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楽園のおはなし (1-4)

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時計の文字盤から視線を外し、藍夜は開け放ったままの窓から頭を半分ほどを出して外の様子を窺った。
もうすっかり日も傾き、外の草原にはひっきりなしに西の風が吹きつけ、青々と背を伸ばした牧草に影を落としている。
入口の真上に設置している中古の掛け時計を見上げた。先ほども確認したばかりだが、やはり時刻は十九時を回っている。
初夏の頃とはいえ、周囲に他の建物がないオフィキリナスや大牧場は日が沈むとあっという間に周辺が闇に沈む。
今日は風も強い。ざわざわと草木が絶え間なく揺れる様を見ていると、それだけでどこか嫌な気にさせられた。
暁橙が帰って来ない。
普段の彼なら遅くとも十八時前には――否、今晩の献立は彼の大好物のハンバーグ上乗せカレーだから、下手をするとそれよりも
うんと早く帰宅する筈だった。賢さの影にどこか間の抜けた愛嬌の良さを持つ弟だが、こういう時の勘だけはやたらと冴える。

「全く、一体どこをうろついているのだろうね」

無意識に眉間に力が篭っていた。窓以外を閉め切った部屋中にスパイスと香草、野菜の煮える匂いが立ち込めている。
匂いの大もとは隣室の奥、めったに開かなくなってしまったオフィキリナス喫茶店のキッチンから漂うもので、煮込み時間から材料の
投入順番、香草などの配合、野菜の剥き方一つまで、事細かく定められた母伝承のレシピを元に、丹精込めて仕込まれていた。
いつか母が、「自分が倒れて皆が食事に困ると悪いから」と藍夜や不器用だった父の為にしたためてくれていたものだ。
皮肉にも両親は揃って亡くなってしまったので、母の言葉通りレシピノートは今の生活に役立ってくれている。
暁橙は問題外として、藍夜も料理のセンスが良い方ではなかった(好きに実験まがいの事をして味を狂わせるのである)。
母の遺してくれたノート数冊がなければ、鳥羽兄弟はある意味に於いて困窮した生活を送らなければならなかったかもしれない。

「……ヤ、アーイヤー。って、あれ、今日カレーなの?」
「ニゼル、かい」

母が好きだと言っていたアイボリーカラー。刺繍によって彩られた愛らしい表紙から目線を外し、窓へ視線を投げた。
こんな暗がりの中では、常の明るい色合いの髪も群青か、或いはくすんだ濃紫に見える。ニゼルだった。

「へへ、明日はゆっくりしていいよって言われたから来ちゃった。相変わらず良い匂いだねー」
「食べていくかい?」
「え、いいの? やったー。俺、藍夜んちのカレー大好きなんだ!」
「そうかい、確か食料室にムートン(羊乳製)ヨーグルトもあった筈さ。食べるだろう」

うんうん食べたい食べたいー。店内に両手を伸ばしていたニゼルは、ふと腕をばたつかせるのを止め、藍夜を凝視した。
赤紫の丸い瞳は、宝石質の尖晶石か、上質の柘榴石を連想させる。真っ直ぐ向けられる眼差しに、藍夜もニゼルの方を見た。

「どうかしたのかい。今日はどうせ泊まって、」
「藍夜、何かあった?」

訝しむように眉間に皺を寄せた藍夜を他所に、彼は窓枠に手を掛け、土を蹴り、外から軽々と店内に飛び込んだ。
止めたまえよ、はしたない。常の藍夜の口癖が出るのを防ぐかのように、ニゼルが藍夜の眼前に立つ。
身長差が微かにあるから仕方ないのだが、僅かに屈んで覗かれるのは些か不愉快だった。

「何かって、何がだい」
「ん? ううん、なんか様子がおかしかったからさ」
「そうかな? 別に普段通りさ」
「ホントにー? 知ってる? 藍夜って思ってる事、結構顔に出るんだよー」

