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楽園のおはなし (1-29) BACK / TOP / NEXT |
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「アジト、っていうか、なんか無駄にスゴイ建物じゃない? これ」 始めに声を漏らしたのは暁橙だった。藍夜は同意見だ、と内心で同意してからサラカエルを盗み見る。 サラカエルは暁橙の呟きに反応せず、むしろ兄弟とはまるで正反対の方角、草原の彼方を睨みつけていた。 藍夜は屋敷に視線を戻す。訪れた招かれざる客である鳥羽兄弟、サラカエルを嘲笑うように、屋敷は沈黙を続けたままでいた。 乳白色に彩られたレンガと、臙脂色に塗られた屋根。庭に点在する手入れの行き届いた広葉樹、見事な噴水と、敷き詰められた白いタイル。 ツタ植物を模した形状の先端飾りと、黒塗りの細くぴんと伸びた柵にぐるりと周辺を囲まれ、ある種の威厳を保つ裕福な造りの屋敷。 柵と同じく、黒色の飾り枠がはめられた窓の向こう側は深紅の分厚いカーテンで覆われていて、内部の様子を覗き込む事は難しい。 藍夜は、これ高そう、と外壁を指でなぞる暁橙を軽く制止し、一人やや離れた場所に立ったまま、微動だにしないサラカエルに目配せする。 対天使であるからか、意志の疎通は申し分ないらしい。タイミングよくこちらに振り向いたサラカエルは、眉間に小さな皺を刻んでいた。 「サラカエル、君、どう思う」 「そうだね。中に、ニゼル=アルジルの気配があるのは感じるよ。君もそうだろ、ウリエル」 「いや、僕はそんなには。しかし、この場に居続けるというのも」 「賢い選択ではないだろうね」 藍夜たちは、屋敷のすぐ傍、鉄柵の内側に立っている。その向こう、サラカエルが再び視線を動かし、鋭い眼差しで見据える先。 遠く離れて見える地平線の方から、物々しい音の群れと土煙が立ち上がっていた。暁橙が目を凝らすが、何かを見つけるには至らない。 「眼」を起動し、藍夜はサラカエルの言葉の意味をすぐに知る事となった。……柵の向こう側から、無数の天使達が押し寄せようとしている。 「……随分と、物騒なものだね」 「やあ、ノクトは恨みを買うのが好きらしいね」 「兄ィ? あれってなんなの?」 「天使の群れだよ、暁橙。ここに僕らが残るのは、少し都合が悪いようだ」 いくら自分がウリエルとして覚醒したとはいえ、肉体は人間――告知天使から告知されていない為――のままだ。不完全な器でしかない。 暁橙は言わずもがな、いくらロードを持たせてあるとはいえ彼は生身の人間だ。多数の天使を相手に出来るとは流石に思えなかった。 彼らの目的も不明である今、この場で待ち受けるのは得策ではないだろう。思考を切り替えようと、藍夜は視線を柵から屋敷の方へ戻した。 腰に下げた雷神の雷霆を引き抜く。暁橙に手招きし、藍夜は屋敷の周囲を歩いた。幸いにも、裏口らしき黒い鋼鉄製の扉がすぐに目に入る。 サラカエル、名を呼び対存在に意見を伺うと、早く行け、というように片手だけがひらりと振り返された。藍夜は頷き返し、扉に向き直る。 躊躇うように兄と天使を見比べる弟を余所に、藍夜は重厚な造りの扉に手で触れた。やはり魔法がかけられているようだ、施錠されている。 「さて、暁橙。不法侵入といこうじゃないか。覚悟を決めたまえ」 「え、不法侵入って。まさか、兄ィ」 「そのまさかだよ」 肩を竦め、藍夜は手にした雷霆の先端を扉に向け、短く古代語を紡いだ。