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楽園のおはなし (1-11) BACK / TOP / NEXT |
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アンブロシアが入浴している間、ニゼルと琥珀は寝具の用意、藍夜と暁橙は応接間で睡眠前用の香草茶を飲みながら今後の話をしていた。 オフィキリナスの家屋は元々、鳥羽家の大人二人子供二人、来客を最高三人まで宿泊させられるような段取りで建てられていた。 琥珀の体長や丸くなれる点を考えれば、アンブロシアが増えたとしても余裕で暮らしていけそうだ、と藍夜は結論付ける。 自分の左足首に時折ちらちらと視線を向けながらも、暁橙は大きく頷いた。 「それで、兄ィ。オイラちょっと考えたんだけど」 「なんだい、暁橙」 「シアって料理出来るんだよね、料理担当が増えたって事でしょ? 喫茶店の方、再開出来ないかな」 「喫茶店の方か……母さん任せだったのだし、そこまで考えてなかったね」 かつて、両親が健在であった頃。 ハーブの手入れから接客補助、事務会計まで手広く兼任していた母は、昼限定で喫茶店側の部屋を開放し、小規模の食堂を営んでいた。 藍夜に残されたレシピノートはその証でもある。たとえ週に二、三回程度しか開いていない店でも、それなりの客足に恵まれたものだった。 「母さんは料理上手だったからね。つまり、僕にもその血は濃く受け継がれたという事だろうね」 「兄ィ、それはちょっと……つまりその、大げさっていうか……」 「それは冗談として、そうだね。ロードや古物の売れ行きの事も踏まえれば、そうした方が得策というものかもしれない」 初期投資が厄介だが――ぼそりと蛇足を呟く兄に、暁橙はだらんと両肩を下げた。 暫くするとニゼル、琥珀が入室してくる。入室といっても応接間と喫茶店、リビングを繋ぐ廊下は簡単な木製の扉で仕切られているだけだった。 「えっとねぇ、客間にシアのオフトン敷いといたよ。ぼくもそこで寝ればいいって、ニジーが言ってた」 「ニゼル。どうでもいいのだがね、君、今夜も泊まっていくつもりかい?」 「へへ〜。バレたか」 「とりあえず明日は買出しだよね、兄ィ」 「そうだね。暁橙、君は怪我の事もあるから明日こそは留守番だよ」 「……あの、」 思い思いに寛ぎ始めた面々に、突如として届く声。傍ら、接近を悟っていたらしい琥珀が嬉しそうに目を細め、しきりに尾を振っていた。 両親の死去以降、こんな時間に店にニゼルの母以外の女性がいる機会はなかった。思わずといった風に暁橙は肩を跳ね上げる。 「おっ、おお……シア。えーと、お帰り?」 「え? あ、はい。戻りました」 「やあ、アンブロシア」 暁橙と対照的に藍夜は涼しい顔をしている。「大した問題はないがね」、そう言いながらも彼の眉間に皺が寄ったのをニゼルは見逃さない。 「ねえ。ちょっと、藍夜。顔に出てるよ?」 「何がだい、ニゼル……っと、湯加減は問題なかったかな」 「はい、有難う御座いました。お陰様で、もうすっかり疲れも取れました」 「いいよいいよ、藍夜ってお風呂とか温泉好きでさー。広かったでしょ? ヒノキの浴槽なんだって」 「僕は何も、嗜好の為に浪費して水周りを整えたわけではないのだがね、ニゼル。いいかい、そもそも風呂というのは」 「はいはい。分かってる、ちゃんと分かってるよ。藍夜」 誤解を招くような発言は控えてくれ、と片眉を吊り上げる藍夜を他所に、ニゼルはそ知らぬ顔で琥珀の頭を撫でていた。 仲がいい事は美しきかな。思わず微笑んで、しかし眼前で琥珀の尾がはたりと動いた瞬間、アンブロシアは我に返った風に声を上げる。 