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楽園のおはなし (1-44)

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「我らが主は、この地を見放された……したがって、パーピュアサンダルウッド王国が北方の地、ホワイトセージの価値は失われた」
「主? ホワイトセージの価値……君は一体、何の話をしているというんだい」

凶悪な笑みは変わらないまま。青年は、淀みなく藍夜に応える。
しかし、その答えは藍夜達にとっては意味不明だった。言葉、単語そのものははっきりしているのに、青年の言わんとする事が伝わらない。
ハイウメが苛立ちと困惑混じりに歯噛みしたのが聞こえる。藍夜は彼が勢い任せに飛び出してしまわないよう、彼の前に手を伸ばした。

「意味を成さない言葉というものに、力は宿らないものさ……もう一度聞こうじゃないか、君は何者だ! 何の目的でこんな事を!」

言葉の一つ一つに力と重さを込め、藍夜は叫ぶようにして青年に詰め寄る。対して、黒塗りの青年は一度静かに瞬きをしただけだった。
不気味な笑みがなりを潜め、穏やかさの戻った彼の視線が、空を、噴水を、地面を、藍夜達の間をゆっくりと行き来する。

「目的か。最終的には君が怒りを飼い慣らす為の材料でしかないだろうに、話したところで納得して貰えるのかな」

漆黒が藍夜を見つめた。
青年との間には、数メートルほどの距離がある。しかし、その瞳に姿を映された時、至近距離から覗き込まれたような感覚が全身を襲った。
闇よりも冥い闇が、こちらを見ている。たちまち背筋を悪寒が撫で、喉から奇妙な音が漏れ、足が硬直し、体が強ばった。
藍夜は、辛うじてその場に踏み留まる。恐ろしい、怖い……逃げ出してしまえたら楽だろうに、己の意地と自尊がそうする事を許さない。
厄介な性分だ、ハイウメ、次にサラカエルを盗み見た後で、藍夜は再び青年に向き直った。
どのみち今ここで逃げ出してしまえば、自分は自分で自分を許せなくなるだろう。父母にも顔向け出来まい、震える精神を奮い立たせた。

「理屈を並べたところで、僕が納得するとでも? 寝言は寝てから言いたまえ。言い訳されるのは好きではないのだよ」

雷霆を強く握り、言外に警告する。「それ以上無駄口を叩くなら落雷の餌食だ」、藍夜は本気だった。
仮にこの青年がごく普通の一般人であったとしても、この場に居合わせ、藍夜の言葉を否定しなかった時点で、見逃してやる義理などない。
そう己に言い聞かせたくなるほどに、青年の言葉には重みがなく、また話し合いをしようという気概も感じられなかった。
起こるべくして起きた対立。藍夜は滴る水滴と汗とを拭いもせず、ただじっと青年を正面から睨みつける。

「……ふふ、」

青年は笑った。穏やかで、澄み切った夏の青空を思わせる軽やかな笑みだった。

「退くべきところで退かず、黙するべきところで饒舌に語り、己の固執を優先する。周りに恵まれていて幸運だったね、『ウリエル』」

「見透かされている」。いよいよ、正面から極悪な牙に噛みつかれたような気がした。
よろめき、一歩下がった藍夜の体をサラカエルが支える。肩を掴まれ、しっかりしろと無言で促された。
藍夜は頭を振る。どこまでこの青年は知っているのだろう、焦燥と恐怖で声が出ない。崩されない笑顔は最早、返答を強要していた。

「どうしたの。顔色がよくないな」
「う……」
「ふふ。人間に生まれた事で、甘っちょろい性格に磨きが掛かったかな。応えてくれないのなら続けても構わないよね」

一度対天使を見上げ、再び青年に視線を戻す。喉に張り付いて剥がれない言葉を何とか吐き出そうと、藍夜は喘ぐように口を開け閉めした。
しかし声は出てこない。ウリエルと、確かにそう呼ばれたのに。それ以上を語らせぬよう、口を塞いでやらなければならないのに。
「鳥羽藍夜は人間ではない」。その事実を、彼はどこで知り得たというのか。歯噛みする藍夜の肩に、サラカエルの指先がめり込んでいく。

