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モンスターハンター カシワの書 上位編(30) BACK / TOP / NEXT |
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……鼻につく臭いが漂う。硫黄と粘土、つまりは岩石の臭気だ。 水源と岩漿が共存するこの地域には、マグマが地上の流水や水蒸気で冷やされ、空気中に常に特有の臭気を放っている。 地上の清水と地下の熱源。矛盾した環境下で蒸気と火山ガスが大気をけぶらせ、本来青々とした空や清らかな鉱物資源を含む岩盤は鈍色に染まりきっていた。 水辺の生き物か、熱を好む生き物にしか住めないみすぼらしく過酷な土地。しかし、適応する個体にはこれ以上なく居心地のいい環境なのだ。 『妻よ。今日の体調は如何だろうか」 無論、この地に腰を据える「わし」とて例外ではない。 体表をなぞる熱波や鉱脈の煌めき、黒煙に隠された浮雲の面影など……二足歩行の生き物には到底理解されない景色は、わしの眼には極上の楽土に見える。 ぼんやりと辺りを眺めていたところ、後ろから声を掛けられた。見慣れた男だ。鴇色の基調に洋紅、紅鶸を差し色とした、古めかしい衣を纏っている。 賢そうな眼は温暖期の空と同じ色で、わしはその色味を遠眼から見るのが好きだった。わしを妻と呼べるのはこの男だけなので、呼ばれれば自然と心も躍る。 『良いと言えば良い。じゃが、いまひとつ暇を持て余しておるやもしれんの」 名を呼び返せば、相手はどうにも複雑な表情を返した。夫は厳つい顔に似合わず心根の優しい雄なので、わしの言い分にはほとほと困らされているだろう。 とはいえ、夫婦仲が悪いということではない。つい最近まで、わしらはこの地の奥で仔育てに追われていたほどなのだ。 威勢のいいもの、小生意気なもの、寂しがりに大人しいもの……様々であったが、皆それなりに立派に巣立ってくれたと、そう思う。 「冗談じゃ。仔等が離れて久しいからの、少しばかり感傷に浸っておるのよ」 「……ふ、それは私も同じだ。彼らは立派に育ってくれた。きっと、我々がおらずとも逞しく生き抜いてくれるだろう」 「無論じゃ。わしとぬしの仔ぞ、そうあってくれねば困る」 「嗚呼。そういった定めであればいいと、私とて強く願っているとも」 不思議と、夫は北の方角を見て物言いたげに眼を細めていた。 こういうとき、長年夫婦をやっているのだから彼が何を考えているかくらいは察せられる。わしはわざとらしく退屈さを覗わせる溜息を吐いた。 「何を思い悩んでおるのだ。さては浮気心か?」 「うわ……きっ!? 莫迦なことを。私には君というひとが、」 「なんじゃ、わしにバカと申すか」 「こっ、言葉のあやだろう? あまりからかわないでくれ……」 機嫌を損ねた、そう容易く解釈したのか、夫は常の冷静さをかなぐり捨てるように分かりやすく動転した。 こうしてみると、彼がわしより若い雄であることを実感できる。しかし、若いと言ってもそこまで差が開いているわけでもない。 そもそもわしらという生命には齢、寿命といった概念自体があまりに希薄だ。夫の気をこちらに向け直したかっただけなので、わしはカラカラと笑った。 「『ぎゃらりー』どもから聞いておるぞ。ぬし、霞殿から二足歩行どもと戯れた話を常々聞かされておるそうじゃな」 「が、ガブラスどもめ……余計なことを……」 「フッフ、そうでもせねばわしとて退屈に殺されるわ。のう、二足歩行は見ていて楽しいか。ぬしよ」 夫は、たちまち悲しげな顔をしてわしを見下ろした。彼の言いたいことは、よく分かっている心算だ。 