「あ、そうでした。そうじゃなくて」 「? え、なに、どうしたの? アン。さっきも何か言いたそうだったけど」 「それなんですけど、ニゼルさん。わたしの事よりその、暁橙さんの怪我というのは……」 「あ、そうだった。オイラの話だっけ?」 じとり、と動いた藍夜の視線が暁橙を見る。暁橙は何も気付かなかったようで、膝に載せた皿からクッキーを摘み上げながら、けろりと笑った。 暁橙ってなんであんなにニブイの、と雄弁に語る琥珀の眼。暁橙って自分の事は結構大雑把なんだよね、とはニゼルの小さな呟き。 「それが昨日ちょっと遺跡でヘマしてさ。あ、オイラにしては珍しい事なんだけど。足、捻挫? ヒビ? 入れちゃってさー」 「……ちょっと、で済んだら『全治一ヶ月』とまでは診断されないだろうがね」 「うっ、うう……まだ怒ってんの、兄ィ」 「当たり前だろう。大体君はね」 「もう。あーいや、藍夜! ちょっとほら、落ち着いて」 捻挫、と聞いてカップを傾ける手を止め、次にヒビと聞いて完全に弟を睨み始める店主。横でそれを宥めるニゼル、「珍しい」を繰り返す暁橙。 アンブロシアは一度瞬きして、ふとゆっくり歩き出した。途中、ニゼルの横を陣取る琥珀の頭を撫で、彼女が目を細める様に微笑を零す。 暁橙の前に歩み寄り、不意に床に片膝を着いた。白く細い手が、暁橙の左足首、つまりは包帯を巻いている部分に翳される。 「シア? どしたの――」 「――暁橙さん。少し、静かに」 何事か、と皆が一点集中する。ふと、アンブロシアの手のひらと暁橙の足の間に、柔らかな光が生まれた。 熟れた葡萄の果皮に似た青紫の、蛍火や灯火とも呼べそうなほどに微かな光。 (色は寒色なのに、なんだかあったかそうだなあ) きょとんとした顔のニゼルと違い、藍夜は苦いものを噛んだような表情を浮かべていた。琥珀は尾と獅子の毛をぴんと吊り上げている。 誰も言葉を発さないまま、見守る事きっかり五秒。光は何事もなかったように燐粉のように霧散し、部屋には静寂が戻された。 終わったと言う代わりに、アンブロシアがのそりと立ち上がる。 「あの、終わりましたよ」 「え? 何が?」 「え? 治癒ですけど……多分、もう歩けるようになってると思います」 「ええ!? 治癒って。ちょっと、暁橙! 立ってみなよ」 「う、うん」 アンブロシアの顔を目線で追っていた暁橙だったが、ニゼルに言われるがまま腰を上げ、「すっくと」その場に「立ち」上がった。 「……! た、たて、立て……っうわぁー! ニジーさん、立てたよ! 歩ける、歩けるよー!!」 「!? うわっ、ほんとに治ってる? 凄い! 暁橙、よく分かんないけど良かったね」 「うんっ! ほらほら兄ィ、見てよ。オイラの足、完璧に治ってるよー!」 一番驚いたのは他でもない当事者のようで、鼻歌交じりに椅子の周りをスキップして回った。釣られて満面で笑み、思わず手を叩くニゼル。 「……『治癒の祈り』だね」 藍夜の低い呟きに、困惑したように頷き返すアンブロシア。ニゼルは彼の顔が終始固かったのを思い出した。あ、と思い至り手を下ろす。 裏手口の破壊の詳細を目の当たりにしたわけではなかった。だから、彼女が真実、天使である事は現実味を帯びていなかった。 これもでもし藍夜が「やはりアンブロシアは信用出来ない」、「ここに天使など置いておけない」と言い出したら? 顔に出ていたのか、ニゼルをちらと見た直後アンブロシアも沈黙する。尾をぶんぶん振っていた琥珀が、暁橙に抱きつかれながらこちらを見た。 「アレ? どしたの、皆。なんかフンイキすんごい怖いよ?」 「あ……琥珀くん」 「琥珀」 「もぉ〜。せぇっかく暁橙の怪我が治ったんだしさ〜。暗い顔してないで、気楽にいこうよぉ」 「そうだよ、兄ィ、ニジーさん! シア、有難う。