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楽園のおはなし (2-4) BACK / TOP / NEXT |
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「それで、だ。結局なあなあに同行を許可して、現状を受け入れている、と」 拳打と蹴撃の応酬。夜色と漆黒が事細かく動く様を、ニゼルは白塗りのテーブルに頬杖を突いた格好で眺めていた。 魔獣退治から一夜明け、ふらりと戻ってきた殺戮の天使が琥珀に稽古を付けている。意外にも、稽古を志願したのは鷲獅子の方だった。 可哀想なくらいに手加減がされている。歯を食いしばり、なおも追い縋る琥珀を見守りながら、ニゼルはサラカエルの嫌みに嘆息を返した。 「そう言うけどね? サラカエルがいるって事もバレてたし、心強い部下が藍夜とアンの警護についてるらしいし、お金まで渡されてるし」 「へえ、つまりは賄賂と。それを受け取ったと」 「サラカエルは藍夜に頼まれて俺と琥珀の面倒見てるんだよね? その場にいなかった人、いや、天使に言われてもねー」 鋭い風切り音。サラカエルの裏拳が琥珀のこめかみを強打し、軸を崩させる。強制的に傾ぐ体を、琥珀は片足で踏ん張り、持ち直させた。 「ってかさ! サラカエル、さっきまで藍夜んとこに行ってたんじゃなかったの? そういう奴いた、ッうひぁ!?」 反撃せんと伸びた娘の拳が、宙を空振る。僅かな動きで避けた殺戮は、その二の腕に手を軽く押し当て、逆の腕を回してそれを絡め取った。 琥珀の体が綺麗に回る。要は馬鹿力をそのまま流しただけ。自分の怪力と速度に振り回され、鷲獅子は勢いよく地面に弾け飛ばされた。 「いた、のは確認しているよ。ただ、果たして本当にインディコール=グレイスの付き人だったのか、が引っかかるだけさ」 「いっつぅ〜……何ソレ、どういう意味?」 「はい、琥珀の負けー。で、俺もその話気になる。どういう事? サラカエル」 尻をさする琥珀を余所に、サラカエルは涼しい顔でスーツの表面を叩き、襟を正して身だしなみを整える。彼はいつものように首を傾げた。 「鳥羽藍夜の周りを嗅ぎ回っていたのは天使どもだよ。内々に処分……処理しておいたけど、あの数は容易く用意出来るものじゃない」 「うへ、処分て。処理て」 「考えてみるといいさ。今のウリエルは力の大半を失っていて、天使としては欠陥品だ。それをつけ回すという事は」 「……鳥羽藍夜がウリエルである事実を、インディコールは知ってる、って事?」 「ねえねえ、ニジー。もっとツッコムところがさあ、」 「そういう事。『王国』もそこまで掴んじゃいない筈だったんだけどね」 もう一度首を傾げた殺戮の天使に頷き返し、ニゼルはふと口を閉ざす。 おかしな話だ、インディコールは身分こそ優れているものの、中身はごく普通の人間。雷神の雷霆に魅了されたのがその証拠だ。 思い返せば、彼はロードもなしに風、或いは空気の魔法を行使していた。視察団として現れた時、そんな素振りは見せもしなかったのに。 出し惜しみしていたのだろうか――それはないなと、ニゼルは頭を振る。あの手の男は、己の実力を誇示するタイプの筈だ。 サラカエルに気取られず姿を現し、魔法を使い、一撃で魔獣と魔物の群れを掃討した……厄介な事になったと、青年は密かに歯噛みする。 「藍夜は……無事なんだよね? サラカエル」 「やあ、誰に聞いているのかな。当然さ。オフィキリナスには僕の加護を施してきたし、アクラシエルも残ってる。まず間違いないさ」 「そっか。サラカエルがそう言うんなら、きっと大丈夫だよね。ありがとう」 安堵から溜息を吐いて、席を立った。頬を膨らませ、若干拗ねた様子の琥珀に手を伸ばし、立ち上がらせる。 魔獣の呼吸が落ち着くのを待ちながら、ニゼルは改めて、老人から受け取った地図を広げた。 「インディコールを置いてけぼりにすればいいかなって思ってたけど、天使達の目があるなら、下手な小細工は出来ないね。