なんでもないと断言しているにも関わらず、ニゼルに引く気はないようだった。首を傾げると羊毛を思わせる髪がふわりと揺れる。
藍夜が別方向を見ても、幼馴染は視線をこちらに向けたままだった。居心地の悪さを覚え、藍夜は机上のノートを手に取る。
手にしっくり馴染む質感は一時の安心感を与えてくれる。しかしそれよりも、藍夜は背中に注がれる眼差しの存在に安堵した。
ニゼルはいつでもそうなのだ。
自分が揺れ動いている時に空気を読んだかのように現れ、さりげない気遣いと少々のお節介を焼いてくる。
両親が亡くなり、他人と距離を取りオフィキリナスに篭って過ごすようになってからも、その姿勢は変わらなかった。
もっと他人にもそのように振舞えば牧場の未来は安泰だろうに――分かり切った事を彼に言い放つのは、しかし憚られた。
結局のところ、彼がそうして自分に飛び切り優しくしてくれるのも必要以上に踏み込んでこないのも、実を言えば心地良かった。
詮索されるのは(自分が平気でしてしまうという事からも)苦手だ。そこをニゼルは暗に掴んでくれていると藍夜は思う。

「……顔に出る、か」
「うん?」
「いや、暁橙がまだ帰って来なくてね」
「暁橙が? え、何それ、ちょっと遅過ぎない?」
「ああ。今日はカレーだし、街で祭をやっているとも聞いていないのでね」

振り向けばニゼルは棚から適当にロードを取り、手の中で撫でているところだった。それでも視線はこちらを向いている。
小奇麗な造りの顔が微かに曇った。こちらの緊張が伝わってしまっただろうか。思わず眉間に皺を作っていた。
思えば、彼は自分だけでなく、暁橙にも優しく接してくれている。
前に「血は繋がってないけど義理の弟みたいなものだよねー」と話していたような気がする。余計な事を漏らしただろうか。

「うーん。心配だよね」
「まあね、暁橙の事だから無事だとは思うがね」
「そうだよ、きっと無事だよ」
「と、すれば、だ。今頃どこで何をしているのだろうね」
「んー……暁橙の事だから、遺跡の奥で何か見つけて『わーい兄ィにもっと褒めて貰える〜』とか言って夢中になってるとか?
 お祭じゃなくても新しく出来たカフェやレストランの人だかりに我を忘れて寄り道しちゃってるとか。お土産買うぞ、とか言って。
 でなかったらこの間みたいに睡眠ガストラップや魔物から逃げてて、振り切ったところで油断してうっかり寝落ちしちゃったとか。
 あっ、それだと危ないよね? 探しに行った方がいいのかな。けど暁橙なら、藍夜の為に何が何でも帰ってきそうな気がするし」

前言撤回。なんという歯に衣着せぬ言葉の数々だろう。
顎に手を当てた格好のまま、藍夜はじっとニゼルを凝視。もしかして、彼は本気で心配していないのだろうか。

「君ね、本気で暁橙を心配する気があるのかい」
「えっ!? あ、あるよ、勿論! 藍夜、何言ってるの?」
「なんとなく疑念に駆られてね。いいんだ、気に病まないでくれたまえ」
「ええっ!? 濁されると逆に気になるよー。その、俺達が心配しなくても暁橙は強いからさ」

先のしんみりとした空気はどこへやら。慌てふためくニゼルを前に、藍夜は不謹慎にも噴き出していた。
確かに心配ではある。身体を鍛えているとはいえ弟は未成年だし、頼れる親族はもう自分しかいないのだから。
とはいえニゼルの言う事も一理あった。自分がいくら言っても、暁橙は身の危険も省みず遺跡に潜り、貴重な宝を持ち帰ろうとする。
それを応援し見守るのも、確かに自分の役割の筈なのだ。よほどの事がない限り、弟が自分を見限り、離れていくと思えない。
そんな自信が、藍夜には強くあった。理由も根拠もまるでないが、それが暁橙らしさなのだろうと。
ニゼルでさえ弟の強さを認めてくれている。
心配し、危惧し、危険を犯さぬよう細心の注意を払う事は出来る。しかしそれ以上に、信頼して仕事を任せるのも店主の務め。

