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楽園のおはなし (1-20-別視点)

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(殺戮の天使の独白)


遠い昔、それこそ地母神ヘラに仕えるずっと前に、こうした日当たりのいい場所で茶を楽しむ機会があった。
旧知である親友兼相棒の対天使と、ヘラ以前の最古の古き女神――かなり昔の事だ、彼女の面影は殆んど朧げになっている。
それでもあの頃体感していた時間と空気は、今でも確かに思い出せる。馴染みの三人で一つのテーブルを囲み、他愛もない話に興じていた。
我ながら感傷的だと思う。
ヘラの事は心の底から敬愛しているし、同時に、ひとりの女性として愛してもいる。未だ、口にも態度にも出した事はなかったが。
こんな時、あの古き女神の姿を思い出すのは、彼女が如何に自分に多大な影響を与えていたか知っているからだ。
今ここに彼女がいたら、ヘラという立場も身分もまるで違う女に焦がれる滑稽な自分を見たら……果たしてどんな言葉を掛けてくれるだろう。

(……馬鹿馬鹿しい)

ラグナロクの折、対天使とも、ヘラとも離れ離れになってしまった。ましてや、ヘラは目の前で「喪った」ようなものだ。
思い出す。何度でも、何度でも。あの時ああしていれば、こうだったら。がらにもなくずっと捕われていた。
喪失感に苛まれ、もがき苦しんだ。気が滅入っているからこそ、件の女神を思い出すのだろう。救いを求めてさえいるのだろう。

(それでも、ね、『泣き虫』に同情される謂れはない)

対天使の僅かな気配を追ってここまで来た。無事であると信じていたし、信じたかった。アンブロシアとて同じなのだろう。
サラカエルは静かに目を開いた。感傷に耽りはしても、自分は現実から逃避するつもりなどない。
現実が眼前に広がる。
屈託なく微笑むウリエルの姿も、快活に笑うヘラの美しい顔も、件の古い女神のどこか緊張感に欠ける柔らかな声も、たちどころに霧散する。
向かいに腰を掛けるのは、他でもない、不機嫌そうなオフィキリナス店主……今やこちらの事など欠片も覚えていない元ウリエル。そして、

「ごめん、何か考え事してた?」

その「親友」とやらだった。自称というのが唯一の救いだと、内心で微かに嘲笑する。
初めて接触した時、ウリエルが自分の事を覚えていないというのは正直ショックではあった。しかし、ある意味致し方なしと諦めもついた。
冥府に堕ち、何らかの事情で人間に転生してしまった天使は、生前の記憶を失う。それはウリエルのような高位天使とて例外ではなかった。
だから「鳥羽藍夜」と出会った時、落ち込みもしたが、嬉しくもあった。
忘れられていたとしても、彼が無事である事が分かったのだ。サラカエルにとっては、これ以上ない幸運だった。

「さあね、どうだったかな」

思考中断。
ウリエル、否、鳥羽藍夜の横、自分と正面から向き合う空色の髪の青年に、サラカエルは嫌味を込めた満面の笑みを向けた。
青年は「うわあ」とでも言いたそうに微かに顔を歪め、視線を逸らす。鳥羽藍夜は奥歯を噛みながら、テーブルの上の拳を握り締めた。
オフィキリナスを訪れて、早数日。
ロードを売る売らないの押し問答はついに決着付かず、王都という人間が多く住む地域から、商売を終えた藍夜の友人ニゼルが戻ってきた。
半ばふて腐れ始め、店も開けず屋根裏に篭りがちになった藍夜を引きずり出し、こうして交渉の席に着かせたのはニゼルその人である。
曰く、「一度拗ねちゃうと屋根裏部屋のハンモックでずーっと不貞寝してるから」。
実際、ニゼルに続いて降りてきた藍夜は寝ぼけ眼だった。半分呆れてしまった。
ニゼルの話では、こうして気分ひとつで店の営業日を決める姿勢は、昔から殆んど変わっていないという。

