・取扱説明書 ▼「読み物」 イラスト展示場 小話と生態 トップ頁 サイト入口・ |
||
楽園のおはなし (2-11) BACK / TOP / NEXT |
||
既視感がある。屋敷に忍び込んだニゼルが、内装や家具の配置、目につくあらゆるを見て最初に感じたのはそれだった。 思い返してみると、以前に乗り込んだ天上と地の境目、ノクトの潜伏先であった豪奢な屋敷に雰囲気が似ている事に気が付く。 金の燭台、テーブル、イス、深紅の絨毯。ところどころに濃紺の布や大きな旗が下げられ、飾られていて、どうにも居心地が悪かった。 「ねえ、ニゼル。さっきからどうしちゃったのよう、全然進んでないじゃない?」 活けられた百合の花を指で突っつきながら、リリーが呑気な声で話を振ってくる。 実をいえば、ここに来て突然、ロードの効果が鈍くなった。どう答えるべきか逡巡して、ニゼルは半端に持ち上げていた杖を下ろす。 命令を解除されたと見なしたのか、それとも単純に使い手の集中が切れたからか。光の帯は、そのまま音もなく静かに霧散した。 「あー、うん、えっとね。とりあえずもう少し声、小さくした方がいいんじゃないかなあって」 「あらぁ、意外と気にしいなのねっ。可愛いわぁ」 「うーん……あのさ、リリー。本当に鎖を解きたいって、思ってる?」 「やだぁ、変な事聞くのねえ。もちろん本気よ。そうじゃなかったら、ここまでアナタと一緒に来たりしないわ」 彼女が「案内する」と言っていたのは本当だ。実際に屋敷への侵入は無事果たせているし、領主が休息する部屋の位置も聞き出してある。 しかし、部屋に向かうまでの道中が安全とは限らない。リリーも見張りや護衛がどれほどいるかまでは把握していない、と話していた。 そこを補っていたのが、智識女神の宝珠と孔雀石の杖だ。灯りも兼ねていて助かる、そう思っていたのに、ここに来て速歩は落ち始める。 順調に進んでいた筈なのに、光は徐々に弱まり、誘導する速度も次第に落ちていった。ニゼルもリリーも、本音を言えば困惑していたのだ。 「困ったなあ。俺は戦えないし、リリーは走るの難しいだろうし」 「そうねえ。じゃあ休んでいきましょ、って言いたいところだけど、朝が来たらあたしは眠らなくちゃいけないし」 「いやー、女の子なら夜こそ寝ておきなよ……確か、夜更かしって肌に悪いんだよね?」 「あらぁ、ニゼルったら紳士なのねえ。でも大丈夫よ。その分、夜に……新月の晩にだけ、こうしてあたしはあたしでいられるんですもの」 話していると、本当に彼女が困っているようにはとても思えない。しかし、リリー本人は至って真剣なのだろう。 伏せられた目と俯く睫毛、物言いたげな表情がそれを語っている。ニゼルは嘆息しながら杖を腰に戻すと、おもむろに彼女の手を取った。 「ニゼル? やだぁ、急に真面目な顔して。どうしたの?」 「うん、俺はリリーの事情や領主様との関係がどんなのか知らないんだけどさ。『鎖を外すのを手伝う』約束は果たさなきゃと思って」 「約束って、随分と大げさなのねえ」 「そう? 約束って大事なものでしょ。それに、藍夜ならリリーを放っておかないと思うから」 思い出す。今は遠くなってしまった故郷、自身の牧場、両親、二頭の牧羊犬、愛した羊達と……尊敬する、お人好しの親友。 昔から自分は利己的で自己中心的な人間だと思っていた。しかし、それをも良しとしてくれた親友や両親達を、ニゼルは今誇りに思う。 「アイヤ? 聞かない名前だわぁ。このあたりじゃ割と珍しい響きよねえ」 「うん、俺の幼なじみ。今、ちょっと喧嘩……してるんだよね。でも、ここにいるのが藍夜だったらリリーを必ず助けるだろうから」 「やだぁ、ケンカ? そのアイヤって子は、男の子なのよね? 男の子って、本当に争いが好きよねえ」 「うーん、子、って歳でもないんだけどね。ケチだし真面目だしすぐ怒るし、でも、なんだかんだ困ってる人を放っておけない人なんだよ」 「……そう。アナタ、アイヤってヒトが大好きなのね」 「え? えっと、うーん、あはは。