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楽園のおはなし (2-6)

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「ゼウスって、あのゼウス?」

声に出してみれば、余計に不快感は強まった。大神ゼウス。それは、かつてこの世界を睥睨していた神々の園を治めていた神の名だ。
親友、鳥羽藍夜が愛用している雷神の雷霆は、彼の神の雷の力がモチーフとされている。ニゼルは眉間に力を込め、ラファエルの顔を見た。

「確か、ヘーラーっていう女神様の旦那さんで、神様の中で一番偉いひとだって。雷の神様だよね?」
「そう。人間界にも彼に関する文献がいくつか残されている筈さ。ラグナロクの折、彼もまた犠牲になったとみるのが自然だろう」
「先生。そういえばケイロン先生と先生は、直接の被害はお受けになられていませんでしたね」
「主な被害を受けたのは、ゼウス様の天上宮を中心とした区画だった。オリンポス十二神の殆んどが巻き込まれたと知って、胸が痛んだよ」

ラファエルの顔はサラカエルの方を向いていて、恨みがましいニゼルの目線に気付いていない。
口を尖らせた直後、ニゼルはラファエルの翠の瞳がこちらに向いたのを見て、はたと逸らしていた顔を上げる。
彼は、何か物言いたげだった。彼ら天使の考えている事、各々の事情など、一介の人間である自分に予想出来るわけがない。
ニゼルの表情は、ますます不機嫌そのものを募らせていく。その度に、ラファエルは口を閉じたり開いたりと、思わせぶりな態度を見せた。

「藍夜の家で本を読ませて貰った事あるけど、俺はゼウスの事、嫌いだよ。奥さんがいるのに浮気し放題だったって」
「それについては、人間の政治における諸事情も影響された神話とも言えるんだが……嫌いとまで断じるなら、僕の話も無意味だろうね」
「それは違うでしょ? ラファエルは悪い事してないんだから。どの神様を好きになるか、なんて、それこそ個人の感性だよ」

話していて、ニゼルは如何にインディコールがゼウスの気質そのままであるかを実感する。
力こそが全てで、自分という存在には絶対の自信があり、弱者を省みず、天上界の平穏を第一に思考したという大神。
かつて彼の神は、世界の基盤を造ったという「古い神々」が仕掛けてきた争いに見事勝利し、その支配権を獲得したという。
古い神々。それがどんなものだったかを記す書は殆んど残されていない。鳥羽藍夜やその父瓊々杵ですら、知らないと話していた。

(天上界の住民にとっては良い主だったと思うよ? でも、じゃあさ、その古い神々やその従者達にとってはどうだったんだろうね)

ニゼルはサラカエル、琥珀、ラファエル、ユニコーンと、この場に居合わせた面々の顔をゆっくりと眺める。
たったこれだけの集団でさえも、意志の疎通が上手く運ばない事もあるのだ。ゼウスと古い神々との確執は、相当根深いものではないのか。
ラグナロク……ゼウスが自ら、弱者である人間の体に力と魂を移し換えなければならなかったほどの、甚大な被害を齎した災厄。
一体どこの誰が、何の目的でそれを実行し、また成功させたのか。不躾ながら、好奇心はくすぐられるばかりだった。

「とにかく、インディコールはゼウス本人って事でいいんだよね。体だけがインディコールっていうだけで」
「ああ。現在も、陰ながら彼に付き従う天使も中にはある。無論、その逆も」
「逆? なーにー、大神様は嫌われてるって事? 女神様をナイガシロにしてたから罰が当たったって事? 何それ、ザマミロって感じ〜」
「こら、琥珀。言い方っ」

ニゼルは慌てて琥珀を窘めたが、魔獣は反省の素振りすら見せずにそっぽを向いてしまう。ふと、サラカエルがわざとらしく咳払いした。

「それで、先生。事情は把握しましたが、器を手に入れたなら人間界に留まる理由もない筈……大神がこの間抜け面に絡むのは何故です?」

間抜け面は余計でしょ、いーっと噛み合わせた歯を剥き出しにするニゼルを、サラカエルは涼しい顔で無視する。
ラファエルはそんな羊飼いと弟弟子を交互に見比べていたが、何かを諦めたように小さく嘆息した。

「それは残念ながら分からない。ただ、ゼウス様にはゼウス様なりのお考えがあるのだろうと、僕は考えている」
「フーン。テンシサマにも分かんない事とかあるんだね〜」
「こーはーくー? もう、ヘーラーが大好きなのは分かるけど、ラファエルに当たったって仕方ないでしょ。ほら、一角獣でも見てて」
「ヤダよ、ニジー。ウマなんか! 眺めてたってちーっとも面白くないもん」
「あー、それでさっきから態度悪かったの? いいから、ほらほら、あっち行ってて」

