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モンスターハンター カシワの書 上位編(27) BACK / TOP / NEXT |
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「ちょお待てってー。どこ行くんだよ、カシワ殿!」 その笑みを見た直後、カシワは返事も待たずに逃げ出そうとした。しかし男に二の腕を鷲掴みにされ、遁走はあっけなく阻止される。 振り返った先で金の瞳が笑っていた。この狩人が馴染みの騎士とやり合っていたのを目にしていた後輩狩人は、なんとか振りほどこうとして肩を強張らせる。 「アトリ! お前なあ、今までどこに行ってたんだ!? 怪我はどうしたんだよ!?」 「おいおい、そんな怒んなよー。こう見えてオレだって色々大変だったんだぜ? あんときの怪我か、なら心配すんなって。ちょっとイイトコ知って……」 「誰が心配したなんて言ったんだよっ、お前がユカの話ろくに聞かないから怪我する羽目になったんだろ!? 離せって!」 暴れたところで解放してもらえるはずもない。露天商を盗み見れば、厄介ごとは御免だ、と言うように店じまいを始めている始末だった。 視線を感じて周りを見れば、近場の商店の店員に通りすがりのハンター、買い出しに出てきたお手伝いアイルーと、好奇の人だかりができかけている。 これは、どうもマズい――どうするか考えているうちに、抵抗しようとする力は緩みきっていたらしい。黒髪を見下ろしていたアトリの片眉がつり上がった。 「どしたー、カシワ殿。オレの話聞く気になったのかよ?」 「お前の話? お前なあっ、俺と話したって何になるんだよ! お前が話し合いしなきゃいけない相手は他に……」 ようやく、やっとのことで無遠慮な手を振り払う。体格差といいハンター歴といい、単純な腕力ではこの男には敵わない。 痛む二の腕を軽くさすって、カシワは裏路地から通りに戻ろうとした。すかさず背後からアトリが腕を伸ばし、さりげなく逃げようとしたところを制止する。 「なっ、なんだよ、どこに連れてく気だ!?」 「まあまあ、カシワ殿。オレの怪我をあっという間に治した奇跡の場所! 興味ねぇワケじゃねーだろー?」 「奇跡の場所? なんだそれ、名医ってことか。なあ、聞いてるのか、アトリ」 引きずられるまま、誘導されるがままに、後輩狩人はドンドルマの街中を突き進む。 道すがら、アトリの姿を見つけるや否や気さくに声をかけてくる商人や店員、孤児と思わしき子供の多さが目についた。応じる男の顔にも笑みが浮いている。 見上げた先で揺れる青緑の髪色が、この街で畏敬の念を集める竜の別種と似た色彩であることをカシワは知らない。 縹の髪のハンターと、銀朱の髪の騎士。似ても似つかぬ性格の二人だが、なんとなく、根っこの部分は同類じみているのではないかと思えた。 「なんだ、ここ……立ち飲み屋が多いのか」 上機嫌なアトリに連れられて緩やかな坂を下る。次第に周囲に喧騒と酒気が混ざり始めた。昼下がりだというのに赤ら顔のまま道端に転がっている者もいる。 酔っ払いの笑い声にグラスを合わせる音、くつくつと煮える鍋の匂いに、提灯オバケムシによく似た照明具に入れられた雷光虫の灯り。 多くの店が軒を連ねているが、安物の板を張らせた軒下はどれもこじんまりとしていて、路上には屋台さえあった。どう見ても地元民向けの角打ちの場だ。 飯時ではあるものの、腹に溜まるものを出してもらえるようには見えない。ちらちらとこちらを見る客や店員の眼差しは怪訝な色に染まっている。 ……上位に昇格したとはいえ、自分は経歴上まだまだ新米の部類だ。思わず立ち止まった矢先、振り向く金瞳と視線が重なった。 