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モンスターハンター カシワの書 上位編(35)


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はたして、いつからそれほど惹かれるようになっていたのか。思い返したところで、こうなってからでは最早手遅れとしか言いようがない。
他と比べて特筆すべきは、腕が立つこと、脚力が優れていること、特殊な経歴からモンスター絡みの知識が同年代より遥かに秀でていることくらいだろうか。
生意気な物言いと反抗的な態度は腕に自負があるからこそ出てくるもののように思うが、余計な敵を増やすのではないかと正直案じている。
とかく、クリノスという女狩人はツンとした獣人種のように捉えどころのない女だった。
いつしか監視対象の新米狩人ともども自然と姿を目で追うようになっていたのだが――それが個人的感情の変化によるものとは、自分でも予想できずにいた。

「……何度目だ? 自分で、数えられているか」

くぐもった声は、次第に弾んだ吐息と甘やかな声に変わった。何事か反論されるより先に、より深く身を繋ぐ。
獲物に牙を立てる雄火竜か轟竜にでもなった気分だった。捕食行為というのは、きっとこんな心地に浸りながら成されるものに違いない。

「……クリノス」

ありったけの欲と情を注ぐように熱を交わす。
自分でも全くどうかしていると思えたが、組み敷いた相手が苦痛に暮れる様を一度でも捉えてしまえば、すぐさま後悔の念に捕らわれるような気がしていた。
――後悔など、してなるものか。
ハンターとして、元猟団員として、それだけでなく男としてもあの男に劣るというのか。負けたくない、この女は俺のものだ……

「クリノス、苦しいか。辛ければ俺の背中に手を回せ」
「ユ、カ……」
「そうだ、そのまましがみつけ……いい子だ」

……結局のところ、どれほどの時間を費やしたのかまるで覚えていない。
気がついたとき、天色髪の娘は自分の胸元に縋りつく姿で眠りに落ちていた。長い間眠っていたのか、行為に至ったときと同じように外は暗くなっている。
どれくらい寝ていたのか。心労が祟ったのか、酒の勢いか、久方ぶりに「そういったこと」を果たせたからか、頭はだいぶんすっきりしていた。
目の前で眠る女狩人の、しなやかな四肢や汗ばんだ柔らかい髪、その色合いにしばらく見惚れる。彼女の髪色は今頃の時期に天上に広がるものと同じ色だ。
あるいは、かつて星空の下で語らった旧友のたてがみにもよく似ている。誇らしい天の欠片だ……これ以上に美しいものを、自分は知らない。

「おかしな話だ。お前の鼓動を聞いていると、不思議とよく眠れる」

身勝手極まりない独白だった。らしくもないどころか、一方的に振る舞われた側からすればたまったものではないだろう。自分で自分を絞め殺したくなる。
ユカが額を天色に押しつけた瞬間、外から冷たい空気が吹き込んだ。黒雲の佇む空を見上げて、一旦窓を閉めようと起き上がる。
寝具が軋み、その僅かな音と振動だけで、クリノスがううんと唸り声を上げた。顔をしかめながら身を丸くして、青年の足ににじり寄ってくる。
これまでの間、彼女は目を覚まさなかったのだろうか……慎重に体勢を変え、むき出しになった狩人の肩に布団を掛けた後、身支度を調えてベッドを降りた。

(どれくらい経った? 誰も……部屋には来なかったようだが)

夜間であり、また曇天であるからか時間感覚が掴めない。廊下に出ると汗に濡れた体がインナー越しに冷やされていく感覚があった。
養父母は就寝しているのか、台所や居間の灯りは消されている。他の気配は感じられず、ひとまずはと先に風呂場に向かってもろもろの作業を淡々と進めた。

「クリノス、起きているか」

湯の張った桶やタオルを抱えて自室に戻る。声を掛けがてら扉を開けると、ベッドの上の謎の膨らみがビクリと跳ねたのが見えた。
寝具を被って籠城を決め込んだようだが、布団そのものは温暖期用の薄い素材でできている。どんな体勢か、緊張しているかどうかもユカには筒抜けだった。
足音を殺して近寄ると、じわりと空中に緊迫感が滲んでいくのが分かる。布の向こうに隠れる女狩人が放つ怒気と、自分の罪悪感所以のものだ。

