取扱説明書  ▼「読み物」  イラスト展示場  小話と生態  トップ頁  サイト入口



楽園のおはなし (2-29)

 BACK / TOP / NEXT 




ゴラの案内で到達した最上階。途中、新たな階につく度に藍夜の休憩を挟んでいた為、到着した頃には陽が西に向かい始めていた。
魔王の力は、夜にこそ増す。夕暮れまでまだ時間はあるものの、用件は早めに済ませたいものだね、と藍夜は渋い顔で歯噛みしてみせた。

「着いたぞ……って言っても、シリウスは分かってるか」

親友から目線を外し、ニゼルはゴラの声に振り返る。視界の先、うっすらと暗くなる高い天井の下に、重厚な造りの両開きの扉があった。

「如何にも、魔王とか悪の親玉とか、そういうのがいそうな感じー」
「ニゼル……シリウス、ここは入るのに合い言葉などはいらないのかい」
「中には声が届くようになっている。俺とゴラなら、拒まれる事もない筈だ」

シリウスがゴラに頷き、ゴラもまた頷き返す。ごんごんと扉を叩き、ゴラは「長、シリウスが戻りました」と大声で声を掛けた。
がたごとと扉の向こうが騒がしくなり、数秒もしないうちに静かに開かれる。中は思いの外広く、必要最低限の家具が揃えられていた。
石造りの天上と、厚手の絨毯が敷かれた床、木製の机と椅子が数脚。部屋の中央では小さな炉が煌々と火を宿し、小ぶりな鍋を温めている。
湯気の正体はこれだと、ニゼルは藍夜と頷き合った。鍋の中身は煮立った水だろう、白煙からは食べ物のにおいが出されていない。

「――戻りよったか、シリウス」

しわがれた声に顔を上げれば、炉を囲む数人の老人と目が合う。どれも背が丸く、顔に複数の皺があり、一見では人間にしか見えなかった。

「お久しぶりです。長よ、俺の妹は健在か」

これが星の民の長か――ニゼルはじっと彼らを見つめていたが、シリウスの第一声に一部の表情が曇ったのを見逃せず、瞬きする。
シリウスの妹。次期長候補であった一角獣が人間の世界に赴く代わりに、彼の妹は里で保護されている約束だと聞いていた。
ざわつきを諫めるように、一番奥に座っていた者が咳払いする。髭も頭髪も、赤茶色をたっぷりと蓄えていて、顔つきは狡猾な印象だった。

「無論だ、そういう約束だったろう。ところで、そちらの人間達は交配用の人材か。見目は悪くないようだが」
「いや、訳あって旅に同行させて貰っている。そうか、妹は、エライは無事か。今は、俺の家か」
「それ以外にお前の親の遺産はなかろう……が、今は仕事をして貰っている時間だ。日暮れまでには帰す手筈だったが、町があれではな」

騎獣の妹はエライという名前らしい。どこかで聞いた単語だな、と一瞬考え、親友の持つ本で知った、遠い空に輝く星の名だと思い出す。
以前、シリウスから星の民は星から名を取ると聞いていた。ロマンだよねーと一人頷くニゼルだが、ふとゴラの俯き顔に目線が向く。
蒼い顔、震える唇。冷や汗か脂汗か、尋常ではない様子だった。惨劇を思い出したか、と言葉を飲むが、そうではないとすぐ気付かされる。

「……仕事? おい、エライには俺から家の管理を仕事として任せていた筈だぞ。他の雑務をしている暇は、ない筈だ」

僅かに声に滲む怒気。最前列に立つシリウスの表情を、ニゼル達は窺い知る事が出来ない。
それでもはっと顔を上げたゴラの表情から、騎獣の妹の身に何かあったのではないか、と容易に想像する事が出来た。

「何を言う。嫁にも行かず、婿も取らずの行き遅れには働いて貰うのは当然。古くからの里の決まりよ」

動揺したのか、騎獣が一歩だけ下がってくる。最年長と思わしき赤茶色の毛の老人は、意味深にくつくつと笑った。

「何、命に関わるような仕事ではない。安心せい」
「……何の……何の仕事をさせている? あれは、俺に比べれば力もなく、体も弱いのだぞ」
「妹、妹と喧しいわ。一体いくつになった、シリウス。それ、そんなに気になるならゴラに案内して貰えばよい。南の塔にな」
「なっ、長、それはないだろ! 俺に全部、なすりつけようっていうのか!?」

