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楽園のおはなし (2-21)

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「……アスモダイ氏は、思ったより使えませんでしたネ」

暗く空気の冷たい屋内に、吹き抜ける強風のようによく通る声が響く。その次に、翼がはためく音がした。
ろうそくの火を頼りに作業に没頭していた男は、有翼のそれが着地し、すぐ隣に歩み寄ってきたところで、ようやく顔を上げる。
強く漂う薔薇の匂いに顔をしかめた。来訪者はにこにこと笑いながら体を前傾させ、男の書き記したものを覗き込む。
訪問の挨拶もなしとは態度が悪い、そもそも度が過ぎた香水など悪臭だ――そう口にするのを堪え、男は視線を机上の書類に戻してやった。

「おやおや? まさかの無視ですか。ちょっと冷た過ぎやしませんか」

わざとらしい嘆きが広い空間を漂う。来訪者の翼が一度、二度はためいた。それは墨で塗り潰したように、濃厚な黒で覆われている。
男は派手に嘆息した。一度でも反応すれば、この天使はしつこく付き纏ってくる質だという事を長いつきあいから把握している。
しかし、無視し続けても横から口を挟んでくるであろう事も分かっていた。集中させて欲しいのだがな、二度目の溜め息は短く吐き出す。

「……ペネムエ、何度も言わせるな。散らした自前の羽根くらい、自分できちんと片付けておくのだぞ」
「相変わらずですネ〜、ワタクシが立ち去れば消失する、いわば残り香のようなものでしょう。そんな寂しい事、言わないで下さいヨ」
「気持ちの問題だ。私は、この崇高なる場に余計なものを置いておきたくないのだよ」

相手をする為に手を止めたわけではない。
何度もインクを継ぎ足し、或いは修理をして使い続ける愛用の万年筆を握ったまま、男は片眉を上げてようやく知人を見た。
余計なものとは随分ですネ、傷ついたとばかりに唇を尖らせた「記す」天使は、勧められるのも待たずに手近な椅子を引き寄せ、腰掛ける。

「崇高な場、ですか〜。アナタにとっては、確かにそうかもしれないですケドネ」
「貴様にとってもそうである筈だろう。愚弄する事は許さんぞ」
「落ち着いて下さいヨ、誰も貶してなんてないでしょう? 『カマエル』、アナタのそういうトコロ、少し見直した方がいいデスヨ」

余計な世話だ、鼻で笑い飛ばしてから男……赤い瞳の天使、カマエルは机上に視線を戻した。
書きかけの図形と数式。それら全ては天上界で密やかに使われていた暗号文字、通称古代語で形成されていて、一見で解読する事は難しい。
崇高な場としてカマエルが崇拝するこの「秘密の建築物」の室内で、これらの文字は歴代の使用者の名の元に静かに継がれ続けている。
今は誰一人として残っていない彼らに思いを馳せるように、カマエルはふと目を細めて遠くを眺め、静かに作業に戻っていった。

「あのですね、カマエル。アナタ、アスモダイ氏については何も思わないので?」

空気を読めないのか、読むつもりがないのか。ペネムエはカマエルの滑らかな筆跡を辿るようにして、首を忙しく小刻みに揺する。
ぱさぱさと視界の端で揺れる金色の髪が煩わしいのか、赤瞳の天使は鬱陶しそうに目線だけを横に投げた。

「堕天使の一人に固執している暇があると思うか。それより、嗅ぎつけられる前に次に移る用意をしなくては」
「ワタクシだって一応堕天使、なんですけどネ……あの一角獣を使った実験デスヨネ? まだ続きが?」
「貴様は私の話を何も聞いていないのか、それとも物忘れが酷いのか、どちらだ?」
「イヤですねえ、ちょっとした冗談デスヨ。もちろん、覚えていますとも」

力関係だけに留めるなら、記す天使は赤瞳の天使には適わない……ように見える。
へらへらと悪びれもせずおどけるペネムエを、カマエルは舐めるような目つきで見つめた。

「『堕天使を材料とする至高の箱の設計図』は、断片的にしか残されていない。ならば、貴様を素材の一つと替えてやってもいいのだぞ」
「イヤですねえ、遠慮しておきますヨ。まだやらなくてはいけない事がありますからネ、アナタならそこはお分かりでしょう?」
「ペネムエ、私は此度の実験こそ、しくじるわけにはいかんのだよ。前に施したものは、モノにならなかったからな」
「……ホワイトセージの変ですか。あれは仕方がなかったのでは? 今も経過観察対象の近くに、色々と面倒なのがいるじゃありませんか」

