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モンスターハンター カシワの書 上位編(36) BACK / TOP / NEXT |
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住み慣れた地を離れ、雪原を行く。胸の内、体の真ん中に巨大な穴が開いていて、なにもかも全て呑み込まれていってしまいそう。 こんなときは、記憶もおぼろげな遠い日に母が歌ってくれた『うた』を口ずさむのがちょうどいい。 吹き荒ぶ風、雨粒、天の原、しんしんと降り注ぐ雪の音。あらゆる生命に思いを馳せる、密かな雪海原の生き物たちのうた。 ……けれど、だけども。「わたし」のうたを聞かせてあげたい本当に大切な命は、ほんの僅かな一瞬のうち、憎たらしい凶悪な竜に食まれて潰えてしまった。 『――ああ、』 白い体が、小さく幼い体が、あっという間に赤く染まるのを見た。追いついたときには、もう物言わぬ肉塊に変わり果てていた。 「わたし」の隣で遊び、笑い転げ、「わたし」のうたを聞く時間をなによりも誰よりも大切にしていた、可愛い命。 どこに行けばいいの。誰に会えば、何を語れば、どうすればこの胸の穴は消えてくれるの……わからない、分からない。母だってそれを教えてくれなかった。 「わたし」も母になったのに、本当に大切な命が目の前に、自分のすぐ傍らにあったのに。 なによりも、誰よりも愛しい小さな命の灯。これから先、天の原を行き来する光の塊と流星の数を数えて生きていくはずだった「わたし」だけのたからもの。 ずっと昔、母が「わたし」にそうしてくれたように。あの命とは、このままずっと一緒に暮らしていけると思っていたのに…… 『どうしたって……どうしたって追いつかない。だって、あの竜のニオイはここで途切れてしまったもの。わたしは、空は飛べないし』 ……ただ衝動に任せて、あの憎たらしい竜の残り香を追ってここまでやってきた。本当なら、二足歩行のニオイに塗れた土地には踏み入ってはいけないのに。 わからない、分からない。だって、どうしたらこの胸の穴が塞がるか「わたし」には分からない。どこに行っても、何を見つめても、心が軽くなりはしない。 住み慣れた地を離れ、雪原を行く。憎たらしい凶悪な竜のニオイを追って、潰えた命の断片がほんとうに僅かでも残っていやしないかと……縋る想いだった。 『――だけど、けれども』 ここに居てはいけない。この地に踏み入ってはいけない。 でも、こうなってからでは手遅れとしか言いようがない。 あの命が「わたし」の傍に在りはしないというのなら……「わたし」はきっと、もう二度と立ち上がることさえ赦されない。 だからこそ、「わたし」はひとりぼっちのままここにやってきた。 大昔、気が遠くなるほどずっと過去の時代から、他者の命を摘み取ることをナリワイとする二足歩行たちが暮らす、血塗れの土地だと聞いていたから。 どんなに屈強で頑丈な命であろうとも、彼らの手に掛かれば誰であろうとばらばらに砕かれ、二度と同郷に帰ることは出来ないのだと。 ――其の力は、私と彼女……彼らのためにあるものだ。同郷のための導だ。誰ひとりとて、お前を奪わせはしない…… ……いつからだろう。気がつけば、『なにもの』かが「わたし」の内側に入り込んでいた。 あの竜に食い千切られた爪先から体内に侵入して、膨大な力と熱を沸かせる傍ら、「わたし」に『話を聞け』と語りかけてくる。 『狩り人を憎め、すべての二足歩行を恨め、決して己が脚は折らずに、彼らに屈することをしてはならない』と。 怨念のような、呪詛のような、祈りのような、願いのような、母が聞かせてくれたうたに似た優しい声色で「わたし」を説得しようと意気込んでいる。 『折れそうだったわたしをここまで連れてきてくれたのは、あなたね。でもわたしはそんな力は要らない。彼らは、ほんとうのことを解っているはずだから』 むかしむかし、たくさんの命と狩り人がこの雪原を行き交う姿を見た。 白毛の獅子、尖り耳の獣、剛毛の牙持ち、白と青のまだら模様、眼の見えない竜に、黒毛獅子、蒼色一本角、黒塗りの鋼。 