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楽園のおはなし (2-7)

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「あ、よかった! 気が付いたんだね?」

サラカエルと琥珀との間に流れる微妙な緊張にまるで気付かなかったように、部屋に入るなりニゼルはぱっと明るい声をあげた。
当然、声をかけた相手はあのユニコーンだ。寝具の上、上半身だけを起こした格好で、白髪の青年の姿を取る魔獣は顔を歪めてみせる。

「……ここは、どこだ。俺は一体、それにお前達は、」
「うん、待って待って。気持ちは分かるけど、俺達、口も喉も一個しか付いてないから。説明するから落ち着いて」

低い声での発声は、不快さと苛立ちを辛うじて隠し込むものだった。ニゼルは、手短に彼の身に起こった出来事を説明する。
一角獣は話を黙って聞き終わると、大げさなまでに大きな溜息を吐いた。その顔には、命拾いしたというような安堵の色が含まれない。
どちらかといえば、助けられた事に不満を持っているように見える。ニゼルは首を傾げて、彼の発言を待った。

「人間も天使達も、根本の思考はあまり変わらんな」
「天使? 天使が、どうかしたの」
「俺を追っていた連中の中には、天使の気配もあった……あいつらにとって俺達魔獣は、利用価値のある家畜かそれ以下の命であるらしい」

ニゼルは、ちらと殺戮の天使を盗み見る。琥珀に対する彼の天使の態度は、このユニコーンの言う天使達と同義の類とは思えなかった。

「つまり、俺達の事は何も信用出来ない。捕獲しようとしていた人間と一緒で、君を私利私欲の為に助けただけ……そう言いたいんだ?」
「そうなるな」
「そう言われてもなあ。一方的に危ない目に合わされてる動物とか、放っておけないし。それにもう助け終わった後だし」
「なら、逆に聞いてやる。本音としてはどうだ、お前は何の意図で俺を助けたんだ。何が目的だ」

なんでこんな話になってるんだろう、助かったからそれで良しじゃ駄目なのか――ニゼルは、荷物をサラカエルに託しながら考える。
純粋に、生き物は好きだ。中でも、魔獣などは動物に近い身でありながら個々に知恵を有し、独特の価値観を持っている。
彼らの話に触れ、双眸を見つめ、魂の有り様を探り、核心に近しい真相を知りたい。
それだけを理由に彼らを助ける事は、窮地の生命を救う事は、悪だと断じられてしまう行為なのだろうか。

「どうした? 答えられまい、何かしら狙いか利益を求めた上での行いだろう」
「えー、ちょっと心外。俺、そこまで強欲に見える?」
「お前だけじゃない。人間も、天使も、そこにいる凶暴なグリフォンも。どいつもこいつも、俺から見れば全て同じだ」
「酷いなあ……俺はともかく、琥珀はすっごく素直で可愛い、いい子なのに」
「ふん。鷲獅子如きに、可愛いもあるものか」

彼の毒舌には、鷲獅子に対する嫌悪がくっきりと刻まれていた。ニゼルは思わず視線を滑らせる。
彼の斜め前、彼が目を覚ます直前まで容態を見守っていた琥珀は、今や不平と不服を同時に顔面に浮かべていた。
頭を抱えたくなる。しかし、グリフォンがユニコーンの天敵であるという説は確かな事実であるようだ。
……狙いか、利益。魔獣アンバーのこれまでの言動を思い浮かべ、ニゼルはふと、脳内に一筋の光明が射し込むのを感じた。

「狙いと利益か。あるよ、それくらい、俺にだってあるに決まってるよ」

すらすらと淀みなく出てくる言葉。ほら見た事か、言ってみろ――一角獣は、顎を僅かに前に伸ばして話を促す。
その冷淡な態度に、羊飼いは怯まない。むしろぱあと顔を輝かせ、にこにこと笑いながらユニコーンに向かって口を開いた。

