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楽園のおはなし (1-3)

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暗闇に灯を点す。腰に下げた簡素な造りのランプは真鍮製で、ところどころ人の手の跡と思わしき凹凸があった。
十の誕生日を迎えた朝、兄が骨董屋から買ってきてくれたもので、硝子瓶の中に放った夜光虫が光を放つ仕組みになっている。
あの頃は亡き両親から家業を継いだばかりで、子供二人で暮らす家にはそんなものを買う余裕などなかった筈だと暁橙は記憶している。
それでも兄が、家計を助ける為に発掘屋になると言い出した自分の背中を押ししてくれた事は紛れもない事実だと信じている。

『あまり無理をしてはいけないよ。僕にとって、もう家族はお前しかいないのだからね』

思えば、あの頃から兄の雰囲気が少しずつ変わっていったように思えた。
前より笑わなくなったし、小さい頃は幼馴染のニゼルと自分と三人で牧場を駆け回っていたのに、その機会も目に見えて減っていった。
元から読書好きではあったが、それにも拍車が掛かった。床上に何十冊もの分厚い書物を並べ、こちらが声を掛けるまで食事も摂らずに
何時間でも不眠不休で読み耽る事もざらだった。今となっては、亡き父の広い書斎は兄専用の小難しい本が並ぶ趣味部屋と化している。
……両親は事故で亡くなったと兄は言うが、葬式の参列に訪れた他所の大人は声を潜ませてはこちらの様子を伺っていた。
兄もニゼルもそれについて言及しなかったし――藍夜が何か言うより先にニゼルが無礼だと憤慨して全員を追い返してしまったので――
真相も今となっては闇の中、結局のところ、あやふやにされたままの両親の最期について暁橙が触れられる機会は殆んどなかった。
兄を、ニゼルを疑っているわけではない。
今年で両親が亡くなって早くも十数年になる。いつまでも二人だけで悼みを抱えていて欲しくない。
家族なのだから、自分にも真実を分けて欲しい。ただそれだけの事なのだ。

(つっても、今聞いてもはぐらかされるだけかもしれないけどなー)

黴と砂埃の臭いが鼻を突く。
回想中断、夜光虫の羽撃ちが激しさを増していた。小さく咳をして額のゴーグルを掛ける。意識はただ目前、遺跡の床上に這わせた。
暁橙の作業着にはあちこちに麻製の縄か護身用の保護プレートが巻かれており、服とそれらの隙間には小さな金属片が潜ませてある。
鋭利な四辺形は厚さ二ミリにも満たない代物で、原材料は黒曜石、或いは鋼。発案したのは暁橙だが加工には藍夜も携わった。
左太腿から一枚を取り出し、眼前の石塊と石塊の間に先端を突き入れる。石塊の表面にはミミズに似た形の象形文字が刻印されており、
暗闇の先、気が遠くなるほどにどこまでも延々と同じ模様が続いていた。
さて、やるか――気を引き締めるようにランプを手繰り寄せる。暁橙が選んだ石塊は、目を凝らすと他の石塊と文様が違っていた。
文字の端だけが僅かに跳ね上がる、左右で一文字ずつ入れ替わる、といった風に、隣り合う二つの石は、大きさ、固さなどは他と同じで、
刻まれた内容だけが微妙に異なる。経験上、この極僅かな他との違いが鍵なのだと暁橙は熟知していた。
破片を隙間の中央に差し込んだまま、そのまま上下、時折左右に動かしてやる。
コツは力を入れすぎない事だ、あまり力むと中で切っ先が割れてしまうし、下手をすれば最悪、ここに閉じ込められてしまう。

「んん、今日はしぶといんじゃないですかー……っと」

カチリ、小さな音が左の鼓膜に飛び込んだ。
同時に手のひら、片膝、両肩の順で、全身に鈍い振動、鋭い地響きが伝わってくる。
顔を上げ耳を澄まし、神経を研ぎ澄ます。刹那、刺したままだった破片を抜き、ランプを掴んで後方へ飛び退いた。
燐粉が弧を描く。着地すると同時、目の前の床一面に亀裂が走った。石塊が大音を立てて地下へ、暗がりの底へと崩落していく。
綺麗なものだ。
残されたのは先の二つの石塊と、ランプ片手の暁橙、極僅かな石畳の足場、先ほどまで用いていた背後のワイヤー製の通路のみ。
後ろを見ても前を見ても穴だらけ、少しでも手順を間違えたらあの床のように奈落の底に一直線……正直、乾いた笑いしか出てこない。

