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楽園のおはなし (2-2) BACK / TOP / NEXT |
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「えーっと……あのー、落ち着かないんだけど」 ふわりと上品に漂う香り、木の蔓を編んで作られた椅子に衝立、磨きガラスや鉱石を嵌めたテーブルや、いかにも高そうな家具、その中心。 木の蔓製の座椅子に座らされたニゼルは、横に座る琥珀同様、控えめに微笑む女性らに伸ばした足の裏を優しく揉みしだかれていた。 琥珀は抵抗を諦めた様子で、背もたれにだらんともたれている。傍らに立つ美しい娘が、綺麗な羽根で出来たうちわで彼女を扇いでいた。 最高のもてなしと労い。こんな贅を尽くす事が許されるのは、王族や一部の貴族くらいではないかとニゼルは思う。とにかく落ち着かない。 「ほっほ。長旅と慣れない暑さでお疲れでしょう。どうか気になさらず、お寛ぎ下され」 並んだ木製の楽器から流れる、どこか間の抜けた独特な音色に耳を傾けながら、先の老人は白髭を指先で伸ばしながら気楽に笑った。 彼は女性からのもてなしに慣れているらしく、寛いだ様子で座椅子にゆったりと腰掛けている。優雅な振る舞いだがどこか貫禄があった。 ここは彼の所有する屋敷の一つというだけあり、日常風景でもあるのだろう。俺や琥珀には無理だけどね、ニゼルはその一言を飲み込んだ。 「そんな事よかさあ〜……僕に話って、なんなわけぇ〜……?」 「ちょっと、琥珀。言い方」 「ニジーだってオチツカナイんでしょー。ねえ、度が過ぎたモテナシは嫌みになるんだぞって、僕の知ってるひとが言ってたよ〜」 ここでいう「知ってるひと」とは、ウリエルやアンブロシア、更にはサラカエル、ノクトをも雇っていたという地母神ヘラの事だろう。 自分と価値観が合いそうだと、ニゼルは無意識にうんうんと頷いた。目を開くと、両目を細めた老人の笑みと視線がぶつかる。 慌てて姿勢を正し、丁寧に向き直ろうとしたが、彼から先手とばかりに差し出された籠入りの果物に遮られてしまった。 好きにお食べなさいと薦められるのかと思いきや、老人はニゼルの前に籠を置いただけだ。娘達に退室するよう促し始める。 「賢いお嬢さんだ、ご指摘の通り、ごもっとも。うん……話というのは他でも御座いません。お二人に受けて頂きたい依頼があるのです」 雰囲気が変わった。思わずニゼルはたじろぎ、琥珀はだらしのない格好のまま面倒くさそうに片目を開く。 すすっと波が引くように去っていく娘達に一瞥を投げてから、老人は横のテーブルに乗せられた小さな銀の鈴を振り鳴らした。 娘達の気配と入れ違いで、先の黒尽くめの男が入室してくる。深々と一礼するあたり、老人に雇われた秘書か護衛といったところだろうか。 彼の腕には何枚かの紙切れが抱えられていて、彼がこちらに着くと同時に、それらは机のガラスの上へと丁寧に広げられていった。 「地図、いや、パンフレット? えっと……街の外れですよね、このあたりって」 「ほう、このあたりの地理にも慣れられましたか。左様、この街の西、交易街道沿いに広がる森の縮図です」 籠の横に置かれた一枚には、この街を含む周辺の絵が簡単に描かれている。注釈が一言、二言添えられていて、ニゼル達への配慮が伺えた。 「近頃、この森から魔物の群れが出るようになりましてな。それを討伐、もしくは追い払って頂きたい」 「それなら自警団に頼むか、腕利きの傭兵を雇うか、国に依頼すれば済む話じゃないですか」 「私どももそのつもりでした。しかし、帝王は西の果ての採掘地帯の運営権獲得に夢中でしてな。とても余分な兵力は回せないと仰られた」 勝手な話だと、ニゼルは呆れ半分で嘆息する。老人も同感であるのか、白髭をさすりながらも、その表情は沈んだままだった。 