取扱説明書  ▼「読み物」  イラスト展示場  小話と生態  トップ頁  サイト入口



楽園のおはなし (3-7)

 BACK / TOP / NEXT




「うわぁ〜……ヒッデェ。消し炭っつーか、もう廃墟じゃん、コレ」
「あまり喋らない方がいい。まだ焼けてるやつもあるみたいだ、鼻が潰れてしまうよ」

それもそうか、ぶっきらぼうな応答は鼻を摘まんだ事で余計にくぐもる。焼け焦げた瓦礫を踏み抜きながら、サラカエルはふむ、と唸った。
伸ばした指が、まだ新しい煤をなぞる。殺戮の後ろについて歩く珊瑚は、次第に周囲に散らばる凄まじい悪臭に顔をしかめ始めていた。
歩く度、焼けた砂と死骸の跡が靴に絡みつく。流石に存命の者はいないかと、町の中央に来たところで双方はようやく足を止めた。

「んむっ? むぁに、どったの。きゅーにふぉまんなよー」
「いや、分かるかい。クラモアジーの連中は、信仰の名を盾に好き勝手にやっていた。フロルを町に縛る細工までやらかしたくらいなんだ。
 けど、このやり方はどうだろう。『魔王が直に乗り込み、手下総出で町を壊滅に追いやった』。ここまで徹底する必要性があったのかな」
「……んー……えー……あー……いやー、確認なんだけど、なんでそれをオレに聞くかねー? なんで今更、そんな話?」
「やあ、おかしいな。真珠ともども、フロルに一番多く接触する機会があったのは君だろ」
「はん!? オレがこっちの情報漏らしたって言いたいのかよ。んなリスキーな事するわけねーじゃん、ねーちゃんに嫌われたかねーし!」
「ふん、肉ばかりでカルシウムが足りてないんじゃないかな。誰もそこまで言ってないんだけどね」
「言ってんだろー、顔がっ!! っつーか、ひとの話聞けよ!」

ヒトじゃなくてヒッポグリフだろ、言いかけたツッコミを飲み込んで、サラカエルはふと見渡していた視線を一点に留める。
つられて目線を動かした珊瑚は、辛うじて残されていた煉瓦の壁や門の残骸を見つけて、目をこすった。

「なー、教会って……確か、フロルは神子だって持ち上げられてたんだったよな?」
「確か、ね。行ってみる価値はあるかもしれないな」

嫌な予感がする。一瞥を投げれば、珊瑚も同じような顔をしていた。
特に損傷が激しい門を潜り、ふたりは恐らく、元は聖堂として使われていたであろう広間に踏み込む。
焼け落ちた椅子、鍵盤楽器、燭台、割れて砕けたステンドグラス。幸か不幸か、町に散らばるような焼死体は一見では見当たらなかった。

「何も出ないか。引き返すかな」
「ちょい待ち。なー、殺戮。これ……」

きびすを返しかけた天使を、黒羽根の鷲馬が呼び止める。祭壇の目の前、おもむろに腰を屈めて、珊瑚は何かの微細な固まりを拾い上げた。

「はは、これ……人間の死体じゃねーのかな?」

髪だ。焦げてはいるものの、辛うじてそれが毛髪の残骸である事が見て取れる。しかし、目で追えど遺されたのはその一摘まみだけだった。
サラカエルは、躊躇わず即座に瞳術を起動させる。心底嫌そうに顔を歪めた珊瑚からそれを受け取り、眼前に引き寄せた。

「……神父ステファノ、二十半ばほどの若者だね。フロルとも顔見知りだ。ま、もう消された後みたいだけど」
「おーっ、相変わらず便利なオメメで。って、消されたって? そりゃー、ごしゅーしょーさまって感じではあるけどさー」
「つまり、彼は『生きながらにして焼かれた』んだよ。他の住民のように証拠隠滅が為の工作でもない。拷問に掛けられながら死んだんだ」
「……はん? ごうも……なん、何言って、」

指先から、毛髪を剥がして散らす。殺戮の天使は、頬を引きつらせながらにやりと笑った。

「そのままの意味さ。彼は魔王の魔獣に床上に固定されて、何事かを尋ねられながら身を焼かれた。合間に生爪を剥がされたりもしている」
「……えーと……えらい、いー趣味してんね。魔王様って」
「言うなよ、昔は天上界でもよくあった事さ。流石に話の中身までは視えないな……魔王に制限されているのかもしれない」