何の話か、まるで見えない。ニゼルは困惑し、親友に視線を投げる。藍夜の方は目を合わせてくれるものの、その表情は物言いたげだった。
嫌な予感がする。思わずシリウスのマントを掴もうとしたニゼルだが、その手は宙を素通りするだけだった。
騎獣は、白毛の一角獣は、知人の元に詰め寄り胸ぐらを乱暴に捕まえている。ちらと見えた横顔には、憤怒の色が浮かんでいた。

「どういう事だ、ゴラ、何を知っている! エライに何かあったなら、これは民の誇りを踏みにじる裏切り行為だぞ!」
「ぐっ、お、落ち着け、シリウス……っ」
「そうだよ、シリウス! ちょっと落ち着いて、どこかに隠されでもしたらそれこそ困るでしょ!? 俺と藍夜で捜してみるから!」
「……ほう、ヒトの身で、我が里を暴くとな? さて、如何なる奇術か、ペテンであろうか」

杖を掴もうと腰に回した手を、ニゼルは自ら逆の手で掴み、無理やり抑える。長の黒色の眼と、赤紫がぶつかり合った。

「五月蝿いなあ……俺、あんたみたいな奴を知ってるよ。権力と過去の栄光にあぐらを掻いて、見下していた者に痛い目に遭わされるんだ」
「なんと? 貴様、言わせておけば、ずいぶんと上から物を言う。シリウスよ、何故こんな無礼者と共に行動しておるのだ?」
「ねえ藍夜、この年寄り一角獣達には人間の言葉って難しすぎるのかな? 老害は黙ってて、って俺はそう言ってるつもりだったんだけど」

話を振られた親友は、額に指を押し当て呻いている。しかし、顔を上げた彼の片瞳は、鮮烈な瑠璃色の光を帯びていた。
瞬間、長らの間に動揺が走ったのをニゼルは見逃さない。ぐるりと彼らを見渡し、羊飼いは挑発するように堂々と鼻で笑ってみせた。

「なーんにも出来ない、ひ弱な人間だと思ってたんでしょ。残念でしたー」
「……ニゼル。君の気持ちも分かるがね、煽るのは止したまえ」
「藍夜。エライちゃんの事、早く見つけてあげてね」

今度こそ頭を抱える藍夜に、ニゼルはにひっと悪戯めいた笑みを返す。困惑した眼差しを向けてくる騎獣の腕を、ぽんと軽く叩いた。
任せておけと、口に出さずに胸を張る。シリウスと契約した身である以上、誓いを違えたであろう長達を、ニゼルは許す気にならなかった。
ひとりひとりの顔を見る。怯む者、眉根を寄せる者と反応は様々だが、誰ひとりとして白毛の一角獣に謝罪しようとする者はいなかった。

「――事態を軽くみて、星の民そのものを殺すのはあんた達だよ。外で好き放題しているのはあんた達が自ら引き寄せたもの、即ち因果だ。
 悪いのはカマエルでも魔王でもない。種を存続させる為に、個々の意志も、婚姻という契約も、シリウスとの誓いも粗末にしたツケだよ。
 他に、いくらでも方法なんてあった筈なのに。果たせない約束なんて、たとえ口約束だったとしてもしない方がよかっただろうにね……」

滅びいく運命に逆らいたいと望むのは、民族を保守したいと自ら働きかけるのは、生き物としての本能だ、そこは理解出来る。
しかし、長という頂点に立ちながら、元は里で暮らしていた同胞との約束を破り、ないがしろにした上で開き直るのはどうなのか。
大神ゼウスでさえ、そんな事は――例外として正妻ヘラだけは、彼の好色ぶりに振り回されていたわけだが――表立って、していなかった。
部下や目下の者、そして生ける大地や環境全てに目を向けてこそ、頂点に座す者として誇る事が許されるものだ。羊飼いはそう信じている。

「それに馬鹿と何とかは高いところが好きって昔から言うけど、町の逃げ遅れたひと達は放っておくの? 自分達の身は結界で守っといて」
「おい、ニゼル=アルジル……」
「収容人数に限りがあるのは分かるよ。一箇所に固まった方が結界も強まるって事も分かってる。けど、そういう事じゃないよね?」

「星の民の長と、名乗る資格はない」。突きつけられた罵りを、長達は憤怒の表情で迎えた。
これは意地でも救助に乗り出すつもりがないんだろうな、ニゼルは内心で呆れ果て、表では歯噛みし、きびすを返す。
そんな自分を、親友の手が引き止めた。ぴっと掲げられ、向けられた手のひらは、羊飼いの荒れた心に一瞬の冷静さを呼び戻してくれる。