「どんだけ侵入者苛めるのが好きなんだ?」

侵入自体は容易かったが、入り口から伸びる階段を降りた先、足を石畳一枚に置いた瞬間床が抜け、そこからは早かった。
行く先々で床が抜け壁が崩れ落ち、首を狙う巨大な鎌が頬を掠め、中級クラスの魔物が複数背中を追って来る。
息も絶え絶えに奥へと先を急げば、今度は途中から道がない。文字通り眼前に巨大な穴が広がり、その遥か先に辛うじて通路が見えた。
ごく僅かな足場や突出した壁の一部、浮石やそれらに絡みつく蔓植物を利用して道なき道を進めと、足元の石版には刻印されていた。
詳細は知りようもないが、この遺跡の主人は挑戦者を好む好戦的な性格か、或いはひねくれていたかのどちらかであったに違いない。
「ドSだ、ドS」。誰に向けるでもなく吐き出した呟きは、しんとした空間にぼうと飛散していった。
破片同様、兄と共同で開発し使い始める寸前まで改良を凝らし続けた特殊ワイヤーで、暁橙はその先を踏破する。
兄が帰りを待っていてくれる。例え無言のままでも、行く道を応援してくれている。それを思えばどこまでも行けるような気がした。

……壁伝いから床上と、カサカサと擦れた音を立てながら石を這うものがある。
遺跡や迷宮のような暗く湿っている地のうち、風の通りがよく空気が澄んでいるところにのみ生息する珍しい爬虫類だ。
水源付近で見られる事、水さえ与えていれば数年は生き延びる事から、冒険者の間ではミズトカゲの愛称で呼ばれていた。

(ミズトカゲがいるって事は、ここらは魔物もいないって事だよな)

彼らが清い水を好む事は冒険者や発掘屋の間でよく知られる事だった。魔物は己の姿に怯える為、本能で水鏡を避ける傾向がある。
指で摘んで持ち上げてみた。水色の透き通る身体に、赤紫と青紫の血管、褐色の目玉が忙しない動きで暁橙を見上げていた。
活きがいい。近くに澄んだ水場があるのだろう、夜光ランプに照らされた半透明の全身が、高価なゼリーのようにてろてろ輝いている。
ミズトカゲを開放し、目の前の吹き抜けを再度見直してみる。
ここ数ヶ月、近所をはじめ隣町まで足を伸ばしたが、ここまで難易度の高い遺跡に出会った事はなかった。
遺跡そのものはシンプルな造りで、入り口から奥までほぼ一本道。惑わせる意地悪い横道や隠し通路も存在しない。
他の遺跡に比べれば外装も装飾も質素過ぎるくらいで、よく見られる金塗りの壁や大理石製のレリーフなどとも無縁だった。
神話時代に神々が天使を通じて編み出したという古代文字による装飾や、罠の回避方法を示す文面以外に特徴めいたものもない。
雄雄しい神だったのだろうか。それにしては、残された石畳の並びや壁の仕上がり一つ一つ美しく、女性性さえ髣髴とさせる。
これでは隠されているであろうロードの特徴――その殆んどは遺跡の主である神の特性を宿す事が多い――も想像がつかない。
腰の左側に下げた革鞄を漁る。取り出した兄と揃いの懐中時計の針は、もう三時を刺していた。
心許ない足場から前方の闇に顔を突き出す。一瞬、ミズトカゲの柔軟な体の作りが羨ましくなった……。
広がる闇はどこまでも暗く深く、まるで底なし沼のように思える。落ちたら最後、無事に帰る事は出来なくなるだろう。
何か、ヤバいのではないだろうか。いや、恐らく間違いなくヤバいヤマだ。
誰かとパーティを組んで挑むべきだったかもしれない、そんな考えが頭に浮かんで、暁橙はすぐに首を横に振った。
そうしたところで完全にフォローしきれる自信もないし、相手にもそれは求められない。巻き添えで命を落すケースは意外と少なくない。
振り向いたところで兄が居てくれるわけでもなし。極細のワイヤーは変わらず、底から吹き上げる僅かな風に頼りなく揺れるだけ。
今から引き返そうにも結局やる事は同じだ。先のように神経を指先全てに集め、落ちないように祈りながら突き進むしかない。
どうせ恐怖を味わうのに変わりはない。ならば手土産の一つでも持たねば、鳥羽家の名折れだ。
ああ、とも、うう、とも取れる妙な低い呻き声を上げてから、暁橙は予備のワイヤーを懐から引きずり出した。
メインはもう使ってしまった。これ以外にもう一本あるが、メインに比べると長さも強度もやや劣る。無駄遣いは出来ない。

