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楽園のおはなし (2-32) BACK / TOP / NEXT |
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『太古の時代に、生きたものの痕跡。貝殻の中で育まれるもの、「真珠」。海底に眠るもの、「珊瑚」。それが、この仔達の名前だよ』 アンブロシアが降ろした籠を翼で器用に胸元に手繰り寄せ、琥珀が甘やかな息を吐く。 生まれてきたヒッポグリフは、見事なまでに白黒の二色に分かれていた。僅かな時間差で生まれた事から、双子だろうとシリウスは言う。 初産で、それも二頭続けての出産。ニゼルは出来るだけ静かに膝を折ると、鷲獅子の傍らに寄り、その嘴を優しく撫でてやった。 「聞いた事、あるよ。どっちも宝石として扱われるものだよね?」 「厳密には『石』ではないがね……琥珀、君の名前もそうだろう。その、アンバーという本名は」 『ウン。女神様がね、僕の名付けを僕の親から頼まれた時、親の二頭がキレイな宝石の名前だったからそれを参考にした、って言ったの…… 僕の名前は、太古の樹脂のキレイな化石からとった名前なんだぞって。だから僕も考えてた、仔にどんな名前をつけたらいいのかなって』 「俺が賛同したんだ、お前達が材料集めに駆り出されている間にな。お前が今幸せなら、それを分け与える意味で参考にしたらいい、と」 身を丸め、籠の中身を愛おしそうに覗く黒金の鷲獅子に、白毛の一角獣がしっかりと寄り添っている。 ああ、なんて幸せな光景だろう……ニゼルはうっとりとした眼差しで、ふたりの言葉に頷いた。 そんなとき、背後から衝撃が走る。振り返ると、金の光沢が煌めく桜色の髪が羊飼いの背中に突撃していた。 「いいですね、可愛いですね! ニゼルさん」 「アンー! 本当だよね、琥珀達の事、ありがとねー!」 「いえ、何もありませんでしたよ! ……本当に、元気に生まれてきてよかったです」 使ったタオルを干すべく、一時騎獣達の元から離れていたアンブロシアだ。戻るや否や、大げさなほどにはしゃぎながらニゼルの手を取る。 面食らいながら、ニゼルはにこにこと娘の言葉に同意した。感無量だったのか、アンブロシアの目にはうっすらと涙さえ浮かんでいる。 そういえば、仔を取り上げてくれたのは彼女とラファエルの筈だった。ふと周囲を見渡して、ニゼルは治癒の天使の姿を目で探す。 「……ラファエル?」 金緑の天使は、何故か遠慮しているように壁際に背中を寄り掛けていた。お産は無事に終わり、琥珀の状態は安定している。 だというのに、彼の表情は晴れない。何か懸念する事でもあっただろうか、アンブロシアの手をそっと外し、歩み寄ろうとした瞬間、 「見事だったよ、諸君。さて、では、その鷲馬は私の方で譲り受けるとしよう」 聞き覚えのある声と不穏な言葉。はっとラファエルの隣に視線を滑らせると、くつくつと含み笑いをする大神と目が合った。 「薔薇臭キザ男! いたの、っていうか何言ってんの!? 正気?」 「無論、正気だとも。思いのほか早く生まれて幸いだった。移動の度に部下を酷使するのも心が痛むのでね……さあ、その仔らをこちらに」 背筋に冷たいものが走ると同時、ニゼルを挟むようにして藍夜とシリウスが得物を手に前に出る。 ニゼルは顔を真っ赤にして、澄ました顔のゼウスを見た。正直な話、大神の事はカマエルの件で少しだけ見直していたつもりだったのだ。 だが、今はどうだ――結局、この男は自分の都合しか考えない。ヒッポグリフが如何に貴重な種であるかを、「自分」はよく知っている。 その性質がどれほど繊細であるのかも……思い切り息を吸い込み、ニゼルは「あの剥離される感覚」を振り切って、堂々とゼウスを睨んだ。 「バカなの? 真珠と珊瑚は琥珀とシリウスのですー! なんで不倫大好きド変態にやんなきゃいけないの? 頭お花畑すぎじゃない!?」 「……ニゼル。気持ちは分かるがね、少しは歯に衣を着せたまえ」 「無理ー、こればっかりは藍夜のお説教も後回しにするからね。っていうかラファエルもどんだけ真面目なの! 絶対やらないからね!?」 