「簡単だよ、俺達の仲間に……ううん、『俺の騎獣』になって欲しいんだ! ユニコーンなんて初めて見たけど、すっごく格好いいし!」

一瞬、空気の流れが停止する。そう錯覚してしまうくらいに、ニゼルの放った要求は常識外れだった。誰もが言葉を失っている。
元から不機嫌そうではあったが、それを抑えているという様子はあった。ニゼルの要望に、ユニコーンの顔はたちまち険悪なものになる。
強いて言えば、我慢の限界といったところだろう。一角獣はニゼルの純に輝く顔を睨み上げ、常人なら身を竦ませかねない敵意をぶつけた。

「……って、だめ? いきなり過ぎたかな」

一方、ニゼルに堪えた様子はない。お前に拒否権はないと言わんばかりに、その態度は堂々としている。
頓着状態が続いた。おもむろに、ユニコーンが静かに口を動かし、音を紡ぎ出そうとする。
「断る」、飛び出てくる筈だったその拒絶を皆が聞く前に、なんとユニコーン本人を押しのけ、別の者が彼の前に身を乗り出した。

「ヒッドイ、ニジー! 僕がいるのに、こんなウマなんかがいいなんて!!」
「おい、俺は馬じゃない、一角獣だ。家畜扱いするな」

琥珀だ。これにはニゼルも、反論を忘れて目を瞬かせる。

「ウマは黙ってて! っていうかニジー、ソレ本気? スジョーも知らないのに勝手に仲間にしたら、藍夜が黙ってないと思うけど……」
「藍夜? ふん、そいつもお前のような常識知らずか」
「ちょっとっ、うるっさい、ウマ! 僕は今、ニジーに話しかけてんの! 忙しいんだから割り込んでこないでよ!!」
「黙れ、お前が俺を勝手にここに運んできたんだろう」

押し合いへし合いというべきか、天敵を追い払おうと腕を伸ばすユニコーンと、その腕を全力で振り払うグリフォン。
双方、人型であるので、一見はじゃれ合っているようにしか見えない。ニゼルは内心面白がりながら、漫才じみたこの応酬を観察した。
……ふと、片腕に違和感を覚えて目を向ける。見ると、隣に来ていたサラカエルが、ニゼルの肘を己の肘で突っついていた。
話が進まないと思うけど――冷めた双眸が、小声で囁きかけるように総まとめを促してくる。ニゼルは素直に、天使の誘導に頷いた。

「はいはい、二人とも、その辺でストップ。特に琥珀。その子、病み上がりなんだから」
「だって、ニジー」
「だって、じゃないの。もう、『体だけが大きくなったんだね』って言われたいの? 違うでしょう?」

琥珀は、しぶしぶといった様子で椅子に座り直す。ニゼルは歩み寄るなり、よく出来ました、と彼女の頭を優しく撫でてやった。

「で、今ので分かったと思うけど、琥珀でさえこうなんだよ? 俺にはサラカエルや琥珀が護衛として着いてくれてるから、旅は安心安全。
 そもそも君が倒れた理由は過労なんだって。もし旅を続けなきゃいけない理由があるなら、俺達が天使から君を守るよ。穢れずにも済む」

交渉の手札としては十二分な筈だ。ニゼルは真剣な眼差しでユニコーンを見つめたが、彼の表情は未だ晴れない。

「信用出来ないっていうのは分かるけど。天使だから人間だからグリフォンだから、で一緒くたにしないで欲しいなあ」
「……俺が言いたいのはそんな事じゃない。話を聞け」
「ん? お、何か言い分があるわけだね。どうぞどうぞ、話してみて。時間だけはたくさんあるから」
「そもそも、誰も助けてくれなどと頼んだ覚えはない」

場の空気が凍りつく。ニゼルは瞬きして、一角獣の顔を見つめた。どこか暗い顔が、俯き気味に重い言葉を零す。
悲観に染まったような魔獣の言葉に、ニゼルは自分の心が、ざわざわと音を立て始めるのを感じた。

