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楽園のおはなし (3-19) BACK / TOP / NEXT |
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「……気持ち悪い」 黒羽根の神獣と一角獣が退室した直後、仰向けに寝たまま白羽根が突然そう呟いた。珊瑚の暴走を知らない琥珀がぎょっとして愛娘を見る。 サラカエルが微かに顔を歪めた瞬間をニゼルは見逃さなかった。すぐに寝具の横に屈み、いつの間にか震え始めていた真珠の手を取る。 びくりと、白い手が怯えるように大きく跳ねた。幽霊でも見たような目で、彼女はニゼルの顔を仰ぎ見る。目尻に涙が浮いていた。 「……ニゼル」 「真珠。どうしたの、大丈夫?」 「ああ、あのね……わたし……わ、わたしね、」 彼女は、弟が退室する間を待っていたのかもしれない。恐ろしいものを見た、そんな目がニゼルを見上げる。 「真珠……」 「……っ、ごめ……なんでも、ないわ」 なんでもない筈がない、意地を張る真珠に食ってかかろうとした瞬間、ニゼルは肩を掴まれた。振り返ると、神妙な顔の親友と目が合う。 「落ち着きたまえよ、ニゼル。僕達は一度退室するから」 「あ、藍夜?」 「……君は教育担当だろ。女同士、話しやすい事もあるだろうからね」 「サラカエル、それってどういう……」 「うむ。では話が済んだら呼ぶんじゃぞ。それまで外で治療の話を詰めとるからの」 声を掛けてきた親友だけでなく、サラカエルやケイロンまでもが、まるで口裏を合わせたようにぞろぞろと部屋を出ていった。 何がなんだか分からない、ニゼルは扉が静かに閉められるのを首を傾げて見送り、もう一度白羽根に向き直る。 「ニゼル!」 「うわっ、真珠!?」 刹那、いきなり抱きつかれた。倒れそうになるのをなんとか踏みとどまり、肩を震わせ続ける真珠を抱きしめながら慎重に寝具に押し戻す。 大人しく座り直してくれたものの、彼女の体の震えは一向に収まらない。気休めだと分かっていても、頭を撫でてやるしかなかった。 理由を吐くよう急かすのは容易い。しかし、何かに怯えているように身を竦めているのに、これ以上の刺激を与えたくはない。 ニゼルと琥珀は、互いに頷き合う。「真珠の口から直接聞こう」、そう目で確認し合った瞬間、白羽根は弱々しくニゼルの手を握り返した。 「真珠? 俺はここにいるよ。大丈夫だから、落ち着いて」 「……ごめんなさい、ニゼル。母さん」 「真珠、どしたの、どこか痛い? 何か食べる? あったかいお湯、貰ってこようか……」 母の気遣いに、真珠は首を横に振る。その目からついに大粒の涙が零れ落ち、ふたりは息を潜めた。 「中に……いるの」 「え?」 手が解かれる。何があったのか聞き返すより先に、真珠は顔を両手で覆った。普段の彼女からは想像出来ない悲痛な声色が、部屋を揺らす。 「わたしの中に、腹の中に、何かがいるの。動いてるのよ、蠢いてるの……管みたいな細長い化け物が、わたしを内側から撫で回してる!」 はっとして、ニゼルは真珠の腹に目を向けた。既に顔の血は拭き取られ、新しい寝間着を着せられ、一見は日常を取り戻した体にも見える。 琥珀が止めるのも聞かず、ニゼルは白羽根の寝間着の前を外した。乾いた音を立てて白色の布が下ろされ、直後乱暴に下着を捲り上げる。 「……なん、なの、これ」 ニゼルは、琥珀は絶句した。色白の素肌の下、真珠の腹の内側から、複数の細くうねる管が無数に浮いている。 心臓を取り囲む血管のように複雑に交差するそれらは、皮膚の下で琥珀色にぼんやりと光り輝き、いっそ神々しくもあった。 