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楽園のおはなし (2-19)

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「……おや、あれは」

天使時代の記憶を元に、気付け薬の材料をたっぷりと買い込んだ帰り。
藍夜がふと目にしたのは、騎獣達が泊まる部屋の前に一人立ち尽くすアンブロシアの背中だった。
ニゼルが悪さでもしたかな、喉から出かけた言葉を飲み込みつかつかと近寄る。はっと振り向く娘の顔は、何故かほんのりと紅潮していた。

「アンブロシア、用があるなら入ったらどうだい。ニゼルも中にいるのだろ」
「あっ、あの、でも、藍夜さんっ。ちょ、ちょっと待って下さ、」

慌てふためくアンブロシアを無視して、藍夜は何の気もなしに扉を開く。部屋に入ろうとした直後、オフィキリナス店主は固まった。
騎獣達にあてがわれた部屋。そこに滞留する特有の臭い、籠もりきった熱、くぐもった声、むき出しの肢体、震動、寝具の上に見えるもの。
思考停止、後にすぐに再起動が掛かる。言葉もない。高熱で倒れ伏していた筈の一角獣が、鷲獅子の娘を「食」べていた――

「――っ、」
「◆○△■?♪☆▼〜〜〜ッッ!!」
「おっ、落ち着きたまえアンブロシア! 分かった、僕が悪かったから!!」

何か口に出かけた瞬間、顔を真っ赤に染めたアンブロシアにがばっと飛びつかれ、藍夜は大慌てで扉を閉め、廊下に戻る。
娘は半ば錯乱していて、何を言っているのかまるで理解出来ない。天使語でもなんでもなく、彼女はただ混乱しきっているようだった。
落ち着きたまえ、冷静に、何度もそう言い聞かせ肩を叩く。同時に、自分もまたかなり混乱しているのだと知った。
こめかみに指を押し当て、逆の手で半泣き状態のアンブロシアの頭を撫でてやりながら、藍夜はひとまず現状を纏めてみる事にする。

「……ニゼルは、サラカエルはどうしているんだい。アンブロシア」
「ううううっ、あうううっ」
「すまない、聞いた僕が悪かった」

いつの間にやら大時化だった。ぐずぐずと盛大に泣きじゃくられ、途方に暮れる。
するとどうだ、気が付けば廊下に出てきた余所の客達が、ひそひそと声を潜ませ、怪しいものを見る目でこちらを観察し始めたではないか。
藍夜ははっと振り向くが、さも恋人に捨てられそうになっているという体のアンブロシアは、しっかりと店主の服を掴んで離さない。
どう見ても、自分が悪者状態だった。
途端にかっと顔が熱くなり、我を忘れ娘の手を掴む。最早言い訳する事すら思いつかず、ふらつく天使を引きずって、藍夜は廊下を走った。

「何故……何故、こんな事に!」

羞恥と屈辱で頭がぐらぐら沸いている。有無をいわさずアンブロシアを同行させ、藍夜はサラカエルらが泊まっていた部屋の扉を叩いた。

「ニゼル、サラカエル! いるんだろう、出てきたまえ! 話がある!」

呑気に構えている場合ではないと、返事を待たずして扉を開く。
何故か友人と対天使は寝具の上に二人でいて、ニゼルは顎を、サラカエルはこめかみを手で押さえ、それぞれ顔をしかめていた。

「うう、いっつぅ。藍夜、おかえりぃ……」
「やあ、ウリエル」
「ああ、ただいま……じゃない、君達は何をやっているんだい。シリウス達を見ているように頼んでおいたじゃないか」

どことなく気まずい気配を感じて、藍夜はひっそりと怒気を潜める。未だ泣いているアンブロシアをちらと見て、嘆息してから歩み寄った。
サラカエルは一度長く嘆息して、長い髪を手で背中側に払い、寝具の前に立つ対存在をじっと見上げる。
見下ろしながら、鳥羽藍夜の器から見れば彼とは結構な身長差があったのだと、藍夜は何やら新鮮な感覚を抱いた。

「それで、一体ここで何をしていたんだい。さっき琥珀達の部屋に寄ったがね、いや、うん、その……」
「状況なら今、だいたい掴んだよ。これでこの町に二、三日は残らなきゃならなくなった」