オイラよく分かんないけどシアが治してくれたんだよね? 天使って凄いんだね!」 「え……」 「――素直に喜んでおきたまえよ。暁橙も琥珀も、君の『天使能力』を純粋に褒めているのだからね」 「! えっ、あ、有難う御座います。お役に立てたなら……光栄です」 「(……藍夜)」 「(今後は治癒だけに留めて『扉の破壊』なんて能力は慎んで貰いたいものだね)」 「(ふふっ。素直じゃないんだから)」 「天使能力」。 神々の眷属である天使に生まれ付き備わっている不可思議な力の総称で、彼らのそれはロードの特性にも匹敵すると言われている。 ヒトのようにロードという媒介や、祝詞や魔法陣のような手間を取らずにその場で発動、具現化出来るのが最大の特徴で、 アンブロシアのように怪我の治療や病による痛みの緩和、魔物や魔獣の侵入を阻む結界を張ったり破ったりと、個々によるが種類は多岐に渡る。 天使に纏わる知識があるなら知っていて当然の事だった。ましてや、ヒトの身でそういった力を持つ者は世界広しといえど皆無に等しい。 その力を以って過去苦汁を舐めさせられた藍夜は素直に喜べなかったのではないか。 一瞬そう心配したニゼルだったが、藍夜は自分が思っていた以上に精神的に成長しているようだった。 暁橙の足首の包帯を解きながら、「本当に治っているのだろうね?」などと嫌味を零しているあたり、完全にあの事と切り離せているのだろう。 (いや、語彙とか嫌味とか、そういう変なところも成長しちゃってるのかな?) それはそれで問題もありそうな気もしたが。いずれにせよ、外出許可の下りた暁橙は嬉しそうにしており、藍夜も悠然と微笑んでいる。 明日から忙しくなるぞ――アンブロシアと琥珀を客間に案内しながら、ニゼルは兄弟が向かい合って会話を弾ませる光景を見、目を細めた。 朝起きると、台所から美味しそうなスープの香りが漂ってくる――女性の手料理というのは、独身男性にとって憧れの的である。 口でなんだかんだ言いながら、鳥羽兄弟もニゼルも例外ではなかった。三人で藍夜のベッドに密集して迎える、アンブロシア来訪の翌日早朝。 あ、なんか良い匂いがするなー、何だろうなー……そう気付くと同時、寝癖で頭をぼさぼさにしながら真っ先に跳ね起きたのは暁橙だった。 平たく大きな足が兄を踏みつけ、非難の声を上げさせるのも無視して、彼は寝巻き姿のまま階下へ下りていった。 「おはよう、藍夜。大丈夫?」 「おはよう、ニゼル。暁橙め……誰がこの家で一番偉いのか、忘れてしまっているようだね」 「いやー、まあ、ああ、うん……ははは……」 これは食後に長い説教だな。脇腹を擦る藍夜を気遣いながら、正座で小言を言われる暁橙の縮こまる背中を想像し、ニゼルは内心同情した。 階下に着くと、喫茶店スペースには既に琥珀がお座り状態で待機していた。横では暁橙が立ったまま羊乳をがぶ飲みしている。 テーブルには取り皿が幾つかと、市場で買ってきたと思わしき焼きたてのパン、林檎、オレンジジュースが並んでいた。 「おはよー、琥珀ー。暁橙も、おはよう」 「あ、ニジー。藍夜。おっはよぉう。シアもう起きてるよぉ〜」 「うん、朝ご飯の匂いするもんね。楽しみだなあ」 「やあ、皆揃っているね。おはよう」 「! ごぶっ、ぅ、お、おはよ、ニジーさん。それと……あ、あ、あに」 「おはよう、あきと。きょうはいつになくさわやかなあさだね、そうおもわないかい?」 「……おはようごじゃいます……」 踏んだ踏まれたを知らない琥珀に目配せして、ニゼルは適当な席に座った。藍夜は暁橙の正面の席を取り、にこやかに微笑んでいる。 コワー、とは琥珀もニゼルも言い出せなかった。悪さをした悪戯っ子、かかあ天下宅の婿養子よろしく、暁橙は終始笑顔のまま震えていた。 