面倒だなあ」 イシュタル帝国は、サンダルウッド王国を鏡写しにしたかのように、国境を軸に南方に向かって逆三角形型に土地を延ばしている。 東は果樹園など農業が、西は鉱山などの採掘業が盛んだと聞いていた。現在地は海に近い南端である為、次は自然と北を目指す事になる。 移動手段は主に琥珀の翼であったので、これまでは自由が利く事に任せ、深くを考えずに行動範囲を広げてきた。 インディコールに纏わりつかれている今、琥珀の飛翔能力の高さは伏せておくべきだろう。探られた挙げ句、彼女を強奪されかねない。 ……ニゼルは、副団長は平然とそういった事をする男だろうと踏んでいた。生理的嫌悪感も当然あったが、直感がそう物を言っている。 「信じてはいけないし、頼れば頼っただけ恩に着せられる」。そんな予感が、漠然としてあった。 「なら、東はどうかな。最近じゃ気候も安定しているそうだし。何より、君、宝石なんかには欠片も興味ないだろ?」 「うーん、そうだけど。そうだね、アンにお土産でも、って思ったけど、アンはお姉さんから貰った首飾りしかしてないみたいだし」 これから冷え込む季節となる。琥珀が冬眠するかどうかも分からないのだから、サンダルウッドに戻るのは得策ではないように思えた。 サラカエルの提案に頷き返し、首を伸ばしてきた琥珀に地図を見せる。ニゼル達は、次なる目的地を東に定める事にした。 「まずは、ここから北東に進んですぐのちっちゃい中継都市に向かおう。食料も調達しておきたいし」 地図に辛うじて記された、名もなき石造りの古都。帝国領域にしては珍しく、森や川はおろか、温泉すら通わないという町を目指す。 インディコールはどんな手段でついてくるつもりだろう、ぼんやりと浮かんだ不快な疑問に、ニゼルは頭を大きく左右に振った。 「……わざわざこんな辺境に寄らずとも、もっと別の恵みの多い都市があったのではないのかな。本当に、君達は変わっている」 いくつもの土塊を混ぜて練り固め、ブロック状に加工してから組み立てる。それらを土台とした灰色の町は、予想より人通りがあった。 町の入り口、相乗りの馬車の窓から手を伸ばし、形だけの番人に通行許可証を見せながら、インディコールが退屈そうに嘆息する。 外を歩くのはニゼル達同様、他の都市に向かおうとする冒険者や浮浪者が殆んどだった。副団長が好む美女などの姿はまるで見当たらない。 「だったら着いてこなきゃよかったんじゃないですかー。あ、琥珀、飴食べる?」 「ふ、随分と嫌われてしまったな。残念ながら、わたしは甘味は控えていてね」 「うーん、今日は風の音がうるさいねー? 早く宿に行かなきゃねー、琥珀」 険悪というよりは、一方的なニゼルからの嫌悪。周囲の旅人達は、興味半分、野次馬根性半分で、小綺麗な男と青年の応酬を見比べている。 話を振られた琥珀は、たまったものじゃないとでも言いたげに、向かいに腰掛けるニゼルに向かって隠しもせずに顔を歪めてみせた。 「宿を早く取るのは賛成だけど、さて、そう上手くいくかな」 ニゼルの横に座るサラカエルが、意味深に窓の外へ視線を投げる。釣られるようにして首を巡らせたニゼルは、町の喧噪に目を瞬かせた。 言われるまでは、ただの賑わいだと思っていたのだ。見れば、冒険者、傭兵と思わしき面々が抜き身の剣や槍を手にうろついている。 耳を澄ませば、遠くから号令か野次といった怒声が聞こえた。町の入り口はそうでもなさそうだが、中央部は人でごった返しているらしい。 「……何? なんか、物騒だね」 「さてね、聞いた感じでは、何か捕り物でもしているようだけど」 琥珀が背後の窓に首を回し、鼻をひくつかせる。正面に顔を戻した魔獣の顔は、物言いたげに複雑そうな表情で歪んでいた。 「なんだろ。なんか、ケモノのニオイがする」 「獣? 動物でも逃げたのかな」 「アー、家畜とかそういうんじゃないみたい。どっちかっていうと、」 不意に琥珀は言葉を切る。同時にがたんと荷台が揺れ、馬車を引いていた馬の歩みが止まった。外では複数人が話し合う声もする。 