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モンスターハンター カシワの書 上位編(28) BACK / TOP / NEXT |
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甲高い金属音と、氷片を削る硬質な響きが鳴る。火花を散らすように氷霜が弾け、眼前、迫りくる凶刃は濃紫の顎にしかと捕らわれていた。 「う、うぅっ。ううう……」 咄嗟に突き出した右腕の盾。片手剣を愛用するハンターであれば必ず「利き手側」に備える、小剣と対を成すもう一つの得物だ。 いつかの斬竜や毒怪鳥にも対峙した剣、タスクギア。なんの気もなしにしてきた習慣と、少しずつ磨かれてきた狩人としての本能が自分を守ってくれていた。 「……お、落ち着け。君みたいな綺麗な娘がこんなことしたら、家族の人が心配するんじゃないか」 腕を引き、相手の腕に負荷を掛けて主導権を奪い取る。出来るだけ刺激しないように声を掛け、結氷されつつあるナイフを女の細指から抜きとった。 途端にわあっと号泣して崩れ落ちるイザベラを見下ろして、カシワはどうしたものかとその場に立ち尽くした。 一応念のため、落としたナイフは遠くに蹴り飛ばしておく。こうしてほんの一瞬、僅かな時間、後輩狩人は背後に立つとあるハンターのことを失念していた。 「カシワ、……アトリ!!」 「カシワさんっ!」 「うおっ、ユカ、ノア? どうし……っ」 言葉は最後まで吐き出されない。どん、と背中に衝撃が走る。押されたと気づいたときには、カシワは目の前の銀朱の騎士めがけて倒れ込んでいた。 「うわっ、ユカ悪いっ……」 「どけ、お前はこっちだ!」 「どおっ!?」 「きゃ!? なっ、何するんですかユカさん!!」 受け止められはしたものの、次の瞬間には突き飛ばされている。あんまりだ。あまりにもムゴい。 たらい回しさながらに、今度は追従してきた雲羊鹿飼いへと押しやられた。ノアは抱き留めようと奮起したようだが、大の男が相手では踏ん張りようもない。 結局、二人揃って仲良くもつれこむように地面に倒れる羽目になってしまった。その間、ユカはちらともこちらを見なかった。 「おいユカ、お前なあ!」 「逃がすか!!」 「こちらのことなど眼中にない」。思わずノアと顔を見合わせて、彼女に手を貸しながら立ち上がる。 目と鼻の先で、黒色洋装は縹の狩人に殴りかかっていた。鋭い拳打が飛ぶが、アトリは血塗れの手で容易くガードしている。 「おいおい……コッチは怪我人だぞ、ちったぁ加減しろってーの」 「話す元気はあるんだな。なら問題ないだろう」 握り込まれたユカの手が、みしりと嫌な音を立てた。慌てて応援に駆けつけようとするカシワだが、その手を強く掴む者がいる。 振り向いた先で、雲羊鹿飼いは首を大きく左右に振っていた。その指先は震えている。 確かに、自分が割り込んだところでユカの邪魔にしかならないかもしれない。しかし……逡巡する本心を予想してか、ノアは後輩狩人の手を更に握り込んだ。 「カシワさん、カシワさん……怪我を、」 「え? あっ、いや、これはたぶんアトリの返り血で」 俯く娘の視線の先、狗竜装備の一部に鮮血が転写されていた。アトリを庇ったときに付着したもののようだが、ノアの目にはそうとは映らなかったらしい。 五指に縋りつく雲羊鹿飼いの手を、カシワは振りきることができなかった。宥めるように頭を撫でて、ひとまずこの場に踏み留まる。 「――ンごおッ!?」 そのときだ。鈍い大音と震動が宙を走り、二人は手を取り合ったまま勢いよく振り向いた。視線の先で、縹の狩人が半ば吹き飛ぶ形で腰を折る様を見る。 ぽかんと口を開けて固まるカシワの顎を、ノアが下から指でそっと押し上げて元の位置に戻してやった。 派手な音と共にアトリが地面に倒れ込む。足払いの構えを解く黒塗りの背中を見て、純粋な一騎打ちではユカの方が強いのだ、と後輩狩人は変に感心した。 