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モンスターハンター カシワの書 上位編(50)


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結局のところ、凍てつく波間に鎖された狩り場は「彼女」専用の縄張りとはならなかった。
「彼女」が成長途中の仔どもらと棚氷を探索する最中、南方から派遣された二足歩行の狩り人らが「彼女」そのものを滞りなく手折っていったためである。
とはいえ、これも生存競争の一環であり双方の均衡を保つためには致し方ないことと――長きにわたり、我々も理解しているのだ。
理解と納得、妥協は、必ずしも同義とは限らない。それらは互いに近しいところにあり、また、我々とて二足歩行側に直接手を下さねばならないときもある。
いつの日か、『明日は我が身』と遠き御空に坐す紅雷の先達がぼやかれたこともあったほどだ。
……では今時分の「私」が何をしているのかというと、任されたこの鎖されし狩り場に珍客が紛れ込んだがために黙して動向を見守っていたところであった。
「彼女」は狩り人に敗してしまったが、件の珍客は彼らの眼を避け、遭遇する機会そのものを自ら避けているように見えた。
『二足歩行の考えなど端からお見通しだ』とでも言いたげに、その飛竜は行く先々で彼らの動向を見下ろし、またその言動をつぶさに観察していたのだ。
――轟竜ティガレックス。「彼女」同様、それが獰猛種であることは既に聞き及んでいる。
「私」の知る彼の飛竜は、狩り人が眼の前に現れようものなら積極的に視界から排除しようとするはずだったのだが……これは相当の変わり者なのだろうか。
よく眼を懲らせば、爪先に同種の小さき爪が植物繊維で括りつけられている。この珍客は時折それを鼻先に自らくっつけ、慈愛に満ちた視線を落としていた。
好き好んでそうしているのか定かでないが、飛竜が――恐らく自分で括った――その小さき爪を大切にしていることは眼にみえて明らかだった。

『……ふむ』

現状、我が守護区域に大きな影響があるわけでもなし。「私」は今しばらく、この地であの竜の動向を見守ることにした。
凍て刺す風に身を任せて飛翔する。波間がまたひとつ眠りに就いた後、そこには誰の姿も残されていなかった。







「……そうか、思い出したぞ! それ、リオレイア素材の武器だよな?」

龍歴院管轄の飛行船に揺られ、帰途につきながらの一区切り。空き箱を積んで作った簡素な机を挟みながら向き合う最中、唐突に後輩狩人はそう言い出した。
客室乗務員に差し出された機内食を受け取りながら、笛吹きは何故か「そうかそうか」と得意げな黒髪黒瞳に視線を巡らせて目を瞬かせる。

「確かに、これは雌火竜素材の狩猟笛だね。それがどうしたの」
「悪い、大したことじゃないんだ。どこかで見たことある色だと思ってたんだけど、それが思い出せなくて」
「あら、カシワ様。リオレイアの鱗は新緑や裏葉の落ち着いた色彩で、昔から人気が高いのですわ。ましてや別名は陸の女王……ロマンの塊ニャのですわ!」

二人と一匹分の食事を簡易テーブルに預けたおなじみの乗務員エリザベスは右手は胸の上、左手は気嚢に掲げて歌劇よろしく高々と喉を鳴らした。
カシワの台詞につられてステラの得物に顔を映していたアルフォートが、憧れの雌獣人の優雅な仕草に振り向き眼を輝かせている。
ふたりの応酬に苦く笑い返した笛吹きは、木箱の山に立てかけていた自身の相棒を手に取った。