青白い雷光がロードの表面を這い、たちまち荒ぶる雷に変わる。 刹那、青白い雷は意志を持つ腕のようにまっすぐ走り、鋼鉄製の扉は大音とともに人が通り抜けられるほどの大きさの穴を開けていた。 暁橙があっと叫ぶ暇もない。飛び散る破片と薄れゆく白煙の向こうには、長い廊下と深紅のカーペットが無限に続いているのが見える。 サラカエルに振り返らず、藍夜はその穴にさっと飛び込んだ。軽々と廊下に着地し、行くよ、と暁橙を急かして暗がりの中に消えていく。 始め、暁橙はサラカエルを置いていく事に躊躇した。しかし、兄に立ち止まる気配はない。そもそも、彼はこちらに振り向きもしなかった。 着いてくる筈だと決めてかかっているのだ。唇を結び、暁橙は五秒ほど遅れて後に続く。足音は敷物に吸われ、ほとんど響かずに終わった。 「やれやれ。本当に、僕はウリエルに頼りにされているんだな」 くつくつと笑い、一人取り残されたサラカエルは、軽く二の腕を上下させる。その手には、当然のように二振りの凶刃が握られていた。 既にワイヤーは張り巡らせてある。さて、どこまで踏ん張る事が出来るかな――独りごちた青年の顔は、心底愉快そうに笑っていた。 柵を強引にねじ切り、或いはひしゃげさせ、乗り込んでくる天使達。その数、百はくだらない。怒声と罵声とがサラカエルの鼓膜を打つ。 やはり襲撃が目的。彼らの手には武器が握られていた。槍、薙刀、長剣、戦斧……飛び交う指示から察するに、平和的解決は望めそうにない。 一方、サラカエルの思考は冷えている。ねじ曲げられた柵を見て、美しい芸術品が台無しだ、と殺戮の天使は鼻で嘆息しながら前に出た。 「貴様っ、サラカエル!? 喰天使はどこだ! 邪魔立てすると言うのなら――」 一閃! サラカエルが片腕を振るうや、風切り音が宙を駆け、一歩前に出ていた分の片足がねじ切れる。対峙していた中級天使は悲鳴を上げた。 鮮血が滴り落ち、地上の草をあっという間に深紅に染める。天使達の間に、動揺とざわめきが広がった。武器を持つ各々の手が震えている。 「――で、邪魔立てすると、なんだって?」 鋼糸を引き寄せ、照準を改めるサラカエル。苦悶する先の天使も含め、宙に並んだ天使らの顔を、右から左へ順々に眺めていった。 夜色の翼、四枚全てを広げる。威嚇、警告……それが合図だ。顔を上げた殺戮の天使は、凶悪さを顔面に張り付け、笑んでいた。 「さて。吊すか、焼くか、刺し貫くか」 天使達の鼓膜に、体に、戦慄く足に、怒声を吐き散らさんとした喉笛に。あの刹那のうちに瞬く風切り音が這い寄る。殺戮劇が、始まった。 「無駄にスゴイ建物」。数分前に暁橙が呟いた屋敷に対する率直な感想に、藍夜は廊下を駆けながら同意するより他にならなかった。 何度目かの曲がり角、傍らの見事な装飾のチェストと花瓶の影に身を滑り込ませ、廊下の様子を伺う。何もない、藍夜は後方へ手招きした。 一拍遅れて、背後を警戒していた暁橙が身を小さくしながら駆け寄ってくる。隣にしゃがむと、倣うように首を乗り出し左右を確認した。 「(兄ィ、向こうも扉ばっかだよ。どうしよう)」 「(かといってだ、暁橙、迂闊に『眼』を使って居場所を掴まれては本末転倒だからね)」 小声と目配せ。暁橙はうんざりしたように来た道を振り返り、藍夜は嘆息混じりに左へ曲がるよう指示を出す。頷き合い、左手へと進んだ。 屋敷の内部は、窓の殆んどがカーテンで閉じられており、またシャンデリアやランプも点灯されておらず、日中である筈なのにほの暗い。 見つかるわけにはいかないと、鳥羽兄弟は物陰に身を潜ませながら壁伝いに屋敷の中を探索する。