殺戮はうんざりしたように手のひらを寝具に放り投げる。ここで、顎をさすり、目尻に涙を滲ませていたニゼルがぱっと我に返った。

「ちょっと! 藍夜どうしたの、なんでアンを泣かせてるの?」
「君もかい、ニゼル。そうか、そんなに僕は男として信用がないと」
「あう、ニゼルさん……」
「ああもう、ほら、拭いて拭いて。ほらほら、もー大丈夫だからねー、怖くないよー?」

聞き捨てならないという風に友人にじろりと睨む藍夜だが、ニゼルはそれを無視してベッドから降り、アンブロシアの元に駆け寄っていく。
完全に蚊帳の外だ、誤解さえされているかもしれない。どことなく態度が素っ気ないように感じられた。
よしよしと子供をあやすように天使を慰める羊飼いから目を逸らし、藍夜はサラカエルと目を合わせ、互いに諦めたように嘆息する。

「……って、あ、そうだ。琥珀とシリウスがどうかしたの?」
「いや、ニゼル、君ね」
「だってアンはめちゃくちゃ泣いてるし、藍夜はカンカンだし。俺、人間だからね? 言葉で説明してくれないと何も分かんないからね?」

何なら今からでも見に行こうかな、そう言って退室しようとするニゼルの腕を必死に掴み、アンブロシアはちぎれる勢いで首を横に振った。
当然、ニゼルはわけが分からないという顔をする。その隙に娘は通せんぼをするように青年の前へ回り込み、扉と彼の間に立ち塞がった。
ニゼルから困惑と非難半々を滲ませた視線が飛んでくる。内容が内容だけに言い出しにくい、藍夜は口をもごもごさせた。

「……君の騎獣とウリエルの騎獣が、部屋で絶賛交尾中なんだよ。わざわざ言わせないで欲しいな」
「へ? えっ? 交尾?」
「そっ、そんな、サラカエルさん!」
「サラカエル。君ね、もう少し言い方ってものが」

投げやりに言い捨てた殺戮は、朝よりなお不機嫌さに拍車が掛かっている。慌てふためくアンブロシアを、彼は鬱陶しそうな目で見つめた。
不在の間に何があったか知らない藍夜は、首を傾げるより他にない。とはいえ、友人と対天使の間で何か一悶着あったのは確かだろう。
聞くのは後だと、琥珀達の部屋で見た事を――直球な表現を避けて簡単に説明する。終わるまでの間、ニゼルは目を忙しなく瞬かせていた。

「そっか。琥珀達、ほんとにしてたんだ……」
「ああ。昨夜から今朝にかけ、そんな兆候はまるで見られなかったのだがね」
「うん。お互い、気になってるんだろうなあとは思ってたけど」

ふとニゼルは意味深にサラカエルを見る。釣られるようにして視線を向ければ、殺戮は眉根を寄せながら瞳術を行使している最中だった。

「サラカエル、何か気掛かりな事でもあるのかい」
「あ、えっと、あのね、藍夜。サラカエルは、シリウスがおかしくなったのには何か理由があるんじゃないかって」
「理由?」
「うん。不自然だから、さっき調べてみるって言われてたんだ。けどサラカエルも具合悪そうだったでしょ? 少し休んで貰ったんだよね」

サラカエルからの嫌みは飛んでこない。集中しているのだろうと、特に問いつめずに藍夜はニゼルの言葉に頷き返す。
とはいえ、あの殺戮が素直に友人の勧めに応えたという話が、藍夜には意外に思えた。よほど仲良くなったのだろうと、しみじみ頷く。

(だからといって、これを機に僕をおざなりにしないで貰いたいところだがね……いや、何を考えているんだ、僕は)

自分の狭量さには呆れてしまった。藍夜がそうして小さな自己嫌悪に嘆息している最中、室内に微かに歯噛みの音が響く。
音の出所はサラカエルだ。皆に一斉に視線を向けられ、殺戮の天使は居心地悪そうに顔をしかめて首を傾げる。
彼の右瞳が、瑠璃から夜色に戻された。短い嘆息を吐いただけで黙り込み始めるサラカエルに、じれったいとばかりにニゼルが声を掛ける。