「あ、おはよう御座います。藍夜さん、ニゼルさん」 「アン。うん、おはよう。有難うね、いきなりご飯作って貰っちゃって」 「いいえ、早速昨晩頂いたお金を使わせて頂きました。気さくな方が多くて、楽しい街ですね」 「そうかい。『色々な意味で』早くここに馴染んで貰えたら助かるよ、アンブロシア」 「はい、藍夜さん。わたし、頑張りますね」 それは見慣れない顔と小奇麗な容姿に詮索されただけではないのだろうか。ニゼルが零すより先に、藍夜は釘を差していた。 理解出来たのか出来ていないのか。アンブロシアは料理をテーブルに静かに並べ、手が空いたところでガッツポーズを決めて見せる。 これは、分かっていないかもしれない。 (オフィキリナスとホワイトセージの街連中の折り合いが悪いという事……天使なら和解しろとでも言うものかな) それは自分個人、或いは先代店主らの問題ではある。とはいえ、ここに身を寄せるなら彼女も琥珀も好奇の目に晒されるのと同じだ。 失念していた、藍夜はテーブルの下で拳を握り締めた。天使は神に従う性質上、慈悲と慈愛に満ちた生物であると本で読んだ覚えがある。 街とは冷戦状態にある。これを機に再度集られる可能性も視野に入れ、最低限、彼女達を巻き込まない工夫する必要があるかもしれない―― 「今日はとりあえず無難な朝食を用意しました。予算内には留めましたから、お腹いっぱい召し上がって下さいね!」 「わぁーい、やった! ごっはんごはん〜、いっただっきまー……って、エ? ナニコレ?」 「わあ、スクランブルエッグだ。オイラ好きなんだよね、美味し、そ……」 「……アンブロシア。作って貰っておいて僕が文句を言える立場ではないかもしれないが、君は一体何を作ったつもりなんだい」 ――思考は中断された。藍夜を始め、居合わせた面々全員がアンブロシアの料理に目が釘付けになる。 テーブルの上の食欲を刺激する匂い。 ふんわりと膨らんだ玉子焼き、それとは別にハムエッグ、琥珀色のスープ、瑞々しい輝きを放つグリーンサラダに、手作りらしきドレッシング。 どれも材料、調理手順を思えば正統派の朝食だった。事実、先ほどから暁橙と琥珀の腹の虫が大合唱して早く食わせろと訴えている。 しかし皆、きょとんとした顔のアンブロシアを前に、スプーンもフォークも動かせないでいた。ニゼルが独り言のように呟く。 「アンってさ……『盛り付け』、すんごく下手なんだね」 「! に、ニジー!!」 「ニジーさん!? そんなっ、オイラでさえ敢えて言わなかった事を!」 「え、だって下手でしょ? 卵はパセリ塗れで黄色いとこ見えないし、皿の真ん中高詰みで変な塔みたいだし、ハムが舌みたいに突き出てるし。 トマトとカラーピーマンのせいで余計グロいよ。スープはいいとして、サラダなんでこんな山盛りなの? 俺、朝からこんなに食えないよ」 「確かに異様に量は多いようだね。しかしニゼル、君も多少、言い過ぎだよ」 「あ、やっぱり? ごめん、アンブロシア。つい本音が……」 ついでもうっかりでも言い過ぎだ、そう取り繕おうとして、藍夜は言葉を切った。 昨日の件といい、彼女がそういう気質である事は把握しているつもりだった。が、認識度合いは思っていたより甘かったらしい。 「すっ、すみません〜……ごめんなさい……」 ぼだぼだと洪水、スコール、ナイアガラ泣き。オフィキリナス女性店員用の空色エプロンを掴み、それで涙を拭いながら、アンブロシアは俯いた。 言い過ぎた、と焦りに焦って席を立つニゼル。それを待て、と言わんばかりに藍夜は片手で引き止めた。しゃくりあげる天使の答えを待つ。 「あ、あのっ、ニゼルさんの仰る通りで……わたし料理はそれなり、そこそこ? 出来るんですけど、『センスないわね』って姉さんに言われてて。 