しぶしぶとグリフォンがユニコーンに歩み寄る。
ほっと息を吐いたニゼルだったが、ふと殺戮の表情が険しいものに変わっている事に気付き、眉根を寄せた。
どうしたのサラカエル、そう問いかけるより先に答えは訪れる。おもむろに扉が開かれ、室内に姿を見せた者がいたからだ。

「……なかなかに興味深い話をしているようだが。ラファエル、お前は少しばかり口が軽すぎるんじゃないのか」

入室と同時に香るのは、薔薇の芳香。青いマントの裾のうち、左側を体の前に寄せ、インディコール……大神ゼウスは仰々しく一礼した。

「キザ男っ、じゃない、えーと、ゼウス!?」
「ゼウス様……」

一行のうち、ニゼルの姿はゼウスの目の前にある。図らずも、羊飼いは一同を庇うような立ち位置になった。
僅かにラファエルが顔を青ざめさせる。ニゼルの罵声に我に返り、サラカエルが兄弟子を自分の背に隠すようにして、前に出た。

「こんにちわ、ゼウス様。ご無沙汰してます……で、間抜け面。君は下がっていた方が身の為だと思うよ」
「サラカエル! いいよ、大神だかキザ男だか知らないけど、こそこそこっちの事嗅ぎ回られてばっかで気分悪いし!」
「ふ、随分な言い草だ。前に助けてあげたろう? それに、いくら今のわたしの器が人間であれ、神に楯突くというのは感心しないな」
「頼んでないし。お願いもしてないし。っていうか、少し聞いたんだけど、藍夜達を天使達に見張らせてるって本当なの?」
「おや、見張らせているとは聞こえの悪い。わたしは、今代のウリエルの身に万が一があってはいけないだろうからと気を利かせただけで」

ゼウスの視線は、緩やかにラファエルに向けられる。癒しの天使は固く身を強張らせ、それでも視線を逸らさず、大神を見つめ返した。
ゼウスのやり方は卑怯だと、ニゼルは思う。ラファエルにとって、ウリエル、即ち鳥羽藍夜はかつての弟弟子の一人といえるからだ。
ラグナロクをきっかけに別離を強制されたのだから、無事であると知れた時、彼はきっととても喜んだのに違いない。
それが今、力では適いようもない相手の手中にあるという。彼らの心情を汲むなら、大神の仕打ちはあんまりだと思えて仕方がなかった。

「それも、頼んでないよね? うん……将来、お前が神に戻れたとしてもだよ、俺は絶対に跪いたりしない」
「その時にならねば分からない事もあると思うがね。ニゼル=アルジル君」
「あのさ、気安く呼ばないでくれる? 俺は自分の名前、結構気に入ってるんだよね」

いよいよゼウスは両手を上げた。鼻息荒く非難するニゼルを前に、彼はくつくつと苦笑する。
あまり堪えていない、流されているという事くらいはニゼルにも分かっていた。
それでも羊飼いは怯まず、媚びずに大神に向かい合う。力強い眼差しを前に、ゼウスは片眉を上げてこれを見た。
ここまで反抗的で、自身の魅力に捕らわれない人間を見るのは初めてだったからだ。真剣な視線は、薄暗い中でも意志の強さを主張する。

「今日は帰って。そのまま、どこへなりと行ってしまえばいいんだ」
「酷い言いようだ。こんな貧相な宿ではなく、良質な部屋を用意してやろうと思って訪ねたというのに」
「『金を出してやるからわたしに懐け』と? ふふ……『昔から変わらない』な、『お前』は。お断りだ。お前の情けなど、御免こうむる」

ニゼルの赤紫の瞳。それが、突如として冥い光を放ったように見えた。
全員が息を呑み、言葉に詰まった瞬間、羊飼いはこの半年の間に半端に伸びてしまった髪を揺らして扉に向かう。
無造作に一本に結ばれた後ろ髪。揺らめき、棚引き、弧を描いた時、ニゼルの視線は屋内のヒトならざる者全てを冷徹に見据えていた。

