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楽園のおはなし (2-24)

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養父達が眠りに就いたのを確認してから、外に出る。しんと静まり返った眼下の町や、風に撫でられる牧草地、夜色の遙か高い空。
無数の白い輝きが点々と散らばり、地上を見下ろしていた。目を閉じ、大きく長く息を吐く。春先とはいえ、夜間はまだ冷え込みがあった。
引き締まる冷たい空気が、全身に染み渡るように駆け抜けていく。ゆっくりと目を開き、「わたし」は背後に湧いた気配に振り向いた。

「それで、汝の求める解はこの地にあったというのか」

それは滞空したままこちらを睥睨している。鮮やかな翠の羽根は金の薄膜に覆われていて、一目でそれが優れた天使である事を語っていた。
告知天使ガブリエル。夏空の青がわたしの冬空の青を見る。わたしは応えないまま、彼女が音も立てずに着地するのを静かに待った。

「隠されし至宝は第七階層・ネツァクの天使、ハニエル。天使でありながらラグナロクの後、まさか人間の姿で下界を彷徨っていようとは」
「こんばんは、ガブリエル。数日ぶりですね」
「わたくしの問いに答えられないというのか」
「とやかく言えないのでは? 堕天使に捕獲された事には同情しますが、神に単独行動を許されたが為の驕りがあったのではありませんか」

言い争うつもりはない、それでもガブリエルは、普段の無表情を装う顔に僅かながら怒りのようなものを滲ませる。
彼女がアスモダイに捕らわれた件は、風に紛れる天使達の声から聞き及んでいた。件の悪魔と彼女の間には歴然とした力の差があった筈だ。
不覚か、油断か、或いは驕りか。生真面目な彼女の事だから、ラグナロク時の救援か避難活動に追われ弱っていたのかもしれない。
それでも、告知天使にとってあの幽閉事件は自尊を傷つけるものであったのに違いない。わたしは、痛いところを突いた、と短く謝罪する。

「構わない、不覚をとったのは事実。わたくしの至らなさが招いた事態である事に変わりない」
「ガブリエル、」
「ハニエル。繰り返す、汝にとっての解は、この地にあったのか」
「あなたは相変わらず、ひとの話を聞かない方ですね。ええ、ありましたよ。わたしの求めていた答えそのものは」

告知天使が小さく息を呑んだのを、わたしは見た。わたしは、先ほど彼女にそうされたように青色の眼をじいと見据える。

「ラグナロクの後、天上界がどうなったのか……わたし達護り手がどうなったのか、調べました。ガブリエル、あなたの事もです」
「……」
「あなたは生きなければならなかった。ミカエルも、ラファエルも、そしてまた、カマエルも。各々に、成さねばならない事があったから」
「ハニエル。わたくしには成さねばならない事が、」
「ええ、承知の上です。あなた方は道を違え、それぞれの旅路を歩み始めた。それでも、望んでいたものは元は同じであった筈です」
「汝の求む解もそうだったというのか。記憶をなくし、今は人間の器と成り下がった、ウリエルこそが」

わたしは静かに頷き返した。ガブリエルは、先ほどわたしがそうしたようにゆっくりと目を閉じ、何事かを回想するような素振りを見せる。
……神々が大切にしていた宝物。その中には、人間には想像もつかないほどに巨大で、かつ朧気な概念のように実体の薄いものもあった。

(隠されし、とは、人間の眼には映らないものであるからこそ。そうでしたね、我らが主よ)

一跳びで海の端まで飛べる羽つきの靴、黄金を生み出し続ける果樹、糸を紡ぐだけで空をも飛べる織物をこしらえる毛を有する深紅の羊。
神々の所有する宝物は、人間が夢の中で目にするような不思議なものばかり。しかしその中には、それらを凌駕する貴重なものも存在する。
世界の理、神々が定めた掟、即ち、生まれては死にいく者達の命運を記す大樹……それは隠されし至宝と呼ばれ、大切に護られていた。
瑞々しく輝く果樹は、各々の枝先に特別な意味と価値を持ち、わたし達高位天使の一部がそれを総合的に管理、管轄していたのだ。