「いっつ……ッて、テメ……ぎゃあっ!?」 「どうした。さっきまでの威勢の良さが嘘のようだぞ」 いつかの夜、龍歴院前庭園で対峙した剣呑な顔の騎士がいる。 手を伸ばし、背負われた鉄刀を掴んで重みを掛け、ようやく拿捕するのかと思いきや――ユカは屈んで男の腰を鷲掴みにした。 その瞬間、縹の狩人は空恐ろしいまでの絶叫を上げて悶絶する。よりによって、ユカはアトリを押さえつけたまま鮮血滲む傷口に五指をめり込ませていた。 「お、おい、ユカ……」 「って、こっ、このクソガキ……ううぅーっ!?」 「お前に連れ去られたモンスターの痛みはこんなものではないはずだ。それとも何か、『親友』なら絆されるとでも思ったか」 「うぐ……ンなのいつの話ッ、いっ、痛ェっつってんだろ!!」 「『親友』に夢を見すぎたな。お前なら、俺の本性くらいはとっくに見抜けていると思っていた」 傷を抉られ、毛皮素材があっという間に赤く染まる。叫喚する男を見ていられなくなったのか、ノアの手がカシワの腕を握り込んだ。 直視に堪えられない。空いている手のひらを添え返して、後輩狩人は密猟者と騎士の応酬を固唾を呑んで見守る。 人に好かれ、罪科を喰らい旧友を嘲笑う男。人を拒み、贖罪に溺れて復讐に燃えた男……どちらの言い分も生き様も、これまで間近なところで見てきたのだ。 ユカは、アトリがどれだけ罵ろうとも創傷を握る手を緩めなかった。片腕と膝、体重を駆使して拷問じみた拘束を継続している。 (ユカ……お前、知ってるか。お前がそういう冷たい言い方するときって、だいたいお前が弱ってるときなんだぞ) 「親友」。その言葉に、きっと嘘偽りはないのだ。 何故だか泣きそうな気持ちになって、カシワは傍に居る雲羊鹿飼いの体を引き寄せた。 ……やがて、けむり玉の効果が切れたのか街の喧噪が戻ってくる。駆けつけた数人の赤色洋装に促され、カシワたちはイザベラも含めて立ち上がった。 縹の狩人にはその場で応急処置が施された。顔馴染みなのか、銀朱の騎士は何人かに「やりすぎだ」、「お疲れ」、とすれ違いざまに一言ずつやられている。 失血量は多いものの、左右を挟まれる形でアトリは立ち上がらされた。文句を言う気力もないのか、ほとんど無言で後輩狩人ともども連れ出される。 「――クソガキめ。モンスターなんざ、人間のいいように狩られるやつのがほとんどじゃねーか」 最後の最後、ハンターズギルド支部に足を踏み入れたとき、男はぽつりとそう呟いた。 先を行くユカが振り向くことはなかったが、カシワの耳には、その独り言がいやにはっきりとした響きで残される。 酒場を模す拠点の賑わいが、言葉少ない狩人たちを出迎えた。いくつか不躾な視線が飛んでくるが、後輩狩人はまっすぐ前を向いたまま騎士たちの背に続く。 「誰もが懸命だった、ただそれだけだ」。恥ずべきことは、なにもない。 「ノア。またあとでな」 「カシワさん……っはい。また、あとで」 取調室代わりの小部屋に案内されたとき、気がつけばその場にユカとアトリの姿はなかった。 いよいよ、斟酌と縹の対決のときだ――ノート片手ににこやかに応対に出た見知らぬギルドナイトの前で腰を下ろし、カシワは独り、祈るように拳を握る。 ハンターズギルド、ドンドルマ支部。その地下に位置する、収監エリア。 この日、ある独房の一室で仏頂面と仏頂面が向き合っていた。机を挟み、いつかのグレゴリーと同じように縹の狩人の聴取に臨む。 ユカが席に着いた途端、男の片足がテーブルを蹴り飛ばした。無言で睨み返すも、アトリは「何かありました?」と言うように上を向いて口笛を吹いている。 「ずいぶんと行儀のよろしいことだな。怪我人なのではなかったか」 「こんなトコに押し込めといて怪我もクソもあるかよ。あー、気分悪ィ。酒か女でも用意しとけってーの」 入口付近で調書を取っていたローランが、眉間に皺を刻みながら物言いたげな視線を送ってくる。ユカは手をひらりと振って、手出し無用と念押しした。 「イザベラ=ラワティオとは男女関係にあったそうだな。