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楽園のおはなし (1-17) BACK / TOP / NEXT |
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きちんと早起きする、その約束通り、ニゼルは父母に宣言した時間きっかりに起床した。そっとカーテンを開けるも、まだ周辺はほんのり薄暗い。 横では藍夜と暁橙がそれぞれ左右、自分を挟む形で寝息を立てている。 「ううーん」 何事か寝言を漏らしながら、暁橙の腕が振り下ろされた。ぼすん、膝上あたりに落とされる。いった、思わず声を出しかけるが、そこは堪えた。 (もう、寝相悪いんだからなー) 腕をどかし、藍夜を起こさないよう静かにベッドから降りる。ふと視線を感じた。首を巡らせると、既に起きていたらしい琥珀と目が合った。 今は魔獣の姿に戻っていた。ニゼルが起きたと知るや、ぱあっと瞳を輝かせる。丸めていた体から頭を持ち上げ、ぴんと首を伸ばす。 「ニ! ……ニジー、おはよぉ」 「っふ、おはよ。琥珀」 威勢のいい挨拶を放とうとして、寸前、琥珀は慌てて声を低くした。そっと歩み寄り頭を撫でる。魔獣はうっとりと気持ち良さそうに目を閉じた。 まだ、鳥羽兄弟は目覚めていない。特に、兄の方は寝起きが悪くて厄介だ――顔を見合わせ一度苦笑し合い、ニゼルは寝室を後にした。 廊下に出ると、離れから物音がする。応接室、玄関までは一本道、そのまま歩を進めた。 喫茶店スペース、その一部。片隅に設けられたキッチンで、空色エプロンを着けたアンブロシアが歌いながら料理に熱中している。 茹でた葉物、蒸かした芋、香ばしいパンの匂い。へー、歌上手いなー、ぼんやり考えながら、そのまま背後から声をかけた。 「おはよう、アン」 「きゃっ! わ、に、ニゼルさんっ。おっ、おはよう御座います」 案の定、驚かれた。飛び跳ねられるとまでは思っていなかった。くすくす笑っていると、アンブロシアの顔がだんだん朱に染まっていく。 藍夜起きちゃうよ、そう言うとすぐ小声になる。それが何となく面白かった。多少控えめに、アンブロシアは「うう」と唇を尖らせて見せた。 「お早いんですね。もう少し、ゆっくりなさっていても」 「あー、これから仕事なんだ。今日は王都の方にまで行かなきゃいけないから」 「え、こんな朝早くにですか」 「アンだってもう起きてるじゃない! 牧場って忙しいんだよー?」 芋はサラダにするつもりであるらしい、手製と思わしきマヨネーズが、金属製のボールの中で寛いでいた。 しかし、付け合わせ用のレタスやスクランブルエッグなどが小さめの皿に山のように盛られているのを見て、ニゼルは苦笑してしまう。 「あのさ、アン。って、それは今はいいか、そろそろ行かないと」 「あっ、あの、ニゼルさん」 「ん? 何?」 「その、今朝、朝市で羊乳のヨーグルトを見つけてきたんです。藍夜さんからお好きだって聞いて。朝ご飯、どうしてもご一緒出来なさそうですか」 アンブロシアはしょんぼりしていた。分かりやすい娘だなあ、笑い声と混ざった嘆息が自然と口から漏れる。 「んー、じゃあそれ今食べちゃおっかな。藍夜も暁橙もあんまり食べないし」 「えっ、今、ですか」 「うん、朝ご飯は大事でしょ?」 「……なら、すぐ食べられるように羊乳割りにしましょうか」 「え、何それ。飲んだ事ない!」 「案外、美味しいですよ? 