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モンスターハンター カシワの書 上位編(33)


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「うおー、あったま痛いぞ……」
「大丈夫でございますニャ? カシワの旦ニャ様」

正直なところ、目が覚める直前までの記憶が曖昧だった。
ルームサービスが甲斐甲斐しく出してくれた蒸しタオルや酔いざましをありがたく使わせてもらったところで、ようやく朝を迎えた心地になる。
冷たい水を更にもう一杯注いでもらい、一気に飲み干した後で青草を食み終えたアプトノスのように大きく息を吐き出した。
ベルナ地方の水は山々からしみ出した雨水や雪解けの気配を強く感じさせるスキッとした冷たさに満ちている。故郷の清流や井戸の水とは違った飲み心地だ。

「悪い、助かった。何から何まで世話になってるな」
「ニャ、とんでもないですニャ。ワタクシどもはハンターズギルドや龍歴院から直接ハンター様をサポートする仕事を預かる身。かえって光栄ですニャ!」
「あー、いやあ、それに応えられてたらもっといいんだけどな。ありがとう、仕事に行ってく……」

グラスを返してすぐ出かけようとした瞬間、爪先に何かがぶつかった。
視線を落とすと石畳の上でムーファの仔、愛称フェニーが後輩狩人の足先に鼻先を押しつけている。ぐりぐりと鼻をめり込ませられ、カシワは面食らった。

「フェニー? お前、朝からどうした?」
「やや、今日のフェニーはずいぶん甘えっ子さんでございますニャ。他のハンターさんも最近お忙しくされているので、もしかしたら寂しがっているのかも」
「……ああ、クリノスやユカもここから離れてるんだしな。仕事から戻ったら、ゆっくり話でもできたらいいんだけどなあ」

白く柔らかな毛は、大人の個体のそれよりずっとふかふかしている。抱き上げただけで指先が埋もれてしまうほどだ。
至高の触り心地と、物言いたげにこちらを見つめてくる眼差しには抗いにくい。しかしここは仕事の話だ――心を鬼蛙の面に変えてカシワは立ち上がった。
フェプ、と名残惜しそうに鳴くフェニーに一度笑い返して、伸ばされた手に甘え、仔雲羊鹿をルームサービスの腕に托す。

「いってらっしゃいませニャ! そうですニャ、カシワの旦ニャ様。クエストカウンターに、新しいご依頼が届いているとのことでしたニャ!」
「分かった。ちょうど受付嬢さんに聞きたいこともあったし、寄ってみるよ。留守番頼むな」

アイルーと仔ムーファに手を振り返して家屋を出た。外はいつものように、晴れ晴れとした天気に恵まれている。

「さて。で、問題はこれだよな……」

カウンターに向かうほんの僅かな距離のうちに、カシワは寝起き直後に視界に入った一枚の紙片をそっと取り出した。
起床したとき、いつの間にか顔面近くに落ちていた謎の依頼書だ。取り寄せた覚えも、ユカに託された覚えもなかったため捨てるに捨てられなかった。
受注制限は下位クラス。だというのに、描かれたモンスターシンボルには見覚えがなかった。それどころか押印のインクの色、クエスト区分も初見に等しい。

「討伐クエスト『古の霞龍、オオナズチ』か。古の龍ってことは、もしかしてオストガロアと似たような感じなのか?」

藤色の皮に、体表に浮き出た鱗か突起物。コの字を描くシンボルの両端には丸く膨らむ袋があったが、どちらが頭で尻なのかカシワには判断がつかなかった。
ううん、と唸りながらだらだら歩いていると、不意に手にしていた依頼書が上から持っていかれる。

「!? えっ、おい、何す……」

振り向いた先には「コー、ホー」と怪しげな息遣いの、これまた見るからに怪しげで無骨なイメージの装備に身を包んだ男が立っていた。
あまりの不格好さと長身――フルフェイス型の頭装備の造形も相まって――っぷりに、後輩狩人は二の句をなくす。

「――オレは、ゲリョスマン! さすらいの上位ハンター、『ゲリョスマン』だッ!!」

ざわざわと周囲がこちらに一気に注目したのが分かった。同時にカシワは、目の前の謎の男に依頼書を奪われたことに気付き直してハッとする。

「おっ、お前誰だよ!? っていうかそれ俺の? だぞ! 返せよ!」
「『俺の?』って、なんでったって疑問形なんだよ。自分で取り寄せたんじゃねーんかよ」
「うぐお……け、結構な見た目してるのに回答はまともだな、こいつ……」
「声に出てんぞ。そんなんで一人前の龍歴院つきを名乗れるもんかね? なぁ、カシワ殿」