足取りは慎重にならざるを得なかった。 何せ、ノクトに見つかってしまえば恐らく「喰」が待っている。ニゼルらを救出する前に自分達が消滅してしまってはどうしようもない。 ……見つからないようにという点においては、この場では藍夜、もといウリエルの操る瞳術を使用する事はあまりにもリスクが高かった。 天使のうち上位クラスの存在には、自分以外の天使の動向や器の状態を、相手側の魔力の動きを経て感知する技能が備わっている事が多い。 侵入した事、鳥羽藍夜がウリエルとして覚醒したての身である事、何より人間である暁橙が同行している事だけは伏せておきたい。 「(いっそ、どれか扉、開けてみちゃう?)」 「(止したまえよ。何が出てくるか分からないじゃないか)」 けど、と弟は不満げな様子。彼の事だ、焦っている部分もあるのだろう。暁橙は手近なドアノブに手をかけるも逡巡しているようだった。 弟の気持ちも汲んでやるのが兄というものだ――生前の父の言葉が、ふと頭を過ぎる。こめかみを指で押さえ、藍夜は小さく喉奥で唸った。 ……自分は鳥羽藍夜であり、ウリエルでもある。彼らの中間地点たる立ち振る舞いを探るのは、霧の中を模索するように難しい。 致し方なし。振り向き、藍夜は暁橙に向け親指をちょいちょいと動かし、触れている扉を開けてみるよう指示を出した。暁橙は破顔する。 げんきんなもので、彼がうきうきと扉を開こうとする姿を見ると、藍夜は自分の心の奥がぽっと暖かくなっていくのを感じた。 「誰かー……いる? いない?」 暁橙がそろりと扉を開け、室内に半身を潜らせる。その横で、廊下の様子を警戒しながら藍夜は弟の後に続いて視線だけを中に走らせた。 室内は暗い。ざっと見た限り、必要最低限の家具や収納を揃えた客室といったところだろうか。何者の気配もなく、静まり返っている。 暁橙が先に侵入し、藍夜もそれに続いた。家具はどれも華美な装飾に彩られていて、一式揃えるだけで相当な金額を要する事が想像出来る。 所狭しと並べられた様を見て、藍夜は眉根を寄せた。家具選びのセンスといい、配置の仕方といい、この屋敷の主とは気が合わなさそうだ。 しかし、それだけ身を隠すスペースが多いという事でもある。警戒する藍夜を余所に、暁橙は室内の目についた扉を次々と開いていった。 「誰かいる? いたら返事しろよーって。おーい」 「暁橙。君ね、もう少し警戒心というものをだね」 「だってさ、兄ィ。ここ、誰の気配もしないし、匂いだって籠もってないよ」 暁橙は腰に下げていたランプを軽く左右に揺すり、中で休んでいた夜光虫を叩き起こして灯を点けさせる。室内が僅かに明るくなった。 暁橙の言う通り、最早兄弟の声は耳を澄まさなくとも聞こえるほどの声量だったが、それに驚き隠れるような気配や物音、反応は何もない。 それでも用心は必要だよ、藍夜は改めて弟を窘め、壁際に耳をつけ、拳を作った手でレンガ製の壁をこんこんと軽く素早く叩く。 本物の盗賊みたいだ、と宣う暁橙に反省の色はない。兄に倣うようにべたと壁に耳をつけ、弟もまた反応が返されないかと耳を澄ました。 ……二人で顔を見合わせる。埒があかないね、兄がそうぼやき。もう全部開けてっちゃおうよ、弟は困ったような顔をして笑った。 ひとまず廊下に出る。さてどうするか、と互いに左右を見渡す途中、ふと藍夜は己のエプロンに下げたままだった袋の存在に気が付いた。 アルジル羊毛で編まれた、小さな袋。藍夜は、兄の意見を聞こうと振り向いた暁橙に、ピッと片手の手のひらを垂直に立てて見せる。 