血か栄養でも運んでいるのか、管は明滅しながら細やかに一定のリズムで蠢き、悲嘆する白羽根の神獣の腹の中で好き勝手に動作している。 明らかに、彼女の体内機関とは異なっていた。管の中心と思わしき下腹部には、同じように輝く心臓大の塊が鎮座しているのが見える。 ヒトの握りこぶし、一つ分。手を伸ばして触れてみると、中からは何らかの鼓動か胎動らしき、不穏な跳ね返しの響きが返された。 (……これは、怖い筈だ) 生きている、それは真珠の腹の中で生きている。まるで彼女の胎に、新たな生命体が理不尽に寄生しているかのようだった。 「嫌だ、なんなのこれ……わたし、一体何をされたっていうのよ」 「真珠」 「怖い、怖いのよ! こんなの、珊瑚に見せられない……あの仔、絶対自分を責めるわ。パパにだって……嫌われてしまうかもしれない」 鼓動、胎動、いつ変化が訪れるか分からない恐怖。それを自覚出来ているのだろう。真珠は顔から手を離すと、自ら腹を抱えて泣き始めた。 彼女のこんな弱りきった姿を、自分達は今まで一度も目にした事がない。耐えられないと言う風に琥珀が娘を両腕で強く抱きしめる。 それを見た瞬間、ニゼルはぱっと立ち上がり、部屋を飛び出していた。頭の中に血が上り、思考が真っ白に染められていく意識があった。 「出てきて……教えて、早くっ!」 向かったのは、藍夜と共用している自室だ。まっすぐ自分の机に駆け寄り、一番下の引き出しを開けて底に隠していた箱を取り出す。 魔王サミルから託された桐箱だった。焦りと怒りで手を震わせながら象牙色の札を一枚取り出し、宙に放る。 直後、それは瞬く間に黒い炎に包まれた。その火が魔王を喚ぶ標の灯火となる事を、ニゼルは先代の記憶から知っている。 「――『災厄』がついに現れたんだね。ニゼルさん」 札を焼き尽くした炎が消え失せたとき、その場にいつものように何の前触れもなく、あの黒塗りの青年が姿を見せた。 やはり彼はあの物体の事を知っている。ニゼルは半ば睨みつけるような目で、サミルを真っ向から見つめ返した。 「おかしいよ……俺が知ってる構造と変わってる。あれは本来『宿主を乗っ取るように造ってない』」 「ニゼルさん」 「そうだよ、ラグエルがあれを造ったんだ、『誰かと共謀して』……でも、誰と? 俺には『造り出した』記憶しか思い出せない」 かつて、在りし日の記憶が脳内で氾濫するように渦巻く――先代ラグエルにはヘラの屋敷を離れてカマエルらと過ごしていた時期があった。 それが先の黒羽根の神獣によって破壊された塔の中での暮らしだ。詳細を振り返ろうとする度に、脳裏に黒い砂嵐が過ぎり頭が痛む。 自分は何か大切な事を忘れている、そんな自覚がより強くなった。しかし、全てでなくとも一部の記憶は辛うじて思い出す事が出来ている。 「あの塔で、俺は誰かと『琥珀色の種子』を造った。特別な雌の個体に移植して、特別な雄の種を与えれば開花に至る、そういう生命体を」 「アスター」。あの琥珀色の小瓶に収められていた秘密の開発品は、そのような名前を付与されていた。 先代ラグエルが何者かと協力し合い、塔の設備と協力者の財力、技術、知恵の樹の知識を総動員して完成に至った、特別な子供の素。 普段は琥珀色の液体に過ぎないそれは、特別な雌の子宮に移植する事で特別な子供の素として、その雌の胎盤に定着する。 あとはそこに、やはり特別に厳選した雄の種を注ぐ事で、通常の妊娠と同じような周期を経てこの世に産み落とされる仕掛けとなっていた。 代理母――白羽根の神獣は、今、かつてのラグエルが創造した神秘の生命体を不完全な形で身ごもらされている。 理不尽な仕打ちであると同時に、現ラグエルであるニゼルの中には「是が非でも産んで欲しい」という恐るべき好奇心が生まれていた。 