カマエルの視線の先。記す天使は、三日月のように細長く口を横に裂き、不気味に笑う。赤い豹は、思わず押し黙っていた。

「おやおや、まさかご存知でない、と。アスモダイ氏を退けたのは、あの経過観察対象そのヒトだったそうですよ」
「……人間風情の、元羊飼いだろう」
「カマエル、アナタ、自ら彼を件の実験台に選出していたじゃありませんか。ウリエルの転生体の傍にある、なかなかに特殊な魂だからと。
 どこがどう特殊なのか知らされてませんから、調べようがないですけどね。お陰でご自身の利き手を月天の加護に灼かれたのでしょう?」
「いつの話をしている。手など、この崇高なる場の知識と施設を以って修復すれば良いだけだろう」
「……治したからハイオワリ、とか、そういう問題でもないと思うんですけどねえ」
「放っておけ、たかが人間風情に何が出来る。そうだ……我らこそが、この地に在る事を赦された数少ない存在。羊の悲鳴など価値もない」

立ち上がり、机に手を置き、視線を上へと向ける。
羊皮紙で埋め尽くされた机の向かいは、部屋を隔てる為の透明な板、そしてその奥に、空虚な暗闇ばかりが広がっていた。
よく耳を澄ませば、闇の中から水中を跳ね上がる泡の音が聞こえてくる。さながら深海を切り抜き、無理にこの場に収めたかのようだった。

「失われしもの、忘れられたもの、記憶の隅に押しやられたもの……フフッ、我らの悲願の行く末は、この崇高な地にこそ眠っているのだ」

どこまでも虚無に続く暗がり。それを見上げるカマエルの顔は、興奮と崇拝によって恍惚に浸って歪み、血走らせた両目も見開かれている。
ペネムエは呆れたように嘆息した。自身とて地母神ヘラへの想いをこじらせるがあまり、性根がねじ曲がってしまっている自覚はある。
彼はどうだ……人知れず閉ざされた聖域として存在するこの「秘密の建築物」の中、カマエルもまた、古の神話時代に取り憑かれたままだ。

(アナタが見下し、馬鹿にし、或いは実験道具としてしか捉えていないモノ達と、アナタ自身。そうそう違いはないように見えますケドネ)

暗がりを見る互いの視線は、果たして誰が為の祈りなのか。応えられるかつての所有者らはいないのにと、ペネムエは硝子から目を離した。
目的の為ならば手段を選ばない同僚――同志である筈の男。それを見つめる記す天使の双眸は、これ以上ないほどに冷えきっている。






「――えっと……じゃあ、サラカエルはまだ戻ってないんだ?」
「はい。すみませんニゼルさん、せめて連絡手段だけでも、聞き出しておけばよかったですね」

青紫の光が、部屋に暖かな灯を点していた。靴を脱ぎ捨て、ふくらはぎまで露わになったニゼルの足に、アンブロシアが治癒を施している。
材料集めに勤しんでいたニゼル達だったが、思いのほか目当ての品が見つからず、無駄に宿場町を歩き回った為に足を痛めてしまったのだ。

「だから、僕の瞳術を使った方が早いと言ったろう。ニゼル」

藍夜は寝具に腰を下ろし、不満そうに治療の様子を眺めていた。信用してないわけじゃないんだけどなあと、ニゼルは困り顔で苦笑する。

「サラカエルが言っていたじゃないか、今や、僕達の護衛は彼が半分を担っているようなものなのに」
「いつカマ何とかがちょっかい掛けてくるか、分からないでしょ? だったら、その時まで温存してた方がいいんじゃないかなーと思って」
「しかしね、それで歩き疲れていては元も子もないじゃないか。いざという時に動けなかったら、どうするつもりだったんだい」
「そう? 俺は、張り込み中の探偵やってるみたいで楽しかったけど。歩きながら藍夜とデートも出来るんだし」

親友の目がつり上がるが、そうこうしているうちに、いつしかふくらはぎのむくみと痛みはだいぶん軽減されていた。
ありがとーアン、へらりと笑顔で礼を言い、ニゼルはまだ治療し足りなさそうに見える娘の前で足を上げ、放っていた靴を履き直す。

「なるほど。どうやら君は、全く反省するつもりがないらしいね」
「まあまあ。結局材料は全部集めきれなかったし、サラカエルも帰ってきてないんだし? ゆっくりやっていこうよ」
「しかしね、ニゼル」
「もー、藍夜の悪い癖! 焦ってたって仕方ないでしょ? そんなカリカリしないでよ。じゃっ、俺、琥珀達の様子見てくるねー」
「あっ、ニゼル! 待ちたまえ!」