「カシワ殿は酒、イケるくちかー? どうせだし呑みながらダベろうぜ」 「いやいやいや、おかしいだろなんでだよ? 俺はこんなことしてる場合じゃ……」 「おっ、見てみなカシワ殿。あいつらがオレの怪我を看た連中だ。よぉ、お前らも来いよー!」 強引に肩を組まれ、同行を強制される。なんとか踏ん張ろうとしたカシワだが、視界を掠めた華々しい色に顔を跳ね上げさせた。 「あらぁ、アトリ。もう肩の調子は大丈夫なの? さすがハンター、体だけは丈夫ねぇ」 「やだ、新しいお弟子さん? カワイイ顔してるじゃない」 自分はこの場に相応しくない、それは分かる。しかし、現れた女性たちもまた、この立ち飲み屋周りには似つかわしくなかった。 紅や桃、赤紫といった艶色に、強い花の香。太ももを露わにする者、肩だけでなく脇まで覗かせる者、胸元を大きく開けた服と、その装いはとにかく目立つ。 私見だがとても気楽な飲みに出てこられるような顔ぶれには見えない。アトリを盗み見ると、男はたちの悪い悪戯を思いついたように口端をつり上げていた。 「おーおー、言ってくれんじゃねーの。聞けよ、こいつはカシワ殿。今注目の龍歴院つきのハンター様だ、まぁ、よろしくやってくれや」 「へえ! 龍歴院ってここ最近の注目拠点じゃないの。ギルドにも顔が利くんでしょ? すごいじゃなあい」 「ほんと可愛い顔してるわねー。わたし、アトリよりこっちの子の方が好みだわー」 「いやあのちょっ……」 「やだぁ、顔真っ赤! おんなのひとに慣れてないの? カワイ~!」 なにがなんだかわけが分からない――カシワはただ目を白黒させる。 人数はたった三、四人ほどだが、どの女もそれぞれ違った美しさと気品があり、非常に魅惑的な存在だった。 一斉に囲まれた後輩狩人は、アトリの満足げな笑みに気づけないまま頭を撫でられ、肩や腕を撫で回され、頬に頬をくっつけられ……以下割愛。 はっと我に返ると同時、入り乱れる香水の香を振りきるようにして駆け出した。あれはどう見ても妓女というやつだ、縹の狩人の性格からして間違いない。 「おわああああっ、なっ、何がどうなって……!」 アトリは遊び慣れているのかもしれないが、カシワにとっては今の今まで縁のなかった人種である。囲まれただけでこのザマだ。 胸を押さえ、熱くなった顔を手で仰ぎ、のろのろと負け犬になった心地で坂を上る。半ばほどまで来たところで角打ちの一角に振り向いた。 あの男はユカに負わされた怪我を治療してもらったと話していたはずだ。彼女たちには調合の心得か、医師や薬師の伝手でもあったのだろうか……。 (だからって、あんな風に構えられてたら戻るに戻れないだろ。いや、彼女たちが嫌いとか苦手とかそういうんじゃ……って、なに言い訳してるんだ俺!?) 口ぶりからして、彼女らはアトリと長いつきあいなのだろう。治療してもらったということなら出資なり何なりしてくれたのかもしれない。 ユカが投げたナイフに塗られた毒のことを把握すらしていない後輩狩人には、縹の狩人の目的が全く見えなかった。その場で一人、ウーン、と唸るしかない。 「それにしてもアトリのやつ、ユカに怒鳴られても全然気にしてなかったよなあ。あいつら、本当に狩り友だったのか?」 ウーンと二度唸ったところで、狩人と騎士の間柄が見えてくるはずもない。 片方は相手を人殺しだと言い、もう片方は黙秘を貫く。そんな応酬を見せられたところで、自分が先に親しく――少しくらいだが――なったのはユカの方だ。 二人の間に何があったにせよ、ユカが口を割らない限り下手に仲裁もできない……嘆息混じりに歩き出したカシワは、背後から迫る足音に気づくのが遅れた。 「……つーかまーえたっ! どこ行くの、龍歴院のハンターさん?」 「へっ? って、うおっ、ななななっなに……」 「おーい、カシワ殿ー。なんで先に行っちまうんだよ。