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楽園のおはなし (1-6) BACK / TOP / NEXT |
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鳥羽藍夜がその「力」を使うとき、移ろいいく左瞳の色は空よりも暗く、海よりも明るい蒼となる。 ラピスラズリと呼ばれる宝石がある。瑠璃の別称を持つ美しい青色をしたそれは、帝国内で産出する比較的入手しやすい石であり、 特に装飾品や祭具に加工したものはサンダルウッド王国のみならず輪の国にも固定ファンがいるほど名の知られたものだった。 ニゼルの眼前、片膝を付きグリフォンの両目を正面から見る藍夜の左の瞳は、正に瑠璃と同じ色をしている。 藍夜が祝詞――力を短時間で行使する為に用いる呪文のようなもの――を紡いだ時、グリフォンはずっと大人しく座っていた。 彼の左目が変貌した時も、獣はただ真っ正面からその一部始終を見上げるばかりで、身じろぎ一つしなかった。 「どう、藍夜?」 「駄目だね。どうにも『年期』が違い過ぎるのか、まともに遡れやしないよ」 術を中断し藍夜が立ち上がる。もういいの、とグリフォンに問われ、ニゼルは頷き返す事で楽にしていい、と伝えた。 あれから三十分弱。落ち着いた頃に涙を拭ってやって同じ質問を繰り返したが、グリフォンの答えが変わる事はなかった。 「生まれた場所、親の顔に名前、住んでいた家、までならまだ分かるさ。『記憶障害』というならヒトでもそうあるのが普通だからね。 だがそれどころか自分の名前ひとつ思い出せないというんだから、手の打ちようがないというものさ」 「そっかぁ。藍夜の目でなら、何か見つけられるんじゃないかと思ったのに」 「買いかぶり過ぎというものだよ、ニゼル」 力の概要を昔から見知っている幼馴染としては面白くない回答だった。 そんな事ないのに、口内で濁しながらニゼルは微かに唇を尖らせる。藍夜は眉を軽く持ち上げてみせた。 「実のところ僕も良いアイディアとは思ったのだがね。流石に生き物相手となると無理があるようだ」 「えっとぉ、藍夜のその、チカラ? 先見、遠見、過去視……千里眼、だっけ。どうしても分かんないの、ぼんやりとも?」 「僕だってヒトの子だよ。限度というものくらいあるさ」 口惜しいものではあるがね、唸るようにして呟き、藍夜は椅子に腰掛けた。マネージャー宜しく、ニゼルが蒸しタオルを持ってくる。 受け取るや否や、彼は顔を乱雑に一拭いして丸めて手に持ち、お座りしたままのグリフォンに向き直った。 藍夜の隣ではニゼルが喫茶店の厨房で温めてきた羊乳を茶漉しで漉している。 数種のハーブをミルクでじっくり煮出し、仕上げに鳥羽家の秘伝スパイスを一振りすれば即席ミルクティーの完成だ。 タオルを畳んで机上に戻し、ニゼルが自分の分を注ぎ終わるのを見届けてから一口目を啜る。 「古の時代から神や天使といった奇天烈な現象と生きてきた君と違って、僕の力は生まれ付き備わっていたものではないのさ。 昔、色々あってね。そのとき身に着いたものが上手い事まだ使えているから、今の商いに利用しているだけという話さ」 色々、の時点で、ニゼルが微かに目を伏せたのをグリフォンは見逃さなかった。首を傾げながら覗き込むように見上げる。 はたと我に返る様子を見せ、青年はにこりと穏やかに微笑み返した。獣は顔の筋肉を強張らせて、あからさまに表情を歪める。 話すつもりはないのだと、如何に獣の頭であろうと容易に読み取る事が出来た。 目線を床上に戻すと、入れ替わりのようにニゼルが縁の広い皿に茶を移してくれた。ありがと、と短く礼を言って嘴を慎重に入れる。 「あ。これあまくってオイシー、かも」 「うん、蜂蜜が入ってるんだよ。藍夜も君も疲れてるだろうと思ってさ」 「言っておくがねニゼル、僕は甘いものは然程、」 「あはは、分かってるよ藍夜。