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楽園のおはなし (2-17) BACK / TOP / NEXT |
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そのとき、藍夜は使用していた金匙の羅針盤が描く軌道を、指でなぞり終えた後だった。素早くしまい込んだ直後に変化は訪れる。 「歯ぁ〜食い縛れっ!!」 一角獣が扉を開けると同時、彼の顔目掛けて枕が飛ぶ。いつものシリウスであれば避けるか受け止めるかする筈だが、その日は直撃だった。 黙ってそれを見守る一行だったが、ぽてんと軽い音を立てて枕が絨毯に落ちた瞬間、真っ先にニゼルが投げつけた犯人、琥珀を咎める。 「こーはーくー?」 苦笑のような怒気のような、複雑な笑みが顔面に浮いた。一方シリウスはシリウスで、枕を静かに拾い上げ、埃を叩き落としている。 藍夜は、グリフォンの娘がぶすっとむくれながら友人を睨み返したのを見た。板挟みも辛いものだねニゼル、とは口にしない事にする。 「もー、シリウスが大好きなのは分かったけど、枕に八つ当たりしたら駄目でしょー? 宿屋のものなんだから」 「何ソレ、ニジーまでヘンな事言わないでよ! 僕は、こんなヤツなんか大っ嫌いなの!」 藍夜は再び一角獣を盗み見た。大嫌いか、とどこか沈んだ声がぽつりと漏らされる。対し、琥珀は顔を真っ赤にして舌を突き出していた。 彼らくらい「分かりやすく」あれたなら、ニゲラと想いが通じ合う事もあったのだろうか……頭を振る。自分も大概だなと嘆息した。 ニゼルの笑みは絶えない。反省はしているのか、雇用主をちらと見るシリウスは体を小さくしている。羊飼いの目は、一角獣に向けられた。 「変な事、ねえ。っていうか、シリウスおかえりー。琥珀ねえ、凄く心配してたんだよ。せめていつ帰るかくらいは言っていかないと」 「それもそうだな。すまん」 「違うでしょ、ニジー! 僕は心配なんかしてないし、ケツは僕にすっごくヘンな寝言抜かしたんだから、ソッチの方を叱ってやってよ!」 「変な寝言。どういうの?」 「おい……」 「コイツ、僕に『お前は殺戮の天使の事が好きなんだろう』とか言ったんだよ! ないない絶対ない! ねえねえ、ヒドいと思うでしょ!?」 どちらかといえば絶対ない、と断言する方が「ない」と男として藍夜は悲しく思う。対天使の方は啜っていた紅茶を噴き出していた。 「そうなんだ? へえ、シリウスがそんな事言ったんだ。ふーん、へー。で、サラカエルは?」 「……やあ、どうしてそこで僕に振るかな」 「そりゃ、一応当事者だし。シリウスと琥珀の心情っていうのもあるし? それともサラカエルは、誰か好きな人とかいるの?」 藍夜はわざとらしく大きく咳払いしてみせたが、ニゼルの目は好奇心できらきら輝いていて、とても制止出来そうにない。 すまないねサラカエル、気にしなくていいよウリエル――審判官と殺戮は互いに目で会話を済ませ、似たようなタイミングで嘆息する。 顔を上げたサラカエルは、笑っていなかった。とるに足りない話だとでも言いたげな、いやに冷えた目が羊飼いを正面から見据えている。 「僕に獣姦の趣味はないし、仮に好いているひとがいたとしても君には無関係だろ。野暮な詮索は身を滅ぼすと学習した方がいいと思うよ」 「こら、サラカエル。じゅうか……そういう事を言うのは、止しなさい」 「無理ですね、先生。頭に花が咲いてる連中に気を遣ってやる義理なんて、僕にはないと考えてますから」 笑う殺戮を、ニゼルは黙って見つめていた。藍夜は気が気でない。自身の対天使は、プライベートに踏み込まれる事を良しとしないからだ。 いつ彼が怒り出すか分かったものではない。無意識に二人の間に早足で歩み寄り、羊飼いを庇うように背後に立たせる。 対天使は片眉を上げて二人を睥睨した。手を出す気はないのか、彼の手は袖の外に下ろされたままになっている。藍夜は胸を撫で下ろした。 同時に、サラカエルにかなり無理をさせていると痛感する。