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楽園のおはなし (1-34)

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その部屋に生活感はなかった。天井、壁、床に至るまで白亜に染まる室内は、点々と刻まれた金の模様も相まって、どこか神々しくもある。
辛うじて揃えられた家具は寝台が一つ、その横に小さな棚と本棚、部屋の隅には白い煉瓦造りの暖炉と、小さめのテーブル、椅子が一脚。
造りこそ簡素なものばかりだが、その実どれもが機能美と黄金比を兼ね備えた一級品である事は、目利きならば理解出来そうなものだった。
今、椅子に腰掛けながら、一人の男が黒い表紙の文庫に目を落としている。色素の薄い髪と肌、線の細い体格に、青灰の瞳。
かといって不健康そうな様子ではない、ただ単に、彼の容姿が神話に出てくる天使や精霊のように美しさに富んでいるというだけだった。
ふと、彼は次のページをめくろうとした手の動きを止める。何かを思い出したように空を見上げ、ごく僅かな溜め息を吐いて見せた。

「その様子では、雷霆の奪還には至らなかったらしいな」

室内にいるのは彼一人。だというのに、彼は姿の見えない何者かに語りかけるように声を漏らす。そこには明らかな落胆が込められていた。
するとどうだ、彼の前、テーブルを挟んだ向かい、暖炉の前に突如として無数の黄金の光の帯と孔雀の尾羽が湧いて出る。
円環を描くような動きは、さながら手鞠を編んでいるかのようだった。二、三秒も経たないうちに、それは一つの人影を形成する。

「申し訳ありません。いくつか火急に報告申し上げたい件が出来ましたので、一時帰還しました」

人影は、あのミカエルだった。現れると同時に跪き、男から二の句を告ぐ許可が下ろされるのを待っている。
男は嘆息した。落胆から一転、呆れたような、苦笑するかのような、そんな親しみが込められた短い溜め息だった。

「喰天使絡みとなれば、そう一筋縄ではいくまい。気に病むな、それで、ミカエル。急を要する報告とは?」
「は、雷神の雷霆ですが、鳥羽藍夜の手から、半覚醒状態の審判官の手に移りました。天候操作能力についても健在のようです」
「半覚醒? ……告知天使は未だ不在の筈だが」

男は顎に手を当て、喉奥で小さく唸る。外見こそ二十代も半ばといった体だが、その仕草には老齢の賢者のような厳格な雰囲気があった。
鳥羽藍夜、雷神の雷霆。鳥羽瓊々杵らの商売は、ホワイトセージを拠点として密やかに、ささやかに営まれていたものの筈である。
だというのに、この男はミカエルから直に話を聞き出すより早くその存在を把握、認識していた。
さも、雷霆が過去、自身の所有物であったと言わんばかりの態度であった。

「それとも、連中の元に告知天使が紛れたか」
「それはありません。未だ行方が分からないという点だけは、他の天使達からの報告で聞き及んでいます」
「となると、高位神具か、或いはレテの水か」
「お言葉ですが……人間の身で、あの冥き河の元に辿り着く事など、到底不可能です」
「そう思うだろ? ふ、人間というのは面白いぞ。見くびると痛い目に遭う」

男は心底愉快そうに笑みをこぼす。ミカエルは自分には理解出来ない、と言わんばかりの複雑な表情で彼の顔を見上げていた。

「それで、他に報告は。審判官の件のみか」
「はい。審判官、殺戮、悲劇、喰天使の四名以外に、あの方の元で雇用されていた魔獣の姿が確認出来ました」
「魔獣、グリフォンか。そういえば、何頭か珍しい個体を飼育していたのだったな」
「それ以外にも、人間の身でありながら神具を操る技能を持つ者が数名。引き寄せられた、としか思えません」
「それはお前の推測ではないのか」
「お言葉ですが、『運命』の歯車の稼働については貴方様から現存しているとの教示を受けたばかり。気のせい、で片付けるには早急かと」

ふと、空気が変わる。男は本を卓上に置き、やおら上半身を前に乗り出した。その顔が、捕食者に似た険しく恐ろしいものに変貌する。

「万一、連中の中に冥府の女神に近付いたやもしれん者があったとなった場合。我々はどうするべきなのだろうな」

詰問というよりは、独白に近い。膝上に乗せた手は、返答次第ではミカエルをどうにかしてくれようか、という悪意に満ちていた。
ミカエルの表情は変わらない。ただただ透き通った眼差しが細められた男の双眸を見ている。先に折れたのは、やはり男の方だった。

「お前は昔から真面目すぎるな。冷やかしにも本気で反応せずとも良い」
「は、恐縮です」
「ふ、全く……雷霆の件はしばし放っておけ。喰天使はおろか殺戮の動向も見えんのだろう、様子見で構わん」
「ですが、それでは」
「今は例のものとガブリエルの捜索優先で良い、皆まで言わねば分からぬわけでもあるまい?」

