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楽園のおはなし (2-9)

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「アナタも人が悪いですネ〜、領主サマ」

……月のない、深夜の事だった。不思議とよく通るその声は、遠くから投げられたものである筈なのに、私の耳にしかと届く。
目覚めてみると、開かれた窓の向こう、ベランダに黒い翼を生やした天使が立っていた。身を起こし、目を細めてじっと姿を観察する。

「ふん。ヒト、というのは少し違うような気もするがな」
「おやおや? フフ、そうでしたね。アナタは所謂、人智を越えた方。ワタクシなどがからかうのも、不躾というものだ」

見知った顔だった。つまり、追い払う必要も捕らえる必要もないという事だ。寝具から足だけを下ろし、離れた距離を維持して向かい合う。
今日は特に風が冷える日だ。媚びるような天使の笑みを見つめながら、ぼんやりとそんな感想を抱いた。天使はゆっくりと入室してくる。

「して、ペネムエ。何用か、私の任務については不備なく順調に推移させているつもりだが」
「いえいえ、アナタの仕事ぶりについては、きちぃんと、あの方から聞き及んでおりますヨ? 噂に違わず勤勉でいらっしゃる」
「何か、用事があったから来たのだろう。またろくでもない案件か。半年前のホワイトセージの件、お前が関与していたとも聞いているぞ」

ペネムエ、銘は「記」す天使。私は、この天使が昔から苦手だった。黒みがかった青い瞳を歪ませて、同志はくしゃりと醜く笑う。

「人聞きの悪い。ホワイトセージ? そんなもの、とっくに昔の話でしょう。ワタクシはそんな、大それた仕事は出来ませんヨ」
「当時、名を変えて彼の地にいたというではないか」
「イヤですねえ、誰も彼も、何かあるとすぐワタクシのせいにしたがる。ワタクシは、自分の仕事を進めているだけ。それだけデスヨ」

黙り込む私を放置して、ペネムエは室内を忙しなく見渡した。翼を畳み、テーブルの水差しを見つけると、早速という風に水を口にする。
美味しい水ですねえ、にこりと笑う天使に、私は立ち上がって二人掛けのソファに座るよう促した。

「いえいえ、せっかくの夜ですからねえ。長居しませんヨ。思い出した事がありましたので、近くに来たついでに、オハナシをと思って」
「思い出した事? お前と話をするのは苦行だ、手早く済ませてくれないか」
「おやおや、皆さん冷たい事ばかり仰る。いいですヨ、ささっと済ませて、今宵の宿に戻りますから」
「……また女のところか。好き者な」
「ヒトの女性は、柔らかくて甘い匂いがして好いものですヨ。『堕天した者同士』、気楽に構えてもいいと思うんですケドネ」

私は一瞬、自分の背中に視線を向ける。
ペネムエは、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。舌打ちすれば、わざとらしく怯えたふりをする。
相手にするだけ時間の無駄だ。私は気を取り直そうと頭を振り、自分だけソファの真ん中にどかりと腰を下ろした。

「して、話とは」
「そうでしたネ。実は、アナタの仕事にこれから影が差そうとしているのデスヨ。ですから警告を、と思いましてネ」
「何? どういう意味だ、人間のふりも領主としての振る舞いも、指定された通りにこなしているぞ」

記す天使は、大げさに首を左右に振る。

「『殺戮の天使』と、奴が庇護している人間がコチラの街に近付いているのデスヨ。アナタが預かっている『アレ』を奪おうとネ……」
「な、なんだと? 殺戮……サラカエルだと!? 馬鹿な、今代のウリエルの元に留まっているのではなかったのか!」
「それが、どうも方針変えしたみたいでしてネ。今は気楽なタビガラス、だそうですヨ」

私は震撼した。サラカエル……女神ヘラに遣えていた、最後の審判の補佐役。目的の為なら手段を選ばない、殺人狂いと聞いている。
私は、隣室に続く扉をちらと見た。あの扉一枚の向こうには、ペネムエとは異なる同志より預かった至宝が眠りに就いている。
視線を感じて振り返ると、ペネムエが興味深そうに扉を見ていた。牽制する意味で咳払いすると、記す天使ははたとこちらに目を向け直す。