「具合はどうだ。俺が言えたことでは、」
「……ら」

意外にも。意外にも、布団の奥からすんなりと天色頭は這い出てきた。
こちらを見上げるクリノスの顔には、予想していた羞恥や疲労などではなく、現在進行形でふてくされている荒んだ表情だけが浮いている。

「おい」
「……ら、ゆるさないから」
「クリノス」
「ぜったいゆるさないから」

かくして舌っ足らずな発声で恨み言を吐き捨てると、彼女はまたスポンと頭を布団の中に沈めてしまった。
予想外の反応に銀朱の狩人は、これでは盾蟹のガード体勢か岩竜の擬態姿と一緒だ、モンスター好きめ、と変なところで感心してしまう。
もう一度名を呼びながら布団を揺すると、クリノスは再度肩を跳ねさせて余計に体を丸くした。手を払い除けられなかったことに、ユカは知らず安堵する。

「そのままだと気分が悪いだろう。それとも風呂にするか、食事は?」
「……」
「辛いなら寝ていてもいいぞ。最も、好き勝手をしたのは俺の方だが」

言い終えるより早く、視界に白色が広がった。掛け布団をまくり上げ、自らクリノスが跳ね起きたのだ。
いよいよ彼女の顔は朱に染まり、勢いよく振り上げられた枕がバシンと青年の頭を殴打する。
クリノスの双剣使いとしての腕はかなりのものだが、それでも今回の得物はたかが羽毛たっぷりの枕でしかない。
大したダメージにもならないが、それでもユカは動揺し小さくよろめいた。男の意地で踏み留まった青年を、先輩狩人は布団をたぐり寄せながら睨みつける。

「ばかじゃないの!? なんでっ、あんな……」
「あんな?」
「……!!」
「すまん、俺が悪かった。……それで、どうする。ここで済ませるか、それとも風呂に入るか。一応補足しておくが沸かし立てだぞ」
「……、……はいる」

カシワやクリノスらと出会ってまだ一年も経っていないが、彼らの人となりはある程度は掴めるようになったつもりだった。
しかし、あくまで「つもり」でしかなかったことをユカは痛感する。
眼前、のろのろと這いずるようにベッドから降りようとする双剣使いに手を貸そうとした瞬間、銀朱の目に睨み上げられると同時にそれを振り払われた。
拒絶というよりは拒否に近い反応である。たとえるなら毛を逆立てたアイルーメラルーが繰り出すネコパンチだ。
僅かに痛む手を振り、一度短く嘆息してから、ユカはなんとか一人で移動しようとする娘を布団ごとくるんで抱きかかえた。

「やっ、やだ! いいっ、自分で……!!」
「無理をするな。その様子だと、ろくに歩けないだろう」
「だっ、誰のせいだと思って!」

奇声に近い悲鳴じみた声を上げ、クリノスは全力で抵抗を試みる。落とすわけにも避けるわけにもいかず、無理やり押さえ込むような格好で浴室へ向かった。
片足で器用に扉を開け、板張りの床に下ろしてやったところでようやく娘は大人しくなる。
不服げに唇を尖らせる様を見て、愛らしいな、と黙考した。同時に、俺もだいぶんやられているな、とユカは思う。
自分でやるからいい、怒りで顔を赤くしながらこちらの手を拒むクリノスだったが、ユカはその主張を彼女を軽々と抱え直すことで却下した。
椅子に座らせ問答無用で背中を流しているうちに、今日までの交流が功を奏したのか、娘は青年の甲斐甲斐しさにあっさりと身を委ねて寛ぎ出す始末である。
なめらかな肌を水獣のたてがみ製の道具でなぞりながら、これでよく今まで「無事」だったな、と当事者でありながらユカは閉口した。

「痛むところはないか。その……二度目とはいえ、俺もかなり強引だっただろう」
「いたむ……いや別に……え、二度目? にどめ……」
「おい、寝るな、しっかりしろ。休むならベッドに戻ってからにしろ」
「あい……大丈夫れす。まえは、じぶんでやるぅ……」

