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モンスターハンター カシワの書 上位編(37) BACK / TOP / NEXT |
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「山の天気は変わりやすい」。 誰がそう言ったか、あるいはいつそう言い含められたか。地表を覆う融けかけた雪を踏みしめて、ユカは吐き出した息の白さに目を細めた。 フラヒヤ山脈のうち、草本の残る平原と広大な湖面、見上げた先には秀峰をまるまる一座備えた寒冷の狩り場、通称雪山。 ポッケ村ともども長いつきあいになる猟場だが、今日はいやに空気がひりついているように感じられる。昨日、頂に居座っていた黒雲は今は消え失せていた。 「夜が明けるのを待って、正解だったな」 フローレンス宅を出た後、山に入ることを告げるとポッケ村の村長をはじめとした村人の多くはユカの入山を制止した。 話を聞くと、今夜は荒天のため狩りそのものが危険であるという。一理ある、と考えたユカは何人かと相談し、ぎりぎりまで狩猟の準備を進めることにした。 道具を荷車に積み、ポポに牽かせて狩り場の中ほどで別れる。そのまま平原で朝を待ち、晴れ間が見えたところで登頂を目指すことにした。 現在、時刻は真昼より二針前。視界は晴れ、今では例の「うた」につられるように巨大な影が山頂付近を行き来する様子を捉えられるようにまでなっている。 (……動きが妙だ。本来、ガムートはあそこまで忙しない気質ではなかったはず) その巨影が巨獣であることは容易に想像できた。しかし、ユカが知るガムートらと違い現在山頂に居座る気配は右へ左へと歩き回り落ち着かない。 本来、彼女たちは自身が巨体であることを自覚している。普段は狩り場より奥地の山中に潜んでいることから、状況を見極める賢さも持っているはずだった。 (何故、今時分にここへ……やはりあのティガレックスへの報復に来たのか。しかし、奴はもう) 岩場に手を掛け、ツタ植物を頼りに体を一気に崖の上に運ぶ。慣れた道程ではあるが、居座る強大なモンスターのこともあってか僅かに手は強張っていた。 山肌や地表にちらほらと薄氷が張り始めた頃、ユカは一度立ち止まって担いでいた弓を展開させる。 ざっと目で異常がないことを再確認した後、弾薬専用のポーチから瓶越しでさえ熱を感じさせるものを抜き、安定器具に付属する装填口に押し込んだ。 登山口からは絶え間なく北風が吹きつけている。季節外れの新雪に混じる「うた」に耳を澄ませるように数秒目を閉じた後、銀朱の狩人は山頂に踏み入った。 「――待たせたな。ガムート」 雪山の頂、狩り場のうち最も高所にあたる地点を右往左往していた巨影はそのとき、物思いに耽るかのように立ち止まっていた。 振り向きざまに目が合う。優しげな眼差しを隠すように、頭殻もろとも彼女の頭部は赤黒い靄(もや)に覆われていた。元の表情を想像することは難しい。 その巨躯といい佇まいといい、対峙しただけで足が竦むほどの迫力が感じられる。吐き出される呼気は白くけぶり、それが確かな生き物であることが伺えた。 (即ち、『狩るか、狩られるか』。今この場では、俺もお前もただの生き物のひとつに過ぎん) 単独での狩りを始めるとき、ユカは必ず相手の姿をしかと目に焼きつけるよう己に課している。 たとえそれが容易く手折れる下位の個体だろうが、狩るのに困難を伴うであろう古龍種だろうが、同じことだ。 狩り場においては自分も相手も個々にとっての獲物でしかない。眼前に対峙し、縄張りに侵入し、得物を交わす生き物たちの、なんと生命力に溢れることか。 一度目を閉じた後、おもむろに得物を抜く狩り人の姿を見出して、巨獣はやおら左、右と、分厚い装甲に守られた脚を強く踏み鳴らした。 ――待っていたの、『あなた』のことを! ……たとえば、それ専用の器官を持つ黄色竜鱗の飛竜や、溶岩地帯に稀に出現する暗赤色の飛竜のように、自然界には「音」を得物として従えるものがいる。 