「リオレイアには思い入れがあるの。クリノスと初めてモガの森に行ったとき……相手はクルペッコだったんだけど、喚ばれちゃって」
「喚ばれた? クルペッコって、確かユカとクリノスがいっつも名前を言ってたような」
「彩鳥クルペッコ。派手な色の羽根をした中型の鳥竜種なんだけどこのあたりでは数も少ないし、姿に覚えがなくても仕方ないんじゃないかな」
「旦那さん、クルペッコの特技に喉の音響器官を使った鳴き真似があるんですニャ。喚ばれた側は『仲間の危機だ』って勘違いしてるから大変なんですニャ」
「そうなのか……俺は、見たことないからなあ。あれっ、じゃあそのクルペッコ狩りのときに」
「そう。リオレイアを喚び出されて、初心者同然の装備で追い回されることになったってこと」

正確には、初めて見る飛竜の実物に興奮した自分が殴りかかりに向かって返り討ちにあったのだ、とステラは当時のことを思い返すように目を閉じた。
曰く、クリノスに引きずられて命からがらベースキャンプに引き返した、と。レザー一式で雌火竜に対峙するのは竜骨が折れるどころの話ではなかった、と。
ああ楽しかった、そう言いのけた娘の顔を見ていたカシワは、古代林で初めてリオレイアに対面したときのことを思い出す。
右も左も分からない新米の自分、一緒に狩りをしていた仲間の危機、逃がしてやらなければならない竜人族……楽しげに話せる気持ちが全く分からなかった。

「ニャイ、大変な狩りだって誰かと一緒なら怖さ半減ですニャ。楽しさなら二倍、ボクも旦那さんと一緒ならリオレイアだって平気ですニャ」

アルフォートは話に加わりながらも、磨き抜かれたリコーダー型の得物を見つめてウットリしている。

「ステラさんが凄いのは、怖がらないところなんですニャ。チャチャさんやカヤンバさんと一緒に獰猛な竜獣に立ち向かって……格好よかったんですニャ」
「アルフォート、それは褒めすぎ。カシワだってそうでしょう」
「ニャイ、そうですニャ! 旦那さんはモンスターだって生きてるからって……モンスターのことも考えながら、狩りをしているんですニャ」

誇らしげに語るオトモの嬉しそうな顔といったら! たまらず、カシワは赤くなる一方の顔をふたりから逸らしていた。
こんなときクリノスがこの場にいればすぐにでも「なに、照れてんの?」とでもからかわれそうなものだが……ステラは変わらず、穏やかに微笑んでいる。

「そう。あなたが良い相棒に恵まれたみたいで、よかったよ」

その語気には、アルフォートへの親愛が深く現れているような気がした。目を瞬かせた瞬間、朽葉色と不意に目が合う。

「アルフォート。申し訳ないんだけど、乗務員さんにゼンマイティーのおかわりを頼んできてほしいの。頼めないかな」
「あれ、ステラさん、ゼンマイティー気に入りましたのニャ? 少し待っていてくださいニャ!」

それはあからさまな人払いに違いなかった。後輩狩人が止めるより早く、オトモメラルーは船尾の方へ四足歩行で駆け出していく。
制止しようとして伸ばした手のやりどころに困った黒髪黒瞳は、そっと腕を下ろして居心地の悪さにうなじを掻いた。
どうしたの食べないの、そう促してくるのは眼前の笛吹きだが、そもそも彼女の前に置かれたゼンマイティーは半分ほどしか減っていない。
「これでおかわりが欲しい、気に入ったのだと言われても」。口にしかけた言葉は一旦喉奥に追いやって、カシワも倣うように用意された食事に手を伸ばす。

「ねえ、カシワ。あなた、アルフォートのことは大事にしてる?」
「んぐっ、な、なんだよ急に? 当たり前……だろ」
「その『間』は何? あんな主人思いの獣人、そういないよ。オトモに選んだからには相応の理由があるのでしょう」
「理由って……アルと会えたのは偶然というかたまたまというか。けど、あいつが一生懸命やってるのは知ってるぞ。勉強熱心だし、色々頑張ってるよ」

