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楽園のおはなし (1章番外編)

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(迎えくる夜の帳)


「……お仕事があるんだって。だから、お留守番してなくっちゃね」

人の気配が欠片も感じられない廃墟。荒れに荒れた廃屋のうち一つの中で、足元に落ちる自身の影に向かい、声を掛ける子供がいた。
金の髪に深紅の瞳。かなり大きく、裾や袖があまっている白布の服に身を包み、細い背中には申し訳程度の小振りな白い翼が生えている。
名は、ザドキエルといった。翼があるという事から、彼が天使である事がなんとなく伺える。
イシュタル帝国は西の果て、鉱脈地帯と称される小さな町は、小競り合いという名の戦争の煽りを受け、壊滅状態に陥っていた。
焼かれた家屋、散らばる血痕、砂を踏み荒らした無数の足音、散見する剣や槍、盾の残骸、逃げ遅れた人々の死骸、飛び交う蠅の羽音。
この町には、死が溢れている。今にも崩れ落ちそうな屋根の骨組みを見上げて、ザドキエルはゆっくりと瞬きをした。

「ここにはもう、美味しいもの、ないのかなあ」

退屈からか、或いは不安からか。焼け焦げた水場の骨組みから降り、表に出る。歩けど歩けど、ザドキエルを呼び止める者はなかった。
ザドキエルがこの地を訪れたのは、昨日の真夜中の事だ。友人にして恩人である青年が、近くの街に用があると出て行ったのがつい先ほど。
護衛役の「お守り」を持たされた後、ここで彼の仕事が終わるまで待っているよう言いつけられ、それを忠実に守っている最中である。
完全な手持ち無沙汰。ザドキエルはふと顔をしかめた。鼻を突き刺す、肉や木材が焼けた臭い。時折、そこに乾いた砂粒が混入してくる。
このあたりはずいぶんと乾燥していて、西方の風が吹き抜ける度、鉱山から土砂と樹木の匂いを運んでくるのだった。
ゆったりとした服が風に遊ばれ、金糸の髪が揺れ、ザドキエルは立ち止まって目を閉じる。砂が入っちゃったと、手で目をこすった。

『――ヴゥ、』

その時だ。表通りの中央、ぽつんと立つザドキエルの足元から、地を這うような低い唸り声が響く。涙を滲ませながら、天使は目を開けた。

「マルくん? マリーちゃん?」
『グルルルル……』
『ヴァウッ』

ザドキエルが「お守り」の名を呼び、召喚するより早く。「お守り」そのものである青白い魔獣と赤黒い魔獣とが、彼の影から飛び出した。
片や、毛足の長い青白い狼。片や、毛足の短い赤黒い狼。しかし普通の狼らと異なり、二匹は発達した爪牙、骨格と筋肉、五感を有する。
災厄と悪意を運ぶとされる、黒塗りの青年が連れ歩く強力な魔獣。今、二匹は青年の命令により、ザドキエルの警護と守護を任されていた。
召喚の合図も実行しないうちに二匹が表に出てくるのは、稀だ。ザドキエルは、はっとしてあたりを見渡し、身構える。
青白い魔獣はザドキエルの傍に控え、赤黒い魔獣は双方の周囲をぐるぐると徘徊した。明確な警戒状態。たまらず、天使は狼に抱きついた。

「……我ら、主の命により遣わされる」
「……我ら、主の命により馳せ参じる」

その瞬間。二匹の魔獣が、ザドキエルの頭上に向かって咆哮した。威嚇、警告。怯えたような顔で、ザドキエルは空を見る。
薄い色の蒼穹。いつしかそこに、白布のゆったりとした衣に身を包んだ、双子にしか見えない二人の天使が浮いていた。
左の天使は左手に足枷と小振りな水瓶、右の天使は右手に蔓の鞭を持っている。風が吹き荒ぶ中、二人の黒髪は棚引きもしない。
黒瞳の中に、爛々と白い光が揺れていた。神の命により出現したという話は、どうやら真のものであるらしい。毛を掴む手に力が籠もる。

「……誰? 僕、悪い子なの?」

問いかけた後で、ザドキエルは聞かなければよかったと思った。双子の天使は、応えるどころか、嘲笑さえしない。

「我が名はハルワタート、またの名をハールート」
「我が名はアムルタート、またの名をマールート」
「我ら、罪過を告知せん」
「我ら、憐れなる魂を救わん」
「我ら、主の命により馳せ参じる」
「我ら、道を踏み外せし者を救済せん」
「汝に問う、」