何度もお手伝いしてこれでもマシになった方なので、任せられたからには頑張らなくちゃと思って……姉さんに教わったコツも張り切り過ぎて、 お料理が出来上がる頃には頭から抜けちゃったみたいなんです。すみません、ついいつもの要領で盛ってしまって……見栄え、悪いですよね」 「……うん。味は、確かにすっごく美味しいよ。兄ィ」 「あー、ウン。美味しい! ハムジューシーだし、卵も綿雲みたいにふわっふわだよ!」 「暁橙、琥珀。ひとの、いや、相手が天使でも、話は最後まで聞きたまえ」 「えーと、それで? アン」 「その……もし食べ切れないとか、食欲失せたとかあったら、わたし、責任持って自分で片付けますので。あっ、あの、食べるよっていう意味で」 藍夜は眉間に皺を寄せ、ニゼルは暁橙と琥珀に倣って料理を口に運んだ――美味い。これまで食べた卵料理の中で、一二を争う味だった。 あまりの美味さに感動して、目を閉じ身体をぷるぷる震わせる。藍夜も、皆が手を付けた事を視認してからスープを掬い、口にした。 炒めた玉葱と香草数種、臭みを抜いた鶏から丁寧に取られたスープが、文句なしに美味い。見た目とのギャップに不覚にも呆然としてしまった。 気付けば暁橙も琥珀も「我慢ならん!」と言わんばかりに料理をぱくついている。アンブロシアへのフォローは彼らの頭の中にないようだった。 「アンブロシア」 「っう、はっ、はい……あ! あのっ、出て行けというのは、もう少し待って頂けませんか。その、荷物の用意が」 「気にしなくていいんじゃない? 藍夜はそんな事微塵も思ってないだろうし、それに、ほら」 サラダを食べながら笑うニゼルが示す、暁橙と琥珀のフルスピード朝食タイム。恐らく初めて見ただろう豪快な食べっぷりに、天使は固まった。 「暁橙も琥珀も、もうアンの料理が忘れられなくなってると思うよ? 勿論、俺と藍夜もそうだけどね」 「ニゼル。また君は、僕が何も言っていないというのに決め付けるような物言いを」 「えー、ほんとの事でしょ? 藍夜ってほんと素直じゃないなあ」 「あ、あの、でも、そんな。わたし……」 「気にするほどじゃない、という事さ。最も、君自身も気になるようなら暫く盛り付けの練習はして貰わなければね」 「は、はい」 「シアー! スープとパンおかわりっ!!」 「暁橙、ズルーイ! ぼくも、ぼくもオカワリするんだからねぇ〜!」 空気を読まないとはこの事だ。暁橙と琥珀はとっくの昔に、アンブロシアの料理の虜になっている。 「二人ともー? もう、アンなんかまだ立ったままだっていうのに。少し落ち着いて食べなよ」 「え? だってこれ、本当に美味しいよ、ニジーさん」 「そうだよぉ、シアも早く食べなよ〜。冷めちゃうよぉ〜。その前にぼくと暁橙で食べ切っちゃうかもだけどぉ」 「あ、でも、わ、わたしは」 「オカワリとやらは自分でさせて、君も食事にしたまえ、アンブロシア。うちではそういうルールになっているのだからね」 「……ルール、ですか」 「そうとも」 「オフィキリナス店長は厳しいからね。アン、さっきはごめんね。言い過ぎたよ……」 「……いいえ、ニゼルさん。こちらこそ」 取り乱してすみませんでした、そう言って顔を上げた彼女は、どこか安心した様子で笑っていた。目元に残った涙を指で拭い、力強く頷く。 勧められるままに席に着き、彼女がサラダを食べ終わる頃には、彼女をはじめ藍夜やニゼルのお代わりはなくなってしまっていた。 流石に肉食獣の琥珀がサラダに手を付ける事はなかったが、それでも彼女はスープ、気紛れなのかバターを塗ったパンまでも食べ尽くしており、 よほどアンブロシアの料理が気に入ったようだと店主と親友、天使はそれぞれで結論付ける。暁橙もその横で自身の膨れた腹を撫でていた。 