焼きたてのサシミウオを頬張りながら、これまでのオトモの姿を思い起こした。
鬼蛙、雌火竜、迅竜ナルガクルガに電竜ライゼクス……そして斬竜ディノバルドの狩猟と、骸の龍オストガロア戦への同行。
上位昇格後は、遺跡平原でフィールドをふたりで見て回った覚えもある。眼を輝かせながらも彼は観察を怠らず、素直に経験知を吸収していたように見えた。

「へたすると俺よりモンスターのことを勉強してて……なんだよ、その顔?」
「ううん。あなたもばか正直だと思ってね」

どういう意味だよ、そう言い返そうとした後輩狩人だったが二の句を続けることはできなかった。
ふと、笛吹きの視線が飛行船の外へ向けられる。青みの濃さが増す空からは、寒冷地帯から帰還先の高原地帯に船が近づきつつあることを知ることができた。

「思い出していただけなの。あなたやアルフォートの真っ直ぐさは、わたしの知っているとあるハンターによく似ているから」

カシワがそれ以上を吐けなくなったのは、ステラの横顔に寂寥が滲んでいたからだ。こちらに向き直る朽葉色は微かに濡れているように見える。

「思い出したって……俺とアルは人間とメラルーだし、混ぜようがないんじゃないか」
「あなた、それ本気で言っているの。わたしが話しているのは気質や振る舞いのことであって、顔立ちのことではないのだけど」
「わ、分かってる、冗談だ。……それで、その人はお前にとって大事な人なのか? 今はどうしてるんだ」

なんの気もなしに放った疑問だった。言われた側は、言った側の言葉を理解するのに時間が要するかのように身を固くする。

「……もう……いないの」
「え?」
「いないの、もうどこにも。一人ではこなしきれない難度のクエストをいくつも押しつけられて、過労の最中にモンスターに屠られたそうだよ」
「なん……押しつけ? 屠られた? そ、そんなことあるはずが……その人だってギルドに所属していたんだろ、だったら放っておかれるわけないだろ!?」
「けれど現実として彼は仕事の最中、狩り場で命を落としたそうなの。わたしは……死に目にだって、会えなかった」

風の音に笛吹きの言葉は掻き消される。だというのに、自分の声が震えていることだけははっきりと聞き取ることができていた。
カシワが疑問と疑念を口に出したとき、ステラはそれをまるで否定せずただ静かに首を横に振る。今度こそ黒髪黒瞳は言葉をなくしてしまった。

「わたしがハンターを志す前、十五にも届かなかった頃のことだよ。クリノスには……『なんでそんな冷静でいられんの、あんた何歳?』って言われたっけ」

思い返せば、笛吹きはその人物が己にとって「大事な人」であることを否定しなかったのだ。
依頼を請け負う最中に命を落としたハンターが実在する現実を間接的に知ることになり、後輩狩人は知らず唾を飲む。
……考えてみれば、狩猟を他人任せにしていたと告白したクレタでさえ、そのハンターランクの数字の裏には他の狩人からの助力が隠されていたほどなのだ。
たった一人で、捌ききれないほどの量の――自分はまだ任されたことがなかったが――高難度のクエストに向かわければならなかった故人、ステラの思い人。
当然、件の人物に心当たりはない。しかし、眼前の朽葉色の瞳には決して嘘や偽りなどは述べていないという強い意志を感じさせられた。

「誰のせいでもない。彼が命を落としたのも、彼が選んだ道の結果だから。でもわたしは割り切れないよ。どうしてあの人が、って今でもしつこく思ってる」
「……しつこくって……お前の大事な人だったんだろ。割り切れるはずないじゃないか、そんな言い方してやるなよ。お前だって辛くなるだろ」

知らない他人の話だ。それでも、無理にでも忘れようとしているかのような物言いにカシワは思わず言い返してしまっていた。
ステラ自身は目を丸くして固まっている。

「大好きな人のことなら、そう簡単に忘れられるわけがないんだ。なあ、ステラ。お前の『貴族嫌い』ってその人となにか関係あるんじゃないのか」
「……鋭いね。あなたの何がハンターとしての才能なのか、分かった気がするよ」
「俺のことは今はどうでもいいだろ。……もしかして、その人とお前の家族に何かあったのか。だからお前は家族のことが――」