「仮説は確信に変わった」。サラカエルは、喪服に今染みついたばかりの埃と血臭を拭いとるように、生地の表面を無意識に手で払う。
嫌な汗が止まらない。珊瑚に着いてくるよう顎で促し、早足で廃墟を後にした。大きく息を吐き、教会に背を向けながら歩き出す。

「妙だと思ったんだよ。あの魔王、ニゼルが絡む案件に必ず首を突っ込んでくる。ホワイトセージのときもヤコブのときも、全部がそうだ。
 手下どもは伝説通り強欲で食欲旺盛だってのに、何故かニゼルとその周囲は犠牲にならない。手を抜いているようにしか見えないんだよ。
 稀にあの男や鳥羽暁橙のように落命する人間も出るが、今回はどうだい。おかしいじゃないか、一介の人間に思い入れがあるかのようだ」

考えすぎじゃね、そう言いたげに、黒羽根の口は固く閉ざされたままだ。しかし口内だけは、はっきりしないまま忙しなく動き続けていた。
彼がサラカエルの仮説に表立って反論してこないのは、彼もまたその「可能性」があるとあらかじめ踏んでいたからだ。
ぶちぶちと喉奥で何らかの恨み言を連ねる珊瑚に、殺戮は目だけで振り返る。鷲馬の少年は、険しい顔に脂汗を浮かせながら顔を上げた。

「やはり、僕達の知らないところで何か大きな動きがあると見て間違いないだろうね。告知天使の到着が遅れた時点で、怪しむべきだった」
「はあー? んじゃ、ガブリエルがわざと遅れて来た、っつー見解で合ってる?」
「さてね。けど『特殊な告知を要する』くらいなんだ、フロルから成る天使は重要な立場にある筈さ。本来なら急ぎの案件だろ」
「なんだ、嫌な予感しかしねー。オレらって面倒事だとか陰謀だとか、そういうのに巻き込まれかけてんじゃね?」
「『かけて』じゃなく『巻き込まれている最中』、の方が正しいかもしれないな。とにかく、一度屋敷に戻ろう。ヘラ様に報告しなければ」

珊瑚がガリガリと地面に転送陣を描いている最中、サラカエルは瞳術を継続させて周囲の警戒にあたる。幸い、魔王らしき気配はなかった。

(フロル、いや、ニゼル自体が元より特殊な天使の器だったとしたら……中身は誰なんだ? ヘラ様は把握していらっしゃったのだろうか)

ホワイトセージやヤコブの件では、町が焼き払われる事などなかった筈だ。見られてはまずいものでもあったというのだろうか。
考えても答えらしいものは出てこない。苛立ちから頭を掻いていると、術の用意が出来た、と鷲馬に呼び寄せられる。
……珊瑚を連れてきたのは、他でもない。騎獣の中でも特に生存本能が高く、貪欲であるからだ。サラカエルは、彼の直感力を買っていた。

「珊瑚。もし君が町を焼くとしたら、その動機はなんだと思う」
「……はあー? え、何その疑問。オレの事バカにしてんの?」
「そうじゃない、客観的な意見を聞いてみたかっただけさ……僕ならそうだな、見せしめだとか厳罰だとか、そういう意味合いが強くなる」
「うっわ、えげつねー。天使えげつねー。あー、つまりはたとえ話か。そーだなあ……」

顎に手を押し当て、深く考え込み始めながらも、黒羽根は転送術の作動を継続したままでいる。大した魔力量だ、殺戮は微かに目を細めた。

「……見られたくないモノを隠す、って感じかな。ホラ、寝小便したシーツを隠す、みたいな。失敗したけどお袋に怒られたくねー、的な」
「……隠す、失敗? それで町一つを焼いたって言うのか」
「たとえ話だろ? 実際そんなんやったら、ねーちゃんだけじゃなくヘラにも縁切りされるって。ガチで嫌われる。普通怖くて出来ねーよ」