「……じゃあ助けなきゃよかったの? 生きたまま皮を剥がれたり、角を抜かれたり、たてがみを毟り取られたりしたかもしれないのに?」
「アー、ちょっと、ニジー? そこまで言わなくても」
「なんで? 人間の魔獣の扱いなんてこんな感じでしょ? あったかいご飯や寝床を用意して貰えるとでも思ったの?」
「……そりゃ、ちょっと干し肉にされたり熱い鉄板の上で焼かれたりくらいはされるかもしんないけど」
「おい、こっちを見ながら言うな。よだれも垂らすな」

ユニコーンの誇りがそうさせるのか。琥珀を間に挟むと、彼は多少、前を向く傾向を見せる。ニゼルは一時、口を閉ざした。
この魔獣は、心にどこか闇を抱えている。インディコールと再会した時に感じた「嫌な予感」が、首をもたげた。

「或いは、逆さ吊りにされて生き血を抜かれたりね。一角獣の血は、穢れの少ない希少な液体の一つと聞いている」
「そこは盲点! 俺は会った事ないけど、竜とかは使えない部分はないんだって……って、サラカエル! あまり脅かさないであげてよ」
「へえ、君、鳥羽藍夜の所有する本を随分と多く読んでいたみたいだね」
「へへ、そうでしょ。俺って実は努力家だから。だから、この子は何とかして俺の騎獣にしたいんだけどなー」
「どの口がそれを言うんだ。自分の言葉を省みてみろ」

ニゼルの自信たっぷりな言い分に、サラカエルは無言で顔を歪め、一角獣は琥珀にそうしてみせたように、素早く反論を飛ばしてくる。
会話の流れから察するに、一同との相性は悪くないのだろうが……ニゼルはぐるりと周囲を見渡し、それぞれの表情を見比べた。
サラカエルや琥珀の顔がうんざりといった風にしていてるのは、自分の唐突な要求が原因だ。このユニコーンを嫌悪しているわけではない。
対して、一角獣本人は浮かない顔のままだ。自殺志願の願望でもあるのか、否、単に根が真面目すぎるだけのような気がする。
後ろ向きな思考パターンは、親友に似ているとニゼルは思った。顔を俯かせてはいるものの、瞳はまっすぐこちらに向けられているからだ。

「考えてはみたけど、ごめん、俺こういう性格だから。ね? 諦めて俺の騎獣になって。『天上まで駆け上がる足』なんて格好よすぎるよ」

藍色の瞳は、嘘や誤魔化しを見せていない。彼は何かしら、自分を追いつめなければならない状況下にあるのに違いない。
そう予想したからこそ、ニゼルは敢えて笑顔で話を振る。無理にでも引きずり出し、立ち上がらせる事で、見えてくるものもある筈だ。

「……俺は誰にも媚びないし、従うつもりもない」
「そんな事頼んでないけど。普通通りでいいよ、俺は普段と同じ君と、雇用契約したいの」
「雇用? 契約? 大げさな」
「昔、ある人に言われたんだ。言葉にはね、コトダマっていう不思議な力があるんだって。言った事は全て本当に叶えられちゃうんだって。
 それだけじゃないよ。適当な事を口にして、言質を取られたら困るでしょ。だから、俺は君を騎獣として雇う契約を結びたい。どうかな」

誰に聞かされた言葉だったか……ニゼルは、すらすらと出てきた言葉の羅列に自ら驚いた。
それでもユニコーン自身にとっては、心を打つものがあったらしい。黙考していた青年が顔を上げると、先の暗い表情が消えている。

「いいだろう。ただし、俺には果たさなければならない使命がある。それだけは、必ず優先させて貰うぞ」
「いいの? ううんっ、いいよ、もちろん! 当たり前じゃない。そうと決まれば……えーと、契約書とかでも用意する?」
「馬鹿か、このあたりでは『紙』は高価だろう。そこまでしなくてもいい。……俺の血筋は、代々、言葉で伝承を言い伝えてきたんだ」
「……話が纏まったんなら何でもいいんだけどさ〜。お前、なんて名前なの。ウマがイヤなら、イッカクジューとでも呼べばいいワケ?」