お前は遊びのつもりだったんだろうが、向こうはお前に……」 「あ? なんでいきなりイザベラの話が出てくんだよ。オレとは関係ねーだろうが」 「刺殺しようとしたからな」 「はあ? あんなんで死ぬようなヤワな体してねぇってーの。ギルドの狗ちゃんはンな細けぇことも調べなきゃなんねーのかよ、あーあーご苦労なこった!」 声を荒げ、傷んだ椅子の背もたれにふんぞり返り、ろくに目を合わせようとしない。取り調べを受ける身とは思えない態度の悪さだ。 ローランは外で待機しているディエゴを呼ぼうとしたが、ユカは咳払い一つでそれを制止する。 素直に応じないことは予想していた。しかし、イザベラをはじめ、周りにいた飲み仲間や妓女らを巻き込むことを良しとしない性分であることも知っている。 ……これはそういう男だった。それなりに長いつきあいだったのだから、それくらいは知っている。 「ローラン。悪いが、少し席を外してくれ」 「ペッコ! でも……」 「他の聴取もとるんだろう? いいから、そっちに行ってやれ」 先に扉を開けてやると、ローランは何度もこちらを振り返りながら渋々といった体で出ていった。後ろ髪を引かれる思いとは、正に彼の反応のことだろう。 扉を閉め、閉ざされた個室の中でユカは一度ぐっと目を閉じた。静かな部屋には自分とアトリ、二人分の息遣いしか聞こえない。 いや、己の心臓の鼓動だけは耳元で聞こえてくるかのようだ。短く息を吐き、心を奮い立たせる。 「いいのかよ。ギルドのオトモダチがいないと怖いよー、つって泣いちまうんじゃねーの」 いま、振り向いた先には因縁の男が身構えているのだ。自分で片を付けると言った以上、自力で乗り越えるより他にない。 片足はテーブルの端に掛け、上体は反らし加減で、縹の狩人は余裕と自信に溢れた様子で銀朱の眼を睥睨した。 反論しないまま、黒色洋装は男の向かいに腰を下ろす。指で三角錐を作り、上体を前に乗り出し、視線だけは鋭く細めて真っ向から対峙した。 アトリが鼻で笑う。昔から、この男はどんな状況でも取り乱すことをしなかった。常に余裕があり、悪印象の笑いを浮かべては周囲を見下し続けていたのだ。 「イザベラ=ラワティオは傷害容疑で取り調べを受けている。痴情のもつれが原因とされるだろうが」 「あー? おいおい、もつれるモンなんざなんもねーっての。あいつが勝手に盛り上がっただけだろ? オレになんの関係が、」 「相手を本気にさせたのならお前の落ち度だろう。女遊びをするなら一般人、それも真っ当な性格をした働き者などを選ぶべきではなかった。しくじったな」 意図して感情を削ぎ落とした声色で指摘すれば、表情こそ頑なだが、燃えるような眼差しがこちらを見返してくる。 親交のあった当時から、この男のやり口は間近で見てきた。軽薄に相手を弄び、言葉巧みに翻弄しておきながら、自身の欲を通すことだけは絶対に譲らない。 「彼女には前科がつくかもしれん。お前の責だぞ、アトリ」 「……オレには関係ねーって言ってんだろ。しばらく会わねぇうちに耄碌したか?」 口でも狩猟技術でも勝てた試しはない。だからといって、ここで引き下がればお膳立てしてくれた面子に顔向けできない。 ユカは一度、目を閉ざした。 「他人を道具扱いしてきたツケだ。……調べてみたが、実家は近所では評判の洗浄屋だそうだな。今回の件がどれほど影響を及ぼすか、俺にも分からんぞ」 「はぁ、最近のギルドナイト様ってのはか弱い罪人を脅迫すんのがお仕事だってのか。世も末だぜ」 「全員とは言わんがハンターはギルドの方針に従う者がほとんどだ。ギルドが罪と見なした暁には、ラワティオ家は困窮することになるだろう」 「絞蛇竜亜種(ナガイモノ)には巻かれろってか? ばっかじゃねーの、オレの知ったことかよ」 執拗に責められてもなお、アトリの態度に変化は見られない。イザベラなど気にも留めていない、とばかりの強気の語気が宙を打つ。 しかし、他人をいいように利用しておきながら見捨てることも出来ないのがこのアトリ=テスタという男だった。 