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モンスターハンター カシワの書 上位編(55)


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『いい? クリノス。もしまだ一流のハンターを目指したいって言うんなら、これだけは忘れないでね……』

もしそのときが来たなら、自分はきちんと動けるだろうか――宙で動かしていた手をふと止めて、双剣使いは視線を上げる。
眼前、切り出されたのは雄大な自然の一風景。北には暗雲に抱かれた高地と森、南には平原、大河があり、同じ狩り場でありながら対比構造が成立していた。
北の高地には時折雷鳴が轟き、以前所属したキャラバンとともに訪れた極寒の狩り場、氷海のとある探索地点を思い起こさせる。
あの場所にも骨や化石といった死の象徴が点々と埋められていたが、この狩り場にもそういった古の時代に朽ちた生物の痕跡が多く見つけられた。
ユクモ地方より更に南東に進み、水没林を抜けた先に位置する狩り場、通称、原生林。
時間帯は昼前、晴天。現相棒ことカシワと別行動をとるここ数日は、もっぱらこの狩り場がクリノスの勤務先となっていた。

「ニャー? 旦那さん、どうしたのニャ?」
「リンク。んー……なんか、静かだなって」

同じく植物の群生地でげどく草をかき集めていたオトモが戻ってくる。声色で笑い返しても、なお先輩狩人は前から視線を逸らせずにいた。
「前触れ」らしきものが在る。水場で羽を休めていた桃色の渡り鳥が一斉に飛び立ち、森の奥から出没した小型の草食獣は狩人の後方へと走り去っていった。
北から南へ、即ち森の奥から広々とした湿原地帯へ。脚や毛が濡れようと彼らの足は止まらない。
一見は自然の一場面でしかない。気まぐれで生息地から一時離れることもあるだろう。しかし、クリノスの目にはそれが異質な光景にしか映らなかった。

「なんニャ? 旦那さん、動物がみんな逃げてくニャ」
「うん。リンク、わたしたちもそうした方がいいかも」

「嫌な予感がする」。集めていたツタの葉の束をポーチに無理やり押し込め、さっと立ち上がる。
僅かに肌に感じる風の流れを目で追い、風上を仰ぎ見た――これは異常事態と見なしていい。どの動物も我先にと森を抜け、風下へ逃れようとしているのだ。

『いい? クリノス。ハンターとして長生きしたいなら、「これだ」って勘だけは無視しないこと』

「嫌な予感」が止まない。これまで何度も匂い立ち幾度も自分を助けてきた、自らの生存本能が警鐘を鳴らしている。
「ハンター稼業と『嫌な予感』は、炎王龍と炎妃龍の仲のごとく切り離せない」。全ては、幼い頃に母が教えてくれたことだった。
更には兄イオン=イタリカ曰く「この業界では嫌な予感がしたら逃げた方が勝ち」とも言うらしい。それというのも、ハンターが危険を察するより前に――

『逃げない、逃げられない、そういう選択をするヤツはただの命知らずのばかか、護るものがある大ばかのどっちかだからね。自分を守ることを優先して』

――何かあれば周りが教えてくれるからだ。「彼ら」の感覚はハンターのそれより遙かに優れていて、危機を嗅ぎ取る能力では敵いやしないから、と。
「おかしい」と感じた時点で便乗する形で構わないからすぐにその場を離れろ、と。
兄に至っては、それが出来ない奴は狩りに向いてない、と吐き捨てたほどだった。場合にもよるけどねー、と母は笑ったが目は笑っていなかったように思う。

(最後尾は……今のズワロポスか。ケルビが先に行ったから、動きが速いやつではないと思うけど)

翅つきの虫、小動物、直後に草食種が駆けていく。地響きを鳴らしながら懸命に走る垂皮竜に至っては、半ば錯乱したように眼の焦点をふらつかせていた。
どう見ても、今すぐにこの場を離れた方がいい。
季節は温暖期の半ばから終わりにかけての頃。大型モンスターが出たとしても繁殖期ほどの騒ぎにはならない時期だ。
だというのに、動物らの逃亡と入れ替わりで恐ろしいほどの静けさがやってくる。肌がひりつく感覚に、クリノスはすぐさま森に背を向けて駆け出した。

 ――!!

