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楽園のおはなし (3-24) BACK / TOP / NEXT |
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以前、如何なる神がここに祀られていたのか。何人の天使が仕え、どんな談笑が交わされていたのか。ニゼル達にそれを知る術はなかった。 薄暗く、飾り気のない石造りは大昔に幼なじみ同士で探険に出かけた遺跡群を思い起こさせ、否応なしに好奇心をくすぐられる。 ランタンを手に、ニゼルは歌でも口ずさみ出しそうなほど軽快に石畳を踏んで歩いた。靴音が暗い通路に響く度、胸中までわくわくと踊る。 「ニゼル。君ね、瞳術はまともに機能しないのだから、もう少し慎重に進みたまえよ」 後ろをついて歩く藍夜が、眉間に皺を寄せながら友人の態度を窘めた。しかし、それで堪えるような性格はしていない。 「えー、なんで? 楽しいよ? 藍夜はワクワクしない?」 「君ね、子供じゃないのだから」 「子供じゃなくてもワクワクするよー。それに『子供』だったら、本物の子供がここにいるじゃない」 親友に振り向きながらも、ニゼルの視線は斜め下に下ろされる。見下ろされた当人は、子供扱いされているのだと気付いて眉をつり上げた。 「……なんですの? この遺跡の事を教えたのはアスターですの。道案内も、転送役も、アスターがいないと無理ですの」 「そーだねー。連れてきてくれたのはアスターだもんねー。凄いねー。ついてってあげようって思ったのは俺達の心意気、なんだけどねー」 「ニジママ様、いじわるですの! 実力も知らない相手につき従おうなんて、普通は思わないものですのう。試験は必須なんですの」 「一緒に暮らすのに試験もないと思うんだけどなあ。いいじゃない、ノクトの事なら今頃ヘラ達が説得してるだろうし」 「そういうっ! 問題じゃ! ないですのう!! パパの話は、今は関係ないですの!」 ニゼルとアスターの前で、藍夜は片手で顔を覆い深い溜め息を吐く。そうだ……自分達は今、少女が提示した試験に挑んでいる最中だった。 曰く、「家族、仲間とやらが至高の力になると宣うならそれを証明してみせろ」と。種子の少女から舞台として指定されたのは古い遺跡だ。 イシュタル帝国のとある山岳地帯の奥、そこに位置する洞窟の目と鼻の先に、アスター自身の手で転送されたのがつい先ほどの事。 奥にひっそりと存在した遺跡の入り口を抜け、現在は三人でその踏破を目指している……筈なのだが、女性陣二人はずっとこの調子だった。 「ニゼル、アスター。喧嘩するほど仲がよいというのも悪くはないがね、真珠の容態も気がかりなのだし、早く戻……」 「仲なんてっ! ちっとも! これっぽっちも! よくなんかないですのう〜!!」 「えー? つれないなー、せっかく会えたのに。まあ会えたのってカマエル達のせいだけど」 「責任転嫁ですの! ラグエルらしくないですのう!!」 「あのねえ、『ラグエル』って元々こういう性格だよ? 期待するだけ無駄だって」 「……そうかい。君達には、僕の話を聞く気はないと。そういう事だね」 顔と声にじわりと怒りを滲ませる審判官のただならぬ気配に、ようやく二人は口を閉じる。 ちらりと互いを盗み見するように目を合わせる様子は、「やはり仲は良いんじゃないか」と藍夜に思わせて止まなかった。 「……とにかくだ、アスター。この遺跡の奥に、一体何があるというのだい」 場の空気を変えようと、藍夜は自ら話を振る。少女は小さく尖らせていた唇をほどき、ぱちくりと瞬きを返した。 「試験の答えそのもの、ですの。教えちゃったら試験になりませんの」 何度話してもこの調子だ。うんざりといった風に隠さずに嘆息した審判官の腕を、ぱっと駆け寄ったニゼルが宥めるように突っついてくる。 「行くしかないんじゃない? 今のところ怪しい宝箱とか、そういうのも出てこないし」 「ニゼル、君ね」 「こんなに広くて深い遺跡なんて珍しいでしょ? ロードの一つ二つ、あとは番人や魔獣が出てきてもおかしくないよ」 「それはそう……いや、しかしね、いくらなんでも緊張感が……」 こういうときほど、呑気に張った予想通りに事が進む――藍夜とニゼルは殆んど似たようなタイミングで、ふと遺跡の奥に視線を走らせた。 ……強い羽ばたきの音が迫りつつある。怒声に近い喧騒が、無数の翼の打ち鳴らしとともにぼんやりと通路に長い影を伸ばしていた。 奥から何かがやってくる。腰に下げた道標の神具を抜こうとするニゼルの前に、藍夜は片手をぴっと伸ばしてそれを制止した。 「でも、藍夜」 「それは不向きというものだよ、ニゼル。別の道を探すにしろ、アスターの事も考えなければ」 生まれた直後に動いたからか、反発する割にアスターの口調に覇気がない。屋敷にいた頃よりも消耗している筈だと、藍夜は声を潜ませる。 彼の声には緊張と緊迫が混ざっていた。すぐさま左の瞳が瑠璃色に光り輝き、それとほぼ同時に端正な顔の眉間に皺が寄る。 無意識に、ニゼルはアスターの手を取っていた。瞳術を停止させると、藍夜はふとぐるぐると左手首を回転させながらこちらに向き直る。 「どうやら先客があったようだね。アスター、君は知っていたのかい」 親友の気だるげな手の動きが止まったとき、ニゼルは見覚えのある煌めきが彼の手にしかと握られているのを見た。 「雷神の雷霆」だ……それはかつて見知ったそれと異なり、表面はぼんやりと黒色に艶めき、形もより簡素な稲光の流動性を模している。 さながら再構成を施した模造品のようだった。意図してそのように創り、喚び出したのか、藍夜は一人満足げに頷いている。 一方で、藍夜の質問、否、咎めるような詰問にアスターは小首を傾げて微笑んだ。これは確信犯だ、ニゼルは自分の顔が歪むのを自覚する。 「わぁい。藍夜パパ様、アスター、難しい事はよく分からないですのう」 「難しい事……そうかい、いや、今はそれで構わないとも。それどころではないのだからね」 「あのー、藍夜? 話が見えないよー?」 「ニゼル。『合図をしたら』アスターを連れて直進したまえ。試験の答えとやらまで、一本道のようだからね」 ぐるんと、ケラウノスの偽造品が宙に振られた。その瞬間、星に似た光が空中に点々と出現し、刹那、一つ一つからまっすぐな光線が迸る。 喧騒めがけて直進する様は、サラカエルが好んで使う鋼糸の解放そのものだった。はっと我に返り、アスターの手を引いて走り出す。 合図である光の糸の軍勢は、ニゼル達を避けるようにゆるゆると蛇行しながら道を照らし、奥へ奥へと駆け伸びていった。 暗がりの向こう、松明の灯で視界が俄かに明るくなる。やってきた面々が白翼の天使達であると気付かされ、ニゼルは盛大に顔をしかめた。 「――やはり来たか、ラグエル! よくものうのうと!」 「貴様、それを置いていけ!」 「それ」とは、間違いなくアスターの事だろう。こっちは好きで来たわけじゃないのになあ、ニゼルが文句を吐こうとした瞬間、 「……ニジママ様っ!!」 「え? うっわ!」 手をアスターに引かれ、その場でたたらを踏んだ。その一拍のうち、あの光り輝く鋼糸が縦横無尽に跳ね上がる様子を、ニゼルは見た。 海面を流れるように踊る小魚の群れか、書物で見たトビウオの飛翔そのもの。浮き上がり、突き進み、生き物さながらに敵対者に縋りつく。 「ぐわっ!」 「ひっ、ひいい!? 熱い……!」 「……うわあ、きれー。そっか、あれ、雷を細くした光線なんだ」 「ちょっ……にっ、ニジママ様、感心してる暇ないですのう! 早く、こっちに!!」 「審判官という銘を安寧の中で腐らせないように」。そうして対天使に鍛えられる親友の技巧は、種類を問わず日々磨かれていくばかりだ。 雷を糸状に織り上げ、自在に操り、しかし顔色一つ変えずに牽制と目くらましを仕掛けた藍夜に、ニゼルは放心して見とれてしまった。 アスターに呼ばれ、腕を引かれるままに歩を急がせる。彼女の誘導に従いながらも、ニゼルはうーん、と口内で唸っていた。 「ねえ、アスター。試験の答えって、もしかして魔獣とか神獣とか、そういう生き物のたぐい?」 ぽつんと乱暴に吐き出した予想に応えは返されない……天使達の言葉をそのまま受けるなら、彼らは自分達の来訪を知っていた事になる。 待ち伏せされたというのなら、こちらの動向は筒抜けだろう。しかし主であるヘラの性格を思えば、内情を漏らす者がいるとは考えにくい。 ならば、アスター自らが誘導と誘い込みを同時にかって出ているのではないか、と考える方がまだ自然だった。 知恵の樹を原材料に据えられた特別な少女。