「ちょっとぉ。なんで藍夜、笑ってるの」
「いや、まさか。心配しているのだよ。暁橙と、君の事を」
「えー、なんで俺!? 暁橙ならまだしも、っていうか俺藍夜より年上なんだからね!? 分かってる?」

もう抑える事が出来ない。そのまま苦笑交じりに笑いを声に漏らした。
本気か冗談交じりか、怒り出すニゼルの手から逃れるように身を捩り、視線がふと店の玄関に向かう。
扉の向こうに人の気配と、微かな物音が感じられた。急に立ち止まる藍夜の様子に、ニゼルもどうしたの、と動きを止める。
客のようだよ、藍夜はそう短く答えた。こんな時間に客?、ニゼルが問い返す間もない。
室内が静まり返る。向こうから扉を開けるのを、両者共にじっと待った。

「――っ、たっだ、いまぁ〜」
「! 暁橙!!」

たっぷり三十秒ほどを要して取っ手を捻り、よろめきながら店内に滑り込むようにして入って来たのは、暁橙だった。
不自然に左足を引きずり、装甲は愚かブーツさえ脱いでいる。壁に肩を預け、そのままずるずる崩れていくのをニゼルが支えた。
顔色が悪い。ただ事ではない、机の横に常備してある救急箱を掴むや否や、藍夜も弟に駆け寄った。
大した事はないと言い張るのを無視して足首を掴むと、本人の口からは短い呻き、作業着越しにも腫れ上がっているのが分かる。

「だ、大丈夫だってば、兄ィ。ほんと、ほんとに大した事、」
「両足で快適に走り回れる状態だと言うならもっと言い訳してもいい事にしよう、暁橙」
「うう……」

裾を捲ると、弟の足首は真っ赤に晴れ上がっていた。隣のニゼルがうわ、と短く悲鳴を上げるほどに患部が膨らんでしまっている。
裂傷や擦り傷などは見当たらない。どこかで転んだのかと問えば、暁橙は何故だかごにょごにょと声を濁すばかりだった。
雷霆の一つでも浴びせて良いのだよ、と脅したところで漸く、彼は遺跡の高低差のあるエリアで着地に失敗したのだと自白した。
自分に気を遣ってくれるのは有難いが、継いだ家業が弟を危険に晒しているのか。そう思うと居たたまれなくなる。
不安げにニゼルが藍夜の名を呼ぶ。「なんでもないさ」、彼を安心させると同時に、それは自分への励ましのつもりでもあった。

「まずは軽く手当てかな」

ひとまず救急箱から包帯と薬草成分を沁み込ませた湿布を取り出し、添え木を当てて手早く巻きつけ、処置を済ませる。
抽出に使用した薬草の中には冷却作用を持つものもある為、患部の上を氷のうで包んでやれば一晩中であってもよく冷える。
当てた際、一瞬弟が短い悲鳴を上げた。冷え過ぎるようなら言うんだよ、顔を見上げれば、涙目ながらも力強い頷きが返される。

「帰りが遅かったのでね。ニゼルとどうしているのかと案じていたところさ」
「うん、遅くなってごめん。兄ィ、ニジーさん」
「いや、無事ならそれでいいんだ。無傷とは言えないが、帰って来たのだからそれで十分さ」
「そうだよ、暁橙。藍夜、暁橙が帰って来ないーってすっごく心配してたんだよ?」