それが如何に真珠を傷つける願いであるのか、倫理に反する望みであるのか……自覚はあれど、積年の想いは止められそうにない。 「材料の多くが何であったか、特別な雌雄にどの種が相当するのか。そのあたりは覚えているのに、完成品の造形や製造に至るまでの詳細が 何も思い出せないなんておかしいよ。ねえ、サミル。アンジェリカに何があったの? あの種子を俺に黙って弄くり回したのは誰なの?」 実際、種子は母胎を傷つけないように設定してある。固体化を果たした後、産まれるまでの間、胎内で守って貰わなければならないからだ。 だからこそ、覚えのない仕組みを発揮している「現在の種子」に戸惑いを隠す事が出来なかった。 母胎となる雌に不快感を与えたり、ましてやその肉体を傷つけたりしようものなら、文字通り「実を結んでも」生まれてこられないからだ。 しかし、カマエルが隠し場所から取り出し真珠の腹に移植した今の種子は、彼女の体を乗っ取るかのように内側から肥大化しつつある。 ……この際、共謀者についての回想は後からでも構わない。今最も重要視すべきは白羽根の安否のみだ、皆でずっと慈しんできたのだから。 「考えてみてよ。あのままじゃ、真珠は内側から種子に食い破られる。どうして? 俺は、俺達は、そんな風に造った覚えなんてないのに」 何故、他者の胎と種を利用してまで生み出さなければならない代物を創造したのか。その根本的な理由を思い出すには至っていない。 しかし、あの種子の製造過程を思い出そうとする度に、ニゼルの胸はこの場で張り裂けてしまいそうになるほど切なく、強く痛むのだった。 眼前、魔王は酷く悲しげに顔を歪める。矢継ぎ早に疑問を投げかけていた今代のラグエルは、思わず二の句を飲み込んでいた。 「……ニゼルさん。君は確かに今代のラグエルではあるけど、ラグエルとしては不完全なんだよ」 「え?」 「先代ラグエル、アンジェリカ。彼女が喰を受けた後でもなお、死の遣いという形であれど現世に出現出来ている事。それが何よりの証さ」 不意にサミルは袖の中に手を突き入れる。手品か魔法のようにそこから静かに取り出されたのは、漆黒の上品な装飾を施された小箱だった。 「ラグエルが膨大な犠牲と手間暇をかけて、あの種子をさる方と造り上げた事。それは僕を筆頭とする魔王一派であれば誰でも知っている。 けれどね、本来はあの種子の存在は隠されてきたものだったんだ。代理母を要する程度には、慎重に完成までの構造を練られていた……」 「サミル……?」 「『ラグエルを二つに分かつ』、それさえも開花には必要な行程だった。恐らくはね、アンジェリカはそういう女性だったから」 受け取った箱を、そっと開けてみる。中には、凝った小粒のチョコレートが、気品のある香りをたてながら美しく並べられていた。 なんとなく食べてはいけないもののような気がして、ニゼルは蓋を閉め直す。魔王が微かに、微笑を漏らした気配があった。 「君が詳細の一部を思い出せない事、真珠さんが傷つけられている事。それは君から分かたれたラグエルが成し、君から持ち去った記録さ」 「持ち去った? どういう事? だって告知は完遂されたって、ガブリエルが……」 「ラグエルとしての役割を果たす為なら、今の君だけでも十分なんだ。けれどね、君の中に欠けた記憶がある。不完全とはそういう事だよ。 彼女、アンジェリカには歴代のラグエルが築いてきた記憶のうち、ある部分が深く残されている。君が受け継げなかったのはそこなんだ」 ガブリエルによる告知。しかし此度のそれは不完全でありながら完璧なものでもあるのだと、サミルは寂しげな顔で告げてくる。 ニゼルは眉根を寄せた。