「ほら、そうやって君は『殺戮』に護られてばかりだ。その為に彼は何度死んだだろう? 何度、死にたくもないのに巻き込まれたのかな」
「!? そんな、よしてくれ。そんなっ……僕はそんなつもりは!」
「そんなつもり? ではどんなつもりだったのかお聞かせ願いたい。君はいつでもそうして被害者面していれば済むのだから、羨ましいな」
「被害者面? な、何の話……僕は! 僕は一度だって、サラカエルを意図して犠牲にした覚えは!!」
「審判官、ね……そもそも『審判』そのものがナンセンスだ。神に命じられたから……その為に君は何人殺した? どれだけの街を沈めた?
 君が! 君こそが自ら拒みもせず疑問も持たず、考えなしに審判を下したから、人間も動植物も殺戮も、何度も死んでいったというのに。
 だのに君は、死にいく者へ憐れみを向けるだけで、仕事だから仕方ない、そう言って自己弁護しながらしっかり転生し続けてきたわけだ。
 今度は誰を殺す? 誰を巻き込む? ふふ……ああ、もうこの街が巻き込まれていたね。君のせいで罪科の対価を払わされているわけだ」

気付いていながら、目を背け続けていた事実。自覚あるしこり。
藍夜はついに、全身から力が抜け落ちていくのを感じた。へたり込む体を、サラカエルの手が支える。
青年の顔には、未だに笑みが浮いていた。それは、一見は優しく慈悲深く、愛に満ちた微笑みだったが、今や冷酷な冷たさに満ちている。
視線が動く、藍夜から反れ、離される。次に青年が獲物として見定めたのは、藍夜でもサラカエルでもなく、

「悲しいなあ。こんなに美しい街なのに、トバアイヤという化け物がいたせいで壊される運命に手繰られてしまった。君には同情するよ」

幽霊でも見てしまったような蒼白な顔で立ち尽くすハイウメだった。

「ハイウメ……よせ、聞くな。あいつの言う事を、聞いてはいけない!」
「あ、まだ話せたのか。自己保身には余念がないね……だ、そうだけど、長候補殿のご意見を伺いたいな。化け物と気付いていたんだろ?」
「……化け、物」
「そうとも。トバアイヤは、人間の皮を被った化け物さ。ロードを使えるのも、見た目が成長しないのも、奇妙な身内に囲まれているのも。
 全ては彼が化け物だからだ。鳥羽瓊々杵と咲耶を殺したのも、街に粗暴な冒険者を呼び寄せたのも、今回の一件も。彼が化け物だからさ。
 君だけがそれを見抜いていた。だから無意識に化け物と呼び、ニゼルから引き離そうと努めた。君は正しい、君こそが正義だったんだよ」

……疑問に思う点は、山のようにあった筈だ。しかし、青年の言葉には妙な説得力があり、ハイウメの脳裏から思考能力を剥離させていく。

「化け物……鳥羽藍夜は、化け、物……」
「そう、化け物。化け物、化け物なんだ。化け物なんだよ。君だけが正しい、君こそが見抜けていた正義のヒトだ」
「俺が? 俺が、正義……」
「そう、君は正義なんだ。自分でもそう思うよね? 分かっているよね? だから、『化け物を断罪しなくてはいけない』。分かるだろ?」

サラカエルが藍夜を突き飛ばした。同時にハイウメは長剣を抜刀し、その切っ先をこちらに振り下ろしている。
銀光は、殺戮の天使の片腕のうち、布の部分を裂いただけで終わった。それでも、一連の出来事は藍夜の心を深々と抉る。

「よせ、……よせ! やめるんだハイウメ! そいつの話を聞いてはいけない! 君が今すべき事が何か、思い出すんだ!!」
「ば、化け物……化け物。てめえが! てめえがやってきたせいで……てめえのせいで、俺の街はっ!」
「は、ハイウメ……僕は、僕はそんな……そんなつもりは……」