「それで、サラカエル。なんでシリウスは、あんな事になっちゃったの」

実際にじれったいと思ったのだろう、友人の声には咎めるような音が含まれていた。
殺戮は口を一文字に結び、さも答えたくないといった反応を見せる。藍夜は眉根を寄せた。
ものをはっきり言う質である彼が言いよどむという事は、シリウスの件は人智の及ばぬところ――天使か神々絡みの問題ではないのか。
深くは聞いてくれないでおくれよニゼル、そう心の中から話しかけたところで、当の友人に通じるわけもない。
ニゼルは納得いかない、とばかりに眉間に皺を寄せている。

「サラカエル。もしもーし、聞いてる?」
「やあ、聞こえてるさ、言われなくても」
「だったら、」
「今回の件は、君の手に負えない案件なんだよ。ウリエル、『赤い豹』を覚えているかい」
「赤い豹……高位天使カマエルか」
「天使? カマエル? え、何、シリウスは天使に何かされたって事?」
「君の手に負えないと言っただろ。引っ込んでて欲しいんだけどね」
「ちょっと、忘れたわけじゃないよね? シリウスは俺の騎獣なんだけど。知る権利くらい、俺にもあると思うんだけど」

睨み合う赤紫と二色の瞳。藍夜は思わず頭を抱えてしまった。

「……カマエルは僕の同期です。知的好奇心の強い天使でしてね、恐らくシリウスさんは長い事、研究対象として狙われていたのでしょう」

ふと響いた声は、金緑の光を宙に散らしている。振り返れば、いつしか部屋の中に見知った顔が二つ佇んでいた。

「ラファエル先生。それに、」
「うわぁ、また出た! 不倫大好き薔薇臭キザ男!!」
「……ラファエル、『ばらしゅう』とは何を指す単語だ? 人間の流行り言葉かな」

最早ニゼルの暴言を窘める気になれず、藍夜は頭を振る。転移直後の一連のやりとりを見て、治癒の天使はインディコールに苦笑を返した。

「先生、お戻りでしたか、お疲れ様でした。もしや、先生の急患というのは」
「サラカエル、君こそ大変だったね。うん……そう、ゼウス様は先に帝国首都に入られていたそうなんだが、暴漢に襲われたという話でね」
「鳥羽藍夜君が身なりのいい者、容姿の整った者に複数で行動するよう指示したのは、帝国の貧困格差によるものというわけだ」

ラファエルが皆まで言い終えるより、インディコール――大神ゼウスは、袖を捲り、傷跡一つ残らない右腕を見せながら不敵に笑ってみせる。
どうりで最近姿を見かけないと思ったら、考えていた事は同じであったようで、藍夜とニゼルは無意識に目を見合わせていた。
サラカエルはわざとらしく嘆息して、部屋の隅から立派な椅子を引っ張り出し、兄弟子と大神に着席するように勧める。
腰を下ろしたのはゼウスの方だけだった。不敬全開にべー、と舌を出す友人を、今回ばかりは流石に藍夜も小声で窘めておく。

「話はミカエルを通じて聞いているよ。星の民、それも次期長候補に目をつけるとは……カマエルも恐れ知らずなものだ」
「次期長? 誰が?」
「ふ、無論シリウス君の事さ。里の中で最も魔力が高く、肉体的にも魅力溢れる年頃の……雇用していて気がつかなかったのかな、ニゼル君」
「うわぁ……まさかシリウスの事まで狙ってるんじゃないよね? 節操なさすぎ!」
「ニゼル。君、顔にも口にも考えている事が出ているが」
「だって、なんかこいつに言われるとムカつくんだもん」
「それで先生、ゼウス『様』。カマエルの狙いとは何なのです。見当もつかない僕に教えて貰えませんか」

藍夜とニゼルは二度、目を見合わせた。目上に対しても嫌みを飛ばした殺戮は、にこにこといつものわざとらしい笑みを浮かべている。
窘めるラファエルの声さえも涼しげに受け流し、サラカエルは大神を正面きって見下ろしていた。
あからさまな私怨。思い当たる節があるのか、ゼウスは片眉を上げてこれを受け止め、やれやれとばかりに頭を振って見せる。

「奴が生物学を齧っている事は知っているな。どうもそれを悪用……いや、神への供物の一環として成果を挙げようとしているらしい」
「漠然としていて掴み所のない話ですね」
「聞け、サラカエル。星の民の魔力の高さについては周知の通りだが、これまで連中は里を外界より閉ざし、身内でのみ繁殖を続けてきた」
「シリウスも似たような事、言ってたっけ……最近になって長の命令で余所の血を引き入れてる、シリウスがそれを手伝ってるって」