「あの向こうに、アレがいるのデスネ。一度、大人しいところを見てみたいものですねえ」
「黙れ。この仕事は、お前ではなく私に振られたものの筈」
「おお、そんな恐ろしい顔を! もちろんデスヨ、ワタクシもワタクシの仕事が立て込んでいますから」

舌打つ私を、天使は無視した。芝居がかった動作で両腕を前に滑らせ、ペネムエは謙虚そうに一礼して見せる。

「宜しいですか――アレを失う事は、我らの目的の到達に十数年、いいえ、数百年の遅滞を齎すでしょう。しっかりと、お願いしますヨ」
「……言われるまでもない。如何に相手が高位天使であろうと、ここは人間界。奴とて、そこまで大きな真似は出来まい」

期待していますヨ、ぽつりと含み笑いを含む声が宙に溶けた。気がつけば、記す天使の姿は夢幻のように消えている。
警告。久方ぶりに会ったと思えば、ろくでもない情報を土産にしてきた。喰えない男だ、私は背もたれに寄りかかり、天井を見上げる。

「目的……目的か。果たして、私にとって何らかの利益となるものか」

ふと、扉の開閉音が鼓膜を打った。視線だけで振り向けば、あの至宝が目を覚まし、こちらに歩み寄ってくる姿が見える。
美しい……純粋に、そう思わせる整った容姿をしていた。人間の小娘の魅力など、これに比べれば天と地の差があるというものだ。
私は手を伸ばし、天使能力を駆使して隣に座るように指示を出す。それは、ぼんやりと虚ろな顔を浮かべたまま、しずしずとそれに従った。

「恐れるものなどあるものか。これは私の物だ……」

さらさらとした、心地よい触り心地の髪を撫でる。黄色のしなやかなそれは、春の野原を思わせた。微動だにせず、私の手を見守っている。
如何なる者にも邪魔はさせない……長い髪を手繰り寄せて口元に運び、染み込んだ花の香を堪能した。窓の外には、満天の星が見えている。
ようやっと手に入れたのだ――私はグラスに水差しの中身を注ぐと、それと分け合うように交互に口にしながら、うっとりと空を見上げた。






「それで、そのー、天使を捕らえてるっていう領主様って、どんな人なの?」

風が横切る、冷たい空気が肺を締め付ける。ニゼルは、シリウスの白いたてがみにしっかりとしがみつきながら、視線だけを眼下に送った。

「さてね、僕もそこまで調べてないし。帝国の領土ではあるらしいけど、サンダルウッドの国境も近いから、立場は複雑かもしれないね」

四枚の翼で羽ばたきながら、サラカエルが振り返らずに応える。薄青の空の中に、夜色の翼は強い存在感を放った。
ちゃんと飛べるんだなあ――転移術を愛用するイメージがあった為、殺戮の天使の飛翔姿は貴重に思える。
……あの後、皆で一通り遅い昼食を摂り終えた後。
どのみちやる事もないのだし、と結論づけた一行は、シリウスの件に深く触れないまま、捕らわれの天使がいるという街に向かう事にした。
シリウスはシリウスで彼なりの葛藤を抱えているらしく、口数は少ない。処女を好む種でありながら、無抵抗でニゼルを背に乗せている。
何故か、琥珀も若干機嫌が悪いようにニゼルには思えた。こっそり殺戮の天使に話を聞いてみても、いつも通り首を傾げられたきりだ。

(うーん。喧嘩を売りにいってるあたり、シリウスが気になってるっていうのは確かだけど。女神様、ヘラ……並みに執着してるような)

刹那、一際強い風が吹き、ニゼルは悲鳴を上げて一角獣の首に抱きついた。シリウスは小さく唸ったが、聞こえなかったふりをする。
正直、乗り心地は最高だった。更に、白毛の手触りや温かさも心地よく、琥珀の滑らかな羽根の触感にも負けていない。
鼻高々と言わんばかりに、ニゼルはたてがみをそっと撫でる。騎獣になって貰って正解だったと、羊飼いは一人密かに、にやにや笑った。