「皮肉な事に、私兵もそちらに引っ張られておりましてな。この街にも腕利きの傭兵や戦士がいるにはいるのですが、血気盛んな者ばかり。 依頼が達成された後、或いは遂行中の事を考えると、気楽に頼むわけにいかんのです。平和な街故に死体処理の施設も整っておりません」 禍根を残したくない、という事か。国には属さないが街には関わりがある、という者では、後にそれを笠に着て好きに振る舞いかねない。 有事に備えてという意図もある。老人の立場は未だに不透明のままだが、ただの金持ちというわけではなさそうだ。ニゼルは小さく頷いた。 コロシアムでの戦績があり、かつ街に深く根付く意志のない自分達であれば、活躍したところでせいぜい噂話の種になるだけだろう。 もし危機に陥っても、外部の者という事なら大して胸も痛むまい……これは邪推かと、ニゼルはだらけた琥珀の頬を指で突っついてやった。 「そこなお嬢さんは魔獣であられる。向こうの説得など出来ようものなら、より宜しいかと」 「あのさあ〜、魔獣と魔物は違う生き物なんだけど。そこ分かってんの?」 「こーはーくー? えっとー、分かりました。俺達にしか出来ない頼みだっていうなら、出来るところまでやってみます」 「えー!? ちょっとニジーっ、」 ニゼルはおもむろに琥珀に圧し掛かる。じゃれつくように体を寄せ、ついでに小脇をくすぐってやりながら、魔獣の耳元に囁きかけた。 「(琥珀。ここまでもてなし受けといて、後からお金請求されたらどうするの? それにあの黒い人、気配がサラカエルに似てるよね?)」 「ぶわっ、はは、だははははっ! や、やめっ、ちょ、ニジーっ、」 「(俺達にいくつか情報を流してきたんだよ、こんなところで口封じとかゴメンだよ。いざって時はサラカエルもいるんだし、大丈夫)」 「……うむう? 旅の方、大丈夫ですかな? どこか具合でも」 「ハーイ。なんでもないです、大丈夫でーす。頑張って依頼こなしますから、報酬は弾んで下さいね!」 この場に親友がいたらどやされかねない能天気な声で応えながら、ニゼルは腰を軽やかにひねり、老人へと振り返る。 安堵と喜びを顔に滲ませ、老人はほっほ、と楽しげに笑った。傍らの男は相変わらず布で顔が隠されていて、心情を読み取る事が出来ない。 何考えてんだか、そう言いたげな顔で琥珀は頬を膨らませる。彼女の頬を再び突っついて、ニゼルは籠の赤い果実を手に取り齧りついた。 南国育ちというのに相応しい、食べ慣れない芳香と甘味が口の中に弾ける。ここは異国の地なのだと、否応なしに実感させる味だった。 「やあ、話はだいたい聞かせて貰ったよ。で、改めて言わせて貰うけど、君達はウリエルに気を遣う事も知らない間抜けなんだろうね」 ところ変わって、件の街道。やはり音もなくニゼルの背後に降り立った殺戮の天使は、開口一番に嫌みを飛ばした。 「はいはい、間抜けですよー。けどお陰で地図がタダで手に入ったし? 支度金も明日の宿も手配して貰ったし。悪い事ばかりじゃないよ」 うげえ、とあからさまに嫌そうな顔をする琥珀の頭を撫でて宥め、ニゼルは実際に手に入れた地図をひらひらと振ってみせる。 彼がいきなり姿を現す現象も、直後は多少驚きもするが、だいぶん慣れてしまった。嫌みを流すのもお手のものだ。 何より、瞬時に終わるあたり親友の説教より数倍マシだ。慣れって怖いね、ニゼルは肩を竦める。気付いてか、サラカエルは鼻を鳴らした。 「で、勢い勇んで出てきたワケだけど、これからどーすんの、ニジー」 「うーん。ごめん、考えてなかった」 「呆れた。後でウリエルに報告しておこうかな」 「ちょっとサラカエル、なんでもかんでも藍夜を引き合いに出して脅迫するのやめてよ。大人げないなあ」 街道は馬車が行き交う事が出来るように、かなり大胆に森を切り開いて造られている。道幅は広く、頭上には青空も広がっていた。 