何故なら、わしにも「彼ら」同様、二足歩行に自ら近づいてしまった過去があるからだ―― 「悪し、と言うておるのではない。ただ、わしに気を遣わず、ぬしはぬしの思うように行動を起こしてほしいと。それだけのことじゃ」 「妻よ。私には君が最も尊ぶべきひとなのだ。そんな悲しいことを言わないでは貰えないか」 「わしが何時哀しいことを言うたのじゃ。ぬしも、たまにおかしなことを言うのぉ」 「……フラヒヤ山脈住まいの、赤髪の男。彼は幻影らが注目している狩人と懇意になった。それだけでなく、あのときの不届き者をようやく捕らえたらしい」 ――「ポッケ村の銀朱の男」。仰ぎ見た先で、夫はうんと苦いにが虫を噛んだような顔をする。 何故か空色の眼と視線が合わない。この正直者め、そう口に出すのをグッと堪えて、わしは口を真一文字に結んだ。 「君は、ずっとあの男を気に掛けていただろう。妻よ、君の方こそ私に気を遣う必要などないのではないか」 「……、……なんじゃ? わしに移り気を働かせろとでも言う心算か」 「そうではない。あの狩人には君が自ら護符を渡したこともあったろう。もし気になると言うのであれば、私がこの地に彼らをおびき寄せることも考えよう」 話に出た男とは、しばらく前にわしがうっかり邂逅を果たしてしまった二足歩行のことだ。あやつのことは今でもよく覚えている。 当時わしは仔等を誰より早く育て上げた自負から、それはもう調子に乗っていた。他の同種と違い、上役の方々より特別な使命を授かったということもある。 お役目を果たそうと夫に留守を任せて毎夜はりきって特別な猟場に出入りしていたところ、件の狩り人に見つかったのだ。 思い返してもとんだ失態じゃ、わしは自虐と呆れに満ちた溜め息を、先ほど咀嚼したばかりの燃石炭混じりの呼気とともに勢いよく吐き出した。 「誤解しておるようじゃから訂正するぞ。今となっては、あの男のことなどどうでもよいわ」 「妻よ、しかし……」 「わしにこの地から離れてほしいと? それは出来ぬ。わしはぬしをつがいとしたのじゃ、そしてここはぬしの領域ぞ。故にここを離れる気はさらさらない」 金の眼で強く見返せば、夫は苦々しい顔で小さく頷き返す。 ……あの二足歩行との日々は、背格好の影ですら今でも思い出せる。年甲斐もなく、半ば使命のことも忘れて親しくしたのはわしの落ち度だ。 だからこそ夫は「このままでいいのか」、「歩み寄ったらいい」と言うのだろう。それがわしらの不文律に逆らうことであろうとも……これはそういう雄だ。 わしのためなら自分の嫉妬心でさえ見事嚥下してみせる。そういったところが小憎たらしく、また愛おしいということを彼は理解していない。 「わしが気に病んでいるとでも? 不躾なのはぬしの方よ。妻に自ら浮気を勧めるとは、どういう了見じゃ」 「だから、妻よ。私はそういった意味では、」 「もうよい、とうの昔に過ぎたことよ……あやつも、わしのことなどとっくに忘れておるじゃろう。二足歩行などそんなものじゃ』 『これ以上は不毛な問答である』、そう宣言するように、わしはさっさとねぐらに戻った。 夫は何を考えているのか……しばらくその場から動かなかった。物言いたげにはしていたが、説得を諦めたのか、大人しくわしの後についてくる様子だった。 『もう寝た方が良いの。ぬしが世迷い言をこぼすのは、上役の方々もお困りになるじゃろう』 『妻よ、私は己が使命を放棄する意図で吐露したわけではない。それだけは、分かってはくれないか』 『むう……ぬしも真面目な性分じゃの。鋼殿とよい勝負じゃ』 ……さて、わしらのねぐらの軒先には、かつてわしが自らの「たてがみ」を切って作った手製の「おまもり」が下げられている。 