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楽園のおはなし (2-5)

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血の臭いがする――そう感じ取った瞬間、頭上から不快な臭気を放つ液体を浴びさせられていた。
自慢の白いたてがみから体毛、尾の先、蹄に至るまで、ありとあらゆるが赤黒く、生臭く、下品な質感に染め上がる。
意図してされたと知れたのは、殆んど勘に近い。周囲は喧騒と罵声に溢れていて、金に目が眩んだいずれかの仕業だと容易に想像が出来た。
血の臭い……吐き気と不快感が込み上げ、たちどころに呼吸困難に陥る。もがくように脚を動かし、支離滅裂な声を上げ宙を彷徨った。
平衡感覚も掴めず、天駆ける速歩が失速する。ぐらりと大きく視界が揺れ、耳鳴りにうんざりする暇もなく、体躯は自然と落下していった。
落ちる、墜ちる。足掻くように四肢を動かせど、体が持ち上がる事はない。吸い込まれるようにして地面に叩きつけられた。
激痛……遠くから、何者かの声がする。怒りと嘆きに満ちた声だ。遠のく意識の果て、「俺」は曇天の下、空色が揺れている様を見た――






「――琥珀っ! 急いで、早く!!」
『いった! もうっ、分かってるよ、そんな事!!』

凶悪な臭いが鼻を突く。視界の先、あの気高い一角獣が、建物の屋上から落とされた大量の血に全身を赤黒く染めるのを見た。
ユニコーンは「穢れ」に弱い、そんな常識めいた伝説はとうの昔に知っている。ニゼルはたまらず絶叫していた。
またがった魔獣の羽毛を掴む手に、力が籠もる。琥珀は大声で抗議したが、ニゼルの必死な顔に二の句を飲んで、ひたすら空を駆けた。

「なんて事を……ユニコーンが血を浴びたらどうなるか、それくらい考えたら分かりそうなものなのに!」

眼下には、石畳の上に倒れ伏せ、もがき苦しむあのユニコーンの苦鳴が響いている。かつかつと乾いた音を立てる蹄の音が、より痛々しい。
ニゼルが指示を飛ばすより早く、琥珀は急転直下した。一度大きく翼がはためき、がくんと巨躯を揺らして着地する。

「しっかりして、大丈夫!?」

すぐさま飛び降り、神獣に駆け寄るニゼルの後ろ。琥珀は、突然現れたグリフォンに恐れ慄く人間の顔を一つ一つ舐めるように見渡した。
威嚇するように低く唸り、くちばしの端から炎を噴き出させる。勇気ある何人かは武器を構えたが、その両足は小刻みに震えていた。
一歩歩み出た男に、琥珀はいよいよ炎を吹き付ける。ぐるりと弧を描かせ、周囲を囲むようにして……喰天使が使った、警告の手法だった。
男らは、ニゼルと琥珀を見比べながらも大きく怯んで、足を止める。琥珀は一声だけ咆哮し、石畳をびりびりと震わせ、その接近を阻んだ。

「酷いっ……これ、何の血だろう」
『ニジー、そんな事言ってる場合じゃないでしょ!』
「う、うん、ごめん。ねえ、しっかりして。ほら、立てる? 俺の言葉、聞こえる? 見える?」

ユニコーンは、口端から泡を吹いている。それでも自尊心だけは本物だ、彼は静かに眼を開くと、朦朧と濁った藍色でニゼルを見上げた。
しなやかな筋肉に覆われた体を、やや力を入れてさすってやる。怪我の有無すらも、生臭い血の汚れで確認してやれない。
ニゼルは頭から湯気が出そうな心地だった。自身の手のひらは、あっという間にべっとりとした液体に濡れる。
それを拭う事すらせず、ニゼルはなんとか神獣の体を起こそうと、彼の頭を両手で持ち上げようとした。びくともしない重量に奥歯が鳴る。

「ふ、ぬっ、うぐぐ……!」
『ニジー、ムリしない方がいいよ。僕が担いであげるから』
「そんな事言ったって、大きさ的に飛べなくなるでしょ。くっそ、俺ってなんでこんなに力がないかなあ!」

