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モンスターハンター カシワの書 上位編(54)


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「うぐぉ……なんか温暖期、いや、繁殖期の間ずっと体を動かしてた気分だ。背中の筋肉がメキメキいってるぞ……」

アルフォートに頬をぺしぺしされること数回、後にクレタに半ば本気で叩かれること数回を繰り返し、ようやくカシワは目を覚ました。
顔と背中をさすりながら双方からこれまでの顛末を聞く。若者の方は不満全開にしていたが、後輩狩人は自分の身に起きたことを何ひとつ覚えていなかった。

「呆れた、本当になんにも覚えてないんすね。太刀、結構使いこなしてたのに……それも覚えてないんすか」
「あー……悪い。全然覚えてない」
「これですよ。カシワさんにもマトモなところがあったんだって、少しだけ見直してあげてたところだったのに」
「そうなのか? それは……ちょっともったいないことしたかもな。けど、俺が覚えてないんじゃどうしようもないからなあ」
「ニャ、ニャイ。でも、全員無事でよかったですニャ! 旦那さんも……ちゃんと戻ってこられたから」

互いに泥土を払い、破れ、溶かされた装備の惨状に嘆息する。
「イビルジョーはコワイジョー」。ダジャレを言い合っている場合でもないのだが、そうでもしないと平常心を保っていられる自信がなかった。

「もう一回会いたいとは思わないっすけど、ペイントしそびれてるんで……出会い頭にマーキングして、速攻逃げるしかなさそうっすね」
「だな。あんなおっかないモンスターが同じ狩り場をうろついてるなんて……駄目だ、頭痛くなってきた」
「乱入にどう対応するかは受注者次第なんですニャ。狩れたら一番ですけど、今回は……被害が出る前なら先に情報を持ち帰った方がいいはずですニャ」

空気が淀んでいる気がする。緊張が伝染しているのか、居合わせる強者の気迫故か。無意識に顔を見合わせて三人は頷き合った。
余力があるうちにベースキャンプの位置を探ろう、一行は一路第四番エリアから離れることにする。
アルフォートは上空に古龍観測船が来ていないか、あわよくばコンタクトをとれないかと首を巡らせたが、先と変わらず鈍色の曇天が広がるばかりだった。

「アル。お前はイビルジョーのことを知ってるみたいだったけど、相手にしたことでもあるのか」
「ニャイ!? まさか、ボクにはとても無理ですニャ! その……ステラさんがチャチャさんカヤンバさんと何回かやり合ったって。それで」

もじもじと指を交差させるオトモメラルーだが、そんな彼の話に勢いよく食いついたのは雇用主ではなくクレタの方だった。

「姉様が!? イビルジョーを!? 恐暴竜を!? ということは姉様はあの竜を狩ったんすね!? 凄い、凄すぎるっす! 流石、さっすが姉様です!!」
「ニャギャァア!? く、クレタさん、やめてくださいニャァ! 眼が回りますニャー!!」
「元気だなー、クレタ。俺はもう、クリノスたちが何を相手してても動揺しないでいられる自信があるぞ……」

話はしながらも、一行はキャンプを目指してひたすら南下する。若者に文字通りぶん回されていたオトモメラルーは少々ふらついていた。
途中、何度かイビルジョーの咆哮が遠方から聞こえ、その度に二人と一匹は立ち止まって息を呑む。
やはり簡単に恐怖は拭えないようだ。三度目の咆哮に思わず顔を見合わせたカシワとアルフォートは、せめてクエストの完遂だけでも目指そうと頷き合った。
……クルプティオス湿地帯のキャンプは、南西端、岩場を背にした緩やかな坂の上にひっそりと設置されている。
土壌に変化は見られないがキャンプの北側には大規模な淡水湖が広がっていて、クレタがクエスト開始時に目撃した秘境のものと同じ蓮が花を咲かせていた。