そのとき、泡の向こうでぼんやりと呆ける顔と目が合った。スポンジを所望する様子の片手が、虚ろにやんわりと宙を切る。
体勢が崩れかけ、ユカはすぐさまクリノスの体を支えた。抱き留めてみると、彼女の体がいかに鍛えられたものであるのか、手に取るように分かるようだ。

「ん! うっ、うわっ……」
「クリノス? どうした、どこか痛む……」
「や、だ。やだっ! な、なにか……いっ、いいから、離して……」

俯くばかりの上気する顔と、恥ずかしげに固く閉じられる両足。目が合うや否や素早く視線を逸らす様を見て、青年は娘の言わんとしたことを容易く察した。
「女の扱いなら嫌というほど知っている」。皮肉なことに、彼女によく似たあくどい女頭領から仕込まれた経験が影響していた。
何年経っても、たとえ自ら手に掛けた今であろうとも、その支配から抜け出せた感覚が湧かない。

「待て、自分では無理だろう。俺がやる」

絶え間ない非難と悲鳴に、回想に沈む意識を持ち上げられる。抵抗しながらも、クリノスはこちらの手を払うようなことはしなかった。
自分の身に何が起きたのか、慣れ親しんだ男に何をされたのか――理解しろと言う方が無理な話だと、ユカは思う。
グラハム=イタリカにしろ、トゥリパ夫妻にしろ、よくここまで甘く育てられたものだ……自分のことは棚に上げて、青年は双剣使いを再度抱えた。
替えたインナーが濡れることにも構わず、慌てふためく相手ごと湯槽に入る。直後、何らかの痛みに顔を歪めた娘を宥めるようにそのこめかみに唇を寄せた。

「!? なにっ、なにする……」
「お前は、そればかりだな」

宥めすかし、あるいは言葉巧みに誘導し、もしくは指で柔肌を解き明かしながら。痕跡を湯に落としきるようにして、夜半を浴室の内で過ごす。
勝手な推測ではあったが、彼女が自ら焦がれるように身を預けてくれたと感じられる瞬間も中にはあった。
一度タガが外れてしまえば、如何なる人間であっても衝動を抑えきることは難しい。慣れた男、不慣れな娘、どちらにもいえる話だ。
本心を語るなら、他意はもちろん害意もなかった。しかし結局空が白むまでの間、湯煙に紛れるようにしてその身を独占する事態に陥ってしまっていたのだ。






なんだかんだで時間を費やし、クリノスがようやくまともな眠りに就けたのは、日が昇りきった後のことだった。
簡単な食事を用意し――そも、いくらなんでも油断しすぎだと言いたいところではあったが――あっさりとそれを完食した後、彼女はすぐ寝落ちたのである。
こちらの枕を大事そうに抱えて爆睡をかます姿を見て、今度こそユカは毒気を抜かれた心地になった。
こういった妙なところで素直すぎる点も彼女の魅力のうちの一つだと、いつの間にか自分に言い聞かせるようになっていたように感じている。

「あらぁ、ユカ。どうだった? クリノスちゃんとの『おうちデート』は。癒されたでしょう?」

そうしたほんの少しの感傷と内省に浸っている最中、自室を出た直後に養母から声を掛けられた。
内容は「余計なことをしてくれた」の一言に尽きる。ネジの一本をなくしたコロコロガルクのようにガタつく動きで、銀朱の狩人はその笑顔に振り向いた。

「おはようございます、師匠」
「うふふふふ~。あらあら、その様子じゃ昨日はずいぶんとお楽しみだったみたいね! おめでとうっ!」
「朝から精神的に殺しに来たんですか。それとも新手の拷問ですか」
「どっ、どうして!? 上手くいったんじゃなかったの?」

この栗色髪の言いたいことなら分かっている。しかし、自分は養母が思うよりよっぽど性根が腐っているのだ。ユカは荒く嘆息した。

「クリノスなら無事です。食事は摂らせましたから、休ませてやってください」
「まあっ、ご飯を作ってあげるくらいなの!? たいへんっ、アルノーに頼んで龍頭か紅蓮鯛……」
「後生ですからやめてください。本当に」
「なによぅ、おめでたいことじゃない~」
「どこも、何もめでたくなど……クリノスからしてみればただの災難でしかないでしょう。いいから、放っておいてください」