解かれた手のうち、右手が差し出される。ミカエルは向けられた手のひらを一瞬じっと凝視した。直後、頭を下げおもむろに翼を広げる。
出現した時に同じく、金色の帯と褐色の尾羽達を宙に綻ばせながら、天使長は男の前から下がり指示された任へと飛んだ。
真面目だがその割に登場演出は派手だな、と男は言葉は吐かず、感心したように小さく頷く。

「ふ、喋るだけでも一苦労だ」

だらしなく椅子の背もたれに背を預けた。心底疲労、疲弊したという風に大きく息を吐き、長い足を無造作に伸ばし天井を見上げる。

「『捜されるのもイヤだ』と拒むほどわたしが嫌いか、案ずるのも迷惑だと言うのか……随分と、嫌われたものだ」

誰にともなく吐かれた言葉は、誰から返事をされる事もなく宙に溶けた。






「ええと、あの……お茶でも飲みませんか。皆さん、疲れていらっしゃるでしょうから」

語尾を震わせながら、遠慮がちにアンブロシアが声をかける。彼女の眼前、オフィキリナス喫茶店フロアには常の面子が勢揃いしていた。
店主は眉間に深い皺を刻んでそっぽを向き、その向かいの床上ではニゼルが正座し、彼の横に、同じく人型姿の琥珀が正座させられている。
とはいえ、琥珀は足を崩したり手足をばたつかせたりして無言の抗議を続けていた。二人と一匹を、暁橙が愛想笑いと共に見守っている。
帰宅した途端に、これだ。いつもの光景と言われてしまえばそれまでだが、今日は正座以降の説教が降っていない。これは珍しい事だった。
最も、それだけ藍夜の怒り――とは名ばかりの八つ当たり――が尋常ではないほど蓄積されてしまっているという事かもしれないが。

(だからって、もう一時間もこれなんですよ? もう、皆無事だったんだから良かった、じゃ駄目なんでしょうか)

アンブロシアがそっと嘆息すると同時、彼女の持つ盆に手が伸びてくる。コーヒーの入ったカップが一つ横取りされていった。

「……泥棒が、被害者側の資産に手を着けないで貰いたいものなんだがね」

アンブロシアが何か言う前に、すかさず藍夜がコーヒーを啜った男に非難を飛ばす。

「飲んで欲しくねぇんなら、初めっからアクラシエルに釘でも刺しとけよ」

二口目を啜りながら、ノクトは涼しい顔をしていた。既に彼は通常営業なのか、これは美味い豆だな、などと感想までこぼす始末である。
アンブロシアは、泣きたいような、逃げ出してしまいたいような複雑な心境だった。何故、彼らはここまで険悪なのだろう。

(ロードを、ご両親の形見を奪われて、家屋を破壊されて……それは分かるんですけど、でも、なんでしょう。それだけじゃないような)

彼がウリエルであった頃、ノクトと争うような事件でもあったのだろうか。だとしても、それはもう何年、否、何百、何千年前の話なのか。
……分からない。アンブロシアは、当時あまりにも幼かった自分を今更ながらにそっと恨んだ。

「ねえ、藍夜。結局さ、藍夜って、やっぱり天使様なの?」

ノクトがコーヒーを嗜む音のみが響く中、沈黙を破ったのはニゼルだった。一斉に集まる視線にも怯まず、彼はじっと親友を見上げている。

「ミカエルだっけ、あいつが俺の言葉ですんなり引き下がったっていうのが、何か腑に落ちないんだよね。藍夜は何か知らないの?」
「……僕だって、相手が憎き天使なら何でもお見通しというわけではないんだよ、ニゼル」
「あ、やっと口利いてくれた」
「ニゼル、君にはきちんと反省する気があるのだろうね?」
「あるよー、あるある。ごめんね?」

ニゼルの口調は軽い。いつも通りにへらりと笑った幼なじみを見て、藍夜は毒気が抜かれたように大きな溜め息を吐いた。
ニゼルと琥珀、それぞれに姿勢を楽にするよう指示を出し、双方が椅子に腰掛けたのを見計らってからアンブロシアから茶を受け取る。
熱い湯気を立てる緑茶を一口だけ啜り、藍夜はもう一度大きく溜め息を吐いてから、言葉を探すように天井を見上げた。

「ミカエルは、僕が……そう、僕はどうやら、生前は天使であったらしいのだよ、ニゼル」
「らしい? ええと、藍夜には前世の記憶があるとか、そういう系?」
「遠回しに言わなくとも、自分でもおかしい話だという事くらいは分かっているさ。しかし事実だ。僕は、生前はウリエルと呼ばれていた」