少しだけ待っていて下さいね」 アルミ容器から件の発酵食品を出し、アンブロシアは手早く少しの蜂蜜を合わせて攪拌した。羊乳を注ぎ足し、とろりとなるまで手を動かす。 グラスに移されたそれを受け取り、少々匂いを嗅いでから、ニゼルは少量を口に含んだ。あ、美味しい、素直に賛美の声が漏れる。 「お口に合うようで、良かったです。また今度作りましょうか」 「うん、俺、これ結構好き! ミントとか浮かべてもいいかもねー。ありがと、アン」 鏡合わせかのように、アンブロシアもほっとしたように笑っていた。素直だなあ、やっぱり女の子って可愛いなー、とは、流石に口には出さない。 飲み終え、グラスを手渡しした後で一度ニゼルは大きく伸びをした。近隣の牧場から、雄鶏のけたたましい号令が飛んでくる。外は未だ薄暗い。 ふと、ふわりと鼻孔をくすぐる匂い。アンブロシアの髪だ、藍夜手製の石鹸、カモミールやリンデンなどの甘い花が彼女を柔らかく包んでいる。 (うーん。贔屓目に見ても、アンってかなり可愛い方だよね) 鳥羽藍夜が実際のところどうかは知らないが、ニゼル自身は異性の存在を好ましく思う時もあった。年相応に、興味がないわけでもない。 しかし、色恋に関心があるのかと問われると、答えは否だ。藍夜が自ら他人を避けるのに対し、自分は興味は持てども深入りしない。 (薄情、なんだろうな。藍夜とか、うーん、街だと色々噂も聞くし、暁橙はモテるんだろうけど。俺はそういうのどうでもいいんだよねー) 要するに身内として認識出来たら、話が変わってくるのだろう。 縄張り意識か独占欲か、或いは、極端に人間関係に対して臆病であるのか……どちらかといえば億劫なだけかもしれない。 グラスを洗うアンブロシアの背を見つめる。まだ完全に気を許したわけではない。琥珀の場合は論外だ、彼女は犬猫に似た感覚がある。 しかし、天使という種族柄、アンブロシアが魅力的な女性に見えるのは事実だった。印象に残る、気が付くと目で追っている、そんなところか。 初対面のその日のうち、目の前で号泣されてしまったのも原因か。とにかく、どこか放っておけない娘だった。 「ところで、ニゼルさん」 「ん? うん、えっ? あ、ごめん。なんだっけ?」 「王都に行かれると仰ってましたけど、それ、藍夜さんには話されたんですか」 「藍夜?」 思考を引き戻されるも、ニゼルは一瞬、彼女が言わんとしている事が分からなかった。 「なんでそこで藍夜が出てくるの? 言ってないよ。今生の別れってわけじゃあるまいし、俺も藍夜も子供じゃないんだから」 「えっ、あ、そう……ですか。いえ、とても仲がいいみたいですから、話さなくてもいいのかな、って」 「ちょっと、アン? まっさか、流石に藍夜も、そこまで俺にベッタリなわけないよ」 「……」 「……」 「……」 「……なんでそこで黙っちゃうの」 「いえ、大した意図は」 本当に悪気はない、そう言う代わりに、アンブロシアは大げさに首を左右に振った。逆に、そこまでされると本当に不安になってくる。 (まさか、まさかねー。『きみね、どうして僕に黙って急に不在にするんだい』、なーんて……いやいやいや) 想像してみる。絶対にない、そう言い切る自信が、ニゼルの中には残されていなかった。 思考中断、仕切り直し。ぱっと顔を上げ、アンブロシアの頭をぽんぽんと、軽く撫でるように叩く。彼女は目を丸くした。 「ごちそうさま、アン。じゃあ、俺、そろそろ行くから……いい子にして待ってるんだよー、寂しいからって『また』泣いちゃ駄目だからね!」 「え? あ、はい」 思わず噴き出してしまった。