オレとの飲みの約束はどしたァ?」 案の定、追ってきたアトリと男が呼んだと思わしき妓女らである。たわわな果実を背に押しつけられて、カシワは顔にカッと熱を上らせた。 「だっ、だから俺は、そういうのは!?」 「あらぁ、初々しいー。アトリにもこんなときがあったのかしらー?」 「ハハッ、ンなワケねーだろ! つーかカシワ殿、ドンドルマには色んな店があるんだぜ。ちったぁ慣れておかねーと、遊び歩くのに不便すんじゃねーの」 誰がこんな遊びするかあ、そう怒鳴ろうにも四方を囲まれてはどうしようもない。あの、ちょっと、と乱暴にならないように苦心しつつ女たちを押しのける。 残念そうな声が上がったが、それとて商売の一環かもしれないのだ。頭を振り、カシワはできるだけ冷静であろうとした。 頭をフル回転させて考える。アトリはユカが追う密猟関係者で、密猟とはギルドが警戒する犯罪で、自分はそれに加担して……ウーンと唸ったところで―― 「――あら? カシワさん?」 坂のてっぺんから、聞き覚えのある声がかけられた。振り向いた瞬間、後輩狩人は自分の顔からサッと血の気が引くのを知覚する。 「そんなところで、どうしたんですか。なにか揉めごとでも?」 ニコリといつも以上に可憐な顔で微笑むのは、黒髪黒瞳、自分やクリノスよりも背の低い……つまり見知った容姿の娘だった。 その笑顔に、佇まいに、何故か恐怖を感じた。絞蛇竜に睨まれた鬼蛙のように、カシワはどうしてか体を硬直させる。 「の……ノア。なんで、ここに」 「なんで、って……足りない調味料を買いに来たのと、織物のことでお世話になっている商人さんにご挨拶に。飛行船代は父が出してくれましたから」 「それでカシワさんは仕事もせずにそこで何を?」、「綺麗なお姉様方と大人の遊びですか」。ニーッコリと笑うノアの目は、決して笑っていなかった。 なんだかとんでもなく悪いことをやらかしたような心地に陥った後輩狩人は、責任転嫁、もとい状況説明を頼むべく縹の狩人に振り返る。 振り向いた先で、アトリはニヤニヤと心底意地の悪い笑顔を浮かべていた。たぶんコレは駄目だ。 「ごっ、誤解だ、ノア! 俺はそんなつもりじゃあ、」 「なにが誤解なんですか。どーぞどーぞお気遣いなく」 「し、してるだろ思いっきり誤解してるだろ!? ちょ、ちょっと待ってくれ! アトリ、お前もなんとか言えよ!?」 「アー、カシワ殿ォ。仕事ほったらかし好きな子ほったらかしで大人の遊びとは、感心しねーなー……やるじゃねーの」 「だから違っ……うおおおおノア! 待ってくれ!!」 まさかこんなところで、無給奉仕の最中に再会することになろうとは。防具の表面をこすったところで、移ってしまった化粧や香りが落ちるわけもない。 よろめきながら慌てて追いかけ、紙袋を持たない左手を取った瞬間。カシワは、ぱっと振り向いた黒瞳が潤んでいるのを見て面食らった。 「ノア。君は、なんで……」 「今までっ……どこに行っていたんですか。クリノスさんが龍歴院に確認を取っても、消息不明だって言われるばかりで……!」 思わず息を呑む。そっぽを向いた娘の細い肩は、小さく震えていた。 自分は、相棒に連絡しそびれていたことばかり気にしていた。まさかノアが、彼女がここまで自分たちを気に掛けてくれていたとは思わなかった。 「や、その、わ……悪かった。あ、あのな? 実は俺、」 「お父さんもカシワさんがどうしてるか知らないって言うし、お医者様も……また、オストガロアのときみたいに何かあったんじゃないかって、わたし……」 「ううっ。ノア、ちょっと落ち着い……」 「わたしは十分落ち着いてますっ! これから飛行船に乗って、ベルナに帰るんですから!」 「ノア。