後輩狩人は固まった。物言いからして、相手はどうやらこちらと顔見知りであるようだ。
だというのにこちらには知り合いになった覚えがない。言われてみれば、相手の声色や口調に聞き覚えがあるようなないような……果たしてどうだったか。
どうやらゲリョスマンというのは、ゴム質の皮、即ちゲリョスの素材を用いた装備を着ているからこその命名であるようだ。
なんのこっちゃ、と後輩狩人は素直に眉根を寄せる。そもそも元々ゲリョスには苦手意識があったため、無意識に身構えてしまっていた。

「オオナズチねぇ。ちぃとばかしお前には早すぎんじゃねーの? オレも狩ったことねーけどよ」

ついつい黙り込んだ矢先、額に衝撃が走った。デコピン上がりの格好で鼻息混じりに溜め息を吐かれ、そこでようやく呆れられていることに気づく。
当然、こちらとしては何一つ面白くない。右手、左手と腕を伸ばすも、ゲリョスマンは後輩狩人を弄ぶように依頼書を頭上でひらつかせた。
重量感のある装備だというのに動きに無駄がない。攻防はクエストカウンターを通り過ぎてもなお続き、男の足はベルナ村の加工屋の前でようやく止まった。

「おいさっ! おうよ、オメーさんか。いつもと顔ぶれが違うみたいだが、新しい狩り友かい?」
「親父っさん……いや、それが俺もこいつとは初対面? だと思うんだ。いきなり依頼書を盗られそうになってさ」
「……よぉ、クソ鍛冶屋殿。命みじかしハンターどもと親交を深めんのは勝手だが、それよかこの新米殿に耐毒特化で作れそうな装備、なんかねーのかよ」

後輩狩人と加工屋は、ほとんど同時にこの毒怪鳥装備の長身を見返していた。コー、ホーと苦しげな呼吸の最中、自称ゲリョスマンは短く舌打ちする。

「おいおい、こちとら客だぜ? 耄碌してんじゃねーの。なんかねーのか、って聞いてんだろ?」
「その声……おいさ。装飾品なら作ってやれるがゲリョスシリーズを揃えるには素材不足だな。こいつばっかりはオイラにもどうしようもないってなもんだ」
「ん? えっ? 親父っさん、こいつと知り合いなのか」
「常連っちゃ常連だが、会うのは久しぶりってなもんだ。にしても、オメーさんにしてはずいぶん珍しい装備だな。金火竜でも狩りに行こうってのかい?」
「詮索すんなや、オレの勝手だろ。好きでこんな格好してるとでも思ってんのか」

先ほどの自己紹介とは打って変わり、男は苛ついたようにきびすを返した。わけも分からないまま加工屋と二人顔を見合わせて、挨拶もそこそこに後を追う。
クエストカウンターや飛行船発着所、雑貨屋さえ通り越し、龍歴院前正面庭園に着いたところでいきなり依頼書を突き返された。
混乱しつつもう一度紙面に目線を落とす。ゲリョスマンの言い分から考えるに、この藤色のモンスターは毒を扱うタイプとなっているらしいが――

「ゲリョスマン、っていったよな? お前、なんで俺にここまでよくしてくれるんだ?」

――相手の真意と正体は分からないままだった。素直な質問を投げられた男は、「あぁ?」と周りにも聞こえるような声を上げて足早に戻ってくる。
鋼鉄製のマスク越しではその表情は確かめられない。しかし苛立つ気配と荒い息遣いから、不機嫌になっていることだけはうかがえた。

「仕事だよ、仕事! 大体なぁ、お前のお守りなんざオレじゃなくてアイツがやりゃあ……」
「あいつ? あいつって誰……」
「なんでもねーよ! それより、そのオオナズチってーのは厄介だぜ。馴染みの狩り場かもしれねぇが、ハンターズギルドの連中も一目置く相手だからな」

紙面を指で押されカシワはたたらを踏む。喝を入れるように後輩狩人の胸板を小突いたゲリョスマンは、さっさと飯にしろ、と親指で食事場を差し示した。

「なーにがゲリョスマンだ、ただのゲリョス一式装備ってだけじゃねーか。そう思わねぇか、カシワ殿」
「ええ? ゲリョスマン、お前、なんか素が出てないか」
「うるせぇな、イイんだよ。こんな杜撰な仕事で採用資格がどうこう言いやがるギルドの連中が頭イカれてんだよ、オレのせいじゃねーわ」