「ねえねえ、ニジー。サンダルウッドに近いって事は〜、案外、藍夜やシアと会えたりしてね〜!」
「へ? なっ、ちょ、ちょっと琥珀。不吉な事言わないでよ!」
「だってさ〜、もう半年は経つんだよ? そろそろ元気になってもいい頃じゃない? ニジーだってホントは会いたいんでしょ〜?」

ラファエルを背中に乗せた琥珀が、後方からヤジを飛ばしてくる。内心を見抜かれたような気がして焦るも、魔獣の口調は明るく、軽い。
胸を撫で下ろしながら、サラカエルを盗み見た。彼は対天使であるウリエルの転生体、鳥羽藍夜の元に頻繁に手紙を届けに行っている。
彼は今、親友の体調をどう視ているのだろう。尋ねようにも、殺戮は前だけを向いていて、ニゼル達に嫌みの一つも飛ばしてこない。

「消耗した力を取り戻すには、膨大な時間と本人の資質、努力、周囲の協力を要します。ウリエルに無理はさせないように。アンバーくん」

逆に、食って掛かってきたのはラファエルだった。琥珀の背に器用にまたがりながら、天使は一つの陶器を手のひらの上で転がしている。
白塗りの小さな瓶だった。調味料か香水でも入っているのか、揺らされる度にちゃぷちゃぷと小さな音を立てている。

「そうは言うけど〜、ラッファーはニジーと藍夜がどんなに仲良かったか知らないから、そういう事が言えるんだよ〜」
「ラッ……いえ、どちらにせよ、鳥羽藍夜くんの体は弱いのですから。そういった交友は、完治後にも出来る事でしょう」
「だってさ〜……せっかく今の時代を生きてるのに。一緒にいた方が楽しいに決まってるよ。それに、今はウリエルじゃなくて藍夜なのに」

言い返すグリフォンの口調は、どこか反抗的だった。ラファエルと何かあったのかな、ニゼルは後方に視線を流しながら嘆息する。

「おい、見えたぞ。目的地だ」
「わあ……北側は緑いっぱいだね! 本当にサンダルウッドの近くなんだ」

シリウスの言葉通り、地上には小さな街が見えた。その向こう、遙か北にはサンダルウッドの象徴たる見事な草原、山々が広がっている。
降りるぞ、短い言葉で注意を促され、しっかりと首に掴まり直した。
ふわりとした浮遊感に包まれた直後、目に見えない階段を駆け下りるようにして、ユニコーンは下へ下へと跳躍していく。
あっという間に一行の姿は街のほどなく近く、鬱蒼と茂る森の中に溶け込んだ。木々はまばらな紅葉を向かえていて、空の青によく映える。

「えーと。ここって、どのへんなの?」
「お静かに。街道はすぐそこです、出来るだけ目立たずに領地に入る方がいいでしょう」

すぐさま人型に転じた騎獣達の横、大判の地図を広げるラファエルの手元を覗き込みながら、それもそうか、とニゼルは頷き返した。
天空ほどではないが、森の中には微かにひんやりとした空気の流れがある。耳を澄ませば、鳥のさえずりも僅かながらに聞く事が出来た。

「先生、ここからの先導は僕が。獣(けだもの)どもと、例の予定通りにお願いします」
「分かっているよ、サラカエル。君も気を付けて」
「え、ラファエルは一緒に来ないの?」
「先生にはして頂かなければならない別の用事があるんだよ。君が間抜けぶりを晒さなければ、僕一人で護衛は十分だろ」
「ええ? サラカエル、今の、俺にだいぶ失礼じゃない?」

あしらうように手を下向けにして振られ、ニゼルは口を閉じる。サラカエルは気にした風もなく、茂みに入っていく兄弟子の背を見送った。
不機嫌さは伝わっている筈だ、その証拠にこちらを見もしない。
殺戮から目を離したニゼルは、一角獣が何度もこちらを振り向き、足を止めながら治癒の天使を追う姿を目にする。
交わした契約……口調からして真面目な質だと分かっていたが、律儀にもほどがある――改めて、彼に科せられた使命を理不尽だと思えた。