「ニゼル。南の塔とやらの場所と開錠方法が視られたよ。中身については……」
「うん! ほらシリウス、何ぼーっとしてるの? 早く行こう、で、琥珀のところに戻らなきゃ!」

最早、長らの赦しなど必要ない。藍夜はわざわざ一同に軽く一礼してから背を向けたが、ニゼルには礼儀を払うつもりはなかった。
足を止め、失意に呆ける騎獣の両腕を掴み意識を下ろさせる。重なる藍と赤紫。ようやく羊飼いを見た一角獣に、ニゼルは笑いかけた。
行こう、声には出さず、もう一度促す。これでシリウスが同胞や妹を選ぶというなら、契約はここまで――幸か不幸か、騎獣は頷き返した。
半ば駆け足で部屋を飛び出したニゼルと、彼に引っ張られるまま着いていくシリウスに、藍夜はすいと静かに後退して道を譲る。
ふたりが退室したのを見計らって、オフィキリナス店主は瞳術の作動を止め、おもむろに星の民の頂点らに振り向いた。

「……僕だって、大した学があるわけじゃない。民を守るのもあなた方の義務だろう。だが、エライ嬢の件は擁護出来ないというものだよ」

黒と夜の瞳が怒りに揺れる。怯むように肩を跳ね上げさせたゴラに、藍夜は着いてくるよう促した。
「逃げる事は許さない」、有無を言わせぬ少年にしか見えない男の低い声色に、鳶色の瞳の一角獣は怯えながら首を縦に振る。
南の塔。エライが仕事に励むという地に閉じ込められた真実を視て、藍夜の心は荒れていた。握りしめた拳はぎりりと音を立て震えている。






その名の通り、南方に下った先に広がる深い森を抜けたところで、表面をうっすらと白く塗られた煉瓦の塔の前に出た。
生い茂る木々と無数の蔓植物に隠されるようにして、ひっそりと、いっそ厳格な雰囲気を保って建っている。
中央の塔と違い細身で、小さな窓には厚い板が張られていた。よく見ると、それは黒塗りの枠や鋲で厳重に固定されているのが分かる。
光を極力遮断する造りは、来客を拒んでいるかのようだった。年頃の若い娘が仕事をするには、あまりに窮屈で狭苦しい建物のように思う。

「……ここ? えっと、本当にここにエライちゃんがいるの?」
「本来なら、男子禁制の場所だ。俺も、未だに一度も入った事がない」
「男子禁制? 今時、何なのそれ? ふっるー」
「おい、俺に文句をつけるな。昔……子供の頃から若い娘専用の仕事場と聞かされてきたんだ。決して近寄るな、とな」

今にも囚われの姫君が転がり出てきそうな、おとぎ話にぴったりの塔を見上げて、ニゼルとシリウスはぼそぼそと小声で話し合った。
草木で覆われた暗い空間の中では、入り口を探す事もままならない。困り果てたニゼルは、ちらと藍夜に視線を向ける。

「ニゼル、下がっていたまえ。ゴラ、」

不思議と、親友は怒っているように見えた。首を傾げる羊飼いの横を、何故か怯えたような顔のゴラが通り抜けていく。
喧嘩でもしたかな、首を傾げるよりないニゼルに何か言うでもなく、藍夜はゴラの動きを睨みつけるようにじっと見つめていた。
茂みに入っていったゴラは、屈んで何かの作業を行っている。葉ががさがさと激しく揺れ、暫く待っていると、ごごん、と地響きが鳴った。
重い音に視線を塔へと戻すと、塔の根本、ニゼル達の正面の地面に、隠し階段と思わしき小さな四角い穴が開いている。
おおっと感動するニゼルに、藍夜は咳払いして注意を促した。いつも通りのやりとりだったが、違和感を覚えて親友に声を掛けようとする。

「ニゼル。エライ嬢が僕達を待っているのだよ、先を急ごう」
「え、待ってる? 俺達を? うん……分かった。行こう、シリウス」

流された、ような気がした。とはいえ、藍夜の言う通り騎獣の身内をこのまま放っておくわけにもいかない。
いつ魔王の手がこの塔に及ぶか分からないのだ。せめて身の安全は確保しておきたいし、シリウスもそう望んでいるだろう。
ニゼルは腰から金の杖を引き抜くと、くるりと振り、道に灯りを落としてやる。ゴラを先頭に立たせ、藍夜は友人に着いてくるよう促した。