「ねえ、サラカエル」 「なんだい、間抜け」 「またそういう言い方するー! うーん……サラカエルが魔物だったらさ、こういうところで人間を襲おうって思う?」 「天使を捕まえて随分と失礼な話だね。と言いたいところだけど、僕なら選ばないかな。見通しが良すぎる」 「だよねー。俺もどうせなら森に入ってきた奴とかを狙うかも。人間が主食っていうんじゃないなら、野ウサギとかの方が美味しそうだし」 そもそも魔物とは、ごく普通の動植物がロードや遺跡の魔力の残滓に反応して凶暴化したものに過ぎない。魔獣とは根本的に種が異なる。 彼らには知恵はなく、人間や天使との意志疎通も困難だ。森が豊かであるというのなら、わざわざ人間を襲う必要もないと思うのだが。 「やあ、しかし落ち着かないな。出る、という話だけは本当らしいね」 サラカエルも同意見なのか、一見は手ぶらだった。しかし、彼は細めた双眸をしっかりと森に向けている。 耳を澄ませど、ニゼルには何の感覚も伝わってこない。ふと視線を横に滑らせると、琥珀も身を乗り出し、しきりに鼻を引くつかせていた。 優秀な護衛二人、どちらも頼りがいがある。自分の事のようにこっそり胸を張った直後、突然サラカエルに突き飛ばされた。 「あいたあっ! ちょっと、サラカエル!?」 砂が口に入り、小さく咽せる。苦情を漏らしたニゼルだったが、彼は転ばされた事で命拾いした。 「散開。アンバー、そこの間抜けは任せたよ」 「ほいほーい、って、僕に命令しないでよ!」 頭上を飛び越える、黒い何か。ニゼルの頭を軽々と飛び越え、着地すると同時、それは機敏な動きで振り向いてくる。 鼓膜に細く、鋭い音。うつ伏せのまま顔を上げると、一瞬、朝露に煌めく蜘蛛の糸に似た細い光が二つ、宙に走ったのが見えた。 「ニジー!」 「わ、琥珀っ、……うわ!?」 視界がぐるんと回る。腕を掴まれ、強く引かれ、強制的に体を起こされた。見ると、琥珀の背に背負われている。 まだ人型のままだった為、ニゼルは彼女に抱きつく格好になった。俺って頼りないよな――ぼやきかけた直後、視界が霞む。 姿勢を前傾させ、黒髪が棚引き、琥珀は横へと跳んだ。風を切る音が耳を打つ。辛うじて捉えた視界、ニゼルは、先の黒い影の正体を見た。 「へえ……魔獣が出るとは、聞いてなかったな」 それの前脚が、サラカエルの鋼糸に絡め取られている。更にワイヤーの先端に括り付けられたナイフが深く突き刺さり、抵抗を制していた。 それは、黒いウサギだった。身長も横幅も、ニゼルの二倍はあるだろう、巨体のウサギ。 ずんぐりむっくりとした、肥満体型。耳は大きく、ぴんと伸ばされている。前脚には鋭い爪が生えていて、魔物との違いを主張していた。 その周囲に、取り巻きと思わしき野犬が集まっている。ウサギは口をもごもごと動かし、彼らに何事か指示を飛ばした――ように見えた。 刹那、数頭が疾駆する。ニゼルは慌てて琥珀から降りた。タイミングを計っていたのか、琥珀は青年が降りると同時に駆け出していく。 「やあ、任せたって言ったのに、聞き分けのないグリフォンだな」 「サラカエル、あれって」 『……天使、それも高位天使。何故、ここに?』 喋った!? ニゼルは驚いてウサギを見つめた。……思っていたより声は低く野太く、可愛らしさとは無縁である。 『ワイヤー、サラカエルという名……殺戮、か。なんて日だ、こんな事は予想していなかった』 「へえ、命乞いするなら聞いてやらなくもないけどね」 『誰がするものか。私は、主の命令に従うように造られた……誰であれ、ここで出会ったものを見逃す事はない』 「あるじ……ちょっと待って、サラカエル。ねえ、君、魔獣だよね? 言葉を話せてるし。なんで人間を襲うの? 君の主って誰?」 サラカエルが鋼糸で相手を取り押さえている、その安心感に任せニゼルは身を乗り出した。依頼内容には反するが、事情は知っておきたい。 ウサギは短い黒毛をざわつかせ、口の周りをぶるっと震わせた。鼻で笑ったのかもしれない。