「蓮かー。レンコンとか食べたいなあ」
「旦那さん、レンコンが好きなんですニャ?」
「いや、蓮を見てたらなんとなくな。昔、父さんの狩りのお土産で砂漠産の貴重なやつを食べたことがあったんだよ。あれ、美味かったなあ」
「カシワさん、オトモさん……こんなときに、よく食べ物の話なんてできますね」
「なんでだよ、無事に帰ったら食べられるだろ? そういう楽しみがあった方が『無事に帰るぞ』って気になるかもしれないだろ」
「ニャイ……クレタさんは、帰ったらやりたいこととか食べたい物とか、ないんですニャ?」

得物を研ぎ、携帯食料で空腹を宥め、転倒などのトラブルを防ぐため泥を落とす。それぞれが狩りの準備を進める最中、若者はぽつりと呟いた。

「ボクは姉様に会えるだけでいいっす。もっと言うなら、姉様が昔みたいに狩り場ででもいいから大好きな音楽に触れていてくれたら、それだけで十分っす」

後輩狩人とオトモメラルーは、彼をそれぞれの思う形で労う。カシワは頭をぽんと撫で、アルフォートは自前のおやつのアキンドングリを手渡した。
受け取った側ははじめ渋い顔をしていたが、次第に満更でもなさそうにドングリをしまって口をもごもごさせ始める。
その最中にも恐暴竜の鳴き声が怨嗟の如く聞こえていたが、二人と一匹は妙に勇気づいた心地になっていた。立ち上がるや否や、首肯しあって狩り場へ戻る。

「……それにしても、カシワさんってご家族の方もハンターだったんすね」

しかし怖いものは怖いので、甲虫を駆除するのはキャンプに近いエリアにしておこう……ということになり。
太刀の切っ先で器用に薄翅を突っつき撃墜しつつ、誰にともなくという風にクレタが呟いた。急に名を出されたカシワは別個体を追いかけていた足を止める。

「どうしたんだよ、いきなり。そうだな……父さんが故郷の、村の居付きのハンターをやってるよ」
「へえ、マジの話なんすか、なんか意外っす。カシワさんって、どっちかっていうと箱入りのお坊ちゃんってイメージだったので」
「うん? 俺の家って普通の家だぞ。金持ちってほどじゃないと思うけどな」
「ちょっと、しっかりして下さいよ! さっき砂漠産のレンコンがどうこうって言ってたじゃないですか。多分それ、旧砂漠のオタカラですよ」
「ニャイ……珍しい特産品をお土産に出来るのは金銭的余裕がある商人か人脈が太いハンターさんくらいですニャ。特産品も正規購入だと値が張りますから」

すかさずオトモメラルーからフォローが飛ばされるが、でも箱入りなのはクレタさんの方だと思いますニャ、と二の句に若干の毒が混ざった。
若者は絶句。剥ぎ取りもせずにその場に立ち尽くしたが、後輩狩人は飛び交うランゴスタ相手に必死で盾を振りまくっている。

「へえ、そう、なのかっ。あまり考えたことなかったけど、言われてみればそうだよな。アルは物知りだなあ……って、あー、駄目だ。またバラけたぞ」
「ニャイ。ランゴスタもブナハブラも、加減が難しいですニャァ」
「あ、ああっ、苛々するっす。剥ぎ取りも満足に出来ないこんな人が、なんでセンパイの相棒に……ボクの方が絶対……!」

ハゲしく、失礼、激しく頭を掻きむしるあまり若者の髪は乱れる一方だったが、髪型崩れてるぞ、と手を伸ばすと鋭く払いのけられた。
完全に気を許したわけではない、とばかりにクレタは歯噛みしているが、カシワ自身はこの若者以上に口達者な人物と狩りをしてきた身である。
口には出さずに済んだがこれはまだ可愛い反応だと思えてしまった。今頃クリノスとユカは何してるんだろうなあ、そう空を仰ぎ見たとき、思考は硬直する。
曇天に、赤く瞬く星が見えた。赫(かく)と輝く様はまさに星としか言いようがなかったが、雲の下に見える星など有り得るのか――