(そういえば、陽に焼けた男が骨董品を売りに来ていたっけ)

瞳術によれば、遺跡発掘人で、店の常連客、マトリクス=ゴードン。
オフィキリナスとは長い付き合いのようで、店が休業していると知っても店先でぶつぶつ文句を並べるだけだった。彼だけではない。
高位天使という立場、かつ自分を慕い続けていたあのウリエルが、人間などと懇意にしているという事実が面白くない。
ニゼル=アルジルにしてもそうだ。たかが幼馴染、たかが近所住まい、幼い頃の悲劇の真相の共有者。それが何だというのだろう。
「君達、随分仲がいいんだね」、嫌味混じりに聞いてやれば、「幼馴染だし、小さい頃からずっと一緒だったから」などと呑気に笑いかけてくる。
その純粋さが煩わしい、サラカエルは彼らの交流について耳にする度、目を細めた。

「えーと、とにかく……ほら、藍夜も! いつまで拗ねてるのー、俺は店員じゃないんだから、交渉なんか出来ないよ!?」
「なら黙っていたまえ、ニゼル。僕はこいつに、どんな形であれ商品を売るつもりなどないのだからね」
「もー、まだそんな事言って! あのね、それじゃあこの人、いや、天使? いつまで経っても帰らないでしょ。分かってるの、ねえ、藍夜ぁ」

正直なところ、ロード「智識女神の宝珠」には期待していない。
万物を映す自身の瞳術でさえ、「神」に関わろうとすると精度が落ちる。
宝珠は、「記憶」を司る女神を反映した特別なもの。あらゆる記憶と知識を蓄積し、望む形で映し出す力を持っている――瞳術で確認済みだ。
ヘラの行方、或いは現在状況を見る事が出来れば、この長い旅路にも終止符を打つ事が出来る。

(けど僕は、ウリエルを……)

ヘラを探し出し、身の安全を確保し、護れなかった事を懺悔して、その次は。それから先は? 考えていなかった。
むしろ彼女が「護りきる事が出来なかった」自分を許してくれるとは、とても思えなかった。
拒絶される事を想像すると、それだけで足が竦む。
何より、記憶を完全に失っているとはいえ、対存在であるウリエルが無事であった事に思いのほか安堵したし、嬉しくもあった。
人間として生まれてきたウリエル。そっけなくされても、拒まれても、主観でしかないが、本気ではないように感じられた。
彼が無事である事を思えば、ある程度の不躾には目を瞑る事だって出来る。
もう少し共にいても罰は当たらないのではないか。何らかの切っ掛けで、自分を、天上界での日々を思い出してくれるのではないか。
ガブリエルなくして覚醒は実現不可能であっても、心のどこかで期待している自分がいた。

(それに、ヘラ様の事を諦めるつもりなんてないからね)

少しだけ。あと少しだけ。
鳥羽藍夜の人となりがどんなものか、ニゼルや鳥羽暁橙、アンブロシアが、彼に悪影響をもたらさないか。
それを確認出来るまででいい。
少しだけ一緒にいられたら――未だに売る売らない、相手しなよしたくないよ、で揉め続ける青年二人を、サラカエルは首を傾げながら見守った。
不意に、ニゼルがはたとこちらに気付く。目が合うや否や、手を小さく振ってくる。失礼な子供だ、サラカエルは満面の笑みで応戦してみた。
目を丸くするニゼルに対し、藍夜は眉間に強く皺を刻んだ。
正反対な態度は、相手がウリエルであるからこそ微笑ましくも思える。

「何でもいいさ、僕には時間なんて概念、殆んどないから」
「……よく言うじゃないか。日が暮れる頃にはどこへなりと立ち去るというのに」
「ああ、そのままもう来るな、って話かな? 宿だよ、適当なところを日替わりで使ってる」
「えっ、じゃあ天使も夜眠るって事? っていうか、お金もったいなくない? 藍夜、泊めてあげたら?」
「ニゼル……きみは、本当に、少し口を慎みたまえよ」