これは仔等の健康な成長と、愛しい夫の無事の帰還を願って編んだものであるのだが、かつてこれと同じものを件の狩り人に贈ってやったことがあった。 (今もあやつがアレを持っているということは……恐らく、ないのじゃろうがの。常の世も、二足歩行とはどいつもこいつも薄情な生き物よ) 仔は巣立ち、夫も他の種に劣らない素晴らしき力を得た。このおまもりの役目は十分に果たされたのだ。 だというのに、わしはこれを捨てる気になれなかった。全ては気紛れ、古き龍どもの気分次第……そんなところか。今日も熱波に蒼のたてがみが揺れている。 『「陽炎、稲妻、水の月」。わしらの存在とは、常にそのようなもの。二足歩行どもに理解し得るとは思えぬよ』 慰めの意図で掛けた言葉に、夫の声は返されない。何かを気にするように彼はすっかり黙り込んでいて、わしは早々と諦め、身を丸めた。 眠りに就いていた方が有意義なときもある。そうしてわしの金の眼が閉ざされたとき、眼下、溶岩流の源には……そこには誰の姿も残されていなかった。 同時刻、ハンターズギルド、ドンドルマ支部局内。 「――はいっ、お疲れ様! もう帰っていいよ。龍歴院にも確認が取れたからね、クエストを受けるなり拠点で休むなりしてもいいさ。お勤め、ご苦労様」 お疲れ様でした、とは返せなかった。ユカがどうしているか、アトリがどうなったか……聞きたいことは山ほどあるのに言葉がうまく纏まらない。 銀朱の騎士と別れた後に通されたのは、廊下に取調室がずらりと面した区画だった。玄関口の大衆酒場に同じく、土間と木材をベースにした構造をしている。 そのうちの一室に案内された後輩狩人は、一時間ほどの聞き取りと数枚の書類にサインをした後、拍子抜けするほどあっさりと解放されるに至った。 あっけなかったなあ、そんな思考が顔に出ていたのか、担当にあたったギルドナイトはカシワを連れ出す際もずっと苦笑していた。 「あっ、あのな? これはそのっ……ええと……ユカは」 「『斟酌』かい? 他にもやらにゃならん仕事があるらしくてね、今はソッチに向かう準備をしているはずだよ」 「そ、そうか! じゃないっ、ソウデスカー。ど、どうも……お世話になりました!!」 頭を下げ、来た道を戻る。ふと振り返ってみると、先の年配の騎士がわざわざ手を振ってくれている立ち姿が見えた。 ユカのみならず、彼ら赤色洋装は皆等しく多忙にしていたはずだ。慌ててジャギィSヘルムを外して、カシワもその場で頭を下げ直した。 「ふうっ。これから、どうしたらいいんだろうなあ」 扉が並ぶ廊下を早歩きで進みながら、頭装備を被り直して小さく唸る。 取り調べは終わり、無給奉仕も期間が満了したのだ。本当ならもうハンターズギルドに残っている理由はない。 (だからって放っておけないだろ……あいつ、アトリのことになると頭に血が上るみたいだし。それにグレゴリーだって怪我してたし、どうしたもんか) 出来れば一度グレゴリーには会っておきたい。それに、闘技場で世話を焼いてくれたアイルーたちも同じだ。オズワルドやアイルー・マムにも礼を言いたい。 無給奉仕を通じて人脈の広がりを得たことに気がつけない後輩狩人は、うぅん、と一人であれこれ考え悩みながら眼前の角を曲がる。 そのとき、目の前にパッと鮮烈な赤が現れた。他人様のドレスだ、気がついたときには相手とぶつかりそうになっている。 「うわっ、悪い!? 大丈夫……って、あれっ、君は確か」 「あ……あなた、アトリといたハンターさん?」 「ああ、俺はカシワ。アトリとは一回だけ一緒に狩りをしたことがあるんだ。ところで、ここにいるってことは君も取り調べが終わったのか」 「ええ、もう行っていいって……その、さっきはごめんなさい。みっともない姿を見せてしまって」 顔を合わせるや否や、金髪の女イザベラはカシワに勢いよく頭を下げる。