実際に自分はラグエルであるという自覚と、先代――アンジェリカの行動の一部が思い出せないという認識がある。 器は確かに共有されていた筈だった。朧気な当時の記憶においても、ラグエルという高位天使が二体、常に同時に存在していた覚えはない。 では、さも境界性か乖離性かのように当時の自分は精神を分かたれながら生活していたというのだろうか。実感が湧かず、首を傾げる。 (独立した精神体のアンジェリカが、従来のラグエルの意志を無視して種子を改悪した。その償いとして現世を放浪させられてるって事?) 再び手元の小箱を見下ろした。言及しないところを見ると、魔王はこれを「ニゼル」に食べさせるつもりはないのかもしれない。 では、一体誰の為に? ゆるりと思考を巡らせた瞬間、ふと頭の中のもやが薄らいでいった。ニゼルはぽつりと、誰にともなく独りごちる。 「そっか。アスターを改悪して、かつ誰にでも持ち去りやすいように工作したのは、アンジェリカ本人なんだ。そりゃ思い出せないわけだ」 アンジェリカは、陰ながら「琥珀色の種子」を表舞台に引っ張り出したのだ。「アスター」としてより完璧な形で誕生させる為に。 「御名答、と言いたいところだけど、僕から助言出来るのはここまでかな。もう、刻限のようだから」 「え? サミル……うわっ!」 腑に落ちた瞬間、ニゼルは悲鳴を上げた。視界が急激に反転し、気がついたときには嗅ぎ慣れた迷迭香の香りに全身を包み込まれている。 「……懲りないものだね。またしても君かい、魔王」 「! っあ、藍夜!?」 「こんにちは、審判官。いや、今はアイヤさんと呼ぶべきかな」 「よしたまえ。君に気安く呼ばれるほど、安い命は持たないというものだよ」 あれほど大音をたてて廊下を走ったのだ、当然、親友達も自分を追ってきていた筈。迂闊だった、ニゼルは僅かに歯噛みした。 藍夜に抱きしめられたまま振り返ると、予想通り、部屋の入り口にはサラカエル、ケイロンの姿も見つけられる。 ――まだ聞きたい事が、たくさんあるのに! そう叫びかけるも、腕の力をいっそう強くした親友を前に不用意な事は口に出来ない。 ニゼルはチョコレートの箱をそっとスカートの影に隠してから、藍夜の二の腕を軽く叩く。彼は怒りを滲ませた目で、こちらを見下ろした。 安心して、そう願いを込めて柔らかく微笑み、見つめ返す。何故か親友は大きく目を見開き、直後咳払いを一つしてからそっぽを向いた。 「大丈夫だよ、藍夜……真珠のお腹の中身の事で、俺が思い出せていない部分を聞き出してただけだから」 「ニゼル? それはどういう……まさか、今回の件は魔王も関与しているとでも言うのかい」 「全然違うよ! あれを造ったのは俺、ラグエルなんだ。で、真珠に埋め込まれるように仕組んだのはアンの姉さん……アンジェリカだよ」 ニゼルが再び前を向いたとき、既にサミルの姿は室内から消えている。しかし、誰もがそれに気付けていない。気付く余裕などないのだ。 全員が息を飲む気配があった……それもその筈、アンジェリカについては、これまで誰もが死んだものと認識していた筈だった。 これは説明に苦労するかもしれないな、ニゼルは小さく嘆息する。同時に時間の猶予もない事にも思い至り、息が詰まった。 (放置すれば、真珠は種子に殺される。でも、それを回避するには種を……真珠に誰かと身体を重ねさせなきゃいけないのか) 気高く、穢れに弱い白羽根を思えばあまりに非情な仕打ちだと思う。かつては自分の一部であった筈の女を、ニゼルは人知れず憎悪した―― 「藍夜、サラカエル、ケイロン。全員を広間に集めて、そこで話をするから。真珠はまだ寝かせとこう。俺が別のタイミングで説明するよ」 ――同時に、実験の成果である種子の開花を望む己の利己的な思考に気づいて嘆息する。 