そうかもね。大好きだし、立派だなあと思ってるよ」 リリーがふと目を伏せた。その表情に寂しさのようなものが浮かび、ニゼルは言葉を失う。 「あたしにも大切なひとがいるの。大好きだし、かけがえのないひとよ。周りからは賛同されないけど、自分の仕事にひたむきなひとだわ」 「リリー?」 「あのひとの仕事はきっと誰にも理解して貰えない、だからあたしが傍にいるの。ねえ、ニゼル。あたし、ここを出なくちゃいけないのよ」 顔を上げた女の目に、迷いはなかった。彼女は何が何でも領主の元を脱出しなければならないのだ、ニゼルは無意識に頷き返す。 リリーにとっての大切なひと。その事に、何故か必要以上に触れてはいけないような気がした。杖を引き抜き、極細に弱まった光を喚ぶ。 「行こう、リリー。俺もいい加減、少しはサラカエルの役に立たなくちゃ」 「あらぁ、知り合い? 殺戮の天使様とおんなじ名前ね」 「うわっと!? あ、いや、その、えっと、うーん……あ、あはは。ま、まあ、そんな感じ?」 弱々しい光であっても、親友が預けてくれた導きの灯火に違いない。ゆっくり進んでいく光の軌道に、二人は手を取り合いながら続いた。 「……この部屋が、そうなの?」 「ええ。それにしても、見張りがいないのが気になるわね」 二階の南側、濃紺の記事に青色の紋章を刺繍した軍旗が等間隔で備えつけられた廊下、その中央。 ニゼルとリリーは、近くにあった棚のすぐ側に隠れて、目と鼻の先にある扉のうち一枚を注意深く観察する。 他の部屋の扉に比べれば、それは枠組みや素材からして明らかに金のかかった造りをしていた。 枠は本物の金で出来ていて、あちこちに大粒の宝石などが散りばめられている。成金趣味だ、ニゼルは呆れたように溜め息を吐いた。 「うーん。これだけ、すっごく豪華なドアだねー」 「悪趣味よねえ。やたら飾ったって、職人や家具屋が喜ぶだけだわっ」 「わあ、俺も同意見。リリー、なんなら宝石の一個でも、手数料代わりに貰っちゃったら?」 「あらぁ、素敵で大胆な意見ねえ。あたしはそうしてもいいけど、示唆したと見なされたらニゼルだって盗人の仲間入りよ?」 「ちょっと、やめてよー。冗談だってば」 よく分からない応酬を先に切って、まずはとニゼルが慎重に扉に触れる。意外にも鍵は掛かっておらず、ドアノブは簡単に回った。 罠だろうか……リリーを盗み見ると、彼女は小さく首を縦に振る。どうしたものか、一瞬手を止めるも、気付けば隣に黄色の髪があった。 「男の子でしょう? こういうのはね、悩んでいたって仕方がないのよっ」 「あっ、いやけどそれはちょっと、ってリリー!」 バタン! 大胆に扉を押し開け、リリーが我先にと部屋に飛び込む。ニゼルは思わず頭を抱え、しかし我に返ると同時、彼女の後を追った。 刹那、ぱっと眩い光が目を射す。小さな悲鳴を上げて目を閉じるニゼルと、大げさなまでに大きな悲鳴を上げ、のけぞるリリー。 怯んだ二人の隙を突くように、突如として男ものと思わしき低い声が、室内に響いた―― 「ふふ……やはり、ここに戻ってきたな。そうとも、どう足掻こうとお前がこの屋敷から出る事は叶わんのだ」 ――不意打ちに似た歓迎の言葉に顔を上げると、一斉に点けられた照明の中央、見知らぬ男が一人、二人に向けて乾いた拍手を送っていた。 眩しくて、どんな容姿をしているかよく見えない。しかし、どこか他人を見下しているような物言いに、ニゼルは強い反発感を覚える。 はっと隣を見れば、リリーは両目を手で塞ぎ、まるで目を痛めたように首を大きく振っていた。取り乱ししまっているようにも見える。 「リリー、リリー! 目、痛いの? 大丈夫!?」 「リリー? ふん、下手な名を与えるのは止してくれ。それにはきちんとした名があるのだよ」 「あんたには聞いてないし、話しかけてもいないし。俺はリリーと話をしてるんだから、少し黙っててくれない?」 呻き、苦しむ女の肩を掴み、ニゼルは視線だけを男の影に向けた。肩を竦めたその影は、ぱちんと指を鳴らして歩み寄ってくる。 