ふと、割り込む声があった。ニゼルと一角獣は、声の主である琥珀に殆んど同時に目を向ける。
グリフォンとしての自尊心か、或いは放置された腹いせか。彼女は椅子に腰掛けたまま、上半身だけを仰向けに、寝具に放り投げていた。

「えーと、確かに名前が分かんないのは不便だよね! ナイス、琥珀」
「今更ゴキゲン取ったって、僕フキゲンだも〜ん。なんだよ、ウマの癖に偉そうに」
「馬じゃないと言ってるだろう。俺にも名くらいある」

鷲獅子が嫌みを飛ばすより早く、ユニコーンは毛布の中に潜らせたままだった足を折り曲げ、あぐらを掻くように素早く引っ込める。
自動的に、琥珀の頭はぽすんと軽い音を立て、ごわごわした安価なシーツの上へと落とされる格好になった。
不服そうな彼女を慰めるようにして、ニゼルは手を伸ばし、その膝を撫でる。同時に、目線だけは一角獣の元へと向けていた。
藍色の瞳が、寒空に独りきりで浮かぶ月のように、静かな気配を湛えてこちらを見ている。

「シリウスだ。星の民は皆、産まれた時に星の名を充てられる……俺の名は、北の空に遠く輝く、青白く冷たい星だ」






シリウスは本調子ではないのだから、今日はこのままここに泊まろう……誰が言い出したわけでもなかったが、皆思い思いに寛いでいた。
サラカエルだけは失った鋼糸の補填に行くと言って留守にしていたが、代わりに今晩限り、ラファエルが結界を展開してくれている。
彼曰く、星の民もまた結界精製に優れた種族であるが、疲労を蓄積させている今、ひとまずは休ませておいた方がいい、との判断だった。
ニゼルは、窓際に立つ治癒の天使を見る。彼は窓越しにどこか遠くを眺めるよう目を外に向けていて、そこから微動だにしなかった。

(……静かだなあ)

ユニコーンの仲間入りがよほど不満だったのか、琥珀は早々と床に丸くなっている。鷲獅子という原型は、今は大型犬程度の大きさだ。
人の姿に化けるのと同じ感覚で、原型といっても大きさなどはある程度の自由が利くのだと、彼女はいつも自信満々の様子だった。
風にそよぐ牧草のように揃った羽毛を撫で、金色の光に目を細める。シリウスはシリウスで美しい姿をしていたが、琥珀もそれに劣らない。

「琥珀も美人さんなんだけどなあ。なんで、そんなに馬が気に入らないんだろう」

思わず声に出ていた。ふと視線を感じて顔を上げると、柔らかく微笑むラファエルと目が合う。

「無理もないでしょう。グリフォン族は、神々の園では長く遠ざけられてきましたから」
「遠ざけ……どうして。確かに凶暴だし、わがままなところもあるけど」
「その二点のみならず、知恵があるからですよ。口が立つから神々も持てあましていた。逆に言えば、懐けば忠実な門番になるのですが……
 そういえば、過去に彼らと同じように神々に質問責めをして、天上を追われた天使もいたそうですが……色々と都合もあったのでしょう」
「あー、うん、ゼウスを見てなんとなく分かったかも。色々と、困る事があるんだよね。神様にも」

天使だけではない。人間を創造した神々もまた、人間の本質によく似ている……ニゼルは、サラカエルが用意していた紅茶を啜り嘆息した。

「ねえ、ラファエルは藍夜……えーと、ウリエルやサラカエルのお兄さんなんでしょ。あの二人って、昔どんな感じだった?」
「兄というと語弊がありますね。僕は彼らとは職業柄の関係はありましたが、実際に初めて顔を合わせたのは、医学の師の元でしたよ」
「同じひとに教わってたって事? そういえば、サラカエルがラファエルを先生って呼んでたっけ」
「ええ。あの子は、昔から妙なところで真面目が過ぎましたから」