早く帰ろーぜ、そう急かされ、それもそうだとサラカエルは転送陣に踏み込む。すぐに全身が浮かび上がる感覚が走り、目を閉じた。
――魔王は何者かの支配下にあり、ガブリエルもまた然り。そして両者は、自分でも持て余す能力を有している故に、暴走する事もある。
では、その支配者がより強大な存在なら。命令さえ守れば多少の失敗は不問とする考えなら、町一つ消えたところでどうとも思わない筈だ。
……そう仮定すれば、一連の出来事に理由が付けられるような気がした。
古来よりどちらも他との接点が薄く在ったのだから、元から「縁切り」を恐れる必要もない。手足として使うにはこれ以上ない便利な駒だ。

(嫌だな……やはり、何者かに振り回されているような気がする)

とはいえ自分の中で留めておく事は出来そうにない、どう話すか黙考する。正直、サラカエルは気が重くて仕方がなかった。
探りを入れ、こういった情報を密に提供したところでヘラ自身は「そうか、ご苦労」と軽く流して終わらせてしまう予感があった。
そこが彼女の器の大きさであり、魅力の一つでもある事も分かっている。自分はつくづく器の小さい男だな、と殺戮は気だるげに嘆息した。

「――ほいっと、ただいまー! ねーちゃん」
「戻りました、ヘラ様。ウリエル」

浮かび上がった体が、ぐんと重くなる。転送完了だと悟り、脚を床に延ばして軽やかに着地すると同時、鷲馬と天使は眉根を寄せた。
リビングの空気が重い。藍夜とアンブロシアは縁側近くのソファで沈痛な表情を浮かべて座り、こちらに反応を返しもしない。
真珠は「お帰り」と応えるも、その顔には苦々しさが浮いている。告知天使に至っては、山盛りの菓子を紅茶で流し込んでいる始末だった。
何事かとソファに歩み寄ったところで、ようやく二人はフロルの現状を知る。神子の少女は、顔を真っ赤にしてうなされていた。

「おお、ご苦労、戻ったかー。フロルは発熱に参って、気絶しているからな。お前達も、告知の助力に備えて少し休んでおけー」

唯一気楽に構えているのは、やはり地母神そのひとのみ。昼間から杯片手の女神を見て、サラカエルは頭が痛くなる思いだった。
フロルが目覚めたら告知を始める、苦いものを噛んだ顔でこちらを見るガブリエルに、殺戮は小さく頷き返す。
報告は後にするか、諦めて口を閉ざした。告知天使と魔王が繋がっている可能性がある以上、警戒するに越した事はないと考えたからだ。
何より、この場にある大多数がフロルを案じ沈黙している。そんな中、ヘラだけが異様に冷めた目をしているのに皆は気付けない。
始まったか、女神は口内だけでそう呟いた。ベンゾインの甘く濃厚な香だけが、緩やかにその場に滞空している。






フロルの意識は、暗がりを手探りで進むように漂う。長い、夢を見ているような気がした。どこかで誰かが自分を呼んでいる。
はじめに目についたのは、銀の果樹。美しく風に揺れる銀光は、幹、葉、花、果実のどれもが銀で出来ている故に零れるものだった。
木の根は不思議と水鏡の中に浸っていて、それがどこまで深く根付いたものであるかは分からない。歩く度、ばしゃばしゃと水面が揺れる。
銀の果樹の周りは真っ暗だった。ふと、水の表面をそよ風が撫で、苹果の香りが心地よく周囲に解ける。

『……綺麗』

甘やかな気分に包まれ、誘われるように目を閉じた。ずいぶんと昔に、この場所にいた事があったような錯覚を覚える。
そのときだ。フロルの耳に、聞いた覚えがあるような会話が飛び込んだ。声の主はふたり、片方は男で、もう片方は若い娘のもの。
男が何か口にする度、娘が朗らかな声で笑い返す。覚えがある筈だ……男の声は、あの夢の中で出会った夜色の天使のものに酷似していた。
ふたりはとても幸せそうに笑っている。娘は、自分と同じ空色の髪に赤紫の瞳を有していた。驚いて目を見開き、じっとその様子を見守る。