一歩、二歩、ついには襲歩に到達しかけた、その瞬間。拓けた明るい湿原に似つかわしくない、甲高い奇声が背後から浴びせられる。
「正体にして元凶」。ぞっとしながらも振り返ることはしない。得てして、ああいった手合いは目が合うとこちらを敵認定すると相場が決まっているからだ。
第一に、何を言っているのか理解できない。吐かれた言葉が人語でないことを理解した瞬間、先輩狩人は宙を裂くごく僅かな異臭を嗅ぎ取った。

「ンうぅっ!! ――リンク! 回避したらすぐ逃げるよ!!」

水音、風切り音、再着地。恐らく、一連の動作は疾く数秒にも満たない。一呼吸の間に初撃は襲いくる。
全身が濡れることにも構わず、全力で前へ跳ぶ。ざりざりと湿地を滑りながら、クリノスはたった今、己が全身を焼き焦がそうとした魔弾の軌道を見送った。
チリチリと微かに散る、雷の残滓。黄金に彩られた火花か六花のようだ。美しさが余韻を残す一方、双剣使いはぐっと口を結ぶに留める。
息を吐くと同時に跳ね起き、なおも前方へと跳躍した。立て続けに追ってくる断続的な跳躍音が、相手が確かに血の通った生き物であることを告げている。

「ニャニャニャ!? 旦那さん、あれって!」
「あー、もう!! 逃げ損ねたぁ! 『カシワもいないのに』、なんでこんなっ!」

荒々しい呼気、盛り上がる筋肉、豊かな黒毛と獣臭。前脚が異様に発達していて、逞しい後ろ脚がいっそ細身に見えてしまうほど。
体長はさほど大きくなく、その外見も予備動作もすでに見知ったものだ。それでもクリノスの顔には苦みが浮く。
前方移動と体当たりを兼ねたステップを終わらせた「それ」は、初撃は外した、とばかりにすぐさまこちらに振り向いた。
好戦的で野性的な眼光が狩り人とオトモを見やる。視線が重なった瞬間、雇用主側は自分の心音が激しくなったのを自覚して歯噛みした。

「やだです! 筋肉ムッキムキーはお呼びじゃないんですけどぉ!?」
「旦那さん、あれ『ラージャン』ニャ、金獅子ニャ」
「知ってるよー、リンク! 母さんがにーちゃんたちに散々ネタにされてたからっ!!」

罵倒する合間にも獣は殴りかかってくる。しかし、双剣使いからすれば「罵倒でもしなければやってられない」という気持ちの方が強かった。
金獅子ラージャン。乱入モンスターの筆頭、恐暴竜イビルジョーに同じくベテランのハンターにさえ恐れられる危険生物だ。
件の悪魔が獣竜種であるのに対し、彼はドスファンゴやドドブランゴらが該当する牙獣種に分類されている。だが、一般的な牙獣と同一視など到底出来ない。
雪獅子に同じく大型としては小柄な部類だが、その気性は荒く、狩り場においては恐暴竜や古龍らに匹敵する力を際限なく発揮するとされている。
「古龍還し」の銘をもつ母と対等と見なされるほどの実力の持ち主なのだ。決して、なんの用意もなしに会いたい相手ではなかった。

「なんだってこんなところに、こんな時期に……珍しく狩猟環境が落ち着いてるっていうから、来てみただけなのに」
「ニャー……アイツ、やる気満々ニャ-」
「いらないいらない、ご遠慮したいー。とにかく、隙を見つけて逃げるしかないね」
「動物が逃げ出したのは、アイツから逃れるためだったのニャ。旦那さん、アイツの拳骨の先……」

リンクの言葉は最後まで吐き出されない。おもむろに跳躍した獣が、それこそ天に届く距離まで体を持ち上げ、宙で一回転したためだ。

「リンク!」
「ニャッ、回避ニャー!!」

狙われている、クリノスたちはすぐさま駆け出した。回転しきると同時、ラージャンは自らの体躯を黒い弾丸に見立ててダイブする。
大音とともに黒塊が地表に穴を穿ち、一方で当人、もとい当獣はぱっと身を翻してターゲットに向き直った。異常な速さも衝撃も、まるで意に介していない。
苦渋を顔に乗せ歯噛みする。アレはまだ本気を出していない、それが分かっているだけにもどかしさに身が焼かれるようだった。
予備知識はもちろん過去に対峙した経験もあるが、抵抗しきれるほど武具の性能は向上していない。見上げてくるオトモに一瞥を投げ、先輩狩人は嘆息する。