「あれって、なんだ? 赤い星……」

――直後、ぞくりと背筋が冷える。
勢いよく振り向いた矢先、隣接するエリアに繋がる細道にあの暗緑色の巨躯が見え、二人と一匹は顔を強張らせた。

「ニャギャ!? い、イビルジョーですニャ!」
「だーっ、こんな近場まで来るんすか!? なんてはた迷惑なっ!!」
「あいつだって生き物だからなあ、食べるなら新鮮な方がいいのかもしれないな」
「カシワさん!! んなこと言ってる場合じゃないでしょう! はっ、早くペイントして――」

恐暴竜、猛進。クレタは我先にと逃げ出し、アルフォートは果敢に武器を構え直す。
ではカシワはどうしたかというと、若者に言われるがまま直進し、躊躇なくペイントボールを巨体めがけて投げつけた。
ボスン、と聞き慣れた音が鳴る。次の瞬間には竜の眼が後輩狩人を睨め下ろしていた。全身が粟立つと同時、続けて光蟲を閉じ込めた手投げ玉を宙へと放る。

「アル、撤退だ! 退がるぞ!」
「あわわわわ、ニャ、ニャイ! 了解ですニャァ!!」

目くらましは確かに成功したようだった。たたらを踏んだイビルジョーは、何が起きたか分からない、と言いたげに首を振っている。
逃げるなら、今! 言葉を交わす必要はない。ただ一度、相手が止まったことを視認してから一人と一匹は駆け出した。
クレタが飛び込んだ隣接するエリアに滑り込み、点在する枯れ木に背中を預けて息を整える。耳を澄まし、あの重低音が追ってこないことに安堵した。

「逃げ切れたみたいだな……アル、無事か」
「ニャ、ニャイ、もちろんですニャ。それで、クレタさんはどこに……」
「あっ、カシワさんオトモさん! こっちこっち、こっちっすよ。ランゴスタも結構残ってるっす! 早く済ませて帰りましょう!!」
「クレタ、お前……そうかあ……元気だなあ……」

互いに無事であるならなによりだ。とはいえ、件の獣竜には執着され始めているとみて間違いない。カシワはぐっと恐れを呑む。
閃光玉の併用、ペイントの実の臭気と煙に乗じての逃走。目くらましは効いてくれた、追われることもなかった。だというのに冷や汗が止まらない。
他のモンスターなら確実に振り切ることが出来る状態であり、実際にエリアを脱することは出来ている。だが、どうだ――あの竜はあの場から動かなかった。
動かなかったのだ。あの窪んだ眼窩が、逃げ去ろうとする獲物の背中をふらつくことなく真っ直ぐ見つめ、視力を封じられてもなお狙いを外さない。
「そこにいるのは分かっている」、そう言いたげに。この感覚は、「骸の龍」に対峙したときの畏れによく似ている――寒いわけでもないのに悪寒が走った。

「カシワさん、ほら、早く! なにぼさっとしてるんすか。目くらましもしてあるんでしょう?」
「ああ……そうだな。悪い、今そっちに行く」

顔を上げたとき、若者とオトモはすでに甲虫狩りを再開させている。
ペイント効果の付与と閃光による視界不良、それらの手法が完璧に作用していると、そう信じているからこその切り替え。
ただ後輩狩人はにが虫を噛む心地で頭を振る。嗅ぎ慣れた臭いだけが、今は身を守る唯一の手段だ――切らせるわけにはいかないな、そう密かに歯噛みした。






――ところ変わって、ユクモ地方、とある農村。
規模は観光地として周知されはじめたユクモ村に遥かに劣る。人口は少なく、閉鎖的な地域性のため観光客の誘致や仕事の斡旋も進んでいない。
身の回りのものはほとんどが自給自足で成り立っていて、今日も村のすぐ傍に流れる小川では穫れたばかりの農作物や、翡翠や瑪瑙類の屑石が洗われていた。
家によっては動植物の素材を加工することもある。ギルド公認店のものより質は劣るが、村人たちはなめし皮や、竹や麻を漉した紙を常用していた。
そういった技術や原料が存在するのは、ひとえにごく一部の村民がハンター稼業を兼任し、外部から素材や交易品を持ち帰っていることが理由に挙げられる。
多くは草食種や小型の撃退が可能な下位ハンターでしかなかったが、中にはハンターズギルドから直に依頼を回される強者もいた。

