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楽園のおはなし (2-16)

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時間は少々、遡る。


……第一印象からして最悪だったと、シリウスは鞘に収めた武器を手に考えていた。
眼前、踊るように襲撃者をいなし、蹴飛ばし、捌き続ける鷲獅子は若いと同時に幼いイメージもある。
長い黒髪、薄褐色で血色が悪く見える剥き出しの肌、琥珀色の眼差し。まだ発展途上であろう体躯は、瑞々しさと程よい筋肉に満ちていた。
蒼いドレスが音を立てて翻る度、わざわざ戦いに身を投じずとも他の生き方があっただろうにと、余計な考えばかりが頭を過ぎる。
そうして彼は、このグリフォンの娘が里に残してきた実妹とだいたい同じ年頃である事に、ようやく気が付いたのだ。

(だから気に掛かるのか。いや、しかしあれは、エライは……これよりもっと遙かに淑やかだった)

エライ、それが一角獣の妹の名だった。長い白髪や藍色の瞳は自分と同じ色彩で、幼い時分から本人が自慢して回っていたのを覚えている。
兄(あに)様と儚げに微笑みながら、ずっと好んでいるという薊の花を花瓶に飾りながら、よく編み物だの小物作りだのをやっていた。
料理や洗濯といった他の家事はもっぱらシリウスの担当で、多少甘やかし過ぎたのではないか、ふとそう自省する日も未だにある。

(今頃、里でどうしているのか)

実際のところ、シリウスが里に成果を届けに行く折、彼が家族二人で過ごした家に立ち寄る事はなかった。
数量をこなして指定数に到達する事が早く叶えば、嫌でも毎日顔を合わせる日常に戻る事が出来る。
妹は料理はからきしで、しかし自分に似ず愛嬌よく愛らしい容姿をしていたから、すぐにでも引き取り手が見つかる筈だと自負していた。
幸せにしてやりたい、そう願ってきたのだ。両親を早くに亡くし、気難しいと評判の雄の妹として育ち、いらぬ苦労をしただろうから、と。
一刻も早く使命を果たすべきだ……狡猾な長らが、気まぐれに妹を使命の材料として祀りあげないとも限らない。
焦りがあった、故に件の街であっさりと天使達に見つかるという失態をやらかしたのだ――シリウスは苦しげに顔を歪め、刀を振り上げる。

「――ケツ! 後ろ!!」
「っ、」

叱声が聞こえたのは、そのときだった。黒服を纏った天使のうち一人、その顎を柄で殴り上げた直後、背後に別の気配が近寄る。
間合いだ、息が詰まるも振り向きざまに鞘で突き離せば済む事だった。しかし、用心棒として雇われた天使らもそこまで馬鹿ではない。
刀を持つ手が横から掴まれる。別の一人が横入りし、一角獣の利き手を掴んで一瞬の隙を作り出していた。
振り向いた藍色の視線は、背後の天使の手に短剣が握られているのをしかと見る。ゆっくりとそれが動き、自身の腰に埋められる様を見た。

「バカッ!! 何ボサッとしてんの!」

ぬるりと赤い色が立つ。血飛沫はしかし、己のものではなかった。
血の臭い、鉄錆の臭い。知覚した瞬間、世界がぐるりと円を描く。見れば、あの鷲獅子が両腕で天使どもの頭をそれぞれ鷲掴みにしていた。
引き寄せ、一角獣との間に無理矢理に隙間を作り、自分はその隙間に体を潜り込ませる。先の血流は、娘の腕から零れ出していた。

「いッ……たいなぁ!」
「――っおい、」

互いの発声はほぼ同時。天使達が投げ捨てられるのと、鷲獅子が着地し、彼らに瞬時に向き直るのもまた同時。
恐るべき身体能力を前に、シリウスは臭気も忘れて思わず見とれる。黒髪が弧を描き、棚引き、追撃しようと身を屈めた。
視界の端、髪に追尾するように飛び散る鮮血を見て一角獣ははっと我に返る。無意識に手を伸ばし、強引に二の腕を掴んで絨毯を蹴った。