「忘れられる筈がありません。『彼』が護るあの階層こそ、隠されし至宝の基盤であり、なくてはならない箇所だったのですから」

理の大樹、そのうち、最下層より奥深く、誰に知られずとも存在していた冥く脆い造りの階層を、ひと知れず守護していた者がある。
高位天使ウリエル。鏡として守護者サラカエルを横に置き、最後の審判という大役を担いながら、密やかに至宝の根幹を守っていた青年。
彼が影ながら至宝の存続に関わっていた事を知る者は少ない。それは、わたし達の中のごく一部しか知らないほどの重要機密だったからだ。
天の軌道を読み、星を目で追い、天候の神々に働きかけて空を支配し、時にそれを逆手に取り地上に災厄という審判を齎した、件の天使。
地母神の手元に置かれ、至宝から距離を取ってなお潜在意識は繋がり合い、彼の体の貧弱さに影響を及ぼすほど双方の因果は深かった。
なのに、彼は神の寵愛を一切受けていない。大樹に関わっていた事を伏せられていたが故に、彼自身もその事実を忘却していた節がある。
ラグナロクの後、彼が人間として生まれ、異質な方法で記憶を取り戻した事は、実のところわたし達にとって驚くべき事態に違いなかった。

「ガブリエル、わたしは彼をも愛おしく思います、ひたむきに至宝を支えた彼を……わたし達は天使としてこれからも奔走する事でしょう。
 ですが、ささやかな望みを叶える事も許されないのでは、わたし達は人間同様の哀れな羊と変わらない。報われる事は悪ではない筈です」

地母神に引き取られた後、彼の身に、同胞達の心に何があったのか。
わたしはその後の治癒の天使の言動と下級天使らの囁きから断片的に情報を知り、苦悩する事になる。
そう、かつての同胞らは各々の使命と思想を掲げ今や対立していた。ミカエルは大神につき、ラファエルは師の言葉通り中立の立場を貫き、
しかしウリエルらを見捨てられず彼らに助力している。一方で、己が欲に焦がれ彼らを敵視するあまり、カマエルは追い込まれつつあった。
そしてウリエルは、最愛の女性を目の前で喪い、それがきっかけとなって心に傷を負っている。わたしは胸が張り裂ける思いだった。
このままではラグナロクの規模とはいかなくとも、互いに争い、身を滅ぼし合う事になる。そんな悲劇だけは避けなければならない。

「わたしはあなたの仰るように、手元の情報とラグナロク跡地から採取した遺物を元にある仮説を立て、ヒトの姿を象り地上に下りました。
 そしてウリエルとその仲間の前に現れ、彼らの道標となるよう羊飼いとして振る舞い、道を示した……あとは時が経つのを待つだけです」
「南方、善き羊飼い。どちらも、前世今代問わず、審判官に纏わる言葉だ」
「ええ。わたしは彼がウリエルとして真に覚醒し、その上で抱える苦痛や苦悩を嚥下して、それでも凛と一人、立つ事を願っているのです。
 至宝の為でもない、審判を下す為でもない。彼が彼として在る事で、至宝の理そのものをひっくり返す事が出来るのではないのか、とね」
「……汝は恐ろしい事を口にしていると理解しているのか、ハニエル。其れは、神に仇なす者の思考だ」
「当然ですよ、ガブリエル。わたしが求むは、改革。かつて孤独であり、鏡として立つ者にしか心を許せなかった彼が世界を望むかどうか。
 ヒトとして世界に立った事で、彼は大切な『友』を得ました、故に世界に失意を抱く事はないでしょう。いつか、本当に目覚める筈です。
 ならば、彼が本来の地位と姿を取り戻すまでの短い間、不請ながらこのわたしがこの地を護りましょう。南方に立つ、善き羊飼いとして」