「何か食べるもの買ってくるね。ユニコーンのひとなんか特に必要でしょ、草食なら牧草とかでいいよね」

誰が彼の足を呼び止める事が出来たのか。くるりと背を向け、まるで崇高な生まれの神官のような透明な気配と共に、青年は部屋を出る。

「……ん? ニジーは? どこ行ったの」
「さてね。買い物か、何かじゃないかな……」

顔を上げた琥珀に、サラカエルが曖昧に応えた。一角獣を見守っていた彼女だけが、羊飼いの異様な変化に気付かなかった事になる。
口調、雰囲気、態度。威圧的でどこか高慢なそれらは、本来、ヒトならざる者特有のものでもあった。
ゼウスは口を閉じ、ラファエルは困惑しきりに弟弟子と患者の顔とを見比べる。殺戮の天使は険しい顔を浮かべたまま、出口を睨んでいた。

「どうやら、機嫌を大いに損ねてしまったらしい。わたしは自分の宿に戻るとしよう」
「ゼウス様」
「ラファエル。お前が今考えている事、予想と、わたしの推測。同じ性質のものだと思えてならないのだが、どうだ?」

サラカエルは二人の会話に訝しい視線を向ける。しかし、ラファエルが返事に詰まったのを切っ掛けに、ゼウスもまたきびすを返していた。

「わたしは彼を特別な人間として見定めているのだよ。お前達にも、それが分かる日が来ればいいのだが」

大神の意味深な独白。ふと、殺戮は兄弟子の横顔に目を向ける。扉が閉まるその瞬間まで、翠の瞳は物言いたげに歪められていた。






「サラカエル。彼はその、何者なんだ」

ただでさえ狭く、質の悪い部屋だ。日が沈めば、暗闇に同化する傾向はますます顕著になる。
サラカエルは紅茶を淹れる手を止め、兄弟子を見た。珍しく、ラファエルは疲れた顔で壁に寄りかかっている。
簡素でかび臭い壁に、彼の白い装いは似合いもしない。半端に注いだ茶の湯気に我に返り、殺戮は視線を前に戻し、ポットを傾けた。

「彼というと、どちらです。ニゼルですか、ゼウスですか」
「せめて『様』くらい付けなさい。……いや、僕が話しているのは、ニゼルさんの方さ」
「ニゼル=アルジル。今はなきアルジル牧場の跡取りで、鳥羽藍夜の親友。それ以上でも以下でもないでしょう、何がそう気になるんです」
「それは……」

宿屋の女将から借りた陶器は、年季が入っていてどことなくくすんでいる。兄弟子に手渡そうとして、サラカエルは一瞬顔をしかめた。
ヒトの好意を無碍にするものじゃない、ラファエルは弟弟子の雄弁な表情に苦笑してから、カップを受け取り茶を口に運ぶ。

「……ああ、君のお茶は、やはり美味しいな」

肩の荷が降りたと言わんばかりの、長い溜息。サラカエルはそれはどうも、と言葉短く応えて首を傾げた。

「サラカエル。君は向こうにいた頃から忠誠心の強い子だった。僕やケイロン先生だけでなく、君の主人であるあの方に対してもだ」

陶器に視線を落としたまま、治癒の天使はぽつぽつと唐突に昔話を始める。彼の言わんとしている事を拾い上げようと、殺戮は口を閉じた。

「君の生真面目さや誠実さは君の美点だと、僕はそう思っている。だが、君が思うより人間は複雑な生き物だ。『殺戮』なら分かるだろう?
 僕は、天使達は主が創られた世界、そしてそれに付随するものを庇護し、愛すべきだと思っている。ただしそれは、僕の持論でしかない」
「先生。お話の意図するところが、よく分かりませんが」

思わず口を挟んだ瞬間、兄弟子は君は忍耐が足りない、と苦笑してみせる。こちらの思考など、昔から彼には汲み取られてばかりだ。
サラカエルはばつの悪そうな顔をしてから、苦いものを噛んだような心地で口を閉じ直した。ラファエルは紅茶で喉を湿らせ、息を吐く。

「ニゼルさんの事だよ。ゼウス様の仰る通り彼は変わり者だ。魔獣や天使との共存にいち早く馴染み、違和感すら抱かないそうじゃないか。
 今日に至ってはゼウス様に物怖じせず、正面から啖呵を切った……並の人間に出来る事じゃない。普通ではないのだよ、大げさではなく」