いつか埋め合わせをしなければと、オフィキリナス店主はそっと嘆息した。 「あっ、ちょっと藍夜。サラカエルの恋バナ聞きそびれちゃうよ。ただでさえ口が堅いのに」 「恋バナって、ニゼル。君ね」 「だって、俺達の事はなんでも知ってるって感じだけど、俺はサラカエルの事よく知らないし。前にウリエルの話は藍夜から聞いたけどさ」 「やあ、意外だな。そんなに懐かれるとは思ってなかったよ」 「うわぁ、出た出た、嫌みー! サラカエルってさ、嫌み言わないと本当に死んじゃうのかもね?」 「ニゼル。君ね、その辺にしておいてくれたまえよ。僕の立場がないじゃないか」 はぁい、照れくさそうに笑って誤魔化し、ニゼルは顔を逸らして口笛を吹き始める。 反省する気皆無か、殺戮は嫌み混じりに彼に皮肉を飛ばしたが、羊飼いに堪えた様子はなかった。 (好きなひと、か) 自分達は天使だ、今でこそ器は人間のそれではあるが、神の遣いである事に変わりはない。サラカエルは特にそれを意識しているのだろう。 真面目だ、そしてそれ故に、一度忠誠を誓った相手に対して彼は忠実な狗になる。それは彼自身の信条さえ含むのかもしれない。 今後も彼が自身の事を打ち明けてくれるようになるとは、とても思えなかった。 恐らく対天使である自分でさえ、知らない事、知らされていない事がたくさんある。視線を投げるも、殺戮は常の涼しい顔をしていた。 「もう時間も時間だ。人間は眠らないと死ぬだろ、ウリエル」 「サラカエル」 「先生。明日も長距離の移動でしょうから、僕は先に休みます。失礼しますね」 言われてから窓の外を見て、とっくに日が沈んでいる事に気付く。サラカエルは静かに扉を閉めて出て行った。 「何アレ? なんか虫の居所でも悪かったワケ?」 「うーん。サラカエルだし」 君達が原因だろうにと口から出かけるも、辛うじて咳払いするだけに留め、藍夜は息を吐く。 殺戮の天使が好く相手。口振りからして、いるのだろう――否、「いた」という方が正しいかもしれない。 (僕は、今もニゲラを忘れられない。サラカエル、君はどうだい) 脳内から話し掛けてみるも、対天使からの返事はなかった。遮断されているのかもしれないと思い当たる。 アンブロシアから即席の軽食を受け取り、藍夜は明日の支度をすると言って退室するラファエルに一礼し、彼の背を見送った。 唇を尖らせたままの琥珀、心ここにあらずといった様子のシリウスには早くに部屋に向かうよう促して、部屋のカーテンを素早く閉める。 あくびを連発し始めたニゼルに香草茶の二杯目を手渡して、ふと彼の隣に腰を下ろした。 「ん、どうかした? 藍夜」 友人はとろんとした目で問いかけてくる。何でもないよ、そう言いかけて口を閉じ直し、藍夜は静かにハーブティーに口につけた。 「ニゼル。前に君に、いや、君達に、ウリエルには好きな女性がいたと話した事があったね」 「あー……うん。ニゲラ、だよね」 「そう、ニゲラさ。僕は本当に彼女が好きで、実のところ記憶が戻って以来、彼女を忘れられない。男だっていうのに、女々しいだろう」 友人は緩やかに首を横に振る。からかいなど一切帯びない、優しい笑みが浮いていた。 「藍夜の好きなひとでしょ。俺も会ってみたかったなあ」 「ニゼル」 「本で読んだんだけどね、男の人って思い出を箱にしまって、名前をつけて、大事に胸の内に保管しておく生き物なんだって」 「……君、意外と本の虫なのだね」 「あはは、ちょっと何それ、失礼じゃない? うん、だからね。取って置いてあるんだから、忘れられなくても仕方ないんじゃないかな」 「そういうものかな」 「そういうものだよ」 藍夜って細かい事までしつこく覚えてるもんね、そう言いながら悪戯めいた笑みで顔をくしゃりと崩し、ニゼルは寝具に大の字に倒れ込む。 どういう意味だい、指摘しかけて藍夜は口を閉じた。羊飼いは、頬を緩め、目を閉じ、口をむにむにと動かして、本当に眠そうにしている。 「ねえ、藍夜。もしかしたらさ、サラカエルにも捨てられない箱があったのかな」 「さあ、どうかな。