琥珀が放った火の魔法が、頬や血、大気を熱し、ぱちぱちと小さな音を立てた。ニゼルがもう一度ユニコーンの頭に手を添えた時、

「……やあ、それは『星の民』じゃないか。珍しい拾い物をしたもんだ」

何者かの気配が横に立つ。一人と一匹は、それから掛けられた声に勢いよく顔を上げ、同時に声を張り上げた。

「サラカエル! お願い、手伝って!」
『サラカエル! おっそい、何してたってワケェ!?』

それぞれのある意味身勝手な言い分に、殺戮の天使はいつも通りに首を傾げる。顔には薄ら笑いが浮かんでいて、真意を掴む事は難しい。

「こんなところでこんな大立ち回りをしたら、目立つに決まっているじゃないか。それで逃がしてやりたいとか、随分と虫のいい話だね」
『虫がいいとか悪いとか、どーだっていいでしょ〜!? 遅れてきた癖にっ!』
「……屁理屈! 藍夜に言うからね!?」
「その神獣がどうなろうと僕には関係ないからね。血濡れで苦しそうだって話なら、ここで壊してやってもいいけど」

やおら立ち上がると、ニゼルはサラカエルにロードの先端を突きつけた。殺戮は、不意を付かれたように瞬きし返す。

「いいから運んで。出来るでしょ。それとも何、『動物だって好きに解体出来る俺カッコいい』アピール? インディコールと同類なの?」

インディコールのやり方をよく思っていないのは、自分だけではない筈だ……ニゼルの直感は当たっていた。
サラカエルは一瞬むっとした顔をして、唇を一文字に結ぶ。彼は倒れたユニコーンに一瞥を投げてから、わざとらしく嘆息した。

「今回だけだよ。僕は運び屋でも便利屋でもないし、延々と逆恨みされるのは趣味じゃないからね」

ぼやきと同時に吐き出される、異国の、天上界由来の聞き慣れない言葉。人間達がざわめく間、サラカエルは彼らに振り向きもしなかった。
祝詞と称される古の呪文は、一行の足下にすぐさま巨大な魔法陣を形成する。青白い輝きが彼らを飲み込み、周囲を眩く塗り替えた。
飛び散る夜色の羽根、掻き消える旅人と鷲獅子。残された人々はそれこそ、狐につままれたような顔でその場に立ち尽くす。
騒然としていた空気はなりを潜め、いつしか町に雨が降り始めていた。騒動と興奮を宥めるように、静かに石畳は冷やされていく。

「……ふ、ユニコーンとはまた、本当に扱いにくい玩具を拾ったものだ」

いつからそこにいたのか。インディコールはただ一人、町のシンボルでもある時計塔の一部屋から、一連の騒ぎを見下ろしていた。
ニゼル達を見る彼の目は、傍観者として微笑ましい光景を眺めるそれだ。長い息を吐いた後、彼はふと傍らに置かれたグラスを手に取る。
無色透明の液体からは、微かにアルコールの匂いがした。香りを楽しみながら一口目を嚥下し、優雅に組んでいた足をほどいて床に着ける。

「さて、我々も彼らに合流するとしよう。何、殺戮も彼の対存在がこちらに見張られている以上、大きな手出しは出来まい」

姿の見えない何者かへの投げかけ。返事が届けられる事はなかったが、副団長は一人、満足げに頷いた。
青いマントが翻る。席を立つや否や、インディコールはグラスを机上に残したまま、扉を開けて時計塔を後にした。






「……なんか、いつか藍夜が死にかけた時の事、思い出しちゃうよね。この状況」

雨が降っている。ぽつりと薄暗い部屋に溶けるニゼルの呟きに、琥珀は俯かせていた顔をぱっと上げ、互いの視線を重ね合わせた。

「でもさ〜、血まみれになったってだけでしょ? そう簡単にはくたばったりしないんじゃない?」
「あのね、琥珀。ユニコーンは穢れ……生き物の血とか体液に耐性がないんだよ。場合によっては、危ないかもしれないよ」

ニゼルが顔を巡らせ、琥珀もそれに倣って目を動かす。サラカエルが転送してくれたのは、どこかの町の宿屋の一室だった。
安価であるのか、室内はどことなくかび臭い。窓はたてつけが悪く、雨風にかたかたと揺れている。天井からは雨漏りの気配もあった。
そんな部屋の隅、簡素な寝具の上にあのユニコーンが一人寝かされている。顔色は悪く、目覚める素振りもない。ニゼルは小さく嘆息した。