藍夜はちらとサラカエルに視線を送る。殺戮の天使は受け取った紅茶を素知らぬ顔で口に含んでいた。無言、ひたすらに無言でいる。
人間界に戻ってすぐ、アンブロシアに押し切られる形で入浴と着替えを済ませた彼は、今は鳥羽瓊々杵の衣服をしぶしぶ借用していた。
体格が似ているのか、生地が縮んでしまっているのか。全身が地味な色合いでありながら、サイズ共々、それなりに様になっている。
とはいえ、いつもなら――娘の服選びのセンスも含めて――話の最中に皮肉か嫌みを飛ばしてくる筈の彼が今日はずいぶんと大人しい。
機嫌が悪いのかと一瞬思考して、藍夜はすぐに頭を左右に振った。
ウリエルの事は自分で語れ、という意味だろう。昔からサラカエルは対存在には甘かったが、彼は馴れ合いを良しとしない気質も保有する。
境界への転移術といい、天国の軍勢の足止めといい、彼には面倒をかけた。ノクトとの関係を追求するのは後にするか、と藍夜は思い直す。

「ウリエルというのは、サラカエルの対天使でね。最後の審判という、ちょっとした大仕事を請け負う天使だった筈だ」
「なんか、自分の話なのに他人事すぎじゃない? 藍夜」
「分かりやすく客観的に纏めているだけの話さ、ニゼル。僕の主観が入ったら、今後僕をどう扱ったらいいか、君達の方が困るだろ」
「うーん」
「とにかくだ、ミカエルは天使達を束ねる長だったから、僕の様子を探りに来たといったところだろう。何せ『鳥羽藍夜』は人間だからね」

ニゼルは腑に落ちない、という顔をした。こちらも実のところは同じ気分だ、とまでは藍夜は口にしない。
告知天使ガブリエルの関与なく、レテ河の水によって自分は強引にウリエルとしての記憶と能力を取り戻した。
命を救ってくれたニゼルには感謝している。かといって、一連の出来事は藍夜にとっても急な変化だった。ニゲラの事もある。
ウリエルと鳥羽藍夜の境界はあまりにも曖昧で、実感は追いつかず、後悔と悲しみは払拭しきれず、霧中に取り残されたような心地でいた。

「……僕らはこれまでの間、ミカエルとは特に接点がなかったんだ。姿形や彼の評判は知っていたけど、そもそも直属の上司が違うからね」

藍夜をフォローするように、サラカエルがぽつりと話を繋げる。ぱっと視線を移したニゼルの目が、きらきらと意味深に輝いた。
対天使に礼を言う暇もない。藍夜は嘆息し、次に続くであろう友人の台詞に予測を立て、うんざりといった風にうなだれる。

「そうなんだ。ねえ、サラカエル。藍夜、えーと、ウリエルって、どんな天使だったの?」

案の定だった。彼の好奇心は今に始まった事ではないので、自重を促すのも無理な話だ。本日、何度目か分からない嘆息が口から漏れる。
藍夜の心境を察してか、サラカエルは口端を釣り上げわざとらしく笑った。さてね、とは口先ばかりで、首を傾げ愉快そうに笑んでいる。
悪趣味め、口内でそう呻いた後で、藍夜は自分も彼にどうこう言えるような性格ではないかとはたと思い直した。溜め息が止まらない。

「僕に聞くより、ご本人に聞いた方が早いと思うけど。ご友人、なんだろ」
「うわ、嫌みくさっ。んー、ねえ、藍夜、」
「お断りだよ、ニゼル。僕は鳥羽藍夜であって、ウリエルの事はもう昔の話だ」
「ええ? いいじゃない、教えてよー。ねえ、ウリエルってどんな感じだった? 藍夜に似てる?」

ニゼルのみならまだいい。しかし、藍夜の予想はことごとく当たってしまう。話に食いつかんと、身を乗り出してきた者が他にもいたのだ。

「兄ィ、兄ィ。オイラもその話聞きたいなー。ほら、確かコハやシアだって、そのウリエルさんがいたとこで働いてたんでしょ?」
「ウリエルさんって……君ね、暁橙」
「兄ィの話だもん。ニジーさんだけじゃないよ、オイラだって聞いてみたい! 何なら、今日のおやつ我慢するからさ!」
「えぇ〜!? おやつガマンーなんて、暁橙に出来んの〜?」
「なんだよコハ、失礼だなー。オイラだってそれくらい頑張れば出来るって。ね、ニジーさん」
「そうそう、ね、藍夜。俺からもお願い! 俺のおやつも藍夜にあげるから!」
「ずいぶんと安いお願いなものだね、君達」