(兄ィ。今日無事に帰れたら、オイラ晩飯はハンバーグがいいなあ)

兄の背中と、馴染みある我が家の立つ丘を思い浮かべる。直後、振り払うように腕を鋭く、素早く振るった。
先端を飛ばす方向、飛距離、巻きつける角度、手元に残す部分、全ての計算を一投に込める。
眼前、極僅かに突き出した蔓植物と浮遊する金属片に音を立てながら鋼糸が絡んだ。幾度か引いてみて外れない事を確認する。
大きく息を吸ってから、短く吐くと同時に靴底で石を蹴った。燐粉と砂埃が軌道を描き、夕焼け色のユニフォームが天を駆ける。
ぐるんと一度、視界が回転した。ワイヤーが浮石一つと凹凸のある三角形の足場の狭間で煌く。天地上下が入れ替わる。
見上げた先、虚空と思われた暗闇の中に光が見えた――硝子だ、淡く色付いた極彩色の硝子が、半球状の天井を覆い尽くしている。

(うっわ、なんっだこれ)

差し込む光はどこから降るものだろう。遺跡は地下深くに存在しており、地上の陽光が届く事はまずない。
桜、薄紅、浅蘇芳、桔梗、竜胆、白藍、秘色、紅掛空……ほんのりと淡い、しかし鮮やかな幾千もの光の破片が視界を染める。
美しいと、純粋にそう思った。
硝子を取り囲む白金の縁取りも、硝子の繊細な色を決して邪魔せず、燐と静かに佇んで暁橙を見下ろす。
植物や風切り羽根をモチーフとした装飾は、遺跡の殺風景さに比べればさも別世界のようだった。
手を伸ばせば届きそうだが手に入れられないのは、満天の星を見上げるのとまるで同じ。
不意に足に違和感を覚え、我に返る。まるで天井に見惚れていた暁橙は、新たな足場に着地したのに気付くのが一瞬遅れた。
本当にそれは一瞬の事で、ひゅっと唇の隙間から零れた息を吸うと共に、彼は靴が乳白色の石版を捕えていたのを見た。
硬い感触が伝わってくる……が、無事に着地出来たのも、それを視認したのも、それこそ一瞬に過ぎなかった。

「――ぅえ、あ、うそ」

身体が傾ぐ。ワイヤーを回収、否、一度指を離そうとして、その瞬間ぐるりと目が回った。
暗闇と冷たい空気の中、全身を回転させながらワイヤー一本で数十メートルもの空間を移動するという曲芸の最中であるにも関わらず、
神々しい光を纏う天井の一点からずっと目を離さなかったからか。或いは油断したからか、ここで集中力が切れたからなのか。
いずれにせよバランスは崩れる。傾くままに身体は宙に踊り出す。
ワイヤーが指から離れた。我に返るより早く、半ば反射で最後のワイヤーを懐から取り出し、天目掛けて放つ。
鋼糸はきゅるきゅると甲高い悲鳴で虚空を駆け上がり、直後、五指には鈍く鋭い手応えが返された。
よし、どこかに掛かった!
目を見開き、点在する足場や浮石に次々と金属片やナイフを次々に刺し、或いは輪を作ったロープを植物に投げ、落下の勢いを削ぐ。
靴底から太腿、腰を重心として腕の筋や肩の付け根が震える。振り切られそうになる衝撃に歯噛みしながら、両手に力を込めた。
落ちるにつれ、空気に砂と黴の臭いが沁みているのに気付く。咳き込みながら最後のロープを投げ切ったところで目を閉じた。