素直すぎるのもどうかと思う、そのまま、じゃあね、と軽く手を振り踵を返した。足早に玄関を目指す。 後ろから、恐らく顔を真っ赤にしているであろうアンブロシアの控えめな悲鳴が聞こえた。からからと笑いながら外へ出る。 ちょうど、朝日が昇ってくるところだった。清々しい空気を肺いっぱいに吸い込んで、足取り軽く、自宅へ向かった。 「羊毛八十、毛糸玉を百、青が三十五、赤が三十……」 「ちょっと、あなた! 追加注文で、赤も三十五だって言われたでしょ?」 「あれ、そうだっけか。なあ、ニゼル。紺色はいくつだったっけ」 荷台に箱詰めされた羊毛製の織物を重ね終えてから、ニゼルは父の声に振り返った。荷崩れしないよう、手を添えるのも忘れない。 耳に万年筆をかけ、右手に伝票、左手は顎に添えながら、父サルタンは難しい顔をしていた。金銭、在庫管理はもとは母の仕事の筈だった。 珍しいなあ、練習中かな……瞬きを数度繰り返して、前方、積み途中の化粧箱に向き直る。 「んー。さて、いくつでしょー?」 「おい、ニゼル」 「冗談だよ、紺色は五、桜が七。で、黄色と緑、水色が三十」 「ま、待て待て、ちょっと手が追いつかん」 「ほーらー、早くしないと、納品に間に合わないよー」 「こら、ニゼル。父さん、伝票整理訓練中なんだから煽らないの。あなた、ゆっくりやってね」 「うーん。すまん」 「あはは、ごめんごめん」 父は厳つい、いかにも職人といった面構えだった。母ストケシアもまた、かかあ天下の異名に恥じない勝気そうな顔をしている。 鳥羽藍夜もそうであったように、ニゼルは両親にあまり似なかった。しかし、鳥羽兄弟と違って、ニゼル自身はこの事を気にした事はなかった。 子供の頃、少し我侭を言えば「そりゃ、橋の下から拾ってきたからね」、などと受け流されたほどだ。父母ともども容姿にはこだわらない。 鏡を見ては首を傾げる程度の、ほんの些細な違いだった。とはいえ、幼い頃は、ハイウメとその取り巻きに心無い言葉を浴びせられた事もある。 (そうは言っても、藍夜が庇ってくれたから全然平気だったけどねー。むしろ庇って貰えるように仕組んだ時もあったな) ハイウメらが自分を取り囲み、一斉にからかってきたタイミングで、大声で親友の名前を連呼し、同時に周りがたじろぐ勢いで嘘泣きする。 有事の際に駆けつける英雄、捕らわれの姫君を救う騎士よろしく、鳥羽藍夜は激昂しながら登場するばかりだった。 今もそうだが、物心つく頃には自分も相当な悪ガキだったな――ふつふつ笑いを噛み殺す。 ふと我に返れば、荷台の真向かいで、両親が揃って首を傾げていた。 「どうしたの、アンタってば。一人でにやにやしちゃって」 「さては、鳥羽君のところで何かいい事でもあったんだろう。ずるいぞ、父さんにも何かくれ!」 「ちょっと、あなた!!」 「うーん、残念、何もないんだ。こっちもこれで終わり、あとは固定するだけだよ」 ただ、父母が愛してやまないこの仕事が、ニゼルは好きだった。朝は日が昇る前から、餌やり、牧羊犬二頭の散歩、放牧、小屋の掃除、収穫した 羊毛の加工、糸繰り、布織り、裁断、在庫の管理に店の掃除、接客、牧草の手入れ……休む暇などないに等しい、毎日が目まぐるしく過ぎていく。 それでも、好きだから、両親の背を見て育ったからこそ出来た事だ。 動物が苦手な親友と、逆に手懐けるのが神がかって上手いその弟。二人からも常々、労い、賞賛の声を貰っている。 周囲からすると、どうも自分は「よく頑張っている」ように見えるらしい。商人から面と向かって「もっと遊びたい年頃だろうに」と言われた事もある。 