「どうしたの、兄ィ」 「いやね、暁橙。僕とした事が、肝心要のものを忘れていたようだよ」 腰の紐から袋を外し、繊維を痛めないよう丁寧に袋を開き、中身を取り出した。藍夜の手元を覗き込んだ暁橙が、あっと短く声を上げる。 それは藍夜のみならず、暁橙にも見覚えがあるものだった。藍夜が愛用する懐中時計と似たようなサイズの、金色に輝く中級ロード。 「金匙の羅針盤」。その名の通り、小振りなスプーン状の金具と、その下に敷かれた四角形の金属製文字盤により構成される支援型神具。 藍夜が慎重に匙に指で触れると、微かな揺れと共に金具が回り始め、そのうちある記号の上に先端――つまるところ磁石の針――が止まる。 「『羅針盤』というからには、捜し物には最適さ」 ぴたりと金具の先が指し示す方向。日当たりがより悪くなる右側の廊下に兄弟は視線を動かした。明かり一つない道は、果てしなく暗い。 アタリだろうね、肩を竦めて藍夜は羅針盤をしまい込む。大きく首を縦に振り、暁橙も後に続くべくランプの中に粉末の餌を振り入れた。 ……金匙の羅針盤は、古き時代、東方の旅商人らが使用していた現物の模範品である。物体の大きさとしては、実物よりも遥かに小さい。 この神具には、磁石について見解を述べた、ある偉人の心が込められているらしい。探し物がある際に在処に導いてくれるとされている。 幼い頃、「迷子にならない為のおまじない」と称して、父瓊々杵から卸したてのところを藍夜が直に譲り受けたものだった。 よもやその数年後、真の意味でこれを使役する事が出来るようになろうとは。当時の自分も父でさえも、にも思わなかったに違いない。 「(北? 今のところ、何の音もしないけど……)」 「(信ずるより、他ないさ。何せ、これの能力は本物だよ)」 小声でやりとりしながら、藍夜と暁橙は右手、北に伸びる廊下を静かに進む。何度目かの曲がり角が近付いた時、ふと暁橙の足が止まった。 すぐ近くの扉をしきりに指差す。首をにわかに伸ばし、藍夜はこくりと頷いた。暁橙は兄から視線を外すと、慎重な手つきで扉に触れる。 エイヤッ、声には出さずとも意気込みは感じられた。勢いよく扉を開け放ち、暁橙は藍夜が止めるのも聞かないまま室内に飛び込む。 「っ!? 兄ィ!」 「暁橙。だから君はね、もう少し警戒心を、」 「……あれぇ、その声、あいやぁ?」 聞き覚えのある声がした。 暁橙を叱るのを忘れ、藍夜は声の出所を探り、部屋の隅に視線を走らせる。直後、彼は弟が驚くのも無理はないと納得する運びとなった。 「やっほぉ〜。あのさああのさあ、悪いんだけどー、このジャマなの、外してくんない?」 見るからに頑丈そうな重石と鎖が、抵抗の所作を封じている。金色の首輪をはめられ、痛々しい姿でうずくまっていたのは琥珀だった。 変わらず原型の姿のままだが、見たところ目立った外傷はない。互いにほっと胸を撫で下ろす兄弟だが、駆け寄った暁橙ははっと息を呑む。 「コハ! お前っ、どうしたんだよ? なんか、すんげー痩せちゃってんじゃん!」 「あー、ノクト? だっけ? ソイツに首輪かぽってやられて〜。そしたら、力出なくなっちゃった。ゴハンもずっと食べてないんだ〜」 琥珀に着けられた首輪と重石を繋ぐ鎖には、どの鎖素子にも古代語が刻印してある。恐らくは魔獣封じの呪いだ、藍夜は眉間に皺を刻んだ。 手で引き千切ろうとした暁橙はあまりの頑丈さに肩を落とし、様子見に手を伸ばした藍夜は突如として指に走った痛みに手を引っ込める。 静電気に似た痺れは、簡易な天使避けの反射魔法だろう。こちらの考えはお見通しという事か。