何事かと室内にざわめきが広がり、つられたニゼルが身を乗り出しかけた時、馬車の昇降口が静かに開かれた。 「悪いな、急で申し訳ないが、ここからは馬車を降りずにまっすぐ宿屋に向かって頂きたい。でなければ、詰め所で待機して貰おう」 姿を見せたのは、自警団員と思わしき男だ。簡素な胸当てと頭頂部のみを覆う金属製の防具は、インディコールのものに比べ安価に見える。 「どういう事だ、それなら宿はそちらが手配してくれるのか」 「困ります、町の外れに病気の母が……」 「困っているのはこっちだよ。余所の冒険者どもが、町に逃げ込んだとかいう魔獣を捕まえようと暴れてる。騒ぎの収拾がつかないんだよ」 詰め寄る旅人達を前に、男は隣の同僚と顔を見合わせながら喉奥で唸ってみせた。その顔は、よく見れば疲労と焦燥でやつれている。 ……魔獣。サラカエルと琥珀は、嫌な予感そのままに、互いの視線を動かした。案の定、目を輝かせたニゼルがその場に立ち上がっている。 「琥珀、サラカエル。ね、今の話、聞いてた?」 「アー、キイテナイー」 「さて、どうだったか」 「魔獣か。はて、獣の臭いというからには野生のものだろうか」 「もう! 二人ともなんでそんなに反応薄いの!? ちゃんと聞いてたでしょ? ほら、早く行こう! 魔獣だって!」 インディコールはさておき、こうなれば彼を止める手立てはない。荷物を降ろし、ニゼルは自警団の制止も聞かず、馬車から飛び出した。 琥珀はうんざりといった体で嘆息してから、ニゼルの背を追い、ぱっとドレスを翻す。サラカエルは慌てた自警団員に適当な相槌を打った。 動物好き、好奇心旺盛も結構な事だ……双方、そう考えていたのに違いない。苦笑していた副団長もまた席を立ち、人知れず馬車を降りる。 一行がそうして町の喧噪にしぶしぶ飛び込んだ時。その時点で、既にニゼルの姿は無数の冒険者らの波に飲み込まれた後だった―― 「……えーと、どうしよう……って、あ! 琥珀達、置いてきちゃったなあ」 ――常の癖で、独り言の声量は大きい。用心棒達の心配を余所に、ニゼルは一度大通りの混雑から抜け出し、わき道に逃れて荷を降ろす。 はぐれたも同然だが、羊飼いは良くも悪くも旅の供を信用していた。あたりを見渡し、物取りがいない事を確認してから壁に寄りかかる。 未知の魔獣に期待する自分を落ち着かせるよう、大きく息を吐いた。次に、耳を澄まし、騒がしさの中から必要な情報を手繰り寄せる。 ……白色……足が速い……人間に化け……背の高い男。 断片的ではあるが、容易く特徴は掴む事が出来た。彼らが雄弁で助かったとしみじみ思う。 (人型変化出来る魔獣って事か。琥珀くらい、強いのかな?) 期待は膨らむばかりだ。捕まえずとも、足取りを追い、一目その姿を拝んでおきたい。 怒声が行き交う中、ニゼルは腰に下げた自前のロードをそっと抜き取り、軽く左右に振った。さらさらと金色の星が零れ、路上に落ちる。 導け、脳内でそう命じた瞬間、輝く砂がするすると道を這っていった。冒険者らには悪いが、捜し物をするならこちらの方が手っ取り早い。 親友から譲り受けた、言語と記憶を司る合成高位神具。日が暮れる前に琥珀らと合流しておきたいという希望を、使用の言い訳にする。 (……俺の寿命って、あとどれくらい残ってるんだろう) ふと立ち止まる折、金色の帯が早く来いと急かすように地表で弧を描いた。はたと我に返り、ニゼルはのんびりと光の軌道を追う。 この繊細な無数の光は、他者の目に映る事はない。旅先で稀に使う度、ニゼルはそれを目の当たりにし、その都度驚くばかりだった。 託してくれた親友に、心の中でそっと礼を言う。独占欲の強い彼の事だ、よほど自分を信じて任せてくれたのに違いない。 (キザ男のセリフじゃないけど! 俺が藍夜から預かったものは、本当に大切にしなくちゃ) ロードだけではない。グリフォンの琥珀、そして彼の前世で深い繋がりを持っていたサラカエルもそうだ。 彼らを五体満足で傍に置き、いつか、親友と再会した時に互いに笑顔を交わす事が出来るように……それが今のニゼルの願いだった。 「っと、ここ……で、合ってる?」 