昔から甘いものあんまり好きじゃなかったもんね」 グリフォンの目には、向き合って茶を飲みながら語らう彼らの姿はとても「良いヒト」のように映った。 先ほど寝室へ運んだ男に同じく、彼らは遺跡に侵入しては宝物を荒らして回るヒトとは何かが違うのかもしれない。 その何かの根拠などまるでないが、少なくとも現時点で彼らは自分に怯えたり攻撃しようといった素振りを見せていない。 少しくらいはこちらの話もしてみるべきかもしれない。話す事で思い出すものもあるかもしれない……気を許したわけじゃないけど! 数秒ゆっくり瞼を下ろし、再び目を開けた後、獣は姿勢を正した。二人の視線が集まるのが分かる。 「……藍夜の昔々のあのねのね、はキョーミないけど、」 「うん?」 オフィキリナス店主は酷く間の抜けた返事をした。何か気が抜けちゃうなぁ、とは言わないでおく事にする。 「別に昔の事が思い出せなくってもぼくこうやって生きてるし。このままでもヘーキだよぅ。そりゃちょーっとはサミシイけどさ?」 「何を言っているんだい、そうもいかないだろう。君ね、これから生活する為の住居や収入をある程度は確保しなければならないんだ、 記憶がなければ不便だろう。まして君自身が『寂しい』と言うなら尚更だ。困窮する前に出来るだけ早めに思い出した方がいい」 「え〜っ、なんでぇ!? ねえねえなんで藍夜ってそんなにアタマ固いの? そんな今すぐじゃなくても大丈夫だってば!」 「明日からどこでどう暮らしていくか、という身の振り方を決めろと言っているんだよ。むしろ君は危機感が足りないというものさ」 「そっかなぁ、フツーだと思うんだけど。ついさっきまで遺跡にいたんだし、すぐには考えらんないよ。ねぇニジー?」 「えっ、俺!?」 急に話を振られ、ニゼル本人は何度か瞬き。獣は憮然といった風に首を揺すっているし、藍夜の方も口をへの字に曲げている。 二人とも相性良くないのかな、すぐ口論になっちゃうなあ。なんか神獣の方は今何か言いたそうにしてたように見えたんだけど……。 記憶を呼び覚ます事など早々に諦め、傍観する方に思考を切り替えていた、とはよもや口が裂けても言えなかった。 うっかり口を滑らせれば、藍夜も獣も喚くか拗ねるかするであろう事は容易に想像出来る。 「うーん。まあ、確かに記憶喪失なんて不便だし大変なんだろうけど、グリフォンくん、ちゃん? の言う事も一理あると思うんだよね」 「ほらぁー! ぼくの言った通りでしょ。藍夜の負けぇ〜」 「ニゼル。残念だよ、君とは長い付き合いだというのに、これと僕のどっちの味方なんだい」 「ちょっと二人とも、論点ずれてるよ! 俺が言いたいのはさ、無理に思い出す必要はなくてもこのままだと困るでしょ、って事」 ニゼルの眼前、藍夜は眉間に皺を刻み、グリフォンは先ほどとは逆方向に首を傾げてみせた。 うわあ、考えてなかったんだ! 頭固いのはどっちもなんじゃないか……喉から出かけた言葉を呑むのに苦戦する。 「まずは名前に、それと性別だね。このままだとお互い呼ぶのに苦労するでしょ」 「あー、そっかぁ〜。ウン。そうかもねぇ」 「一理あるね」 「……、でも思い出せないんだよね。手掛かりの一つでもあればなあ」 椅子から立ち上がり、座ったままの獣を一度立たせ、ニゼルはそれの周りをぐるりと回った。 一周すると今度は自らしゃがみ、正面、左右、身を屈めて胸や足元、尾の先、翼を摘んで羽根の一枚一枚さえ注視する。 藍夜は動物嫌い、もとい苦手意識からか、椅子から立ちはしたものの、ニゼルがグリフォンを観察するのを黙って見ているだけだった。 時折思い出したようにミルクティーを啜る。空いた手に獣からは見えないように「雷霆」を握り、いざという時の警戒を怠らない。 ふと背後に回った時、一度だけニゼルは足を止めた。おや、とは口内のみで、それ以降はただ鷲の翼を掴んで広げたままでいる。 