「……すみません、ニゼルさん」 「謝って済むなら自警団も警察も傭兵も警備兵も護衛も騎士団もいらないんですー!! 人間の器でふんぞり返ってる奴がそんなに大事!? ねえ知ってる? 今のラファエルみたいなひとの事、長いものに巻かれるって言うんだよ。あ、金魚の糞でもいいのか。あーやだやだ!」 「おい、流石に暴言が過ぎるぞ、ニゼル=アルジル。仔らに悪影響だ」 ふたり掛かりで窘められては、流石に自重するしかない。ふん、と荒めの鼻息を吐いて、羊飼いは真っ向から大神を直視する。 ゼウスは小さく苦笑しただけだった。もっと他に言う事はないかな、小声で放たれる皮肉にニゼルはかっと顔を熱くする。 緊張が走った。互いに退かず、両者はじっと睨み合うばかりだ。赤い豹も含め、絶対に余所に仔供は渡さないと、羊飼いは拳を握り締める。 『……女神様の自由だけじゃなくて、僕から仔供も盗るっていうの?』 「! 琥珀?」 ほんの僅かに流れた沈黙を破ったのは、のそりと半身を起こした鷲獅子だった。胸元により籠を引き寄せ、黄金の翼で囲み、精一杯に庇う。 痛々しい健気な姿に、胸が締めつけられた。決意はより強まったが、ヘラの自由とはどういう意味だろう……つい首を傾げてしまう。 琥珀はニゼルでもラファエルでもなく、ゼウスを見つめていた。なんとなく、口出ししてはいけないような気がして口を閉じる。 「ほう。ヘラの自由とはまた、どういう意味か教えてくれないか。私には魔獣の言葉は分からないのでね」 『女神様はお前の妻として神殿にいたのに、なんで他の女と平気で交尾出来んの、って意味。女神様には、お前しかいなかったのに』 不意に、大神が沈黙したのをニゼルは見た。険しい顔、眉間の皺。怒りを滲ませた表情だと、思わず腰に下げた杖に手を伸ばしてしまう。 『女神様言ってた……「位のいい人間が跡継ぎを多く残す為に、婚姻関係にない相手と交わる」って。大神も影響を受けてるみたいだって。 ケド、僕はそんなのイヤだった。女神様はへっちゃらぷーって顔してたケド、ホントは女神様だって、影響受けてたかもしれないのに。 どうしてお前は甘んじて受けるんだろーってずっと思ってたよ。女神様はお前の妻だけどさ、好きなひとだって出来たかもしれないのに』 「黙れ」、音を伴わない口の動きがあった。インディコールの整った顔が、みるみるうちに憤怒に染まる。 鷲獅子は怯まない。名の通り、透き通った飴色の琥珀の眼差しが、座したまま大神を見据えていた。 ……おもむろに、ゼウスが歩み寄ってくる。早足だ、慌てて間に入ろうとしたニゼルの腕を突然藍夜が強い力で掴み、それを引き止めた。 どうして、叫びそうになるほど胸が痛い。振り向いた羊飼いは、自分に同じく、親友の顔が苦悶に歪んでいるのを見て息を呑む。 「――おい、よせ!」 シリウスが叫ぶと同時、伸ばされた彼の手は大神に振り払われた。いよいよ、琥珀をねじ伏せんと突き出された手が襲歩の如く迫りいく。 「ゼウス様!!」 「いけません!」 悲鳴じみた叱声は、ミカエル、ラファエルが放ったものだ。命令に背き姿を見せたミカエルは、咄嗟というように大翼を広げて羽ばたいた。 天使長の腕がゼウスに届くより先に。大神の手が鷲獅子をひねり潰すより早く……一瞬のうちに、小屋の中に新たな「魔力」が沸き起こる。 「……!!」 その手が、奪取の指が、鷲馬を母親から横取りする事はなかった。ゼウスが目を見開き、その場に立ち止まったのをニゼルは見る。 不可視の壁だ――大神の手は、宙の途中で見えない壁に触れてしまっているかのように停止した。 実際に壁があるのだろう、足掻くようにして、男は拳を作ると眼前の透明な壁を何度か軽く小突いてみせる。 「シリウス? アン?」 「いや、俺の結界では……ない」 「わ、わたしも違います、ニゼルさん。これは……」 騎獣か悲劇の天使が咄嗟に結界を展開したのかと考えたニゼルだったが、当のふたりは首を横に振るだけだった。 無色透明の壁。大神がそれを叩く度、六角形の白く輝く紋章が浮かび、またすぐに消えていく。さながら可視出来る雪の結晶のようだった。 すっごく綺麗だ……ニゼルはその不思議な光景をぼうっと見つめていたが、ゼウスからしてみればたまったものではない。 ぎり、と奥歯を噛む音がはっきり響く。身構えるアンブロシアを安心させるように一度頷くと、羊飼いは駆け足で大神の横に向かった。 