もぬけの殻にしか見えない、ところどころにひびの入った二階建ての建物。光の帯は人気のない裏路地の奥、ぽつんと佇むそこに到達する。 立て壊し間際であるのか、窓や扉らしきものは取り払われていた。ぼうと大口を開ける暗い入り口を前に、ニゼルはごくりと唾を飲む。 「いや、怖くないし。平気だしっ」 鼻息一つ、大げさに声を上げて内部に入り込んだ。昼過ぎだというのに、室内はどこか湿っており、埃臭く、薄暗い。 救いといえば、光の群が煌々と道順を示してくれる事だ。瓦礫や取り残された家具の残骸につまづかないよう、導かれるままに上を目指す。 階段を上りながら、ニゼルはなんだか悪い事をしているような気分になった。実際これって不法侵入だよね、とは口にしないでおく。 一人分の靴音が反響し、心細さに拍車をかけた。呼べば殺戮の天使は来てくれるのだろうが、怖いのかとからかわれそうで、意地になる。 「! うわっ」 屋上に続くと思わしき、四角にくり抜かれた光。さっと開けた視界に飛び込んだ瞬間、強風がニゼルの全身を出迎えた。 景色や空気の流れを阻むものは、何もない。建物の屋上は雨風をしのぐ屋根すらなく、どんよりと曇る空ばかりを掲げている。 雨が降りそうな天気だとは、一瞬浮かんだ思考だった。ニゼルの意識は、すぐさま頭上から正面に切り離される。 「……白、色」 視線の先に、白色が揺らめいていた。正確にはそれは毛髪であり、リンドウの色をした髪留めで二つ、一つと三叉に分かれて結わえてある。 ゆったりと優雅に棚引く様は、晴天に干された清潔なシーツか、或いは手入れの行き届いた血統書つきの馬のたてがみを連想させた。 そこにあるというだけで、自然とこちらの体は硬直する。畏怖、魅了、目を逸らす事の出来ない存在感。ニゼルはぼんやりと立ち尽くした。 (綺麗) それが、自然な動作でニゼルを見る。初見の雰囲気としては、親友の鳥羽藍夜か、喰天使ノクトにどことなく似ていると思えた。 眼光鋭く、凛とした佇まいの青年。眉間には神経質そうな皺が刻まれている。腰には髪留めと同色の鞘に納めた刀が下げられていた。 肩からわき腹までを覆うマント越しに、鍛えられた体つきが垣間見える。無駄な装飾を省いた装備は、インディコールとは真逆のものだ。 ……それの薄い唇が微かに動いたのを見て、ニゼルははっと耳を澄ました。どんな声で話すのか、興味があったというのもある。 「お前、ケダモノの臭いが染み付いているぞ」 するすると吐き出された言葉は、生真面目そうな面立ちに相応しく、不快と不信をたっぷりと含んでいた。 何を言われたのか分からず、ニゼルは一瞬返答に詰まる。瞬きを繰り返していると、青年は大げさな風に嘆息してみせた。 「近くに鷲獅子がいるだろう。臭うぞ、血と闘争の臭いだ。血なまぐさくて反吐が出る」 「……えっと……琥珀は毎日お風呂に入れてるし、そこまで臭くないと思うよ?」 我ながら、間抜けな返事だったかもしれないと思う。案の定、青年は整った顔を盛大に歪め、苦い顔で「喩え話だ」と補足した。 「我ら一族の血を啜り、肉を喰らい、骨を嚥下し魂そのものまでも汚そうとする。そんな魔獣、ケダモノ呼ばわりで十分だ」 「待って待って。とりあえず、俺とは初めましてだよね。君が町を騒がせてる魔獣って事で合ってる? グリフォンが天敵とか、初耳だし」 「……やはり、グリフォン飼いか。ただ飼い慣らしているだけでも、俺からすれば同類だ。俺に寄るな、汚らわしい」 人の話ちゃんと聞いてくれないかなあ、ニゼルは喉元まで出かかった言葉を辛うじて飲み込む。見透かしてか、青年は小さく鼻を鳴らした。 改めて青年と向かい合う。グリフォンに補食される生物という事は、彼は馬に近しい種なのだろうか。人の姿ではいまいちぴんとこない。 もごもごと口を動かし、どうしたものかと考え始めるニゼルを余所に、青年はふと表情を固くした。目を細め、眉間により深い皺を刻む。 その目は、ここではないどこか遠くを見ているようだった。首を傾げて見守るニゼルだが、彼の気が何に向いたのか、すぐ気付く事になる。 