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楽園のおはなし (1-48) BACK / TOP / NEXT |
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オフィキリナスだけでなく、アルジル牧場もまた、しんと静まり返っていた。夕暮れ時という事もあるが、何の気配も感じられない。 いつもは陽光に明るく映える赤茶色の煉瓦も、暗い色に濡れている。世界の何もかもが、暁橙の死を悼んでいるようにニゼルには思えた。 気乗りしない帰途。たとえ、ハイウメと大喧嘩した後や、藍夜や暁橙に悪ふざけを仕掛けた後でも、ここまで足が重くなる事はない。 オフィキリナスを出る間際、アンブロシアが慌てながら貸してくれた瓊々杵の傘を丁寧に畳み、暗い心地で玄関をまたいだ。 「ニゼル! 遅かったじゃない、心配したわよ!」 「……母さん」 帰宅するなり、母の叱声がニゼルを出迎える。ほうと大きく嘆息したストケシアの足下には、牧羊犬のシロとクロが伏せて待機していた。 ゆっくりと足を踏み入れたニゼルは、ふと違和感を覚えて立ち止まる。何かがおかしい、本日何度目かの「嫌な予感」が働いた。 いつもなら飛びついてくる筈の犬達は大人しく、また、屋内の空気もどんよりと濁っている。雨だからという理由ではないような気がした。 息子の反応に思い当たる節があるのか、ストケシアは小さく溜め息を吐く。ついてらっしゃい、促され、ニゼルは素直に母の背を追った。 「おっ、不良息子。帰ったかー」 「父さん。不良って」 「うそうそ、冗談だ。藍夜君のところだろ? どうだ、今日も銭勘定してたか」 ニゼルは訝しげに眉根を寄せる。父は、畜舎の一番手前の部屋で飼料の保管袋に封をし、二輪荷車に片っ端から載せているところだった。 冬に差し掛かったわけでもないのに、何故飼料を片付ける必要があるのか。声に出しかけて、ニゼルはすぐさま口を閉じる。 父も母も、あからさまに覇気がなく顔色も悪い。何かあったの、その問いかけを吐き出す事は憚られた。 「――大人しくお留守番しとけって言ったじゃねぇか。なんだ、アイツら、思ったより帰ってきたんだな」 突然掛けられる声、頭上に差す影。驚きぱっと振り返る。ニゼルの背後に立っていたのは、牧場を見に行くと話していた筈の喰天使だった。 「ノクト! ま、まだいたんだ」 「あのな。……いや、何でもねぇよ。それより、テメェはこれからの身の振り方でも考えとけよ」 「身の振り方? なに、どういう事?」 ノクトに詰め寄ろうとした瞬間、後ろからぐいと引かれる。見ると、父が険しい顔でニゼルの肩を掴んでいた。 何かあったのだ、牧場にも――たちまち全身を悪寒が駆け抜ける。言葉をなくすニゼルに、サルタンは自分に着いてくるよう耳打ちした。 「あー、ノクトさん。晩飯、うちで食ってくでしょ? 羊肉しかないですけどいいですかね」 「え」 「え、じゃないだろうニゼル。ノクトさんには世話になったんだから」 畜舎の奥に移動する直前、サルタンは首を伸ばしてノクトに声を掛ける。二人、否、牧場と喰天使の接点が掴めず、ニゼルは立ち止まった。 ノクトはお構いなく、とやたら穏やかな声で社交辞令を返したが、それを肯定と受け取ったらしい父は、にかっと笑って歩き出す。 何があったのか問いただす暇もなかった。混乱しかけるニゼルの手を、父はどんどん引っ張り奥へ奥へと誘導する。 「父さん、どういう事? 俺がいない間に何が――」 ――わざわざ父の答えを待つ必要はなかった。ニゼルは、ある意味で嗅ぎ慣れている独特の臭いが鼻を突くのに気付いて、足を止める。 「父さん。ねえ、この臭い……羊達は、」 「いいから、見なさい」 畜舎の最奥、アルジル牧場の中で一番間取りの広い小屋。