彼女は自分達に何を見つけさせたいのだろうか。その意図が見えず、ニゼルは声色を固くする。 「――ニジママ様。ほら、もう、見えましたのう」 「見えた? 見えたって、何が……」 天使達の悲鳴が遠退き、親友が雷を打ち鳴らす音がずっと遠くから響く頃。ニゼルとアスターは、遺跡の最奥、地下通路の前に立っていた。 冷たい風が吹き上げ、頬をぞわりと撫でつける。通路の入り口の壁にはささやかな燭台の灯が灯されていて、道に迷わずに済みそうだった。 「この先? ここに、答えがあるの?」 「はいですのう。アナタ方の家族の、友人同士のキズナが、試されるときですの」 「うーん。天上界の天使が来てるって時点で、試験も何もないと思うんだけどね」 「アスターを奪われないように努力するのも、知恵の樹の管理人代表、高位天使ラグエルのお仕事ですの。これくらい造作もない筈ですの」 わざとらしく単語の一つ一つで語気を強め、少女はにこりと丁寧に笑む。ニゼルは一番近くに飾られていた燭台を丸ごと一つ、手に取った。 「ニジママ様。タイマツドロボウ、ですの?」 「ロードを使ってもいいんだけどねー。相手が天使なら、検知されちゃうかもしれないかなって」 思っていたよりも軽いそれを構え、階段をゆっくりと降りる。何が待ち受けているかは知らないが、やはり好奇心には勝てそうにない。 アスモダイやノクトの雇用主のアジトを思い出させる冷たい空気が足を撫でつけた。数歩分、後についてくるアスターと黙々と奥へと急ぐ。 ……開けた場所に出たのは、会話が途切れて数分も経たぬうち。階段を降りてすぐの事だった。 意外にもあっけなく遺跡の造りは終えられていて、洞窟の岩肌を利用して設けられた天然の祭壇、祈りの為の場が視界に飛び込んでくる。 「何なのここ」、ニゼルがその一言を飲み込んだのは、その場所があまりに美しかったからでも、神聖で荘厳であったからでもない。 「――え? 待って……どうして? なんで、こんな事になってるの」 それでも、殆んど無意識に吐き出した言葉は洞窟内に虚しく反響した。後ろに佇む少女の笑みが、より不敵なものへと変わっていく。 「見覚えはありませんの? いいえ……ニジママ様より、藍夜パパ様……今代のウリエルの方が、馴染みがある顔かもしれないわね」 目の前、祭壇の上空に吊されるもの。無数の蔓植物に拘束され、垂れ下がる鍾乳石に俯く顔をほの青く照らされる、白翼の天使が一人。 夕焼けに似たオレンジ色の髪に、一目で好青年と分かる整った面立ち。鍛えられた体の多くは、白い布と飾り羽根で艶やかに彩られていた。 見目麗しい彼はしかし、どこをどう見ても囚われの身だ。どんな事情で捕まり、或いは吊されているかなどこちらに知る由もない。 だがニゼルが石のように固まってしまったのは、その天使がかつて見知った愛しい存在に酷似しているからに他ならない。 「高位天使イスラーフィル。審判官ウリエルの支援者で、最後の審判の発動を報せ、担う天使……以前、人間として生まれた事のある男よ」 「……アスター」 「今回は告知を必要としなかったようね。彼、アナタ方にとってどんな都合のいい人形に成り果てているのかしらね」 悪意ある声に振り向く、琥珀色に満ちた眼差しに訝しむ目を返す。アスターが何か言うより早く、ニゼルは再び頭上の天使を見上げていた。 「うーん……藍夜がこれ見たら、怒ると思うよ? ねえ、『暁橙』」 思考は数秒のみ、ようやく紡いだ言葉は知らず震えている。歓喜と好奇心に疼いた心が、ニゼルの横顔に深い笑みを滲ませていった。 途端、アスターは表情を笑みから無機質にすり替える。この光景を見て何も感じないのか、そう咎めるような視線にニゼルは振り向かない。 「藍夜はまだ来られないかもしれないし。うん、俺達で降ろしちゃった方が早いかな」 「……ニジママ様」 「うん? 何、アスター?」 「なに、じゃないですの。何も思わないんですの? 罠かも、とか、もしかしからトバアキトの記憶なんて欠片もないんじゃないか、とか」 今度こそ、ニゼルはきょとんとした顔で瞬きを繰り返した。アスターの言わんとする事が本気で分からない、そう主張する表情だ。 「そんなの後でいいでしょ? このままだと鬱血しちゃうし、話を聞くにも降ろしてからにしてあげた方が効率いいよ」 「で、でもっ!」 