君、もしかして俺のこと……心配、してくれてたのか」 「してませんっ、してないです! どうしてわたしがそんなっ……それにカシワさんに何かあっても、村にいるだけのわたしじゃ何も――」 言葉にし難い感情が湧いて出る。たまらず、むしろほとんど無意識に、後輩狩人は雲羊鹿飼いの背中に腕を回していた。 抱き留めた瞬間、線の細さに驚かされる。ノアは体を強張らせ、苦しそうに呻いて身をよじらせたが、カシワは彼女を開放する気になれなかった。 包み込むように力を込めると、抵抗していたはずの手が両腕を掴み返してくる。背後からアトリの口笛や女たちの歓声が聞こえたが、聞こえないふりをした。 「悪かった、ごめんな。俺ならちゃんと、大丈夫だから」 「……何に謝ってるんですか。わたしは別に、」 「いいんだ。俺の独り言だから」 いつの日か、丸洗いされたときと同じ匂いが鼻をくすぐった。肩に顔面を預けるようにしてもたれかかると、ノアは重いです、と小さく身じろぎする。 「カシワさん。もう一回聞きますけど、こんなところで何してるんですか。クリノスさん、呆れちゃってましたよ」 「あー、だよな……俺、あいつに連絡全然してなかったから」 「もうっ、な、何やってるんですか! こんなことしてる場合じゃないじゃないですか!!」 ばたばたと腕の中で派手に暴れられた。今度こそは、おとなしく解放した方がいいだろう。 自然とにじみ出る後輩狩人の苦笑いを睨み返しつつも、雲羊鹿飼いはその場から離れようとはしなかった。その反応にほっと安堵して、カシワは頭を振る。 ……ぱらぱら、と乾いた拍手が響いたのはそのときだった。我に返った二人は、パチンと柏手を打つアトリの嘲笑じみた顔を見て硬直する。 ただでさえ凶悪な人相が、より嗜虐に深まったように見えた。ほとんど無意識にノアの前に出て、カシワは縹の狩人と対峙する。 「イイねぇ、カシワ殿。思い人と両想い、ってか。青春してんじゃねーの」 「なんの話だよ、アトリ……お前こそ、どういうつもりなんだ? なんで俺をこんなところに連れてきたんだ」 「だから、今まで何してたかっつーカシワ殿の質問への御返事だろ? ユカの野郎が毒まで使いやがったから、復帰するまで時間がかかっちまったんだよ」 背後から、ノアが防具を握りしめてくる感触が走った。縹の狩人の姿を見た彼女の顔が、何故か僅かに青ざめている。 「毒? ユカが? なに言ってるんだ、そんなことあるわけ……」 「言ったろ、カシワ殿。あいつは血も涙もねぇギルドの狗なんだよ。仲間なんざ、便利な道具としか見ちゃいねーんだ。だから平気で傷つけられるんだよ」 「それは、お前が!」 「オレが密猟にちょっかいかけてたのと、ユカが仲間を裏切る冷血漢だってのは別の話だろ? カシワ殿もクリノスちゃんも、いつ捨てられるモンかねぇ」 いつかの逃走劇の果て、かつてユカと自分の前でそうしたように、アトリは大仰に腕を広げて空を仰いだ。 言葉をなくした後輩狩人めがけて、男は楽しげに、また皮肉るような嘲りの色を浮かべ冷笑する。 「人間、生まれてから死ぬまで孤独なモンだぜ。ユカのお仲間なんざやめとけよ、オレと来た方がよっぽど面白おかしく遊べるぜ」 「!? アトリ、お前……!」 「なァに、龍歴院つきは辞めなくたって構わねーんだ。オレだって龍歴院つきハンターだしな。だがみすみすギルドの言いなりになる必要はねーだろうよ」 「……本気で、言ってるのか。俺は、お前は、ハンターだろ? 遊びで狩りなんか、出来るわけが」 「そうか? 森丘のゲリョスにイャンクック、オレたちの相手じゃなかったろ。カシワ殿も今や龍歴院の注目株だ、やろうと思えばなんだって出来るだろ」 縹の狩人の言い分が分からない。純粋に混乱して、カシワはその場で硬直した。 どう応えるべきか、まるで理解が追いつかない。自分はこれまで、ハンターズギルドにいいように使われているとは思ってもいなかったからだ。 