「羽根に印か、札でも下がってれば、と思ったんだけど。何もないね」 「う〜ん。飛んでる時だって何も感じなかったしねぇ」 「そっかあ。――あ、じゃあ暁橙は背中に乗せたんだ? いいなあ、俺も乗ってみたいなあ。空飛ん、」 「ニゼル」 「うっ。分かった、分かってるよー」 「……藍夜って、カホゴだよね」 「ふふ、うん。藍夜だからね」 幼少の頃、暇を持てあました時に羊の毛に指を入れて遊んでいた事もあって、無意識に翼の付け根をこしょこしょくすぐっていた。 埃塗れとはいえ手触りはシルクのように滑らかで気持ち良い。くすぐったぁい、とはグリフォンからのクレームだが、語尾は笑っている。 藍夜からも「ニゼル」、と短い呼び掛けがあった。ごめんごめん、軽く笑って指を離そうとした時、 「……あれ?」 ニゼルの指に違和感があった。羽根に絡めた指先に何かが絡み付いている。 どうしたんだい、雷霆を一度机に置き、藍夜が歩み寄ってくる。何事かと獣も首を傾げてニゼルを見た。 それの正体が分からないのはニゼルも同じだった。双方に戸惑いの表情を向けてから恐る恐る翼の付け根から手を離す。 しゃらん。心地いい、軽やかな金属音がした。 彼の指先には金色に輝く何かが纏わりついていた。細い鎖と繊細にあしらわれた細工、トップには夕焼け色の石が埋め込まれている。 裏返してみると、トップの裏には文字にもただの模様にも見える文様がこじんまりと刻印されていた。皆一様に顔を見合わせる。 「これ、ペンダント? 見覚えある?」 「ぼく、のじゃない、と思う。ほら、首に掛けるにはチェーンが短いし」 ニゼルからペンダントを受け取り、藍夜は再度祝詞を唱えた。青く輝く左瞳が、独学で得た知識と言語学の歴史とを擦り合わせる。 「どうやら相当古い文字のようだね。職人の名じゃないな……『誇り高き女神に捧ぐ』とあるようだ」 「女神? あっ! って事はもしかしてこれ、君のご主人様のものなんじゃない!?」 「めがみ、さま? ごしゅじん……よく、分かんない。全然思い出せないよ」 「うーん、そっかあ。絶対手掛かりになると思ったんだけどな」 「そう容易くはいかないものさ」 にべもなく言い放つ彼に今度こそニゼルは唇を尖らせるが、藍夜はそれには答えず、暫くチェーンを摘んでペンダントを凝視していた。 能力による解析を行う様子もない。どうしたの、とうろたえたグリフォン目掛け、彼はペンダントを軽く放るように投げ渡した。 「誰のものであれ、君の持ち物なんだ。大切にしたまえ」 「え、あ。う、ウン……」 獣はパッと身を捻り、嘴で器用にそれを受け取り床に転がした。燃えるような赤みの強い半透明のオレンジを潤んだ目で見下ろす。 着けてあげるね、ニゼルは顔をくしゃくしゃに緩めながらペンダントを拾い上げ、壊さないようそっとチェーンホルダーを外した。 正面から見つめてくる獣の足を手に取り、三つ又のうち中央の足の付け根にチェーンを巻き付け、ホルダーを留める。 ペンダントトップは丁度足の真上、見下ろした時に獣が覗き込めるよう、正面に取り付けた。獣が小さく有難う、と囁いてくる。 鳥類の表情など自分にはよく分からない。だが、今向けられるそれが本当に感謝と喜びに満ちたものである事くらいは理解出来た。 「(明日さ、暁橙の通院が終わったら藍夜にお礼言わなくっちゃね)」 「(うん)」 小声で獣と笑い合う。 藍夜は何をこそこそやっているんだい、と不満げな声を漏らした。顔を反らし、双方聞こえなかった振りを決め込む。 「へえ、そういう態度を取るというなら今すぐにでも出ていって貰っても構わないんだよ、ケダモノめ」 「あ〜っ、またケダモノって言ったぁ! ヤメてよね、それぇ」 「全く、すぐ本気に取るのは止めたまえ。僕だってこんな暗い中そこまで言わないよ」 「ふぅん、へえ、そうなんだぁ。藍夜のオヒトヨシ〜」 「好きに言いたまえ」 口では悪く言いながら、いざ頼られたら無碍には出来ない。 