何故こんな事になったのだろう、藍夜はその場に縫い付けられたように動けなかった。
サラカエルが庇うようにして前に立つ。青年の言う通りだ、いつもこうして庇われてばかり……愕然とした。
「化け物」。そうかもしれない、天使であるという理由があったにしても、これまで多くを殺し過ぎたのかもしれない。
殺し過ぎた事で感覚が麻痺し、更には因果というものを呼び寄せ、生まれ落ちた場所に災厄を運ぶ体質に変貌していたのかもしれない。
藍夜は思考する。自分はこれまで審判官の天使として生き、此度は鳥羽藍夜という人間の身として生まれてきた。
もし青年の言葉が真実なのだとすれば、鳥羽夫妻を無惨に死なせ、ホワイトセージを堕落に至らしめたのは、他でもない自分ではないのか。

(僕は、化け物……ヒトの、鳥羽藍夜の皮を被った化け物)

断罪されなければならない――ハイウメが握る剣を、藍夜はじっと見つめる。
その銀色を、己の鮮血で染めなければならない。鳥羽夫妻の御霊の為に、狂わされた街の為に、死を以って償わなければならない。
ウリエルとして、鳥羽藍夜として生まれてきたからには、今、裁かれなければならない……よろめきながら立ち上がり、前に出ようとした。

「――忘れたのかい、ウリエル、いや、鳥羽藍夜。君は、親友の元に帰らなければいけないんだろ」

二振りの銀色が、眼前で煌めく。力ある天使の言葉。はっと我に返った藍夜の目に、サラカエルが抜き放った双剣の刀身がぱっと映った。

「そこの街の長候補はすっかり腑抜けにされたみたいだけど……馬鹿言うなよ、街をこんな風に仕上げる技能など、審判官は持ってないさ」
「……ふふ、庇いたくなる気持ちは解るけど、」
「分かったような口を利くなよ、悪魔風情が。言っておくけどね、僕には魅了だの暗示だのは効きにくいんだ。打たれ強い身なんでね」

「悪魔」。サラカエルの言葉を脳内で反芻して、藍夜は再びハイウメ、次いで青年の姿を見つめる。
言葉巧みにヒトを扇動、誘惑し、己の意図するままに操る存在。鳥羽藍夜を天使ウリエルと見抜く力。全てに合点がいった。
はっと目が醒めたような感覚が体に満ちる。見上げると、対天使は一度大きく頷いて見せた。

「すまない、サラカエル。そうか、あれは……彼は、悪魔、堕天使なのか」
「それもかなり強力で質の悪い部類だ。やれやれ、やっと目を覚ましてくれたね、ウリエル。君は騙されやすい方だったから、心配したよ」

軽口を叩きながらも、サラカエルの表情は晴れない。それほどまでに、青年は手強く、また位の高い堕天使なのだろう。
青年は笑った。しかし、先ほどとは打って変わり、その笑みには狂気の類が浮いていない。

「ふふ、バレたか。流石は殺戮、場数を踏んでいるだけはある」

サラカエルが歯噛みした音が聞こえ、藍夜は彼の横顔を盗み見る。対天使の顔に、いつもの余裕は滲んでいなかった。
今回は庇われてばかりではいけない! 藍夜は雷霆を強く握り、青年へ、更には彼を庇うようにして立ちはだかるハイウメへ突きつける。

「君が悪魔だとか、堕天使だとか、そんなものは関係ない。しかし、僕はここで退くわけにはいかないんだ」
「ん? あれ、さっきとは別人みたいに強気だね。化け物の分際で」
「そうとも、化け物さ。僕は確かに何人も殺したし、サラカエルさえ間接的に手を掛けた……それでも、今の僕には帰るべき場所がある」

因果が災いを呼んだというなら、確かにこれは全て、自分が招いた惨事だろう。藍夜は頭を振った。

「僕は、『鳥羽藍夜』の弟を、親友を、父母が遺した店を護らなければならない……君が何者であれ、ここで屠られるわけにはいかない!」

出力抑制、範囲縮小、効力低減……詠唱はごく短く済ませる。藍夜は躊躇わず、ハイウメの脳天目掛けて雷を落とした。
それは、あの狂人らにしたような気絶を誘発させる微々たる威力を持つものだ。狙い通り、街長の息子は体をくの字に折り、膝を着く。
前のめりになり、呻き、頭を振った。藍夜にとって驚きだったのは、狂人達と違い、ハイウメが意識を手放さなかった事だ。
意外にも、彼はダメージに耐え抜いた。顔を上げたハイウメの顔は、悔しげに歪んでいるものの、はっきりとした強い意志を滲ませている。