真面目だよねえ、ええ本当に、冷め切った紅茶はやはり、それでも美味だ。陶器を手にしたまま、ラファエルは再び窓の外を見る。
口元には柔らかな弧が浮かんでいた。彼にとって、ウリエルとサラカエルは本当に愛しい弟子だったのだろうと、ニゼルは思う。

「ウリエルはケイロン先生……僕達弟子に医学や薬草学を教示して下さった魔獣の師に、つきっきりで学を進めていました。熱心でしたよ。
 サラカエルの話では、ヘラ様の別邸にどうも好いている相手がいたとかで……その天使に恥じないようにと速読術も取得したほどでした」
「あ、うん、えーと……あはは。あんまり、その話はしない方がいいのかな? 藍夜の名誉の為にも」
「そうですね。いえ、僕はその相手について聞き出すのに失敗していましたから」

寂しげというより、苦笑に近い形でラファエルは笑った。それでも弟弟子の秘密を守秘しようとするあたり、人が好いと思わされる。

「僕達の師、ケイロン先生はケンタウルス族でしてね。自由奔放、明朗快活、豪快と、とにかく手が着けられない方でした。ええ、本当に」
「……ラファエル、もしかして何か怒ってる?」
「仕事そっちのけで、遊んだり呑んだり遊んだり食べたり遊んだり寝過ごしたり……本当に身勝手で。ウリエルが似なくてよかったですよ」
「……怒ってるんだね、よく分かったよごめん」

ケイロン。
その名は、以前書物で目にした事があったような気がした。引っかかりは覚えたが、今はラファエルの話の方が気になって仕方がない。
後で調べるかアンに聞けばいいや、ニゼルは紅茶を静かに喉に流し込み、話を急かすように、首を縦に大きく振る。

「ええ、そうそう。ウリエルはそうして気弱で自虐的な性格を改善するに至ったのですが、サラカエルは僕について回る事が多い子でした」
「あ、じゃあ、サラカエルの事には詳しい感じなんだ? どんなだった? 今みたいに、すぐ『殺してやるー』とか?」
「いえ、サラカエルは……あの子はなんというか、物覚えがよくて。兄弟子としてのひいき目もあるのですが、とにかく優秀な子でしたよ。
 一を教えれば、十といかずとも五、六は理解してしまうような……ただその分、僕はあの子が心配でした。あまりに優秀過ぎましたから」
「……優秀なら、それだけで十分なんじゃないの? 兄弟子からしたら」

殺戮というだけあって、昔から他者に殺意を振りまいてばかりいるのかと思っていた。少なくとも、ニゼルが抱いていたイメージはそれだ。
しかし、ラファエルの表情はそれを緩やかに否定する。先ほどのウリエルの話と打って変わって、彼は悲しそうに弱々しく微笑んだ。

「あの子は、自分の命や心でさえ殺戮しようとするのです。『殺戮の天使』というだけあってね。自分というものをないがしろにする」
「……」
「ウリエルの為、ヘラ様の為、ヘラ様が愛するものの為……それがあの子の口癖でした。自分など端から後回しで、自ら孤独を選ぶように。
 あの子自身はそれで事足りるのかもしれません。でもね、ニゼルさん。ヒトのみならず、天使も神も独りでは生きてゆかれないのですよ。
 ウリエルを友とするあなたには、分かるかもしれない。あの子はウリエルを護る事は出来ない。ラグナロクを経て、僕は確信しています」

天使や神々といった、本来なら不可視であった筈の遠い存在。それらはヒトの想いや信仰心が姿形を生み出し、同時に彼らの力を強める。
想いや願い、強い心。それが基盤となるのなら、利己的、或いは自己犠牲の精神で動く殺戮の天使は、根本の部分では最弱の天使といえる。
熱を込めて語ったラファエルは、そこまで吐き出すと大きく嘆息した。ニゼルは何も言えず、黙って治癒の天使の歪んだ顔を見る。