奥に見える、それこそ壁代わりの木の扉の向こうは外の牧草地帯に繋がっていた。 毎朝、飼われているアルジル羊達は怪我や病気をしているものを除き一度この場に全て集められ、日が昇るより早いうちに放牧される。 更に夕方には、牧羊犬二匹が彼らを小屋に移動させ、年齢や大きさ、相性などを熟知するアルジル家の人間が個々の畜舎に移し替えるのだ。 雨天や強風の日は別として、羊の健康や良質な収穫品の維持には必要な行程だった。いざという時の為に飲料水や乾燥牧草も備えてある。 ニゼルらの日課のうち、要となる小屋だった。移動を終わらせた後の健康チェック用のメモ帳や、施設、道具類の点検帳も壁に下げてある。 幼い頃は、ここで羊に埋もれながら遊び呆けた事もあった。その度に、一緒にいた暁橙ともども両親に怒られてばかりいたのを覚えている。 「……なんで、」 「ああ。本当にな、なんでなんだろうな」 父は、心底落胆した声でそう呻いた。見慣れた小屋の中は、飼っていたアルジル羊の大多数が集結している。 それのどれもが、微動だにしないどころか、まるで呼吸をしていなかった。柔らかな薄紫の毛も、どこかへたれているように見える。 室内に充満するのは、血液と死の臭いだった。敷き詰められた牧草や、外に通じる一枚扉に、点々と痛々しく血飛沫がこびり付いている。 ニゼルは、ふと一番近くにいた羊に手を伸ばした。左後ろの脚に、黒ずんだ太い直線が引かれている。両目は固く閉ざされていた。 これは以前彼が畜舎から脱走しようとした矢先、柵に自ら脚を強く打ち付けて作った傷だ。手当したのが自分だったから、よく覚えている。 「……シオン」 どの個体よりも小柄で、気が強く反抗的な羊だった。それでも彼はニゼルによく懐き、放牧する度に後ろに着いて回ってくれていた。 野原で見かける花の名前を付け、それこそ見習いの頃からずっと可愛がっていたのだ。シオンの体には、惨い噛み痕が無数に残されている。 身を挺して仲間を庇ったのかもしれない。シオンらしいな――いつものように頭を撫で、ニゼルは冷たくなった友から離れ、父の元に戻った。 「父さん。うちで、何があったの」 「怪物が出てな。見た事もない、大きな狼みたいな奴で……ほら、そこに」 父が指差す先には、小屋に最も近い年配の羊用の飼育部屋があり、そこに黒い体毛の、狼によく似た不気味な獣の死体が二つ転がっていた。 鋭い爪牙、耳まで裂けた口。それは、ホワイトセージを襲撃した小型の人喰い獣に他ならない。初めてそれを見たニゼルは、眉根を寄せる。 今、それらは眠りに就いているかのように穏やかな表情で横たわっていた。恐ろしい姿であるのに変わりはないので、慎重な歩で歩み寄る。 触れてみれば、確かに全身が冷たくなっていた。短い毛は硬く、ざらつき、ごわごわしている。両目はしっかり閉ざされていた。 だらんとだらしなく垂れ下がる舌を一度手で持ち上げ、すぐ放し、ニゼルはそれが本当に絶命しているのだと理解する。 「畜舎の中に急に現れてな。パニックを起こした奴もいるし、押し合いになって潰れた奴もいる。俺達が気付いた時には、手遅れだった」 「……そっか」 「ノクトさんが倒してくれたんだよ、俺が何とかするからって。どうやったかは分からんが、外に出て割とすぐだったと思ったな」 ノクトが? そう聞き返すより早く、ニゼルは再び獣の死体に視線を移していた。 恐らく「喰」で片を付けたのだろう。獣の死体は小綺麗で、目立った外傷は見られなかった。 「それで、どうするの。これ」 「ノクトさんの話じゃ、王都に連絡がついたそうだ。明日か明後日には、調査隊が派遣される事になったらしい」 「調査隊? 王都からわざわざ?」 「ホワイトセージにも同じ怪物が出たそうだからな。街も含めて、是非調べさせてくれだとさ」 「……そんな、見世物じゃないのに。他人事だと思って」 「そう言うな、俺達に何が出来る? 