このむず痒さには耐えられない。まだ水分の残る髪をワシワシと掻いていると、アリシアは一人きゅっと眉根を寄せる。
あなたはずっと落っこちてたから、思いがけないところで本音を吐かれ、ユカはぎょっと目を剥いた。

「あなたが村を出ていくときも出ていった後も、わたしには何も出来なかったもの。何もしなかった、と言う方が正しいかもしれないけど」
「いきなり何を言い出すんです。そもそも、それはあなたの責ではないでしょう」
「でも猟団のことなら調べてあったわ! あなたはまだ子供だったし、わたしたちの方が事情を汲むべきだったのよ」

過ぎたことを言ったところでどうにもならないだろう、そう反論しかけてぐっと堪える。今もそれ関連の話が出る度、荒れているのは自分だけだったからだ。
ましてや、今回に至っては無関係の女狩人にさえ牙を剥いた。どう答えるべきか逡巡するユカめがけて、アリシアは背伸び気味にして手を伸ばす。

「……師匠、」
「ねえ、ユカ。あなた、クリノスちゃんのこと大好きなのよね? まさか『これから狩り場に入ります』なんて言わないわよね?」

ぎくりとして青年は頭を撫でられる格好のまま固まった。なんなら養母が撫でやすいよう、背を丸めてさえいたかもしれない。
ニコリと笑って見上げてくるアリシアは、先と打って変わってしおらしい気配など欠片も見せない。
「逃げるなよ」、言外にそう言われたような気がしてその場に立ち尽くす。昔から、養母が口元だけで笑うときは怒っているときと相場が決まっているのだ。
……気まずくて仕方ないが、そんな甘えた考えはとっくに見抜かれていたらしい。諦めたように長い溜め息をついた養子を見て、栗色髪は破顔した。

「解りました。まずはクリノスが目覚めるまで、それでいいですか」
「うふふ~、分かってるならいいのよ~。好き勝手したのはあなたなんだし、クリノスちゃんの気が晴れるまでは一緒にいないと~!」
「それはっ……それは、クリノスの返事次第なのではないですか。俺に選択権は、」
「やぁね~、それがベストじゃない~。ここで雪山にでも行ってご覧なさい、一生恨まれたって知らないわよ?」

だからといって轟竜を探さないわけにも――ユカが詰め寄ろうと身を乗り出しかけた瞬間、何者かが廊下を突き進んでくる音がした。
ぱっと同時に振り向いた二人は、養父アルノーが険しい顔を浮かべている様を見つけて表情を強張らせる。
男の手に、複数の紙片が掴まれていたからだ。端に押印されたハンターズギルドの承認印は、火急の報せの意味を持つ雄火竜の甲殻の色味を帯びていた。

「あなた。ギルドから速達が?」
「アリシア、ユカ。ああ……どうも、俺たちが予想していたより事態は深刻だったようだ」

報告書を強奪したくなる衝動を堪え、なんとか平静を装いながら書面を受け取ったアリシアの手元を覗き込む。
目を走らせて詳細を追った直後、銀朱の狩人はぎしりと奥の歯を噛み鳴らした。

「これ、なんの因果かしらね。確かにあの子たちは昔から不仲……宿敵じみた因縁を持ってはいたけど」
「言っている場合でもないでしょう。常の生息域、山の奥地ならまだしも今は温暖期です。『この巨体』が暴れ狂いでもすれば、確実に村に影響が出る」

伝書鳥が寄越した書類は、全部で三枚。
大まかに分ければ、事の経緯を明かした報告書が一枚、残りは出現した大型モンスターの詳細とその個体に見られる特殊痕跡、その概要だ。
三枚目に描かれた色つきのスケッチを見て、ユカの顔からことごとく表情が消え失せる。
濃い、青色の体毛。そこに時折混ざる、差し色としてあしらわれた美しい赤の色。険しい山岳地帯をモチーフとしたような、硬質な象牙の眉間の鎧……
雪山とポッケ村に根ざす者なら、誰でも知るモンスターの姿がそこにはあった。比較的温厚な性格で、食性も肉食ではないことから親しみ深い相手でもある。
その素材は生活のあらゆる場面で重宝されるものではあったが、めったに姿を現さないことから狩猟機会そのものは限られていた。