泣き腫らした目が痛々しい。 光沢感のあるドレスは昼過ぎに会ったときと変わらなかったが、砂埃に汚れ、至るところに皺ができていた。 居たたまれなくなって、後輩狩人は女の震える肩に遠慮がちに手を乗せる。彼女の緑がかった青の瞳は、アトリの髪色にどこか似ていた。 「あ……あの、あたし」 「大丈夫だ、アトリなら……ユカ、あー、俺の知り合いが手当てしてるだろうし。君だって必死だったんだろ? みっともないなんて、そんなこと言うなよ」 だからっていきなりナイフで刺すのはどうかと思うけど――余計な一言を言いそうになって、ぐっと堪える。 イザベラは目を瞬かせた後、くしゃりと苦笑いを滲ませるようにして小さく笑った。目を細めて笑い返して、なんとなしに二人は並んで酒場に向かう。 「うん、君みたいな綺麗な娘は、やっぱり笑ってた方がずっといいな」 「なっ、なに!? ……あの、あなた、そんなこと言ってるといつか本当に好きな娘に嫌われてしまうわよ」 「え? 俺、そんな変なこと言ったか……?」 「言ったわよ! もう、自覚がないなんてよっぽどじゃないのっ」 女の言わんとしていることがいまいち分からず、黒髪黒瞳は首を傾げながら通路からひょい、と気楽に飛び出した。 ドンドルマ支部の玄関口、大衆酒場は昼も過ぎた頃だというのに賑わっていた。むしろ、これからが書き入れ時なのではないかとイザベラは教えてくれる。 夕方には明日早朝から予定される狩猟依頼が貼り出され、夜の便で帰還したハンターの食事や酒宴も盛り上がりをみせるのだと。 家は洗浄屋だから客が訪れる時間には詳しいのだ、彼女は楽しげに言って笑ったが、依頼書を抱えた受付嬢らの姿を見た途端にその表情は曇ってしまった。 「お父さんに顔向けできないわ。もし客足が減りでもしたら、どうしよう」 「えっ? いや、君はこうやって釈放されてるじゃないか。ギルドにも帰っていいって言われたんだろ?」 「そう言われたわ。未遂は未遂だし相手も相手だから今回だけは特別にね、って。でも、それでもやっぱり、あたしはアトリが……」 この娘は本当にアトリのことが好きだったんだなあ、決して口には出さず、代わりにカシワは口をもごもごさせる。 どう見ても縹の狩人は遊び人だ。自分は色恋どうこうには詳しくないが、あの男がどれほど手慣れているかは流石に分かる。 一度きっぱりと距離を置き、早々に諦めてしまった方がイザベラのためになるだろう。しかし、それでも。 「そうだよなあ。『好きだ』って気持ちなんて、そうそう割り切れないからなあ」 「え……」 「君は、『この浮気者ー!』って思い詰めるくらいアトリが好きなんだろ? あいつは女の子好きだけど、他人の厚意まで無視するような奴じゃないと思う」 「……嘘でしょ? てっきりハンターさんには止められると思ってたのに」 「全力で応援してるわけじゃないからな? そうじゃなくて……本気なら一度好きです、ってちゃんと言った方がいいって……それだけだ」 言わなければ伝わるものも伝わらない。何も玉砕してこい、とそそのかしているわけでもないのだ。 そっと頷き返してみると、イザベラはほろりと涙を一粒零した。慌てふためくカシワを横に見て、彼女はようやく可憐に笑う。 「でも、アトリのことだから当分お天道様の下には出てこられないんじゃないかしら。連れてったギルドナイトさん、かなり怒ってたし」 「あー……それは、まあ。その、今すぐってわけじゃないんだ。いつか、またアトリと会えたらそのときに、って」 「ええ。あたしも分かってるの、ただの遊び、ただの便利な道具扱いだったんだって。でも、ハンターさんの言う通りよ。諦めが、つかなかったのよね」 清々しい笑みだ。きっと彼女は大丈夫だろう、後輩狩人は首肯した。 