一瞬、素早くゲリョスマンのマスクがゲリョスの皮製のバイザーまで持ち上げられ、中身が露わになる。
しかしそこは流石の「ゲリョスマン」のこと、豪快に達人ビールをジョッキであおるや否や、すぐさまマスクは下ろされてしまった。
そんな早業っぷりでは、もはや顔面の確認などしようがない。つまり中の人などいないのだ。ちょっと惜しいな、口には出さずカシワは男の隣に腰を下ろす。
勧められた――というより押しつけられたのは、燃えるようなアツさと分厚さを備えた肉と、コクのある生ハムで仕上げた不思議食感のサンドイッチだった。
辛みはないが熱さは感じる。モガモガと悶絶しながら食べ急ぐ後輩狩人の横顔を、男はジョッキ片手にフンと鼻を鳴らして眺めていた。

「下位個体でも古龍は古龍だ。ギルドのお偉いさん方もオレらの立ち回り次第じゃぁギルドの狗……ギルドナイツの投入も検討してるんだとよ」
「ギルドナイツ? ユカのことか」
「あぁ、アイツはまた実績積んだから休養も兼ねて里帰り命令が出たんだと。ついでに雪山周辺の異変も探ってこいだとさ。真面目だと損するだけだわなぁ」
「そうか……ポッケ村ってユカの故郷だったのか。なあ、ゲリョスマン。お前ってユカと知り合いなのか?」
「ブッフ、エホッ、オホッ!! ここまで話聞いてて分かんねーのかよ!? マジか……アイツどんな教育してやがったんだ?」

人の話聞かねぇし最悪じゃねーか、ブツブツと独りごちるゲリョスマンを放置して、カシワは改めて塩味と肉汁たっぷりのカツサンドを堪能する。
ベルナ村の女将も見事な腕をしているが、前菜のチーズフォンデュともども集会所のシェフの料理も大したものだ。食材のことを熟知しているのに違いない。
自分は料理には詳しくないのであくまで予想でしかないが、今も懸命に大鍋でチーズソースの調整に勤しむ姿には感動さえ覚えるほどだ。
ノアのチーズスープやクッキーだって旨いけどな――ほわん、と件の雲羊鹿飼いの顔を瞬時に思い浮かべて、後輩狩人は自分の妄想癖の強さに一人身悶えた。

「おいよー、そりゃジャギィS一式か? 解毒薬忘れんなよ、足引っ張られんのはゴメンだぜ」

またしてもペチンと額を弾かれて我に返る。テーブルに片肘をつき、隣の狩人は三杯目のジョッキもあっという間に空にして見せた。

「いって! お前なあ、クリノスじゃないんだからそんな攻撃……うんっ? ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は受付嬢さんから何も」
「仕事だ、っつってんだろ? どのみちいつかは行かにゃなんねーんだ、サクッと済ませた方がイイだろが。古龍のやつらも居ねーときは居ねーんだからよ」

瞬きを返すばかりの黒髪黒瞳を放置して、男は代金の支払いがてらニャンコックと何事かを話し込み始めた。こちらには首を傾げることしかできそうにない。
……そもそも、あの依頼書は誰が用意したものなのか。フェニーの落ち着きのなさや、ゲリョスマンの強制的な同行にも疑問が残る。
ようやくノアの姿を脳内の奥に押し込めることに成功したカシワは、急かされるままにアイテムボックスの中身をあさり必要だと言われた道具を取り出した。
狩りに出ることはすでに決定してしまったことのようだ。多少のもやもやを残しつつ、大人しくゲリョスマンの指示に従う。

(こいつ、どこかユカみたいなんだよなあ。有無を言わせないあたりとか、人の話聞いてないところとか)

とはいえ、それを口にしてしまえばマスク越しに睨まれる想像もできていた。
龍歴院経由で村の加工屋から引き取ったディノバルドの片手剣を腰に下げ、一度だけ思い出深い赤と青の混合色に振り向いてからゲリョスマンの足を追う。

「本当なら古龍なんざギルドの連中かそこらのお気楽なハンターに任せときゃイイんだよ。なんだってオレが、わざわざ」
「どんな言いぐさだよ。ゲリョスマン、お前は古龍が嫌いなのか」
「嫌いっつーか……危険度は高ェっつーし、そもそもなかなか出現しねぇしよ。英雄志望の大バカか、道楽気取りのお貴族様くらいしか好んで行かねぇだろ」
「どうら……こいつ、クリノスのこと見たら鼻で笑いそうだなあ……」
「なんか言ったか、カシワ殿。つーかクリノスちゃんは素材集めが好きなんだろ。だったらこれから、お前も古龍狩りに駆り出される確率が上がると思うぜ」