涼しげな喰天使の顔を想像し、歯噛みした。 「食事が摂られていないという事は、戦力は半減もしていると見込んだ方がいいかもしれないね」 「兄ィ、そんな、戦力とか言ってる場合じゃ……とりあえずは、無事だったんだから」 「暁橙。先の天使どもを見ただろう。最悪、琥珀をここから救出したとして、この状態では僕達が庇いながら立ち回る事になりかねないよ」 お見通し、否、見透かされている――舐められていると藍夜は思う。しかし、実際ノクトを甘く見ていたと己を責めざるを得なかった。 意図的に、喰天使はニゼルのみならず琥珀をも連れ去っていたのだろう。そうするメリットは十分あると、早いうちに見抜かれていたのだ。 (いや、舐めていたのは、僕、『僕達』の方か。まいったね) ……思えば、「ウリエルとして」ノクトと出会い話をするようになったのは、ヘラの神殿内、ニゲラと出会ってしばらく後の話であった。 外見こそ二十代後半といったところだが、当時から彼は孤高で、誰と接する時も一線を引くように振る舞い、独自の価値観を大切にしていた。 それに加えて、輪廻転生の概念を当然のように保有する天使種でありながらウリエルらよりもずっと長い間、同じ器を使い続けている。 長寿である事は、天使という生き物である以上、共通事項だ。しかし、そんな中でも同一の肉体を保持し続ける者は実はそう多くない。 「俺は無駄に長生きしてるからよ」、自嘲するようににやりと笑うのが、半ば彼の癖だった。 使い込んだ仕事道具と同じで、同じ器は使い勝手がよく、自由が利く。天使種の特許といえる輪廻転生のシステムには欠陥もあったのだ。 つまり、転生した新たな器には天使としての使命は引き継げても、それまで覚えてきた経験則までは持ち越す事が出来なかったのである。 そういう意味で、ノクトは始めから独特の地位を保有し続けていた天使であると言える。無駄に長生きというのも、誇張ではないのだ。 古参、古株、古顔。喰という能力、長きに渡り培ってきた直感、経験、観察眼。上位天使の中でも、喰天使は当時から特殊な立場にあった。 その座に甘んじる事なく、彼は今も昔も、神々をも脅かす事の出来る唯一の存在としてありとあらゆるを上方から睥睨してきたのだろう。 古き時代、それこそウリエルらが「審判」を起こす度に、人生をリセットされる間でさえ。ノクトはずっと、その光景を見続けてきたのだ。 そんな男がこちらの反撃を許し、ましてや先手を打たない筈がない。琥珀は体のいい餌だ――恐らく、ここにいる事は知られてしまった。 (僕がウリエルである事は、まだ知られていなかったとしても、だ。サラカエルの性格や行動基準などは、筒抜けになっているのだろうね) 暁橙と琥珀は、藍夜が考え込む間に、既に互いの情報交換を終わらせていたらしい。兄ィ、短く呼ばれ藍夜の意識は再び屋敷に戻される。 「ここにはニジーさん、いないんだって。様子を見てくる、って言って、さっき飛び出していったって、コハが」 「ニゼル……なんて事だ。相変わらず、どうしようもないね、彼は」 「でもさーでもさー、ぼくらをここに連れてきて、それからノクトって、それっきりなんだよね〜。オトサタなし! 何考えてんだろ〜」 ふと、何かが引っかかる。そう、琥珀の言う通りだ――ノクトの狙いとは、一体なんなのだろう。 ただ一つ、たったそれだけの疑問だ。考える。予測する。藍夜は一度、目を閉じた。 アンブロシア、サラカエルを含むラグナロクの生き残りの殲滅。これはない。する気なら、初対面の時点で「喰」を発動させれば済む事だ。 ロードの強奪と独占。