えた後。二人が眠り始めたのを見届けた頃、ニゼルの元にシリウスが静かに寄ってくる。 鷲馬の双子も琥珀も、まだぐっすりと眠っていると彼は話した。その上で、今のうちにどうしても済ませておきたい用事があると言う。 ……妹の弔いを望んでいるのかと思いきや、生き残った民に別れの挨拶と、今後の指針を示してやりたいのだと騎獣は打ち明けた。 ほんとに生真面目だね、とニゼルは笑い、ひとりでは踏ん切りがつかなくてな、とシリウスは正直な本音を吐露してみせる。 食事の支度にひとり悩んでいるアンブロシアに声を掛け、ふたりは空が白んでいる中、こっそりと馬小屋を後にした。 「でもシリウス、今後って言うけどどうするつもりなの? 流石に全員は連れて行けないよ」 「そうだな。血で汚れたこの地とは別の土地に移住するよう、勧めるつもりだ。とはいえ、移住先の目処も立っていないがな」 「えっと? あれっ、もしかして何も考えてなかったの? 珍しいね」 「言ってくれるな……長の補佐役として、この里の外れに神官達が勤めている。彼女らを纏めている老神官なら、知恵を貸してくれる筈だ」 「もしかして、シリウスのおばあちゃん?」 「いや、彼女には身内がない。しかし、俺と同年代の者は殆んど世話になっていたんだ……エライやゴラもな」 どこか切なげな、それでいて怒りを滲ませたような表情を浮かべて、シリウスは里の東へ足を向ける。 どんな慰めを掛けても今の彼には追い討ちにしかならないだろうと、ニゼルは何も言わずにただ騎獣の背を追った。 しばらく無言で歩いていると、緩やかな斜面に出る。眼下に、半球型の白い石造りの建物が無数に並べられている光景が広がった。 「神官らと、産まれた赤子やこれから出産を迎える雌らを匿っている施設だ……ここは無事らしいな」 シリウスは驚いたように一度だけ首を傾げ、ニゼルに傍から離れないよう助言する。 魔王とその配下がまだ潜んでいるかもしれない。羊飼いはこくこくと忙しなく頷き返し、小さな集落へ足を踏み入れた。 生き物の気配は感じ取れないが、血の臭いもしないと騎獣は呟く。静まり返った広場に、ふたりの足音だけが響いた。おもむろに声を出す。 「――ばば、シャムばば。いるか!」 老神官はシャムという名前らしい。小声で由来を尋ねてみるも、シリウスは「知らない方がいい事もある」と言葉を濁すばかりだった。 少し不満そうにニゼルが唇を尖らせて黙っていると、広場の向かい、細い裏路地から突然のそりと、ひとりの人影が姿を見せる。 「ね、シリウス! あれ、」 「ああ、話していたシャムばばだ。神官長! 無事か!」 「……シ、リウス、かい。ああ……あたしは、無事だよ……あたしはね……」 酷く疲れた顔だと、ニゼルは感じた。ふらつき、消耗した体で歩み寄ってきた神官長は、ニゼル達の前に辿り着く前に座り込んでしまう。 慌てて駆け寄って手を取ろうとしても、彼女は酷く怯えた表情で首を横に振った。顔に血の気はなく、眼の下には深いくまが出来ている。 「……シャムばば。何があった?」 一瞬ふたりは目を合わせ、シリウスが険しい顔で問いかけた。俯いてしまった老婆に、ニゼルはどうにも困り果てて口を閉ざす。 「分かった、何があったかは話さなくともいい。シャムばば、町が襲撃された事は、もう聞こえているな」 「……ああ。知っているよ」 「なら話は早い。エライとゴラ、長、他にも多数の犠牲が出た。見たところ、ここの連中は無事らしいな。早速、避難の用意を始めてくれ」 「エ、エライ。エライかい。そんな、そんなもの、今更何を兄ぶっておるのだい。お前が殺したと聞いとるよ。身内殺しめが……」 びりりと、緊張の糸が張り詰めた。ニゼルがはっと顔を上げると、彼の騎獣は歯噛みし、拳を握り、憤怒に表情を歪めきっている。 止めようがない、咄嗟に腕を伸ばし、彼が刀を抜く前にその片腕にしがみついた。我に返ったように、シリウスがこちらを見つめ返す。 駄目だよ、おとうさんになったんでしょ、これ以上は――声には出さず、それでもこちらの考えが伝わる事を祈りながら、黙って見上げた。 ……毒気を抜かれたのか、藍色の眼から怒りが抜けていく。大きく嘆息して、シリウスはふっと体中の緊張を和らげた。 「……そうだ、エライは俺が殺した。里の掟でいう大罪だったな。シャムばば、お前も生き延びたければすぐ皆を集めて支度を始めてくれ。 ある程度纏まったところで俺から話したい事がある。頃合いを見て、この広場に集まるよう伝えてくれ……二度は言わん、さあ、行け!」 ひいっ、老婆の喉から掠れた悲鳴が迸る。まるで幽霊か魔王でも見たような引きつった顔に、掛けるべき言葉が見つからない。 何も脅さなくてもいいのに……半ば逃げるようにして駆け出した神官長の背を見送りながら、ニゼルは騎獣の言い回しに小さく苦笑した。 生真面目で、少し不器用なところは本当に親友によく似ている。言ったところで、双方には否定されそうだなとも思えた。 「……ニゼル=アルジル」 「うん? えっと、何?」 