父母は別として、正直なところ、ニゼルは牧場仕事を一種の道楽、暇つぶしのように見ているきらいがあった。故に褒められるのは不得手だ。 照れくさい、気恥ずかしいを通り越して、当たり前の事を当たり前にこなしているだけなのに、そう思えて脱力させられてしまう。 (まあ、藍夜から褒められるのは嬉しいから、それはそれでいいんだけどねー) どこまでも自分は自分本位だ。ロープを縛る手が、一瞬止まる。 藍夜の悪癖でも移っただろうか、今朝はいやに小難しい事を考えている。振り払うようにして頭を振った。 「ニゼル、終わった?」 「うん、大丈夫」 軽く荷物を揺すり、崩れない事を確認。指差しして、ロープにほつれがないかも見直した。麻製の大判の布を被せ、これもロープで固定する。 「予定としては、二泊するかしないかだから。雨が降ったらいつもの宿屋さんにね、赤い屋根の小屋に入れさせて貰うのよ。話は通してあるから」 「大丈夫、遅くても一週間は掛かんないよ」 「最近、帝都との境が物騒だっていうからなあ。ニゼル、大丈夫だと思うが、気を付けるんだぞ」 「ちょっと父さん、心配し過ぎだよ。なんか藍夜見てるみたい」 「おお、よくぞ言ってくれたな。父さんだって藍夜君みたいにまだまだ若いからな!」 「この間ぎっくり腰になりかけたのに、何言ってるの。ほらニゼル、日が暮れないうちに、さっさと行ってきなさい」 「えー、母さん。まだ朝になったばっかだよー」 互いに笑い合い、親指を立てて交わし、荷台の前に向かう。別の牧場から牽引用に借りた一頭の白い馬が、ロープで繋がれていた。 荷台の一番前に腰を下ろす。申し訳程度の座り心地を約束した敷物に腰を落ち着かせ、掛け声一つ、馬に鞭を入れた。 「ニゼル、気を付けなさいね!」 「おみやげ宜しくなー」 「ちょっと、あなた!」 「あはは、じゃあ、行ってきまーす」 ガラガラと小気味いい音を立てて、即席の馬車が進む。緩やかな傾斜を下り、一路、ホワイトセージを反れ、まばらに木々の並ぶ街道へ抜ける。 自生しているもの、国の指示で植えられたもの。色濃い緑が、葉に含んだ朝露を朝日で煌かせ、ニゼルは思わず片手で空を見上げた。 鳥のさえずる声、横をすり抜けていく風、馬の揺れるたてがみ、車輪をくすぐる砂利の音、日が経つにつれ色味を増していく空。 手綱を掴んだまま、うーん、と伸びをすれば、思わず大きなあくびが漏れた。しっかり眠れたものの、やはりまだ朝も早い。 この街道は、王都とホワイトセージ、更にその南方に広がる広大な遊牧民族の領地をほぼ直線で繋いでいる。 馬を使って道なりに進めば、大小の村々をいくつか越えた後、半日と少しほどで国境付近に辿り着く。 こうした行商、常連客への配送も、仕事のうちとして稀にあった。いつもは父母が連れ添ってこなしているが、アルジル羊飼育のノウハウを 聞きに他の牧場や農場経営者、果てには一般客からの問い合わせ、見学希望が多数あった日には、こうしてニゼルが一人きりで担当する事もある。 珍しい事ではあった。しかし家に家族らと篭りがちな藍夜と違い、ニゼルはこうした近距離範囲での小旅行も、嫌いではなかった。 馬に揺られ、一定のリズムに耳を傾けながら気ままな時間を過ごす事が出来る。 ふと、がたん、と大きく荷台が揺れた。石か何かに乗り上げでもしたんだろう、周囲を見渡すのはごく一瞬、馬車は止まらず進み続けている。 「っと、ぼーっとしてばっかりもいられないか」 腰に提げた鞄からメモ紙を取り出し、目で追いかける。