「ほんとに壁だ……ねえ、これまさか、自分で張ったとか、そういう狂言なんかじゃないよね?」 「ふ、私もそこまでお人好しではないな、ニゼル君。いや、しかし、ヘラの愛玩動物はずいぶんと良いものを産み落としたようだ」 「愛玩……まあいいや、どういう事?」 「見たまえよ。これの犯人は、君の目の前にあるだろう」 ゼウスの指差す先には、琥珀と、彼女に籠ごと抱かれるヒッポグリフの双子しかいない。 ニゼルははっと息を呑む。丸まり、眠っていた筈の鷲馬のうち、白い羽根に覆われた個体がいつしかこちらを見つめていた。 真白の羽毛、藍晶石の眼。警告じみた直情の眼差しが大神を射抜く。結界を即座に展開させたものの正体に、羊飼いはぐっと口を閉ざした。 (藍夜が俺を止めたのは、真珠が動くって事が分かってたからなんだ) 目を逸らす事を許さない眼差し。身じろぎも出来ないままに真珠を見下ろしていたニゼルは、不意に横から聞こえた音にはっと顔を上げる。 「……ふ、これ以上は無理、か」 漏らされたのは嘆息だった。降参、或いはお手上げという風に、大神は上げていた腕を静かに下ろす。 「ゼウス?」 「婦女子の機嫌を損ねるのは趣味ではなくてね。ニゼル君、いつか機会があれば、そのときに改めて譲渡の打ち合わせをするとしよう」 「はあっ!? だから、さっきから渡さないって言ってるよね? そんなだからヘラに見向きもされないんだよ!」 「……ふ、前から思っていたが、君はどうも我々の痛いところを突くのが上手いな。では」 「ちょっ、まだ話は!?」 ニゼルが苦言を言い終えるより前に、ゼウスは早々ときびすを返し、いつの間にか翼を畳んで跪いていたミカエルの元へ戻っていった。 話し掛けるな、そう言われているような気がして言葉が出ない。ちらと視線を流せば、未だに白羽根の鷲馬は大神の背中を睨みつけている。 文句が言い足りない、しかし白毛の騎獣の言うように、これ以上幼子に暴言の類を聞かせてやるのは本意ではなかった。 なんかもやもやするなあ……口をもごもごさせていると、寄ってきた藍夜にぽんと肩を叩かれる。十分だよと、労われたような気がした。 「……そうそう、ニゼル君」 「? 何、まだ無駄話に空きがあるの?」 「ニゼル、君ね」 「だってー」 「ふ、近いうち改めて挨拶に出向く事になる、長話はそのときにさせて貰うとしよう。その際は……是非、殺戮にも同席願いたいものだ」 「えっ、サラカエル?」 「ゼウス様、それは一体……」 「トバアイ……いや、ウリエル。お前はそのとき不在だろうからな。何、対天使宛てに先約を入れておこうという話だ」 何故、そのような「約束」を天上の長と交わさなければならないのだろう。 ニゼルは締めつけられるように痛む胸を、無意識に服の上から押さえつけていた。 近いうち、長話、サラカエルの同席、藍夜の不在。言いつけられた単語それぞれに、不穏なものは一切含まれない。 しかし嫌な予感は収まらない、自然と口数が減ってしまう。まるで、これから起こる何かしらの悲劇を遠回しに宣告されたかのようだった。 「ニゼル。大丈夫かい、顔色が悪いように見えるのだがね」 「藍夜……うん、大丈夫。大丈夫だよ」 気がつけば、ゼウス、ミカエルの姿は屋内から消えている。視界の端で、自分と目が合ったラファエルが、丁寧に一礼するのが見えた。 「ラファエル?」 「すみません、ニゼルさん。あの方は、あれでもあの方なりにヘラ様を尊重しておいででしたから」 「え、あ、えっと、あの……や、俺もなんか、少し言い過ぎたっていうか」 「いえ、ヒトの目線からすればあの方の在り方には疑問が沸いて当然でしょう。どうか、お気になさらずに」 どこまでいっても律儀で難儀な天使だ、ニゼルは先の彼へ向けた暴言を思い返し、恥ずかしさのあまり、ついつられて頭を下げる。 顔を上げたとき、治癒の天使は驚きの顔で固まっていた。首を傾げてみると、はっと我に返ったように肩を跳ね上げ、再度頭を下げてくる。 これは俺ももう一回お辞儀した方がいいのかな……困り果て、ぼうと立つニゼルの耳に、どこか懐かしい、聞き慣れた物音が飛び込んだ。 「――先生。この間抜けに、そこまで配慮なさる必要はありませんよ」 どきりと、心臓が跳ねた音が聞こえたような気がして、息が詰まる。