ガムートは彼らのような体内器官を持たない獣だが、彼女の放つ咆哮は大気を歪ませ、居合わせた生き物の士気を十分に削ぐ重圧感を持っていた。 空気が震え、全身にじんわりと緊張が染みていく。ユカは、足を雪原に縫いつけんばかりの威圧に歯向かうように地を強く蹴りつけた。 (そう時間は取らせん。早めに……片をつける!) 音が流れ去る。北風が駆けていく。一呼吸を繰り出すより早く、疾く、豪炎の意思を内包した得物から一陣の爪が解き放たれた。 ジャスト回避を絡めての一射、続けて剛射。立て続けに射る二撃目は空恐ろしいほどまっすぐに宙を裂き、青色の厚手の体毛ごと巨躯を穿ち貫く。 (野次のギアノスは三頭、天候良好! 足元も悪くない) 射抜いた部分から、確かに赤い鮮血が一筋噴くのをユカは見た。しかしガムートに痛みにもがく様子は見られない。 彼女は、自慢の長い鼻を振り回して二の手を遮るように氷雪を撒き散らした。痛くも痒くもないといった反応だが、狩人側も構わず次をつがえ頭部を狙う。 相手は大型、それも体質や気性を未解明の現象で改変された獰猛化個体なのだ。たかだか一撃程度で押さえ込めるとは思っていない。 「ギャァイッ、ギャイイッ!」 「お前たちも、退がっていないと巻き込まれるぞ」 双方の後方、騒がしく大声を張り上げているのは、たまたまこの場に居合わせた白と青の皮持ちの鳥竜種ギアノスだ。 ガムートの食べこぼしや、とうの昔に朽ちた草食種の腐肉を漁りに来ていたと思わしき即席の観客である。 介入しないならそれでいい。彼らのような一部の鳥竜は時にこうしてモンスターとハンターの攻防を揶揄するが、慣れた側からすれば無害も同然だ。 したがってふと気安く彼らに話しかけたユカだったが、突如迫りくる殺気には素早く身を翻した。眼前に弾丸もかくやといった高速の凶器が差し迫っている。 (間合いを開けすぎたか) 冷たく、巨大な氷塊だった。巨獣が地中の泥土や氷雪を体表に滲む分泌液で硬質化させてまとめ上げた、文字通りの氷弾である。 中央、向かって右、左方。氷片を散らしながら射出される凶弾は、さながらユカの一射に反撃したかのようだった。難なくかわして立て続けに矢を射返す。 その性質上、射るほどに火を噴く矢は容赦なく巨獣の身に穴を開けた。かといってガムートもハンターの一方的な猛攻を許したわけではない。 彼女はぶるんと首を振ると、頭殻ごと額を雪原に打ちつけ穿孔するかのように突進し始めた。その重量、圧迫感は、浮力を得た重甲虫の突撃に酷似している。 「……! これが巨獣の『獰猛化』か」 そのとき、巨獣の額を中心にバチリと強烈な雷光が迸った。 見覚えがある、と口内でぼやいたのはいつかの骸の龍の属性奔流や、他の獰猛化個体との対峙を想起したためだ。 わざと浴びて効果を確かめるか――一瞬そう思考したユカだったが、当たりに行くより先に身体の方が回避に転じてしまっている。 突進は難なく避けられた。しかし雪原が割かれた衝撃で弾け飛んだ氷片が、頬を、続けて額を掠める。軽傷と知覚したはずなのに皮膚に確かな熱が伝わった。 (痛覚の倍加、いや、単純に威力が劇的に飛躍しているだけか。これまで通り、資料にあった通りだな) 粗雑に指の腹で傷口を拭うと、予想した以上にべったりと緋が付着している。 先のダメージと絶え間なく滴るそれとを脳内で比較して、銀朱の狩人は今回の「獰猛化」個体の特色をしかと噛みしめた。 だが、のんびりと検証を続けている暇はない。目に入りそうになる血液に忌々しげに舌打ちして、続けて振るわれた長鼻の薙ぎ払いからすぐさま飛び退く。 「……そんな顔をするな。退く気も、負けてやる気もないんだぞ」 凍てつく山肌の際まで後退したとき、視界の端で何ものかが鮮烈に煌めいた。見下ろした先で、白銀の一張りが強撃ビンの残滓を滴らせたまま沈黙している。 この弓は、ユカにとってある意味縁の深い得物といえた。陽光を照り返して煌めく様は、しゃんと胸を張るかつての竜の勇姿を思い起こさせる。 (他の乱入に備えてこれを選んだが……白銀のリオレウス。『お前』の輝きは、氷の照り返しなどとは似ても似つかないのに) ……双焔の猟団との縁を断った一因、銀の鱗を持つ竜は古くから「銀の太陽」と呼称され、その美しさと希少性は長らく世に讃えられてきた。 