それでも今は、真珠を助けたい、誇りを守ってやりたい。どちらも一方的な気持ちの押しつけでありながら、己の真意そのものでもあった。 動揺したような目でこちらを見下ろす鳥羽藍夜。居合わせた面子に淡々と用を言付けた後、ニゼルは親友を見上げて自嘲的な苦笑を漏らす。 高位天使ラグエルの所業。どれもが業の深い、あまりに身勝手なものである時点で、彼女らと自分は似た者同士であるような気がした。 「……なんだって!? それでは、このままでは真珠は落命してしまうというのかい」 「そうだよ。特別な雄から子種を受け取って、あれをお産の形で体外に排出しない限りはね」 今代のラグエルによる簡潔極まりない説明。居間ではなくヘラの自室に集められた面々のうち、藍夜が顔を青くしながらニゼルに問い質す。 その応酬を耳にした瞬間、アンブロシアは蒼白どころか顔を白くしてその場に座り込んだ。支えてやりながらも、琥珀も肩を震わせている。 その隣、呆然と立ち尽くす息子と妻に交互に視線を投げ、シリウスが深く大きな息を吐いた。一斉に注目を浴びても、彼の顔は冷静を装う。 「ニゼル=アルジル。その話が真実だとして、やはり娘から種子とやらを引き剥がす事は……現時点では難しいのか」 「無理だよ。アンジェリカがそんな甘い抜け道を用意する筈ない」 「でっ、でもさ、ニジー? 天上界には腕のいい医者が他にもいるんでしょ? ケイロンのオジジだっているのに、それでもダメなの!?」 「血管同士が複雑に絡まっているからね。うまく腹を開いたところで、元来体が弱い白羽根が手術に耐えられるか、疑問だよ」 ニゼルの言葉を継いだサラカエルが、瞳術を作動させながら鼻を鳴らした。その眼前、ソファに腰掛けるヘラの横でケイロンも頷き返す。 彼は苦いものを噛んだ表情を浮かべて直立していた。聞けばラグナロク直前、アンジェリカの様子が常と異なる事に気がついていたと言う。 「様子がおかしいってどんな風に? 俺、そのあたりの記憶そのものが曖昧なんだよ……精神がいかれてたから、こんな事考えついたの?」 「うむ、本人ではないからの、なんとも言えん。しかしだ、今は真珠について考えてやらねばならん。命に関わるでの」 「それはそうだけど……ねえ、ケイロン。産むにしたって、真珠の体には相当な負荷が掛かるよね。無事でいられる保証はあるの?」 「お産も危険な選択ではあるがの。無理に引っこ抜いて大量に失血するよりマシじゃ、お産ならば専門の女神の手を借りる事も出来るでの」 「でっ、でもさ、オジジ! 真珠、苦しそうだよ、泣いてるんだよ!? なんとか外してあげらんないの!?」 「これ、お前さんが狼狽えてどうするんじゃ、アンバー! 一番苦しんどるのは今も栄養を奪われ続け、醜態を晒しとる真珠じゃろうに!」 正念場じゃぞ、ケイロンは歯噛みしながら苦しげに顔を歪めて吐き捨てた。彼もアンジェリカには怒っているのだ、ニゼルは口を閉じる。 「惨い事を閃いたもんじゃ。あの仔にとって、穢れそのものを背負い込む事を強制するようなもんじゃからの」 「死ぬよりは、殺されるよりはマシじゃないの……プライドの問題?」 「それだけではないのよ、ニゼル。ヒッポグリフ自体は長寿じゃが、繁殖期を迎える種でもある。じゃが、あの仔は星の民の血を引く身…… 自ら選び、これと決めた相手と結ばれたがる習性を忘れたか。そこなシリウスとアンバーは相思相愛だったから、何も起きておらんのよ」 「えっと……じゃあ、想い合わない相手が交尾の対象に決められたら、どうなるの?」 咳払いが聞こえた。はっとケイロンから視線を外したニゼルは、自分の騎獣が沈痛な表情をしているのを見て言葉を切る。 