「……スギ様。オルキス様から、おてがみが届いていますわ」

農村のうち、村全体を俯瞰することができる小高い丘、そこに建てられた二軒の家屋。
奥の、竹林に埋もれるように佇む屋敷に生き物の気配は感じられない。手前に位置する一戸建てには今も居住するふたつの人影があった。
縁側にて畑からもいできたトマトを齧るのは、村一番の腕利きのハンターその人である。果汁の豊富さに、うわ手汚れた、と慌てる姿に威厳は感じられない。

「えーと、それで、なんだっけ? キキョウさん」
「もう、スギ様ったら。おてがみですよ。イタリカ商会キャラバン警固の、オルキス様から」
「あぁ、そういえば全っ然返事出してないな。いや、ありがとう……そろそろ本格的に締め上げられる頃かもしれないなぁ」

男の名を呼び、親しげに寄り添いながら布巾で手を拭き取るのはその妻だった。名をキキョウという。
どちらも黒い髪に黒瞳で、どこか柔和な雰囲気を纏っていた。歳はスギがキキョウの二つ上の五十になるが、双方ともに若く見える面立ちをしている。
……トマト汁をすっきりと拭かれ、スギは上機嫌に縁側に寝転がった。時刻は昼前、普通ならとっくに労働に勤しむべき時間である。
キキョウはキキョウでスギの頭をいそいそと己が膝上に乗せ、短く硬質な手触りを堪能し出す始末だった。色白の細い指が、ぱさりと乾いた音を立てさせる。

「またそんなこと仰って。オルキス様を『金獅子』呼ばわりするのは、失礼ですよ」
「キキョウさんはそう言うけど、あいつ本っ当に豪腕なんだよ。今日だってご家族にラージャン呼びされてるに決まってるさ。晩飯を賭けてもいい」
「まあ、スギ様が賭け事だなんて珍しい……では、わたくし個人のお返事にそのように書き留めさせて頂きます。オルキス様はラージャンだとスギ様が、と」
「ちょっ、キキョウさん!? それはちょっと……ちょっとこう、都合が……い、いやーん!」

夫をからかい、妻は笑った。からかわれたことに気づいた夫は、精悍な顔の頬を膨らませて俄に子どものように拗ね始める。
時間は穏やかに流れていた。眼下、同村の住民が農作業に精を出し、また別の村民は小川で洗い物や釣りを済ませ、気の早い者は湯飲み片手に軽食を摘まむ。
彼らの子どもたちは近場の井戸の周りに集まり、各々持ち寄った小枝や手製の木刀を手にハンターの真似事をして、歓声を上げていた。

「『あの子』は今頃、どうしているでしょうか」

スギの頭を撫でながら、キキョウがぽつりと呟く。
丘を下った先にある子どもらの遊び場に、かつての過去の残滓を見出したような、どこか寂しげな目をしていた。
妻の吐露に夫は唸るばかりだ。この夫婦には一人息子がいる。親として目一杯の愛情を注いできたつもりでいたが、半年ほど前に出ていかれてしまっていた。

「曰く、『ハンターになってやりたいことがある』だったかな。俺とキキョウさんの子だよ、元気にやってるに違いないさ」

キキョウの心痛を労るように、スギは意識して声色を柔くする。愛妻との間にもうけた一人息子……実をいえばその足取りはすでに把握できていた。
一時ハンターを休業していたスギだったが、ハンターズギルドからの要請と誌面「狩りに生きる」で息子の活躍を知り、稼業を再開させることを決めたのだ。
長らく復職を切望されていたにもかかわらず、昨今までこの男が依頼を受けなかったのには理由がある。それというのも――

「でも、スギ様。『ヨイチ様』はまだあの子と共に在るのでしょう……本当に、大丈夫でしょうか」

――自分たちの子に、怨霊じみた当人あらざる別人格が取り憑いていたからだ。
ふとしたとき、特に、特定のハンターの得物や鋏角種系統の話題が挙がったとき、その人格はなんの前触れもなく息子の形(なり)のまま発露し物を語り出す。
達観した物言いに、狩人であることをほのめかす知識、息子とスギ、更にその父の血統に対する憎悪を語る者……その人格は、自らをヨイチと名乗った。

