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楽園のおはなし (1-45) BACK / TOP / NEXT |
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「少し、いいかい」 左腕を掴まれ、引かれるままに、藍夜はあの子供の背中を追っていた。金糸の髪が小刻みに揺れ、軽快な呼吸が雨に溶け込んでいる。 振り向いた子供の目はやはり、純真無垢だった。声を掛けられた事に喜び、ぱっと顔を輝かせ、わくわくしたように藍夜の顔を見つめる。 「なに、疲れてるんでしょ? 早く行こうよ、おにーさん達」 出会った直後から、子供は昔からの知り合いと再会したかのような素振りで藍夜に駆け寄った。 腕に手を添えたと思いきや、しっかり掴み、早く着いてこいと引き寄せる。見ようによっては、雷霆を抜く事を阻んでいるようにも見えた。 数歩ばかり離れて着いてくるハイウメが、藍夜に物言いたげな視線を投げてくる。翼を鬱陶しそうに見上げ、彼は眉間の皺数を増やした。 分かっているとも、そう応える代わりに藍夜は彼に右の手のひらを見せる。青年は喉奥で何やら唸り返し、苛立ったように顔を歪めた。 ニゼルの件といい隠さない男だ、藍夜は肩を竦めた。彼は弟とどこか似ている。彼の暴言をつい許してしまうのは、そのせいかもしれない。 「君が、僕達を案内しようとしてくれているのは分かった。しかしだ、君は一体何者なんだい」 藍夜は一度、四枚翼をはためかせた。威嚇、警告。「返答次第ではここでお前を滅ぼす」と子供に分かりやすく宣告する。 (あの黒塗りの男は堕天使だった……それに、正気を保てている人間は、暁橙達が逃がしてくれている) ならば、目の前にいるこの子供もまた堕天使である可能性が高い。ハイウメはそれを主張しているのだ、本当に信用に足るのかどうかと。 藍夜には親友と再会するという望みが、ハイウメには街を復興させるという目標がある。それを果たすまで、簡単に死ぬわけにはいかない。 逃げ場所など、本来どこにもない筈なのだ。もし敵の本陣に誘い込まれでもしたら、今の消耗しきった自分達では太刀打ち出来ないだろう。 「もう一度聞く、君は何者なんだ。安全な場所というのは、どこの事を言うんだい」 「えっと……おにーさん達、疲れてるんだよね、休みたいんだよね? どうして? 疲れてるのと、僕が誰かっていうの、関係あるの?」 「おい、しらばっくれんなよ。街にはイカレた連中と化け物どもしかいねえんだ、なんで信じて貰えると思うんだよ」 たまりかねたのか、ハイウメが口を挟んだ。子供は驚いたように大きな目を瞬かせ、藍夜越しに青年を見つめ返す。 一瞬、ハイウメがびくりと体を強張らせた。深紅の瞳は一点の曇りもなく、深層心理を覗き込むようにどこまでも真っ直ぐだ。 見透かされる、そんな錯覚を抱かされるのかもしれない。ハイウメを庇うように、藍夜は子供の手に掴まれたまま、彼らの間に腕を伸ばす。 見上げてくる眼差しにじっと向き合い、藍夜は子供の答えを待った。 「……えっと、僕は、おにーさん達とお話がしたくて迎えに来たんだ。食べたり齧ったりなんてしないよ。このままだと風邪引いちゃうし」 「それだけかい」 「それだけ? うん、それだけだよ、だって僕は『ついてきただけ』だもん。あのね、僕、トバアイヤに会ってみたかったんだ」 ハイウメが勢いよくこちらを見る。藍夜はただ肩を竦めた。異様に懐かれたものだとは、流石に口にしない。 「わざわざこんな天気の中、僕に会いたいとは。君も随分と、物好きなものだね」 「おにーさん達ほどじゃないよー。ほら、早く行こう? せめて、雨宿りだけでもしなくっちゃ」 嫌みだよ、そう言い掛けて、藍夜はふと口を閉じる。