シリウスは、嘆き悲しむようにニゼルを見た。夫の異変を察したか、涙目のまま、琥珀が彼の手を掴みに走る。 「容易な話だ。事が済んだ後、俺がエライにした行いが成されるだろうな」 「……シリウス。それって、」 「真珠が相手と、産んだ種子そのものを自らの手で潰すという意味だ。あの仔は一生、血なまぐさい自虐と悔恨に苛まれる事になるだろう」 星の民の里で起きた惨劇。転生前に目にしたあの赤黒い報復の光景を思い返し、ニゼルは口を手で押さえた。察した親友が肩に触れてくる。 返す言葉もない。自分が、かつてのラグエルが如何に非情な事をしでかしたのか、今代のラグエルは改めて思い知る事になった。 そんな状況でも「ならなおさら産んで欲しい」と考える自分に呆れてしまう。ニゼルの沈黙を絶望ととったのか、藍夜は頭を撫でてくれた。 優しい手つきと少し低めの体温が、嬉しくも恥ずかしい。しかしその気遣いは、自分にとっては残酷な慰めにしかならない。 (でも、全部自業自得だ) おぞましく、狂おしい種子への想い。全てを振り払うようにして結論を出そうと口を開き直した、そのときだ―― 「……なら、わたしに大人しく死ねって言うの。冗談じゃないわ」 ――全員が度肝を抜かれて振り返る。部屋の入り口、両手で押し開く扉を肩で強引にこじ開けながら、真珠は息も絶え絶えに吐き捨てた。 いつから聞いていたのだろう、ニゼルはさっと顔を青ざめさせながら彼女に駆け寄る。真珠は拒む事なく、素直に出された手を握り返した。 「で、ニゼル。その特別な雄っていうのはどこにいるの。今すぐ連れてきて」 「しっ、真珠……待ってよ、体はだいじょう、」 「大丈夫なわけないでしょう。吐き気はするし、気分も悪いしで最悪よ。でも、わたしはそのアンジェリカとやらの策略に負けたくないの」 意外にも。意外にも、当の本人である白羽根の神獣は、覚悟を決めたとばかりの強い眼差しで苦楽を共にしてきた面々の顔を見渡していく。 その姿は疲労と消耗に振り回されながらも、強く、気高くあろうとする乙女の振る舞いそのものだった。藍色の眼に一片の曇りもない。 「仕事、居場所、恋人にも恵まれていながら、そいつは肝心な時に全部を捨てたのよ。そんなものの思い通りに、なってたまるもんですか」 「分かってるの、真珠。血の繋がらないこどもを産むって事だよ? それはアンジェリカの狙い通りって事にはならないの?」 「莫迦ね、ニゼル。産まないと命はないぞ、なんて、わたしが産むのを拒んだときの保険に決まっているじゃない。臆病にもほどがあるわ。 逆手にとってやるの、『産まざるを得ない』条件つきで疑似的に新しい命を生み出そうなんて、生命の理を舐めてるとしか思えないのよ。 そんな臆病者の願い通りの子供なんて産んでやらないわ。わたし達が育て抜いて、冥府の底から心底妬ましく思えるようにしてやるのよ」 「これは意見を曲げないつもりだろう」。そう予感させる真摯な眼差しを向けられ、今代のラグエルは諭す事を諦めざるを得なくなった。 同時に一人、考える。開発に携わったのは自分自身だ、故にニゼルには「特別な雄」の種族にもきちんとした心当たりがあった。 嘘も誤魔化しも、今の真珠には通じないかもな――苦笑が漏れる。あらゆる非難と失望が降りかかるであろう覚悟を、決めるよりなかった。 「……分かった。真珠、君の仮初めのつがいに相応しい個体の事、教えるよ。生殖に備えて、君達の寝室を巣籠もりの場に定めておこう」 心臓が早鐘のように鳴っている。顔を上げた時、向かい合う白羽根の双眸の中に、見た事のない顔で嬉しそうに笑う自分が映り込んでいた。 |
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