確かに、クリノスの言葉の端々からは「難易度の高いクエストばかり回されている」といった文句が読み取れていた。しかし結局は自分の修練に通じている。 ましてや、対峙してきたモンスターから学べたことも多くあったのだ。感謝こそすれ、恨んだり、煩わしく感じることなどあるはずがない。 「どうよ、カシワ殿。案外悪くねー話だと思うがなァ。オレと一緒に、」 「……て」 「うんっ? の、ノア……?」 「……て、どうして……密猟なんてっ、そんな勝手なこと! さっきから自分のことばっかりっ、カシワさんの話なんて聞く気もないんじゃないですか!」 男たちは面食らって二の句を飲み合った。カシワが言い返すより先に、何故かノアの掠れた声が空を打つ。 切実な声が矢継ぎ早に放たれ、狗竜の上皮を握る手により一層力が込められた。しがみついてくる雲羊鹿飼いは、青ざめた顔に怒気を乗せて怒り散らす。 「なんだか苦手なひとだなと思ったら……密猟……密猟だなんて……」 「ノア、どうしたんだ!? 落ち着け!」 「落ち着く? どうしてですか、『密猟なんてする人間』など――逆に、狩られてしまえばいいのでしょうに」 アトリが怪訝そうな顔をするのと、カシワが自省に駆られるのはほぼ同時。視線の先で、ノアは暗がりに沈むような、怨み辛みを滲ませた声で呻いていた。 ……様子が、おかしい。今は自分の現状を明かしている場合ではない。反射的に娘の肩を両手で押さえ、後輩狩人は黒瞳に向き直った。 見上げてくる瞳孔が、陽光を映して刹那の金色に染まる。見知らぬ怪異を目の当たりにしたような気になるも、カシワはぐっとその場に踏み留まった。 「ノア、それは違うだろ? 生き物を相手にしてる君が、そんなこと口にするなよ」 肩を掴む手に力を込める。視線がしっかりと重なった瞬間、ノアは縋るような、哀しげな顔をした。 「俺は、君がムーファを大事にしてるのを見るのが好きなんだ。君が笑っているのがいいって、そう思ってる。……それじゃ、駄目か」 「……カシワ、さん?」 「うん、うん。な、大丈夫だ。俺は『そっち側』に行かないし、クリノスだってきっとそうだ。大丈夫だから」 何故かは分からない。しかし、今は彼女を黙って見守るべきだと強く感じた。 力なくもたれかかってきたノアを抱き留めて、腕の中で呼吸のリズムが落ち着くのを待つ。 てっきり泣き出したのかと思っていたが、娘は怒気を逃がすように浅い呼吸を繰り返すだけで、崩れ落ちることもせず二本足できちんとその場に立っていた。 一息ついたところでなんとなしに振り返ると、縹の狩人の金瞳と目が合う。すっかり呆れきった顔でたっぷりと溜め息を吐かれ、カシワは眉間に力を込めた。 「つまんねーなー。このオレが直々に仲間に誘ってやってるっつーのに、フラれるとはな。あーあ、傷つくわァ」 「アトリ……そう言うけどな、お前、実はそんなに傷ついたりしてないんじゃないか」 「おぉ? オレの身にでもなったつもりかよ。金儲けのなんたるかを知らねぇ女の方が大事とは、出世できねぇぜ? カシワ殿。無理に誘いもしねーけどよ」 二人の世界に浸られちゃあな、へらりと軽薄に笑う男の真意がどこにあるのか、後輩狩人にはいまいち分からない。 どう答えたものか……悩む最中、そっとノアの姿を見下ろしてみる。彼女はしかとこちらにしがみついたまま、変わらず固く目を閉じて沈黙を貫いていた。 情けない話だが、これ以上どうしてやるべきか見当もつかない。とりあえず腕に力を加えてみる。抵抗されずに胸に頭を預けられ、カシワは目を白黒させた。 柔らかい、いい匂い――否。彼女が密猟を毛嫌いしていることは理解できたが、アトリに向ける嫌悪の情はそれだけが理由ではないような気がする。 できれば、これ以上彼女を男に近づけないようにしておかなければ……後輩狩人の中に、一人の男としての矜持が燃えつつあった。 