「この時期、この雪山に『巨獣』とは。それにこの補足説明……どう見ても、行方をくらませた轟竜と同じ『獰猛化個体』としか思えません」

危機に対して向ける怒気というよりは、「騎士」として率直な感想を述べたまでである。低い声で唸るように呟くユカを、アルノーたちは窘めなかった。

「ユカ! もうっ、あなたクリノスちゃんを放っておく気!?」
「師匠。残念ですがあいつには……いえ、あいつらにはまだ狩猟権限がありません。行くなら俺単独になるでしょうから」
「ユカ。これに同封された書状でお前宛に飛行船経由での増援と調査員の派遣を打診されている。俺の鳥で返事をしたから、せめて彼が帰るまで待ちなさい」

早まるな、言い聞かせるように養父は養子の肩を小突く。何事か反論しようとして、青年は開いた口を静かに閉ざした。
「村に危機が迫っている」。そして恐らく、他に助力を求めていられる猶予もない。それを思えば思うほど、ユカの気は逸る一方だった。

「行くにしても、段取りだってあるでしょう? ギルドもこの手紙と並行して用意を進めているだろうし、あなたも準備だけは済ませたらいいわ」
「師匠。ですが、それでは」
「焦りは禁物だぞ、ユカ。教えただろう? なにも今、『彼女』が村を目指して降りてきているわけではないんだ」
「先生……」
「お前の言いたいことも分かる。だが、目の前のものも護れないようでは、ハンターとして人間として……男として、クリノスさんに顔向けできないだろう」
「……それを今言うのは、卑怯なのではないですか」

出来ることなら、今すぐにでも狩り場に入り状況を確かめたい。その一心からたまらず反抗じみた解を返してしまい、ユカは自ら顔をしかめる。
眼前、自分を足止めする――職の面でも――先輩方にあたる元狩人たちは、一瞬顔を見合わせて小さく笑った。
腰に下げたポーチから何本か薬液瓶を取り出して、持って行け、とアルノーは普段あまり見せることのない好戦的な笑みを滲ませる。

「やったこと、起きたことは取り返しがつかない。お前はそれを十分知っている子だ、そうだろう。クリノスさんにはうんと謝っておくこと……出来るな?」

中では、白い気泡が炭酸のように何度も忙しなく弾けていた。また別の瓶の内側では、燃えたぎるように赤い香辛料が液の中で揺れている。
喝を入れるには十分すぎるな、一度だけ頷き返すと、養父は「なら行きなさい」と容赦なく青年の背中を押し、出てきたばかりの自室へと押し込んだ。

「……起きる気配など、欠片も見えないが」

先ほど別れたばかりの蒼色火花に改めて出迎えられ、ユカは小さく自嘲気味に嘆息する。
ベッドの上では変わらずクリノスが幸せそうに眠り続けていた。せめてシーツを替えるべきだったな、娘の寝顔から視線を外し、寝具全体を何気なく見渡す。
そこで青年は、数時間ほど前に双剣使いが跳ね起きた際、寄れてしまったために外にはみ出したであろう布の一部を見つけて手を伸ばした。
もちろんふと気になっただけのことで、寝ている相手を起こすつもりも、今ここでシーツを替えてやるつもりもない。
だからこそ、青年は手にしたものに釘付けにならざるを得なくなる。白地のごく一部に滲んだ小さなシミが、娘に何が起きたのか、全てを語っていたからだ。

「……クリノス、お前……まさか」

すぐにでも声を掛けるべきか、否か。しかし、彼女に無理強いをはたらいた自分には選択肢がないにも等しかった。
嫌な汗が頬を伝い、小さく喉を鳴らした後、ユカは眠るクリノスの肩にそっと触れる。
身じろぎ一つせず、寝言さえ漏らさず、まさに文字通り「満足した」と言うように。双剣使いは青年の枕を抱きしめたまま、ただ頬を緩めるばかりだった。





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 UP:24/03/15