「わたし」の知る多くの命が彼らと爪牙を交えるところを見たけれど、彼らのすべてが命を摘み取ることを良しとしていたわけじゃない。 手を合わせるもの、涙をこぼすもの、弔いのうたを歌うもの、生き血を浴びて叫ぶもの。彼らは多くの性質を秘めていて、その差は個体によって様々だった。 『わたしも……きっと、そう。だからこう思うの。もし最後に、雪海原の果てに……最期のうたを奏でることが出来たなら』 誰かを手折ることは望んでいない。なにものかをあの竜の代わりにしようと思わない。 「わたし」が「わたし」であるように、彼らにも彼らなりの牙剥く理由や、帰るべき同郷、迎えてくれる大切な命があるだろうから。 ……だから「わたし」には、『あなた』の話は聞けない。 ねえ。もしかしたら『あなた』の力を借りて命を燃やし尽くせば、あの天の原の果て、潰えた「わたし」のたからものにだって、この声は届くかもしれない。 たとえ自棄だ、無謀だと言われても……「わたし」は獣だもの。四足歩行の「巨獣」、住み慣れた地を離れた「山神」、それが「わたし」。 「わたし」にも、きっと『あなた』が理解し得ない誇りがある。進まなきゃいけない理由や生き様がまだ残されている。 たとえば「わたし」にしか紡ぐことのできない『うた』がそうかもしれない。母や、過去の生き物たちから脈々と繋げてきた、たった一つのおくりもの―― 『まだ、わたしの灯は消えていないの。わたしに成せることが、きっとある』 ――星となれ。天に駆られる希望となれ。恐れを怖れず、最期の一瞬そのときまで神解の如く生命を燃やせ。 このうたは、母が大昔に母の母から教わったものだそう。むかしむかし、それこそ「わたし」や『あなた』が想像することさえ出来ない時代のうたなのだと。 かつて、二足歩行の小さな命が「わたしたち」の傍らに居た時代。「わたしたち」の祖先は、彼らと共に『うた』を紡ぎながら同じ時を過ごしていたのだと。 『でも、でもね。もしそんなことがあったなら、そんな風にあれたなら……きっと、とてもすてきね』 ほんとうのことなんて、今を生きる「わたし」には分からない。けれど、だけども。だからこそ「わたし」と彼らに成せることがある。 「わたし」と彼らだからこそ奏でられる『うた』がある。きっと彼らなら、「わたし」の呼びかけに応えてくれるはずだから。 ……可愛い、大切な「わたし」の命。きっと、この『うた』をあなたに届けてみせる。 「……っは! あ、あれ!?」 「目が覚めたか。どうだ、体調の方は」 クリノスが目を覚ましたとき、窓から差し込む日はすでに赤く、西へと傾きつつあった。 いつから眠ってしまっていたのか、まるで記憶にない。それよりも体中が酷く痛む。思い当たる節はあるものの、直接の原因は自分の無茶などではなかった。 それ故に沸々と怒りが込み上げるが、藪を突いて翼蛇竜を出すような趣味は持っていない。声を掛けてきた憎たらしい相手のことは、強気で睨み返しておく。 返ってきたのはいつも通りの動きの鈍い表情筋だ。双剣使いはうんざりしたように顔をしかめた。 「いたの? あーあ、もうちょっと寝よっ」 「寝直すな。仕事だ」 「はあ? わたしに? 疲れてるから無理ですぅー、やだです!」 「正確には仕事の話だ。お前宛ての依頼じゃない」 どさどさと大量の資料が浮岳龍のように膝上に積まれていく。クリノスが目を丸くしたことに気づいていないかのように、ユカはてっぺんの紙面を小突いた。 「獰猛化ティガレックス。お前と元モガの村つきハンターが遭遇した相手だが、やつと入れ替わるようにして別の大型モンスターが現れた」 「……、……えっ。や、やだよ! わたしは、まだ!!」 「言っただろう、お前に狩れとは言っていない。どのみちお前たちのハンターランクでは狩猟許可が下りないからな。今回は俺が出る」 形のいい青年のゆるく握られた拳を凝視した後、そろそろと先輩狩人は首を伸ばす。書面には青の体毛に身を包む巨体のスケッチが描かれていた。 まだ自分がハンターとして旅立つ前、北方の取引に出た父が帰還直前に足止めを喰らったというモンスターの姿によく似ている。