彼らのやり取りに口を挟むつもりはない、サラカエルは首を傾げた。
何か話をする度、藍夜が不機嫌になる一方、ニゼルはきらきらと目を輝かせながら感心しているような気がした。

(『天使』に対して、どちらもいい印象は持たない筈だけど)

鳥羽瓊々杵と鳥羽咲耶の件は、藍夜と接触したその日のうちに瞳術で把握している。この差は何だというのだろう、内心で鼻を鳴らした。
視界の悪い、深夜の出来事。そもそもニゼルは自身の両親を喪ったというわけではない。
だからここまで憎悪があっさりしているのだろうか。藍夜が天使に向けるほどの憎しみを、ニゼルに見出す事は出来なかった。
ウリエルが傷付いているのに薄情な、おまけにやたらべたべたしているように見えるのも気に入らない。
意地でも表に出すつもりはなかったが。

(とはいえ、僕がどうこう言ったところでウリエルに嫌われている現状はどうする事も出来ないし)

打つ手なし。雷霆は未だこちらにあり、それ故に無下に追い出される事もないだろう。

「そっかー。天使もおなか減るんだね。あれ、じゃあお昼はここで食べてるの?」
「アンブロシアが勝手に作っているんだよ。全く、客でも何でもないから作らなくていいと、僕は言っているのに」
「……この間はパンケーキを焼いて貰ったよ、心尽くしもいいところさ。代金もいらないなんてね」
「えっ、いいなー!? 俺も今度焼いて貰おうかな、羊乳で。そうだ、暁橙の分も焼いて貰わないとねー」
「無視かい、いい度胸をしているものだね、ニゼル」

また不貞腐れかけているのか。
席を立とうとする店主だが、通路側の席はニゼルが塞いでしまっている。手を掴まれ、暗に座れと促されている。
藍夜は悔しそうな顔をした。ニゼルはくすくす笑っている。しぶしぶといった様子で座り直す藍夜だが、眉間の皺は幾分か和らいでいた。
サラカエルは紅茶を一口含んだ――阿吽の呼吸か、長年の付き合いによる以心伝心か。やはり、面白くない。

「藍夜が『お金払う』って言ってる人をお客扱いしないからでしょー。いいじゃない、ボレるだけボッてあげれば」
「いや、君ね」
「本人の前でよくそんな台詞言えるね、君」
「え? 天使なんだし別にいいじゃない。何か問題ある? ん?」

随分身勝手な言い分だ、どうにもやりにくい。
小さな嘆息する自分と、頭を抱える藍夜。ふと視線が重なり、藍夜の方はわざとらしく咳払いした。

(ああ、そうか。記憶がなくても、互いに同調する、影響し合う部分は、まだ残っているのかな)

なら落ち込む必要もないか、気楽にいこう。サラカエルは自分にそう言い聞かせた。
藍夜には自分を多少気に掛けるような素振りが見える、それだけでもまだ望みはある。ニゼルとの親密度など、知った事ではない。
頭を振った。

「そもそも、使用用途も分からないのでね。壊されでもしたら、たまったものじゃない」
「壊す? まさか、ロードは特殊素材で出来ているらしいからそう壊れやしないよ。僕も貴重な高位ロードを粗末に扱ったりしないしね」
「へー。象とかが踏んでも壊れないのかな」
「象、ね。さあ、試した事のある奴はいないんじゃない。いたら馬鹿だよ」
「うわあ、嫌みっぽーい」
「ニゼル、君は少し黙っていたまえ。それで、君が宝珠を使って調べたい事とは何なんだい。サ……サラカエル」

名前を呼ばれた、その程度で気分は高揚はしても、表に出すほど自分は間抜けではない。いつもと同じような笑顔を心掛ける。

「アンブロシアと同じさ。探し人を探している」
「探し人? どんな人?」
「ニゼル」
「だってさ」
「やあ、君達には関係のない事なんじゃないかな。とにかく、気長にやってるよ」
「気長って。天使の寿命って長いんでしょ? どれくらい探してるの」