説教モードに突入しそうだと踏んだ羊飼いは、親友の制止に耳を貸さずに部屋を飛び出した。向かう先は当然、騎獣が泊まっている部屋だ。

(今頃アン、藍夜に八つ当たりされてるんだろうなー)

申し訳ないと思うのも一瞬で、あっという間に目的の部屋の前に立つ。深呼吸してから拳を丸め、小さめのノックで向こうの出方を伺った。
時刻は夜の九の刻を回った頃、もしかしたら寝直しているかもしれない。そんなニゼルの予想に反して、静かに扉は開かれる。
瞬きを繰り返す羊飼いの前に姿を見せたのは、ぐったりと疲労した様子の琥珀だった。目が合うや否や、鷲獅子はすぐ扉を閉めようとする。

「いや! いやいやいや、ちょっと待とう!? 落ち着いて話そう、琥珀!」
「ニジー……僕……」
「ん? 何? どうしたの?」
「ごめん……僕、もう騎獣だからなんてワガママ言わないから……ずたぼろだからって、捨てないで」
「わ、分かったから! 分かったから泣かないで! あともーちょっと贅沢言うなら部屋入れて! ね、ほら、俺でよければ話聞くから!」

気まずそうに伏せられた目から、多量の雫が滴り落ちたのを見てニゼルは慌てふためいた。
取り乱し具合が響いたのか、琥珀は扉を半開きにしたまま室内に戻っていく。
着いていきがてら、羊飼いは素早く周囲に視線を走らせた。どうやら、元凶のシリウスは不在のようであるらしい。

「……せっかくだし、なんか飲む?」
「えっ、琥珀、お茶とか淹れられるの?」
「藍夜の見てて覚えたから……ホントにやってみた事は、ないんだケド」

小さく頷いた獣の後に続き、奥の簡単なキッチンでその様子を見守る。と、琥珀は缶をおもむろに傾け、一気に茶葉をポットに流し込んだ。
思わず噴き出し、ニゼルは慌てて彼女を止める。確か、この茶葉はシリウスが皆で使えるようにとそこそこ高価なものを選んでいた筈だ。
肩を掴まれ、緩慢な動きで羊飼いに振り向く鷲獅子の目は困惑と疲弊に満ちていた。これは重症だ、ニゼルは座っているように指示を出す。
代わりに茶を淹れてやる事にした。いくら大ざっぱな性格とはいえ、あの淹れ方は酷すぎる。混乱と恐怖で戸惑っているのに違いない。

(カマ何とかより先に、まずシリウスを捕まえてやらなきゃかなー)

カップを手渡してやると、琥珀は素直にそれを口に運んだ。音を立てて啜る作法については、この際見なかった事にする。

「どう、美味しい?」
「……よく、分かんない。でもありがと、暖まったよ。ニジー」
「あはは、分かんないんだ。いいよいいよ、大丈夫。それで……どう、体とか。痛いところとかない?」

尋ねるや否や、ニゼルは何度も目を瞬かせる事になった。ソーサーを両手できゅっと持ちながら、鷲獅子は顔を耳まで真っ赤に染める。
予想外の反応だった。内心では「お? その反応は!?」とわくわくし始める自分がいたが、こほんと咳払いして自らを諫めておく。

「えっとー。琥珀? 大丈夫?」
「う、あ、う、ウン。だ、だいじょーぶ」
「本当? 何か言いたい事があったら、話聞くよ?」
「に、ニジー……」
「うん? 大丈夫、なんなら藍夜にも秘密にしておくから」

いっそ「契約」して保証してもいいよ、二の句は吐き出されない。顔を紅くした琥珀は、ぷるぷると体を震わせて顔を俯かせた。
どこからどう見ても「悪い」反応ではなさそうだ――親友には無神経だよと窘められそうだと思ったニゼルだが、好奇心には抗えない。
思い詰めたように勢いよく顔を上げた琥珀の顔が、疑念のそれに変わっていく。無意識に、両目はきらきらと期待に輝いていたらしかった。

「やっぱヤダ、言わないっ」
「えっ、なんで。教えてよ」
「だ、だって……な、なんか、僕、おかしくなっちゃったみたいなんだもん。ヘンな事、言いたくないよ」
「おかしい? えー、俺から見たらただ『あー、初々しいなー可愛いなー』ってだけだけど」
「やっ、やめてよ、ニジーまでそんな事言うの!」
「俺まで? シリウスに何か言われたの」
「い、いや、あの、それは……」