「いや……」 歯切れが悪い。しかし、シャムに言われた事を振り返れば、彼が今何を考えているのか、なんとなく分かるような気がする。 「うーん……血を含めて、シリウス達って穢れが駄目なんだよね? 下手すると、交尾とかも」 「おい、なんて言い草だ。そこは、もう少し言葉を選んでくれ」 「えっ、あ、ごめん? えっと、ただでさえ誇り高い一角獣っていう種族のうち、更に気難しい一族、それが星の民……だよね。合ってる?」 「どうも皮肉を言われているように感じるが……まあ、そうだな。否定はせん」 「じゃあさ、その一族のトップの候補だったシリウスは、すっごく気難しくて堅物で、誇り高すぎーっていうのも、当たり前だよね?」 「……おい、なんだ、ここにきて急に悪口か」 「違うよー! そうじゃなくて!」 ニゼルはうーん、と考え込むポーズを取った。シリウスはわけが分からない、という顔をしている。 彼のその真面目くさった表情が妙におかしく見えて、羊飼いは小さく噴き出してしまっていた。 「シリウスがそうなら妹さんもそうだったんじゃないかなって。あんな事されて、辛かったと思うよ……助けてあげたかったんでしょ?」 「……それは、そんな事は」 「たとえそれが、シリウスの自己満足だったとしてもね。もしかしたら、薬を抜き去る方法だってあったかもしれない、助け出す術だって。 でも失われたものは返ってこないしね。信用も信頼も、妹さんの命そのものも。なら、今手元にあるものだけでも守っていかなくちゃね」 俺も及ばずながら力を貸すからさ――その一言を付け足した後で、ニゼルはふと、返事のない自身の騎獣の顔をちらと盗み見る。 シリウスは、遠くを見るような、何かを懐かしむようなぼうとした眼差しで、ニゼルを見下ろしていた。 好き勝手言ってしまった、謝るより早く、頭に軽い衝撃が落とされる。くしゃりと柔く頭を撫でられると、胸がしめつけられるようだった。 「さて、移住先をどうするか」 「あ、よかった。ちゃんと考えてたんだね」 「おい、なんて言い草だ。しかし、ここ以外に緑豊かで拓けた場所など知らんぞ。ヒトの手が加わっていてはお産も出来んしな」 「んー、牧草地かー……あ、そうだ! なら、藍夜が昔家族と暮らしてた丘の上はどうかな? 俺もそこで、家族と牧場やってたんだけどさ」 「ほう? そうなのか」 無理に話を変えたシリウスに、ニゼルは深くを追求しない。彼が心に傷と悼みを抱えている事は、既に分かっているからだ。 悩んでいる風を装う彼に合わせて、羊飼いは我ながら名案だと思える話をし始める。アルジル羊の事、藍夜と彼の家族の事、幼少の頃の事。 シリウスはそれを、愛しいものを見守るような表情で聞いていた。恐らく、妹や幼なじみ達との記憶と重ねて聞いているのだろう。 それが悪い事だとは到底思えない。しかし、彼がした事の代償は彼自身が払っていくより他にない。 それが将来星の民を束ねていく筈だった男の、最後の仕事になる筈だ。 とはいえ、果たした後は後戻りの出来ない道でもあった。自分が牧場を放棄したのと同様に、後悔だけはしないで欲しいと、ニゼルは願う。 「……というわけで、暁橙の墓守をしてくれるひとがいれば、藍夜も安心出来るんじゃないかなーと思って」 「なるほど、利害の一致というわけか。また、考えたな」 「でしょ? うーん、でも、やっぱり無理なのかなあ。ふもとのホワイトセージも、ここみたいに魔王に襲われちゃったわけだし……」 騎獣に頷き返してから、ニゼルは喉奥で小さく唸った。考えてみれば、あの一件からもう二年近くが経過している事になる。 いくら天上界と人間の世界の時間の流れに差があるとはいえ、土地の完全な浄化には、まだ至っていないように思えた。 判断はシリウスに任せよう、ニゼルは内心でそう結論付ける。騎獣の方は神官長の到着を待ちわびるように、広場の向こうを見つめていた。 「……それなら、我が里の神官らの、腕の見せどころだな」 「えっ?」 「こちらにきて、太陽が夜の帳を一度捲った。時間ならお前の予想より経っている筈だ。琥珀……妻の容態次第では、もう一晩泊まりたい。 それを考えれば、案外悪くないかもしれんぞ。神々の世話になるのも、ラグナロク跡地という危険な場所にも向かわせたくはないからな」 今なお過ぎていく時間と、神官達の手による浄化作業。一時的な避難場所の候補として一考の価値があると、シリウスは小さく苦笑する。 彼が、本心でどう思っているかは分からない。それでも、あの生意気な鷲獅子を妻と称する騎獣に、ニゼルは誇らしい想いだった。 誰もが彼の罪科を責めたとしても、自分と、そして琥珀だけは、これからもずっと彼の味方でいられる筈だ。自分はそう信じている。 ……暖かな日の出と高原の風に、幽かに血と、焼けきった灰の臭いが混じった。一蓮托生だよ、シリウス――骨張った手を、握ってみせる。 |
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