――口にしかけて言葉を切った。仲間の内情に首を突っ込んだからこそ、自分はユカと対峙することになったのではなかったか。
事情も経緯も知らないのに、今度はクリノスの友人の心に踏み込むのか……躊躇いは口を重くする。カシワはいよいよ、言葉を続けられなくなってしまった。
一方、ステラは一瞬怪訝な顔を浮かべて席を立つ。飛行船の舷墻(げんしょう)に手を乗せ、冷気が和らいだ風に目を細めた。

「『貴族なんてそういうものでしょ』、クリノスの言葉だよ。あの人は貴族が欲しがる珍しい食材や素材を集めようと、竜の巣に潜っていたそうなの」
「竜の巣!? それって、まさか繁殖期のときの依頼じゃないよな?」
「そのまさか。相手は大体飛竜だったそうだし、恐暴竜の出現も重なっていた。だから何度も巣を荒らした彼に逃げ場がなかったのは、無理もない話なの」

ある種の自業自得だ、笛吹きの低い声にはそんな非難の念が浮いている。

「親だって仔を守るために警戒するはずだもの。でも、彼は手を引かなかった。依頼主の言い分を信じて、緊急の依頼だからと何回も……」
「それは……その貴族にだって事情はあったんだろうけど、そんなの、あんまりだろ!」
「残念だけれど、彼らの依頼は道楽目的がほとんどだよ。卵が薬に転用された話は聞かないし、なんなら見せびらかそうとモンスターを檻に入れる人もいる」
「モンスターを檻に!? わざわざ自然から引き離して何がしたいんだ!? ステラ……お前の家族も、その人にそんなことをやらせてたのか」
「いいえ。でもわたしが彼に惹かれていることを察した父が、そういった依頼が彼に集中するよう根回しをしていたそうだよ。ギルドの人が教えてくれた」

その人物との出会いは、それこそ賭博と娯楽性、優秀なハンターのお披露目を目的とした闘技大会だったのだとステラはこぼした。
貴族にして楽師という立場にいた少女の目に、「狩猟笛」という、楽器でもあり、武器でもある得物を自在に繰るハンターの姿はとても輝いて見えたという。

「あんな優れた楽器が、あれほど生き生きと生きられる仕事があるんだって……驚いたし、惹かれたの」

貴族として生まれたからには、その跡取りとして育てられたからには、決して避けては通れない道がある。分かっていながら、彼女は自らその人に近づいた。
その輝きに、貴族の集まりには見出すことのできない活発な姿に、本でしか見たことのない巨躯の生き物たちの呼気と片鱗を見つけたからだ。
己の技量を確かめようと仲間とともに大会に参加していた件の人物は、見知らぬ少女の矢継ぎ早な質問にも丁寧に応じた。
狩猟笛の魅力、世界の広さ、モンスターという自然そのものの力強さ。貴族の慣習を守るべく日々勉学に励んでいた少女は、自身の識らない世界に驚愕する。
偉大なモンスターに対峙することを唯一許された、誇らしい仕事……熱く語る青年を前に、彼女はあっという間に己が責務を忘れてしまった。

「わたしもばかだよ。好意を、欠片も隠せなかったのだから」

……ふと視線を戻され、カシワは息を呑む。諦めの色が濃く浮く、寂しげな目が黒髪黒瞳を見返していた。

「あの人が最後に獲ってきた竜の卵は、我が家が主催したパーティに出されたの。珍しい品だからと、報酬品の逆鱗さえ玄関口にインテリアとして飾られた。
 こんな非道な仕打ちがあると思う? わたしは愚かだったかもしれない、けど、あれらを見て父もクレタも『ハンターとして名誉なことだ』と笑ったのよ」