思うように操作されている、そのような警戒心が脳裏を過ぎった。 どちらにしても、結局はこの子供に着いていく事に変わりないではないか。 訝しむように顔を固くする藍夜に対し、子供は楽しげに笑った。出会った時と何ら変わらない、心底嬉しそうな笑みだ。 「こっち、こっちー。ほら、早く!」 「おいっ、嘘だろ、本当に信用出来んのかよ」 「さて、どうだったかな」 「どうって、てめえ……まさか、また何も考えてねーんじゃねえだろうな」 「ハイウメ、僕達は暁橙達が避難を完了させるまで囮になるより他ないのだよ。それに、いざという時は君だけでも逃がそう。約束するよ」 「てめえ! そういう問題じゃ、」 「僕は多少、君よりは頑丈に出来ているんだ。君が気に病む事ではないさ」 子供が割って入ってくる事はない、引きずられるように表通りを進んでいく。一度は離れた中央公園に辿り着き、二人は大きく息を吐いた。 ハイウメの顔色は酷く悪い。いつもの悪態すら聞こえてこない。まずいな、藍夜は眼前、目的地と思わしきホワイトセージ教会を見上げる。 互いに必死で気付かなかったが、青年は至るところに怪我を負っていた。子供の言う通り、どこかで雨を凌ぎ、治療するべきかもしれない。 視線を走らせる。黒塗りの青年はおろか、サラカエルの姿もまた噴水前から消えていた。争ったであろう痕跡だけが点々と散らばっている。 (サラカエル、無事でいておくれ) 藍夜は内心、思いきり叫んでしまいたい気分だった。ぐっと歯噛みし、誘われるままに教会を目指す。 魔獣の爪痕、跳びかかった跡、ワイヤーが走った亀裂、血痕。対天使が戦った形跡は、雨にさらわれかけていた。 目を背け、門を潜る。無事だ、彼ならきっと大丈夫だ……自分に言い聞かせながら、藍夜はようやく解放された左腕を軽く振った。 腕を離した直後、子供は軽い足取りで教会の奥へ進んでいく。その背の周囲、床、信者用の椅子、壁際に、藍夜はあらゆる物体を見つけた。 「うっ!? 嘘だろ、なんだこれ、う……ぐっえ、」 「……ハイウメ」 肉塊だ。文字通り、肉の塊。床に、椅子の上に、その下に、壁際に寄りかかり或いは横たわり。生々しい質感の塊が無数に転がっている。 四肢はもちろん、首と胴体は繋がっていて、表面には痛々しい傷もなく、一見は泥酔して裸体のまま眠りに就いてしまっただけに見える塊。 しかし、それらは既に息をしていなかった。生命はとうに果て、肉体は力尽き、ただただそこら中に無造作に放り投げられているだけ。 死体、複数の裸の、男女の死体。背後で耐えきれず嘔吐し始めたハイウメを庇うように、藍夜は毅然と立ち、前を見る。 教会の最大のシンボル、巨大な金色の十字架は、何者かの手によって上下を入れ替えられ、逆さ十字にされていた。 ステンドグラスから漏れる曖昧な色彩と、雨粒による複雑な光の屈折で、それはとても不気味な象徴に見える。 「……逆さ十字。聞いた覚えがあるよ、悪魔達は正位置の十字架を酷く嫌うそうだね」 「うん、そうだよ。凄いでしょう、ピリピリして入れなかったのに、こうやって入れるように作り替えてくれたんだよ」 「作り替えた」。あの黒塗りの青年がした事としか思えなかった。 不意に教会の鐘の音が鳴り響き、逆さ十字の下に佇む子供の笑みが、微かな明かりの中に浮き上がる。純粋な顔は、逆に不気味に見えた。 藍夜は両目を細める。逆さ十字の先端に、見覚えのあるやや小振りな肉塊が括り付けられていた。 息を呑む。怨念と驚愕に塗れたそれは、神父ミハイルの首だ。点々とこびりついた赤黒い染みが、それの凄惨な最期を物語っていた。 一度は振り向いた筈のハイウメが、再び嘔吐し始める。彼の様子を伺うように目を動かした藍夜は、視界の端、ある死体を見て口を閉じた。 ……見慣れた肉塊だった。