サラカエルにしか分からない事だからね」 「うん、そう……そうだよね」 安らかな寝息が聞こえてくるまで、そう時間は掛からなかった。毛布と布団を丁寧に被せてやり、藍夜は暖炉の火に目を向ける。 琥珀の首から下がる石によく似た色が、静かに薪を燃やしていた。そろそろ休もう、立ち上がり、音を立てないよう慎重に火を消す。 細い爪で引っ掻いたような銀色の月が、窓越しに微かに見えた。動きの鈍った目蓋に従い、早々と布団に潜り込む。 ……その日は何故か、夢の中でニゲラと逢う事が出来た。満開の花に囲まれて佇む最愛のひとは、とても幸せそうに微笑んでいる。 『愚弟をどう思うか、と? 愚弟は愚弟だろう、どうしたんだ、急に』 『いえ、別に。どんな方なのかと……いえ、一応、貴女の旦那様ですから。何も問題ないですよ』 『ははっ、全知全能とか言われているが、愚弟は愚弟だ。私にとってはただの弟の一人。何か言われたら、遠慮なく言うんだぞ』 『またそうやって、子供扱いして。馬鹿にしてるんですか』 『ん? してないぞ、お前が一人で勝手に怒ってるんだろう。どうした、可愛いな!』 それって小馬鹿にしてますよね、口から出かけた言葉を飲み込むように、サラカエルは唇を噛んだ。 宿屋の屋根の上に腰掛け、細めた双眸で見下ろす町には、夜中であるにもかかわらずぽつぽつと灯が点っている。 自身の主が書類に追われる際に使っていたランプによく似た光。今、殺戮の天使の意識は静かに回想の波を漂っていた。 (けだもの共に、影響でもされたかな) 想い描く、見慣れていた筈の姿。自嘲気味に息を吐き、手にしていたある品物を指先で器用に回して、弄ぶ。 ……背はそう高くなく、どちらかといえば童顔。笑った顔は悪戯好きの子供のものに似て、神話で語られる人物像とは一致し難くもあった。 栗色の髪が視界の端を過ぎる度、ひらりひらりと衣の裾が床上をなぞっていく。その中身は滑らかな地肌と、実に簡素なサンダルだ。 周りの女神達のように、彼女は着飾る事や装飾品の類にはさほど執着していなかったように覚えている。 好むものはシンプルで質のいいもの、或いは懇意にする者からの贈り物に限られていて、流行りの煌びやかな黄金や宝石には目もくれない。 つくづく変わり者だったと思う。そうして自ら他人に舐められるような格好をして、いざ見下されると、彼女はそれを鼻で笑い飛ばすのだ。 「見た目でしかものが判断出来ない連中に、何故私が好んで媚びねばならん? 言わせたい奴には言わせておけ」と。 「……もう少し、敵を作らずに済む生き方もあったんじゃないかと思うんですけどね」 眼前で、摘まんでいた物の回転を停めた。闇の中でもなお美しく透き通る、高純度の水晶を削って作られた腕輪が、星明かりに凛と煌めく。 女物にしては大きい。細身の輪郭に百合の花々と葉が散りばめられ、ところどころに月とその紋章がモチーフとして刻まれていた。 滑らせるように左手の甲の上を走らせれば、まるで元からそこに備えつけられていたかのようにぴたりと手首周りに収まる。 明らかに、殺戮の天使の為に作られた品だった。点在する百合の品目は王道のカサブランカだけでなく、透かし百合、鬼百合と多岐に渡る。 花の造形や月の満ち欠けといった、自然界が垣間見せる多様な変化に敏感な、繊細で美意識に優れる職人の力作と思わせる上物の腕輪だ。 「ふむ」 しかしサラカエルは、躊躇なくそれを外した。再びくるくると指で回して遊び、最終的にスーツの内側、左脇腹に面する収納へしまい込む。 ……以前、遙か昔に、とある人物から一方的に贈られたものだった。その存在を脳裏に思い起こそうとして、殺戮はふと長い嘆息を吐く。 (馬鹿馬鹿しい。昔の事を思い出したところで、どうなるわけでもない) 普段、サラカエルは対天使にさえ弱みを見せないよう努めていた。殺戮という銘持ちが、いざという時に無能となっては目も当てられない。 自衛の為、更にはウリエルの審判完遂の為だけに、誰に対しても本心を明け渡さずにきたのだ。 その唯一の例外となったのが、腕輪の贈り主そのひとである。 