魔物はまだ動物に近いからいいが、魔獣なんてのは流石にベテラン羊飼いの俺にだって分からんよ」 自分達の事なのに他人任せってのもなあ、苦笑した父の顔は、どこか憔悴している。ニゼルは苦しくなった胸を、服の上からぐっと掴んだ。 「ま、なんだ! 当分、羊肉には困らないぞー。よかったな、ニゼル!」 「ええ、まさか食べるつもりなの? 本気?」 「……冗談に決まってるだろ。王都はアルジル羊の生態を調べたがっていたからな、このまま引き渡すさ。どのみち、これほどの数じゃな」 サルタンは、愛用する鳥打帽のつばを掴んで何度か揺する。考え事をしている時の彼の癖であると知っていたニゼルは、ふと口を噤んだ。 「すまんなあ、ニゼル。お前、羊が大好きだったのになあ」 痛々しい呻き。ニゼルは泣き出しそうになるのをぐっと堪える。泣きたいのは父さん達の方だ、自分にそう言い聞かせ、無理に笑った。 各々の死体は調査の為に現状維持しなければならない、ノクトが聞いたという王都からの命令を復唱し、サルタンは帽子を深く被り直す。 きびすを返した父の背を、ニゼルは追う事が出来なかった。苦笑いの奥に隠されていたであろう悲しみは、声に出されずとも伝わってくる。 あれほど可愛がってきたというのに、弔いすらしてやれないのだという事実。いっぺんに喪った上に、更に追い打ちをかけようというのか。 ニゼルは、王都からの通達が理不尽に思えてならなかった。確かに、調査が進めば将来この事件が世界の役に立つ事はあるかもしれない。 羊達の犠牲も、犬死にの一言で片付けられずに済むのかもしれない。むしろ、尊い犠牲として長く語り継がれさえするだろう。 しかし、それで自分や両親の心が晴れるかといえば、答えは別だ。納得してくれと王都は言うだろうが、頷く事はあっても同意は出来ない。 「ごめんな、皆。シオン」 呟きに応えてくれるものは誰もない。父の姿が畜舎から見えなくなっても、ニゼルは小屋の中から動けずにいた。 食卓の空気は重かった。並んでいるのは好物の羊肉のローストだったり、羊乳を使ったシチューだったりしたが、あまり味が感じられない。 こんな時でも料理が用意出来るあたり、母は強しと聞いた通りだ。素直に口に出したところ、調理には喰天使も携わったのだと明かされる。 「ノクト、料理出来たんだ? ……へえ、なんか意外」 「おい、なんだその微妙な間は。単に一人暮らしが長かっただけだ」 「ノクトさん、包丁さばきとか上手かったわー。ニゼル、アンタも少しは見習いなさい」 はぁい、と生返事をしながら、ニゼルは羊乳入りのカクテルを一気に煽った。サルタンは既に出来上がりかけていて、額に手を当てている。 仕事柄、父が晩酌する機会はそう多くない。それほどまでに被害は深刻なのだろう。母もいつにも増してよく笑っているように見えた。 「それにしても、酷い雨ねえ」 「え? あー、うん。そうだね……」 「ニゼル、覚えてる? このあたりの大雨って、暁橙君が泣いてる時によく来るのよ……もしかして、オフィキリナスでも何かあった?」 返事に詰まる。ほぼ反射で、何もないよ、そう返し、気付かれただろうかとニゼルは一人で焦った。 幸いストケシアは、ならいいけど、と微笑むだけだ。しかし、彼女のその笑みに常の明るさはまるで籠もっていない。 空元気だ、それくらい把握出来る。自然体を装い席を離れ、二杯目を自分で用意しながら、ニゼルは誰にも気付かれないように嘆息した。 「ほーお、テメェも酒は飲むんだな」 「うわ、びっくりした! もう、サラカエルもそうだけど、急に背後に立つの止めてよ」 肩を跳ね上げるニゼルに、着いてきたらしいノクトがにやりと笑いかける。人をからかうのが趣味なのかと、唇を尖らせつつ作業に戻った。 作ろうか、いやいらねぇ、応酬は短く終わる。声が反響するアルジル家の台所は、母が使いやすいよう様々な工夫が凝らした、彼女の城だ。 