本来仔竜と出会えたこと自体が奇跡と言えるのだ。彼らと相見える機会は少なく、その存在は狩人らの間では流行りのおとぎ話にされているほどなのだから。 仔竜との縁(えにし)か、或いは怨念か――奇跡を通り越した先、猟団脱退の数年後に、ユカは彼の成体と対峙し狩猟に至れたことがあったのだ。 「天開きヒュペリオン」、転じて「宿命を告げるウラヌス参式」。最終強化まで至っていないものの、銀朱の狩人にとってこれ以上ないほど頼もしい強弓だ。 (『お前』は『彼ら』『彼女ら』の親ではなかったかもしれないが……案ずるな。『お前』を下しておきながら、無様な姿を晒すわけにはいかないだろう) 銀光が、かつて苦戦を強いられた記憶を思い出させてくれる。ユカはきゅっと唇を結び直して、いつものように眉間に深い皺を刻んだ。 ぐると腕を振るい、ガムートとの間合いを目測しながら得物を構え直す。一瞬、彼女の青毛に銀の竜鱗ごと両腕が吸い込まれていく錯覚を覚えた。 (来たな。ここからは……『閃光』を纏う刻だ) 周囲の色が、音が、匂いが、その場から掻き消されていく。暗がりに呑まれて霧散する。その代わり心臓の鼓動だけは全身で感じ取れていた。 これらは、狩りの最中に集中力がより増していく前兆だ。首から肩、そのまま筋を伸ばして腕、手首指先と、全てが攻勢のための装置として機能しつつある。 自分は得物と一体化しているのだ……据え置かれた砲台ないし射出機さながらに、放たれる矢の軌跡まで予測することができていた。 ――そこ!! 「墜とせると思うな!」 脳裏に走る一筋の光。閃きやこれまでの経験則から成る、数秒先の出来事を見通す先見の予兆。腕利きの狩人なら皆、この瞬間に至れることが出来るという。 この感覚があるかどうかで、その狩猟が成功するかどうかがある程度読めてしまえるほどだった。 ユカは、閃光が魅せてくれた軌跡をなぞるように丁寧かつ迅速に矢を射る。銀朱が見送る最中、白銀の得物から放たれた縦の多段、直線の一撃が空を切った。 「ギィィイ――!!」 ガムートはその巨体故に、矢の雨を回避しようとしない。額、頭殻に豪火を纏った連撃を浴びながら、彼女は苦鳴を漏らしてなお、直進した。 氷霜が、雪溜まりが、凶悪な気配を纏う生き物が、地鳴りを従えて眼前に迫りくる。 その勢いと一瞬浮かぶ危機感に、五感が暗がりから狩り場へと引き戻された。ユカは頭を振り、身体の硬直を冷静に振りほどく。 得難い経験で得た得物と、苦渋を舐めて得られた黒一式。何を怖がることがあるというのか。やるべきことなら、果たすべき目的なら端から目に見えていた。 雪を蹴り、風に抗い、閃光に導かれる狩人の本能のままに、豪炎を従えて身を翻す。 「怯んだからには、多少は損傷が蓄積されているのだろうが――」 射続けていられるからこそ解ることがあった。つまりは、手応えといい返される反応といい巨獣の体力にはまだ余裕があるということだ。 「――『獰猛化』とやら、やってくれるな。原理は知らないが、たいそうタフに仕上げてくれる現象らしい」 村のことを思えば、悠長に狩りを楽しむ猶予はないことをユカは察していた。長引けば長引くほど自分の帰りを待つ人々の不安をあおることになる。 ならば一刻も早く狩猟の完遂を、そう思ったところで眼前の巨躯は確かな傷口を風にさらしながらまるで平然としているのだ。 その予想と予測は、銀朱の狩人にとって奥歯をぎしりと噛み鳴らす程度には間怠さを感じさせるものだった。 (早く戻らなければ。先生方に、村長たちに申し開きが……いや、それ以前に) 真白の視界を裂くように矢を放った矢先、不意に巨獣の眼玉と視線が重なる。 いつの日か目にした、賢さと、凪いだ湖面のような穏やかさを併せ持つ眼差しは赤黒い気配にすっかり覆い尽くされていた。 何故か、それがとても残念なことのように思えて仕方がなかった。どうせなら生来の彼女の生態と向き合ってみたかったと、銀朱の狩人は独りごちる。 (今のお前と俺をクリノスが……いや、カシワたちが見たのなら、あいつらは何を言うだろうか) 果たして自分はどうか――もし獰猛化などしておらず、自らの知恵と知能を武器に立ちはだかる彼女が相手であればどれだけ幸せを感じられたか。 結局のところ、かつての思い人の言った通りだ。どんな相手であろうと、自分は狩りそのものに固執してしまっている……ユカは独り、その場で頭を振った。 ――焼かれるのは、雷に打たれるよりもずっと痛いの。でも、どちらがより痛むのか……今のわたしには、もう、分からない…… 今は仕事の真っ只中だ。狩り場に居ながら集中を欠く真似はしていられない。呼応するように巨獣も長鼻を駆使して形勢を立て直そうとしている。 いつしか、矢の属性で剥がしたはずの脚部の氷塊が復活していた。あれは脚を保護するだけでなく、彼女にとって脚力を強化する攻撃の要ともなっている。 上半身を持ち上げて踏み潰そうと試みた際も、後脚で背後をとった邪魔者を蹴り飛ばそうとする際も、あの氷塊は彼女の体重を支える強固な鎧と化していた。 剥がし終えるまで直接脚を撃ち抜けない点も質が悪い。体勢を崩すことが出来ればまたとないチャンスだろうに――弓を繰りながら狩人は歯噛みする。 (苦戦というほどではない、俺にもまだ余力がある。だが……思ったより、時間が掛かるやもしれんな) そう、攻撃、転じて反撃に移りながらも、ガムートが巨躯を駆使して氷雪を撒き散らす度、ユカは動作を逐一中断して構え直す必要があった。 視界の端では、たまたま飛来した雪溜まりの残骸を浴びたギアノスたちが軽々とその場から弾き飛ばされ退場を余儀なくされている。 彼らのくちばしや鋭い爪牙があっという間に白く染まり、更には眼玉から尾の先端までもが凍りつき雪に覆われていく様を見て、純粋に狩り人はぞっとした。 獰猛化しているしていない以前に、巨獣とは天候と雪原を最大限に活用するモンスターであったのだ。地の利は雪獅子などの非ではない。 「――ォォオ、パァォオオオオ――!!」 「このっ……なかなかに強烈な!」 空気は常に変動している。尾根を巡る北風が、山神の君臨に応じるかのように絶えずうねりを上げているからだ。 ひとたびガムートが怒りに任せて咆哮すれば、周囲は景色ごと雪原に縫いつけられてしまったかのようだった。体は強張り、耳は裂けそうに痛む。 音と音の狭間、空気のうねりにジャスト回避で潜り損ねたユカは、忌々しげに顔を歪めて巨獣の顔を仰ぎ見た。 「……ぐうっ……お前の望みは、なんだ。ここにはもう、お前の仔を喰らった飛竜など」 言い訳というよりは説得に近しいぼやきが喉から漏れる。狩り人の声など意にも介さないように、巨獣は怒気を噴かせながら不意に身をひねらせた。 のしのしと、半ば地震じみた振動を起こしながら方向を転じる。眉根を潜めるユカに背を向け、彼女は東の峰に去って行った。 「阿呆か、俺は。話しかけたところで理解できるはずが……」 大きな独り言に応えてくれる同行者の姿は、今はない。なんとなく居たたまれなさを感じた狩人は、わざとらしく咳払いして得物を折り畳んだ。 空になったビンを装填口から外し、次のものと交換する。ポーチから取り出した金時計で経過時間を目測し、慎重に巨獣の後を追った。 獰猛化個体と、自身の繰る「G」の領域に至った得物。全身の緊張や疲労、興奮の度合いから、拮抗ではなく僅かにこちら側がリードしているとユカは踏む。 「……風向きが変わったか」 細い山道に差し掛かった途中、ふと下方から吹きつける風に防具を揺すられて立ち止まった。 見下ろしたところで険しい尾根が一面に広がるばかりで、ポポの群れはおろか轟竜や奇怪竜の姿といった異常は見つけられない。 「なんだ? 妙な空気だな」 獰猛化個体が居座っているという点では、現在の雪山には異変が起きていると言ってもいい。 しかしそれとは別に、肌がひりつくような異様な緊迫感が狩り場に満ち満ちているように感じられる。 長い間、ハンターとして、またギルドナイトとして各地を休みなく走り回っていたからこそ嗅ぎとれた些細な違和感だった。 気のせいならそれでいい、だが巨獣が現れている今なにが起こっても不思議ではない――納刀した一張りを指の腹でこすり、銀朱の狩人は再び歩を進めた。 