「わざわざ地下から登らなきゃいけない塔って、変な感じだよねー。ダンジョンみたい」
「おい、声が響くんだ、静かにしろ。ニゼル=アルジル」
「男四人が女の園に入り込んでるんだよ? ここにいますよーって声出しくらい、しておかないと。びっくりされたら困るでしょ」
「それはそう……いや、そういう問題ではないだろう、頼むから静かにしてくれ」
「もー、シリウスってば、固いなあ。そんなんじゃ、いつまで経っても琥珀に甘えてなんか貰えないからね?」

減らず口と共に、視線を前に投げる。藍夜は振り向きもしなかった。ニゼルは、本当にどうしたんだろう、と不安に駆られる。
その実、この無駄なお喋りも、親友から放たれるぴりぴりとした緊張感を少しでも和らげられないかと考えて取っていた行動だった。
あまり意味はなかったように思う。溜め息を吐いた瞬間、橙色の灯火はくるりと弧を描き、上へ上と上昇していった。
石造りの細い階段だ。誰かが降りてこようものなら、すれ違う事も難しく思えるほどに幅が狭い。ゴラを先頭にしたまま、黙々と登る。

「……扉だ」

少しだけ開けた場所に出た。階段と違い、壁掛けの明かりなど一つもなく、ニゼルの杖がなければ足下を確認する事も難しかっただろう。
踊り場の一角に、鋼鉄で補強された分厚い金属製の扉があった。ノックをする為の輪っか状の金具以外、目立った装飾などもされていない。
物々しい雰囲気だ、思わずごくりと唾を飲んだニゼルの横で、藍夜は雷神の雷霆を抜き、表面に雷光を纏わせる。

(灯りなら俺ので十分なんじゃ……藍夜、一体何が視えたの?)

声を掛けるのは、憚られた。様子を見守っていると、親友はゴラの背中を手で押し、さも扉を開けろと命令するような素振りを見せる。
ゴラもまた、覚悟を決めたように顔を上げた。シリウスよりも薄い手のひらが輪を掴み、扉を数回、一定のリズムで叩き出す。

「……――誰だ」
「!? おっ、男のひとの声っ、むぐっ」
「(ニゼル、静かにしたまえ)」

女しかいない筈の塔の中、扉の向こうから聞こえた低く荒い呼吸の男の声……たちまち、ニゼルの胸中に嫌な予感が立ちこめた。
耳を澄ませど、鋼の内側から他の雑音は聞こえてこない。たっぷり二、三分ほど経った頃、ようやくガチャンと鍵が開く音が返される。

「エライ!」
「あっ、ちょっと、シリウス!」

我先にと、ゴラを押しのけてシリウスが前に出た。押し開かれつつあった扉を強引に引き、騎獣はニゼルの制止も聞かず中に飛び込む。

「――え、仕事場? ……これが?」

釣られるようにして入室したニゼルは、思っていたより広い部屋の中を見渡して困惑した。
ほの暗い部屋。天井から垂らされた薄手の透ける布が、紫色の硝子をはめた燭台や、同色の香煙を霞ませて、室内を怪しく照らしている。
その香の匂いか、その場にいると頭がぼうっとしてくる始末だった。思わず鼻と口を手で覆い、ニゼルは背後の親友に視線を投げる。
藍夜は、見ろ、と言うように前だけを見つめていた。彼もまた鼻口を袖口で塞いでいて、この臭気は体に悪いものなのだと思い知らされる。
匂い……シリウスは大丈夫だろうか。はっとして騎獣の横に駆け寄った羊飼いは、目の前の光景を見て固まった。

「……なに? 何なの、これ」

入り口より多く下げられた薄布が、しきりのように広がる部屋の中央。複数の若い女が、あらゆる年代の男達と体を絡ませ合っている。
どれもが着衣が乱れ、或いは一糸纏わぬ姿で、しっとりと肌に汗を浮かばせ、ねっとりと艶めかしい動きで肢体を重ね続けていた。
頬を上気させ、唾液を垂らし、それでもなお口づけを交わす。熱い吐息と、肌を合わせる度に溢れる音と体液の臭気が周辺に滞留していた。
……どう見ても正気ではない。頭ではそう理解しているのに、理性の欠片も見えない光景に、ニゼルは強い吐き気を覚えて後退る。
ようやっと、焚かれていたお香は、これらの臭気を掻き消すと同時に、情欲を掻き立てる作用を持つものなのだと知れた。
振り向いて見れば、ゴラは堪らない、というように顔をうっとりととろけさせている。藍夜は言うまでもなく、眉間に皺を寄せたままだ。

(仕事? これが……これが女の仕事だって!?)