こぢんまりとした造りだが、先祖の代から引き継いだ大まかな基盤はそのままに、王都で購入した最新の調理器具などが並べられている。 細々した調味料も木目の柔らかい可愛らしい小棚に収められ、母の隠れた茶目っ気や少女のような純情さを密かに主張してくれていた。 ここにいると、やはり落ち着く。マザーコンプレックスだろうかと首を傾げながら、ニゼルは二杯目のグラスにそっと口を付けた。 座って呑めよと野次を飛ばすノクトには手を軽く振り返し、中身を味わいもせず、一気に喉に流し込む。 とても楽しむ気分にはなれない。鳥羽夫妻や親友、その弟と、叶う事なら家族同士で酒を飲み交わしたかった。ニゼルは一人、感傷に浸る。 ……そういえば以前、暁橙の誕生日用に高価な洋酒を用意した、と親友から聞かされたような気がした。彼に酒選びの感性はあったろうか。 記憶が正しければ、どんな酒なのか、肝心の値段は、それどころか年代や銘柄、産地でさえ、徹底して伏せられていたように思う。 せめて一口だけ、味わえていたならば。鳥羽暁橙はアルコールを嗜む青年だった。宅飲みを好んだ瓊々杵に似たのだろうと、苦笑する。 「名酒、かあ。それも、無駄になっちゃうのかなー……」 「無駄? 何がだよ」 「別に。ノクトには関係ない、人間風情の話!」 「そうかよ。ウリエルのクソ野郎も大概だが、独り言にしちゃデケェ声だな。流石、幼なじみか」 「はいはい。あ、そうだ、ノクトはアンの義理のお兄さんなんだよね。藍夜やサラカエルって昔どんなだった? 一緒に働いてたんだよね」 喰天使は、あからさまに嫌そうな顔をした。 「やめとけ。昔話なんざ、肴の足しにもならねぇよ。胸焼けするぞ」 「えー。いいじゃない、少しくらい」 ぱっと空になったグラスを取り上げられる。あっと声を上げる暇もない。流しにそれを置いた喰天使は、食卓に戻ろうときびすを返した。 ケチ! 聞こえないように文句を投げるニゼルだが、不意にノクトが振り返る。聞こえたのかと目を瞬かせる一方、喰天使は双眸を細めた。 「過去を振り返って何になる。足枷になるくらいなら、切り離して考えた方がまだ利口だろ」 「……え、何の話?」 「テメェもテメェの親友とやらも。天使どもの世界に夢中になって、コッチ側をさも夢現みてぇに扱ってるように見えたんでな。警告だ」 「そ、そういう自分だって、アンジェリカの事でアンを泣くまで責めてたじゃない」 緊迫した空気が和らぐ。それとこれとは別の話だろ、ノクトは苦いものを噛んだような顔を浮かべ、ニゼルから目を逸らした。 そのまま彼は背を向けてしまったので、ニゼルはそれ以上を追求する事が出来ない。遠のく足音を聞きながら、彼の言葉を口内で反芻する。 夢中、夢現。元より、鳥羽夫妻の一件があればこそだと、ニゼルは思った。 あの事件がなければ、自分達は神や天使といった不可思議なものに触れないまま、それぞれの人生を平凡に終えていたのではないのかと。 (レテ河の事はあったけど……それだって、せいぜい藍夜の身長をからかうネタくらいにしかならなかった筈だよね) エノク書曰く、「世界は神が創造せし芸術品、人間は付属物である」。ならば、人間は誰しも神の思惑通りに生きねばならないのだろうか。 これまでは親友と運良く幸せに暮らせていただけで、サラカエルやノクトといった神の使者が現れたからには、運命に従う事こそが道理。 世界は目に見えない神の手で運用されていて、いざ天使やロードといった現実味に欠けるものが降臨すれば、日常など容易く剥離される。 親しい者の命運も、人生の岐路でさえ、彼らの思うがまま……馬鹿馬鹿しい、下らない! 暁橙の命さえ、その材料だとでも言うつもりか。 「藍夜が天使で、元ウリエルで。だから何だよ。そんなの、『俺達』には関係ない!」 独りごちた言葉は、ただ宙に溶けただけだった。