弟の顔が一瞬眩しいくらいに輝いた、ように見えた。

「ニゼル……君、一体何を余計な事を」
「余計じゃないでしょー。俺が何言っても聴く耳持たなかった癖にー」
「おい、君ね、」
「えっ、あ、あのさ。それ本当? ニジーさん」
「ほんと、ほんと。大丈夫だって言ってるのに店の中うろうろして落ち着かなかったんだから」
「へえ〜。そ、そっかあ。へへ。そうなんだ、兄ィが……」
「そうそう。もう、面白かったよー」
「……二人とも、どうにも今夜は恐ろしい勢いで口が滑ってしまうようだね」

落雷! 人指し指を突きつければ、双方きゃあだの止めてだのと大いにはしゃいだ。この様子なら大丈夫だろう、内心ほっとする。
痛みが緩和されたのか、弟は普段の笑顔をやっと浮かべて見せた。ニゼルと二人で身体を支え、客用の椅子に座らせてやる。
藍夜が救急箱に包帯などをしまう傍ら、ニゼルは暁橙の氷のうの位置や巻きつけた医療用テープの調節をしてくれていた。
聞けば、弟は珍しくパーティも組まずたった一人で難易度不明、詳細不明の遺跡に足を踏み入れたらしかった。
発掘屋になってまだ十年にも満たないが、弟はそこそこ知識も技能もある手練の部類に入る。
そんな彼が不確定要素の多い遺跡に好んで潜り、ましてや負傷して帰還した事が、藍夜には驚きだった。

「まだこの辺りに未解明の遺跡があったとはね。ギルドの通知は上げられてなかったと思ったが」
「うん。オイラもこの間、西の遺跡に向かう途中でたまたま見つけたんだ。なんか結構シンプルっていうか簡素な造りでさ」
「そんな『簡単かもしれない』と踏んだ地を甘く見た結果、着地し損じた、という事だね。君らしくないものだ」
「ううっ。あ、兄ィ、そこはそんなに苛めないでよー」
「あのさ、暁橙。足そんなにしちゃってるのによくここまで来れたよね? 誰かに送って貰ったの?」

遺跡から戻った暁橙からの結果報告。今回は反省会も含んだそれに、ふとニゼルの声が割り込んだ。思わず兄弟揃って固まる。
そういえばそうだ、と返せないまま二人揃って視線を投げると、ニゼルは何かおかしい事でも言ったか、ときょとんと目を丸くする。

「だってそうでしょ。遺跡の事より、まず暁橙の怪我の方だよ」

先刻まで藍夜が口を付けていたポットの中身を慣れた手付きでカップに注ぎ二人に渡しながら、ニゼルも自分用に茶を注いだ。
釣られるようにして藍夜も動き、カップや食器などを並べた応接間用に置いている小さな戸棚から茶菓子などを見繕う。
丸皿に移して暁橙に手渡すと、やはり腹が減っていたのか、弟は大喜びでクッキーを一枚摘み、齧りついた。

「それ、骨折か、良くても捻挫でしょ? 一人じゃ丘の上まで歩けないって」
「確かにね。暁橙、自警団か何かがそうだとしたら、あとで謝礼を用意しないとならないよ」
「……藍夜。そこはお兄さんらしく、お金出してあげようよ」
「明日は街医者に診せるからね。うんと太い痛み止めを打って貰おうじゃないか」
「もう、こういう時だけ話反らすの上手いんだから」
「うう、注射かぁ。嫌だなあ」

暁橙は居心地悪そうに身じろぎを一つ。とはいえクッキーの味には抗えないのか、皿と口の間を行き来する手は止まらない。
壁に背を預けたまま物言いたげなニゼルと、威嚇するように睨む店主。沈黙は一瞬で、先に顔を反らしたのはニゼルの方だった。
勝った! 内心ガッツポーズの鳥羽藍夜だが、微かにそれを顔に出した彼の横顔を、ニゼルは穏やかな微笑を湛えて一瞥している。
暁橙は「注射」と聞いて一時口数が減ったものの、帰宅してからようやっと落ち着いたようで、皿を膝に乗せて寛いでいた。
次第に話は反れていく。暁橙がクッキーを食べ終えてから食事にしようという事になり、皆思い思いにハーブティーを口に運んだ。
ふと、藍夜とニゼルがほぼ同じタイミングで最後を飲み干し、カップから口を離した――その瞬間、室内に緊張の糸がピンと張る。