割と年上なのかもしれないと、ニゼルは思う。 『貴様こそ何者か。ものを尋ねる前に、自分の身を明かすべきだ』 「えっと? あー、ニゼル。ニゼルだよ。ほら、これでいいでしょ? いいよね?」 「やあ、君ね……」 サラカエルが口を挟みかけたその瞬間。ニゼルの頬を、強烈な熱が横切った。見ると、原型に身を戻した琥珀が、嘴から火を噴いている。 たまらないと言う風に、野犬達は甲高い悲鳴を上げた。琥珀のそれは、どちらかといえば威嚇に近い行為に見える。 ニゼルを中心にぐるりと炎で円を描き、野犬、巨大ウサギを寄せつけまいとしていた。 『グリフォンもいたのか。人間の気配ではないと思っていたが』 ウサギは荒々しい息を吐く。得意げに、琥珀がふふんと胸を張ったのが見えた。 気持ちは嬉しいんだけどすっごい暑いんだよなあ、ニゼルは口から出かけた文句を飲み込む。 サラカエルは黙り込んだままだった。しかし、彼の腕は変わらず緊張を保ったままで、ウサギに自由を与えない。 ウサギの片足が、ぱたんぱたんと大きく地面を踏み鳴らす。殺戮の天使がワイヤーを握る手により力を込めたのを、ニゼルは見た。 「無駄話はそのへんにしておいたらどうかな。正直ね、早く殺してやりたくて仕方がないんだよ」 ウサギが肩を跳ね上げる。ニゼルは、サラカエルが微かに、冷淡に笑むのを見た。いけない、咄嗟に手を伸ばし、間に入る。 「……やあ、何のつもりかな」 「この間抜け、って続くんでしょ! はいはい、サラカエルは強いもんねー」 『ちょっと、ニジー』 「無闇に司令塔を排除したら、周りの魔物? 野良犬? がどうなるか想像出来ないの? 討伐だけが依頼達成の条件じゃなかったよね」 辟易としたように嘆息して、サラカエルは目を逸らした。ワイヤーが張られている事を指で確認してから、ニゼルはそろりとウサギを見る。 短い黒毛、うちわを細く伸ばしたような立派な耳、丸い黒眼。種族が異なる犬をどうやって支配しているのか、全く予想出来なかった。 ウサギは、ニゼルをじっと見つめ返す。彼は拘束されるがままで、反撃に出るどころか、野犬達に新しい命令を下す様子もない。 察するに、琥珀のように、魔法や変化能力といった特別な力を持っているわけでもなさそうだった。 「もう一回聞くけど、君の主って誰なの? それと、出来れば全滅する前に逃げた方がいいんじゃないかなー」 ……つまりは、ただのでかいウサギ。ならば大して怖くない。 隣の天使から恐ろしいほどの殺気が向けられたような気がしたが、ニゼルは平然とそれを無視する。 ウサギからすると、こちらの力関係は不思議なものだったようだ。独り言にしては大きな声が、ぶつぶつと考察を始めてしまっている。 (どこか憎めない感じなんだよねー。琥珀もそうだけど、魔獣って皆こんななのかな) 思わず笑みを零した、その瞬間。びん、と何かが弾ける音がした。次いで、ニゼルは腕を掴まれ、体を強く引かれる。 ……悲鳴を上げる暇もなかった。突然、四方から鋭い風切り音が押し寄せ、文字通り野犬やウサギ、近くの木々を切り裂いていく。 目の前で鮮血が飛んだ。空気が無慈悲な凶刃と化し、街道を舐め尽くしていく。酷く息苦しかった。瞬く間に、世界が殺戮の渦中に沈む。 「……あ、ああ」 あの黒毛の塊が、きりきりと回転しながら飛沫を飛び散らせるのを見た。甲高く痛々しい鳴き声は、野犬達が苦しみ悶える今際の声だ。 酷い、そう罵る暇もない。勢いよく振り向いたニゼルはしかし、サラカエルもまた険しい顔をしているのに気付いて、言葉を呑む。 サラカエルがやったわけではないのか――思い返せば、殺戮の天使が琥珀らを襲撃した際、風や空気といった魔法を使った事はなかった。 「やあ、酷いな。こっちじゃそう補充も利かないっていうのに」 「え……」 ようやく風が止む。視界の端、或いは眼前に、はらはらとワイヤーの断片が降ってきた。先の風の刃で裂かれたのか、見るも無惨だ。 