しかし、そういった自身の脆い部分、柔い部分、甘やかな記憶が時として弱みとなる事を、殺戮は嫌というほど理解していた。 天上界で過ごす日々、即ちヘラに仕えるより前は、荒みに荒んでいたからだ。己が堕天使と言われずにいた事が、奇跡とすら思えるほどに。 ……その反動か、或いは罰か。今となっては天上は遠く、ヘラも腕輪の贈り主も、行方不明という名の遠い存在となってしまっている。 (ヘラ様……貴女は、僕の事を何も知らない) 彼女の面影、知的な眼差し、快活な笑顔、堂々たる振る舞い、通り過ぎる際の微かな百合の残り香さえも……一度も、忘れた事はない。 その夜、一人、自室を離れた天使の顔が寂しげなものであった事を、熟睡する旅仲間の誰もが想像しないでいたのに違いない。 「――よぉ、そんなところでどうした。感傷にでも浸ってんのか」 そうして沈んでいる最中、声は、不意に頭上から掛けられた。 常の涼しい表情を顔面に張りつけ、殺戮は虚空に浮かぶその影を、敵意を乗せた眼差しでゆっくりと見上げてやる。 「……やあ、誰かと思ったら鳥羽藍夜に完敗して情けなくどこぞに逃げ帰った、喰天使ルファエル様じゃないか」 「随分と噛みつくな。図星を指されたのが、そんなに気に入らねぇか」 喰天使ことノクトは、鼻で笑いながら羽ばたいた。虫食いのように穴が開き、ほつれた白翼のところどころから、満天の星が見える。 サラカエルが何か言い返すより早く、ノクトは屋根の上に降り立った。翼は早々と畳まれ、片眉を上げる天使を無視して横に腰を下ろす。 何か用なのか、出かけた問いを殺戮は飲み込んだ。何故僕から聞いてやらなければならないんだ――嘲るように首を傾げ、視線を前に戻す。 明かりは灯されているものの、宿場町は静かだった。頭上の月の位置から、だいたいの時間を脳内で計算する。 「一時とか、そのあたりか」 「あぁ?」 「時間だよ、人間は不眠が続くと死ぬらしいから。ま、拷問する側としては利点にしかならないけど」 「ああ……なぁ、そういうテメェは寝られてんのかよ。俺達天使だって、人間界にずっといるだけなら三大欲求くらいは疼く筈だぞ」 「ふん、ルファエル様じゃあるまいし。自己管理くらい、きちんとしているさ」 「それはよ。いつかまたヘラに仕える事が叶うかもしれないからっていう、希望か何かか」 刹那、空気がざわりと震えた。次の瞬間、ノクトの首には一振りのナイフが押しつけられている。 「おいおい、危ねぇな、怪我でもさせる気か」 「やあ、そっちこそ、今晩はお喋りが過ぎるんじゃないかな」 「痛いところを突かれたから殺します、ってか。ガキの発想じゃねぇか」 互いを直視する目は、冷えていた。目を細め、喰天使は突きつけられた刃の腹を指先でやんわりと押し返す。 サラカエルは、すんなりと凶器を引っ込めた。適う相手かどうかはさておき、鳥羽藍夜の眠りを妨げるつもりは毛頭なかったからだ。 「それにしても、静かな夜だな。ニゼルのクソ野郎が静かなだけで、随分と平和になるもんだ」 「そこは大いに同意だね」 「よぉ、ついでだからここで白状しちまえよ」 「はあ。何をだい」 「今更。テメェ、あの頃からヘラに特別な感情を持ってたんだろ。周りの天使どもの噂なら気にすんな、あらかた片付けてきたからよ」 「……今殺す」 「無理だな。ウリエルどもを寝かせておいてやりてぇんだろ、月天の加護を人間風情に譲ったテメェを呪えよ」 どうしても静かに殺したいんなら暗殺術でも身に着けるんだな、にやにやと意地悪く笑む元同僚から、殺戮は鼻を鳴らしながら目を逸らす。 古い天使という事もあり、喰天使とは力の差が歴然として存在するのだ。無謀な挑戦をするほど、サラカエルは自惚れていなかった。 「特別な感情、ね。どうかな、というか、君の方こそどうなんだい。聞いたよ、婚約者を自ら喰に掛けたって」 「……テメェ、上手い話の逸らし方だな」 「アッハハ、まさかやらかした本人から褒められるとは思わなかったな」 「褒めてねぇよ、クソ。とんだ厄日だな……」 「で、今夜は何の用なんだい。からかいに来ただけってわけでもないんだろ、聞かないと帰らなさそうだし」 「邪魔者扱いかよ。