お前クリノスのことも知ってるのか、思わず目を剥く後輩狩人だが、二人とも骨の龍狩りだかで有名だろが、毒怪鳥装備は鼻で笑って受け流すばかりだった。
引きずられるようにして龍歴院側のクエストカウンター前に向かうと、受注書一覧のボード前にはすでに何人かのハンターが集まっていた。
オオナズチ以外にも、紫色の押印が目立つクエストの写しが下位ランクを中心に何件か貼り出されている。
ゲリョスマンは一瞥を投げた後、素知らぬ顔で受付嬢に依頼書を突きつけた。女史は困惑した表情を浮かべたが、同行者の顔を見て納得したように首肯する。
その間、カシワは人だかりに混じってボードを見上げていた。オオナズチに同じく、見覚えのないアイコンがずらりと数多く並んでいる。

「クリノスかユカなら、こいつらのことも知ってるのか……」
「おいよー、カシワ殿! 手続き終わったぜ。さっさと森と丘行きの船に乗っとこうや」
「も、もう行くのか!? そりゃネコ飯も食ったけど、心の準備がっ!」
「んな繊細なクチかよ。ホラホラー、乗った乗った!」
「うわわわっ、押すなって!」

作戦も何もあったものではない。ぐいぐいと背中を押され、状況の確認もできないまま後輩狩人はアルコリス地方行きの飛行船に乗船した。
満足そうに腕を組み胸を張るゲリョスマンの横、山と積まれた木箱の片隅にアイテムポーチをそっと置かせてもらう。

「まぁ、そんな緊張すんなや。オレのやり方ならお前も一回、見たことあんだろ」
「ええ? 俺とお前って、やっぱり知り合いだったのか!?」
「つーかお前、それ本気で言ってたのかよ? マジか、ハハッ……ここまでお上りさんだとは、思ってなかったぜ!」

成り行きか、ハンターズギルドの思惑か。二人のハンターを乗せ、飛行船はココット村の発着所を目指して空へと浮かんだ。
自前のグラスで酒を飲み始めるゲリョスマンのマイペース加減に、カシワは何一つ言い返すことができない。
どうしたもんか――先の見えなさに思わず頭を抱えた黒髪黒瞳だったが、人知れず、そんな彼らを離れた地点から見張る一つの影があった。
積まれた木箱に身を隠し、鮮やかな裏葉色の竜鱗で彩られた見事な太刀を背負ったひとりの男だ。後輩狩人を睨むその眼差しは、強い嫉視の色に塗れている。






……時間は、多少なりと前後する。

気分と感情だけでの話をするなら、飛行船ではなく昔ながらの竜車を使った移動手段を用いたいところではあった。
しかし「陸路じゃ時間掛かるし、龍歴院所属なら利用権利あるんと違うん?」とある同僚に世話を焼かれ、乗車チケットは無意味な紙切れと化してしまった。
出発間際にそのような出来事があったものの、ユカ=リュデルは無事単身ポッケ村へ帰還した。数ヶ月ぶりに訪れたが村の様子に変化は見られない。

「おや、ユカ。久しぶりじゃないか。元気にしておったかい」
「ご無沙汰しています、村長。この通りです。ドドブランゴの狩猟以来でしょうか」

真っ先にポッケ村の奥、村長の元へ挨拶に向かう。その最中も顔馴染みの村人や商人、ハンターに忙しなく驚かれたり声を掛けられたりした。
件の獰猛化轟竜が行方をくらませたからか、思っていたよりも村の空気は落ち着いている。それでも妙な緊張感が暮らしの中に隠されているような気がした。

「ハンターズギルドから、先立ってヌシの状況について連絡があったところだよ。大変だったようだね」
「村長、それは」
「焦ることはないとも。フローレンスもヌシと話をしたがっていたようだからね。どうだい? まずは狩り場に入るより先に、家に戻るのは」

「近況」。今更、何を語れと言うのか――自分は、ハンターズギルドの職から外されたのだ。
途方もない失望感と虚しさが胸中に立ち込めて、銀朱の狩人は会話の最中だということも忘れて拳を強く握りしめる。
村長は僅かに片眉を上げて「ふむ」と息を吐いた。青年の心情を察しているのかいないのか、眼前の焚き火に視線を落として頭を振る。