「うへ!? ちょっと、どこ行くのケツ、」
「黙れ、血生臭い!」

ぎゃんぎゃん喚くそれを、素早く脇の下に潜らせる。荷物のようにして小脇に抱えたまま、アスモダイの根城をひたすら西へと駆けた。

『――頃合いを見て脱出する。あの間抜けは君達に任せるから、ま、騎獣だと言い張るなら死なせないよう尽力したらいいんじゃないかな』

騎獣。便利な言葉だと、シリウスは自嘲気味に歯噛みする。殺戮などという大層な名の天使は、屋敷に潜入する前にそう話していた。
頃合いも何も、こんな辺鄙な田舎、それも人間に天使が捕獲出来るとはとても思えない。おおかた退屈しのぎの道楽だろうと笑えてしまう。
いくつか角を曲がれば、その度に新たな追っ手が立ち塞がった。屋敷の構造はむしろ居城に近しいものがあり、迎え撃つには都合がいい。

「ちょっとケツ! 後ろからも来て、」
「口を閉じていろ、舌を噛むぞ」

……星の民は皆、結界精製や治癒の祈りといった天使能力に酷似する力を保有する。一角獣シリウスとて例外ではなかった。
広い廊下、高い天井。目配せは一瞬で、次の瞬間には脚が強く床を蹴っている。意識は一点、群れる天使の遙か先、西を捉えて離さない。

「う、わぁッ」

琥珀が悲鳴を漏らした時、二匹の体は宙にあった。転々と無造作に展開したシリウスの結界は、跳躍した彼の足場となり不可視の道となる。
縦、横、斜め、傾斜、反転。透き通る薄氷か異極鉱のような板状の結界は、一角獣が踏みつけるだけで容易にその場で砕け散った。
細かい破片が消失までの間、光の反射で星のように煌めく。グリフォンはぽかんとした顔で目を見開き、この光景に見とれた。
傍らの魔獣に目もくれず、自身の術に絶対の自信があるシリウスは、天使達を嘲笑うように軽々と包囲網を抜け、着地し、再び走り出した。

「……はっ! うわ、ちょっ、下ろしてってば!」
「もう平気なのか」
「何が!? 僕はお前なんかいなくたって、平気のへっちゃらぷーに決まってんでしょ!」
「(へっちゃらぷー?)」

どれほど疾駆したか。何度目かの曲がり角かで、一角獣はようやく暴れる琥珀を脇から手放し解放する。
ろくに受け身も取れず、グリフォンはべしゃりと絨毯に落下した。またしてもぎゃあぎゃあと喚き始めたので、屈んだ上で口を塞いでやる。
強制的に黙り込まされた琥珀は、悔しげに彼を睨みつけた。一方、シリウスは鼻を鳴らしてこれを流し、暗い廊下に耳を澄ます。

(静かすぎる……もしや罠、か)

刹那、手を振り払われた。目だけで振り向けば、グリフォンが一角獣の手を掴み、自分の口から強引に引き剥がしている。
静かになったならそれでよしと、シリウスはそれ以上を口にしない。しかし琥珀はそれが不満のようで、口をへの字に結びきっていた。
四つん這い、近距離、睨んでくる琥珀色の瞳。怒りと屈辱が双眸に滲み、彼女の全身から敵意が放たれているようにさえ見える。

「なんだ。文句があるなら、殺戮とやらに言ったらどうだ」

一角獣はそれに応える術を持たない。思考をそのまま言葉に乗せたところ、グリフォンは頬を一気に紅潮させ、殴りつけてきた。

「ちょっと! ニジーの騎獣じゃなかったら、お前なんか尻から丸齧りしてるんだからね! ホントは僕がニジーの護衛だったんだから!」
「おい、尻とか言うな。それに声が大きいぞ、静かにしろ。それと文句なら、」
「うっさいな〜。僕はお前に話しかけてんの、おサルは無関係! なんだよ、ニジーも藍夜もおサルおサルって」
「それは……お前は、違うのか」
「うへ?」
「だから、お前もあの天使を信用しているんじゃなかったのか。だからニゼル=アルジルの護衛を許してやっているんだろう」

受け止めた拳に手のひらを被せ、押さえつけながら、至近距離で見つめ合う。シリウスは、自分が何を言わんとしているのかを一瞬忘れた。
正面にある、蜂蜜を煮詰めたような色合いの眼。その下、娘の首には、彼女によく似合う赤みを帯びた琥珀のペンダントが揺れている。