鍛え抜かれた筋肉と、至るところに刻まれた古傷、精悍な顔立ち。茶色の短髪に、少し浅黒く焼けた健康的な肌。 うつ伏せのそれに寄り添うように、もう一つ、色白の肉塊がすぐ傍に転がっている。柔らかな栗色の髪と小柄な体が動く事は、二度とない。 「……『凄い』? 何が凄いと言うんだい。君は、いや、君達は、自分が何をしでかしたか分かっているというのか」 怒りだ。猛烈な怒りが込み上げるのを感じた。目が熱く、燃え上がるようだ。肩を震わせ、声を震わせ、藍夜は叫ぶようにして子供を見る。 「マトリクスとレティアに何をした!! 彼らに一体、何の罪があったというんだ!!」 「……お、い。落ち着けよ、化け物」 「すまないね、ハイウメ。悪いが、僕はその話を聞き入れる事は出来ない」 雷霆を抜いた。子供は、ザドキエルは、びくりと雷に打たれたように体を跳ね上げさせる。 余裕と笑顔で満ちていた表情が、すぐに怯えたそれに変わった。構わず切っ先を向け、藍夜は左瞳を起動させると同時、子供を睨みつける。 「ケラウノス……イヤだよ、それ、凄く痛いんだよ。おにーさん、それ向けるのやめてよ」 「お断りだ。というかだ、マトリクスもレティアも、他の住民も……そこの神父も、恐ろしい目に遭ったのだと思うがね」 「僕は何もしてないよ? それに、これはあの神父様がお願いした事だって、皆言ったよ? 『イイオンナトタノシイコトシタイ』って…… だからここを作り替えて、お願いを叶えてあげたんだって。それが今回のお仕事だって。皆、満足出来たみたいだって。そう聞いたよ?」 「……あんの、生臭クソ神父」 ハイウメが歯噛みする音が、すぐ近くで聞こえた。見れば、彼は口を乱暴に手で拭いながら立ち上がっている。 大した度胸だ、一瞬冷静さが戻ってきた。それでも、藍夜は雷霆を決して下に下ろさない。 「『ザドキエル』か、初めて見るね。しかしだ、僕にとって君が何者かは、今となってはどうでもいい事なんだよ」 「あ、青い目玉! えっと、ウリエル……? そっか、ウリエルだ! だからさっきサラカエルがいたんだ。おにーさんがウリエルなんだ!」 審判官の天使ウリエルと、殺戮の天使サラカエル。二人の瞳術については、存外知名度が高かったらしい。 子供、堕天使ザドキエルの情報を肉体に負荷を掛けながら探った藍夜は、雷霆の内側に雷撃の力を溜め込ませる。 珍しい、いい事ありそう――ザドキエルはそう言って喜ぶが、藍夜の表情と態度が変化しない事に驚いたのか、大きな目を瞬かせた。 「……あれ? おにーさん、怒ってる? なんで? どうして? ねえ、どうして? 僕、悪い子なの?」 「悪い子、に決まってんだろ! 寝言言ってんじゃねえぞ!」 「……きみ『アレ』だよね、知ってる。うるさいなあ……どうしてここにいるの? ねえ、なんでそんなカタチなの? お話の邪魔するの?」 藍夜が雷霆を小さく振り下ろすのと、子供が手を伸ばしたのはほぼ同時。標的はハイウメに移ったが、その手のひらを青白い雷撃が弾く。 疑問を抱いたのは、藍夜もハイウメも同じだった。この堕天使は、藍夜のみならず、ハイウメにも何かしらの面識があるらしい。 焼かれた指先をじっと見つめ、ザドキエルは一度小さく瞬きする。飲み込んだ二の句を探しているようにも見えた。 「……いたい。でも、うん……いいや。きみの事は、僕あんまり興味ないし」 「てめえっ、興味あるとかねえとか関係ねーだろ!」 「ハイウメ」 「……っ」 「話を纏めようか。僕ならば多少は君の『何故』『どうして』にも通るだろう。僕が、ハイウメの代わりに先ほどの疑問に応えてみせよう」 雷撃の跡、青白い煙が極僅かに棚引く。ザドキエルは破顔した。 痛みよりも、「彼」にとっては知識欲と好奇心を満たす事の方が大切であるらしい。 藍夜は嘆息する。マトリクスもレティアも、長いつきあいだった。