「いたぞ、あそこだ!」 「足が速いらしいぞ、急げっ!」 「囲め、囲め! 逃げる隙を与えるな!」 無数の怒号と指揮が迫りこようとしていた。武器同士、防具の接続部ががしゃがしゃと音を立て、眼下の喧噪をより険悪なものにしている。 「……あ」 「来たか。しつこい奴らだ」 彼は追われていたのだった、今更にそれを思い知らされ、ニゼルはざわつく胸中を宥めるように胸元を強く握りしめた。 街での一件を思い出す。魔獣も魔物も、人間からすれば動物資源の宝庫だ。捕らわれたら最後、無惨な肉塊にされるのは目に見えていた。 鼻を鳴らし、青年は短い丈のマントを翻す。つられるように流れる髪が、ニゼルの視界を真っ白に染め上げた。 「どうするの、本当に囲まれてるよ」 「俺に聞いてどうする。お前も巻き込まれたくなければ、今すぐここから去れ」 「そうは言うけど……せっかく知り合えたんだし、それはないよ。捕まったら困るんでしょ? 俺と一緒に逃げようよ」 どうしてそうなる、青年は短く唸る。本当に構われたくないなら無視すればいいのに、ニゼルは眉間に小さく力を込めた。 「それに、どうやってここから逃げるつもり? 出口なんてそこにしか、」 「出口だと? ふん、」 風が強まる。青年は、笑った。足音が階段を駆け上がり、次第に強欲の魔の手が迫りつつある最中であるというのに、嘲笑してみせたのだ。 「人間と一緒にするな。俺の脚は、『天上まで駆け上がる足』だぞ」 青年の姿は、今は建物の際、飛び降り自殺が可能な地点にある。彼がおもむろに靴先を踏み出した先には、何もない。 ニゼルは、あっと叫ぶ暇もなかった。するりとその長身が宙に飛び出し、緩やかに落下する。思わず駆け出し、手を伸ばしていた。 「――っ、うあ!?」 強風は、三度巻き上がる。突如として、ニゼルの目と鼻の先に、鮮烈な白色の風が吹き上げた。 はっと顔を上げた先、それの正体を目の当たりにした羊飼いは、文字通り言葉を失う。 「……ゆ、ユニコーン……?」 白く揺らめき、棚引くたてがみ。曇天の中でも輝く体毛。筋肉の隆起がはっきりと分かる体躯。リンドウと同じ色の、艶やかな濃い青の眼。 そして何より目を惹くのは、水晶を削り出し、リンドウの色素を流し込んだような繊細な色の移ろいを見せる、一本の角だ。 「ユニコーン」。一角獣とも称される、個体数が限りなく少ない魔獣。気性は激しく、何者にも決して媚びないと言われている。 鳥羽藍夜が所有していた書物で、その名と肖像を見た事があるばかりだった。しかし、そこに描かれていた絵よりも現物は遙かに美しい。 「……!」 そろりと、一瞬、ユニコーンがこちらに振り向いた。長い睫毛が上下に揺れ、一見は穏やかで、しかし強い意志を内包する眼と目が合う。 心を捕まれるとはこの事だ。心臓が早鐘を打ち、服を掴む手にいっそう力が籠もった。ニゼルは、瞬きする事も忘れてしまう。 黄金と漆黒で彩られた、珍しい色彩を持つ琥珀もそうだったが、彼もまた、ニゼルの好奇心と所有欲を掻き立てる存在であるのに違いない。 ――欲しい! ニゼルは、導きのロードをすぐさま引き抜いて前方に構えると、指笛を鳴らした。今すぐに彼を追って説得し、仲間の一員に加えたい。 その自己中心的な欲望が、彼の天敵であるというグリフォンを躊躇なく呼び寄せる。神具が煌めき、一角獣の足を捕らえる光が吹き出した。 捕り物に夢中になっていた冒険者らが駆けつけると同時、屋上にその鷲獅子が飛来する。複数の驚愕と恐怖の悲鳴が、鼓膜を打った。 文句を言いかけた琥珀を宥めながら、ニゼルは素早く彼女の背にまたがる。顔を上げ、まっすぐに光の帯を目で追った。 「琥珀! 前! 急いで! 早く! 追いかけてっ!!」 「ああ、もーっ! やっぱり、無理矢理でも藍夜を引っ張ってくるべきだったんだよ〜!!」 白と金の光が、交差するように宙を流れる。ふわりと浮遊感を感じた直後、一人と一匹の影は曇天の下に飛び出していた。 |
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