天邪鬼、ひねくれていると言ってしまえばそれまでだが、それでもニゼルは藍夜のそんなところを好いていた。 自分では(いくら唯一の肉親が持ち帰ったものといえど)こんな風に気遣ったり、面倒を見てやろうとは思いもしないだろう。 冷たいようだがそこまでしてやる縁や義理はないし、仮にしてやったとしても、自分なら能力の使い惜しみだってするかもしれない。 間違いなく、鳥羽藍夜はニゼル=アルジルにとって自慢の友だ―― 「ああ、そうそう。それは古代の貴重な産地の琥珀だよ。傷、気泡一つないから高額になるだろう。要らなくなったら僕におくれよ」 ――ケチである事を除けば! 振り返ると、やはり予想した通り、グリフォンでさえ呆れ果てた(ように見える)顔を浮かべていた。 藍夜は悪気もなさそうだった。そのギャップが激しすぎて、隣室の暁橙に悪いと思いつつも声を上げて笑ってしまう。 これから楽しくなりそうだ、と思えた。どうせ彼の事だ、あれこれ理由をつけてこの幼い獣を追い出すような真似はしないだろう。 「そうそう、君の名をどうにかしなくてはね。ケダモノと呼ぶなというのであれば」 「えっ、あ、そっかぁ〜。う〜んう〜ん、ぼくカッコいいのがいいなぁ」 「……あのさ、さっき見てて思ったんだけど、言うのすっかり忘れてたんだけど、君ってメスだよね? 『ついて』なかったしさ」 「そうなのかい?」 「そうなの? え〜、ア〜、でもでも、もしかしたらそーかもねぇ。立ったまました記憶ないもん」 「君ね、言葉にはもう少し気を付けたまえよ。せめて座って致していると言いたまえ」 どうしてくれよう、この二人……ニゼルは笑っていいのか怒った方がいいのか判断しきれず、表面上は苦笑を滲ませるに留めた。 少なくとも似たもの同士である事は理解出来た、否、そんな事より、与えてやる仮の名前の候補を絞りやすくはなった筈だ。 藍夜は「花子」がいいと言い張り、獣はそれだけはよく分かんないけどヤダ、と拒否し続けている。 友人のネーミングセンスにも、それよりも先ほど一瞬でもこれから毎日楽しくなるぞ、と考えた自分の呑気さが恨めしくなってきた。 少なくとも名前は自分が考えてやった方がいい……そう思い直し、ふと目を開けた瞬間、ニゼルの視界にそれは飛び込んだ。 「……うん、『コハク』はどうかな」 「えっ。こは、く?」 「そう。ほら、君のそのペンダント。それに君の目だって綺麗な琥珀色をしてるじゃない」 聞き返してきたグリフォンは、己が足元に目を向けた。持ち主不明、だが自身が持っていた唯一の手掛かりの首飾り。 夕焼け直前の黄金と、夕日そのものの焼ける赤を混ぜた半透明のオレンジ色。 「同じ色だよ。綺麗じゃない?」 「ああ、いいかもしれないね。琥珀とは異国で『玉(ギョク)』という意味でね、女性らしさも印象付けられそうだ」 「えへへ、でしょでしょ? 目を見た時、何かに似てると思ったんだけど浮かばなくてさ。琥珀っていったらピッタリだなって!」 「琥珀といえば燃やした時に良い香りがするのは知っているだろう? あの匂いは、古の神話に登場する花に似るとされていてね。 不死の妙薬の原料となるその花は『アンブロシア』といって、琥珀の別呼称『アンバー』の由来になっている、とも言われているよ」 「へえ、そうなんだ? 藍夜、相変わらず物知りだね」 「本の受け売りというものさ、ニゼル」 「……あんばー。そう、そっか……うん。ぼく、それでいい。こはくでいいよ」 消えてしまいそうなほど微かな呟き。グリフォン改め「琥珀」は、どこか寂しげな顔をしているように見えた。思わず顔を見合わせる。 「あの、琥珀? もしかして気に入らなかった? 何なら別の名前に、」 「えっ、いいよ〜? なんでなんで、ぼく琥珀だもーん。ニジーが決めたんでしょ? 変なニジー!」 「うん……琥珀がいいなら、俺はそれでいいんだけど」 「やったぁ〜! 今日からぼく、琥珀ねぇ」 一瞬見せた翳りもどこへやら。