いや……あの大神様が、人間の器を借りてまで地上にいるって聞いたんでな。昔のよしみで警告でも、と思ってよ」 「ああ、それか。馬鹿馬鹿しい、何の問題もないよ。昔から口も滑らせちゃいないんだから」 「殺戮の天使は地母神ヘラをひとりの女性として愛している」。 事実として殺戮の天使の内面に存在しているその歪な感情を知る者は、殆んどいない。 サラカエルの知る限り、彼の周囲に在ったのは、知っていたとしても多くは口にしない思慮深い者ばかりだった。 彼女達は、弱みを見せまいと努力する自身への配慮として、気付いていながら見て見ぬふりをし、口を堅く閉ざしてくれている。 一方、大神ゼウスは自分は浮き名を流す裏で、正妻であるヘラの動向には常に目を光らせていた。彼は彼女の心変わりを許さなかったのだ。 ヘラの司る力の一つ、「契約」。「婚姻」すら含むそれを逆手に取り、当時の大神はさも誇らしく気高い女を妻としていたのに違いない。 「テメェが、雇い主のヘラにそんな感情を向けてるなんて知ったら……あのクソ大神様は、絶対に黙っちゃいねぇだろうからな」 「身分はわきまえてるよ。表に出した事はないし、ウリエルにさえ話してないんだ。これから先、再会出来たとしても態度は変えないさ」 「いつまでも黙り続けるだけ、ってのも辛いだろ」 「君よりはマシさ。それに、想うだけなら赦されるだろ、いくらなんでも」 「そうかよ……あぁ、そのヘラの行方だが、人間界のどこかだって聞いてるな。テメェの耳には、何か届いてるか」 「届いていたとしても、大神とその手下がニゼルの周りを嗅ぎ回っているからね。堂々と探しに行くような状況でもないかな」 どのみち居場所の検討なんてついてすらいないしね、殺戮は自嘲気味に口角を釣り上げる。ノクトは、複雑そうな顔でそれを見つめた。 物言いたげなその視線は、自身が最愛の女性を消滅させてしまったという後悔、憐憫、投影行為だろうとサラカエルは考える。 僕を代償役にされても困るんだけどな、口には出さずに脳内で嫌みを飛ばすだけに留め、殺戮は小さく嘆息した。 「好いている相手なら、いるさ。ただそれは、叶うものではないし、叶えてはいけないっていうだけの話だ」 「ウリエルにはニゲラがいただろ。テメェは、それでいいのかよ」 「アッハハ、いいも何も、相手は人妻だからね。そういうのは趣味じゃないし、やるとしても拷問とかそのあたりじゃないかな」 夜風が髪を揺らす。腕輪の贈り主がかつて頭を撫でてくれた時のような、柔らかな当たりの風だった。 「やあ、ルファエル。君こそ、アクラシエルもそろそろいい歳なんだから、義妹離れした方がいいんじゃないかな」 「……」 「ルファエル?」 「俺には俺の事情があるんだよ、調べなきゃならねぇ事がな。サラカエル……『大神のお供ども』は俺が蹴散らしてやる。警戒を怠るなよ」 顔を上げた時に、見せられた顔。ノクトの表情は、温度がまるで感じられない、冷徹そのものの相貌だった。 浸透させるように放たれた低い声は、確かにサラカエルの耳に強く響く。気付いた時には既に、喰天使の姿は消えていた。 警戒……ふと、殺戮は一角獣の前に姿を見せた「顔見知りの天使」を思い出す。何故か、その男を警戒しなければならないような気がした。 「『赤い豹』……カマエル」 名は、カマエルといった筈だ。ウリエルと共に医師の魔獣ケイロンと弟子ラファエルの元で医学を学んだ際に出会った、赤い瞳を持つ天使。 接点はさほどない。口を利いた覚えも殆んどない。ただ時折、件の男の赤い眼が、舐めるような目でこちらを見ていたのを覚えている。 (奴の能力の一部、探索の札はたまに借りる事があるけど……そういえば、何故今更、星の民とつきあいがあるんだ) その夜、結局サラカエルが眠りに就く事はなかった。夜はそのまま更けていく。 彼の元に睡魔がやってきたのは、朝焼けが町を燃やし始めた頃。点在していた灯が、ようやく全て消されてからの事だった。 |
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