かつての天上界での暮らし。わたしはミカエルを筆頭に、神々の至宝のうち「歴史より隠されし宝」を守護する複数の護り手の一柱だった。
長い間、悠久を彼らと過ごし、時に笑い、時に涙し、時に柱以外の何者かに恋心を抱いた者の背を見送りながら、わたしは其処に在った。
目を閉じれば、いつでもあの日々を思い出す事が出来る。心と思想を離し、分かたれた道を歩み始めた者があるのも知っていた。
それでも祈らずにはいられない。わたしは、ただ彼らが今も変わらず幸福である事だけを望んでいる。
長く神々に仕える間、笑い合い、慰め合い、それぞれの地位や立場の差はあれど、親しく同じ空間に在った同胞達。
わたしにとっての同僚、友人にして隣人である彼らのさいわいこそ、ラグナロクの後にたった独り、南方の地に逃れたわたしの唯一の願い。

「ご存知ですか、ガブリエル。彼が座す階層には、知識、そして改革を導く星の加護があるという事を」
「……」
「どうやら、ご存知だったようですね。あなたは特定の神に仕えていなかった。自由の身であったあなたなら、わたしの意図が分かる筈」
「何故、そこまでウリエルに固執する。わたくしには、汝の考えが分からない」

わたしは小さく笑った。彼女はとても賢いひとだったけど、時々こうして、混乱するあまり明らかに語尾を震わせる事がある。

「『神は世界を統べる理であり、それ以外は彼らの手足にすぎない』、その固定概念の象徴たる至宝を覆す為に彼の在り方を変えるのです。
 わたしの司る階層、ネツァクは『勝利』の地……第二第三のラグナロクを起こすわけにはいきません。わたしは必ず成し遂げてみせます」

もし、これまでの在り方、神々の取り決めがあの悲劇を起こしたのだとすれば。わたしはなんとしてもそれを食い止めるつもりでいた。
その為ならば、愛しい同胞達の前に立ち塞がるつもりでもいたのだ。その手始めに、わたしはウリエル本人を操るつもりで彼と接触する。

「……とはいえ、現実はそう上手くいきません。今代のウリエルは、わたし達の知る前の彼と比べ、ずいぶんと性格に違いがあるようです」

気難しいのか、ガブリエルがそう口を開いた。そうではありませんよ、わたしはあの気難しそうな顔の少年の姿を思い返して苦笑する。

「彼は友を得ました、しかしその友が厄介だった……あのゼウス様にまで楯突くような、苛烈で喜怒哀楽の振り幅が激しいご友人でしてね」
「ニゼル=アルジルか」
「面識がおありでしたか。ええ、そうです。何故かは分かりませんが、彼にはこちらの考えが見透かされているような気になりましてね」
「……手懐ける魔獣のみならず、審判官、殺戮と友になるくらいなのだ。常識では計り難い、何らかの素質を持つヒトなのだろう」
「だといいのですが」
「何か、気掛かりでもあるのか」
「いえ……」

わたしはもう一度、目を閉じた。
空色の髪、赤紫の瞳。「知恵」の階層を守護していた、ある高位天使の容姿に酷似する青年。偶然だろうか、それとも。

(ウリエルにとっての害とならないのならそれまで。しかし、もし悪しきものであるならば)

目を開いたわたしを、告知天使はまるで睨むような眼差しで見つめている。そう、あの人間は、何故かひとを惹きつける魅力を持っていた。
ガブリエルも「落ちた」といえるのかもしれない。だとすれば、真に警戒すべき存在は大神でもミカエルでもなく、彼、ニゼルの方だ。

「ガブリエル、わたしはもうしばらくこの地に残らなければなりません。必要に応じて、姿は変えるかもしれませんが」
「そうか」
「ええ。時が来たら、あなたの力もお借りするやもしれません。その際は、昔のよしみでご協力願います」