自身の新しい名を連呼しながら、琥珀はぐるぐると店内を歩いて回った。 暁橙が寝ているのだから静かにね、と短く叱責するも、藍夜はどこか心ここにあらずといった様子でニゼルに視線を投げる。 ニゼルも考えている事は同じだったらしく、顔には困惑の色が濃く浮かんでいた。互いに軽く嘆息を吐き、もう休もうと結論付ける。 まだ出会ったばかり、殆んど初対面のようなものだ。ペンダントの文様などから別の手掛かりも見つかるかもしれない。 外はすっかり暗くなっていた、琥珀を暁橙のいる客室に通し、藍夜はニゼルと共に二階の自室へ足を運んだ。 「ねえ、藍夜。まだ起きてる?」 「ああ、起きているよ。ニゼル」 灯を消して見上げる天井。ところどころに凹凸が見られるのは、店を継いだ後に鳥羽兄弟が修復作業を施している為だった。 古い木材、真新しい木材、艶出しの塗られた薄板。夜目が効くようになると、月明かりだけでも違いがぼんやり見えてくる。 頭上側には彼が好んで集め抜いた古文書や古書などが本棚いっぱいにひしめき合い、部屋中に紙とインクの匂いが溢れていた。 「なんだか今日は大変だったね」 目を閉じれば休業日に屋根に上り、或いは小屋の裏で大工作業に追われる藍夜と暁橙の姿が脳裏に浮かぶ。 暁橙の作業着姿は見慣れていたが、いつもカッターシャツにスラックスといった格好の藍夜がそれを着ると違和感しかなかった。 背中越しに微かな身じろぎ。肯定の意だ。窓側に寝そべり仰向けでいる自分に対し、藍夜は部屋の入り口側に身を向けている。 幼い頃からの癖で、ニゼルが鳥羽家に泊まりにきた時はこうして二人、暁橙がいる場合には三人、横に並んでベッドに潜った。 藍夜は部屋側、中央に暁橙、そして窓の近くにニゼル。泊まりにきた時のみだが、何年経ってもこの構図は変わらない。 それぞれが成長してベッドが狭くなってきたら、わざわざ寝具を大きなものに新調するというほどの徹底ぶりだった。 そうでもしなければ、普段の行動のみならず寝食さえも共にし習慣付けなければ―― 「暁橙は怪我しちゃうし、拾い物? してきちゃうしさ。ヨーグルトも少ししか食べられなかったし」 ――父母を失くした暁橙が保たなかったのではないか、とニゼルは思う。 先ほど、藍夜は琥珀に対して「色々」と称して自身の過去を曖昧に濁した。無理からぬ話だ。 力を得た事で鳥羽藍夜はオフィキリナスを継ぐ事が出来たが、その代償として彼が多くのものを失った事をニゼルは知っている。 切っ掛けそのものは些細なものだ、幼い自分と藍夜の間にある淡い思い出。子供の悪戯といっても過言ではない。 それでもその後、彼と暁橙の身に起きた出来事、今彼らが置かれている状況を思えば、こうしている今でもなお胸が痛む。 「ヨーグルトならまだあるよ。食べたいのなら明日の朝食に出すとしようか」 「え、いいの?」 「いいも何も、家にあるミルクもチーズも君の牧場から分けて貰ったものなのだから、遠慮する事などないさ」 「へへ、やったー。朝からヨーグルトか。ありがと、藍夜」 「琥珀も気にしていたようだからね」 暗闇に溶ける微かな笑い声。そろそろ寝たまえ、堅苦しい口調に反する優しい声色。暫くすると肩越しに寝息が聞こえてきた。 「藍夜。……寝ちゃった?」 今度こそ返事はない。細い肩が小さく上下に動いている。 彼は昔から寝起きが悪くて、一度眠りに就くとよほどの事がない限り目を覚ます事はなかった。そのくせ朝は早起きというのだから、 独特の口調も混ざって、一時自分や暁橙に「枯れてる」、「おじいちゃんみたい」、などと陰で囁かれていた時期もあった。 そのちょっとした冗談に気付いた折、彼は件の雷霆を振り翳し、暁橙と自分にセイデンキとやらを与えて髪をぐしゃぐしゃにしてくれた。 あれは確かに俺達も悪かったけど、あそこまで怒らなくてもいいじゃんね――目を瞑りあの時の事を思い出してみる。 怒った、という事は、彼は彼なりに自分の口調その他生態に疑問や混乱を抱えているのだろうか。