普段、この男は捨て駒と決めた相手を心身ともにボロボロになるまで酷使し、ギルドナイツに目をつけられた折には容易に見放す。 かといって、その仲間が処罰されそうになれば他の仲間伝に逃走経路を用意する手助けくらいはしてみせるのだ。その際も自分が手引きした痕跡は残さない。 「そうか。では、彼女の親が釈放金を払って破産しようと関わりないわけか。よかったな、お前のおかげで素材の洗浄に困るハンターも出てくるだろう」 「……あ? ンだと?」 「『知ったことではない』んだろう。なら、お前はここで素知らぬ顔で寛いでいればいいだろうが。大ばかが」 だからこそ、アトリの周りには常に「人」が絶えなかった。 グレゴリーしかり、細工師リラやあの後輩狩人でさえ縹の狩人の人柄を高く評価し、好ましい態度を見せている。 ……では、自分はどうなのだろう。養父母の厚意を拒み、村を出奔し、はてには周りを冷たく遠ざけ、旧友に腹いせ紛いの復讐をしようとしている自分は。 無謀を常とするカシワの方が、まだよっぽどまともであるような気がした。ユカはぎしりと歯噛みする。 「アトリ。お前、何故カシワを巻き込んだ」 黙り込んだ男の顔から感情が消え失せる。片眉を上げたアトリを前に、ユカは自分でも思いもよらないことを聞いてしまった、と内心で舌打った。 「他にはない素質でも見出したか。知識に乏しいから利用できると踏んだのか。仲間にするには向かない性格だろう……何を思ってあいつに接触したんだ」 「――ハッ! よぉ、クソガキ。お前こそ、カシワ殿に何かしらの感傷でも投影してるんじゃねーのか」 意識を回想から持ち上げる。縹の狩人が、先よりより強い力でテーブルを蹴りつけたからだ。 目が合うや否や、アトリは哄笑じみた顔で恐ろしく笑った。「ご立派な蒼火竜に似ている」と仲間内でさんざん持てはやされていた金の眼が、銀朱を睨める。 「おいよー、ユカ。取り調べの真っ最中に考えごとってのはどうかと思うぜ? オレのための貴重な時間なんだろ……傷つくわー」 「このままではアトリのペースだ」。そう分かっていても、ユカは席に着いたまま動けずにいた。 「要は足りない手駒、ギルドの狗ちゃん風に言や、人手ってヤツか。補充するにしたって使いやすそうなバカを選ぶのは普通の話だろ?」 「バカ、か……あながち間違ってはいないが」 「アッハ、カシワ殿も可哀相になぁ。こんなこと言われてるなんて知ったら、きっと泣くぜ! にしたってよ、お前も気づいてんだろ?」 「一応、聞いてやる。なんの話だ」 「しらばっくれんなよ。カシワ殿には狩りのセンスがあるってことだよ! 妙にモンスターに肩入れしてるが、そこは……どっかの誰かさんと同じだからな」 「どこかの誰かさん」。妙にその一点だけに力を込めて、縹の狩人は眼前の黒色洋装を値踏みするような目つきで見返してくる。 ここにいないカシワのことではない。誰の、いつの話をされているのか。身に覚えのあるユカは、握り込んだ拳を机上に叩きつけるのを辛うじて堪えた。 「……どこかの誰かさん、か。まるで、昔と同じことを繰り返そうとしているような言い草だな」 いつの日か、自分を陰で悪用しておきながら。 初恋相手ともども嘲笑い、目の前ではいいように宥めすかしておきながら。 大切な友人やその宝を踏みにじっておきながら――この男は、今度はあの黒髪黒瞳に同じことをしようとしている。 信じていた相手に裏切られ、哄笑されることの堪え難い痛み。それを、アトリは未だに理解していないというのだろうか……ユカは怒気混じりに吐き捨てた。 「舐めるな。カシワにはハンターとして申し分ない血が流れているんだ、お前に相手が務まるものか」 「はぁ? ンだと!? ……よぉ、言葉には気をつけた方がいいぜクソガキ。ここを出たオレがカシワ殿に何をするか、分かんねぇだろ」 「懲りないやつだな。忘れたか、あいつにはクリノスがついている。よほどのことがない限り、」 「あぁ、『クリノスちゃん』な。お前、あの娘を気に入ってるんだってなぁ!」 思いがけない名を出され、銀朱の騎士はたちまち凍りつく。