積んだ商品の品目と数量、購入客の名前を、記憶を辿りながら合致させる。 希少という事で高価になるからか、羊まるまる一頭ではなく加工糸や布などが特によく売れる傾向があった。 どのみち羊を連れて行くとなると、その神経質な気性に改めて苦労させられる。ちょっとした事でストレスを抱え体調を崩すから、たちが悪い。 メモ紙を元通り畳み、しまい込む。 「……琥珀くらい図太かったら楽なんだけどなあ」 何の気もなく、ニゼルはぽつりと呟いた。ぶーぶーヒトの言葉で文句を並べ、親友の周りをぐるぐる歩き回り続ける獣の姿を思い出す。 親友の怒った、或いは気の滅入った顔も一緒だ。琥珀はまるでお構いなしといった風で、余計困らされているんだろうなあ、とニゼルは思う。 (それにしたって、まさか女の子の姿になるなんて! アンの事といい、うわー、色々忙しいなー) 思えば、初対面でのアンブロシアへの印象は最悪だった。それでも彼女が悪い天使ではない事くらい、今は分かる。琥珀も同じだ。 しかし、藍夜が現在、双方をどう捉えているかというのはこちらには分からない。 無碍に追い出そうとしないあたり、大方いつものお人好し癖の延長だろうな……再度、ニゼルは大きく伸びをした。 親友の事を考えると、無意識に笑みが漏れてしまう。性格や言動に難があっても、これまで彼とは上手くやってこれていた。 (たぶん、これからも) ゆるゆると腕を下ろす。 喧嘩らしい喧嘩など、本当にした事がなかった。あの性格だが、彼は実弟の暁橙とでさえ、衝突する機会は少なかったように思う。 皆が皆、気付けば親友を甘やかしている。自分もそうだ。どうも彼はアンブロシア同様、放っておけなくなる雰囲気を持っている。 他人に難癖を付けたがる悪癖持ちのハイウメですら言いくるめられているのだから相当だろう、それともそれが彼なりの接客術なのだろうか。 「うーん、藍夜なら否定しなさそうなのがまたなー」 「な〜にが〜? 藍夜なら、何をヒテイしなさそぉなの〜?」 「って、うわっ!!」 ドンッ、重い衝撃。 背後からの不意打ち、強襲に、ニゼルは文字通り肩を跳ね上がらせた。一瞬大きく荷台が揺れ、馬が嘶く。視界が上下に踊る。 慌てて手綱を引き制御しようとするも、背中から腰にかけ腕を回してきた「襲撃者」がそれを阻む。歯噛みし、強く勢いよく手綱を引いた。 ヒヒン、大きな揺れ、砂埃。がくんと大きく体が前傾し、舌を噛みそうになる。太ももで踏ん張り、何とか堪えた。 馬も、辛うじて逃げ出していない。しんと静まり返る中、目の前にきちんと繋がれたままでいる。 「ちょっ……あっぶな! な、何っ、琥珀!?」 「やっほぉ〜! ニジー! ウマなんか使えないよ、ぼくが〜コレ、引いたげる!」 「わあっ、馬鹿! 駄目! これっ、馬は借り物なの! 怒るよ!?」 振り向くまでもない。腰にしがみついてきたそれは、肩まである黒髪を軽快に揺らしながら気楽に笑った――琥珀。 勝手に着いて来ちゃったのか! 怒り心頭の藍夜の顔を想像し、ニゼルは口元を引くつかせる。 仕事上がり、王都からの帰還。その疲労の回復待たずして己を待ち受ける「お説教」をありありと想像し、ニゼルは深く嘆息した。 「一体どうしたの、何でここに?」 「え〜、ニジーがどっか行くみたいだったから護衛してあげよ〜と思って! 出発間際に底板に張り付いたの」 「器用な事するなあ、って、そうじゃないか。あのね、琥珀。琥珀は今は、藍夜に身を預けてるんでしょ? 俺に着いてきたら駄目じゃない」 「え〜? なんで? こーんな貧弱そうなウマなんかより、ぼくの方が全然働くよ〜?」 