大神は嫌みも尊大さも一切見せず、強く頷いた。黒みを帯びた青瞳は、まっすぐに一行の顔を見つめている。

「要点はそこだ。余所の血、それも、星の民に劣らぬ高い魔力を有する他種族の血。掛け合わせる事で、より強い種が生まれる事もある」
「え? それってつまりは、雑種って事だよね?」
「ニゼル=アルジル。君の指摘は最もだが、雑種にしろ混血にしろ、数は多い方が統計を取りやすい。そしてときに、雑種は丈夫で頑丈だ。
 生ませた後にじっくり調査しても、多少の事では壊れまい。何かあっても、同じ配合を試す事も出来る……ヒッポグリフが良い例だろう」

見透かされているように思えた。無意識に体を強張らせる藍夜に対し、ニゼルはいつものようにぼうっとしたような顔でゼウスを眺める。

「なんかあれだよね、普段からそんな風にちゃんとしてればいいのに」

意外にも、友人が初めて大神にまともな意見を言い放った。

「あ、俺から言わせて貰えば、結局は浮気平気薔薇臭キザ男っていうのに変わりないけどね?」
「ニゼル……君ね」
「ふ、君からの評価については心に留めておく事にしよう。それで君達は今現在、大変に困っているのではないかと見受けるが、どうかな」

ゼウスは意味深に微笑んでいる。堂々とした振る舞いはしかし、地母神ヘラのそれとは醸し出す雰囲気が異なるように見えた。

「シリウス君にカマエルが何がしかの措置を施したのは間違いない。しかし、今の君達にカマエルの潜伏先までは分かるまい?」
「……何それ? こっちには、藍夜とサラカエルの瞳術があるし。ね、藍夜」
「天使間、それも同等の位では精度が落ちる事もある。そうだろう、ウリエル、サラカエル」
「ま、仰る通りですね」
「ええー、そんな、こいつに貸しを作んなきゃいけないの?」
「カマエルは『探索』の術に優れる天使。探られている事を逆手にとれば、それから『身を隠す』事も出来るというわけだ。困った事にね」

好きに言い終えると同時、大神は懐から巻物を一つ取り出し、藍夜にぽんと放る。
慌てて受け取り、促されるままに開いてみれば、中には見慣れた古代語がびっしりとしたためられていた。
覗き込んでくる殺戮と無言で頷き合い、視線をゼウスに戻す。その横で、同じように紙を見ていたニゼルは首を傾げ続けていた。

「ふ、天使には読めるだろう? 天上界において、古くから暗号として親しまれてきた文字だ」
「はいはい、どーせ俺はただの人間ですよー」
「ニゼル。必要なら僕が翻訳するから、そう言うものじゃないよ」
「やったー! へへ、約束だからね、藍夜!」
「……それで、ゼウス様。これらの薬草と術の手順、何の効果があるんです」
「カマエルの逆探索術を破り、複数名で星の民の里に転送が成される特殊転移術だよ、サラカエル。ゼウス様にお願いして僕が纏めたんだ」

ラファエルが大神の言葉を継ぐ。ゼウスは、満足げに大きく首を縦に振った。

「複数名。つまり、君達一行がカマエルに直接報復に赴く事が出来ると。そういう事だ」
「はあ。報復って……どうせ、キザ男は行く気ないんでしょ?」
「その通りだ、ニゼル君。だが君も、自分の大切な騎獣を好きに扱われていい気はしていないだろう?」
「そりゃそうだけど、なんかうまく転がされてるみたいで気分悪いなあ。キザ男は俺達にその術? を託して、何かメリットでもあるの?」
「それならミカエルをはじめとした手札を切った方がよほど早い。わたしもまた、カマエルが個人的に気に入らないだけなのだよ」

事が済んだら、シリウスを問い詰めるつもりでいた事は確かだ。しかし、安易に大神に恩を売って良いものかと藍夜は逡巡する。
サラカエルも同意のようで、ずっと黙り込んだままでいた。一方、ニゼルだけは大神を正面からじっと見下ろしている。
どうやら友人はすっかりその気になってしまっているらしい――止めても無駄かと、二人の対天使は嘆息した。