合図だったのか、閃光に近い照明は彼が一歩進む度に、一つ、またひとつと自動で消えていった。 待ち伏せされていた、或いは端から行動を読まれていた……緊張と重圧に喉を鳴らし、羊飼いは庇うようにしてリリーを自分の背後に回す。 (『新月の夜に自由でいられる』。目も赤いし、もしかしたらリリーは光が苦手なのかもしれない) 親友が所持していた本でつけた、半端な知識。それでも、女の苦しみ方は尋常ではないと、ニゼルは独断で判断を下した。 いよいよ、眼前に領主と思わしき男が立つ。 見上げてみればそれはインディコールと似たような背丈をしていて、また同じ香水を愛用するのか、全身から芳香を放つ事に気が付いた。 「黙っていろ、か。ふふ、そんな強がりを言えた立場かな?」 「……っ」 「お前が何者かはどうでもいい。その女は私の物と定めてある。今ここで返すと言うなら不法侵入については不問とするが、どうかな?」 ニゼルは躊躇いがちにリリーを見る。彼女はようやく冷静さを取り戻したのか、勢いよく首を左右に振った。 「冗談。アンタみたいな根暗、死んでもゴメンだわ! だいたい、この屋敷の家具も装飾も、ぜーんぶ『あたし達』の趣味じゃないのよっ」 「リリー?」 「……馬鹿な……お前、『彼女』ではない、な。何者だ?」 領主がぽつりと零した言葉の意味を、ニゼルは理解する事が出来ない。「彼女ではない」、それは一体どういう事なのか。 困惑気味にそれぞれを見比べる。男の方は顔からうっすらと血の気をなくしていて、一方、女の方はそれを嘲笑うように胸を張っていた。 「趣味じゃない、そう言ったのよ。うふふっ、錬金バカのお宝マニアには難しいお話だったかしら? 何百年ぶりよねえ、『アスモダイ』」 「なっ、何故その名を知っている!? お前は何者だ、彼女をどこへやった!?」 「え、えっと、リリー? 領主様ー……?」 「うふふっ、誰かしらね? ねえ、好きでもない男と体を重ねたい、誰がそんな自虐を叶えてやりたいと思うのかしら。教えて欲しいわぁ」 「ちょ、ちょっと、リリー! あのさっ、話が全然見えてこないんだけど!? アスモナントカって何なの!?」 二人は知り合いだ、それも一領民と一領主という枠組みを越えた、かなり親しい顔見知り――会話の流れからして、それだけは確かだ。 ニゼルはわけが分からない、そう叫ぶ代わりに、リリーの肩をしっかりと掴む。彼女は我に返ったように、はっと目を見開いた。 赤い瞳の中に、羊飼いの姿が映る。何度か瞬きが繰り返され、ふと女は深い眠りから覚めたような声色で、ニゼル、と青年の名前を呟いた。 「……アスモダイ、この男の名前よ。あたしをこの屋敷に閉じこめて、あわよくば抱いてやろうってずっと企んでいたドヘンタイ」 「へ、変態って……あのさ、さっき『あたし達』『何百年ぶり』って言ったよね。リリー、俺に何か隠し事してない?」 ニゼルはふと、頭に柔らかな衝撃を受けて目を動かす。見れば、いつの間にか伸ばされたリリーの右手が、空色の髪を優しく撫でていた。 「ニゼルって賢いのねえ。あたし、頭のいい子は大好きよ。そう、あたし、アナタに隠し事してるわ」 幼い我が子をあやすように、或いは、年老いた己が親を慈しむように。リリーは、自然な優しい笑みを美しい顔に乗せる。 「『あたし』は今、どこぞの大神と一緒で『この子のカラダ』に『間借り』してるの。でも、お互い合意の上の話よ。無理やりじゃないわ」 「え? 間借り? ……ゼウスみたいに!?」 「そうよう。あらぁ、っていうか、ニゼル。その口振りだと、アナタ、あのどこぞの大神にも会った事あるのね」 「うん、あるよ。あるけど……もしかして、リリーも神様か何かなの?」 インディコールという人間の器に宿る、大神ゼウス。そして、目の前の黄色の髪の女。両者の繋がりが見えず、ニゼルはますます混乱した。 リリーは落ち着けと諭すわけでもなく、派手に噴き出して見せる。まさか、そう言って腹を抱え、男達を置き去りにしばらく一人で笑った。 