「旦那さん」
「うん、分かってる、分かってるよ。逃げる一択。本当なら、放っとくわけにはいかないんだけどね」

視線の先、金獅子の両拳は鮮血に濡れていた。逃げ遅れた草食種か野生動物のいずれかが被害に遭ったと見て間違いないだろう。
じりじりと間合いを計りながら、瞬時に記憶を巡らせた。森から逃げてきた顔ぶれのうち、単独で動いていたのは巨体のズワロポスのみ。
本来なら、垂皮竜も含め多くの草食種は群れで行動するはずだ。たった一頭、それも鈍重な体で我を失った体で逃げてきたということは……つまり。

「『食べるため』でもなく、ただ『縄張りを誇示するため』に選んだんだね。らしい、って言ったらそれまでだけど」

黒毛や口の周りは汚れていない。ただ力任せにねじ伏せられ、そのまま点々と森に放置された竜の亡骸を想像しクリノスは薄く笑った。
それを挑発ととったのか、清流で後脚が濡れることにも構わずラージャンは力を溜めるようにのけぞり、雄叫びをあげる。

「あーっ、こやしてやりたい、ぶつけてやりたいっ! 一応持ってきてあるしぃー!!」
「旦那さん旦那さん、知ってるかもだけどラージャンにこやし玉は効かないニャー。モンスター界随一の図太さニャ?」
「知ってるし分かってるよ! でもせめて乱入してくるならアルセルタスとドスゲネポスとかケチャワチャとかそのへんでしょ!? 空気読んでほしい!!」

採集品を詰めたポーチをしかと鷲掴みにして、いよいよ先輩狩人は駆け出した。当然とばかりに金獅子はその背を追う。
途中、振り向きざまにリンクが巨大化の術をかけたブーメランを投擲。ぱちんと乾いた音が流れていったが、追いすがる獣が止まる気配はなかった。
五メートル、クリノスの頬から汗が飛ぶ。四メートル、片腕一本分にラージャンの五指が迫る。三メートル、狩り人とオトモの姿勢が急速に前に傾いでいく。
残り二メートル……天色の髪が握り込まれようとした瞬間、黒毛の獣はふと、視界の端に何かしらの塊を見つけた。

「リンク!!」
「旦那さんっ、ボク『潜る』ニャ!」

獲物は二手に分かれた。しかし、追いすがる牙獣がそれを視認することはない。
クリノスが取りこぼすように下方に放った手投げ玉が、ラージャンの眼と鼻の先で閃光を解き放ったからだ。
見えず、口惜しく、獣は伸ばしかけた手で顔を覆って身悶える。たたらを踏んだ瞬間大きい気配がエリア外に、小さい気配が地中に潜り込んだ気配があった。

「……!!」

『獲物は去った』。久方ぶりに手応えがありそうな反応だと見込んでいた金獅子は、活きがいい暇潰しを逃がしたことに気づき絶叫する。
未だ、木立に身を潜めていた鳥類がけたたましく鳴きながら飛び去っていった。静寂とは裏腹に、湿原地帯にはいつまでも猛々しい悔恨が響き続けていた。






「あぁああー……竜骨結晶、結構いいゼニーとポイントになるのになあ……あとキノコ、キノコももうちょっと採りたかったー……」
「旦那さん旦那さん、ラージャンは五番エリアに行ったみたいニャー。戻ろうと思えば戻れるニャ?」
「いいよー、リンクー。はち合わせたらまた因縁つけられちゃうし」
「狩らないニャ? 旦那さんにしては珍しいニャー」
「『氷属性』の双剣、持ってきてないしねー。今日の目的ははじめから採集だったから」

清流の音に耳を傾け、テントの中でペンをとる……本来なら優雅な一時のはずだが、テーブル代わりの木箱に額を預けるクリノスの表情は晴れないままだ。
まんまとラージャンから逃げおおせた一人と一匹は、原生林のベースキャンプまで帰還することができていた。
閃光玉による目くらまし。ハンターの間ではよく採られる逃走手段だが、こと金獅子相手ではその場しのぎの苦肉の策にしかなりえない。
彼は、眼が利かなくなると途端に暴れ始めるのだ。恐暴竜に同じく、通常なら向かうところ敵なしの超攻撃的生物には小技というものがとことん通用しない。