「……ヨイチくん、なあ。親父は家のことは省みなかったけど、まだまともなハンターだと思っていたんだけどな。何をどうして、あんな恨みを買ったのか」
「分かりません……何をされたのかを、あの方は決して教えては下さいませんでしたから」
「うん、俺もだ。あれだけの恨みがどこからきたものなのか分からないんじゃ、解き放ってやることも出来ないよ」

キキョウの嘆息に、スギは首を縦に振ることしか出来ない。
息子が物心つきだす頃、スギの父親が原因不明の病で旅立った、その日。そこを起点として、ヨイチは時折息子と入れ替わりを行うようになる。
曰く、「お前の父親に手酷いことをされた」、「大切なものを奪われた」、「その血脈ともども許すつもりはない」と。

『俺の父親の因果だろう。息子には関係ないんでないかな? ヨイチくんや』
『気易く呼ぶなよ。「先生」もあんたもハンターじゃないか。その業は、宿命は、脈々と継がれているに決まってるだろ』


血を浴び続ける限りは自業自得だ、とヨイチは言う。自分が代替になれないか、そこで手打ちに出来ないかと提案しても、相手が頷くことはない。
「目的は何か」と問えば「その血の根絶やしだ」と息子の顔は歪められた。血の気が引くどころの話ではない。正気を保てていたのが奇跡だと、今でも思う。
いつ何時、奪われるか分からない。息子を人質に取られたように感じたスギは、その動向から目を離すことができなくなった。
結果として、息子が自衛できる年頃になるまでの間、また自制が効く成長が見込まれるまでの間、ハンター稼業から退くよりなかったのである。
とはいえ、恨みを買ったのなら仕方ない、とその人の話にはとことん付き合うこととした。夜通し恨み辛みを吐かれても折れずにじっと耳を傾け続けたのだ。

「解き放つ……あの方は、それを望んでいるのでしょうか」

後に、自分のみならず妻もヨイチと接触していたことを知りスギは驚愕する。知ってなお、親を責めなかったキキョウの寛容さに頭を下げた夜もあった。
思えば、いつの日か彼女には「息子とその祖父が関わり合うことは、あまり好ましいとは思えない」と告げられたことがある。
夫の父親が、家族――この場合、家に置き去りにされた幼いスギと実母のことだ――をないがしろにする仕事優先の姿勢が受け入れ難いのだと。
本当に良い嫁を貰ったものだ、と当時の黒髪黒瞳は首肯した。口では不快感を示しておきながら、父が亡くなる直前まで彼女も手を尽くしてくれたのだから。

「……なんとも言えないなあ。けど、『カシワ』は昔からハンターになろうとしていた。親父の稽古も弱音を吐かなかったしね。もう覚えてないようだけど」
「スギ様、あの子は何を望んでハンターを志そうとしたのでしょう。やはり、ネム様かスギ様に憧れて……?」
「それはないな。ただ『やりたいことがある』と言ったんだ、ヨイチくんの件とは別に、モンスターのことで調べたいことがあるのかもしれない」
「スギ様が意図して狩りの知識を閉ざしていらしたから、反動でしょうか? でもヨイチ様のこともありましたから、そうするしか……」

息子自身にはヨイチとの入れ替わりに気づいた様子がないことが唯一の救いだと、スギは考えている。
反抗されたのは半年前の家出くらいのもので、息子カシワは――多少短気なきらいはあるものの、心根の真っ直ぐな青年に育ってくれた。
なにより、見目は自分と愛妻のいいとこ取りである。これでもう少し落ち着きがある子だったらなぁ、とは、自分の性格のこともあり口には出来ない。

「キキョウさん。本当のことを言うとね、俺があいつがハンターになろうとするのを止めたのは……失敗だったと思うんだ」
「まあ。ずっと否定なさっていましたのに、ついにお認めになられるのですね」
「ウーム、人間さ、『ダメだ』って言われるとどうしてもそれをやりたくなっちゃう生き物だからね。ましてやカシワは負けん気が強かったから」
「ふふ。あの子、出会った頃のスギ様にそっくりです」
「そうかい? そうかなあ……けど、結局なられちゃっているからねえ。ハンターに」