「あたしが神様だなんて、そんな事言ったら世界がひっくり返っちゃうわよう! そうじゃなくて、『この子』がとってもスゴい器なのよ。 でもねえ、この子、そこのアスモダイやその上司にものすごーくしつこく言い寄られてるの。だからこうして、ここに捕らわれてるのよ。 ねえ、可哀想よねえ? だってニゼルは、あたしをここまで連れてきてくれたもの。あたしごと助け出すの、手伝ってくれるでしょう?」 リリーの話は、出会った当初と何も変わらない。頼み事を受理して貰える筈だと決めつける自信や強引な性格も一貫している。 ニゼルの質問への返事としても、まだ説明が足りない部分もあるような気がしたが、そこそこ納得出来る内容だった。 「あのさ、リリー。ゼウスもだけど、わざわざ誰かの器を借りなきゃいけなかったの? 間借りしてるって、その間本人はどうしてるの?」 「あらぁ、今気にする事なの? それ」 「大事な事でしょ? 無理やりじゃないって言うけど、まさか器になってる子から体を強奪してるわけじゃないよね?」 「やだぁ、ニゼル。あたしとアレを一緒にしないで欲しいわ。大丈夫、この『黄色の髪の女』は今も器の内側からこの光景を全部見てるの。 本人が動きたい時は交代してるわ。むしろ、あの子が術で拘束されちゃったから、新月の間、まだ身動きの取れるあたしが出てきたのよ」 ちらと盗み見すると、領主アスモダイの顔は怒りと羞恥で真っ赤に染まっている。殆んど無意識に、ニゼルはリリーに頷き返していた。 「……うん、俺、また天使絡みの厄介事に頭突っ込んでるよね、これ!」 「そうねえ。ドヘンタイは鎖を媒介に拘束の術を発動させて、あたしごとこの子を捕まえた。見事に渦中のど真ん中だわ、流石ニゼルねっ」 「嬉しくないからっ、嬉しくないからね!? っていうか俺、本当に戦う術とか全然持ってないからね!?」 期待されてもどうしようもない、そう叫びかけた瞬間、ニゼルは浮遊感に見舞われる。気付いた時には、足が床から離れ、宙に浮いていた。 「うわっ、浮い……浮いてる!? ええっ!?」 「ニゼル君、か……ふふ、たかが人間風情が、この私の邪魔をしようと。私から『ガブリエル』を奪おうと、そう言うわけか」 「ニゼル! ちょっとアスモダイ、ニゼルを解放なさいよっ!!」 「黙れ! ふふ、お前が何者かは知らんが、後で分離させた上で八つ裂きにしてくれるわ。私を侮辱した事、後悔させてやる……」 どう見ても激怒してるし壊れてる――目に見えない力が、ニゼルの首を急速に絞めてくる。足をばたつかせ、息苦しさに必死にもがいた。 リリーが喚き散らす声が聞こえる。俺、このまま殺されるのかな……苦悶が押し寄せる中、頭だけは妙に冷めていた。 苦しい事には変わらない、助けを呼ぶ事もままならない。しかし、ふと耳にしたある単語が、ニゼルの脳内で鳶のように旋回している。 (『ガブリエル』。ガブリエル……? なんだっけ。どこかで、聞いた事あるような) 声を出そうとして、ニゼルは視界の端に銀色の光を見つけた。 いつの間に襟から飛び出したのか、首に下げたままだったサラカエルお手製の首飾りが、宙に揺れている。 窓から差し込む微かな星明かりが、それをぼんやりと照らしていた。万が一の時はって言ってた癖に――朦朧とした頭で天使をなじる。 いよいよ脂汗が額から流れ始めた時、ニゼルはどこかから、殺戮の天使に名を呼ばれたような気がした。 「――そこまでです。それ以上の事をしてご覧なさい、僕の弟子に、頭と胴体を切り離されかねませんよ」 ふわりと、室内に潮の匂いが綻ぶ。当然、嗅ぐ余裕のないニゼルはただ自身の首に爪を食い込ませていた。 それが急に楽になる。硬直が解け、直後、先の浮遊感と同じ感覚が全身を襲った。落ちる、悲鳴を上げるより早く何者かに抱き留められる。 「やあ、意外と頑丈に出来てるもんだ」 「ッ、げほ、……っさ、サラカエル!?」 見上げた先、殺戮の天使がニゼルを抱きかかえていた。不意に二色の瞳に見下ろされ、何故か急に顔が熱くなる。 