「あの子が鳥羽藍夜やその家族、あなたに出会えた事。きっと何かの導きに違いありません。どうか、あの子を見守ってはくれませんか」
「あのさ、俺はただの人間だよ? 藍夜やアンみたいな特別な力なんて持ってないし、琥珀みたいに強くもないし」
「『あなたはそれを知っている』、『自分が弱い事を分かっている』。それなら、あの子も心を許す隙を作るでしょう。お願いします」

金緑の髪が揺れ、治癒の天使は人間を前に、躊躇なく頭を下げた。それほどまでに、彼の願いは切実なのだ。
ニゼルは応える事が出来ない。肯定する事も否定する事も、ラファエルの言う人間、即ち弱者である自分には許されないのだと思う。

「ラファエル。何か、誤解してるよ。それってサラカエルにとって、凄く失礼な頼み事だと思うよ」

エメラルドグリーンの瞳がこちらを見上げた。ニゼルは臆さず、正面切って彼に言葉を投げかける。

「サラカエルは藍夜とヘラがとにかく大事で、大切にしたくて、ずっとそうしてきたわけでしょ。その価値観を認めてはあげられないの?」

この天使は、サラカエルの何を見てきたというのだろう……怒りよりも、空しさの方が感情として勝っていた。
彼が銘の通り、殺戮の渇望という欲求を隠しながらも鳥羽藍夜、つまりはウリエルを優先していた事は知っている。
しかしそんな中でも、自分や琥珀を気遣う様子も見せてくれていた。ウリエルの為といえばそれまでだが、事実は事実だ。
目に見えた確かな部分、サラカエルのとってきた行動。動機に打算があったとしても、それこそ尊重されるべきだと、ニゼルは思う。

「いいよ、俺に出来る範囲でいいなら、サラカエルが無理しすぎないよう様子は見ておく。でも、俺はサラカエルを導いたりなんてしない。
 これからを決めるのは、サラカエル自身でないと駄目だと思うんだ。でなきゃ、いつまでもあの二人は『可愛いだけの弟子』のままだよ」

ニゼルは、ふとオフィキリナスで別れた父母の姿を思い出した。懐かしさと切なさに、胸が締め付けられる思いがする。
当時、二人は最愛の息子である自分のわがままを許してくれた……自由に生きろ、そうあるべきだと、個性を尊重してくれていた。
ときに突き放す事も必要なのだ。与えるばかり、常に傍らに置くばかり。それだけでは、過剰な愛を前に、芽吹く筈の芽も潰えてしまう。
ラファエルの愛もまた愛ではあるが、彼のそれを、殺戮の天使は求めていないような気がした。
彼には彼の道がある。押しつけの愛が、彼の軌跡を照らすとは限らない。

「……ごめん、俺、なんかすっごく偉そうな事言ったよね」
「いえ……ありがとう、ニゼルさん。今のは、勇気を要したでしょう」

あくまで予想の上で自分の意見を語っただけだったが、ラファエルはニゼルの返事に満足してくれたようだった。
寂しげな微笑みは変わらないままだが、表情からは苦痛の色が抜け落ちたように見える。治癒の天使は、照れくさそうに小さく笑った。

「師にもよく言われていたのですよ。お前は弟子馬鹿が過ぎる、とね。いけませんね、いい加減、僕もあの子達を信じてあげなければ」

つられるようにして、ニゼルも笑みを零す。似たような間で、二人は紅茶を口へと運んだ。
夜が更けいく。明日も早いですから、そう促され、ニゼルは既に寝入っているシリウスに一瞥を投げてから、自分の寝具へと上がった。
……目を閉じたとき、不思議と自分の心が落ち着いている事に気付く。また、あの栗色の髪の女が出てくる夢を見るような予感がした。





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 UP:18/10/04