ぱっと振り向いた先、やはり親友の横に見慣れた男の姿があった。 「サラカエル! えっと、カマエルとか、魔王とか……そのへんは、もういいの?」 「やあ、いつの話をしているのやら。カマエルならとっくに逃げた後だよ、してやられたってやつさ」 「うっ、な、なんとなく分かってたけど、一応聞いてみたんですー」 「……サラカエル。ニゼルさんに暴言を吐くのは止しなさい、大人げないですよ。君をとても心配して下さっていたのだから」 「うわ、ラファエル! 変な事言わないで、嫌み言われるの俺なんだから!」 くつくつと声を殺しながら、それでも殺戮の天使は楽しそうに笑う。彼に目立った外傷がない事に、ニゼルはほっと胸を撫で下ろした。 (いや、違う違う。別にときめいたりしてないから、藍夜の対存在だからきちんと気に掛けてあげてるってだけだから) 嘆息が漏れる。自分に向けた言い訳が、異様に虚しく感じられた。 ニゼルの胸中などつゆ知らず、サラカエルはラファエルと一、二言を交わして彼の転移術を見送る。 治癒の天使の姿が消失すると同時、待ってましたと言わんばかりに、殺戮は大げさなほどに盛大な溜め息を吐いてみせた。 「やあ、ノクトは急用が出来たって話でさっき別れたよ。全く、魔王といいカマエルといい大神といい、どいつも好き勝手にやってくれる」 「ずいぶんと荒んでいるものだね、サラカエル」 「ま、無理もないかな。気配がしたと思ったら、よりによって君達が魔王に対面してるんだから。また仕留め損なったけどね」 堕天使の頂点とやりあうつもりだったと言いのける青年に、ニゼルは半ば呆れてしまう。 否、本当に、この天使は親友ウリエルの為なら何でもするのだろうと、否応なしに理解させられてしまったのだ。 「ああ、そういえば産まれていたんだね。初産お疲れ様、おめでとう、アンバー」 『……なんか、お前に言われると背筋がゾゾゾッとするよ、根暗』 「根暗……へえ、誰の言い分なんだろうね、それは」 ようやっと、いつもの顔ぶれが揃った。互いの安堵の気持ちが、空気中に溶けだし始めたようにさえ見え、ニゼルは藍夜に笑いかける。 親友は、苦笑いを混ぜながら肩を竦めた。藍夜も仔を触りに行こうよ、よしておくよ、そんな取り留めもない応酬を交わし合う。 いつしか、真珠が展開した無色結界も霧散していた。褒めてあげなくちゃ、うきうきした心地で琥珀の元に再度歩み寄る。 「琥珀、ちょっといい? ……お前、偉いね、賢いねえ。護ってくれたんだね」 結界の規模と、発動までの時間、祝詞がなかった点を考えれば、この魔獣は生まれながらにして脅威の存在だといえた。 しかし、そっと真新しい白羽根に触れれば、嘴をもたげ、気持ちよさそうに眼を閉じて身を委ねてくれる。 愛しい、可愛い、柔らかい……警戒しなければならない生き物だとは、とても思えそうになかった。 「……しかし、よかったのかな。仮にも太古の時代から継がれていた種族なのに、こんな略式で」 「シリウスがいいと言ったのだから、僕達にはどうする事も出来ないというものだよ。弔いには変わりないとも」 「だといいけどね。後からけちをつけられたら、たまったものじゃない」 暗い空に、赤々と燃える火の粉が昇る。藍夜とサラカエルは横に並びながら、目の前で遺体の山が勢いよく焼ける様を静かに見守っていた。 既に日は暮れ、大事をとって一泊しようと話し合ったのは数時間も前の事。今は騎獣もニゼル達も、馬小屋で身を寄せ合っている。 ……どこか手の空いてしまった二人は、あまりにも損傷の激しいものを除き、シリウスの希望で星の民の弔いをする事にした。 アンブロシアに厳重に結界を展開するよう言付けて小屋を離れ、殺戮を中心に死体をかき集めた後、丁寧に火を起こして弔いを開始する。 意外にも、つい数分前まで生き残りの星の民の何人かが顔を出してくれていた。胸が痛むね、ぼやく藍夜にサラカエルは首を傾いでみせる。 「さっきの聞いたかい、牧場にお泊まりしてるみたいで楽しいよね、だってさ。あの間抜けの前向きさには感心するよ」 「前から思っていたがね、サラカエル。君はニゼルを、あまりにも悪しように言いすぎではないのかい」 「実際に間が抜けているんだから仕方がないさ。