「あのさ、アスターは結局俺達に何をさせたいの? もしかして試験なんて口実で、ただ暁橙をここから連れ出してあげたかった、とか?」 「そっ、そんな事!? し、試験は試験よ、決まっているじゃない!」 「本当にー? なんか必死さを感じないんだよねー。暁橙が転生した事も知ってるし、アスター、俺達に他にも隠し事してない?」 素直な疑問を口にした瞬間、少女はあからさまに狼狽して口を閉ざす。顔にすぐ出るあたり、アンジェリカの血は相当濃く出たのだろうか。 突っ込んでみてもよかったが、それで荒れられても正直迷惑だ。俯いた繁鼠色を見下ろして、ニゼルは気付かれないように嘆息した。 「……屋敷じゃ話せないような話でも、したかった? あそこじゃ、サラカエルやアンの目もあるもんね」 当てずっぽうで口にしてみると、青ざめた顔でこちらを見上げてくる。それでも自尊が邪魔をするのか、すぐに顔は伏せられてしまった。 そんなに分かりやすく感情をむき出しにして、彼女はこの先、あの屋敷でやっていけるのだろうか。他人事ながら心配になる。 ……他人事。アスターが先代の血を継ぎ、その内側に知恵の樹を潜ませているのだとしても、彼女の全ては「ニゼルにとっては」他人事だ。 だというのに、自ら「ニゼル=アルジル」の領域に足を踏み入れた。アスターは果たしてこちらに歩み寄りたいのか、拒絶したいのか。 どちらかでも明かしてくれなければ……今のように誘いかけの態度を続けられたところで、手を差し出すような甘さを自分は持っていない。 「……い、」 「ん?」 掠れたような切ない声は、正しい方角を探しているかのように震えながら宙を彷徨う。ニゼルはただ黙して、言葉の続きを待った。 「鳥羽兄弟もアナタも、前世の記憶があるのに……どうしてアナタはあのひとの記憶を持たないの。呪詛のぶつけようも、ないじゃない!」 文字通り、彼女は迷子だ。屋敷に暮らす者全てに嫌みと敵意をぶつけながらも、父と、母と呼ぼうとしているのがその証。 ニゼルはうっすらと目を細める。アスターの中身が何であれ、自分が彼女の全てを甘やかし、受け入れ、容認してやる事は決して出来ない。 あの屋敷にはヘラや自分達以外にも、今もまだ様々な出入りがあった。故に、溺愛してやる事がアスターの為になるとは到底思えない。 「前にも言ったよね、俺はアンジェリカじゃないよって。八つ当たりするの、やめてくれない? 俺にだけじゃなく、藍夜にも、暁橙にも」 琥珀色と尖晶石が激突する。悔しげに見上げてくる種子の少女に、知恵の天使は心底楽しげな笑みを落とした。 「――あらかた、片が付いたものかな」 ぽつりと吐き出した声は、自分でも思った以上に穏やかな音を絡ませている。藍夜はふと、自分の左手の先を見下ろした。 サラカエルとの手合わせの際、かつて手放した雷霆のロードを模して召喚するに至った「世界の果てでくすぶる雷」、その集合体たる武具。 今やそれは、襲撃してきた天使達を半殺しにしてしまえる威力と制御機能を備えている……制御を可能にしたのは、自身の努力の結果だが。 元々「ウリエル」は審判の制御も含め、天候操作の術に優れる天使だ。雷を喚び、己の手足として扱う事に不慣れさなど欠片も存在しない。 「いや、しかしニゼル達を放置するわけにもいかないからね」 足下に散らばる、呻き、苦しむ天使の軍勢。気付か簡単な治療をした方が――そう思考して、次の瞬間にはそれをする事を藍夜は諦めた。 小難しい謎解きや未知の生命体に顔を輝かせる友人ニゼル。そんな彼女が、この程度の障害で「お宝探し」を諦める筈がない。 むしろ「襲撃者が出たって事は何かある証拠だよ」と言って喜び出しそうなものだ。少しは自分が非力な女性である事を自覚して貰いたい。 (非力な女性……そう、その通りだとも。ニゼルが私利私欲で駆り出されたこれらの天使に害されるのは、僕の望むところではないのだし) 天上界に住まう神々や天使の多くは、未だにヘラやラグエルを取り戻そうと躍起になっている。知恵の樹を内包するアスターも然りだろう。 彼らがどんな目的でこの遺跡に姿を現したか。そんな事は、当時から内政や腹の探り合いに疎かった自分でも容易に理解に至った。 『――藍夜!』 しかし、無垢に笑う古くからの友人を、親しい幼なじみを、心許せる唯一の理解者を、藍夜は端から手放すつもりなどなかったのだ。 