ニゼルのみならず、暁橙まで。それだけではない、琥珀やアンブロシアまでもが語られるのを今か今かと待っているような素振りだった。
身内の二人は別として、後者はウリエルと同じ神殿に仕えていた筈なのに何を今更聞きたいと思うのか。藍夜には理解し難くもあった。
サラカエルに一瞥を投げてみる。彼はこちらを向いてはいるものの、茶を飲むふりをして、くつくつと笑いを噛み殺しているところだった。
……本当に意地が悪い。しかし、自分も同じ境遇に置かれていれば、やはりサラカエル同様、笑いを堪えるだけで済まそうとするだろう。

「類は友を呼ぶ、か」
「藍夜? 何の話?」
「いや、こちらの話さ」

人生、諦めも肝心だ――ふと藍夜は、父瓊々杵のの言葉を思い出した。あれは確か、暁橙とおもちゃの取り合いをした時の教えの筈だ。
こんな時に思い出すとは、自分の記憶力は一体どうなっているのだろう。とはいえ一同が容易く諦めないであろう事も理解はしている。
人徳か、面白半分か、それとも単なる興味本位か。いずれにせよ、藍夜の話が始まるのを皆が心待ちにしているのは確かだった。

(父さん。肝心と言われても、僕は僕で、なかなか我が儘を言われたい放題されているだけのような気がしているよ)

自嘲と照れ隠しで自然と口端が上がる。椅子にまっすぐ座り直し、アンブロシアが淹れた茶で舌を湿らせてから、藍夜は静かに口を開いた。






「何から話したらいいのか……僕とサラカエルは、ヒトと天使のうち、神にとって害悪と呼ばれるであろうものを淘汰する為に創られたのさ」

どうやら、話のスケールが想像以上に大きかったらしい。ニゼルは忙しく目を瞬かせ、暁橙は眉間に力を込めて何か言いたそうな顔をする。
藍夜は構わず話を続ける事にした。どのみち現実離れした話であるのに違いない。自分自身も、地に足が着いていないような心地なのだ。

「そもそも、天使は神が世界を創世した後に作った道具、しもべのような存在でね。根本的に、人間とは創られた目的が違っているんだ」
「よく分かんない……んだけど、それなら人間はなんで作り出されたの? 神様の気まぐれとか?」
「いいところを突いているよ、暁橙。使う事を目的に創られた天使と違って、人間達には初めから、ある程度の自由が与えられていたのさ。
 工芸、酪農に励んでもよし、勉学に勤しんでもよし、もちろん神々を敬い信仰する事もよしとされていた。ある意味、対等であったんだ」

ここまでは伝記や神話、古文書の類に記され、古来から人々に当たり前のように信じられてきた話の筈だ。藍夜は深々と息を吐く。
ウリエルの過去を語るなら、それ以降、そこよりもっと深い、天上界の中でのみ語り継がれていた部分を掘り返さなければならない。
荷が重い……そう思うと、自然と溜め息がこぼれていくばかりだった。

「神々は、人間に自由を与える反面、ルールやモラル、良心の指針といったものを示した。平たく言えば、思い通りに飼い慣らそうとした」
「飼い慣らすって。ペットじゃあるまいし、そんな大げさな!」
「神々の目線とは、そんなものさ。さっき話した通り、僕とサラカエルは、その規範から反れた人間や天使を戒める仕事を任されていた」

視線を落とし、両手を見つめる。鳥羽藍夜の手。食事や収穫といった生存競争は別として、まだ何者の命も奪った事のない、穢れのない手。
拳を作り、力を込めた。浮かび上がる血管、その内側を血潮が行き交う光景。その様が、鳥羽藍夜とウリエルの決定的な違いを語っている。

「何回仕事をしたのか、もう思い出すのも困難だ。神は、離反した者には厳しかったからね。僕らはずっと、大昔から仕事に勤しんでいた」

ウリエルとしての存在意義に、審判によって裁かれる者達に、疑問、同情の念を抱いた事はなかった。
サラカエル共々、過去の自分は文句のつけようがないほど仕事熱心で従順で、神の命令に背いた事のない天使だったから。
この手が、術式が、何百、何千の生命を摘み取ろうとも、神々がそれを良しとする限り罪悪感など抱く暇もない。今も鮮明に覚えている。

「生まれてどれくらいの歳月が経ったか……そんな僕らにも、ある日、転機が訪れたんだ」

藍夜は目を細めた。追憶の方向性は、急激に翻る。不明瞭、朧気な記憶を、記憶の深淵から強引に掘り起こした。
……在りし日のニゲラが、ウリエルにとって最愛の唯一無二の娘が、こちらに幸せそうに微笑みかけている。

「僕らは、とある神に導かれ、地母神ヘラ様に拾われた。その日から、僕らの在り方は少しずつ変わっていったんだ」





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 UP:18/04/24