「べっつに、今はラージャン素材は必要ないってだけだし……それにしても、母さんってあんなのに喩えられてるんだよね。やっぱり母さんって凄いっ!!」
「旦那さん、終着点はそこなのニャ?」
「大事なことだよー、リンク。母さんラージャンに喩えられると怒るんだから! にーちゃんたちは揶揄いすぎて自爆してたけど」

怒られるのは兄らに任せるよ、愚痴の後ようやく顔を上げた雇用主に、旦那さんは凄い人だからご両親も凄いに決まってるニャ、オトモはニパリと笑い返す。
……癒し。ここにあるのは癒しだけ。
手を伸ばしわしわしと黄色毛並みを撫で回した双剣使いは、なんだかんだで書き終えていた書面に封をして立ち上がった。

「いたいた、ニャン次郎さーん!」
「ニャッ、これはクリノスの旦那。荷物の配達の御用でありやしたら、あっしに任せておくんニャまし」

テントを出ると、天幕横に控えるように佇む一匹のメラルーが笠を芝居がかった仕草で持ち上げクリノスに応える。
標準的な体型のメラルーだ。最も、片眼には眼帯、金鈴の留め具をあしらった青地の雨除けマントに、口には野草を咥え……と、装備は数奇者じみていた。

「そっか、配達。じゃあお願いしようかなー。はい、レアものの採集品と砥石ね。あとこの手紙も」
「おンや、郵便ニャに頼める御用をあっしに回して構わねェんで? もちろん依頼とありゃァこの転がしニャン次郎、名に恥じニャい仕事をしてみせまさァ」
「もちろんっ、頼りにしてる! ……急ぎの手紙だから、荷物よりこっちを優先してほしい、かな」

慣れた手つきで、先輩狩人はポーチの中身のうち特にかさばるものを獣人に預けていく。
受け取るや否や相手は傍らの巨大なタルを転がして蓋を開け、取り出した梱包材ともども荷物を種類別に振り分け中身を詰めていった。
「転がしニャン次郎」。彼は単身ハンターズギルドと提携を結んでいる運び屋で、業務の都合上クエスト進行中は必ずキャンプの近くで待機している獣人だ。
運送の対象品目には薬草類、鉱石類、食材といった消耗品のみならず、小型から大型まで大小様々なモンスターの素材までもが含まれているという。
タル一つに全て収めることが可能なのか、あるいは別途ギルドから輸送部隊が出立するのか……専門外のハンターからすればただただマカ不思議な話だった。

「確ッかに預からせて頂きやす。ここからンならベルナよりドンドルマの方が早く着きやしょう……手紙はギルドに直送しやすが、構わねェでござんすね?」
「さっすが、話が分かるぅ! わたしたちも龍歴院宛ての報告書書いたらすぐ発つから。道中、気をつけてね」

ニャアーとメラルー特有の長返事をして、ニャン次郎は蓋をしたタルの腹に飛び乗った。横倒しのそれを脚で蹴り器用に回し、爆鎚竜の如く走り去っていく。
「転がし」の名に相応しい見事な運搬ぶりだ。格好良さと可愛さの共存だね、と遠のく背中を見送りながらクリノスは首を縦に振る。

「旦那さん、さっきの手紙って」
「リンク。うん……あのラージャンのことを、ちょっとねー」

狩り場に出たハンターには、クエストで得られた素材や生態情報について可能な限りギルドに報告することが義務づけられていた。
これはハンターズギルドに籍を置く者であれば誰でも従わなければならない規律であり、基本として例外は存在しない。
実力が広く知られている実母や三兄さえも、仕事から帰って早々ヒイヒイ言いながら大量の手紙をキャラバンから出していたのを覚えている。
……更に聞くところによれば、短期間の出向調査依頼を受けたハンターや調査員に至っては、報告と情報精査に特化した「編纂者」がつくこともあるらしい。
わたしには関係ないことだけどね、ふと思考を止め、クリノスはテントの中に置いていた書きかけの書類へと手を伸ばした。

「旦那さん、龍歴院にはなんて報告するのニャ? ラージャンが乱入してきたことだけニャ?」

木箱の横にリンクが歩み寄ってくる。彼は、そのあたりで拾ったと思わしき大ぶりの葦を手に手持ちぶさたにしていた。

「うーん、そうなるかな? 元は採集ツアーだし、そうとしか書きようがないよね」
「あいつ、『気光』を撃ってきたし足も速かったニャー。上位クラスの個体で間違いないニャ?」
「だと思うよ。二回ダイブはしなかったから、流石にその上ってことはないかも」
「ニャニャ……複雑ニャ。旦那さんの腕なら、あれくらいこの場でボコボコに出来るはずなのニャー。乱入は乱入なんだし、もったいないニャ」
「ええ? どしたの、積極的だねー。そうは言うけど、アイテム削ってまでこの装備でやり合おうとは思わないよ。たぶん、そのうちすぐ会えるだろうし」