「腕が鈍るのは困るだろう? なんなら久しぶりに教官の元を訪ねるのもいいだろう。それより先に、家に向かうことをお勧めするね」
「村長。申し訳ないのですが、今の俺は……」
「ふむ。ヌシの顔馴染みがフローレンス宅を訪ねているそうだよ。話を聞いてみるのも悪くなかろう?」

ユカは、ちらと雪山の山頂付近に視線を投げた。温暖期ということも相まって、今は秀峰に吹雪や黒雲の気配を見出せない。
それでも数日前には獰猛化個体が急襲を仕掛けてきたばかりなのだ。「騎士」の資格は剥奪されていたとしても、見回りくらいなら見逃してもらえるだろう。

「分かりました。ある程度落ち着いたら、一度山に入ります」
「相変わらず仕事熱心なものよな。構わないとも。しばらくぶりの帰郷だからね、大いに休んだらいいだろう」

なんなら一緒に温泉でもどうだい、遠慮しておきます、昔のように軽やかな冗談を交わし合った後、頭を下げてきびすを返した。
緩やかな坂を下り、次第に人気や民家の姿がまばらになった頃、ようやく見慣れた家屋が見えてくる。
玄関の横にひっそりと佇む物置小屋の隣には、ポッケ村近辺ではよく飼われる草食種、ポポがロープで繋がれていた。
歳月を経たからか、出会った頃は養父母の腰にも満たなかった背丈がかなり大きくなっている。馴染みの仲だったので、挨拶ついでに毛を梳かしに向かった。

(健康状態は悪くない。食欲もある……眼も、濁りはないようだ)

久しぶりの再会だが様子は何も変わらない。水を溜めるための桶や、毛並みを整えるためのブラシも彼女の傍に揃えてある。
特徴的な手触りの毛にブラシを通す最中、手のひらに巨躯がのしりと押しつけられ、未だ相手に覚えられていたことにユカは小さく安堵した。

「よし。あとでリンゴでも――」

いつもそうしていたように、最後に額に手を乗せたその瞬間。銀朱の狩人は背筋に走った嫌な緊張感に振り向いた。
すぐさま空の木桶が飛んでくる。ポポに当たらないよう手で受け止め、同時に駆け出した。

「『ただいま』も無しとはないだろう、ユカ!」
「あなたもっ、相変わらず……ッ」

――伸ばされた手刀は桶で防ぎ、下方に滑らせて二の手を封じる。がら空きの胴体めがけて片腕を振るうも、相手は年齢を感じさせない動作で容易く躱した。
桶を放棄して空いた手で喉を狙う。相手の、茅色の目がにやりと笑ったのをユカは見た。心底楽しそうな笑みだ、奥の歯を力強く噛み締める。
二度、三度と互いの拳や手刀を弾き返し、また打ち返しながら、じりじりと間合いを計る。気づけば玄関前まで後退させられていた。
――追いやられているのは、こちらの方だ! 舌打ちを宙に溶かした瞬間、こめかみのあたりに強烈な衝撃が走った。

「……! こ、のッ!!」
「おおうっ、ナイス根性!!」

倒れかけた刹那、片腕で強引に受け身を取り足を走らせる。咄嗟に放った足払いは僅かに相手のスネをかすったものの、転倒させるまでには至らなかった。
ぐると勢いづけて立て直す。呼吸を整える最中、向かい合う男がぱあっと破顔する様を見出して銀朱の狩人はうんざり気味に顔を歪めた。

「おかえり、赤色の騎士! やっと帰ってくる気になったんだな!!」
「……違う、違います、戻るには戻りましたがまたすぐ出ます。……ご無沙汰しています、『先生』」

両腕を開き、茅色の男――養父アルノーは「さあ俺の胸に飛び込んでおいで!」の構え。立ち上がったユカは相手にせずさっさと玄関から屋内に踏み込んだ。

「あら? あらあら、あらぁ! ユカじゃない、どうしたの? 長期休暇でも、もらえたのかしら~?」

表からは嘆きの雄叫び(!)が聞こえたが、ガン無視して玄関口の土場で装備に付いた泥土を払う。
そこに慌ただしく駆けつけたのは、淹れかけと思わしきコーヒー豆の袋と粉砕器を抱えた養母アリシアだった。
懐かしい栗色の髪や瞳に一瞥を投げた後、軽く一礼して奥に進む。途中、女の腕から両者を奪ってキッチンへと足を伸ばした。
吊された果実や薬草、棚に並べられた調味料に香辛料と、親しみ深い食器に鍋。何一つ変わらない光景に内心ほっと胸を撫で下ろして、手早く豆を挽く。