「ねえねえニジー、サラカエルはさあ、どこに行ったのかなあ」
「さあ……医者に心当たりがあるって言ってたけど、どうだか。魔獣特化のお医者さんなんて聞いた事ないよ」

室内にサラカエルの姿は見当たらない。転送直後、プライドが高い神獣だから気をつけろと言い残して、彼は一行の前から姿を消したのだ。
ニゼル達の心配も余所に、一角獣は天使の不在を見計らうように無理やり起き上がり、人型変化の術を使って自ら寝具に上がってみせる。
「俺は誰の世話にもならない」。声には出されなかったが、気丈に宣言しているかのようで、それは余計に痛々しい姿に見えた。

「なんかさ〜、インディナントカが来てから、ロクな事になってないよね〜」
「言わないでよー、俺だってあいつ、嫌いなんだから」
「……そのインディコール氏については、軽率に軽口を叩くべきではないと、『僕』からは本当の意味で警告しておきます」

何の前触れもなかった――ニゼルと琥珀は、突然降って沸いた聞き慣れない男の声に、勢いよく視線をベッドの方に戻す。
前兆など何もなかった。ユニコーンが眠る寝具の横、ニゼル達に背を向けるようにして、一人の天使が神獣の寝顔を覗き込んでいる。
天使であると知れたのは、背中に白い翼が生えていたからだ。金緑の髪には翠の光沢が浮かび、すんなりと高位天使だと悟る事が出来た。

「初めまして。サラカエルから話は聞いています。この一角獣の容態を早急に診て貰いたいといった用件だそうですね」

エメラルドグリーンの瞳は色合いこそ穏やかであるものの、佇む姿、白衣に似た肩掛けのきちっとした着方からして、厳格な雰囲気を放つ。
ニゼルと琥珀は、ぽかんとしてこの突然の来訪者を見つめた。背丈はサラカエルほど、体格についてはそれより細く、容姿は整っている。
口をぱくぱくさせるだけの琥珀から目を離し、ニゼルは訝しんで天使を観察した。サラカエルの名を出され、困惑は更に強まる。

「えっと……誰?」
「これは失礼。僕の名はラファエル。銘は『治癒』で、サラカエル、ウリエルとは共に医学を学んだ仲だ。彼らにとっては兄弟子になる」

いよいよ、ニゼルは琥珀と顔を見合わせた。サラカエルからそんな説明は欠片も聞かされていなかったからだ。
淡々と説明するや否や、ラファエルと名乗った天使は再びユニコーンに向き直り、額や首筋に手のひらを当て始める。

「ちょ、ちょっと待って。話が見えない、いや、見えてるんだけど分かるように説明とか何とかっ、」
「……サラカエル。あの子は君達に、ろくな話もしないまま僕を喚び出したというのか。せっかちなのは変わらないな」
「えっと、サラカエルの、藍夜の兄弟子……って事は血の繋がった兄弟とかではないんだよね? っていうか、サラカエルは今どこに……」
「――ここだよ。初対面の相手に、流石に馴れ馴れしすぎやしないかな」

驚き、二回目。背後から飛ばされた嫌みに、ニゼルは目だけで振り向いた。鼻を鳴らした殺戮の天使は、どこか不満げな顔をしている。
ニゼルに受け答えするでもなく、サラカエルはまっすぐ羊飼いの横を素通りして、ラファエルと名乗った天使の前に立った。

「お久しぶりです、先生。ご健勝そうで何よりです」
「!? 敬語? さっ、サラカエルが敬語!?」
「アー……ホントにお前、サラカエル?」

殺戮から、金緑の天使に向かって自ら頭を下げた……意外すぎる一面、見た事もない低姿勢に、ニゼルも琥珀も戸惑うばかりだ。
琥珀に至っては顔を歪め、両腕を顔の前で交差させた防御の構えを取っている。ニゼルは再び、サラカエルの背中を見た。

「サラカエル。君は君の仲間達にどんな心証を与えて過ごしているんだ、僕に挨拶をするより、先にすべき事があるんじゃないか」
「冗談でしょう、先生。あれらは仲間なんかじゃありませんよ。ウリエルに頼まれて仕方なく世話をしているだけです」

ラファエルの苦言に、サラカエルはいつものように首を傾げて応える。口調自体、常のそれとどこか違っていた。
先生。彼が口にした単語を口内で反芻させて、ニゼルはラファエル、サラカエルの双方を見比べる。
ラファエルは、医学においてサラカエルらの兄弟子だと自称した。ならば、二人の天使は古くからの顔なじみという事になる。