だとしたら納得、は出来兼ねる。 いくらなんでもアフロはやりすぎだ。とはいえ蒸し返せば「僕が悪いとでも言いたいのかい」と逆切れされるのも目に見えている。 (ほんっと、子供っぽいんだから) 声を殺して笑った。それと同時に無性に悲しくなった。子供――横で眠る彼の後頭部を、次いで首筋を、うなじを、肩を見る。 そう、子供だ。十五か、よく見ても十七歳くらいの「子供」。今年で鳥羽暁橙は齢十九、兄である藍夜は二十歳になるというのに。 力を得て以来、鳥羽藍夜は「肉体的な成長が止まって」しまった。 ある時期まで成長したと思ったら、そこから身長は伸びず、顔の骨格もそのままで、遂には彼は弟に背丈を越された。 「僕の前で身長の話はしないでおくれよ、ニゼル。暁橙に負けたから悔しんでいるわけではないがね?」、屈託なく彼は笑う。 だがホワイトセージは田舎の古い街だ。成長が止まってまだ数年、それでも街医者の証言もあって噂は瞬く間に広がってしまった。 街に降りる度、鳥羽藍夜が「化け物」と呼ばれるようになるのに、そう時間は掛からなかった。 『ニゼル君。君は彼とは幼馴染だ、気持ちは分からないでもないんだが、彼の姿を見るとどうしても、ね』 『あの目の色に、なんだったかしら、ロード? あんな意味不明なものが神の武器だなんて、頭がおかしいとしか思えないわ』 『彼の商売は神への冒涜だ。遺跡荒らしをするなんてこの街じゃもってのほか、親の顔が見てみたいもんだよ、全く』 『仕方ないだろう、両親にあんな死に方をされちゃあね……でも、愛想のなさといい、本当は彼が親殺――』 目をきつく閉ざす。 鳥羽家の先代店主、即ち藍夜と暁橙の両親は、「事故」で亡くなったのではない。 藍夜も自分も「現場」を目の当たりにしていた。真実などとうに知っている。まして藍夜は能力持ちだから尚更だ。 莫大な遺産、土地、希少価値の高いロード。それらを狙って葬式に押し寄せた大人達に、嘗て藍夜は罵られるがままにしていた。 反論、弁解、弁明する機会はいくらでもあった筈なのに、どんなに促しても彼はそれをしなかった。 (小さい頃の藍夜だったら、絶対言い返してた筈なんだ!) 罵られている間、彼は凛と背筋を真っ直ぐにして、どこか遠くを見ているかのようだった。その姿が今でも忘れられない。 力を得る前。力を得た後……期間に多少のタイムラグはあれど、力を得てから彼は変わってしまった。 今でも幼馴染である事に変わりはない。藍夜は藍夜だ、暁橙同様に納得しているし理解している。尊敬も友愛も昔のままだ。 (それでも……だけど) 鳥羽藍夜が力を得たのは、後に異端視される発端となったのは、何を隠そうニゼル=アルジル自身が切っ掛けだった。 「自分があの時ああしてしまったから」。鳥羽藍夜は変わる前からずっと優しい少年で、こと親しい者に対しその傾向は顕著だった。 だからニゼルは元凶でありながら、恨まれるどころか、責められた事さえない。それが近年、逆に心痛として感じられるようになっている。 「俺も、寝よ。おやすみ、藍夜」 ロードを鑑定し、売買し、街には一切下りず店に篭りながら日々を惰性的に過ごす。確かにそれなら悪評も耳に入らないのだろうが。 能力を介して得られた琥珀という新しい風は、藍夜を、自分の晴れない心に果たして何らかの影響を齎すのだろうか。 もしそうなるとしたら、そうなった暁には、鳥羽藍夜にとってよりよい日常が切り開かれていくのだろうか。 グリフォンという存在そのものがニゼルにとって未知なる領域だ。楽しみではある、だが、もし彼女が藍夜にとって毒となり得るのなら。 「……ごめんね」 目を閉ざせば、暗闇の中、嘗て在りし日に見た「先代鳥羽家店主」の「死体」がこちらを見下ろしているような気がした。 |
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