「やだぁ、あの人は? 畑にいたと思ったんだけど」
「こちらを投げ飛ばそうとしたのでほったらかしにしてきました。玄関前でカワズの油でも売っているんじゃないですか」
「あらあら~、久しぶりの再会なのに随分ねぇ。もちろんアルノーもあなたも、どっちもだけど!」

心底楽しげに笑いながら、家主の妻は外に出て行った。
遠のく足音、そこに混ざる笑い声。嗅ぎ慣れた香りと、見知ったカップ……確かに久しぶりに帰ったな、変わらぬ養父母の態度に密かに胸を撫で下ろした。
しかし、もし「自分たちも勤めたギルドナイツを解任されるとは」と突き放されたら――だいぶん甘えた思考だ、青年は奥歯をぎしりと鳴らした。

「おっ、ユカのコーヒーは久しぶりだな。どれどれ、早速……」
「あなた~、せっかく淹れてくれたのよ? 先に着替えてきたら? そうそう、ねぇ、ユカ。今ね、ウチにお客さんが……」

ぞろぞろと戻ってきた夫妻に掛ける言葉が見つからない。かといって、現状はすでにポッケ村の村長に伝わってしまっているのだ。
覚悟を決めるしかない、ユカは荷物の奥からギルドの承認印を押された書類を封筒ごと取り出し、二人に手渡した。

「二、三日、部屋で休みます。何かあったら声を掛けてください」
「うん? ああ、また寝不足なのか。もちろん構わないとも。なあ、それよりユカ、今お客さんが……」
「あら? あらあら~? 『辞令』って……ユカ、ドンドルマでなにかあったの? ユカ~?」

託すと同時に背を向ける。最後まで養父母の話を聞くことは堪え難かった。
一軒家の奥、何度も通った廊下を突き進んで最奥の部屋に向かう。白く塗られた木製の扉を開けると、酷く懐かしい光景が眼前に広がった。

「ここも、変わっていないな」

かつて、夫妻に用意してもらった駆け出しの頃の私室だ。必要最低限の家具に、白や橙といったポッケ村に馴染みある色合いで配色が整えられている。
出て行った当時そのままにしてあるのか、私物の配置は何も変わっていない。掃除は行き届いているのか、埃の臭いは欠片も感じなかった。
開け放たれた窓からは暖かな陽光と冷たい風が絶えず吹き込んでいて、本当にようやく帰宅したのだ、と強く実感させられる。
……双焔の猟団を手に掛けて以来、この部屋に戻ったのは十、十数年ぶりといったところか。回想するようにユカは部屋の中ほどまで進んだ。
迅竜の片手剣以外の当時愛用していた得物や防具、未熟な狩猟技量をのぞかせるスケッチや手書きのマップの類も、壁際に立てかけられたままになっている。
机上の調合器具には乾ききった薬草が残されていて、当時の自分がいかに視野を狭めていたのか嫌でも自覚させられた。

「……戻ったぞ、ナナイロ」

そんな中、不意に視界の端を鮮烈な煌めきが駆け抜ける。正体は窓枠に吊り下げられた、ある「おまもり」だった。
何物かの毛を一房束ね、陽光石、灼熱を秘める赤色鉱石メテオテスカトルに、極小粒のドンドルマリンをあしらった手製の品だ。
のたてがみからは絶えず青い火花が散らされていて、陽光が当たる度、また風に揺れる度に、心惹かれる魅惑的な蒼色の光を零し続けている。

「これも変化なし、か。あの日から下げ続けているのにな」

かつて、まだ自分が未熟なハンターだった頃。ひょんなことから出会い、以来タイミングが合う度に雑談を交わした友がいた。
どこから来たのか、どこで暮らしているのか、真相は灼熱の火花の向こうにしか存在しない。その友は、あの頃「ナナイロ」と名乗っていたはずだった。

「『古龍が人間に化ける』。いや、そんな馬鹿げた話……」

今でも彼女の姿を覚えている。しかし、今の自分の有り様を見たら彼女はどんな言葉を放つだろう。喝の一つでも入れてくれるだろうか……それとも。
自嘲混じりに嘆息して、銀朱の狩人は装備も外さないまま、ひとり寝具に潜り込んだ。





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 UP:24/02/17