したとして、彼に何のメリットがあるのだろうか。どんな神具であれ、多少大げさだが「喰」の前には無力だろう。 こちらの動向を試しているのだろうか……やはり分からない。 頭を振り、藍夜はひとまず暁橙にこの場に留まるよう指示を出す。拘束、封印されてはいるものの琥珀はまだ存命している。 暁橙ともども、見つけた瞬間いきなり手に掛けるような事はしないだろう。そうあって欲しいと、オフィキリナス店主は嘆息した。 とはいえ、いざとなれば暁橙には合成神具を持たせてあるし、万が一の時こそは、琥珀が身を挺してでも抜け道を切り開いてくれる筈。 獣は純粋だ。まだ幼いならなおさらの事。そういう意味で、藍夜は琥珀を用心棒に採用したのだ。秘密裏に彼女にもそう言い含めてある。 (この場にニゼルがいたら、怒られかねないね、こんな思惑は) 二人に動かぬように念押しし、藍夜は再び金匙の羅針盤を取り出し、芯となる金具に指を重ねる。磁石針は今度は東の方角を指し示した。 恐らく、今度こそニゼルの元に案内をして貰えた筈だ。藍夜は逆の手に雷神の雷霆を抜いて持ち、堂々とした足取りで廊下に踊り出る。 慌ただしい声がした。視線を動かせば、サラカエルの手から逃れてきたと思わしき天使達が武器を手にこちらに向かってくるのが見える。 「貴様は!? そのロードは大神様の、」 「もちろん、分かっていて借用中さ。『雷霆』よ、『打ち鳴らせ』!」 「貴様、人間風情の分際でっ……」 皆まで言わせるつもりもない。腕を一振りしただけで藍夜の眼前に閃光が迸り、空気を舐めるように蛇行し、這い寄り、天使達の肉を撃つ。 青白い雷が霧散し、パリパリと大気が焦げる音がした。崩れ落ちる二つの影は、狙った通り気を失っている……よし、腕は鈍っていない。 確証を得たからには、足を止める理由もない。次々と殺戮の天使のお残しが姿を現すが、藍夜は淡々と冷静にそれらを個別撃破していく。 (それにしても、数の多い) アンブロシアの不在は失敗だった。藍夜は小さく歯噛みする。彼女がいたなら、暁橙達を残してきた部屋に結界を張らせる事も出来たのに。 それさえもノクトの狙いなのだと、今なら分かる。恐らく、アンブロシアも屋敷のどこかにいるのだろう。琥珀もそう証言していた筈だ。 羅針盤を頼りに奥へと進む度、その疑念は確信めいたものになっていった。「喰」の気配が濃厚になる。目に見えて扉の数が減っていく。 気付けば、目の前には百メートルはあるであろう長い廊下と、その先にぽつんと存在する鋼鉄製の扉が一つ視認出来た。明らかに怪しい。 罠かもしれないな、藍夜は独白するも羅針盤はこの先一点を指したままだ。行かない、一度戻る、といった選択はとろうとも思えない。 この通路は屋敷内の他とは造りが若干異なるようだ。防音処理が成されているのか、周囲の音は遠く空気も嫌に冷えている。 さながら、監獄か留置場……唾を呑んだ。迷うような道ではない。頭を振り、藍夜は直進し、慎重に扉に手をかける。強い鉄錆の臭いがした。 音を軋ませながら、ゆっくりと重い扉が開いていく。中から話し声が聞こえた。相手は複数、正体は分からない。ごく短く歯噛みする。 「……お話の最中、失礼するよ」 しかし、躊躇っていられるほどこちらにも余裕はないのだ! 雷霆を携えたまま、藍夜は己を叱咤しながら、ほの暗い室内へと踏み込んだ。 「っ!? あ、藍夜!?」 見慣れた空色の髪と赤紫の瞳が、驚愕の声色と共に視界に映る。 |
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