「アトリ。お前、前にどこかでノアと会ったのか。確か、クリノスとは話をしたことがあるんだよな?」 まずは、と会話の糸口を見つけようと試みる。このとき、カシワは背後に歩み寄る人影にも、向き合う男の表情の微妙な変化にも気づけなかった。 「俺がグレゴリーと旧砂漠に行く前に……ほら、クリノスに話をつけてくるって、お前自分でそう言ってただろ――」 「――そして、それを真に受けて騙されたというわけか。人が好いにもほどがあるぞ、カシワ」 冷徹な声は遠慮なしに投げかけられる。気配を察することさえできなかった黒髪黒瞳は、びくりと派手に肩を跳ね上げさせた。 腕の中でノアが身じろぎする気配がして、慌てて力を緩める。いつの間にか横に並んでいた銀朱の騎士は、カシワの横顔を一瞥してから正面に視線を投げた。 「生きていたか。なによりだ、アトリ」 「きゃあっ、やだぁー! 怖いギルドナイトよ!?」 「斟酌よ、し、ん、しゃ、く! あたし、あの子おっかなくて苦手なのにぃ」 「……五秒やる。散れ、巻き込まれたくなければな」 ユカの声にアトリは応えない。するとどうだ、二人の間に立つように、様子見をしていた妓女たちが突如一斉に非難の声を上げ始めた。 キンキンと響く声にカシワとノアは身を縮こまらせたが、ユカは叫声を二、三言で一蹴する。見事、女たちをあっという間に眼前から追い払ってみせたのだ。 ……慣れていると、そう思う。この黒色洋装がハンターズギルドつきの騎士であることを改めて認識して、後輩狩人は息を呑んだ。 「ユカ。お前、いつの間に」 「こうまで騒がしければ噂にもなる。普段、ここらには静かに飲み食いする人間しか集まらないんでな」 「……ユカさん」 「……何故ここに、と言いたいところだが話は後だ。カシワ、そいつはお前が守っていろ」 縹と銀朱、蛮族と騎士、密猟者とギルドナイト。かつての親友同士が再び真正面から対面する。 カシワは、言われた通りにノアを庇いながら固唾を呑んで二人の様子を窺った。ひりつく空気が走り、心臓の音一つさえ、耳元で聞き取れるような気がする。 「チッ。なんだ、お前こそ生きてたのかよ。オレはてっきり、今頃過労死してるかクリノスちゃんにシメられてんのかと思ってたってのによ」 「お前が気安くその名を口にするな。あれは龍歴院のお抱えだ、『マリー』と同一視していると手痛い目に遭うぞ」 「マリー」。その名が明かされたとき、アトリの顔から表情という表情がこそぎ落とされたように見えた。 剣呑な薄い口元がごく僅かに舌打ちして、黒髪黒瞳は胸元に収めた娘ともども肩を跳ねさせる。 一方で、禁句と思わしき名を吐いたユカ自身は険しい表情こそそのままに、目の前の縹の狩人から一向に視線を逸らさずにいた。 マリー……その人物が何者であるのか、カシワは知らない。しかし、二人の男がその名を起点とした因縁に縛られていることだけは、辛うじて理解できた。 「ハッ、よく言うぜ。同一視してんのはお前の方なんじゃねーのか、ユカ」 明確な嘲りを含んだ失笑が、銀朱の騎士を睨めつける。途端に、ユカは指先を跳ねさせて口を結んでしまった。 これは、なんとなくマズいような――ちらと騎士の顔を盗み見た後輩狩人は、男の銀朱の眼差しが酷く揺れているのを見て動揺する。 これまでの応酬は、ことマリーという人物名は、ユカにとって諸刃の剣ではないのだろうか。ノアを抱く力を緩めて、無意識に手を前に伸ばしていた。 「おい、ユカ。しっかりしろよ」 「っ! なに、を」 「お前、自覚ないのか。顔真っ青だぞ? アトリはお前が捕まえるんじゃなかったのか」 雄火竜の色と同じ目が黒瞳を写し取る。その瞬間、不安定に揺らいでいた眼光にしかと強い光が灯されるのをカシワは見た。 