水瓶から水が濁流のように噴き出し、蔓の鞭が黒々と輝いたのが見えた。
次の瞬間、青白い狼はザドキエルの手を噛み彼を自身の背に放り投げ、赤黒い狼は双子に向かって黒炎の魔法を唱えて放つ。
青白い魔獣が駆け出したのと、赤黒い魔獣に鞭が振るわれたのは同時だった。ザドキエルは声にならない声を放つが、意味は成されない。
無理もない――二匹の魔獣は数日前、仕事と称して立ち寄った北方の小さな街で、双子とは別の天使に切り刻まれ、雷に撃たれたばかりだ。
傷が癒えていない上に、消耗した体力も魔力も戻ってきていない。痛々しい傷跡が、鋭い棘の生えた鞭に抉られ、蹂躙されていく。

「……て、やめて! どうして? なんでっ? なんでなんで、どうしてぇっ!?」

ザドキエルは悲鳴を上げた。刹那、がくんと視界が揺れる。気が付けば、体が宙に放り投げられていた。
否、正しくは、追ってきた鞭と水流に打ち据えられた青白い狼が、地表を滑りながら、ザドキエルを強引に離脱させたのだ。
逃げろと、二匹の眼が訴えかけてくる。なおも守護を続けようとする魔獣らを見たザドキエルは、痛みを堪えながらその場に立ち上がった。

「なんで? どうして? 何故答えてくれないの? 答えがあるんだよね? なんで? どうして? 君達も神様も何故答えてくれないの」

両手を広げ、さも十字架のようにして、通りの中央に凛と立つ。深紅の瞳に、恐怖や戦慄の色は宿っていない。
疑問と困惑。あまりに純度の高い知識欲が、彼の体を突き動かしていた。双子はそれでも、ザドキエルの問いに答えない。

「答えられないの? それともわざと? なんで? どうして? どうしてどうしてどうしてどうしてどうして、」

鎌鼬のように鞭が、落雷のように水流が、ザドキエルの細い体を打ちつける。悲鳴も苦鳴も漏らさず、ザドキエルはただ耐えた。
二匹の魔獣が駆け寄ってこようとする気配を察し、彼は激痛に身を悶えさせながらも、振り返らずに片手を出して制止する。

「……ル、くんを、……んに、伝えて!!」

それは、最期の命令であったのに違いない。二匹を庇うようにして立ち、その場に踏みとどまるザドキエルを見上げ、魔獣らは低く唸った。

「――行って! 早く!!」

ことさら強い口調で、天使が叫ぶ。同時に、再び「裁き」と証される鞭と水流が小柄な天使の体を強襲した。
彼の覚悟は本物だ……青白い魔獣と赤黒い魔獣は、互いに頷き合う。迷わず駆け出し、二匹は建物の残骸に残る影の中へ飛び込んだ。
逃がした、ハルワタートとアムルタートはそう思っただろう。狙い通りだ、ザドキエルは血、剥離した肉片に塗れながら、にやりと笑った。

「ねえ? 僕ね、あのひとの『お気に入り』なんだって……だからね、ハールート、マールート。君達はもう、」

悪い事はしていない。悪い子だった覚えはない。ただ、疑問ばかりぶつける自分を悪と断じて、神様らは地に堕とす罰を決行したのだ。
ザドキエルは最後の最期まで、自身についてそういう評価を下していた。正真正銘の堕天使でありながら、彼には悪という自覚がなかった。
その認識を改めさせるべく、天上界より遣わされたのが断罪の許可と能力を有する対天使、ハルワタート、アムルタートである。
今から約十三年前、「ウリエル」によって冥府送りにされた後、早急に転生した二人は、復活した直後から世界各地で裁きを実行してきた。
ザドキエルについては、彼と行動をともにする青年が、彼らや彼らの主である神々にとっても脅威であった事から、対応が遅れていた。
今が絶好の機会だ……誰もが、そう思っていたのに違いない。崩れ落ちながら、ザドキエルは笑った。