『……ま、あに……ま、兄様。シリウスの兄様』
『エライ?』
『兄様。大好きですわ、この世界の、何よりも。誰よりも――』

……長い夢を見ていた、そう自覚して我に返る。はじめに視界に入ったのは、実妹ではなく、気を失っている一人の少女だった。
躍動感溢れ、いっそ野蛮でさえある体は、今は酷く大人しい。長い髪も、血色の悪く見える肌も、全てが汗でじっとりと濡れている。
荒い呼吸が落ち着くのを待ってから、ゆっくりと周囲を見渡した。宿泊予定だった部屋、散乱する荷物に衣服、籠もった熱と気だるげな体。
シリウスは、これが現実か、それとも夢なのかが理解出来ず、一度静かに瞬きしてから自身と少女を見下ろしてみる。

「――俺は、いったい何を、」

何故、こんな事になっているのか。思い返そうとしても、記憶が朧気で全てを把握する事が出来ない。
旅の途中で出会った空色の髪の男、それの連れである鷲獅子の娘。里に頻繁に訪れていた赤い眼の天使……思考が回らず、混乱していた。

(あの時……あの天使と会って、そして……夜になってから、体が急に熱くなったのだったな)

不調そうだと心配され、宿に連れ戻されて深い眠りに落ち……そこから先が思い出せない。ただ記憶が曖昧に途切れている事だけは分かる。

「……何故、こんな事に。どうしてお前は、俺などに抱かれていたんだ」

最早、言い逃れの出来ない現状が眼下にあった。緩慢な動きで鷲獅子から離れ、剥かれた体に毛布を被せてやり、大きく息を吐く。
疲れていた、そして同時に満足していた。自覚するや否や、強烈な嫌悪感が全身を駆け巡り、一角獣は自らの口を手で覆う。
穢れを受けつけないという種でありながら、最も嫌悪していた筈の魔獣と体を交えた。驚愕に身が震える。自分で自分が信じられなかった。
それでも行為に耽ったのは他でもない、自分自身だ。怖々と手を伸ばし、慰めるように、宥めるようにして、琥珀の頭を撫でてやる。

「……エライ。お前は今、無事なのか」

急に、里に残してきた家族の安否が気になった。夢のお告げというべきか、不安と不信が胸中をざわつかせる。
夢の中で、自分は妹に会っていた。それだけは確かな事だ、実妹は幸せそうに笑んでいたように思う。

『兄様(あにさま)』

美しい声色が、今も鼓膜に残されていた。この魔獣の怒鳴り声とはえらい違いだ、自嘲も込めてくつくつと失笑する。
ふと、小さな呻きが聞こえて息を潜めた。ごろりと寝返りをうち、鷲獅子の娘は眉間に微かな皺を刻みながら眠りこけている。
滑らかな肌、筋肉質な肢体。破瓜も迎えていない体は、成熟にはほど遠かった。余所にはもっと上等な雌もいただろうにと、しみじみ思う。

「目が覚めたら……お前は逆上して俺を食べでもするのか。獣(けだもの)」

果たして、どちらが獣なのか。
寝具に点々と散らされた紅い華に眉根を寄せた。不思議と嫌悪感は生じない。触れてみると、既にそれはシーツにこびつき乾ききっている。
どのように貪ったのか……その感触がぼんやりと霞掛かっているのが、酷く残念な事のように思えた。
それでも、体にしかと残る倦怠感と充足感だけが、それらが現実に行われたものである事を立証してくれている。

「お前に喰われて終わるなら……それも悪くない、か。いや、エライの事は……せめて、それだけは許してくれよ」

船を漕ぎながら、シリウスは旅仲間達の現状も心持ちも知らないままに、既に「愛しい」存在へと変貌していた少女に手を伸ばす。
硬めの髪が心地よく指先をすり抜けていった。誰にも、何者にも邪魔をされたくない……そんな独占的な欲望が、沸々と頭に沸いてくる。

「『琥珀』。それが、お前の名だったな。いつか、お前も俺の名も呼んでくれるか」

答えは返されない。一角獣は、余韻に浸るよう、蒼水晶の角で娘の肌を撫でるイメージで、互いの額を静かに重ねた。
衣一つ纏わない艶めく肌。その首元に飾られた古代琥珀が、二匹を優しく見守るように、暖かな光を暗がりに零し続けている。





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 UP:18/12/13