腕が容易く振り払われ、逸らされた視線が正面を鋭く射抜く。真っ向から受け止めることになった縹の狩人は、面白くない、と言いたげに顔を歪めていた。 「つまんねー……つまんねーんだよ、お前ら。何がハンターズギルドだ、狩人の矜持だっつーんだよ」 それは紛れもなく、アトリの本心であるように聞こえた。 「アトリ。いい加減、お前も俺もいい歳だ。終わらせるなら頃合いだろう」 「ばっか言うなよ、オレはまだまだこれからだってーの! お前みてーに枯れてる男と一緒にすんなや」 「おっ、女の人にモテることが全てだと思ったら大間違いですよ、アトリさん!」 「……喧しいわ。お前みてぇなつまんねー田舎娘、せいぜい平々凡々思考のカシワ殿にイイコイイコされてりゃいーんだよ」 じりじりと距離を詰める騎士と、逃げ出す隙をうかがう縹の狩人。合間に雲羊鹿飼いの気を逸らそうとする苦言が混ざるが、男は鼻で笑うだけだった。 どうするべきか、黒髪黒瞳も逡巡する。かつての仲間であったグレゴリーに協力を頼むほどだ、ユカとしては今度こそアトリを捕まえたいと思っているはず。 「仲間の力になりたい」、「しかし邪魔になりたくない」。ならば、今の自分に出来ることとはなんなのだろう……。 「ユカ! 俺が隙を作るから、その間にお前が!」 「おい、カシワ……」 「ばっかじゃねーの? そんな見え見えのに、このオレが引っかかるかよ!」 せめて、チャンスを作る手助けくらいなら。カシワはノアに目配せして彼女を手放すと、駆け出して、一気に距離を詰めようとした。 手を伸ばし、捕らえようとするも腕は空振る。嘲りの顔を浮かべて軽々と跳躍し、アトリは後退しながら慣れたように角打ちの中に霞隠れしようとした。 男の手に握られた手投げ玉が近場の屋台の鉄骨をなぞり、摩擦で瞬時に火が点けられる。 溢れる煙が視界を白く塗り替え、そこかしこから動揺の悲鳴が上がった。けむり玉だ、ユカが叫ぶのと同時、カシワはなおもアトリに追い縋ろうとした。 「――、……アトリ!!」 そのとき、聞き覚えのない女の声がした。真っ白い視界の中、何者かが言い争う気配がして、次いで耳に不快な音が突き刺さる。 ただごとではなさそうだ――手で白煙を払いながら、後輩狩人は縹の狩人の逃げた先、つまりは自然と声のした方に向かって慌てて足を急がせた。 「……え?」 南方から風が吹き寄せる。人いきれと酒気が一気に押し寄せ、カシワはたまらず立ち止まっていた。そうして黒髪黒瞳の狩人は、眼前の光景に言葉をなくす。 「アトリ? え、なんでだよ……どうして、こんな」 はじめに目についたのは、滴り落ちる赤だった。 荒い息を繰り返す縹の狩人は、脂汗を垂らしながらその場に留まっている。その腰に、押さえつける手のひらに、本人のものと思わしき鮮血が滲んでいた。 ふと、色鮮やかな物体が視界の端で揺れる。ゆっくりと目を向けたカシワは、いつの日か、アトリと共にいたドレス姿の女を見つけて息を呑んだ。 「イザベラァ……てめぇ……ッ」 「お、おい、なんだこれ……アトリ? な、なあ。君もちょっと、落ち着いて……」 いつしか、女の手に血に染まるナイフが握られている。銀光と男の傷、更には虚ろな女の目つきとを見比べて、後輩狩人は顔から血の気を引かせた。 「アトリ……なんで? あたしが一番、あなたのこと……なんでよお!!」 「ちょっと待っ……よせ! やめろ!!」 何があったか、成されたか。鈍い自分でも、このくらいのことならぼんやりと理解できる。 止める間もない。ほとんど反射的にアトリの前に飛び出して、カシワは突きつけられたナイフの軌道にたまらず目をつぶった。 ……どこかから、誰かが自分の名を叫ぶ声が聞こえた。 |
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