「ねえ、サラカエル……」
「やあ、それ、不便だね」
「え? 不便? 何が?」
「信仰心の厚い人間にとって、『エル』の名は特別なものなんだよ。天使に赦された名だからね……何か、偽名でも考えないとな」
「ふーん……あ! じゃあいっそ、藍夜、とかどう?」
「やあ、面白い冗談だと思っているなら、大間違いさ」
「え、俺は割と本気で……って、ちょっと待って、悪かったよ、置いてかないでってば!」

思考は逸れていく。騎獣達と離れ、ニゼルはラファエルら天使同士の作戦に触れられないまま、先に歩き出したサラカエルを追った。
街道に出てすぐ、陽光の眩しさに目を細める。日が沈むのが早い。まだ青空は残っていたが、西の空に白光を放つ太陽が向かいつつあった。
もう一、二時間もすれば日が暮れる。街の造りを見ながら潜入経路を探そう、殺戮にそう促され、素直に従う事にした。

「……おっきい壁だね」

舗装された街道を大した距離も歩かないうち、目的地と思わしき白塗りの煉瓦に囲まれた街に着く。
周囲の豊かな森に比べ、人工的な囲いを施された小さな街は、自然の風景に噛み合わず、まるきり浮いていた。
目を凝らすと、壁の一部に黒い線で描かれた模様が複数点在している。文字のような、絵のような……ニゼルはこれらの造形に覚えがあった。
思わず振り返ると、サラカエルは無表情で模様を睨みつけている。やはり天使絡みの呪いなんだ、羊飼いは小さく唾を飲んだ。

「やあ、そんなに緊張する事でもないさ。先生がきっと上手くやって下さる。僕達の『先生』が」
「え? ラ、えっと……あー、『先生』が?」
「そうさ。僕はナハト、そして君はその旅仲間……さて、僕達は『気楽な信仰の旅』でも続けておこうじゃないか」
「うわ、だから待ってってば!」

また置いて行かれる、慌てて追いかけようとしたニゼルだったが、殺戮が不意に歩みを止めたのを見て急いで立ち止まる。

「ああ、そうそう。偽名の件だけど、一ついい候補を思い出した。しばらく僕の事は、その名で呼んで貰おうかな」
「え……もしかして、藍夜、とか?」
「やあ、君の間抜けな思考回路は解体して取り替えでもしないと治らないのかな。『ナハト』。そう、ナハトとでもしておこうか」
「ナハト……なんだろ、どこかで聞いた事、あるような」

ニゼルには、不思議とその偽名に聞き覚えがあるような気がした。気のせいだと思うよ、サラカエルは首を傾げ、やはり先に歩き出す。
空がうっすらと、金色を帯びてきた。信仰の旅の連れというなら、歩調くらいは合わせて欲しい……口には出せないまま、渋々と後に続いた。

「こんばんは。王国の巡礼活動では生きていけそうもないので、亡命させて頂きたく越境したのですが、宿がなく。入国させて頂いても?」

街の入り口と思わしき、一つしか見当たらない関所の横。殺戮は詰め所からのんびり出てきた門番に、涼しい顔でそう告げる。
信仰の旅とかいう台本はどうした! ニゼルはいきなり突っ込みたくなったが、拳を握りなんとか耐えた。
門番は胡散臭そうに二人を見比べ、後から出てきた年配の門番と何事かを囁き合っている。ちらちらと盗み見され、生きた心地がしない。
サラカエルは前に踏み出すと、小声で二人に何か話しかけ、手のひらに収めたものを手渡した。中を改めた門番はやはり囁き合っていたが、

「よし、事情は分かった。身分証も確認が取れている、通るがいい」
「えっ、と? えっ、いいの? 身分証って、」
「ありがとうございます。あなた方に、軍神アレース様の加護がありますよう」

おもむろに門番の槍と長剣が抜かれ、銀光が街の中を指し示す。行け、という事らしい。
ニゼルとサラカエル、もといナハトは愛想笑いもそこそこに、巡礼者らしく静かな足取りで関所を抜け、入国を果たした。

「サ、」
「なんだい、間抜け」
「ううっ、間違えた。えっと、ナハト? どうやったの?」
「さてね、大人の事情ってやつじゃないかな」

夕方であるからなのか、通りは買い物客が忙しなく行き交っている。壁は白塗りの煉瓦だったが、街そのものは木と鉄鋼で形成されていた。
歩く度、夕餉の匂いが鼻を掠める。物珍しそうにあちこちを見渡しながら歩いていると、不意に腕を掴まれ、引っ張られた。