声は静かに紡がれる。しかし、その音と響きには確かな怒りが滲んでいた。
彼女は、その小柄な体のどこにそれまでの激情を隠していたというのだろう。今日に至るまで、出来うる限りそれを出さないよう努めていたのに違いない。

「わたしがハンターになったのは彼の見てきた世界を知るため。もちろん、父へ報復する意味もあるけれど」
「ステラ……」
「でも後悔はしていないの。彼が言う通り、世界は広くて美しかった。わたしの悩みや彼の苦労が、小さいものに感じられてしまうくらいにね」

今は純粋にハンターの暮らしに満足しているのだ、ステラは苦く笑った。様々な出会いがありまるで視野が開けたようだから、とも。
小さく頷き返したカシワだったが、ふと脳裏を過った思考に余計に気が重くなる。
いつの日か、あの朽葉色の若者が嬉々として語ってくれていたからだ――ハンターを志した動機はクレタのそれと同じだ、そんなことはとても言い出せない。
目の前で、笛吹きの娘はくるりときびすを返した。改めて向かい合う形になり、後輩狩人は俄にどぎまぎする。

「カシワ。あなた、ベルナ村に戻ったらどうするつもりなの。別の依頼を受けにいくの?」
「う、うんっ? そ、そうだな。クリノスと合流できたら、どれに行ったらいいか決めやすいんだけどな」
「クリノスのことだから、ベルナには戻らないで近場の拠点に立ち寄ると思う。龍歴院と照らし合わせて、未受注の依頼を受けた方が確実かもしれないね」
「それもそうだな。ステラ、お前はどうするんだ? チャチャとカヤンバに会いに、ポッケ村に戻るのか」
「どうしようかな。まだ、考えている最中かな……手は空いているのだし、またあなたやアルフォートと狩りに出てもそれまでかな」

木箱に座り直した笛吹きは、冷めきった機内食を躊躇なく口へと運んだ。倣うように食事を再開させながら、後輩狩人は聞かされた話を脳内で反芻させる。
クリノスに「貴族はそんな生き物だ」と断じられたと言うからには、ステラが先に彼女に己が過去を明かしたことが推測できた。
それだけ彼女らは双方を信用しているのだろう。そうでなければ、先輩狩人の現在の相棒であるというだけの自分に、ここまでの話を打ち明けるはずがない。
うーん、と唸ったところで茶を盆に乗せたアルフォートが戻ってくる。受け取りつつ、サービスで出された茶菓子を一口かじり、笛吹きは満足げに微笑んだ。

「立ち直れたわけではないけれど、わたしは彼の生き方が間違ったものではないことを証明しなければならないの。だからハンターを辞めるつもりはないよ」

はい、とゼンマイティーを手渡され、カシワはほとんど反射でカップを受け取っていた。

「そうか……だったら、それ、俺にも手助けできたらいいんだけどな。クリノスだってお前のこと応援してくれたんだろ?」
「もちろん。というかあなたの場合、早くハンターランクを上げてくれないと。でないと、わたしもいつまで経ってもクリノスと狩りに行けないでしょう」
「うぐぉ……それ言われると耳が痛いぞ……分かってる、なんとか踏ん張ってみるさ」

「大切な人がいた」。だからこそ彼女は今、誰とも行動を共にせず独りで仕事に赴いているのかもしれない。
涼しい顔でアルフォートと茶を飲む笛吹きに、後輩狩人は複雑な表情を返してみせる。心なしか、今日のゼンマイティーはいつもより苦みが強く感じられた。






――ところ変わって、ポッケ村。

獰猛化ガムートの調査に訪れていたハンターズギルドや書士隊の調査員はすでに各々の拠点に帰還し、村にはいつもの平穏が戻っていた。
村長をはじめ村人の多くは温暖期に採れた穀物や山菜、特に特産品の雪山草を天然氷室に移したり加工場に運び入れたりして、日々の暮らしに追われている。
そんな中、村の北西、集会酒場付近に位置するこじんまりとした温泉に、どこからともなくふらりと一人の男が立ち寄った。
村の名物でもあるこの出で湯には、今日もモコモコと真っ白な蒸気がけぶっている。何らかの嫌な記憶と結びついたのか、男は湯煙の中で大きく舌打った。