目を見開き、意地の悪い笑みを浮かべる縹の狩人を銀朱にしかと写しとった。 「ばっかだな。お前は昔っから考えてることが顔に出るんだよ……そうか。お前、仕事中だってのを忘れるくらいクリノスちゃんが気になってんだなぁ」 痛みを理解して欲しいとは思わない。親友として少しでも軌道修正してやれたのなら、それだけでよかった。 ユカは、決してアトリという男を根から嫌悪しているわけではなかった。狩猟の腕が立つことも仲間に好かれていることも、この男の美点だと思っている。 しかし、ただ、それでも。その前提があったとしてもなお、猟団を崩壊させた後のユカ自身にも、決して譲れぬものが出来たのだ。 だからこそ、アトリの揺さぶりはてきめんにユカに効いた。意地だけでよろめきそうになるのをぎりぎり堪える。 「一目惚れだかなんだか知らねーけどよ、あからさまな弱点を晒しとくってのも……ばかの発想だと思うぜ。ユカ」 「どういう……意味だ」 「あの娘、生意気そうな面してるが『事に及んでる』ときの顔ったら堪んねぇぜ。双剣使いだからか身体も締まってるし、多少筋肉もついちゃぁいるが、」 「待て。アトリ、お前、なんの話をしてる。どういうことだ、まさか……」 眼前、縹の狩人は身を乗り出して銀朱の騎士に顔を近づけた。本来なら尋問を迫る側の方が声を震わせてしまっている。 予想だにしない返答はユカの心を打ち砕くのに十分すぎる威力を持っていた。見透かしてか、アトリは半ば恍惚とした表情で「ありもしない情事」を騙る。 ……はじめに取りかかるべきは、「流れ」をこちら側に向けてやることだ。 我が身を後回しにしてでも仲間を重んじるユカのこと、懇意にしている相手の名を出せばこの青年はすぐに動じるだろうと踏んでいた。 引きつけてしまえば、そこからは先はあまりにも容易い。一度でもペースを掴んでやれば――昔からのつきあいだ。相手の思考など手に取るように分かる。 「お前も『いい歳』なんだろ? 皆まで言わせんなよ、ちったぁ汲んでくれや」 目の前の旧友は、いつの日か、誰にも知られぬよう大切に見守ってきた竜の巣を猟団に暴かれたときと同じ顔をしていた。 絶望、失意、次いで憤怒と悔恨。どれほど怒り悔やんだところで事が果たされたことに変わりはない。 自分は守れなかった――騎士としてハンターとして、また一人の男として。その傷がいかほどのものなのか、自分は知らない。 知りたいとも思わない。とはいえ、ユカがどれほど繊細で仲間思いの性格をしているか、アトリは重々把握している。 「……! バカなことを。あいつにはそんなことをしている暇など、」 「なかった、ってのはお前の主観だろ。クリノスちゃんだって立派な大人だぜ? 『余所の男と一緒に寝る』ことくらい普通にあり得るだろ」 「あいつは警戒心が強いんだ。適当なことを抜かすな」 「信じる信じないはお前の勝手だがなー。クリノスちゃんとオレが同じ時間を過ごしたってのは、マジな話だぜ。あんとき、確かに一緒にいたんだからよ」 だからこそ、ユカの動揺はアトリにとって幸運と言えた。 ハンターズギルドに職を移してなお、この青年の性根は変わっていない。それどころか、より清廉さに磨きがかかったように見える。 (ばっかじゃねーの? 冷静に考えりゃ、オレが一度も『クリノスちゃんとヤッた』なんて言ってねーって分かるだろうが) 一度でも口にしたことはなかったが、カシワという後輩狩人とこの青年は本当によく似ていた。御しやすく、愚かで、しかし年下ながら感心できる点もある。 生きるか死ぬか、ひたすら遁走の日々に身を置く自分の手駒として……否、身近に置ける信の置ける相手として実に申し分ない。 当人たちは否定するだろうが、周りに好まれ、また恵まれている様は、さながら「黒い龍」にまつわる伝説に登場するとびきりの狩人のようだ。 この世界における最高峰の狩り人、「モンスターハンター」。そんな称号を与えられたところで、ユカは謙遜し、カシワは戸惑うかもしれない。しかし―― 「イイ女に遠慮するなんざ、男の名折れだぜ。