どのみち何者の返事も期待していない。新しいグラスに炭酸水を注ぎ、一気に飲み干す。 ノクトの言葉を受ければ、逆にこちらの平穏を壊してくれたのは誰だよ、そっちじゃないか――そう言い返したくて、仕方がなかった。 きゅっと唇を結び、ニゼルは足早にリビングに戻る。今日はもう休むね、両親と喰天使にそう言い残し、駆け足で裏口に向かった。 ……神や天使が、人間を好きに手のひらの上で転がそうとする。冗談ではない、自分も親友も、弟の死をこんなにも悼んでいるではないか。 この気持ちに偽りなどない。故に、鳥羽藍夜は立ち上がらなければならない。決意を新たに、勢いよく牧場を飛び出した。向かう先は当然、 「――藍夜! いる!?」 オフィキリナスの、馴染みの窓。覗き込んだ応接間に、いつも通り親友の姿が見える。 いつものように店主専用の席に足を組みながら堂々と座り、いつものように黒い手帳を広げ、黙々と羽ペンで何事かを書き込んでいた。 (……いつもと、同じだ) ふとニゼルは、視線を感じて目を動かす。喫茶店へ続く廊下の入り口に、何やら逡巡している様子のアンブロシアの姿が見えた。 目が合い、手招きする。親友はこちらの呼びかけを華麗に無視してくれていた。情報の照合は大切だ、互いに顔を近付け声を潜ませる。 「(アン、藍夜の様子はどう?)」 「(それが……街を脱出した方々は、夕食も湯浴みも済ませてあるんです。でも、藍夜さんは食事も風呂も、自分の分は不要だと)」 街を脱出……ニゼルは、先ほど見かけたハイウメを思い出して一瞬顔を歪めた。頭を振り、そんな事を考えている場合ではないと思い直す。 「藍夜が風呂に入らないなんて、天変地異の前触れもいいところだよ。アンは? お風呂とか入った?」 「はい、わたしは先ほど」 「うーん。琥珀とサラカエルはまだ戻ってきてないんだよね。……そっか、分かった。俺に任せて?」 言うや否や、ニゼルはいつものように窓を乗り越え、濡れた靴もそのままに応接間に侵入した。足早に歩み寄り、店主の眼前にどんと立つ。 「藍夜!」 「おや、ニゼル。こんな時分に、何用だい」 親友は手帳から目を離しもしない。ちらと視線を動かすと、コート掛けの外套が未だにずぶ濡れ、返り血塗れであるのが目に付いた。 重傷だ、ニゼルは鼻で嘆息する。普段なら速攻で飛んでくる筈の小言もないのだから、今の親友はまるで冷静さに欠いていると見えた。 無理もない――あれほど家族を愛し、固執し、慈しんでいた彼の事だ。開き直る事はおろか、逆上する事すら難しくあるだろう。 (でも藍夜。暁橙は、きっと泣いてるんだよ。多分、もう、ずっと。ずーっと、泣いてるんだよ……) 答えを待つつもりはない。おもむろに手を伸ばし、ニゼルは親友の腕を掴んだ。見上げてくる、非難じみた視線。負けじと睨み返す。 「ニゼル。僕は今、」 「僕は、なに? あのね、俺、今の藍夜なんか全然怖くないからね」 「ニゼル!」 「なーにー? ほらほら、ばっちいよー! 藍夜、お風呂入ろう! 俺と一緒に、子供の時みたいに!!」 「やめっ……」 抵抗しようとした親友の腕を掴む手に、ぐっと力を込めた。今度こそ、振り払われるわけにはいかない。ことさら強く睨みつける。 自分は、暁橙の代わりに彼を奮い立たせてやらなければならないのだ。ニゼルは、ある種の使命感に燃えていた。 「力じゃ適わないって、分かってるでしょ!? ほらっ、小汚い鳥羽藍夜なんて、瓊々杵さんにも暁橙にも呆れられるよ!」 途端に、藍夜の顔が悲壮に歪み、吐き出されかけた筈の言葉を失う。 うろたえるアンブロシアに軽く手を振り、ニゼルはオフィキリナス店主を引きずるようにして奥へと連行した。 夜は長い。雨は未だ、降り止む気配もない。 |
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