それが、たった一度、今回の襲撃だけで喪われた。 瞳術の効きは、やはり鈍い。左目にそっと右手を添え、それでも藍夜は、五指越えに深紅の瞳の堕天使を真っ正面から睥睨する。 「君が! あの男の傘下にあるという、その事実こそが君の罪だ。何もしていない……そうではない、見ていた、共に在った、それが罪だ」 「え……?」 「君は、悪い子という事さ。知っていながら傍にいた、傍らにあった、それこそが君の罪だ! 僕は君を……君達を、許しはしない!」 「おい、化け物っ、」 雷霆の表面を、青白い雷光が激しく這った。腕をうんと強く後方に下げる。雷が唸り、咆哮し、猛威を振るわんと藍夜の腕に付き従う。 直後、藍夜が勢いよく袈裟懸けに振り抜いた雷は、荒れ狂う波のように凶悪な轟音を上げながらザドキエルに襲いかかった。 あくまで目くらましだ――藍夜が身を翻そうとした瞬間、ザドキエルの足元から突如、何かがさっと飛び出し、彼と雷撃との間に立ち塞がる。 「マルくん、マリーちゃん!」 青白い長毛の魔獣と、赤黒い短毛の魔獣。前者は全身の至るところに裂傷を、後者は頭部を中心に広範囲に火傷を負っていた。 だというのに、息も絶え絶えでありながら、二匹は自分の体の二回りは小さい子供を庇う。直進、直撃。痛々しい悲鳴が空を叩いた。 「ハイウメ! 奴らは小型の同種を連れてくる、ここを出たまえ!」 「なあっ、ちょっ……俺に命令すんな化け物!」 ハイウメが駆け出したのを確認してから、羽ばたき。距離を取るように後退したところに、地を這うような怒りと痛みの唸り声が迫る。 躊躇せず、藍夜は落雷を召喚した。眼前と、数メートル置き。荒く息を吐き、集中力を呼び戻す。連なるように落とした雷が、獣を撃った。 その隙間を強引に縫うようにして飛び出してきた追従の獣達を、横薙ぎに払う雷で牽制する。羽ばたきで加速し、一気に後退した。 「撤退だ、サラカエルと合流する。オフィキリナスを目指したまえ」 「意味分かんねえ! クソッ、どいつもこいつもバカにしやがって!!」 神経を左目に集中させる。羽ばたき、ひたすら前に進み、ハイウメが追いついた時点でその場で旋回。振り向きざまに雷を落とした。 ハイウメは恐怖で顔を引き釣らせ、藍夜は怒りで表情を冷徹に染めている。潮時だ、追われながらそう判断を下した。 雨のせいで翼が動かしにくい。サラカエルは無事だろうか、暁橙は、琥珀は、アンブロシアは――左瞳を燃やしながら、雷を振り下ろした。 走っていた、ひたすらに走っていた。呼吸を弾ませ、しかし目は上下左右に忙しなく動かし、周囲への警戒は決して怠らない。 ぐるんと腕を回し、指先へしなやかで繊細な動作を伝える。きゅるんと弧を描いた鋼糸が、その先端に括り付けた刃が、周りを薙ぎ払った。 勢いは殺させない、刃は薄い金属板にしか見えない代物だが、その実体は攻撃特化のロードだ。 有り得ない動きで上方に刃だけが跳ね上がり、獲物を丸飲みする蛇の鎌首のように角度を曲げ、魔獣の額に突き刺さる。 「あっ、暁橙さんっ!」 「シア! コハの援護してやって!」 「はい!!」 背後から噛みつこうと跳び掛かってきた一匹を、アンブロシアの結界が弾いた。横に飛び出し、腰から一気に抜いた短剣で斬りつける。 目線は下から上へ。伸ばした腕は手前から奥へ。脇腹に突き刺した短剣を、長い柄を両手で握って力を込め、一気に奥へ進ませる。 肉と皮、短毛をぶちぶちと裂いていく感覚が手に走った。歯噛みしながらそのまま押し切り、獣が落下したところで傷口を蹴り飛ばす。 反応は返されない。あたりを見渡せば、動かなくなった魔獣はこれで最後であったらしい。あちこちに黒毛の塊が崩れ落ちていた。 息が荒い、鼓動が速い、汗も冷え切っている。汗とも雨とも分からない水滴を袖で拭い、暁橙はようやっとまともに息を吐き出した。 