『あれは……ぼく? それとも――』

――意識が遠のき、はっと目を覚ました。頭上に見慣れない天井がある。ぼうっとする頭を巡らせると、真っ先に見覚えのある顔が見えた。

「……あ、」
「フロル! 大丈夫かい、どこか痛いところは!?」
「天使様。ぼくは、だい、じょぶです」

黒と夜の瞳、夜色の髪、安堵の表情。傍で手を握ってくれていたのは、自分をクラモアジーの町から連れ出してくれた夢の中の天使だった。
跳ね起きようとして、体をそっと押し戻される。ゆっくり起きて下さいねと、彼とは異なる別の人物から、身を案じる声が掛けられた。

「え、あ、あの。ぼくは……」
「フロルさん、初めまして。どこか痛むところはありませんか。一応、治療は済ませたつもりなんですけど」
「わっ、綺麗なひと! だ、大丈夫です、痛くないです。あの、あなたも天使様、なんですか」
「フロル、彼女はアンブロシア。君に届けていた料理のうち、パンを焼いてくれていた女性性の天使だよ。僕達の仲間だ」

言外に味方だと告げられて、ほっとする。フロルが丁寧に頭を下げると、大した事じゃないですよ、と娘は照れくさそうに微笑んだ。

「ここはクラモアジーの町から離れたところにある、わたし達の主のお屋敷です。藍夜、いえ、ウリエル様が連れてきて下さったんですよ」
「ウリエル……アイ、ヤ?」
「混乱させてすまないね、藍夜とは僕の愛称のようなものなんだ。ウリエルでも藍夜でも天使でも、好きに呼んでくれたまえ」
「あ、ぼく、フロルです。よく考えたら一度も名乗ってなかった……あの、助けてくれてありがとうございました。凄く嬉しかったです」

改めてお辞儀をすると、何故かアンブロシアと呼ばれた娘は泣き出しそうな顔になる。何かしただろうかと、フロルは慌てふためいた。
気にしなくとも構わないよ、藍夜と呼ばれた天使が苦笑する。実際に涙が零れたのか、アンブロシアはのろのろとその場を離れてしまった。

「彼女は少しばかり君の……いや、君の前世に思い入れがあってね。フロル、君は輪廻転生という伝説を信じるかい」
「輪廻転生? あの、死んだ人が別の人になって人間として産まれ直すっていう。前の人の行いが、全部自分に返ってくるって」
「おや、存外詳しいものだね」
「天使様、ぼく、神子だったんですよ? 教会に勤めていた神父様に、色々教えて貰いました。因果応報とか、冥府の孤高の神様の話とか」

本当は神話とかの昔話が好きだっただけなんですけど、苦笑いをした後で、フロルはここに来てからぼんやりと抱いていた疑問を口にする。

「天使様、ぼくの住んでいた町ってあれからどうなったんですか。やっぱり皆、死んじゃったの?」
「っ、フロル。それは……君が知る必要は」
「隠さないで教えて下さい。大丈夫、ぼく、ここに来た時点で覚悟は出来てます」

兼ねてからの疑問だった。極刑を言い渡されたような顔で、天使は歯噛みし、両の拳を握りしめる。しかし、フロルは目を逸らさなかった。
何故、自分は追われる身となったのか。住民の殆んどが死なければならなかった理由は、皆が狂気に取り憑かれた理由は何故なのか。
こちこちと時計の音がしばらく刻まれた後、天使は諦めたように大きく嘆息する。顔を上げた彼は、とても苦しそうな表情を浮かべていた。

「僕達もよく分かっていないのだよ。君は特別な事情と因果を持っていて、君を新たな生命に生まれ変わらせる為にここに連れてきたんだ」

青年の視線が微かに動き、ダイニングから歩み出てきた黄色の髪の女に向けられる。あどけなさが抜けないが、理知的な目をした顔だ。
フロルは、この女にどこか見覚えがあるような気がした。無意識に首を傾げて笑い返す。一方、女はにこりともしなかった。

「いつまで回りくどい事をしている、トバアイヤ。刻限はとうに過ぎた、わたくしももう待てない」
「……ガブリエル」
「先ほどから意味のない問答ばかり……フロル。汝は本来、天使として産まれてくる筈の生命だった。これより汝の存在を修正し、」
「え、しゅうせ……」
「ガブリエル! 君には彼女の痛みや苦しみに寄り添おうという慈悲もないのかい! 告知だけが優先されるべき使命ではないだろう!?」