「アトリがどんな奴なのか、俺は知らないんだ。最近会ったばかりだしな。けどユカも見捨てる気はないみたいだし、そこまで悪い奴じゃないんじゃないか」 「そう……って、ちょ、ちょっと待って。あなた、あの斟酌の人の知り合いなの?」 「斟酌? ユカのことか? 知り合いっていうか、俺は仲間だと思ってるよ。あいつが俺をどう思ってるかは分からないけどな」 「驚いた……あんな怖い人にも、お友達っていたのね」 「友達呼ばわりは嫌がられそうだけどな。昔の仲間のことも覚えてるし、相棒のメラルーだって懐いてる。俺たちの面倒も見てくれるし、いい奴だよ」 イザベラのあんまりな言い分に、カシワは苦く笑い返す。確かにユカの言動には刺々しい部分も見られるからだ。 かといって彼が仲間を道具扱いできるような男には到底見えない。それを思えば、あの騎士と縹の狩人は根っこの部分が似た者同士であるような気がした。 「っと、出口だ。君はこれから家に帰るんだろ? 送っていこうか」 「そこまでお世話になれないわ。大丈夫、ドンドルマはあたしたちにとって庭みたいなものだから」 「凄いな、俺からしたらだだっ広くて迷路みたいだけどなあ。覚えてるの、泊まってる宿屋と闘技場くらいだぞ……じゃあ、気をつけてな」 「ありがとう。ハンターさん……いえ、カシワさんも、お元気で」 晴れ晴れとした空の下、女は手を振りながら笑った。金色の髪と赤色のドレスが、陽光を跳ね返してキラキラと輝いている。 アトリにはお似合いと思うんだけどな、それは口に出さないまま後輩狩人もひらりと手を振り返した。 やがてイザベラの姿が入口から遠ざかり、影すら見えなくなった頃。カシワははっとして、会計を済ませた見知らぬ客に続けて酒場を後にする。 せっかく釈放されたというのに、いつまでもハンターズギルドに居座っているわけにはいかない。手始めに闘技場地下施設に挨拶に行こう、と足を動かした。 「グレゴリーにはあとで手紙でも出すか。面会はー……駄目って言われるかな、どうだろうなあ。俺も捕まってたわけだしな」 賑わいの都と呼ばれるだけあって、市街は人が行き来して止まない。そうして人の流れを眺めつつ歩く最中、ふと視界の端を過った色彩に足が止まった。 ベルと六枚花弁のモチーフを押印された、見事な黄金色のチーズだ。ホール全体に艶があり、素人目でも高級品だと見てとれる。 ホールチーズ、それもあの見慣れた紋章とくればもちろん産出元はベルナ村だ。それを目にした途端、後輩狩人は来た道を取って返していた。 「わっ、悪い! その、長い黒髪の女の子っ……い、イザベラのああだこうだの娘! ベルナ村のォ……まだ、中にいるのか!?」 大衆酒場に潜るや否や、大慌てでカウンターに縋りつく。 あまりの慌てっぷりにギルドガールは目を丸くしたが、慣れているのか、すぐに表情が営業用の微笑みに切り替わった。 「取り調べか面会待ちの方でしょうか。その方のお名前と、ハンターさんのお名前、ご関係を教えて頂けます?」 「や、あのっ、その、関係っていうか……あの娘と俺って他人は他人なんだけどな、そうっ! あとでまた、って約束してたんだ!」 完全にパニックを起こしているハンターを見上げて、ギルドガールは困ったように眉尻を下げる。その表情で我に返り、カシワは慌てて呼吸を整えた。 「俺は、カシワ。龍歴院所属で、今日無給奉仕から解放されたハンターだ。ここにベルナ村のノアって娘が来てるはずなんだけど、まだ中にいないか……」 「ああ、そういうことでしたら。カシワ様ですね、確認して参りますのでしばらくお待ち頂けます?」 「わっ、悪い、急に押しかけて……お願いするよ」 ぎこちなくも質問を整えたところ、少々お待ちください、と彼女は酒場の奥に入っていった。