ヨイチが言う、血の業か、宿命そのものか。
ヨイチが強く憎む要素をことごとく排除しようと努めたスギだったが、結局それは徒労に終わってしまった。
今となっては、息子はかつての戦友の娘とペアを組み、さも自分たちの軌跡をなぞるかのように超大型古龍に挑むことさえ許されるようにまでなったらしい。
いつからか、ハンターズギルドの使者としてたまに顔を見せるようになった銀朱の騎士に、苦い顔で息子の青臭さを嘆かれたこともある。

「宿命、運命か。まるであの子は、ハンターになるべくして生まれてきたようじゃないか。なんて皮肉なことだろう」
「スギ様……」
「キキョウさん。俺は、カシワを奪わせるつもりはないよ。万が一そんなことになれば、多分だけど……傷つくのはヨイチくんのような気がしているんだ」

宿命、運命。これほど皮肉に満ちた響きがあるものだろうか。
ふと言葉を切った黒髪黒瞳は、手元のかつての戦友から送られたという手紙を素早く開封し、中身に目を走らせた。

「『巨大龍の絶命により、伝説は蘇る』。なんてことだ……近頃、妙に森が騒がしいと思っていたのに」

血肉に餓えた獣の竜、攻撃的本能の塊たる獣、その他、現大陸の各地で散見される、赤い星を天地に散らす龍と、青い星を水場に澱ませる龍……。
それ以外にも、名だたる龍獣の出現が多数確認されていることを手紙は示唆している。
竜が竜を呼び、獣が獣を呼ぶ、一連のサイクルの再訪を戦友は危惧していた。それはつまり、最終的に恐るべき龍が彼の地に降臨することをも予見している。

「前触れは、竜と獣の異常な活性化。それを退けた先にようやく事の元凶が露呈する……そうでしたよね、スギ様」
「ああ。古龍の出現に始まり、超大型飛竜の再来、海と陸の共震や、狂竜ウイルスもそうだ。なんていうか、カシワも運が強いというか弱いというか……」

世界を震撼させる、モンスターを原因とする災厄と呼ぶに相応しい事象の数々。
「古龍還し」などという大仰な通り名がついた自分でさえ、自然の権化たちの行く末や目的、生態などは把握しきれずにいるのだ。
彼らは人間の動向など、気に留めてもくれない。在るが儘に生き、望む儘に変容をもたらし――気づいた頃には災厄が芽吹いた後、ということがほとんどだ。
如何に調査、情報精査を進めても、被害が出てから初めて露呈する事態も少なくない。しかし、それこそがモンスターという生物だとスギは捉えていた。

「キキョウさん。俺はユカくんと、雪山で『星の龍』と思わしきやつに会ったよ。そのうちカシワも会うんじゃないかな」
「そのうち、ですか。そんな悠長なことを仰っている場合なのですか、スギ様」
「やー、『骸の龍』ともども神出鬼没だそうだからね。オルキスも護衛業の合間に確認してるらしいけど、調査依頼の目処がようやく、ってところみたいだ」

モンスターが狩り人を喚ぶのか。狩り人がモンスターに焦がれるのか……今となっても答えは見つからないままだ。
それでも自分にはハンターとして、息子の父として、どうしても果たさなければならないことがある。

「とりあえずは、カシワが取りこぼしたクエストの消化からかなぁ。ふふふふふふ、上位クエストで連勤だ。腕が鳴っちゃうぞぉ、フライパンぶーんだ!」
「では、お弁当を用意しなくてはなりませんね。カシワの分を作ってあげられないのは残念ですが……お返事も、急ぎませんと」

カシワとヨイチ。双方を見守り、影ながら支えること。全ては、愛しいもの、庇護すべきものを護るための戦いだ。
最愛の黒艶に唇を落としてから、古龍還しは己が狩猟道具へと手を伸ばした。
互いに出来ることをやるしかないのだ――離れた地で仕事に励む息子に、胸中からそっとエールを送る。





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 UP:25/09/05