「あれほど痛めつけられ、馬鹿にされ、なおニゼル=アルジルともども旅に同行させている。お前、あの天使を好いているんじゃないのか」

綺麗だと、美しいと、古代琥珀に言わせられたような気がした……そうして放った殆んど無意識の言葉に、彼は我ながら驚愕する。
彼自身がそうであるのだから、言われた方はもっと驚いたのに違いない。拳を下ろす事もなく、琥珀は真顔で硬直していた。

「……おい、今のは」

渇いた口を動かすも、鷲獅子の反応は返されない。まさか本当に「殺戮が好き」なのか。時間が停止したように感じられた。
否、仮にそうだとしても自分には関係のない事だ――そう口にしかけたところで、一角獣の頬めがけ、今度は逆の拳が飛んでくる。

「ッ、」
「バッカじゃないの! バカでしょ! なんであんなヤツなんかっ!!」

まさかの直撃。脳天を揺らす一撃はしかし、先のものと違い本気を帯びていた。じんと思考回路が麻痺し、シリウスは反論が遅れてしまう。
すっくと立ち上がると、琥珀は怒り心頭といった風にがに股で廊下を進み始めた。よろめきながらも立ち上がり、なんとか後を追う。
星の民の次期長候補とまでいわれた身が、天敵の雌一匹に殴られ昏倒しかけた……その事実が、一角獣の誇りに酷い揺さぶりをかけている。

「着いてこないでっ!」
「おい、落ち着け」
「お前が落ち着けとか言うな!」
「待て、本当に落ち着け。ニゼル=アルジルとの合流が……」
「うっさいな! 僕の非常食の癖にっ、」

互いに皆まで言い終える事は出来ない。どこから嗅ぎつけたのか、或いは口論の声量が大きすぎたのか、またしても黒翼の天使達が現れた。
群がるそれらに、逆に琥珀が襲い掛かる。止める間もない、シリウスが腰に手を回した時には、周囲に無数の呻き声が響いていた。
唖然とする一角獣。一方、怒りが収まらないとばかりに鷲獅子は身を翻し、指定された最西端へ単独で駆け出していく。

「おい、待て!」

逡巡は一瞬、無意識のうちにシリウスは琥珀を追っていた。眼前、長い黒髪が闇に溶けゆく。伸ばした手は、思うようにそれを掴めない。
俺は何をしているんだ……混乱しているという自覚はあった。歯噛みし、更に舌打ちまでしてみるも、考えはまるで纏まらない。
追うより他にない。足音が二つ分、罵声と制止をそれぞれに、堕天使の集う屋敷の中にけたたましく浸透していく。






「……それで、何を考えているのかね」
「! いや、別に……」

シリウスはふと我に返った。頭を振り、あの若い鷲獅子の面影を脳裏から追い払う。思えば、今は考え事などをしている場合ではなかった。
帝都イシュタリアを目指す道中、件のグリフォンと行動を共にしていた際、昔から見知ったこの男と再会したのだ。話があると奴は言う。
宿場町の中、回想から意識を呼び戻された時、男はこちらが歩き出すのを待っていた。若く見えるが他者を寄せつけない独特の貫禄がある。
赤みを帯びた金の髪に、赤い瞳。乾きかけた血液の生臭さを連想させる、毒々しい色の眼だ。受けつけない外見だとずっと思っていた。
何より、男の全身には鉄錆の臭気が染みついている。後ろ暗い生業と経歴の持ち主だという、初対面の頃から抱く印象に変わりはなかった。
着いていく事に、シリウスは今更躊躇う。見透かしているのか、男はせせら笑うように音を漏らすと、一角獣を先導するように歩き出した。

「長の方々からは話を聞いているとも。君の使命の成果は、他に比べて非常に選りすぐりのものであるそうじゃないか」
「……エライは、どうしている」
「妹君か、君はそればかりだな。なあに、変わりないとも、そういう約束だったろう。たまには旅の土産話でも聞かせて貰いたいものだ」

足を止める。着いてこない気配を察してか、男は静かに立ち止まった。緩やかな速度で振り向き、感情の籠もらない目でシリウスを見る。

「シリウス君。私は君を、私なりに評価しているのだよ。君を気に入っている。出来るなら、今後も争いたくないのだが」
「……よく言う。里に余所の血を引き入れる事を提案したのは、お前だろう。お前が里を人質にしたも同然だ」
「フフッ、人間と馴れ合い考えが変化したのか。君は実に貴重な……いや、雄弁は銀というもの。美男は多くを語るべきではないのだよ」