ガブリエルは応えない。彼女は出現したときのように大翼を広げると、ふわりと宙に浮き、わたしに背を向ける。
一瞬、翠と金色の光が交差するように輝いた。反射で閉じてしまった目を開くと、もうそこに告知天使の姿は残っていない。

「あなたは相変わらず、己が使命の規則に厳格ですね」

小さく息を吐き、夜色の空に呼吸を溶かす。まだ計画は始まったばかりだ。焦る事はないと、わたしは心の中で自分に言い聞かせた。
ウリエル達にはなんとしてもカマエル破りの術を成して貰い、星の民の長候補、シリウスを故郷から解放して貰わなければ。
時間は掛かるかもしれないが、これは計画達成の為に避けて通れない手順のひとつ。うまくいく事を密やかに願おう。

(全ては我が同胞らの為、世界を根底より覆す為に――)






「――さて。早いところ、間抜けと合流してやらないと」
「おい、待て待て。テメェ、そんな体で逃げきれると本気で思ってんのか」

虚空を波立たせるのは、カラスの群れだ。廃墟と化した町の中央、元は公園か憩いの広場であったと思わしき場所に二人はいた。
前者は殺戮の天使。息も絶え絶え、もう一人の人影に肩を借り、鳶のように宙を徘徊する鳥の群衆を虚ろな目で睨み上げる。
後者は喰天使。サラカエルを支えてやりながら彼と同じように頭上を見上げ、顔には苦いものを噛んだような表情を浮かべていた。
濁った灰色の空は、次第に黒で埋め尽くされようとしている。くすぶる死の臭い、生き物だったと思わしき残骸がそこらに散らばっていた。
町には死相が満ちている。それだけでなく、殺戮の天使の顔には血の気がなく、立っているだけで精一杯という有り様だった。
ノクトは垂れ下がったサラカエルの右腕に目を向ける。彼が「高位天使の生き血」を抜く為に自ら裂いた傷は、今は確かに塞がっていた。
しかし、血の跡を拭ってやる余裕はない。施した「喰」による応急処置を以ってしても、失われたものを補填してやる事は流石に不可能だ。
自業自得だ、舌打ち混じりに非難すれば、文句ならあの間抜けに言って欲しいね、弱々しい虚勢が返される。

「クソ、クソガキのせいで思いがけず大ピンチってところだな。さてと、どうやってやり過ごすかね」
「知った事じゃないさ……ああ、こんな事なら、あの間抜け面、一発殴っておけばよかった……」
「テメェ、気ぃ失ってる場合か。血を抜くにしたって加減ってモンを考えてやれよ」

羽ばたきの音が聞こえた。見上げた先、黒い翼を生やした天使達が長剣、槍、銛などを手に飛来しようとしている。
単純に、サラカエルの血の臭いと町民の亡骸に引き寄せられていただけのカラス達は、大げさに声を荒げて四方に散っていった。

「おい、転送陣の用意をしておけ。豹の飼い犬くらい、俺が軽く手懐けといてやる」
「無茶言わないで欲しいんだけどね。ただでさえ血が足りなくて、頭が回らないってのに」
「こんなところで俺と心中でも希望してんのか、違うだろ。ウリエルのクソ野郎に泣かれたくなかったら、ちったぁ意地を見せろ」
「全く……『災厄』で潰された町なら、追っ手も何も来ないと思っていたのに」
「それだけカマエルに愛されてんだろ。よかったじゃねぇか」

嬉しくないかな、言い返そうとした矢先、殺戮は喰天使に突き飛ばされ、後退を余儀なくされる。無様に倒れ込む事だけはしないで済んだ。
振り向き様、ノクトの両の手のひらに黒炎が噴き出すのを見る。サラカエルは一瞬歯噛みしてから、足元すぐ近くの地面に手を伸ばした。

(僕とした事が、何故、忘れていたんだ)