「! ッう」

妙に軟い壁に突き立てた短刀がするすると面白いように繊維を裂き、裂き切ると同時に踵が「地に着いた」。
和らげたとはいえ着地の衝撃は凄まじく、積もりに積もった埃や黴、塵や植物の枯葉などが煙を上げるように宙を舞う。
ワイヤーから手を離すと同時、暁橙はその場にもんどり打って倒れた。
左足に痛み、酷い煙臭さ。ひねったようだ、と再度眉間に皺を作ってから、ゆっくりと辺りを見渡し、地に伏した身体を起こした。
遺跡の底はしんと静まり返っており、生物の気配がまるでしない。この場にいるのは間違いなく自分ばかりであるようだ。
鼻を摘みながら散らばった道具を最低限かき集める。埃や苔の状態からして、ここにもまだ水場か、或いは水脈が存在しているらしい。
水が飲みたいと、無性に思った。
微生物の動きは活発であるらしく、しっとり濡れる苔の傍の壁はじっとりと濡れ、不可思議な色の黴が一面を覆い尽くしている。
痛む足を引きずるようにして立ち上がった。見上げた先、落下地点は遙か遠く、一点の光が微かに放射状に煌めくばかり。
むっとする草の香り。視線を巡らせると、遺跡のあちこちで見かけたツル植物の根や茎と思わしき力強い木々がそこらに蔓延っていた。
最後に短刀を刺したのは壁ではなくこれらしい。ささくれ立った表皮をナイフで削ると、繊維の中に豊富な水の巡りがあるのが分かる。
兄はこういった遺跡の解明をするのも好んだ――いくつか皮を削り取り、腰の鞄にしまい込んでから、ようやく暁橙はため息を吐く。
命あっての物種ではある。助かっただけ、四肢が動くだけ、ここで身動き出来なくなるより遥かにマシだ。
だが光一つない遺跡の底から、如何にしてこの足を使って這い上がり脱出するのか……考えると気が重くなるばかりだった。

「うーん。破片もワイヤーも回収は無理かな。まーた兄ィに怒られるかなー」

ひとまず腰のランプを揺すって夜光虫を叩き起こし、微かに点った明かりを頼りに壁伝いに奥へ進む事にする。
右も左も分からないので、これも結局は勘任せ。指針になるであろう資料も、今日は何も持っていない。

「駄目だー……ハンバーグだけじゃなくてカレーも付けて貰おう」

こんな時でも腹が減るのはごく当たり前の事だ、自分にそう言い聞かせるよりなかった。
文句を言う兄の姿が脳裏に浮かぶ。
労いの言葉よりも心配からくる小言の方が多い兄の事だ、帰還後は長い説教が待っているかもしれない。

(ん? なんだ、あれ)

ふと、視界の端にちらちら揺れるものがあった。
目を凝らせば、それはここら一帯より更に下層に繋がる床に空いた穴から発せられるもので、時折ちかちかと明滅するのだった。
光だ。暗闇を気紛れに照らしては、暁橙の影を壁にぼんやりと映し出す。穴は更に深く続いているようで、光はそこから発せられていた。
遺跡の底の更に底。一本道と思いきや、この遺跡は下へ下へと、まるで蟻の巣穴のようにフロアが続いているらしい。
穴掘り職人にでも掘らせたのだろうか。一度小さく肩を竦めてから、暁橙はひやりとする壁から離れ、じりじりと穴に近寄った。
なるほど、上にいた時に吹き上げてきた風はどうやらこの穴から発生していたもののようで、この辺りは空気が心なしか澄んでいる。
苦労して膝を着きそろそろと頭を中に乗り出してみれば、顔面に勢いよく風がぶつかってきた。思わず目を瞑り顔を反らす。
どこかに亀裂でもあって、外に通じているのだろうか。風は一定間隔で穴の中で渦を巻き、ひとしきり大合唱を上げてから上へと上る。
砂埃を巻き込んでいるのか、頬や顎にぱしぱしと粉がぶつかった。痛いというより痒い。指で取り払ってからゴーグルを外した。
両手を穴の縁につけ、静かに、しかし素早く中を覗き込んでみる。
思ったよりそこは明るかった。いや、予想していたよりも遥かに眩しいくらいであった。
燦然とした輝きが穴の中にあった。
そこは空虚な空間で、上にあったような簡素な石畳と煉瓦の積み重ねによって四方を囲まれていた。例えるなら家具のない空き部屋か。
石版にあったような古代文字などによる装飾はまるでない。ただ、石の一つ一つが丁寧に削られ、見事に磨き抜かれているのだった。
その上、石は全てがきらきらと黄金色に光り輝いており、これまで暁橙が見てきた遺跡のどこよりも豪勢な色彩を放っている。
少なくとも上より丁寧に作られた空間である事は素人目にも明らかだった。何より、空気は湿っているのに黴が一切生えていない。
埃の臭いはまだ残されてはいるが――もう一度風の順行を見送って――改めて、じっくりと穴の中を見渡した。
そうして、暁橙は今度こそ跳ね上がる事になる。

「うお、眩し……ん!?」
「だぁれ?」

何者かの声。舌っ足らずな響き。眼前、部屋と同色の上半身と、対抗するかのような漆黒の下半身。鷲と獅子。緩やかに上がる顔。
思わず短刀を構えれば、眼下のそれは微かに首を傾げて見せるのだった。目が合う。暁橙の黒い眼が、琥珀色のそれを捉えた。