十秒も経たずに戻ってきた顔には、優しげな笑みが浮いている。 手渡されたのは一枚の地図だ。ドンドルマの市街地と、そこに赤色の線で飛行船乗り場までの道のりが描き込まれている。 「ベルナ村のノア=クライン様、ですね。先ほど事件の聴取が終わったそうで、一足先に別の職員より飛行船乗り場までご案内させて頂いたとのことです」 「えっ、入れ違いってことか!? そうか、そうだよな。ノアはアトリとは関係ないわけだしな……」 「カシワ様にも案内が必要だろうから、と斟酌のユカ様よりこちらを預かりました。現地までのガイドも、入り用でしょうか」 ぱっと顔を上げた先で、ギルドガールは真心からのものと思わしき、輝く笑みを向けてくれていた。 ……一連の、縹の狩人の捕縛劇。間近でそれを目の当たりにしたとき、カシワの目にユカの姿は、非常に勤勉な空恐ろしいギルドナイトとして映っていた。 イザベラにはああ言ったが、あの騎士のハンターズギルドにおいての評判はどうなのだろう、と微かに気になってしまったのも確かな話だ。 しかし、仕事やアトリ、特に密猟のことに関しては厳しい質を見せる一方、実際のユカ=リュデルはこういった気遣いを決して忘れない青年だった。 「あいつ、俺たちに気を回してる暇なんてないだろうに」。失笑を漏らして、後輩狩人は応じてくれたギルドガールに頭を振る。 「いや、いいんだ、大丈夫。この地図、俺でも分かりやすいしな。悪いんだけど、君からユカによろしく伝えてもらえないか」 「ええ、喜んで。闘技場地下施設でのお勤め、お疲れ様でした。道中、どうぞお気をつけて」 「ああ、ありがとう」 愛らしい笑顔に礼を告げてきびすを返した。地図を片手に大衆酒場を離れ、南方に位置する正面ゲートに足を向ける。 人混みに苦戦しながらツル植物に覆われたアーチをくぐると、発着場には街を訪れた観光客や各地の狩り場に向かうハンターが集まり、ごった返していた。 「――ノア! 悪い、待たせたか!?」 「あらっ、カシワさん?」 そんな中、探し人は一人ぽつんと看板の真下に置かれた木箱に腰掛けていた。刹那、彼女の姿がやけに目にはっきりと映り、カシワは一瞬言葉を詰まらせる。 慌てて駆け寄るも、ノアはいつものようにのんびりとした声色でこちらを仰ぎ見るばかりだった。 何の気もなしに手を伸ばし、掴み返されると同時に手を引いて立ち上がらせる。黒髪が揺れ、宙にいつもの洗髪剤の匂いが甘く弾けた。 「ごめんな、待たせて。俺の方の取り調べは手続きなんかもあって、結構時間がかかったんだ。待ち合わせ場所、決めといたらよかったな」 「いえ、こちらこそ探させてしまったみたいで……ごめんなさい、言付けを頼めたらよかったんですけど。忙しそうで、ギルドの方には声を掛けにくくて」 「仕方ないさ。忙しそうっていうのは本当みたいだからな。ずっとここで待っててくれたのか、悪かった」 「大丈夫です、わたしこそ貴重な体験ができたなって思ってるんですよ。ハンターズギルドの中に入ることなんて、まずないですから」 あの後、一番酒場側に近い取調室で簡単な聞き取りを受けてすぐに解放されたのだ、とノアは言う。 ドンドルマには通い慣れていても、ギルドの内部に入ったのは初めてだったらしく、雲羊鹿飼いはどこか興奮した面持ちで取り調べの概要を話して明かした。 普段は村で仕事に追われているのが、自分の知る彼女の姿だ。頬を紅潮させて楽しそうに目を輝かせる様子は初めて見る。 珍しいものを見られたなあ、と後輩狩人は知らず知らずのうちに顔を綻ばせていた。 「カシワさんも聴取が終わったんですよね。よかった、疑いが晴れて……これから村に帰るんですか。それとも、もうお仕事に?」 