食後、満足感から暁橙への説教も一時放棄して、応接間でのんびりハーブティーを啜る藍夜。 牧場へ戻るニゼルの背を窓から見送り、眼前では暁橙が遺跡に潜る為の準備を進め、その横で琥珀は早くも丸くなり目を閉じている。 耳を澄ますと、壁越しにカチャカチャと食器類を洗う音がした。アンブロシアが全員分の洗い物を片付けてくれているのだ。 食事だけ作ってくれたらいいと頼んだつもりが、彼女は頼られたらその分張り切る性質らしく、この後は洗濯と掃除もさせて貰うつもりだという。 (初任給はどれほど弾ませたらいいのだろうね) 正直、見当も付かない。ニゼルの母、ストケシアに頼るべきだろうか。そういえばあの盛り付けだ、喫茶店を任せるには時期尚早だろう。 琥珀の記憶、アンブロシアの姉の行方も気になるところだ。やるべき事、考える事は山積みだが、如何せん朝に食べ過ぎた。 (暁橙が出かけたら昼寝するべきか) するべき、と考えている時点で今日はもう駄目だろう。ゆっくり過ごそう――カップをテーブルに置き、背もたれに背中を預けうんと伸びをする。 視界がパーッと明るくなったようで、実に気持ちが良かった。ふと、がちゃん、と派手な金属音がして我に返る。 用意を整え終えた暁橙が、ブーツに鉄甲をあてがってベルトで固定しているところだった。 「やあ、暁橙。もう行くのかい」 「うん、兄ィ。なんかあんまりお腹いっぱいで、いつもより少しゆっくりになっちゃった」 「次は少し食べる量を考えなければいけないね。美味いのは確かだが」 「……」 「なんだい」 「いやさ、兄ィが他の人の料理褒めるって珍しいなあと思って」 「心外だね。僕だって努力は素直に評価したいのさ」 じゃあ行ってくるね、アンブロシアの弁当が入った鞄をご機嫌で腰のベルトに固定し、暁橙は入り口へ足を向けた。 気を付けて行っておいでと穏やかに見送る藍夜に対し、琥珀は尾をぱたんと一度上下に振っただけだった。が、次の瞬間、 「! 藍夜、オキャクみたいだよ〜」 「なんだって?」 ぱっと顔を上げ、喫茶店に続く廊下へ姿を隠す――ニゼルのようにオフィキリナスに近しい者以外の誰かが来た時は、そうするように言っていた。 暁橙も足を止め、扉を開ける前に身体をずらし道を空ける。琥珀の言う通り、玄関に通じる扉の磨り硝子には人影がぼんやりと透けて見えた。 ドアノブが回される。いや、確かに店頭には開店を示す札を下げていたし、今日は特に街の祭の日でもない。客が来るのは当然の事だ。 だが何故だろう、琥珀が言いつけを守って姿を隠し、しかしすぐ飛び出せるよう待機しているにも拘らず、藍夜には嫌な予感があった。 「――よう。相変わらず寂れてんな。トバアイヤ」 「……『ハイウメ』か」 暁橙が「うげぇ」と心底嫌そうに顔をしかめていた。相手は視線を軽く投げ、次いで気付いていると言いたげに無視し、藍夜の前に直進する。 白みの強い灰色の髪にほんのり差す鴇(とき)色。父方の隔世遺伝という珍しい繊細な色そのままに、彼は灰梅を名を付けられた。 身長は暁橙より幾分か低いくらいで、しかし暁橙よりも筋肉がしっかり付いている。マトリクスさんよりは劣ってるよ、とは過去、暁橙の見解だった。 「久方振りだね。てっきりもうここには来ないものと思っていたが」 「ふん。ニゼルを誑かしてるホモ野郎が、よく言うぜ」 「こいつ! 兄ィを侮辱しに来たなら――」 「――おい、てめぇの弟は客の一人も歓迎出来ないらしいな。どういう指導してるんだ?」 「っ! なっ……」 「暁橙」 目で「やめろ」と制した。暁橙は不服げに、困惑するような、それでいて兄の身を案じていると目で如実に訴えてみせる。 それだけで十分だった。大げさなほどに深く頷き、藍夜は再び眼前のハイウメに向き直る。 