「山の天気は変わりやすい」。 文字通り、山々を備えた狩り場というのは日々忙しなくその表情を変える。これは風向きによって雲が形成、もしくは散らされる構造が関係しているからだ。 ポッケ村周辺は温泉の恩恵を受けていることもあり気温や天候は緩やかに移ろう。とはいえ吹雪や雨風に見舞われることもゼロではなかった。 ――、 その日、村を中心にフラヒヤ山脈は温暖期という季節に相応しい晴天に恵まれていた。穏やかな空気が流れ、山頂に荒れる山神がいることが嘘のようだった。 獰猛化という、未知なる生物の変異。龍歴院を中心に調査は慎重に進められていたものの、氷雪に覆われた地域では対象の追跡に多少時差が出ることもある。 飛行船をはじめとした移動手段の進歩によって好転の兆しが見られたものの、急報については未だ獣人の伝手や伝書鳥といった手法が採用されていた。 つまりは、今回の山神出現の一報や、依頼書類の到着には多少の遅れがあったのだ。あくまで微々たる遅れであり、狩りそのものへの影響は大きくなかった。 ――、…… ……全ての事象において、急変という事態のうねりには大概、些細な変化の積み重ねがあるという。一、二十九、三百の法則というのがそれだ。 この日、件の山神の狩猟はある狩り人によって果たされる見込みが立っていた。実力は確かであり、救援の予定はあったものの途中経過は順調とされていた。 現に、昼を待たずに始められた青年の仕事は真昼を超す頃には山神の巨躯の至るところから血を噴かせるまでの成果をあげている。 上空から狩りの一部始終を観測していた古龍観測船もまた、これならば無事目的が達成されるであろう、と手元の白紙に記録を残すことに専念し始めていた。 ――、……ぬ 前触れとは、予兆とは、些細な変化の積み重ねの最終段階にてようやく顔を見せ始めるが故に厄介視されている。 このとき、山神に対峙していた銀朱の狩り人が嗅ぎとった不穏な気配は、次第に急転を従えるかたちで具現化されようとしていた。 「なんと……あれは、よもや」 即ち、ユカ=リュデルが覚えた違和感とは霞のように朧な予感であり、鋼のような確かな危機感であり、炎のような脅威として狩り場に急変を寄越したのだ。 観測船に乗り合わせていた竜人族の研究員は、固唾を呑んでその変化の具現を眼下に見送る。 長年生きる彼らにとっても、その急変をもたらす主はもはや忘れ去られた過去の残滓に過ぎなかった。この時代に目にすること自体、異常事態と言えたのだ。 ――、させぬ、やらせぬ。これ以上、二足歩行の者どもに我らの同胞を手折らせはしない。連中の好きにさせてなるものか…… 荒れる山神を鎮めようとする試みは今も続けられていた。狩り人には余力があり、また山神自身も怒りに呑まれ、この場から退こうとしなかった。 とはいえ、このとき山神は追い詰められるあまり二度目の対抗領域の移動を始めていた。青の体毛の多くは血に濡れ、赤いたてがみもまた火に焼かれている。 無残な見てくれとは別に、山神の無尽蔵な体力を前に狩り人は荒い呼吸を繰り返して立ち止まっていた。不意に、その銀朱が頭上の天色を仰ぎ見る。 あと一歩、もう僅かというそのときに。青年の努力を嘲笑い、実力を測るかのように……なんの前触れ、予兆もなしに、赤く赫く生命の塊が雪山に飛来した。 「……!? なんだ? またいつもの『乱入』ということか」 ――させぬ、やらせぬ。あれは、私の庇護を分けた生命だ。これ以上は…… それを覆う鎧は、文字通り銀の色に塗れている。白銀の飛竜よりもより密度の高い、強固でしなやかな色艶に満ちた造形だった。 見てくれは天上に散らされた星々の具現と言えた。赤黒く燃える属性の奔流を身体の一部に覗かせながら、その龍は顔を歪める狩り人に真っ向から対峙する。 その龍鱗は、いつの日か、この狩り場においてある狩人と鋼の騎士が邂逅した際に応酬のあった破片に酷似していた。 「天彗龍バルファルク」。遙か昔、いにしえの時代に失われた星の龍はそのような名を宛てられている。 |
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