「そういう事じゃ……あー、もう」 本当に考えている暇もない。オフィキリナスから離れる事で頭を冷やせるかもしれない、朝、そう考えていた自分もいた。 だからといってこれはあんまりではないか、苦笑いしか浮かんでこない。 「全く……あれ、『今日は』馬は襲わないんだ?」 「今日は、はヨケイだよ、ニジー。藍夜にまだチクチク言われるんだ〜。だからねぇ、これでもぼく我慢してるんだよ〜。エライ?」 「偉い……うーん。そうだね。はいはい偉い偉い」 さらさらと撫で心地のいい髪を梳いてやる。琥珀は気持ち良さそうに、アーモンド型の目を細めてうっとりした。 「(けど、藍夜から怒られる覚悟しておいた方がいいと思うよ)」 「ん? な〜に〜、ニジー。何か言った?」 「ううん、何でもー?」 そもそも借り物の馬を食い荒らされでもしたら、たまったものじゃない。細身だがそれなりに値が張る馬だし、片付けも面倒だ……。 一度荷台から降り、手綱にたわみがないか確認する。ぽんぽんと馬の脇腹を撫で、興奮していないか、そこも見る。問題はなさそうだった。 「ところでその服、どうしたの?」 「んっとねぇ〜、昨日のうち、シアがぱーって縫ってくれた!」 「昨日? アン、仕事速いなあ」 「ね〜。コレの他にもう一着あるよ。そっちはもっと動きやすくて、スキ〜」 「似合ってるよ? 良かったね」 「えっへ〜、そっかな〜? ありがと、ニジー」 荷台に乗り直す。真っ白なリネンの緩いワンピースに身を包む琥珀に手を掴まれ、引き寄せられる。子供とは思えないほど強い力だ。 人型変化。ヒトに化けているというその形態はしかし、琥珀の仮初の姿とはいえ、決して侮れないもののようだった。 掴まれた手を驚嘆半分、畏怖半分で見つめ、名を呼ばれて我に返る。ニゼルは再び手綱を掴んだ。 軽く馬に鞭を入れる。何の支障もなく、荷台は再び、街道上で揺れ動き始めた。 「ね〜、ニジー」 「んー?」 「あのさ〜、さっきの、ブッソウって、なぁに?」 「えー?」 「だからぁ、ニジーの親? が、そう言ってたでしょ〜、ぼく聞いてたんだから」 両肩に手を置き、琥珀は身を乗り出しながら明るく言った。直後、ガタンと荷台が跳ね、舌を噛みそうになったのか、小さな悲鳴を一つ漏らす。 「物騒」。どうだっただろうか。ホワイトセージのみならず、王都パーピュアサンダルウッド近辺はそこそこ治安のいい治世で名が通る。 ロードや遺跡の関係もあってか、盗賊やマナーの悪い冒険者などもいるにはいるが、大きな騒動を起こされた記憶がない。 藍夜に話したら、まさか平和ボケかい、とでも言われそうな話だった。ニゼルは小さく肩を竦める。 「うーん、そういえば、父さんが国境で小競り合いがどうとか言ってたな」 「そういえば、って。ダイジな事なんじゃないの〜?」 「そうだけど。帝国とは不戦同盟締結したっていうし、今まで何もなかったからねー」 ガラガラと車輪は快適に回る。軽く揺れ動く度に琥珀が嬉しそうにはしゃぎ、これはこれでいいかも、などとニゼルは口元を緩ませた。 ……鳥羽藍夜の逆襲については、考えない事にする。 「ニンゲンって、争うのスキだよねぇ〜。ぼくには、よく分かんないや〜」 「争う、うーん、争ってばかりでもないんだけどね。俺や藍夜は生活するだけで手一杯だし、そういう人もたくさんいるよ」 「そ〜なんだ〜? 前、誰かから聞いたんだよね〜、『人間とは哀れな生き物だな!』って」 「へー、誰に?」 一瞬の沈黙があった。 「……琥珀?」 「ん〜、わっかんない。