琥珀は、もごもごと口ごもり、落ち着きなくソーサーを指で回し、部屋のあちこちに視線を走らせ、最後にちらと上目遣いでニゼルを見た。
カマエルの術中に落ちていたとはいえ、不在のシリウスに優越感を抱いてしまう。彼女のこれほど可愛らしい様を見るのは、初めてだった。

「か、可愛いって……お、お前が好きだって……で、でも絶対お世辞だし。僕、可愛いとか、そんなキャラじゃないし……絶対、寝言だよ」

涙目、赤面、うろたえ、挙動不審。昨夜の一連の出来事を思い出したのか、頭を抱えて羞恥に悶える鷲獅子の、なんと愛らしい事か。
これを可愛いと言わずしてどう例えろというのだろう。ニゼルはまるで親にでもなった気分で、うんうんと何度も頷いた。
微笑ましい、そう思うと同時に、やはり二匹は互いに好き合っていたのだろうと確信する。
術の作用だけでは、穢れを厭う種族の筆頭であるシリウスが、彼女を無理やりにでも手に入れようとするわけがない。

「ねえ琥珀。琥珀はさ、シリウスにそうされて、嫌だった?」
「……ぇ、」
「うん。だからね、どう……うーん、気持ちの問題だよね。嫌だったのかなあって」

何を言われたのか分からない、琥珀はそういう顔をした。促すようににこりと微笑み、首を縦に振ってみせると、再び獣は顔を紅くする。

「い、いや、っていうか」
「琥珀は嫌だった?」
「そ、そうじゃなくて……なんか、ケツが、知らない誰かみたいで」
「うん。それは、怖かったよね」
「怖い……っていうか、あの、僕、やだって言ったのにやめてくれなかったし」
「うん。それで?」
「だから……その、ああいうのがイヤなんじゃなくて……うわぁっ、やめようよニジー! よく分かんないケド、なんかソワソワする!!」

やおら立ち上がり、素足で地団駄を踏みながら鷲獅子は喚き散らした。それすら可愛いなあと、ニゼルは自然と頬を緩めてしまう。
琥珀自身はそれどころではないらしく、頭を抱えて床に座り込んだ。ううだのああだの、小さな声が支離滅裂な言い訳を繰り返している。

「琥珀。ああいう事はね、普通、好きなひととしかしないものなんだよ。特に、シリウスみたいに真面目な子はね。だから、大丈夫だよ」
「で、でも……様子、ヘンだったし。いつものケツじゃなかったよ……」
「うーん。えっと、琥珀が好き過ぎて我慢の限界だったんじゃない? 男のひと、っていうか雄も大変なんだよー」
「わああ、もう! やめてってばニジー!!」
「あはは、ごめんごめん。……琥珀は、多分びっくりしちゃっただけだよ。心の準備とか? そういうの、ゆっくり欲しかったよね」
「……うん」

小声ながらも、鷲獅子はニゼルの問いかけに同意した。実年齢は別として、琥珀は精神的にまだ幼い。好き同士とはいえ混乱しただろう。
慰めるよう、宥めるように、しゃがんだままの獣の頭を優しく撫でる。未だにほんのりと頬を紅くしたまま、琥珀はニゼルを見上げた。

「ニジー……僕、ケツに嫌われちゃったのかな。起きたらいなかったんだよね」
「うーん。俺の予想だけど、気まずかったんじゃない? やり逃げなんて卑怯者のする事だから、戻ったら藍夜に説教して貰わなきゃかな」
「ま、待ってよ。だって、僕が昨日すっごくケツにぎゅーってしがみついて……おかしくなっちゃったから、気まずいんでしょ……」
「……ねえ、琥珀。それ、シリウスと藍夜の前で言わない方がいいと思うよ?」
「エ、なんで?」
「えっと……あはは、また大変な事になりそうだから。男の勘?」

カマエルの事もある。シリウスとて成獣なのだから、危ない真似をする事はない筈だ……ニゼルはそう説明し、落ち着くよう琥珀を諭した。
元々、彼女は素直な性格だ。こくんと可愛らしく頷き、促されるままに立ち上がった鷲獅子は、勧められるまま寝具に潜り込む。
見れば、琥珀の服やシーツなどはとっくに新しいものに交換してあった。置き手紙などもない事から、すぐ戻る気なのだろうと推測する。
驚くほど早く寝息は立てられた。軽く洗われてあったのか、しっとりと濡れた黒髪を指で梳いてやりながら羊飼いは誰にともなく嘆息する。
身を許し、心も委ね、傍らに眠るもの。こういった姿を眺めるのも事後の楽しみだろうに――俺には言われたくないだろうなと、頭を振った。