ラグエルの役目も交友関係も知った事ではない。出来る事なら大神や赤い豹から遠ざけて、それこそ屋敷の中に閉じ込めてしまえたなら…… 「……僕も、大概なものだね」 対天使が表明して止まないヘラへの忠誠心を笑えもしない。自分も似たり寄ったりだ、そう思うと自然と自嘲の笑みが浮く。 転がる敵対者達には一瞥を投げるだけに留め、藍夜は擬似雷霆を手にしたまま、ニゼル達が消えていった遺跡の奥へと足を向けた。 「っ!」 そのときだ――目の前に白金色に輝く鋭い光線、「神の槍」が降り注ぐ。思わず後退していた自分を、藍夜は自分で褒めてやりたくなった。 雨霰のように降りしきるそれに当たれば、たとえ高位天使といえどただでは済まされない。よければ器の欠損、悪くて死あるのみだ。 それほどあの光槍は強力で、特定の天使にのみ使用権限と取得が容認されている。こんな事が何の躊躇もなく出来る天使は、そう多くない。 「……審判官……ウリエル。君と、このような形で会う事になろうとは」 視線の先、暗がりから松明もなしに姿を見せたのは、神々に全幅の信頼を寄せられる天使そのひとだった。 藍夜はこの場からすぐにでも逃げ出したい心地で体を硬直させる。しかし、それを許さんとばかりに黄金の大翼が宙を打った。 「『ミカエル』。この遺跡に、一体何があると言うのだい」 「君に知る必要はない。ガブリエルより奪還したものを、そう易々とラグエルの手に渡すわけにはいかない」 「ガブリエル? ……告知を受けた天使かい」 余計な口を滑らせたのは、ミカエルの方だ。だというのに口封じとばかりに神の槍を落とされ、藍夜もやむなく自身の四枚翼を発現させる。 「二度も逃がすとでも? ヤコブの件、忘れたとは言わせない!」 「ヤコブ……そうかい。生憎だが、記憶にないものでね」 後退、旋回、着地した直後の跳躍。容赦なく降り注ぐ美しい凶器に、藍夜は僅かながらに歯噛みした。 ニゼルは、自分達は、またしてもろくでもない案件に首を突き入れてしまったのではないか……逃れるべく、更に強く翼を打ち鳴らす。 ミカエルの言が事実とすれば、その天使がニゼルに牙を剥かないとも限らない――自分の知らないところで彼女を喪うなど、耐えられない! 「悪く思わないでくれたまえ。僕には、天上の園の都合につき合っている暇はないのだよ!」 擬似雷霆が、黒く、より冥い輝きを放った。鮮烈な落雷はしかし、音と光といった二次効果にのみ特化させてある。 目くらまし、騙し討ち。天使長が怯んだ一瞬の隙に、藍夜は全力で飛翔した。全てはニゼルの為、彼女を守るというに大義名分に過ぎない。 「……ッ!!」 閃光の後。藍夜の意図を知らずに素直に防御、受け身の構えをとったミカエルの目に、直後、審判官の姿は映らない。 『イスラーフィル、か。地上より連れ出し、召し上げろ。あわよくば彼を餌にラグエル達を釣れ。あの条件なら黙っている筈がないからな』 いつか下された大神の密命は、ヘラに気取らせぬよう、行動力に溢れてやまない「堕天使の集合体」に情報を僅かに流して実行に移される。 予想した通り、アスターという少女は母胎の中から彼女のみに聞こえるよう細工された情報を元に、生誕直後すぐさま踊ってくれた。 後はウリエルの目を盗み、隙を見てラグエル、アスターらをイスラーフィルごと連れ出せば任務を終える事が出来た筈なのに。 (ウリエル。君はかつて、あれほど神々の命令に従順な天使であったのに) あれほど自我というものが薄く、道具として優秀だった彼を変えたのは、誰なのか――答えは分かりきった事だ。 他人を捲き、はぐらかそうとする飄々とした態度は、自分とは相容れぬものとして当人から距離を置いていたからよく知っている。 「余計なまねばかりをする。ラグエル、……サミル」 似たもの同士とはよく言ったものだ。件の二人には、天使長の知らない様々な共通点が存在していた。 無論、ミカエルにそれを理解する意欲はない。全ては天上界の為、自分達を飼い慣らす神の為なのだ。双方の価値観はあまりに離れている。 金の大翼は再び打ち鳴らされ、逃走した藍夜を追うべく羽ばたいた。彼の横顔には、怒りよりも焦燥のようなものが浮いている。 |
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