名前はおろか、素性も知らない。だが男は天使だった。赤い眼の、野生の山猫か猛獣のような眼差しを持つ、異様な雰囲気の血生臭い天使。
いつ顔見知りになったのか、シリウス自身はよく覚えていない。物心ついた頃には既に長らと話し込む姿を見かけていたような気がする。
親代わりに妹を育てている最中、男は長とともに家を訪れ、舐め回すような目でこちらを見た。その時の事は、今も鮮明に覚えている。
見ていたというより、観察されていたという方が的確かもしれない。男が里に暮らす一角獣を眺める目つきは、どこか不気味なものだった。

(食えない男だ)

生物学と医学に長けるというその天使を、長らは異常なまでに持て囃していたように思う。
人好きのする笑みは本心を覗かせず、人となりを探る事も難しい。来訪の度に歓迎する里の者と異なり、シリウスは男を警戒していた。
話術に優れ、手先が器用で、子供らや男衆、女の輪の中にも違和感なく溶け込み、彼らを虜にする。道化か詐欺師に見えて仕方がなかった。
近寄ってはいけない、信用するべきではない……当然のように、若き長候補は実の妹にも男に用心するよう言い含める。
将来、星の民という希少種族を治める地位に最も近い雄と見込まれていたが故に、シリウスの物言いは厳しいものであったのに違いない。
それへの僅かな反抗なのか、妹は兄の言葉に頷きながらも、周りの者と同じように既に不思議な魅力に引き寄せられていたのだった。
男が「里を救いたい」と突然言い出したあの日、是非にと真っ先に手伝いを申し出たのは、何を隠そうシリウスの実妹、エライだったのだ。

「少しずつだが、里の人口は増えつつある。喜ばしい事じゃないか、出来るならもっと優秀な仔が生まれたらいいのだが」
「俺の里の者達は、お前の実験の道具などではないのだぞ」
「実験、道具。フフッ、そんな非道なまね、神の遣いである天使に出来る筈がないだろう。健気な気性は結構だが、思い込みは止してくれ」

何を問いただしてもかわされる、これも昔から分かりきっている事だというのに、シリウスはそれを止める事が出来ない。
実験。さらりと口から出た言葉に、知らず体が固くなる。一角獣はいつしか、男の目が学者か研究者のそれである事に気付いていた。
純粋に民の存続を願うのではなく、彼らを自らの好奇心と知識欲の糧としているかのような……シリウスが里を離れて、だいぶ経過している。
今、里が、実妹がどうなっているのかを知る術を、一角獣は持っていなかった。改めてその事実に気付き、愕然とする。
……完全に歩みを止めた魔獣を案じてか、男は手近な商店に立ち寄り飲み物を二つ購入した。
手渡す直前、白色の袖からごく小さな何らかの錠剤が滑り落ちる。あっという間に溶けたそれの存在に、シリウスが気付く事はなかった。

「ま、飲みたまえよ。ここらの緑茶は、案外悪くないそうだ」
「……」
「聞いたよ。グリフォンなどという暴力の塊と行動を共にさせられているそうじゃないか、あれは恐ろしい怪物だからね。同情するよ」
「お前には関係ない。一体どういうつもりだ、世間話をするような仲でもないだろう。何が目的だ、何を企んでいる」
「フフッ、話というのは実のところ、特にないのだよ。所用で近くに立ち寄ったものでね」

天使はしみじみという風に茶を啜り、息を吐く。嘘を吐いているようには見えない。

「妹君は君が健勝であるのかどうか、とても気にしていた。たまには里帰りなどしてはどうかね」
「俺は、今は」
「もちろん、君が生真面目な故郷想いの青年である事は承知の上だ。しかし人生……いや、獣の生としても、何があるか分からないだろう」
「世間話の次は説教か。もうお前の顔は見飽きた、今すぐ消えろ」
「フフッ、これはこれは、手厳しい。ま、せっかく下界に降りてきたのだ。少しは旅を楽しみたまえよ、シリウス君」

余計な世話だ、そう言い返すより早く、意外にも男はすんなりと姿を消していた。拍子抜けしたとばかりに嘆息し、手にした茶を飲み下す。
最後まで嚥下したところで、一角獣は不意に背後に立った何者かの気配に素早く振り向いた。同時に、相手の正体に驚き片眉が上がる。