何なら、首からニゼル=アルジルとでも書いた大きな名札でも下げておいて貰いたいね」 「……名札か」 「……言っておくけど、冗談だからね。ウリエル」 ふと、雑談は途切れた。サラカエルが対存在に視線を流すと、鳥羽藍夜は変わらず正面を見つめるままでいる。 「サラカエル。僕がいなくなったら、ニゼルの事を頼んだよ」 暗闇に溶かされる凛とした声に、殺戮の天使は片眉を上げた。嫌みを言おうとして口を閉ざす。 こちらを見もしない対存在の横顔が、何かを決心したような真剣な眼をしていたからだ。流してやる事さえ出来そうにない。 「……いや、いやね、ウリエル。おかしいんじゃないかな、この間からそれは頼まれていたと思うけど」 「真剣に話をしているのだよ。それとは別に、僕の命が尽きた後の話だとも」 おもむろに広げた手のひらに視線を落とし、藍夜は遠くを見るような目でそれを見つめた。 「生憎、僕の命はじきに終わるのだろうからね。だから、そうなる前にと思ったのさ。君と二人で話が出来る機会が得られてよかったよ」 雷霆に直に打たれたように、心臓が悲鳴を上げている。サラカエルは、彼にどう声を掛けるべきか珍しく逡巡した。 「やあ……いつから、気がついていたんだい」 「自分の体の事くらい、なんとなく分かるというものさ。それに、ニゼルは肝心なところで嘘を吐くのが下手だからね」 ようやく絞り出した声に、鳥羽藍夜は苦笑を混ぜて殺戮を見上げる。出だしと話の中身の重さに反して、彼の表情はとても穏やかだった。 あの間抜けめ、思わず毒づくと、だから悪く言うのは止したまえ、声を出して藍夜は笑う。その笑みが痛々しく見えて溜まらない。 「いつからか、確かホワイトセージの件の後くらいからかな。魔力を喚び寄せるのが困難になっていてね。おかしいとは思っていたんだ」 「元から雷霆は扱いが難しいロードじゃなかったかな。それを、惜しげもなく使うから」 「おや、刺さるね。しかし僕はね、サラカエル。ニゼルや君を目の前で失う事など、考えられないのだよ」 それで寿命を使い果たす事になってもかい、サラカエルはその一言を飲み込み、黙り込む。有無を言わせぬ真摯な眼が、こちらを見ていた。 「ホワイトセージの幼なじみに、昔から化け物と呼ばれてきたんだ。そんな僕に、暁橙のような素直な弟や、ニゼルのような親友が出来た。 それだけじゃない、君と再会して、今こうして語り合えている……これ以上幸せな事があると思うかい。僕は幸せだったよ、サラカエル」 「……ウリエル。それは、」 「面と向かって言えば、アンブロシアや琥珀に泣かれるからね。それに、君やニゼルは何が何でも僕を延命しようとするかもしれないだろ。 それではいけないんだよ、サラカエル。僕は、この器は、鳥羽藍夜として、人間として生まれてきたんだ。告知は受けられなかったがね。 その生き様を否定するのは、君達と出会った歴史を拒絶する事になる。それに、いざという時に僕が足手纏いになるのは許し難いんだ。 分かってくれとは言わないさ、けど、気持ちを汲んではくれないか。ニゲラや暁橙が体感した『終焉』から、僕は逃げたくはないのだよ」 今すぐにでも、ハイウメ=ベネクトラを殺しに行きたい。サラカエルはそう思案して、しかし藍夜の強い意志を覗かせる視線に根負けする。 過去、ウリエルがニゲラや、ヘラ以前のあの奔放な主の事で我が儘を言う度にそうしたように、わざとらしく首を傾げ、嘆息した。 刹那、藍夜が安堵の表情を滲ませる。彼の、この控えめな喜びの表現に勝てた試しはまるでなかったなと、殺戮は自嘲を込め小さく笑った。 「命に代えても、とは言いすぎかな。ま、凌いでみせるさ。君がいつか、生まれてくるその日まで」 「……すまないね、サラカエル。いつも僕は、」 「やあ、そこは『ありがとう』と言うところだよ、ウリエル。庇護対象が増えたような気もするけど、最悪、騎獣どもをこき使うとするさ」 違いないね、破顔する藍夜を、僕はヘラ様に仕えていた頃から尻拭い役だったからね、サラカエルの嫌みが迎え撃つ。 不意に、冥い空に一筋の流星が走った。赤く切なく燃ゆる夜が過ぎていく。残り僅かな時間だと、殺戮は天を仰いで、表情を引き締めた。 |
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