名は確か、 「なになに……『ガムート』? あれっ、どこかで聞いたような」 「聞かされていないか。前に、カシワとその狩猟笛使いが依頼消化の早さで競い合ったことがあっただろう」 「え? ……あー、思い出した! 深層シメジかポポノタン、でしょ。あのときは確か、ほんのちょっとだけステラの方がベルナに戻るの早かったんだよね」 「本人は『村人を救助したタイムラグでチャラ』と話していたがな。……そうだ、お前たちはディノバルドと遭遇したはずだが、俺たちはそうではなかった」 ゆるりと指先が紙面をなぞっていき、頭部や長い鼻先を塗りつぶす赤黒いオーラを差して止まった。 ユカの言わんとすることを察したクリノスは、小さく眉間に力を込める。見下ろしてくる銀朱の眼には、先ほどの熱や欲といった情がまるで感じられない。 本当に、この青年は先ほど暴挙に出た男と同一人物なのだろうか。彼が仕事に意欲的であることは把握していたが、今はその思考が全く読めない。 むう、と口内で唸る先輩狩人の天色に一瞥を投げた後、銀朱の騎士は気を取り直すように短く嘆息した。 「俺たちはこの巨獣、ガムートと出くわした。たまたま食餌のために降りてきた個体だったようだが、当時は用もなかったからな。特に相手にはしなかった」 「……そっか。でも、ポポって大型の気配にかなり敏感な方でしょ。よくポポノタン回収できたね?」 「やることはいつもと同じだからな。彼女らが集団で固まっているところを、挟み撃ちにしただけだ」 「ふーん。で? このガムートとポポになんの関係があるの、何かしら繋がりがないと同じ狩り場に長時間留まらないでしょ」 「元々ガムートとポポは共生関係にあるんだ。ガムートは幼体の時代に彼女らの群れにまぎれて暮らす。そうすることで集団性を学べ、餌にも困らずに済む」 おもむろにユカは書類を二、三枚めくった。直後、目の前に現れた血なまぐさいスケッチを見てクリノスはその写実的かつ凄惨な有様に顔を歪める。 「代わりに、ガムートは彼女らを幼体ともども『守る』んだ。母性の強い性質だからな。仔やポポへの愛情に関しては、火竜夫妻にも引けを取らないだろう」 「……ちょっと、ユカ。これって」 「そうだ。厳密にはハンターズギルドも龍歴院も『獰猛化』について原理を解明しているわけじゃない。だが、これが現れた一因にはなるだろう」 鮮血と鮮血。苦鳴という苦鳴や、助けを切望する生気を損ねた眼光。赤色塗料で塗り尽くされた、無数のポポと白毛の牙獣の死骸の山だ。 先輩狩人は一番上の書類をたぐり寄せる。青色の体毛とまばらに混ざる赤、似ても似つかぬ配色。しかし、白毛はその造形がガムートの成体に酷似していた。 無言で見上げた先で、騎士の顔に珍しく苦渋の表情が滲んでいる。 この村がこの青年の故郷というのなら、今しがた打ち明けられたばかりの光景も彼は何度か目にしたことがあるのかもしれない。 「ティガレックスの捕食痕を見たことはあるか。連中の牙は鋭利でありながら、大型肉食性にしては小ぶりな方だ。巨大な顎がその威力の一助を買っている。 そして腕力。相手を押さえつけた上で噛みついた部位からこそぎ落とすように血肉をほじくり返すのが主流だ、だから連中の捕食痕には特徴が現れやすい」 筆をとった者の感情が、紙面から溢れ出しているかのようだった。血濡れの光景の中に生存している生き物の姿が見つけられない。 獰猛化轟竜による強襲。件の巨獣がこれを直接目の当たりにしたのか、それとも遅れて発見したのかは定かではないが、「彼女」の悲嘆が目に浮かぶようだ。 ……自分はハンターだ。「狩るものと狩られるもの」、狩猟を生業にする上で避けては通れない真実が在ることはよく知っている。 だからといって実際に事が起きた際、胸が痛まないわけではないのだ。ちらと見上げた先では、ユカが目を伏せて感情の吐露を抑えているようにうかがえた。 「それには、これまで発見された獰猛化個体の詳細と関連素材の一部のデータが記載してある。先に目を通しておけ」 「……やだ。いーらーなーいー、あんたとカシワでいけばいいでしょ。わたしは面倒ごとはゴメンなの」 「上位ハンターの一部にはほとんど強制される相手だぞ。知らないでいるよりはいいだろう。