「てめえ、この化け物っ……よくもやりやがったな」
「……ハイウメ」
「クソッ、後で覚えとけよ。ニゼルの目の前で、クソみてえにボコボコにしてやる」

意外にも。予想すらしていなかったが、あの雷撃一つで、ハイウメは悪魔の誘惑を振り切ってくれたらしい。
立ち上がり、藍夜達に背を向けるようにして、彼は噴水前に佇む堕天使を睨み、剣を向けた。
恐ろしいほど怖いもの知らずだ、藍夜は素直にこの青年に感心する。
元から街の為なら文字通り身を挺して動く性格だったが、ここまでとは。現街長とは大違いだ、嘆息を吐き、急ぎ彼の横に駆け寄る。

「一人で適うと思っているのかい。流石にそれは、無謀というものだよ」
「うるせえ、化け物。俺に命令すんな」
「ウリエル。盛り上がってるところ恐縮なんだけど、無理だと判断したら退かせるからね。それだけは忘れないでおいて貰いたいな」

サラカエルの警告には、片手を挙げて応えた。
藍夜、そしてハイウメに真っ向から睨まれ、黒塗りの青年は苦笑じみた笑みを零す。

「困ったなあ。魅了を弾くだけでなく、まだやり合う気があるなんて――」

本当に困っているようには聞こえないがね、そう吐きかけた藍夜の眼前、青年とのちょうど中間地点。
そこに突如として、人間一人分の大きさの、青白い渦が生じた。ぐるりと円を描き、直後、渦そのものは煙のように霧散する。

「っ! ハイウメ、下がりたまえ!」
「うおっ、またかよ!? この化け物ども!!」
「――僕はね、積極的な人は好みだよ。けど、いきなり初対面から対複数っていうのは、ちょっと戴けないかな。相性も大事だからね」

そこから飛び出してきた影があった。印刷所で遭遇した赤黒い魔獣、それに酷似した、青白い狼。あの渦は、召喚用の扉であったらしい。
一度は退けた筈の凶悪な牙が、再び藍夜達に迫る。ハイウメは地面を転がって避け、藍夜は一歩後ろに跳び下がった。
――ここならば! ウリエルの翼を強制召喚、羽ばたきで更に間合いを開けさせ、同時に雷を獣に放つ。
夜色の羽根が散り、それを掻い潜るようにして青白い雷撃が魔獣に直進した。直前、獣は跳躍していた、回避する為の足場は皆無の筈。
予想通り、雷は獣の全身を容易く貫く。短い悲鳴が宙に溶け、しかし獣の執念も並ではなかった。ぐんと顎を延ばし、なお藍夜に追い縋る。
咄嗟に雷霆の腹で受け止め、噛みつきを防ぐ。物凄い力だ、翼がまるで役に立たない。押し切られそうになり、藍夜の顔に脂汗が浮かんだ。

「クソッ、避けんなよ化け物っ!」

刹那、視界の端に銀光が走る。ハイウメが放った斬撃は、獣の背中をさっと掠めただけだった。

「ハイウメ、すまない!」
「うるせえな、このクソ野郎! 悪いと思ってんなら早く何とかしろ!」

それでも隙としては十分だ、一歩、二歩と回避に転じた魔獣を目で追いながら、藍夜は羽ばたきで体勢を整え、ハイウメの横に降り立つ。
苛立ったような声で応え、長候補は長剣を下に構えた。その目が忙しなく左右に揺れる。気が付けば、藍夜達は周囲を魔獣に囲まれていた。

(この青白い魔獣が司令塔で……いや、しかしだ、これだけの数を捌けというのも)