覚えてないや〜」 「そうなの?」 「うん、ぜーんぜん、さ〜っぱり」 やっぱりそう簡単に記憶なんて戻らないか、琥珀の低い声色に、ニゼルは小さく肩を竦めた――あれ、藍夜の癖が移っちゃったかな? しばらく琥珀に抱きつかれたままになる。原型、魔獣の姿だったら、もっと羽毛がもこもこと温かく柔らかだろうなあ。 それでも彼女の体は温かく、十分に柔らかい。カモミールの甘い香りも心地良い、軽く目を瞑る。 「――っ、ニジー!!」 「へぁ? う、わっ!!」 気の緩みは強引に解かれた。 刹那、馬が再び嘶く。先ほどより甲高く、荷台の揺れも比例する。手綱を握るだけで精一杯だった。ぎゅっと目を閉じ、衝撃に耐える。 「!? いった、何っ、」 「ニジー! アタマ、伏せて!!」 ドカカッ、ひづめが大地を踏み躙る。激しい揺れに動転していると、すぐ傍で琥珀の声が聞こえた。言われるまま、ほぼ反射でニゼルは屈んだ。 頭上を何かが掠めた事だけは分かった。何事、そう叫ぶ余裕もない。馬が興奮しきっていて、それを抑える事しか出来なかったからだ。 背中を強く押される。瞬間、それが即時に離れる。目だけで振り向けば、純白を翻して荷台から飛び降りる琥珀の背中が見えた。 「こは……」 「ニジーは、そこにいて!」 ある種の怒声。目を見開き、硬直するニゼルだが、何が起きたかはすぐに把握出来た。 見知らぬ男達が数人、荷台を取り囲んでいる。手に握られているのは、使い込まれた様子の短剣、長剣、槍、斧、弓矢。 腰に提げられているのは、血糊の付着した麻袋。不意に、街道に雄たけびが迸る。どう見ても不穏で、物騒な、緊張の走る空気だった。 (確かにこれは、物騒だ!) ニゼルは震え上がった。男達の持つ武器のうち、弓矢の一つが黄金色に輝いていたからだ。 先ほど、頭上を掠めていったものの正体を知る。「ロード」に違いない。荷台の側壁にしがみつき、目で琥珀の姿を追う。 「! こ、琥珀っ!」 「やあぁっ!!」 「って、聞こえてないか……」 踊る黒と白。手助けしようにも、自分にはその術がない。しかし、琥珀の猛攻は目を見張るものがあった。 ロードを手にしているという事は、相手も相当の手練れである筈。自分より図体の大きい男、それを物ともせず、琥珀の肢体は軽やかに弾ける。 踏み込み、距離を詰め、懐に飛び込み、深く掌底を叩き込む。咽て前屈みになったところで、顎目掛けて足を振り上げ、顎にめり込ませる。 或いは男の武器、若しくはそれを掴む手を抱き込み、ぐいと引き寄せ、そのまま投げ捨てる。足元に転がった石を投げる事すらあった。 腰から強奪した袋を投げつける場面もあった。子供の姿そのものでありながら、全く子供らしからぬ万能な立ち振る舞い……。 (待って。暁橙って、もしかしてとんでもないもの拾ってきたんじゃないの) ニゼルは言葉を失くす。きらきらと、袋から流れ出た金貨が宙で煌く。その隙間から、しなやかに踊り狂う少女の姿が見える。 強盗達は、怒声と罵声、或いは、情けない悲鳴を絶え間なく吐き捨てながら、それでも琥珀に迫った。獣が容赦する事はなかった。 見る見るうちに形勢が逆転していく。自分は、琥珀の言う通り荷台から離れるまでもない。突然の襲撃は、もはや決着がつく寸前だった。 ……ように、思われた。 「! あっ、」 チカッ、と、ニゼルの視界の端で輝くものがある。黄金の一条の光、矢じりの先端、描かれる弧、ロードのしなり。 夢中で何事か叫んでいた。琥珀の目がこちらを向く。金色が弾ける。陽光に吸い込まれるようにして、一直線に琥珀に駆ける。 