(――『私』の知らないサラカエルも、奴は知っているという事か)

脳内に浮かんだ自問に、ニゼルは自ら首をひねった。サラカエルが過去、どんな天使であったか……考えてみれば、自分にはあまり関係ない。

「医学って事は、ラファエルは医者って事? なら頼りになるって事だよね。で、どうなの? その子の状態は」
「やあ、少しは遠慮ってものを学んだ方がいいんじゃないかな」
「サラカエル。構わないさ、元より君の頼みだ。ニゼルさんだね。少しばかり手を貸して貰えないかな、先に汚れを落としてやらなければ」

サラカエルの兄弟子とは、弟弟子に比べて態度が幾分か柔和だ。他人行儀な口ぶりは、親友、鳥羽藍夜を彷彿とさせる。
そのせいか、初対面ではあるが悪い印象は感じない。頷き返し、ニゼルは琥珀を促して、ラファエルの手伝いをする事にした。
簡素な備えつけのキッチンで湯を沸かし、ラファエルが持参した石鹸を泡立て、シーツを裂いてタオルを用意し、往復してそれらを運ぶ。
顔なじみなら積もる話もあるのだろうが、サラカエルとラファエルは無言、無表情で、黙々とユニコーンの体を洗ってやっていた。

(それだけ、汚しておくのはよくないって事かあ)

一角獣の唸り声が時折宙に溶け、その度に何か物言いたげに琥珀が口をもごもごさせ、身じろぎする。
そんな中、ユニコーンの寝息が規則正しいリズムを取り戻したのは、空に茜が射し始めるであろう時間帯だった。

「治癒の祈りは済ませましたが、疲労が一番の影響だったようです。小一時間もすれば気が付く筈」
「疲労?」
「旅の疲れか、或いは心理的な重圧が原因か。とにかく、今の彼は酷く消耗している。あなた方に心当たりは?」

ニゼルは琥珀と一瞬顔を見合わせ、彼とは初対面である事をラファエルに打ち明ける。珍しく、サラカエルは小難しい顔で黙り込んでいた。
ニゼル達の話に頷き返すと、ラファエルは一角獣の額に指先を当て、聞き取りにくい微量な声量で治癒の祈りを追加で与える。
アンブロシアのそれとは違い、生まれた光は優しげな緑色をしていた。治癒の祈りの名に相応しい、温かく柔らかな光。
見ているだけで心身ともに癒されていくような心地がする。ニゼルの目には、ユニコーンの顔の血色が僅かに良くなったように映った。

「疲労が原因って事は、大元のそれを解消しなくちゃいけないって事かな?」
「それはどうか。彼ら、他者との交流を絶った純血の一角獣……『星の民』の一族は、相当気位も高い。過干渉は好みません」

出来る限りそっとしておき、回復次第、野に解放してやるべきだ……ラファエルの言葉に、ニゼルは口を固く閉じる。
それこそ今回施した手当てと矛盾していると、羊飼いは無言で天使に主張した。金緑の天使の口から、小さな苦笑が漏らされる。

「いずれにせよ、困窮する者を救おうとする精神は誉れあるものです。サラカエルも、あなた方のような仲間がいてさぞ心強い事でしょう」
「先生。ですから僕は、」
「サラカエル。ケイロン先生も、ようやくラグナロクの爪痕から労を解かれたばかりだ。たまにはウリエルともども顔を見せなさい」
「お言葉ですが、先生。ウリエルは、今は……」
「君の事を、天上界で過ごした日々を覚えている。恐れる事はないさ、彼は正真正銘ウリエルだ。また会おう、サラカエル」

ニゼルは慌てて駆け出していた。背中を見せ、純白の翼を広げた天使の白衣の袖をはっしと掴み、なんとか踏み留まらせたのだ。
振り向いたラファエルの顔は、怪訝というより意外なものを見る目で歪んでいる。咄嗟に引き止めてしまった事に、思わず顔が赤らんだ。
それでも、色々と尋ねておきたい事はある。何より殺戮の態度の変化から察するに、彼にはもう少しの間、この場に残っていて欲しかった。