黒色にはろくな思い出がない。転送陣を高速で描きながら、殺戮は苦々しい思いで術を紡ぎ出す。
ホワイトセージ……現ウリエル、鳥羽藍夜の故郷にかつて齎された異変。それは、ある一人の堕天使による仕業だった。
たった一人。しかしそのたった一人こそが、街一つを溜め息一つで吹き飛ばすように崩壊させる事を可能とする存在なのだ。
黒色の髪に同色の瞳、背中には闇よりなお黒い大翼。噂でしか知らなかった、ある強力無比な悪魔。その姿が件の街に在った事は事実だ。
「魔王」。天上界に住まう天使の誰もがこぞってそう呼び、恐れ、近寄ろうともしない孤高の元天使。
彼がひとたび人里に姿を見せれば、瞬く間にそこは死骸と死臭に覆い尽くされ、二度と生き物の住めない地に変貌させられてしまうという。
人好きのする笑みを浮かべ、言葉巧みに民衆を扇動し、無数の手下を率いてあらゆる場所に「災厄」を運ぶという、唯一無二の存在。
彼が神々の取り決めで堕天させられて以降、彼の者の起こす災厄は留まる事を知らないと言われていた。
何故、そんなものが存在する事を許されているのか。その理由をふと考えようとして、サラカエルは一瞬術を編み出す手を止める。

(それを言うなら、『殺戮』とて同じ穴の狢だ)

ずっと考えていた、そして思考する事に我を忘れてしまい、うっかり血を抜きすぎてしまったほどだった。
獲物の生き血を抜く事はあれど、自身のそれを自ら採取した事はない。貧血というのも貴重な体験かなと、自嘲で口端を釣り上げる。

「【 ――光あれ、主の御元への扉は今、開かれた 】……繋がったよ、出来立てだ」
「遅ぇぞ、遊び感覚だったんじゃねぇだろうな」

いつもなら嫌みで返すところだが、そんな余力はない。振り向きもせずに後退してくる喰天使を見上げながら、殺戮は前に手を伸ばした。
光の槍を降らせ、カマエルの賛同者らを蹴散らす。否、倒せずとも、逃走までの時間を稼ぐ事が出来ればそれでいい。
ノクトが転送陣の上に立った時、咎めるような叱声が聞こえた。目だけで振り返ったサラカエルは、視界の端、知った金髪を見て首を傾ぐ。

「やあ、『記す天使』。君の統率力のなさには、僕も及ばないらしいね」
「逃げるなんて卑怯ですヨ、殺戮! ヘラ様の慈愛だけでなく、己が命まで惜しむとは――」

――なるほど、やはりそうか……確証に至ったと、殺戮は満足げに微笑んだ。
部下をけしかけるペネムエだったが、逃走者側の術の発動の方がよほど早い。光が曇天を塗り替え、サラカエル達の姿を瞬く間に掻き消す。
転送される最中においても、喚き散らす記す天使の顔を目を逸らさず見据え、殺戮は口を閉じ脳内で思考を巡らせた。

(『赤い豹』と『記す天使』は何かしら繋がっているか、或いは同盟を結んでいるか。どちらかだろうな)

ホワイトセージの中に住民として紛れ込んでいたペネムエ、今になって鳥羽藍夜らに手を出してきたカマエル。
示し合わせたように現れたとは思ったが、やはり裏で繋がっていたかとサラカエルは嘆息する。違和感が一つ、払拭されたような気がした。
彼らにとって、互いの利点とはなんなのだろう。追われる立場になったと、カマエルはこちらの動きを見て気がついたのに違いない。
ならば、術の発動を防ぐ為にペネムエは遣わされたという事か。だとすれば、両者の力関係は赤い豹の方が上という事になる。

「それにしても、妙だな……まるで関連性はなかった筈だけど」
「おい、さっきから何の話だ」
「やあ、盗み聞きかい。君も相変わらず趣味が悪いね」
「声に出てんだよ。人聞きの悪い事を言うな」