「え、サ……ナ、ナハト。何?」
「その格好で巡礼者、はないだろ。もう少し見てくれは整えておかないと」

言われると同時、ニゼルは派手にくしゃみをする。寒い、ぶるりと体を震わせ、手を引かれるままに天使の後に続いた。
考えてみれば、ここはサンダルウッド王国にほどなく近い街だ。先ほどまでいた帝国の南端や東に比べれば、気温はぐんと低くなる。
彼は気遣ってくれたのかもしれない。衣料店に入りながら、ニゼルはちらとサラカエルを見た。殺戮は、変わらず涼しい顔を維持している。

「ふん。はい、これとこれ、それとこれもかな。そこで着てきて」
「うわ、ちょ、そんないっぺんに持たせないでよ」

着いて歩くだけの羊飼いに、サラカエルは旅人が好むであろうフード付きのマントやポーチが取り付けてあるパンツなどを乱雑に手渡した。
試着室に押し込められながら振り向けば、天使は店の奥から出てきた店主と思わしき老女に歩み寄り、何事か話しかけている。
こういう変装や潜入調査に慣れているのだろうか。彼が老女にじゃらじゃらと音を立てる布袋を渡しているのを見て、ニゼルは肩を竦めた。

「おおっ。アルジル羊ほどじゃないけど、いい感じ!」

絹とまではいかないが、新しい服は暖かく、手触りも良好で着心地がいい。自画自賛という風に鏡の前で一度胸を張り、試着室を出る。

「えっとー。あの、お待たせ?」
「やあ、そこそこ似合っているじゃないか」
「ナハト。ありがとう、っていうか、いつ着替えたの?」
「よく見なよ。上からマントを羽織っただけだろ」
「それは分かるけど」
「若旦那。よーく、お似合いですよ。それから、そこの角を右に曲がった三軒目の宿。あたしの身内がやってますんで、よかったらどうぞ」
「ああ、ありがとう。今夜の宿が取れなくて困っていたんだ、助かるよ」
「わ、若旦那ぁ!? ええー……」

気付けば、老女はにこにこと満足そうに笑っていた。手書きの簡単な地図まで渡され、ニゼルは困惑しきりにサラカエルを見上げる。
やはり、天使は涼しい顔のままだった。どこまでころころと作戦変えをするつもりなのか、まるで理解出来ない。
憮然と口をへの字に曲げる羊飼いを無視して、老女に駄目押しとばかりに金貨を二枚手渡し、サラカエルは素早くきびすを返す。
そんなにほいほい買収して、後から足元を見られないんだろうか……ニゼルは最早、口出しする気も失せてしまっていた。

「仮眠をとっておきなよ。深夜にはここを出るからね」
「ええ? それはいいけど、今、領主様の様子を見に行くんじゃないの?」
「時間を考えなよ。宿は取れているのに、今から行ったんじゃ宿の無心をしたところで説得力に欠けるだろ」
「えっとー、あのさ。さっきから気になってたんだけど、計画ずさん過ぎじゃない? 大丈夫かな」

宿に着くや否や、殺戮はどこからか取り出したケースから細々とした武器を引きずり出し、マントの下に次々としまい込んでいく。
質問を流された、思わず口を閉じたニゼルに振り返らずに、サラカエルは一度手を止め、窓の外を見ながらぽつりと呟いた。

「仮に抜けがあったとしても、困るのは君であって僕じゃないからね。ま、いざという時は助けるから、それでいいんじゃないかな」
「は、はあっ!? 何それ、後で藍夜に言うからね!? 絶対、後で後悔するからっ!」
「はいはい。さあ、早く寝るといいよ」
「うう……本当に、後悔しても知らないからね」

夜間の侵入作戦。穴だらけの気がしてならなかったが、どうやら主犯の殺戮の天使は、本気であるらしかった。
壁際に立ち、瞳術を交えて外を睨むサラカエルを見ながら、ニゼルは渋々と寝具に横になる。眠気など当然訪れる筈もない。
本当に大丈夫なのだろうか。むすっとしたまま、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。





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 UP:18/10/19