「どうかしたのかな、ニゼルさん」

ラファエルの目が柔らかな色を取り戻す。ニゼルは、視界の端でサラカエルが苦い顔を浮かべた瞬間を目にした。構わず声を走らせる。

「えっ、あ、えっと……ほら! さっきインディコールがどうとか言ってたから。アイツにつけ回されて困ってるんだ、俺達。だから、」
「そーそー。なんか知らないケド、ニジーにべーったりなんだよねえ〜。藍夜が知ったらシットするレベル」
「ちょっと、琥珀!」
「藍夜、今代のウリエルの器だったか。聞けば君は彼の親友だそうだね。なら彼の話と交換というのはどうだろう、僕も喜んで話をしよう」

ニゼルは驚いて天使の顔を見る。振り払われる、立ち去られるかと思いきや、ラファエルは予想に反し、この場に残ってもいいと口にした。

「僕は師と天上界で医療に携わっていますが、師は僕がいると仕事をさぼりがちで。サラカエルらがいた頃はそうでもなかったのですが」
「それって、どういう……」
「『仕事をして下さい、先生』。それに尽きるよ、ニゼルさん。それに僕も、弟弟子との再会は喜ばしいものですからね」

ラファエルという天使は、弟弟子に甘い性分なのかもしれない。サラカエルを視界の端に収める彼の優しい眼差しが、そう訴えかけてくる。
鮮やかな翠の視線はすぐに羊飼いから外され、金緑の天使の双眸は、緩やかに殺戮の天使へと向けられた。
サラカエルは心ここに在らずといった風で、ラファエルと目が合う度に居心地悪そうに首の後ろを掻き、その後で首を傾げ直す。
彼の様子はいつもと違う。嫌みは飛ばされず、大人しく、しおらしい。まるで、兄弟子に性格の悪さを悟られまいと努めているかのようだ。

(どこかで見た事のあるやりとりだなあ……えっと、うーん、どこだっけ?)

考え始めた直後、ニゼルにはぴんと閃くものがあった。彼らの応酬は、鳥羽藍夜と鳥羽暁橙、二人の兄弟間の交流に似ている。
兄弟子と弟弟子。その実、双方の繋がりは深いものなのかもしれない。ならば、彼に鳥羽藍夜の話を振ってみるのもいいかもしれない。
そうする事であの胡散臭い非情な男を離す事が出来るなら、それに越した事はない。ニゼルは、我ながら打算的だと一人頷いた。
勧められるまま、琥珀ともども椅子に腰を下ろす。錆びた金属製のランプに灯を点し、ラファエルは静かに翼を畳み、一行に振り向いた。

「職業柄、僕の元には天使達の噂話が聞こえてくる事もあるのです。彼らがごく最近、頻繁に口にするようになった話をお伝えしましょう」

天使とインディコールに何の接点があるのだろうか。自分と同じように殺戮の天使が眉根を寄せたのを、ニゼルは見逃さない。
夕日とランプの灯が交互に部屋をうっすらと染める中、ラファエルは言葉を選ぶように視線をゆっくりと彷徨わせる。
「嫌な予感ほど当たる」ものだ。意を決したように顔を上げた天使の口からは、予想だにしていなかった話が吐き出される事となった。

「手短に纏めましょう。サンダルウッド王国第二騎士団副団長、インディコール=グレイスは、今は、本来の彼ではないのです」
「……どういう事です、先生」
「分かりやすく言うなら、彼の身は人間ではなくなっているという事だよ、サラカエル。今、彼の肉体に宿っているものというのは――」

――この短い期間、あの副団長と行動を共にする間、まるで予想していなかった仮説と言えば嘘になる。
違和感も嫌悪も日に日に増すばかりだったし、魔獣や魔物といった、自己より遥かに劣る弱者を蔑ろにする態度も気に入らなかった。
それでもニゼルは気付かないふりをしていたのだ。自身の中に潜む「何か」による嫌な予感も、自身の警戒心も、全ては気のせいなのだと。
思わず椅子から立ち上がり、金緑の天使の顔を凝視する。ラファエルは顔を背けもせず、じっと赤紫の瞳を見つめ返した。
嫌な予感ほどよく当たる。その通りだ。ニゼルの願いを覆すように、諭し聞かせるように、彼の天使は言葉を続けた。

「嘘偽りなどはありません、天使達の噂というのは信憑性が高いものが多いですから……インディコール=グレイスは、大神ゼウス様です。
 彼の肉体にゼウス様の御力と魂とが移された、ヒトにしてヒトならざる生命、神にして神ならざる存在……それが、今の彼らしいのです」





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 UP:18/09/17