思いがけず反論していた、藍夜の顔はそう主張している。ガブリエルは、良いだろう、と腰に手を当てて唸るように声を絞り出した。

「使命を果たさずに、何が天使か。此処で告知を施さなければ、クラモアジーの町民の死も無駄になる。汝は其処まで堕落したというのか」
「……っそ、そういう話を、僕はしたいわけではないんだ!」
「フロルから変貌する天使は世界に必要な存在、故に誘蛾灯の如く他者を惹き寄せる。彼の町が滅んだのはその為だ。何故それを教えない」
「ガブリエル、君にはヒトの心が分からないのかい! もっと言い方というものがあるだろう、そんな言いぐさ、あんまりだ!」
「変わらないな。が、フロルへの告知に汝の存在は不可欠だ。腹を括れ、覚悟を決めろ、時間は有限だ。私情になど構っていられるものか」

フロルは、顔を青ざめさせる藍夜と双眸を細めたガブリエルの顔を交互に見つめる。どちらも苦しそうだ、なんとなくそう思えた。

「あの、天使様? ぼく、大丈夫ですよ。告知でしたっけ、必要なら、それ受けます」

他意などない、それどころか悪意の欠片すらない。本心からそう口にした神子の少女は、藍夜の叱責じみた視線に小さく肩を跳ね上げる。
それでも、どちらの天使も恐ろしいものとは到底思えなかった。どちらもとても苦しんでいて、胸が張り裂けそうになっている。
フロルには、そう見えて仕方がなかったのだ。振り向いた夜色の天使の表情は、今にも泣き出しそうなものになっていた。
ああ、このひとは本当にそういうところがとても素敵だ――その名が表す通り、フロルは花のように可憐に微笑む。

「生まれ変わりとか、輪廻転生とか、そういうのはよく分からないけど。でも、天使様はぼくをちゃんと迎えにきてくれた。助けてくれた」

胸の内が、とくとくと暖かく脈打っていた。心地がいい、嬉しい、ぼくは今幸せだと、少女は本心に従い、にこりと満面の笑みを浮かべる。

「ずっと考えてた、ぼくがあの町に生まれてきた理由ってなんなんだろうって。夢の中の天使様に会うだけなんて、そんなの優しすぎるし。
 でも、ぼくの中から声がするんです。あなたが大事で、大切で、ずっと大好きだったって。だから、今になってようやく分かったんです。
 もし、ぼくに神子としての使命があるのなら。その告知を必要とする天使様を、あなたという天使様に届けるのがぼくの使命なんだって」

フロル=クラモアジーは、ごく普通の少女だった。生まれ持った髪や瞳が、告知を受け損ねた天使由来の色であるという、それだけの乙女。
天使同士の確執や天上界の事情、ましてや輪廻転生や前世での因果関係など、閉鎖的な町に隠され続けていた彼女に知る由もない。
一気に喋った後、フロルは呼吸を整えるべく胸に手を添える。長く疑問に思っていた答えは、町民の大量死という最悪な事態で告げられた。
自分は天使として産まれる為の器で、神子の使命などというものは端から存在していなかった。それでも、生まれてきた理由はあったのだ。
知る事が出来ただけでも僥倖だ……胸の高まりに合わせ、少女は軽やかに呼吸する。藍夜が顔を真っ赤にしている事など、お構いなしに。

「天使様、ううん、藍夜様。ぼくに神子として最後の仕事をさせて下さい。ぼくはあなたに、あなたを大好きだって言う人を届けたいです」
「だっ、大好き!? フ、フロル! 君ね、僕はそんな、そんなつもりで君を連れ出したわけでは! ニ、ニゼルと僕はただの友人で!!」
「……あんな事言ってるわよ、完全にバカップルだったのにね」
「あー、ニゼルもウリエルもめっちゃイチャついてたよね……」
「真珠、珊瑚! 君達は黙っていたまえ!!」

フロルは目を瞬かせた。眼前、藍夜は顔を真っ赤にして飛んできたヤジに言い返している。こちらに向き直った天使は、途端に口ごもった。
その様子が、とても愛らしく見える。たまらず、ぶはっと噴き出して、フロルはぎりっと睨んでくる視線ににこにこと笑い返した。
……このひとを、自分はずっと探していたのだ。会いたくて、心の底から願っていて、やっとこうして再会する事が叶って、とても嬉しい。
そんな気持ちが、黙っていてもどんどん溢れてくる。そっと手を伸ばし、戸惑いがちに硬直しかける彼の手を取った。