転送されながら交わす言葉。サラカエルは、ふと黙り込んだノクトの横顔に目を向けた。何故か喰天使は口をへの字に曲げている。

「よぉ、昔から『触らぬ神に祟りなし』とか『やぶ蛇』とか言うよな。余計な詮索はしない方が身の為だぞ」
「……おかしいな。前にも、似たように警告された事があったような」
「してやっただろうが、わざとか。いいか、テメェらが人間どもとぬくぬくやってる間、それこそ今でも、天上界の一部は機能してんだぞ」

ノクトの言わんとしている事が分からない。サラカエルは、純粋に疑問の眼差しで男を見た。

「カマエルだペネムエだ、そんな小物はどうだっていいんだよ。それよりもっと大きな流れが働いてんだ。そのお綺麗な目、曇らせんなよ」
「分からないな」
「あぁ? おい、せっかくひとが、」
「そうじゃないさ。そうじゃない、何故そこまで僕を……いや、僕達を気に掛けるのかと思ってね」
「……そりゃ、アクラシエルがそっちにいるからに決まってんだろ」
「本当にそうかな。僕には、それだけが理由のようにはとても見えないけどね」

今度こそ押し黙る元同僚を、殺戮はじいと見つめる。カマエルらに対しても抱いていた疑問が、わき水のように湧いてくるのを感じた。
いつしか、転送術は完了に向かいつつある。旅仲間達と合流する前に、話はつけておくべきだと目に力を込めた。

「君が僕達にこだわる理由はなんだい、喰天使。昔からのよしみとか、そんなんじゃないんだろ。君にロード回収を命じたのは何者なんだ」
「……」
「へえ、まさかのだんまりかい」
「……どうだっていい事だろ、そんなもん」
「ウリエルに今後、『それ』が害を成さないとは限らないからね」
「テメェ、またそれかよ! 過保護が過ぎるだろ!」
「ふん、誉め言葉でしかないね」

言え、口に出さずに視線で詰め寄る。喰天使は、まずい事になった、と目で主張した。
彼は、思っている事が案外顔に出るタイプだ。一つ新しい発見だなと、サラカエルは目を細める。

「今は、話す事じゃねぇよ。来たるべき時がきたら、その時教えてやる」
「へえ、いつかは、口を開くつもりがあるってわけだ」
「おい、そりゃ嫌みか。いいか、とにかく、『流れに抗おう』と思うな。テメェらを『観ている』奴はテメェらが思う以上に脅威だからな」

まごう事なき「警告」だと、殺戮は理解した。前から抱いていた疑問、違和感……喰天使が、こちらに関与してくる、その理由。
容易に明かす事が出来ないと断言するほど、彼の上に立つ者は未だ、力を有する者であるらしい。静かに瞬きする事で応えてみせる。

(しかし、ノクト。その返事じゃ、君、『大神より力ある者に自分は今、従っている』と白状したも同じじゃないかな)

ラグナロクは確かに、天上に暮らすものにとって史上稀にみる大災害だった。彼の大神ゼウスでさえ、肉体を失ってしまうほどだったのだ。
そんな災厄の後、喰天使という最も強力な天使の一人を従え、彼が自由に動こうとするのを制止する事をも可能とする存在があるという。
……そんなもの、サラカエルに覚えがある筈がない。

(まずいな。カマエル以前に、俺達はろくでもないものに目をつけられたんじゃないだろうか)

大きな流れ、決して、目には見えぬそれ。たちどころに背筋に這った悪寒に、殺戮の天使は我知らず体を震わせた。
刹那、術の終わりを感じて口を閉ざす。視界に見慣れない宿の一室が移り込み、場所を移し替えたのだと予想を立てた。
唇を噛み、己に喝を入れ直す。大神以上の力を有するもの、そんな存在、人間に太刀打ち出来る筈がない。
気取られ、ノクトを解放してやろうなどと言い出されてはたまったものではなかった。焦燥を表に出さないよう、毅然と前を見る。
何故かは分からない。到着したサラカエルの目に真っ先に映り、内心彼を安堵させたのは、ニゼル=アルジルその人の間の抜けた顔だった。





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 UP:19/01/17