それに、このあたりの武具の強化には必須だからな」 舌打ちとまではいかないが、先輩狩人が「うへえ」とでも言いたげにあからさまに顔を歪めたのを見て青年は失笑する。 強気に睨み返してくる銀朱の色に、騎士はぽつりと受け流されてしまった問いかけを繰り返した。 「……それで、お前はどうなんだ。体の具合は」 「はい? なに、なんか言った?」 「だから、体の調子はどうなんだ。昨夜は、……俺がかなり、好き勝手にしただろう」 訝しげに眉根を寄せた直後、クリノスの顔が真っ赤に染まった。ぎょっとして珍しく驚きを露わにしたユカめがけて、彼女は手元の枕を全力で叩きつける。 「今まで! 寝てた! でしょ!! どこをどう見たら元気に見えるわけっ!?」 「わかった、俺が悪かっ……おい、クリノス」 「知らないっ、知ーらーなーいー!! ほら、さっさと狩りに行ったら!? はいはいいってらっしゃい!!」 最後に枕は投げ飛ばされた。長年傷まないように愛用しているため、くたりと折れ曲がった姿が痛々しい。 相手を刺激しないよう慎重にベッドの隅に戻し、騎士は小さく咳払いした。親の敵を見るような目で見上げてくる視線にユカはたじたじである。 さっさと行け、と無言の圧を感じた――確かに、事態は急を要する。今はこの個体しか現れていないが、それに触発されるものがいないとも限らないからだ。 ひとたび大型モンスターが狩り場に現れれば、もたらされる影響は計り知れない。ましてや近場で多量の捕食痕が確認されたということならなおさらだった。 しかし一人の男として、また養父に窘められた身として、どうしても仕事以外のある一点で話さなければならないことがユカにはあったのだ。 「狩りにならこれから出る。その……お前ももう少し、休んでいろ。疲れているはずだからな」 「言われなくてもそうしますぅー。気をつけてね」 「そういえば、クリノス。お前は……し、しょ……」 「はい? なに? 言いたいことがあるんなら、今のうちに言っておいたら?」 「だからお前は……処女だったのかと……ああいったことは経験がなかったんだな。すまなかった。俺はてっきり、アトリとそういったことをしたものだと」 「……、……は、はああ!? なにそれっ、なんでアトリと? そんな経験っ、そ、そもそも相手もいませんけど!?」 またしても枕は死すこととなった。ふんわり合掌。 「言うな。お前、昨日『アトリと寝た』とはっきり口にしただろう。あれは男女間でいうところの比喩だぞ、『そういう関係に至った』という」 「そんなのっ、わたしが知ってるわけないでしょ!? ばかじゃないの!?」 「それも含めて『悪かった』と言っている。……初めての相手に、あれほど無理強いをするべきではなかった。悪かった」 枕を拾い上げ、埃を払う。このとき、ユカは真剣に自身の非を詫びたつもりでいた。 しかし現状、彼はいかにクリノスという娘が親兄弟、はてには離れて暮らす祖父から溺愛されているのか、正しく理解していなかったのだ。 視線を上げた先で、双剣使いは顔を赤くして肩を震わせている。その反発の表情をなお愛しいとぼんやり思考して、青年は自分のやられ加減に眉根を寄せた。 「アトリと寝たって、本当に同じ部屋で寝てたんだから仕方ないでしょ! ばかじゃないの!?」 「おい、俺にはその話は分からないんだぞ。違うと言うのなら正しく説明しろ」 「はあ!? また、そういうっ……そのままだから。ノアちゃん家で同じ部屋を借りて寝てただけだから。アトリが毒浴びてたんだから、仕方ないでしょ」 「毒? ベルナ村の中でか。どういう経緯でそうなった」 まくし立てていた口を閉じ、黙り込む。このとき、クリノスは一連の出来事をどう現職のギルドナイトに明かすべきか悩む羽目に陥った。 ノア泣く、劇毒、ミヅハ一式、ノアナンパ、霞龍、劇毒、リンクカワイイ、ノアピッチフォーク、劇毒、アトリ吐血、アトリ吐血アトリ吐血……エトセトラ。 思考を巡らせた末に、双剣使いは縹の狩人に「アトリがキノコ大好きスキルついてると思って毒テングダケ食べた」と責をなすりつけることにする。 ユカは眉間にこれ以上ないほど力強い皺を刻んで見せた。