「お前……な、なんなんだよ!? 一体」
「? なにってなんのこと、なんの話? ぼくはぼくだよ」
「そうじゃなくって! こんな所で何を、じゃない、その、一体どういう」

言葉が言葉にならない。突然目にしたそれに、思考が半ば追いついていかなかった。
穴の中には、化け物がいた。
或いは怪物……とにかく、それの姿を、暁橙は兄が所有する分厚い書物の中でしか見た事がなかった。
記憶が正しければ、そもそも生きたそれが目撃されたのだって今から数千年も昔の言い伝えレベルの話だったと聞いている。
上半身は鷲のもの、前足も鷲のそれで、爪は細長く口ばしも鋭利、獲物を追うそれらの目や飛翔能力は、猛禽類特有の鋭さを帯びる。
下半身は百獣の王と称される猛獣の祖先と言われる神獣・獅子によるもので、前足より太く逞しい後ろ足にはそれに相応しい太い爪が
備わっており、獲物を一度捕らえたら決して離す事がないらしい。気性は荒く獰猛で、古より飼い慣らせた試しはなかったとされている。

「『グリフォン』。一部の地域じゃ、グライフとかグリフィンとか言うんでしょ。好きに呼べばいーんじゃない?」

それは丸くなったまま、しかし視線は暁橙から全く離さないまま、のうのうと宣った。
光り輝く上半身と、美しい事この上ない巨大な翼、力強さを伺わせる太腿。確かに、この遺跡には「とんでもない宝」があった。
しかしそれが最早、ヒトを食らうという伝説上の生き物だったとは。まるで夢を見ているかのようだ。
笑い飛ばそうにも、左足が痛んで無理でもこれが現実である事を認識せざるを得ない。とりあえず、と暁橙はゴーグルを付け直した。
風が飛ばしてくる砂粒が痛痒かったのと、正直、穴の内部やこの神獣が放つ金色の光があまりにも眩し過ぎたのだ。

「あー、あのさ」
「ん〜? なぁにぃ」

いつ襲ってくるかもしれない、という恐怖も勿論あった。自分だって命は惜しい、こんな所で肉の安売りなどはしたくない。

「こんな所で出会えるなんて、なんかまるで『運命』みたいじゃん?」

だがそれよりも、暁橙の中では妙な勘が働き始めていた。運命。その一単語にグッと力を込めてみる。
確証などはまるでない。ただ、なんとなく、ではあるが、この猛獣は自分を襲ってこないのではないか。そんな予感があった。
そもそも、この獣は今、肉声を発したではないか。自分という人間と、人間の用いる言葉を使って意思疎通を図っている。
こんな事は彼の書物に書かれていなかった。それはつまり、この獣が「気性荒く獰猛」ではない事の証明になるのではなかろうか。
彼は兄より古代文明について造詣が浅い。それでも兄と同格、或いはそれ以上に、遺跡の中でだけは直感が冴えている自信があった。

「悪いけど、ぼくウンメイは信じない派なんだよね。あいつらいっつも気紛れだもん」
「んー。そうかー。え、そうなの?」
「そーだよ。ウンメイなんて、じぶんの手で切り開くものなのさぁ」
「へえ。お前、大した奴だなあ。オイラもそう思うけど」
「でしょでしょー。ウンメイに縋って、泣き言言って、どうにかなった試しなんてないもんねー」

どうにもご高説を唱えるのが好きな獣だ。畳んだ翼を広げ直し、器用に耳(?)の後ろの辺りを掻いている。
これなら、もしかしたらいけるかもしれない。胸が躍るのを暁橙は感じた。

「あのさ、それは置いといて、オイラお前にちょっと頼みたい事があるんだけど」
「え……たのみたいこと? ぼくに?」

否、別段そんな複雑な話でもない。暁橙の考えは、もっと根本的に簡単なものである事の方が多いのだ。
「話してみる価値はあるかもしれない」、それを初めて見た時、ふと思い浮かんだ妙案を試したくて仕方がなかった。
ただそれだけ。神獣側の事情は知らないが、もしかしたら「脱出」の糸口を見出したような気がして、とても黙っていられなかった。

「そ、そ。俺は暁橙。トバ、アキト。お前の名前は?」

試したいという意志と好奇心が、風に紛れ、穴の中でがなるように彼らの間で声高に悲鳴を上げている。
夜光虫が忙しなく硝子瓶の中で蠢き始めた。時刻は、じきに夕刻を過ぎる頃と予想された。






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 UP:13/10/28