ユカ、なんなら次はお前も混ぜてやろうか」 ――紛れもない本心は、喉奥に押しやっておいた。話したところで、青ざめた顔の騎士がそれを信じるとは思えない。 「お前、あいつに手を出したのか……この……何をっ、何を考えてる!!」 ドガン、と拳がテーブルに叩きつけられる。激昂するギルドナイトを、縹の狩人はただ静かに見返した。 「何ってナニだろ。なんだ、お前まだ手ぇつけてなかったのか。そりゃぁ可愛かったぜ? 寝顔なんかいかにも『満足しました』って感じでよ」 「……!」 「そういや、気持ちいい、って連呼もしてたっけなぁ。女ってのは分かんねぇ生き物だよな、ユカ。いつも周りに見せてる顔が全てとは限らねーんだからよ」 ……本当に、端からありもしない話ではあった。へらへらと笑い返しながら、アトリは徹底してユカを挑発する。 この場合、クリノスが自分と「寝た」というのは「ベルナ村で劇毒を浴びせられた直後に村娘の家で療養させられた」話に他ならなかった。 同じ空間、同じ時間帯で休眠をとったこと自体は真実だ。ただ一つ、寝具を共有していないことを伏せただけ。 彼女の肢体が得物を繰るためにしっかりと鍛え上げられていることも、自由時間に素材磨きをしながら年相応に愛らしく顔を綻ばせることもまた事実だ。 満足げな寝顔などは、ムーファの毛織物を敷いた最高級のソファを最愛のオトモと占領したから浮かんだもので、何も自分が性的に手を出したわけではない。 「嘘偽りは述べていない」。だというのに、あの日、あのときと同じように、ユカは頭に血を上らせている。 (お前もオレとおんなじだよ。昔っから、何一つ変わっちゃいねぇ) 青年の手が腰に回され、黒塗りの剣の柄を掴んだ――挑発は思った以上によく効いてくれたようだ。あとはそのまま、得物を抜かせてやればいい。 「おいよー、どうした? また昔みてぇに、気に入らねー奴の口を封じようってか!」 「黙れ……この外道が。お前にクリノスの価値が分かるものか」 「おーおー、怖ェ。んな顔カシワ殿には見せらんねーだろ。アー、人殺しだって話はしてたんだったな……抜けよ、ユカ。一人増やしたところで今更だろ」 「何故だ……どうしてこんなことをする。お前こそ、一体なにがしたいんだ。アトリ」 ユカ=リュデルがギルドナイツに就いたと聞かされて以降、アトリにはずっと考えていたことがあった。 つまりは、あれだけの才能と他人を惹きつける力、稀有で誇らしいものを、ハンターズギルドなどに預けておくのは惜しいのではないか、ということだ。 「なにがって? お前から愛しのクリノスちゃんをどう盗ってやるか、に決まってんだろ。経験の乏しいお嬢様だ、いつまで快楽に耐えられるか見物だぜ」 そもそも、好ましいもの、居心地のいいものこそ、それを正しく使いこなせる人間の傍に置くべきなのだ。そうでなければせっかくの素質が腐ってしまう。 第一、かつてはそうして共に行動していた仲なのだから、そう思うのも自然な流れとしか思えなかった。 全ては、自分の支配圏から逃れようとしたユカとギルドの傲慢さが招いたことだ。多少コケにされるくらいは自業自得だ、そうして縹の狩人は嘲笑う。 (このオレが、アトリ=テスタ様が『お気に入りの道具』を取り返そうとして何が悪いってんだよ。舐めやがって) 猟団の襲撃に続き、失態に次ぐ失態を重ねれば、いかに優れたギルドナイトであろうと――よくて謹慎、悪くて資格剥奪くらいは下されることだろう。 そうなれば目的は果たしたも同然だ。あとは路頭に迷ったユカを拾い、もののついでにカシワやクリノスらと合流してやればいい。 薄暗い部屋の中、眼前の騎士はいよいよ見知った得物を引き抜いた。暗がりを喰らうように迅竜素材の音が鳴る。 逸る気も抑えきれず、アトリは前に手を伸ばした。乾いた血がこびりついた己が手は、薄闇の中にそのまま溶けていきそうな錯覚を見させてくれる。 |
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