「!? なっ、なに?」

ドンドン、ガタガタと荒々しい音。入り口の樫の木の扉が、外から乱暴に叩かれていた。遅れてニゼルと暁橙も身構えた。
扉は形を歪めてしまう勢いで大きく跳ね、軋み、その度に錆びかけの蝶番が悲鳴を上げている。そのまま破られかねない勢いだ。
暁橙が自宅に戻って、既に一時間弱が経とうとしている。窓の外は暗闇に閉ざされていた。客とは到底思えない。
不安げな表情を向けてくるニゼルに頷き返し、藍夜は「雷神の雷霆」を手に、音を殺して入り口へ向かった。

「あ、藍夜。気を付けてね」
「分かっているさ」
「! 待って兄ィ……ぐっ、げほっごほ」
「暁橙! 大丈夫?」

何故かそれを制止しようとする暁橙。だが立ち上がろうとした瞬間、足の痛みに茶を飲み損ない、咽せてしまう。声が声にならない。
暁橙の事はニゼルに任せ、藍夜は扉の前で一度大きく息を吸った。そのまま呼吸を止め、未だ強く叩かれる扉に手を添える。
目を閉じ、音の止むほんの僅かな一瞬。
その刹那のうちに取っ手を鋭く回し、雷霆に雷光を帯電させながら、一気に扉を屋内に引いてやった。

「――うっわぁ!!」

「来訪者」は甲高い悲鳴を上げながらオフィキリナスへ転がり込んできた。一斉放電しようと構えた藍夜は相手の異様な姿に硬直する。
悲鳴に振り向いたニゼルもまた、暁橙の背中を摩りながら目を見開いた。暁橙は咳き込みながら、目を細めそれに笑い返して見せる。
なんだこれは、そう呟くまでもなかった。ロード以外にも、古代文明に関する知識なら暁橙に引けを取らない自信が藍夜にはあった。
眩い輝きを放つ金の胴体、黒の肢体。鋭い眼に収まる琥珀の瞳。床の上に散らばる大きな羽根と、長く雄雄しい獅子の尾。
間違いない。これは、この神々しくもどこか禍々しい「生き物」の正体は――

「っ、こ、これは、」
「な、何それ!? か、かーっこいいっ!!」
「でしょでしょ、ニジーさん、もっと言ってやってよ。そいつ喜ぶから」

――魔獣・グリフォン。
実のところ、藍夜も実物を目にするのは初めての事だった。動揺したあまり、雷霆から雷が消え失せる。
意見は三者三様。藍夜は驚きに言葉を失い、ニゼルは動物好き故の素直な歓声を上げ、暁橙は何故か誇らしげだった。
当の本人、というより本体は、突然扉が開いた事で勢いそのまま床に身体を擦る羽目になり、痛いだの何だのと文句を並べている。
その身体には所々、暁橙のワイヤーが緩めに巻かれていた。糸と糸が絡み合い、羽撃きは勿論、あらゆる行動を妨害している。