恐らく、青年の中ではアトリに関する不憫な妄想があれこれ繰り広げられているのに違いない。 アトリゴメン、とクリノスは脳内で謝罪した。もちろんユカによる一連の行いが原因である以上、本気で男に詫びるつもりは欠片もない。 「そうか。たっぷり寝て『スッキリ』し、オトモと久々に同じ寝具でゆっくり寝たから『満足した』と。そういう話か」 「それ以外にないでしょ。……っていうか、男女間どうこう言われたってわたしには分かんないから。そういうの求めるのやめてくれる? 余所でやってよ」 要するに、これまでの出来事は話の行き違いによって起きたのだ。唇を尖らせて視線を逸らす娘を見て騎士は確信する。 このとき、同時にユカは以前ユクモ村で邂逅した彼女の実母が言わんとしたことをようやく理解するに至った。子沢山であるオルキス=イタリカの言である。 曰く、クリノスという娘は「親兄弟が男が寄らないよう甘やかしたから鈍い」上に「回りくどい言い方は通用しない」と。 だから口説くなら気をつけろ、という助言であるようだった。余計な世話だ、と盛大にぎしりと歯噛みした騎士を見上げて、先輩狩人は訝しげに目を細める。 「オトモの添い寝、か。チャイロはそういったことは一切やらんのでな。さぞかし気分がいいだろう」 結局、ユカはクリノスにアトリとどこまで親しくなったか詰め寄ることが出来なくなった。 彼女は――少なくとも商売とモンスターの素材以外については――うそ偽りを口にするようには見えないからだ。 アトリと男女関係には至らず、また今後そうなるつもりもないと……彼女がそう明言するのであれば、それを信じるより他にない。騎士はそう結論づける。 「話を長引かせたな。俺の用事は済んだ、起こして悪かったな。よく寝ておけ」 「ふーん? よく分かんないけど、いってらっしゃーい。っていうか、あんた『ギルドナイト辞めた』んじゃなかったっけ? 狩り、行っていいんだ?」 思考を仕事方面に切り替えたところで、背後の娘から嫌みとしかとれない言葉を投げられた。 思わず勢いよく振り向いた先で、クリノスは口笛を吹くような仕草でわざとらしく視線を逸らしてみせる。 「辞職は……した覚えがないぞ」 「ふーん、へえー、ほー、あっそ。ギルドナイトも大変だねー」 「なんだ。先生と師匠、どちらから聞いた」 「どっちでもぉー!? っていうか、そろそろいい加減パパかママって呼んで……」 「喧嘩を売っているのか。買ってやっても構わんのだぞ、希望とあれば昨夜よりしつこくしてやれるが」 「は、はああっ!? なに、なに言ってんの……早く行きなよ!」 三度、クリノスが枕に手を伸ばしたそのとき。二人の狩り人はそれぞれが動きを止め、気づけば双方揃って、窓の外に視線を投げていた。 「……ユカ。聞こえる?」 「ああ。お前にも聞こえているか」 「うん。これ……『歌』? でも、誰が……」 それは、二人が腕利きのハンターであるからこそ気取れた微細な変化の汲み取りに過ぎなかった。 吹き荒ぶ風、雨粒、天の原、しんしんと降り注ぐ雪の音。ありとあらゆる自然現象に紛れて、遥か遠く、どこからともなく聞こえてくる音がある。 それはほんとうに微かな音で、丘の上、夕暮れに行き交う村人たちは何ごとにも気づいていないように笑みを交わすばかりだった。 たまらず、ユカとクリノスは顔を見合わせる。北風にとけ込みながら来たる歌は、確かに、フラヒヤ山脈――狩り場、雪山の方から流れてきていたからだ。 「恐らく『待たせている』んだろう。クリノス、お前はここにいろ。万が一何かあったときは、師匠らと村長に報告するんだ」 「なにそれ、あんたに限ってそんなことにならないでしょ。いいから、早く行ってあげなよ」 「言われなくてもそうするつもりだ。それと、話の続きは戻ってからになるだろうが……それまで、いい子にしているんだぞ。余所の男に気を抜くなよ」 自室の扉を閉めたとき、中から双剣使いの逆上に等しい悲鳴が聞こえた。 振り返りもせず、またアルノーらに声を掛けることもせず、口角を凶悪につり上げた後、ユカは単身雪山へと足を急がせる。 |
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