「なーにが温泉、湯治場だってーんだよ。こちとら働き詰めだぞ、無駄に煙りやがって」

背負っているのは鉄製の太刀であり、また鍛えられた身体から男の職がハンターであることは一目で分かった。
ただし振る舞いがよくない。舌打ちだけでなく悪態もつき、果てには路上の小石を温泉に蹴り入れるほどだ。近場を通った観光客がぎょっと目を剥いている。
男は周辺の視線も気にせず再び舌打ちした。おもむろにその場にしゃがみ込み、湯煙の絶えない温泉を睨み出す。

「で? お前の完全復帰ってーのは、いつになるってーんだよ。まさかオレばっか働かせようってんじゃねーだろうな」
「……その前に一つ聞くぞ。支給した装備はどこにやった」

ふと、人の往来が途切れたとき。刹那のうちに訪れた沈黙の最中、男はぽつりと何者かに声をかけ立ち上がった。
答えたのは背後に立った二、三ほど年下に見える青年である。銀朱の髪を隠すように、目深に羽根つきの帽子(フェザー)を被っていた。

「おいよー、そりゃマジで言ってんのか。あんな窮屈なもん着てられっかよ、ボックスの『こやし』にしてヤったに決まってんだろー」
「阿呆か、お前は。あれはお前の身分を保障するものだと話しただろう、三歩歩くと物を忘れるのか」
「オレを夜鳥のヤクにヤられたカシワ殿扱いすんなってーんだよ! 誰も好き好んで受け取ったワケじゃねーっての」
「『次』からはあれで出てもらうぞ。異論は認めん。こちらにはグレーというカードがあるんでな」
「ハッ、体のいい人質ってか! ……アイツは、やっと好きにメシ屋が出来るようになったんだ。お前こそ余計な邪魔してやんじゃねーぞ、クソガキ」
「邪魔をするかどうかはお前の挙動に掛かっていると、そう言ったはずだぞ。アトリ」

帽子の鍔から鋭い眼光が金瞳を見上げている。続けて言い返そうとしていた男アトリは、青年ユカの剣呑な眼差しを受けて一瞬黙り込んだ。

「まあいい。ゲリョス一式装備で正体が割れなかった分だけ、マシだろう」
「……なんでもイイけどよ、カシワ殿くらいだぜ? たかが防具で誤魔化されるのなんざ」
「相手があのばかだ、騙せたらそれでいい。それで、結果は」

かつて、二人は気心の知れた狩り友であった。しかし今は青年は男を雇う側であり、男は青年に服従することを義務づけられた立場にある。
ガリガリと縹色の髪を掻きながら、男は至極面倒くさそうにポーチから二つ折りにした書類を取り出した。

「森丘の霞龍は討伐済みだ。いつも通り、数時間も待たずにサッサと消えちまったらしいぜ」
「だろうな、古龍などそんなものだ。他は」
「他、ねェ……カシワ殿は氷海の化け鮫退治、クリノスちゃんは狩り場とチコ村を行き来して原生林のお掃除だってよ。どっちも働きモンだよなー」
「そうか。そのペースなら、緊急クエストが回されるのも時間の問題やもしれんな」

書類の皺を直そうとして、しかし直らず、ユカは帽子の陰影の下でも分かるように強く眉間に皺を刻む。
仕方ないと言わんばかりに、青年は渋面を浮かべたまま自身が用意した封筒の中へ男がまとめた報告書を突き入れた。
アトリは一連の流れを何故かニヤニヤしながら眺めている。なんだ、噛みつき返した青年に、別にィ、男はヘラヘラと笑って返した。