ばたばたと両足を動かしていると、あろう事か、サラカエルは躊躇なく手を離してニゼルを床に放り出した。 強かに腰を打つ。激痛と衝撃に悶絶する羊飼いを鼻で笑う殺戮を、すかさず何者かの声が咎めた。 「こら、サラカエル。悪戯をするのは止しなさい」 「問題ありませんよ、先生。これには僕の加護を付けてありますから、加減はしてます」 「い、痛いから! 悪戯とかそういうレベルの話じゃないから!! もうっ、これだから天使は! これも藍夜に言うからね!?」 半分涙目になりながら腰をさするニゼルの背中を、駆け寄ったリリーが優しく撫でてくれる。視線が重なると、彼女は苦笑気味に微笑んだ。 つられて目を動かすと、サラカエルを窘めたのがラファエルである事に気付く。細い肩を借りて立ち上がり、ニゼルはようやく息を吐いた。 「殺戮に、治癒の天使か。ふふ、ペネムエめ……あいつが来ると、ろくな事がない」 完全に置いてけぼりだったアスモダイ。彼は肩を震わせ、居合わせた全員の顔をゆっくりと、舐め回すようにして見渡す。 薄笑いを浮かべる唇を蒼い舌が舐め、余計に彼の狂気を浮き立たせた。反射で体を強張らせるニゼルとリリーの前に、サラカエルが立つ。 彼の左手が下に向けられ、ひらひらと振られた。行け、無言でそう促され、ニゼルは大きく頷き返す。 「行こう、リリー」 「え、でも」 「やあ、ここにいられても邪魔だからね。西の窓に先生が獣達を待たせてある。一本道さ、流石に迷わないだろ」 困惑しきりの女の手を取り、強引に立ち上がらせると、羊飼いは振り向かずに部屋を飛び出した。 信用されてるもんだ、殺戮は首を傾げながら領主に向き直る。 激高、憤怒、恥辱。言葉にならない罵声を怒鳴り散らし、アスモダイはサラカエルとラファエルを交互に指差して、強くなじった。 二人の天使は互いに視線を重ねる。先に治癒の天使が首を縦に振り、殺戮は両手首の真新しい鋼糸を待機させながら、じりじりと後退した。 「待て! 許さんぞ、私の領域で勝手をする事は、決して許さん!!」 「いいえ、アスモダイ。『彼女は返して』頂きます。誰があなたに託したかは疑問を残すところですが、彼女は解放されなくてはならない」 サラカエルの気配が部屋の入り口付近にまで下がったところで、ラファエルは手のひらに腰の丈ほどまである光の棒を喚び出す。 殺戮が得意とする光の槍を、手頃な武器として結晶化させたものだった。互いに身構える両者の視線は、異常なまでに冷えている。 「ラファエル……何故だ、誰の指図だ? 大神か、ケイロンか」 「どちらも否、ですよ。何故なら、これは大いに私情を挟む介入だからです」 「天上界でクソ真面目と笑われていたお前が、私情だと? よほどの事がない限り、争いは全て無視してきたお前が、何故」 「僕も捜していたのですよ、『告知天使』を。宜しいですか、アスモダイ。高位天使の術を破る事が出来る者には、限りがあるものです」 「私に……悟りを、教えを説こうというのか。なめるなぁっ!!」 「告知天使ガブリエル」。それが、リリーを内包する黄色の髪の女の正体だ……ラファエルは静かに、目を開いた。 アスモダイ、かつて天上界にあった高位天使の一人。誇り高く博識とされていた男は、今や二対の異形の角を持つ堕天使と化している。 無情なものだ、口内で呟くと、治癒の天使は神の槍を長剣代わりに大きく振るった。 アスモダイの放つ同種の光がそれとぶつかり、拮抗し、室内に真っ白な激しい爆発と衝撃を生じさせる。 「僕にはどうあっても、ガブリエルが必要です。あなたの真意など、取るに足りないものだ」 「ふざけるな! あれは私の物だ、誰にも渡さん!! お前の私情など知った事か!」 譲歩する事は出来ない。 ニゼル=アルジルという「人間」を単独で「潜入」させる事で、ようやくこの悪魔の隠蔽の結界を破る事が出来たのだ。 「全ては最愛の弟子、サラカエルとウリエルの為に」。大翼を呼び起こし、ラファエルは光の剣を構えた。眼前、強力な堕天使を迎え撃つ。 |
||
BACK / TOP / NEXT UP:18/10/30 |