「それは失礼したね。時に、ホワイトセージの街長の愛息殿はこんな寂れた店に何の用だと言うのかな」 「嫌味だけは相変わらずご立派だな。お前らの両親も嫌味たっぷりな人間だったんだってな。親に似て良かったな、『化け物』」 「褒めて頂き光栄だね。自覚はしているよ、両親の事は尊敬しているのだしね」 暁橙は居ても立ってもいられない、といった風に表へ飛び出して行った。恐らくニゼルを呼びに行ったのだろう。知らず、嘆息が漏れていた。 ハイウメはホワイトセージを治める街の代表者の一人息子だった。幼い頃からそれを嵩に着て威張り散らしていた様は記憶に新しい。 ニゼルは女みたいだと散々苛められ、暁橙も泣き虫だとからかわれてばかりいた。 特にニゼルへの執着は異常とも言うべきで、泣いて自分に助けを求める幼馴染の悲鳴は、今でも時折夢に出てくる。 「暁橙め……あれほどニゼルとハイウメを会わせるなと言っているのに」 「あ? なんだ? 幼馴染は自分の所有物ってか。流石だな」 「誰もそこまで言ってないだろう。ニゼルに嫌われているからといって僕……いや、暁橙に絡むのは止したまえ」 「なんだと? ほぉ、随分と上から目線で言ってくれんじゃねえか。こんな店、俺が親父に言えば一発だって忘れてねえよな」 思わず声に出ていたか。ハイウメのニゼルに対する執着ぶりは今でもなお健在で、たとえ本人に拒絶されていても止める事はなかった。 オフィキリナスの土地代、つまりは居住権を確立する為の税金を取りに、彼は少なくて半年に一度、多い時は月に一度、こうして店に顔を出す。 ホワイトセージを出て行けと言われたら何も気兼ねする事はない――そう思っていた藍夜だったが、ニゼルに出会い彼の家族とも繋がってしまった。 おまけに今は琥珀とアンブロシアもいる。気侭に遺跡を巡りながらの旅人暮らし、とはいかなくなったと、ここ数日で否応なしに自覚させられていた。 (それが存外悪い気はしていないというのも……『藍夜らしいね』とでも言ってくれるのだろうね。ニゼルは) 微笑が零れそうになるのに必死で耐える。どうにも考え事をしていると目の前の事を忘れてしまいがちだ、気を引き締めハイウメに対峙する。 無意識に椅子から立ち上がっていた。こうして見ると、自分が化け物――同年代に比べて如何に成長が止まっているか、嫌でも思い知らされる。 嘆息は漏らした。ハイウメが顔を高潮させる。昔から彼はずっとこうだ、本人は隠しているつもりでも顔に思考を代弁させてしまう。 「勿論、知っているとも。ところで、今月は五万だったかな?」 「……話反らすな、って言いたいところだが、まあいい。六万だ。乳製品の売れ行きが王都の業者のヘマで下がったからな」 ふむ、頷き、店長専用机の引き出しから金貨を一枚追加して手渡した。 ニゼルにも暁橙にも悪いと思っている。しかし藍夜個人としては、別段今のハイウメへの嫌悪感はさほど強くなかった。 確かに、周りの大人に触発され幼い頃から父母や店を悪く言い、友人にも弟にも悪さをする。それだって今ではだいぶん緩和された。 それに何より、口ではなんだかんだ言いながらも大人達が元店主に集ろうとした矢先真っ先に止めに入ったのは彼だったし、 街の発展に長以上に頭を悩ませているのも知っている。 長は儲かればいいと豪語していたが、それでは駄目だ、王都に税の支払いで食い潰されると零した事もあったのだ。 ……零した直後で、顔を真っ赤にしながら毅然と睨んできたというのも、彼らしい話だと今では思う。 「街の経営。苦戦しているようだね」 「てめぇに言われたくねえんだよ、ホモ野郎」 「一応断っておくが、僕はそういった性癖は持ち合わせていないのだがね」 「うるせぇ、知ってんだよ。二十そこらで女に興味も示さねえ嫌味野郎が。