遠巻きにしていた連中が戻ってきたのだろうか、いずれにせよ、不利な状況である事に変わりない。
青白い魔獣は他より二回りほど大きく、低姿勢でこちらを見据える姿には、ある種の気品や気高さが漂っている。
月夜の中で遠吠えさせれば、さぞかし映えるだろう……藍夜は頭を振った。今は、この場をどう収めるか思考する方が先決だ。
「ニゼルの元に、オフィキリナスに無事に帰る」。アンブロシアとも約束したではないか――腕を大きく振り、意識を雷霆に集中させる。

「ハイウメ、サラカエル。一時、ここから離れる!」
「ばっか、てめえ! 言っちまったら何にもならねえだろうが!?」
「僕は構わないよ、ウリエル。しんがりは僕が担ってあげよう。心置きなく、やるといい」

雷霆を這う青白い雷光は、その場を埋めつくさんばかりの閃光を孕んでいた。藍夜が腕を振り上げると同時、それは熱爆発のように弾ける。
眩い、音が遠い、腕が千切れそうだ……藍夜は、思いきり唇を噛んだ。鉄の味が広がり、意識が飛びそうになるところを辛うじて耐える。
威嚇、目くらまし、撤退する為の時間稼ぎ。これまで以上に強力な雷を喚んだ後だ、途方もない疲労がどっと全身に押し寄せた。
倒れそうになるところを、意地で乗り切る。ハイウメの片手を掴み、羽ばたきも重ね、がむしゃらに中央公園から離れた。
鋼糸が駆ける音が、耳を打つ。またしても、サラカエルを犠牲にするのか……脳内に響いた黒塗りの囁きを無視して、藍夜は前へと急いだ。






(しかし、しかしだ。どこに行く、どこに向かえばいい? どこまで逃げたらいいんだ)

飛翔しながら、必死に考える。
ホワイトセージ入り口は論外だ、住民達の元に魔獣の群れなど連れてはいけない。オフィキリナスも同じ道を通る事になる、これも却下だ。
では北都印刷所はどうか、今も狂人や魔獣が巣くっていない保証はどこにもない……八方塞がりだ、藍夜は目眩がする思いだった。

「おい! おいっ、化け物! 返事しろよ!!」
「ハイウメ、」
「てめえ、ふざけんなよ! 何なんだ、翼なんか出しやがって。てめえの方がよっぽど堕天使くせえじゃねえか!」

色からしてごもっともだ、藍夜は馬鹿正直に頷いてしまう。その反応が気に入らなかったのか、ハイウメは強引に藍夜の手を振りほどいた。
一度羽ばたき、低空飛行を維持しながら振り向くと、疲労と焦燥、怒り、混乱といった、複雑な顔をした青年と目が合う。
彼は本当に苛立ったように強く舌打ちして、藍夜をじろりと睨み上げた。

「クソ、っざけやがって。見下ろしやがって、何様なんだよ」
「ああ、そうか。飛んでいるから、君と視線が似たり寄ったりなところに位置するわけだね」
「こんな時に身長どうこう言ってんじゃねえよ。つーか、その翼といい、さっきのロン毛といい、なんだってんだよ。意味分かんねえ」
「おや、話せば長くなるんだが。興味があるのかい」
「……てめえ、それ本気で抜かしてんなら今すぐブッ殺してやるからな」

互いの呼吸は荒い。体力も気力も、限界に近いのが手に取るようによく分かる。藍夜は血の滴る口元を手で拭うと、大きく嘆息した。
どこかで一息吐く事が出来たら、だが、どこで? 魔力、精神力を磨耗し過ぎて、正しい判断を下せている自信がない。
藍夜の胸中を見抜いてか、或いは同じ心境であるのか。ハイウメもまた、大きく溜め息を吐く。
彼の視線が静かに動き、後方の噴水、中央公園、自宅、表通りの全貌を見渡した後、最後は藍夜を見上げる形で停止した。

「おい。逃げるって言ってたけどよ、実は何も考えてなかったろ」
「申し訳ないね、今回は反論のしようがない」
「クソ、そんな事だろうと思ったぜ。それで、どうする。あのロン毛だって、いつまで保つか分かんねえぞ」

サラカエルに限って、逃げそびれるという失態は起こりようがないと思うがね――言いかけた言葉を飲み込む。
ハイウメは、天使、もっと言うなら、ウリエル、サラカエルの両名も知らない筈だ。教会のミカエル像ですら、鼻で笑うほどなのだから。