まるで娼館ではないか! 愕然として、ニゼルはその場に立ち尽くした。女も、男も、誰もが行為に夢中でこちらに見向きもしない。
事態が理解出来ずに混乱する。どれが星の民なのか、ニゼルには判断がつかなかった。しかしこの際、種族はあまり関係がないように思う。
大切なのは、恐らく実態を知っていながら、長がシリウスに「ここがエライの仕事場だ」と伝えた事だ。彼らには悪びれた様子もなかった。

(分かってて……分かってて、俺達をここに来させたんだ。あいつら、最初からシリウスを下に見てずっと嘲笑してたんだ……許せない!)

彼が命令を守っていれば、実妹は無事を保証されるという内容の約束。明らかな契約違反だと、ニゼルは込み上げる怒りに歯噛みする。
シリウスの顔を仰ぎ見ると、己の騎獣の表情は興奮の一つもしていなかった。否、正確には目を見開き、顔を真っ赤に染め、固まっている。
その双眸が見つめる先……何人かの女の中に、彼に同じく、美しい絹のような白い髪の、年若い女の姿を見つけた。

「……ま、あに……さま? やっと……おかえりに、なられたの……?」

本来ならば、その所作は淑やかで、とても穏やかなものだったのに違いない。しかし、その娘もまた他に同じく、柔肌を薄紅に染めている。
騎獣と同じ、藍色の瞳。ニゼルは、それこそ頭を横から鈍器で殴りつけられたような思いだった。
顔立ちこそシリウスに似ていないが、彼女こそ、自分達の探している人物そのひとだと一目で分かったからだ。
無事などと、まるで言えないではないか……既に穢されてしまった白毛の一角獣は、実兄の憤慨した顔を見て、儚げに微笑みを湛える。

「……エ、ライ」
「あにさま……あにさま……あにさまも、きて。こちらに、きて……」
「っシリウス! 行っちゃ駄目!!」

ふらりと一歩踏み出した騎獣の手を、咄嗟に掴んだ。振り向いたシリウスは、途端に悲痛な表情を浮かべてニゼルを見る。

「ニ、ニゼル=アルジル。俺はっ、」
「落ち着いて。いいから、落ち着いて。シリウス、君が今、しなくちゃならない事は何?」

声は震え、今にも膝から崩れ落ちそうだった。しっかりしろと喝を入れるようにして、離した手で腕を思いきり叩いてやる。
びくりと肩を跳ね上げて、騎獣は羊飼いに頷き返した。まずはお香を消してやり、それから妹を引き剥がそうと、段取りし合う。
自分も手伝うからと、ニゼルはシリウスに頷きつつ、大きく息を吐いて不快な念を払った。長達の糾弾なら、後で魔王に任せてやればいい。
何なら琥珀の腹の足しにしてもいいし、と考えて、時間の猶予がない事を思い出す。急がなければと、自身は藍夜に駆け寄ろうとした。

(あれ? そういえば、ホワイトセージの被害の中にも性的なやつが絡んでなかったっけ? マトリクスさんとか、レティアさんとか……)

……情欲と私欲に負けた、街と里。これではまるで同じだと、思わず足を止めてしまう。果たして、件の魔王の狙いとは一体なんなのだろう。
ニゼルがそうして立ち止まった瞬間、藍夜が何か物言いたげに口を開いた。どうしたの藍夜、そうニゼルが口にしかけた、正にその時――

「――ッギ、ィャアあァアアアっ、あ……っ」

不意に、その悲鳴は轟く。顔を上げた先、羊飼いと元店主の視界の前に、深紅一色の華が咲いていた。

「シリウス? ……シリウス!?」

憤怒が、色欲を薙ぎ払う。抜かれた一角獣の凶刃は、易々と鳶色の毛を裂き、天井にまでその血潮を引きずり出していた。
白毛がたちまち真っ赤に染まる。名を呼ばれ、こちらを見た騎獣の眼は、何者の声も聞かぬと言わんばかりに爛々と殺意に燃えていた。





 BACK / TOP / NEXT 
 UP:19/02/09