(うん、いやね? 本気でやり逃げするつもりなら絶対許さないけど……シリウスには俺との契約があるからなあ)

逃げるような雄ではない筈だ、そもそも自尊心の高い彼がそんな事をするとは思えない。結局は惚れた弱みだろうなとしみじみしてしまう。
安心しきった顔で寝ていた琥珀が、いつも通り派手に寝返りを打ち始めた頃。ぼうっとしていたニゼルの耳に、微かな金属音が届いた。
音の出所に目を向ければ、どこでどう調達したのか、服や食料を大量に詰めた紙袋を抱えたシリウスが、部屋に戻ってきたのが見える。
目が合った瞬間、彼は「気まずい」と引きつった顔で主張した。もっと言えば、「何故お前がここに」という非難も含まれている気もする。

「……ニゼル=アルジル。何故、お前がここにいる」

予想通りの返答に、ニゼルはにこにこと気持ちのいい笑顔を返してみる事にした。分かってる癖に、とは口にしてやらない。

「さあ? 自分の胸にじーっくり聞いてみたらいいんじゃない?」
「怒っているのか」
「俺は怒ってないよ、俺はね。とりあえず、琥珀を気遣うのも大事だけど、琥珀は藍夜の騎獣だから藍夜には謝っておいた方がいいと思うよ」
「鳥羽藍夜、か」

今度こそ、一角獣は気まずそうに目を伏せる。意外にも、顔を上げたとき、彼の眼差しは真摯で曇りのない光を宿していた。

「俺は、後悔はしていない。責任は取るつもりだ」
「あ、そうなの? ふーん。獣同士で結婚とか、どうやるのか俺は知らないけど」
「……俺の里の者は、そいつと同じようにヒト型で多くを過ごす。婚礼の儀も、しきたりとしてあるにはあるんだ」

ニゼルは驚いて片眉を上げる。実をいえば、二匹の様子を見てカマエルの術が発動していた事実を話そうと思っていたのだ。
だというのに、予想に反してシリウス自らが帰郷すると言い出した。それも、天敵である鷲獅子を妻として認めさせる、その為に。

「……なんだ、その目は」
「え? あ、顔に出てたか。えっと、堅物というか真面目というか、シリウスって将来苦労しそうだなーと思って」
「そいつを伴侶として迎えようという時点で、もう苦労している」
「あー、それはあるかもね」

羊飼いは隠さず、くすくすと失笑する。今や、琥珀は二匹が使っているであろうベッドに大の字になり、場所を占拠してしまっていた。
シリウスは大きく嘆息する。この寝姿さえ愛しくて仕方ないんだろうなあ、ニゼルはにやにやと自身の騎獣の困り顔を見つめた。

「これ、琥珀は朝までぐっすりだろうし。俺が見ておくから、シリウスも少しは休んだら?」
「変な気遣いは止せ。それより、お前も休んだ方がいいんじゃないのか」
「うーん。俺、昔から早寝早起きが習慣づいてるからあんまり寝なくても平気なんだよね。寝たくなったら予備ので寝るから、大丈夫だよ」
「……おい、それは、俺はこれの隣で寝ろと言う事か」

珍しく、目に見えて一角獣は狼狽している。その様子があまりにも予想外過ぎて、愛らしく見えて、羊飼いはまたしても噴き出していた。

「伴侶に迎えるんでしょ。琥珀は、里のひと達から間違いなく反対される種族だろうし……今のうちに、慣れておいた方がいいよ」

……どのみち、カマエルは里に何らかの形で関わっている筈だ。帰郷させるにしても、時期は考えて貰わなければならないだろう。
納得がいかないという風に僅かに赤面したシリウスを、ニゼルはささやかな悪意を混ぜた微笑みで見上げた。彼はばつの悪い顔をする。
これほど純粋で純情な彼らの恋は、是非とも成就して貰いたい。その為にも、明日から本格的に策を立ててやらなければならないと思えた。
一角獣の荷物を半ば強奪するようにして、羊飼いは騎獣を寝具の方へと押しやる。全ては明日以降――次なる目標に、心が躍った。





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 UP:18/12/30