「あっきとぉ〜。もうそろそろ、街の入り口だよー。どーすんの、店に連れてくの?」 グリフォン姿の琥珀が、暁橙が仕留めたばかりの魔獣のうなじに嘴をねじ込みながら聞いてくる。 既に彼女の獣形態に疑問を抱く住民はいなかったが、それでも魔獣らしい嘴や翼、脚を血で濡らす姿には、畏怖を覚えずにいられなかった。 恐怖に身を震わせる住民達のケアは、アンブロシアが担ってくれている。苦労させちゃってるなあ、暁橙は兄の癖を真似て肩を竦めた。 「兄ィならそうしろって言うと思う。よく分かんないけど、街の空気最悪だし。ここから出たら、少しはマシになるんじゃないかなー」 「えっとぉー、それってスイロンって奴でしょ〜? ホントに自信あるの〜?」 「あのなー、コハ。兄ィには逃がしてやれって言われたんだから、オイラ達はそうしとけばいいんだよ。お前、兄ィの騎獣だろ?」 琥珀は器用に鼻を鳴らす。不満げなグリフォンの頭を撫でて、暁橙はアンブロシアの元に足を向けた。 泣きじゃくる子供、疲弊する女、うなだれた老人、恐怖のあまり怒り心頭といった表情の男。誰もが疲れ切っている。 振り向いたアンブロシアの顔は晴れない。雨に打たれて体を冷やしたのか、彼女もまたどこか青い顔をしていた。 「シア、あんま無理しちゃ駄目だ。少し休んだ方がいいよ」 「でも暁橙さん、」 「殺気も消えてるし……今なら、街の外にすぐ出られそうな気がする。ほら、いつものパン屋の看板も見えてるし」 「はい……あの、皆さんの事、どうしましょう。安全な避難先なんて」 暁橙は顎に手を当て、黙考する。こんな時、鳥羽藍夜ならどんな選択をするのだろうか。 (あー、瞳術。あれがあったらなあ) 頭をわしわしと掻き、一呼吸。オフィキリナスの喫茶店フロアしか、思い当たる場所がない。遺跡群は魔物が巣くっている事も多いからだ。 逃げた先で腹を空かせた別の生き物に食べられました、では兄に申し訳が立たない。暁橙は素直に天使にそう話し、困ったように笑った。 「なんかゴメンな、シア。オイラも兄ィみたいに、頼りになればよかったんだけど」 「そんな……そんな事ないですよ。わたし一人じゃ、ここまできっと来られませんでした」 「んー……そういう事じゃないんだけどさ。でも、ありがと。へへ、帰ったら、晩飯はハンバーグとカレーの同時乗せがいいなー」 不意に、生暖かい風が吹く。アンブロシアは突風に目を閉じ、乱れる髪を手で押さえたが、暁橙はばっと風向きの方角に目を走らせていた。 生暖かい風、止まない雨、襲撃されたホワイトセージ。ざわざわと強い胸騒ぎを覚え、眉間に力を込める。 あの先、街の中央には未だ兄が残っていた。自分達を逃がす為に誘導役などという大層な目的を与え、己はあの薄暗い空間に留まっている。 嫌な予感がした。その場に縫い付けられたように立ち尽くし、暁橙は街の中央が、外気のように薄暗いままである様をじっと見る。 ……兄が、いつか話してくれた言葉を思い出した。「僕にとって、もう家族はお前しかいないのだからね」と。 兄は、鳥羽暁橙にとっては自分もそうであるという事を、きちんと認識してくれているのだろうか。 気難しく、頑固で、金銭面にうるさく、徹底した身内贔屓の目立つ兄。誰からも疎まれていたが、それでも自慢の兄だった。 (兄ィ、兄ィ。……『今度こそ』、オイラは『あなた』を亡くしたくないのに) アンブロシアが、琥珀が、暁橙を呼び止める。気付けば、目に鮮やかなオレンジ色が、単独でホワイトセージ中心部へ駆け出していた。 振り向かない、振り向けない。何かに誘われるように、導かれるように、何者の制止にも耳を傾けず、暁橙は冥い渦中へと飛び込んでいく。 |
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