枯れてんじゃねえの」 「参ったね。それ、時折ニゼルにも言われるんだよ」 「……そこは反省しろよ」 何か言ったかい、反射でそう突っ込んでみると、何にも言ってねぇよクソ野郎、小声でそう返された。苦い顔でそっぽを向いている。 やはりニゼルと親しくなりたいというのが本心だろうな……とはいえ、嫌いな人間と親しくしろと友人に詰め寄るほど自分も馬鹿ではない。 「用が済んだら、ニゼルが来る前に引き取りたまえ」 「クソが。言われるまでもねえんだよ、ホモ野郎」 「――あの、」 「!?」 そのときだった。オフィキリナスには存在していない筈の「女」の声に、ハイウメは踵を返した格好のまま固まった。 廊下の真ん中、奥へ続く扉を開けた先に、アンブロシアが立っている。手には木製の器と布ナプキン、そこから香ばしい香りが漂っていた。 「こは……いえ、『声がしてお客様がいらしたと気付いた』ものですから。お茶菓子を焼いたんですが、どうですか。ご一緒に」 「アンブロシア」 「……おい、誰だ? この頭から股まで全部緩そうな女」 緩そうな、それを聞いたアンブロシアの顔が一瞬曇る。まずい、そういえば役場に何も説明していない。藍夜の顔から僅かに血の気が引いた。 思わず歩み寄り、彼女に奥に戻るよう言おうとするも、ハイウメがその前に彼女の前に立ち塞がっていた。値踏みするように上から下まで見ている。 身構えるように身体を強張らせ、それでもアンブロシアは微かに微笑んだ。ハイウメは実に面白くない、と言う風に舌打つ。 「ふん。なんだよ、経営が厳しいご時世だってのに、アルバイトでも雇ったか」 「……あ、ああ。そうなるね。暁橙に言われて仕方なくだが」 「ほぉ、弟がねえ。てめぇが色目当てで雇いたいって言ったんじゃねぇのか。なんだよ、性欲ちゃんとあるんじゃねえか」 「だから、僕はそういったつもりはないんだがね」 「否定すんなよ。春が来たって事だろ? お前みたいな化け――」 刹那、藍夜は苦笑を止めていた。眼前、ハイウメの背後に立つアンブロシアが、小声で何か呟いたような気がした。 それが気のせいではないと気が付いたのは、次の瞬間、彼女が器を持ったまま「憐れみ」の表情を浮かべたのを見たからだった。 桜色の唇が小さく動く。微かなその音を聞き逃さないよう耳を澄ます。余計な事は言わないでおくれよ、そういった願いも藍夜の中にはあった。 「おい、なあ。何とか言えよ、『化け物』」 「……ん」 「あ? なんだよ? 何か文句でもあんのか。アルバイト様」 いよいよアンブロシアは悲哀に満ちた笑みを湛えた。 何故かそれが、空恐ろしいものの片鱗を見たような――両親を殺戮した二対の天使を髣髴とさせ、藍夜は我知らず言葉を呑む。 止めねば、そう思っても足が動かない。「雷神の雷霆」を握る事さえ忘れていた。異変を察したか、扉の影から琥珀がこちらを見ている。 「下がれ、今はまだ」。そう伝える代わりに、片手の手のひらを扉の方に垂直に立てて翳した。理解してくれたのか、獣の息遣いが離れていく。 「文句なんてある筈ありません、藍夜さんは慈悲深い方ですから。それよりも、貴方の方がよほど哀れむべき愚かな存在だとわたしは思っています」 繊細な声が、しかし室内に燐と確かな力強さを孕んで緩やかに解けていく。 ハイウメは固まっていた。見慣れない小奇麗な顔、細い身体、自分より遥かに力が弱いだろう娘を前に、彼は言葉を失くしている。 「貴方は愚かです――わたしは、貴方を哀れみます」 葡萄の瞳は揺るがない。彼女は一歩たりとも退こうとしない。滲んだ微笑みはしかし、確かに慈悲と慈愛に満ちた、天使らしいそれであった。 |
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