これまでの経験を思えば、今後自分たちにどんな依頼が振られるかなど予想することは容易い。恐らく金獅子も避けては通れない相手となるだろう。
ましてやユカならハンターランクポイントの計上すらしかねない……不意に銀朱の真剣な眼差しを思い出し、クリノスは羽ペンを握ったまま地団駄を踏んだ。
「次に会ったときにはリンクにネコ大車輪か深層心理代理キックをおみまいしてもらおう、そうしよう」。
あの夜の出来事を思い出してしまったからだ――まだ許したわけじゃないから、そう決意を固め、急激に熱を持った頬を冷ますように勢いよく座り直した。

「……ハンターランクかぁ。原生林に出されてた依頼はチコ村経由であらかた片付けさせてもらったし、そろそろベルナに戻ろうかな? ね、リンク」
「ニャー。いい加減カシワさんも帰ってきてると思うニャ。氷海ならフラヒヤ山脈よりはベルナ村に近いはずニャ」
「あぁ、そっか。そういえばあいつ、ステラと氷海に行ってたんだっけ。んー……ステラのことだし、しごかれて泣かされてなきゃいいけど!」

泣いてなきゃいいニャ、そーだよねーなんか泣かされてそー、報告書の作成もそこそこに一人と一匹はテントを出る。
木立の奥まった場に設けられているにもかかわらず、陽の光が目に眩しい。先輩狩人は変わらない原生林の大自然に感心しつつ、手のひらを額にかざした。
ふと視線をのばした先に、見慣れた光景が映る。陽光煌めく青の中、見上げた先にいつしか古龍観測隊の気球が一機浮いていた。

「……早いね。手紙はまだ着いてないはずだけど、見越してたのかな」
「旦那さん? なにか忘れ物したニャ?」
「リンク、帰ろう。報告書の清書なら飛行船でもできるから」

「嫌な予感がする」。二度目のそれに否応なしに眉間に力が籠もった。
ラージャンのことだけでなく、他にも何かよからぬことが起きているような気がしたのだ。腹立たしいことに、こういうときの勘もまたよく当たる。

「ベルナに戻るの、久しぶりニャー。チーズフォンデュにベルナッパ、ベルナスに熟成チーズ……それに、ノアさんのチーズクッキー! 楽しみニャー」
「あはは、分かるー! わたしも早く食べたいなー。カシワだけにあげるなんて、もったいないよね!」

キャンプ近くに流れる沢に浮かべた小舟に足をかけ、狩り人たちは仲良く腰を下ろしてオールを手に取った。
指定された中洲に漕ぎつければ、龍歴院の飛行船と小型艇が拾ってくれる段取りになっている。
「我らの団」の頃はイサナ船が拾ってくれてたっけ……感傷的だなあ、とクリノスは我知らず頭を振った。
青々と照る幻想的な風景がそうさせるのかもしれない。この狩り場はステラと別れた後に一、二年ほど所属した小規模旅団とよく訪れた場所でもあったのだ。

「次はどんなモンスターかニャー、旦那さん」
「そーだねー。そろそろ装備も新調しなきゃかも。リンク、手伝ってくれる?」
「毒クモリの上位素材ニャ? もちろんお手伝いするニャ! オトモ広場にいる仲間にも声をかけてみるニャー」

思い出と共に水面に乗り出す。家族から受け取った知識のみならず、狩人として積んだ経験が周りを視る余裕を持たせてくれる。
暗緑の森が遠のく中、背後にはいつまでも黒毛の獣の咆哮が響いていた。便りは出した――あとはランクが見合うハンターが代理を務めてくれることだろう。
命を賭する狩りが正解とは限らない。「自分」はそれをよく識っている。これまで縁のあった者たちも皆、同じ選択をしてくれるはずだ。
ラージャンだって狩れないわけじゃないんだし、前に向き直り、先輩狩人は嘆息混じりに櫂を漕いだ。咽せるような草いきれが、しつこく背中を追ってくる。





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 UP:25/11/25