「――驚いたな。ろくでもないのと知り合いみたいじゃないか」
「殺戮……何故、ここに」

夜色の長髪に黒一色のスーツ。驚いたと口にしながらも、青年は意味深に両目を細めるばかりだ。殺戮の天使、サラカエル。
旅を続ける中、雇用主として契約を締結した人間ニゼルを守護しているという――苦労性なのか物好きなのか判断はつかない――高位天使。
呼び名の通り、物騒な気配と血の臭いが全身に染みついているこの青年を、シリウスは快く思っていなかった。

「やあ、裏路地とはいえ町中で銘呼びは勘弁して欲しいな。僕も面倒事は御免だ」
「答えになっていないぞ。何故、ここにいる」
「ニゼル=アルジルがお呼びだよ。というか、アンバー……いや、琥珀だったか、今は。そいつが喧しくてね、想像出来るだろ」
「それは……恐らくは俺のせいだ、すまん」

激高するグリフォンの姿が再び脳裏に蘇る。意外にも、殺戮の天使は分かりやすく失笑した。

「アッハハ、まさか星の民に謝罪されるとはね。今日はいい事がありそうだ」
「おい、どういう意味だ」
「やあ、境界から降りるついでに品格も地に落としたのかい。アンバーがクソ生意気なのは昔からさ、振り回されているなと思ってね」

心底愉快だと言いたげに薄く笑う天使に、シリウスは鼻を鳴らす。誘導するように歩き出した背中を、彼はしぶしぶ追いかけた。
裏路地を出ると、旅人を始めとした多くの人間とすれ違う。帝都まで距離はあるものの、宿が多い事もあり、通りは喧噪に満ちていた。
ぶつからず、かすりもせず、動線が見えているようにするすると殺戮は人混みを進む。一角獣は己の五感を頼りに、辛うじてそれに続いた。
呼び止めようとして、取りやめる。銘で呼ぶなと言われたのを思い出したからだ――本当に、連中に振り回されていると実感する。

(だが、不思議と嫌な気はしないものだ)

一人で旅を続けてきた。里が、妹が救われればそれだけでいい、自分などどうでもいいと、ずっとそう願って生きてきたのだ。
自身の考えが緩やかに変化しつつあると知り、シリウスは遠くを見やる。殺戮の影の向こう、今現在厄介になっている宿の屋根が見えた。
あの中に、今は旅を供にする仲間が待っている。
気まぐれで掴みどころのない元羊飼い、それの親友と自称するどう見ても少年にしか見えない青年。殺戮の天使、治癒の天使、桜色の乙女。
そしてふとした瞬間、自分の思考回路にずけずけと踏み込んでくる、琥珀色の眼を持つ鷲獅子……咳払いが聞こえ、シリウスは我に返った。

「ふん。呆けるならせめて、宿の中にしたらいいんじゃないかな」
「……俺は正気だ、あんな血生臭い天使と一緒にするな」
「ああ、そう。ま、それならいいんだけどね」

腹の立つ事に、殺戮は一角獣を鼻で笑い飛ばすや否や、一足先に宿の中へと戻ってしまう。
その背中を見送った後で、ふとシリウスは、口振りからしてあの赤い天使と彼は顔見知りなのではないか、という予想に辿りついた。

「ろくでもない、と言っていたな……何の話だ?」

頭を振る。
殺戮が迎えに来たくらいなのだ、仲間達は自分の帰りを心待ちにしているかもしれない。急いだ方がいいだろうと結論づけた。
話をするだけなら、後からいくらでも出来る。里にいた頃のように、立ち振る舞いに細心の注意を払わずとも責められる事もないのだ。
不謹慎だと、頭では理解していた――しかし、気楽に構えられる事はこんなにも心地よい事なのかと、ひたすら感動さえ覚えていた。

(『あんな奴なんか』、か)

そうして屋内の階段に足を掛けた時、またしてもアスモダイの屋敷での一件が思い起こされる。怒りで顔を赤く染めるグリフォン、琥珀。
何故かは分からない。だが、何故かこの一角獣は、早く彼女の怒りの表情の続きが見たいと、強く思えてやまなかった。
胸が弾む、呼吸が速まる、早くあの鷲獅子を小馬鹿にしてやりたい。逸る気も抑えきれずに、足早に階上に進んだ。





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 UP:18/11/24