「ちょっとぉ! これ、ここに送ったら解くって言ってたじゃん! 早くほっどいてよ、嘘吐きぃ!!」

漸く体勢を整え、こちらを正面から見る事が出来るようになったグリフォンだったが、その表情は苦悶と不快感一色に塗れていた。
藍夜の横に並び、ニゼルがその様子を間近で見詰める。雷霆を軽く押さえるように手を添え、屈み、眼前のそれに視線を合わせた。
グリフォンが一拍遅れでニゼルを見上げる。歪んだ顔の中、琥珀色の綺麗な瞳がきょとんとしたままの幼馴染の姿を色濃く映す。
「あ、まずい」、藍夜は内心頭を抱えた……ニゼルの表情といい、経験からして、言うまでもない結末が予想出来た。
同時に暁橙を一瞬恨んだ。自慢ではないが、自分はニゼルや暁橙よりも、動物などといった生き物全般の扱いが不慣れなのだ。
あれほど成長を見守ってきたアルジル羊でさえ、せいぜい飼育小屋の掃除や水の入れ替え、牧草地を整えたりするだけで精一杯。
連中は人語を話さないのに繊細で大食いで、動物特有の匂いを放ち、おまけに相手の本質を見抜き自分より格上か格下か判断する。
判断次第ではコケにされる事もある。アルジル羊も牧羊犬も今のところそんな様子は見られないが、油断出来ないと藍夜は考えていた。

「うそつ……? え、じゃあこのワイヤー巻いたのって暁橙なの?」
「あ、うん。暴れられたら危ないかなって思って。送って貰えたのは嬉しいし助かったけど、兄ィへのお土産のつもりだったし」
「おっ、おみやげぇ!? 何それ、ぼく、騙されたって事!? 『送り届けたらお礼する』って言った癖に!」
「え? あ、いやあ、そんな事も……言ったかな、はは……」
「そうだよ暁橙。こんなにカッコよくて可愛いのに、縛ったりしたら可哀想じゃない」

思考中断。予想は見事に的中してくれたようだった。雷神の雷霆を定位置に戻し、落ち着くべく水差しの水を駆けつけ一杯。

「え、ええー!? なんでニジーさんが怒ってんの!?」
「怒ってないよ? でも暁橙がこの子に嘘吐いたっていうなら、早くワイヤー解いてあげないと怒るかもね」
「おー、そこのヒト、ヒトの分際で話が分かるねぇ。もっと言ってやってよ、ぼくこんなのイヤ〜」
「この子にここまで連れて来て貰ったって事だよね、なのにこの仕打ちはないんじゃない? 『約束』は守らなくっちゃ」
「そーだよそーだよ。御礼〜オレイ〜おっれっい〜。それがなくっちゃイヤ〜イヤ〜」

何が「イヤ〜」なものか。人目も憚らず、藍夜はその場で軽く頭を抱えた。
悪夢だ。間違いなく、ニゼルは次の瞬間こう言うだろう。

「とりあえずこの子にご飯とお礼、しなくちゃね。もう夜も遅いし、今日はここに泊まって貰ったらどうかな。ねえ、藍夜?」

だから何度も言ってるじゃないか、僕は動物は苦手なんだ!! とは、口が裂けても言い出せなかった。
その暴露はオフィキリナス店主として情けない、何より普段「動物など平気さ」と嘯いている……ニゼルにはバレているかもしれないが。
いずれにせよ、拒否しようにも獣もニゼルもすっかりその気になってしまったようだった。暁橙はワイヤーを解き始めてしまっている。
弟の帰還を祝して気心の知れた者同士で穏やかな食事を……その目論見は泡沫の泡となって霧散してしまったらしい。
開放されたグリフォンは大喜びで部屋中を駆け回り、ニゼルも暁橙もそれに釣られてきゃあきゃあ騒ぎ立てていた。
早くも大音が耳に鬱陶しくてたまらない。
午前中、護衛か店番用にペットが欲しい――一瞬でもそう考えた自分の浅はかさを、藍夜はひっそり恨むより他なかった。
動物なんてろくでもない。ましてや、その愛好家にはろくな奴がいないのだ。
……冗談じゃない。何を言われようと絶対に店に置いてやるものか。明日には礼とやらを済ませて元いた場所に帰って貰うからね!
心で叫べど声には出せず。同量のプライドと苦悩が藍夜の中で渦を巻いていた。
彼の葛藤を知ってか知らずか、皆勝手に台所へ歩いていく。匂いからして、カレーの煮込み時間は丁度良い塩梅のようだった。





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 UP:13/11/16