「天使様は、ぼくの中にいる天使様の事、嫌いなんですか」
「き!? 嫌いな筈がっ!?」
「いやね、ウリエル。少しは落ち着きなよ」
「サラカエル! 僕は十分落ち着いているとも!? だがしかし! しかしだね! 僕はニゼルをそんな目で見ていた覚えは!!」
「……あ、嫌われてるわけじゃないんですね? よかったー。やっぱやめた、って言われたらどうしようかと思いました」

遠慮がちに、手が握り返される。フロルはぱちくりと目を瞬かせて藍夜を見上げた。彼は、気恥ずかしそうに顔を赤らめて目を細める。

「嫌いになる筈がないよ。ニゼルと僕は、長いつきあいになる友人なんだ。ずっと、辛いときも、悲しいときも、支え合ってきた……」
「じゃあ、どうして?」
「君に僕達の思い出を、無理に押しつけたくないのだよ。記憶が上書きされてしまうからね、君には君の選択肢が、これからの人生がある。
 天使として告知を受ければ、これまでの君の記憶は全て失われ、フロルとして生きる事は不可能になる。僕は、君に後悔して欲しくない」

フロルはふと、藍夜の背後に立つガブリエルが、恐ろしい般若の顔をしている事に気がついた。怖い、はっきり言って物凄く怖い。
話を聞いた限り、彼女の使命は自分に告知を与える事だと予想出来る。藍夜の言い分は、告知天使にとってあり得ないものに違いない。
フロルは慌てて、青年の手を握り直した。胸元に引き寄せ、彼の意識を自分に向けさせる。目が合った途端、藍夜は分かりやすく赤面した。

「天使様。ぼく、天使様にニゼルさん……天使様に会いたがっていた天使様を会わせてあげたいです。決めたんです、後悔なんてしません」
「……汝は、其れで宜しいか。神子の娘、フロル=クラモアジーよ」
「はい! ぼくは全然、すっかり準備万端です!」
「が、ガブリエル。フロル!」
「天使様。ぼく、一度こうって言い出したら聞かない性格なんです。昔からなんですけど、これもその天使様の影響かもしれないですね!」

悲しげに、夜色の天使の顔が歪む。よしよし、そう慰めるように、フロルは彼の頭を撫でた。

「会いたかった、嬉しい……そんな声がしたら、これはもう叶えてあげたくなっちゃいますよ。ぼくも立派な女子なんですから」

後悔しないかい、藍夜はそう問う。ばっちりです、フロルはにかりと笑った。それが答えだ、自分が引き止める事に最早意味はない。
審判官は一度俯き、小さく頷く。ようやくか、ぼそりと響いたガブリエルからの嫌みに、彼は微かに片目を細めて見せた。

「……では、これよりわたくしの眼前にて、告知の儀を執り行う。審判官、殺戮。フロルの手をそれぞれ取り、空いた汝等の手を娘の額へ」

言われるがままに、動作が成される。ふたり分の天使の指先がひやりと額に当てられ、その冷たさにフロルはぴくりと肩を跳ね上げさせた。

「怖ければ、取り止めてもいいのだよ。フロル」
「天使様。だいじょぶです……待ってて下さい」
「――汝の器は、大いなる黒き果樹の幹をくぐり、何物より冥き河を流れ、再び巡る。此、白き焔の王冠を至りし輪廻転生の輪なり――」

ばちん。鼓膜の奥で不思議な切断音が聞こえ、意識が剥がれる。フロルは自分の体が、魂が、真っ暗な穴に吸い込まれていく感覚を抱いた。
音が遠のく、視界が暗くなる、天使達の指先が剥離され、自分という自分が消え失せる。これが「告知」なのだと、無意識に理解した。
大丈夫、ぼくは、「わたし」は、「俺」は大丈夫……不意に生じた冥い濁流に揉まれながら、少女は消え入りそうな声で呟いた。





 BACK / TOP / NEXT
 UP:19/07/10