「ふ、ふ……ふふ、ふ、っあ……は、は、ッあはははははハは!!」

ザドキエルの背後に、冥き地より出現した死の遣いが立った直後。
ハルワタートとアムルタートは、突如として、空が半透明の黒い結界に覆われたのを見た。
無慈悲に淡々と、金の糸がぶつりと鎌で切断された瞬間。結界から降り注いだ黒い雷が、双子の天使の身を穿つ。
それだけでなく、雷は意志持つ生き物のように雷光をうねらせて彼らの体表を這い、抉れた傷口に侵入し、臓腑を中から焼いた。

「……仕事と言っても、大した用事でもなかったんだ」

鼓膜が殺された二人には、地表から放たれたその呪詛が、聞こえていなかったかもしれない。

「君達は、誰の命で、誰の許可を得て、誰との契約に基づき、僕のお気に入りに手を出したのかな。礼儀というものは、知っているかい?」

無数の黒雷が、大地を執拗に舐め回している。その中央、いつしかそこに、黒髪と黒瞳の美麗な青年が一人、立っていた。
白色の粒子と化したザドキエルの死を見送り、彼は報せを寄越した満身創痍の魔獣の頭を、左右の手それぞれで優しく撫でる。
黒塗りの瞳が、血より鮮やかな深紅に染まる。爛々と光る眼光が、激痛によって墜落を余儀なくされた二つの肉塊を見据えていた。
悲しい事に、その時ハルワタートとアムルタートにはまだ意識があったのだ。かつてのウリエルの報復の方が、まだマシと言えなくもない。






冥い視界の中、ザドキエルは静かに目を開く。手を広げ、見下ろしてみた。不思議な事に、あれほど痛んだ筈の傷が一つも見当たらない。
それだけでなく、つい先ほどまで感じていた空腹感や、目に入った砂の異物感も消え失せている。心は何故か、晴れ晴れとしていた。

(あ、そっか。僕、死んじゃったんだ)

自覚した後で、二匹の魔獣の安否が気になった。果たして二人は、無事に黒い青年の元に逃げ切る事が出来たのだろうか。
そうしてザドキエルは、ふと、自分の中にくっきりあった筈の二匹の容姿の記憶が、ぼんやりと霞がかっている事に気が付いた。
可愛くて、柔らかくて、力強く、冬でも温かく、基本として青年の命令が最優先で、自分に対してはかなり反抗的だった、愛しい二匹。
あの抱き心地は忘れがたいものであった筈なのに、何故姿を思い出す事が出来ないのだろう。
自分は死んだ……急に心細くなり、ザドキエルは落ち着きなくあたりを見渡した。

『……あれ、お前、こんなところでどうしたの?』
「!? だ、誰?」

突然、背後から声が掛かる。振り向くと、やたらと派手な色をした頭の青年が、小首を傾げながらこちらを見ていた。
青年の手足や首元からは、綺麗な、七色に輝く砂粒が零れ落ちている。綺麗だねそれ、思わずそう呟いたザドキエルに、

『何言ってんだよー、お前だってそうだろ?』

青年は、ザドキエルの足を指差しながらそう笑った。見ると確かに、ザドキエルの足首からも、さらさらと極彩色の砂が流れ出している。

『あのさ、ぶっちゃけ、迷子だろ?』
「まっ、迷子……じゃ、ないもん。大丈夫だもん」
『そっかー? あ、オイラ、あっちに行かなきゃなんだ。お前も一緒に来る?』
「え……で、でも」
『ここに残ってたって、退屈だろ? オイラ、昔々、色んなひとに聴かせた歌を今も覚えてるんだ。暇潰しにはなると思うぞー』

快活に笑う姿が、眩しく見えた。戸惑いながら、ザドキエルは伸ばされた骨張った手を取る。一人は寂しい、そんな気持ちの表れだった。
青年は、「    」と名乗った。ザドキエルは、同じように自己紹介をしようとして、その名を忘れてしまった事に気が付いた。
気にすんなよーと、青年は笑った。それもそうだよねと、彼も釣られて笑い返した。
手を繋ぎながら、いつしか目の前に雄大に広がっていた河を渡る。大河は、不可思議に黒く光り輝いていた。

神の正方、ザドキエル。彼の魂は、今は静かに、輪廻転生の輪に乗った。彼の物語は、今は遙か彼方、夜の帳の果てへと続いていく。





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 UP:18/08/11