呆然とするニゼルと、険しい顔のまま獣達の屍を睨むサラカエル。琥珀が何かを警戒するように低く唸り、おもむろに二人の背後に回る。 「――ふむ。どうやら無事に全て狩りきる事が出来たようだ、これで任務は達成かな」 琥珀が身構える先、振り向いたニゼルとサラカエルは、この場に似つかわしくない人物の姿を見つけて息を呑んだ。 薔薇の香を漂わせるブロンドの髪に、夏空を写し込んだような色の青いマント。瞳は、黒みがかった神秘的な青色をしている。 誰の目から見ても非の打ちどころがない美男。ニゼルは、その男に見覚えがあった。 「……ちょっと待って……なんで、ここにお前がいるの。インディコール」 抜き身のままだった長剣を鞘に収めた男は、名を呼ばれ、そこで初めて、真っ向からニゼル達を見つめ返した。 インディコール=グレイス。元サンダルウッド王国の第二騎士団副団長であり、半年前、オフィキリナスを訪れた視察団を率いた男。 アンブロシアの手紙には、行方不明になったらしい、と記されていた筈だ。それが何故……インディコールは、人好きのする顔で微笑んだ。 「知れた事。わたしもあのご老人からこれらの排除を依頼されたのだよ。何も不思議な点はあるまい? 完遂したのだ、よかったじゃないか」 言う事はごもっともだ。実際、ニゼル達は依頼こそ引き受けたものの、一任された仕事であるとは一言も告げられていない。 共闘という意味では感謝すべきだろう。しかし、ニゼルは男の笑みを受けた時、背筋を冷たいものが這う感覚を覚え、身を震わせた。 君の嫌な予感は当たるからね――親友にそう言われた事があるのを思い出す。この場に彼がいてくれたなら、多少は心も落ち着くだろうに。 今ここに、彼は、鳥羽藍夜はいない。言っても仕方のない事だと頭を振り、ニゼルは怯みかけていた気持ちを強引に立て直した。 「答えになってないし……それに、今の、風の魔法? あそこまでする必要なかったよね。こっちの話は聞いてくれてたのに」 「何を。魔獣など、凶暴、凶悪であると古の時より定められているではないか。事実、街道を通過する者が襲われていたというのに」 「そうだけど! 琥珀とかっ、あのウサギさんみたいに言葉が通じる子だって、ちゃんといるのに! 何も、いきなり殺さなくたって!!」 インディコールは、一瞬不思議そうな顔をする。直後、彼は短く噴き出し、ニゼルに華やかに笑いかけた。 「君は変わった価値観の持ち主だな。彼の肉も毛皮も爪さえも、利用価値があるものだとも。君がそこまで胸を痛めずとも、大丈夫さ」 違う、そんな話はしていない……そう言い返そうとして、ニゼルは拳を握り、歯噛みする。怒りと悲しみで、全身が震え上がるのを感じた。 話が通じない。気味が悪い、怖い、その笑顔ですら薄ら寒い。インディコールの笑顔は、完璧という名の芸術品のように輝いている。 生き物を一方的になぶり殺しておいて、何故そこまで平然としていられるのか。思わず、ニゼルはじりじりと後退りしていた。 「やあ、それは……君、大丈夫かい」 「ニジー? ねえ、どしたの。顔、真っ青だよ」 サラカエルや琥珀が、ニゼルの反応に怪訝な顔を浮かべている。しかし、今のニゼルには彼らに気遣いが出来るほどの余裕がなかった。 頭の中で、何者かの声がする。「白々しい」。その人物がインディコールに対して毒づいたのを、至近距離から聞かされたような気がした。 (……もしかしたら、話し合いで解決していたかもしれないのに。勝手な話だけど……ごめんね。本当に、ごめん……) ふと、街道を自然と駆けた西風が、強烈な鉄錆の臭気を運んでくる。何者の身じろぎや、微かな吐息の音一つさえ聞こえてこない。 その無情な事実が、異常なまでに悲しくて仕方がなかった。胸の上から服を強く掴み、ニゼルは心を落ち着かせようと、固く目を閉じる。 |
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