ニゼルを見る。憐れむような、同情するような色を帯びた視線。

「さあ、ね。もう数百年にはなるかな」

答えた後で、何故答えてしまったのかとサラカエルは自嘲した。ニゼルの反応は、そっか、と呟き俯く程度のそっけないものではあった。
それでもたかが人間風情、それもウリエルの親友気取りなどに同情される謂れはない。不愉快だと口にするのは、流石に止めた。

「――あの、藍夜さん」

ふと足音が近寄る。ニゼルと藍夜が視線を動かし、サラカエルは紅茶を啜るだけに留めた。テーブルのすぐ横に、アンブロシアが立っている。

「なんだい、アンブロシア」
「お客さんがいらしてますよ。確か、マトリクスさん、と」
「マトリクスがかい。頻繁だね」

来客の報せと言いながら、アンブロシアの視線はサラカエルにさりげなく注がれる。気付いてはいたが、サラカエルは目を閉じたままでいた。
藍夜は席を立つや否や――テーブルの下に潜った。
藍夜、呼び止めるような声色のニゼルに、這い出した店主は「行ってくるよ」と肩を竦ませる。

「……だから、俺は交渉なんて出来ないって言ってるのに」
「いいんじゃない、強制ではないんだ、どこへなりと行ってしまえば。ところで彼、背が低いのを上手く有効活用してるね」
「あー、それ、藍夜の前で言わない方がいいよ? 気にしてるから、背が低い事」

そうなんだ、そう応えかけて、サラカエルは口を噤んだ。
気付いていないのか、ニゼルは唇を尖らせながらテーブル上の宝珠を指で突ついている。
アンブロシアは最初、二人を交互に見つめていたが、特に険悪な風でもないと分かると離れていった。再度キッチンに戻り、物音を立て始める。
奇妙な沈黙が流れた。片目だけで見てみると、ニゼルが半ば身を乗り出しながらこちらを見ている。
何、そう聞くと、別に、と短い返事。ウリエルの件がなければ、変わった奴だ、という感想だけで終わりそうだとサラカエルは首を傾げた。

「サラカエルはさ」
「うん?」
「この玉の使い方、知ってるの?」
「玉……ああ、意識を集中するだけで望みの記憶を呼び出す事が出来るのさ。君にも出来る筈だよ」
「俺にも?」
「汎用性は高いからね」

首を傾げるニゼルに、サラカエルは宝珠を手で包み込むように指示した。
俄かに夕焼け色が流動する。まるで内部に閉じ込められた秋雲が、風に棚引いているかのようだ。「綺麗!」、ニゼルが目を輝かせる。
透明な空洞と、オレンジの気体の合間。そこに、ぼんやりと浮かぶものがある。宝珠の中に立体映像に似た人影が二つ、はっきりと現れる。
サラカエルは目を閉じた。他人、ましてや人間の願望の具現化になど、興味もないからだった。
ニゼルがはっと息を呑む気配があった。
思わず片目を開けたサラカエルだが、宝珠はニゼルの両手が覆っていて、中の映像を伺う事は出来ない。

「どうだった。はっきり見えただろ」
「あ……う、うん」
「ああ、それとね。ロードっていうのはいくら使う素質があっても、高位になればなるほど生命力と気力を消耗するんだ」
「え?」
「つまりは寿命さ。あまり使い過ぎると、短命になってしまうよ。鳥羽藍夜だって例外じゃない」
「! な、何それ? もう、そんな大事な事、早く言ってよ」
「おや、知ってるものかと思ってたよ。早めに警告しておく事だね」

後ろ暗い本音で言うなら、ガブリエルが不在である今、鳥羽藍夜が早くに没する事になれば、次代のウリエルの転生も早くなる。
転生し新たに再会すると分かっていても、現ウリエルに死なれるのは気分が悪い。
……あまり考えたくなかった。我ながらお人好しだと自嘲した。




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