「ずいぶんと信用してんじゃねーの。クリノスちゃんは別として、カシワ殿がまともに化け鮫を狩れるかどうかなんざ分からねぇだろ」
「お前も相変わらずだな。他を貶す言い方しか出来んのか」
「ホントのことだろーが。そうでもなけりゃ、わざわざオレがお守りにつく必要なんざねーだろうが」
「はあ……聞き分けのない狗竜(ジャギィ)、いや、跳狗竜(マッカォ)だな。仕事は仕事だ、お前に拒否権も詮索する権限もないはずだぞ」
「なんでわざわざ言い直した? ハッ。ギルドの狗がイイコでなきゃいけねぇ理由でもあんのかよ――仕事は受けてやる。だが、言いなりになる気はねぇよ」

アトリの物言いは神経を逆撫でするものだったが、ユカはそれに応えない。ただその場で睨み合う。
意外にも、先に「ヤメだ、ヤメ」と言い出し、折れたのは縹の狩人だった。ドンドルマで斟酌の騎士に手痛い目に遭わされたことがよほど堪えたらしい。
両手を挙げて降参の意を示す男に、青年は訝しむ視線を投げる。しかし意識はすぐに職務に戻され、封筒を抱えて身を翻した。

「……って、おいよー、ユカ! オレに次に何しろってーんだよ!」
「狩り場から戻ったばかりだろう、しばらくは休養に充てておけ。それとも何か、俺の代わりに書類の整理でも買って出るつもりか」
「冗談は大概にしとけよ。うっかり手が滑って、書類を温泉に落としちまうかもしれねーだろ!」

ユカ=リュデルがハンターズギルドに申請し受理された、「双焔の猟団」の再利用計画。
竜の卵、ならびに竜獣の幼体を主な標的としていた彼の密猟集団は、かつて彼らに利用された青年の手によって多数の団員が拿捕され解体が成された。
後に、団員には個々に適性ある職業が斡旋され、給与の一部をハンターズギルドに納めることで罪を償う措置が取られることとなる。
彼らの持つ人脈や特定分野の才能が並外れたものだったためだ。彼らの価値をユカ自身は高く評価していた。
一例として元副頭領のアトリ=テスタには、狩猟場の下見や出没モンスターの偵察を担う下調べ要員としてユカの監視の下、労働することが課せられていた。
猟団に関わる以前は常に二人で狩りに出ていた双方である。応酬は剣呑なものであろうとも、相手の言わんとすることは把握できていた。

「温泉は村の資源だ、万一の時は弁償してもらうからな……アトリ。お前なら調べがついていると思うが、古代林にまた『龍』の痕跡が確認されたそうだ」

一度立ち止まった銀朱の騎士は、振り向きもせずにそう吐き捨てる。

「龍だぁ? んだよ、そりゃいつかお前がカシワ殿と一緒に追っ払ったってーヤツの話じゃねぇだろうな? 確かなのかよ」
「古龍観測隊からの報告だ。どちらにしても、俺としてはそうであった方が後々の厄介ごとが減るだけだからな……」
「ハッ、オレの知ったことかよ。そういうのはお前らがなんとかしてくれるんだろ、英雄気取り様どもがよ!」

元より、仕事の要請や必要事項の確認があるときには騎士の伝書鳥が使われることで合意している。
有事の際、秘密裏に任務は下されるということだ――銀朱の騎士は、いつもの赤色洋装で飛行船発着所に足を向けた。その後を縹の狩人が気だるげに追う。

「獰猛化といい天彗龍といい、きな臭くなってきたな」
「キナ臭ェのはお前の腹の中身だろ。ま、用心するに越したことはねーけどな」

こうして、二人の狩り人は再び龍歴院へと発った。
……依頼と私情が行き交う狭間、水面下でモンスターとハンターの関わりは交錯する。天上に赫の星、地下に青の星が過る、そんなある日のことだった。





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 UP:25/01/04