(苦しい時に一番頼りになるのは、他でもない自分自身……だったかな、彼の理論では)

曰く、「辛い時に神が救ってくれた試しがないから」と。信じる方が馬鹿らしいと、いつの日か彼はそう言って顔を逸らした。
経営方針の違いで離縁に至った両親、周囲から寄せられる期待、王都や教会による異常なまでの重圧、住民と発掘人らとの間で起こる対立。
考えてみれば、ハイウメはホワイトセージの後ろ暗い部分と、独りで向かい合っていた事になる。
オフィキリナス、鳥羽夫妻、その子供ら、ロードと、そういった余所者達の存在も、重圧の後押しをしていただろう。
これは恨まれても仕方がないのかもしれない、藍夜は頭を振った。訝しむような視線を送ってくる青年に、素知らぬ顔で頷き返す。

「そうだね、せめて安全な場所の一つでもあればいいんだが」
「んなもん、どこにもねえって纏まったばっかだろうが。クソ、なんだっててめえみてーなのがいいってんだよ、ニゼルの奴」
「ハイウメ……どうしてまた、そこでニゼルの名前が出てくるんだい」

殆んど無意識だったのだろう、振り向いたハイウメの顔は真っ赤だった。
その驚愕と羞恥に塗れた表情に、藍夜は一つの仮定、結論に行き着く。怒られるかもしれないな、そう考えるも、唇は自然と動いていた。

「ハイウメ、もしかして君は本当に、ニゼルを好いているのかい」
「……う、」
「図星か。僕を枯れてるだの男色だの言っていたのは、君にやましい気持ちがあったからというわけかい」

話しながらも、雷霆を払い雷を喚び落とす。サラカエルが引きつけているとはいえ、漏れたのであろう魔獣数匹が周囲をうろついていた。
ハイウメは、周りを見る余裕もないといった様子だった。顔を俯かせ、口をもごもごと動かし、居たたまれないという風に縮こまっている。
藍夜は嘆息した。彼が幼少の頃からやけにニゼルに絡んでいたのは、この為だったらしい。道理で絡まれるわけだ、納得してから着地する。

「ハイウメ。僕は、他人の嗜好にどうこう言うつもりもないよ。ニゼルには黙っておくから、好きにしたまえ」
「うるせえよ……どうせ、てめえはそう言うと思ったよ。クソ、一生黙ってるつもりだったのに」

ハイウメに見下ろされながら、藍夜は周辺に落雷を召喚した。この話はここまでだ、そう宣告するように走り出す。

(ニゼルがハイウメとどうなろうが、僕には関係のない話というものさ)

眉間に皺が寄った。どうも、心臓のあたりがざわついて落ち着かない。魔獣の群れのせいだ、ぐるんと腕を振り、迫る爪牙を振り払う。
ハイウメが剣を振りながら何事か喚いていた。どこに向かう気なんだ、口の動きから恐らくそう罵られているのだと読み取り、足を止める。

「さてね、ここまできたら僕にも皆目、検討が――」
「――こっちだよー、こっち、こっち!」

……その声は、突然鼓膜に届けられた。勢いよく振り向いた藍夜とハイウメの視界に、両腕を大きく振り、存在をアピールする人影が映る。
金色の髪、深紅の瞳、小柄な体、白い服。無邪気に破顔するその子供は、二人に「こちらに逃げてこい」と懸命に誘導していた。
ザドキエル……藍夜もハイウメも、その子供の正体を知らない。呆気にとられて固まる二人の周囲から、不意に魔獣が一斉に離れていった。

「おにーさん達、ここは危ないよ? 僕、安全なところを知ってるよ、特別な結界が張られているんだ。疲れてるんでしょ、こっち来て!」

まるで、その子供を恐れているかのように。魔獣達は建物の中、塀の影、ありとあらゆる暗がりに向かって散り、姿を消していく。
立ち尽くす二人に足早に駆け寄り、見上げ、ザドキエルは楽しげに笑った。有無を言わせぬ、純粋無垢な笑みだった。





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 UP:18/06/17