「うんっ? や、あー、どうしようか悩んでたんだ。クリノスとも合流した方がいいだろうし、かといってアルのことも気になるしな……」 「アルフォートくんならクリノスさんとポッケ村にいるはずですよ? 最新のリンクくんからのお手紙には、渓流で狩りをするって書いてありましたけど」 アルフォートの現在地についてはある程度予想していた。ユカから聞かされていたハンターランク上昇の件もある。 しかし、それ以前にあのご主人様大好きなリンクがノアにひっそりと手紙を出していたことに驚かされた。 皆の仲がいいことは察していたが、自分を抜きにクリノスたちや彼らオトモ、ノアらが交流を持つというのは……なんとなく、妬けてしまえる感覚がある。 「あいつ、最近ほんとにクリノスに似てきてるなあ。あいつにとって俺ってどんな扱いなんだ?」 「『ニャンターデビューを華麗にキメてカシワさんを驚かすニャ!』、だそうですよ。ふふっ、可愛いですよね」 「可愛い、ああ、それはそうだけどな。なあ、ノア。その渓流の狩り、実はもう達成したみたいなんだ。オトモより仕事してないってことだよな、俺……」 「……そ、そうだったんですか。オトモさんのお仕事は最後にはハンターさんの指導力と見なされますから。お、おめでとうございます?」 全然慰めになってないぞ、唸る黒髪黒瞳に、きっと彼なりにカシワさんのことを心配しているんですよ、雲羊鹿飼いは苦笑いを返した。 ふと軽快なエンジン音が鳴り響く。ぱっと振り向いたカシワとノアは、ベルナ村行きの飛行船の乗船手続きが始まっているのを見て、足元の荷を抱え直した。 「とりあえず、ベルナ村に帰るか。ノア、君のことも送り届けたいしな」 「わ、わたしは別に……でも、ありがとうございます。そうだ、村長にポッケ村行きの宛名を聞いてみましょうか」 「いいなあ、そうするか! ああ、そうだ。あとは闘技場の方にも……」 雲羊鹿飼いの荷物をさりげなく取り上げて肩に掛け、空いた手で色白の手を取り、二人揃って甲板に上がる。 手近な木箱に娘を座らせた後、後輩狩人自身は次第に遠のく賑わいの古都を見下ろして目を瞬かせた。 ……あの場所には、まだアトリやグレゴリー、そしてユカが残されている。たとえ捕縛という形であっても、ようやく彼らは再会の場と機会を得られたのだ。 あの日、収監施設で取り調べにあたった騎士の顔には苦しみと切なさが滲んでいた。だからこそ、余計な世話と分かっていても、彼らの今後を願ってしまう。 「そうだよな。好きだとか仲間だとか、そう簡単に割り切れるわけないんだよな」 「カシワさん?」 「なんでもない。ただ、ちょっとな……」 ノアにカップを差し出され、礼を言いながら茶を啜る。微かに花の香りがした。なんでもドンドルマの屋台でポットに詰め替えてもらったものであるらしい。 見下ろした中身は、あの闘技場地下施設で見つけた歴戦の泡孤竜の鱗に似た、淡い桜色をしていた。 あの涼しげな眼差しのように強くあれたなら。そうでなくても、同じ檻にいた夜鳥を庇うように佇む彼の姿はとても捕らわれの身とは思えなかった。 ……頭を振って、回想を切り離す。自分はハンターだ。相応しい仕事をこなして、少しでも見込んでくれた仲間たちに報いなければ。 (いつもと同じだ。俺に出来ることを、やっていかないとな) 山岳地帯が風に流れ、いくつかの刺々しい翼を持つ影が頭上を過る。あれは眼下の巣を守る火竜か、そのおこぼれ狙いの翼蛇竜と聞いていた。 数時間も経てばベルナ村だ。相棒と合流するにせよしないにせよ、仕事なら山ほど溜まっているはず……気を引き締めるように、カシワは表情を強張らせた。 |
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