「琥珀っ!!」 「え?」 発声は、ほぼ同時。無意識に手を伸ばしたニゼルだが、その手が琥珀に届く事は、なかった。無常な神々しい光が、魔獣の背後に詰め寄る。 直撃の直前、光の奔流が六つに裂ける。一点集中、光は、琥珀の頭部を狙い定めていた――何をどうしても、間に合わない! 目の前が真っ暗になった気がした。ニゼルは、荷台から落ちそうになるのも省みず、前へ前へ身を乗り出す。 腕を伸ばす。困惑したような、混乱したような、揺れる琥珀色がこちらを見ている……。 『――何やってんだ』 「!?」 耳元で、何者かの声が聞こえた――ような気がした。 変化は唐突だった。琥珀が六の殺意に射抜かれる事も、ニゼルが荷台から転がり落ちる事もない。 一瞬、何者かに襟を掴まれたような気がした。 そうしてニゼルは息を呑む。眼前、ニゼルと琥珀の間。その境に、暴虐の如く這い出たものがあった……「炎」だ。 漆黒の、それこそ宵闇を切り抜いてきたかのように暗く淀んだ色の業火が、ニゼル、そして琥珀を中心に燃え上がっている。 「うわっ、何コレ!?」 「琥珀! っと、このっ!」 服の裾が壁板に引っかかった。無理やり引っこ抜き、ニゼルは荷台を飛び降りる。炎を前に一度踏み留まる。不思議と熱くはなかった。 黒炎は、ぐるりと琥珀の周囲を走った。嘗め回すようにとぐろを巻く。刹那、ニゼルは放たれたロードの矢が炎に飲み込まれているのを見た。 異常な光景だった。炎が矢を「食べて」いる。侵食されるように、削岩されるように、ゆっくりとだが確実に穴を開け、黄金を抉り取っていく。 ニゼルは目を見開いた。琥珀を助けようという意思が一瞬どこかに消え失せる。それほどまでに、その光景は視界に鮮烈に焼きついた。 「う、うわぁ、何だこりゃあ!?」 「やべぇ、ずらかるぞ!」 「あっ、こ、こらぁ! 逃げるな、バカァ〜!!」 琥珀の怒声。はっと我に返る。炎はもう消える寸前だった。慌てて手を伸ばし、琥珀の襟口を掴む。 「琥珀、琥珀! 深追いは駄目! 俺は大丈夫だから!」 「っ! に、ニジー……」 強く引き寄せ、体をこちらに向けさせた。肩を掴み、正面から顔を覗き、視線を重ねる。 「ほら、ね? どこも怪我してないでしょ。守ってくれてありがと。凄いじゃない、どこであんなの覚えたの?」 「にっ、ニジー」 「ん?」 「っう、うわあああー! よかった、よかったよぉ〜! 今、割とけっこー危なかったよぉ〜!!」 「うん、俺も結構、やばいって思った」 一拍置いてしがみついてくる魔獣の背を、ぽんぽんと撫でてやる。意外にも本当に肝が冷えたようで、琥珀はぴーぴー泣き出してしまっていた。 (うん、よかった、まさか本当に盗賊が出るなんて。琥珀のお陰で助かった……でも) 宥めながら、慰めながら、彼女の小さな肩に顎を乗せながら。一度固く閉ざした目を、ニゼルはゆるりと静かに開く。 (でも、今の『炎』……何だったんだろう。もしかして、助けてくれた? 真っ黒で、でも熱くもなくて……それに、どこかで……?) 物体を食らう火。そんなもの、見た事も聞いた事もない。力強く琥珀が抱きついてくる。そのまま強く抱き返す。 奇妙な静寂だった。土の匂いが周囲に漂っている。琥珀が落ち着きを取り戻すまで、ニゼルはじっと座り込んだままでいた。 強盗達の口汚い言葉も、馬の切羽詰った嘶きも、今はまるで聞こえてこない。騒々しい暴力の後、琥珀がべそをかく声だけが続いていた。 |
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