あれが図太い上に間抜けで救いようがない性悪だからですよ、買いかぶりすぎじゃありませんか――サラカエルは、耐えるように唇を噛んだ。
昔からラファエルは思慮深く心配性のきらいがあったが、今日の彼の表情はいつも以上に沈んでいて、とても反論をぶつける気になれない。
彼は、人間、天使といった種族、立場に関係なく、分け隔てなく慈悲を注ぐ天使だ。ミカエルほどではないが、人間界からの信仰も厚い。
嫌みを飛ばし、殺意を零し、他者を遠ざけ、自身と対天使を心身ともに守護する。そんな自分の悪癖を、彼は都度、口うるさく窘めていた。
感謝している。口に出した事は一度もないが、彼のように優れた医学を身に着けようと、奮闘していた時期がサラカエルにはあった。
精通すれば、ゆくゆくは殺戮技巧にも活かせるという打算もあった。ラファエルには、全て見抜かれていたのかもしれないが。

「……普通ではないからこそ、鳥羽藍夜、いえ、ウリエルの友人として在れたのでは? 先生、気に病みすぎではありませんか」
「サラカエル」
「仮にあれが何かしら問題を抱えた生き物であったとしても、ウリエルにとっての害となり得るなら、いつも通り僕が排除してみせますよ」
「サラカエル。違うんだ、ニゼルさんの奇異についてはあくまで君と認識を重ねただけの事。僕が言いたかったのは、そんな事じゃない」

ではなんです、即座に反応しかけたサラカエルは、ラファエルの真剣な眼差しを前に一瞬怯み、口を閉じる。

「今回僕が案じているのは君の事だ、サラカエル。鳥羽藍夜が倒れた時、ヘラ様の魔獣アンバーが火傷を負った時、喰天使が現れた時……
 いつでも、君は僕かケイロン先生を喚ぶ事が出来た筈だ。それをしなかったのは何故なんだ? 何故今になってから僕を喚び寄せたんだ」

ラファエルの問いの意図が分からない。サラカエルは、兄弟子の警告とも取れる低い声を、じっと黙って耳に詰め込んだ。

「もちろん、鳥羽藍夜の転生を経てウリエルの復活を待つ狙いもあったろう。しかしだ、それにしても、おかしいとは思わなかったのかい。
 何故、ヘラ様が寵愛する全てを差し置いて、ニゼルさんの願いだけを聞き入れる? ウリエルに頼まれたにしても、過剰過ぎはしないか」
「……何が仰りたいんです、先生」

ようやく絞り出した声は、意図せず震えている。拳を握り、サラカエルは首をもたげた「いつもの悪癖」の発露を、強引に押さえ込んだ。

「ニゼルさんに入れ込みすぎるな、という話だよ。彼は人間で、元はといえばウリエルの友人だ。君と直接の友人関係にあるわけでもない。
 ましてや寿命の事もある。いざ彼が落命した時、君は正気を保っていられるのか。本来のつとめを忘れてはいないか。わきまえは必要だ」

わきまえ……殺戮は、兄弟子の言葉を口内で反芻させる。
この天使は、自分がウリエルはおろかヘラよりも、あの人間を大切に扱っていると見ているのか。
それは大きな誤解だ、今も昔も「殺戮の天使」は対天使と主ヘラを主軸に置いて行動してきた。それを何故、理解して貰えないのだろう。

(先生には……僕の行動が、そこまで不安定に揺らいでいるように見えるのか)

サラカエルは頭を振った。

「先生、僕はニゼル=アルジルを特別視しませんよ。ラグナロクの後、僕が先生方に接触する機会はいくらでもありましたよね」
「サラカエル?」
「それをしなかったのは、一人で苦難を越えてきたからだ……正直、ウリエルやヘラ様以外に手を焼いていられるほど暇でもないんですよ」

常のように軽く首を傾げ、兄弟子に笑いかけながら殺戮は思う。
この天使にとって自分は、未だ可愛らしい弟弟子のままで、かつ、彼や対天使のように本質は「人の好い天使」なのだ。
幼い頃から、転生して現在の器に移ろう前から。遥か昔、ラグナロクより以前から、自分はそんなにお綺麗な天使ではなかったというのに。

「ニゼルがウリエルの障害になるなら、或いはヘラ様を捜す上で邪魔になるなら、先ほど話した通り。せめて苦しまないよう処理しますよ」
「サラカエル。分かっているのかい、彼は、ウリエルの友人だ。心の支えだ」
「だったらなんです? 申し訳ないですが、僕には関係のない話です。それに、昔から僕の本質なんてこんなものですよ」

否。唯一、自分の個性を認めてくれた者も、僅かながらに過去にはあった。しかしそれも、相当古い時代の話だ。
サラカエルは首を傾げる。苦しそうに、切なげに顔を歪める兄弟子に、彼は普段と変わらない人好きのする笑みを向けた。

「わきまえていますよ。僕は天使だ、殺戮だ。その銘に恥じないよう、終わりがくるその日まで、せいぜい足掻くつもりです」

友人、恋人。知人、恩人。悔恨、怨恨。それがどうした――ラファエルが師弟という枠を越え、親愛の情で自分達を見ている事は知っていた。
感謝しているのも、恩義を感じているのも偽りではない。それでも、殺戮の銘、高位天使という立場からして、譲れないものがある。
サラカエルはふと別のポットを手に取り、二つ分のカップに中身を注いだ。気分を落ち着かせる作用を持つ薬草を中心とした、即席の茶だ。

「やあ、こういった茶は、やはりウリエルの方が上手いですね。僕にはやはり、紅茶が合ってる」

ラファエルからの返事はない。呼び止められないのをいい事に、サラカエルは彼の横をするりと抜け、獣らの待つ部屋へ足を戻す。

「……ちょっと。ニジーに何かしたら、僕怒るからね」

一瞬、虚を突かれた。部屋の奥に控えていた筈のアンバー、もとい琥珀が、寝具の前に置かれた椅子に腰掛けたままこちらを睨んでいる。
一角獣はまだ目を覚ましていないのか、鷲獅子の顔には暇を持てあましている、といった風の表情が濃く浮かんでいた。
殺戮は目だけで来た道を振り返る。面倒な事になった、胸のうちで真っ先に考えたのは、それだった。

「藍夜にニジーの事頼まれてるの、お前だけじゃないんだからね。殺すとか処理するとか、物騒な事言わないでくれる?」
「盗み聞きか。君こそ、少しはわきまえってものを覚えた方がいいんじゃないかな」
「たまたま聞こえたんだも〜ん。僕知ってるよ、陰気な奴って、自分の得意な話になると声がデカくなったり早口になったりするんでしょ」

サラカエルは内心で舌打つ。鳥羽藍夜、或いはニゼル=アルジルの影響か。再会した魔獣は、無駄に口が立つようになっていた。
吊すか縛るかしてやろうか、陶器二つを手近なテーブルに置きながら、殺戮はすうと呼吸の音を潜める。

「……僕に対する不躾な態度は、見なかった事にしておいてやる。で? お前はニゼルに、どんな餌を吊されてるんだ。アンバー」
「エサァ? 何ソレ、ニジーはそんなの持ってないよ、たまに干し肉くれるけど」
「立派に餌付けされてるじゃないか」
「それはそれ、これはこれー。っていうか関係ないよ。だって僕、ニジーを見てるとなんか女神様を思い出しちゃって、放っとけないもん」

今度こそ、サラカエルは袖の下から鋼糸を引き抜きかけた。ぎりぎりで踏みとどまったのは、琥珀の目が冷静な色を欠いていなかった為だ。

「……やあ、よりによって、人間風情をヘラ様と同等に見るとはね。その目玉も、落ちぶれたもんだな」
「そう? おサルは思わない? 僕、ニジーの事好きだよ。女神様に考え方がよく似てるから。僕を悪く言わないし、大事にしてくれるし」
「動物好きだとか公言しているからね。家畜と同じ扱いで満足してるってわけだ」
「僕の事ばっか言えないんじゃないの〜? おサルだって、なんだかんだでニジーを気にかけてるじゃない」

ラファエルといい、これといい、自分をなんだと思っているのだろう。馬鹿にされるにも、ほどがある。
思わず光の槍を召還しかけた時、殺戮は琥珀の背後、更には自身の背後に、それぞれ気配と空気の流れが生じたのに気が付いた。

「……う、ぐ……ここは、俺は……?」
「ただいまー。ねえ、琥珀。雨、全然やまないみたいだよ。やっぱり今日はここに泊まろっか」

間の悪さを持ち合わせているのは、自分か、それとも魔獣の方か。琥珀がぱっと顔を輝かせたのと同時に、サラカエルは歯噛みする。
噂をすれば何とやら。いずれにせよ、ユニコーンは目を覚まし、ニゼル=アルジルは買い物から帰還した。
起き上がるも、額を押さえ、不快そうに顔を歪める一角獣。きょとんとした顔で、両腕に抱えた荷物を抱え直す、空色髪の青年。
……解体してやるのは、別の機会だ。自分にそう言い聞かせる。決して、兄弟子や鷲獅子の戯言を真に受けたわけではない。
ここまで腑抜けと言われて黙っていられるほど、自分も寛容ではない。いっその事、ヘラと似ているかどうか確かめてからでも遅くはない。
サラカエルは、正面、羊飼いの間の抜けたようにしか見えない顔を、じっと見つめた。





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 UP:18/09/27