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モンスターハンター カシワの書 上位編(16)

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あたりは、夜のとばりに覆われつつあった。西に微かな日の残りが見えたが、すでに街は夜の賑わいを見せている。
行き交う常連に観光客、仕事帰りのハンターらは露店や酒場で飲食と談笑とを楽しみ、それぞれが今日一日の労働を互いに労いあい、明日への活力を養った。
険しい山々に抱かれる大都市、ドンドルマ。古くから数多のモンスターの襲撃を退け、また交易都市としても栄えてきた商業の街だ。
ハンターズギルドの長が頂に腰を据えていることもあり、性別年齢問わず多くのハンターがこの地を訪れる。無論彼らを顧客として迎える商人も多くあった。

「……旦那様、お客様がお見えです」

ドンドルマは一等地の一角、銀朱の屋根と裏葉色の板張り看板が象徴的な建築物、イタリカ商会本店。
屋敷には戻らず、最奥の執務室で書類処理に追われる高年の――本人の健康志向故か実年齢より若く見える――恰幅のいい男は、執事の声に顔すら上げない。

「『どちら』だ、セバスティアン」
「赤色の方で御座います、旦那様」
「そうか。予想より早いが……通しなさい」

青灰の瞳の執事は恭しく一礼してきびすを返す。入口で待たせてあったのか、一言二言やりとりがあった後、来客はすぐに執務室の扉をくぐった。

「お久しぶりです。今回、氏にはお忙しいところお時間と手間をとって頂き……」
「挨拶は不要だ、楽にしたまえ。ユカくん」

下げられていた頭がゆっくりと持ち上がる。砂漠か砂原から帰還したのか、騎士の乾いた銀朱の髪からぱらりと砂粒がこぼれ落ちた。
銀朱の無感情な視線を受け取ったのは、真朱の目だ。温厚な面立ちをしているが、視線の奥には相手の心中を見透かし、噛み殺すような威圧感を伴っている。
男が軽く手を振ると、執事が騎士に蒸しタオルを持ってきた。暗に「顔を拭くか髪を拭うかしろ」と促されているのだと気づき、ユカは苦い顔をする。

「お気遣いなく。まずは御礼を。龍歴院ならびにベルナ村近郊にて出回っていた偽承認印の件、氏と商会にお力添え頂き感謝します」
「堅苦しいのは抜きにしてくれ。なに、こちらも欲しいものがあったのでそれのついでだ。かえって助けられたから構わんよ。セバスティアン、例の」
「かしこまりました、旦那様」
「……、グラハム氏。私は今日は――」
「せっかく足を運んでもらったというのに、茶も出さずに追い出せと? 私に恥をかかせんでくれんかね、『斟酌』」

「狸獣爺め」。思わず声に出しそうになり、騎士は立ち尽くしたままぐっと口を結んだ。間を置かずに扉がノックされ、執事とともに一人の侍女が入室する。
黒塗りの給仕服が白銀の髪によく似合っていた。カタカタと小刻みに震える手で……それこそ不慣れであるように少女は茶を淹れていく。
隣をすり抜けていった横顔を見た騎士の顔が、固く凍った。おそるおそるといった体で主人にカップを出し、次いでユカに振り向こうとして――

「うわっ!」

――手が震えるあまり、ソーサーごと陶器が滑り落ちる。執事が一歩踏み込もうとしていたが、フォローする前にカップは真っ二つに割れていた。

「ご、ごめ、じゃないっ! も、申し訳ございませ……」
「構わんよ。……セバスティアン」
「はい、旦那様」

熱い茶が染みこむ絨毯が、忙しなく湯気を立てている。慌てて破片を拾おうとした少女を、主人の一声と執事の手が制止した。
片付けが進む間、銀髪の少女は顔を蒼くしてその場に控え続け、一方で銀朱の騎士は忌々しいものを見る目で商会トップ、グラハム=イタリカを睨めていた。

「気に入っている茶でね、君にも是非試してもらいたいのだが。セバスティアンに淹れ直させよう。下がりなさい、リラくん」
「あっ、わ、分かっ……いえ! か、かしこまりました!!」
「……どういうことだ」

執事に続いて少女――元、細工師リラが退出したのを見計らって、ユカは怒気を隠しもせずに声に乗せる。
問われたグラハムは涼しい顔で海岸琥珀色の茶を啜った。もう少し練習が必要だな、微笑み混じりにカップの中身を見下ろして、男はにこやかに顔を上げる。
真っ向から銀朱と真朱が睨み合う。怒りを露わに身構える騎士に向かって、やれやれとばかりに商人は首を振った。

「君も変わらず短気なものだ。早死にしたいのかね? 言った通り、先の少女こそ私が欲していたものでな。龍歴院には感謝している」
「話を、逸らすな。どういうつもりかお聞かせ願いたい。あれは偽承認印の……」
「事態を未然に防げなかった君が何を? あいにく、ハンターズギルドには彼女の身元引受の了承を得ているのだよ。君にとやかく言われる筋合いはない」

龍歴院ならびに、ベルナ村近辺で出回った偽のクエスト依頼書。
その主な原因は龍歴院が管理する承認印の偽物であったわけだが、何故かその贋作作りを担ったと見なされた少女がここイタリカ商会本店に身を置いている。
ハンターズギルドに身柄を拘束されたと聞かされていた黒色洋装は、余計な真似を、と言わんばかりに眼前の老商人を見下ろした。
反対に執務席から立つこともなく、男はさも狸獣ブンブジナのようにのんびりと寛ぎ茶の香りを楽しんでいる。双方の緊張はまるで緩むことがない。

「……イタリカ商会も堕ちたものだ。重要参考人をかすめ取って、自陣に雇用するとはな」
「腕のいい芸術家とは財産だよ、『斟酌』。それに我々商人は、ときに思い切った投資もしなければならないということだ」
「子育てでもする気か? 罪人まがいの子どもに、何ができる」
「感心せんなあ、君も似たようなものだろう。自分に返ってきかねない発言は慎みたまえよ」
「評判が地に落ちても問題ないということか。いつもの慎重さはどこにやった、グラハム=イタリカ」
「その程度で覆されんよ。それより君の方はどうなのかね。しばらく見なかったが、息災だったかね」

よく言う、ぎしりと苛立たしげに歯噛みするユカを、商売は慈善事業では成り立たんのでね、グラハムは晴れやかな顔で笑い飛ばした。
……斟酌のギルドナイトとイタリカ商会会長は、前者がギルドナイツに就いてしばらくした後、共通の知人を介して知り合った。
ことが起きた際に秘密裏に掴んだ情報を交換するなどして、今なお互いを利用しあう関係は続いている。
グラハムは商会や雇用者を保護するために手段を選ばない一方、事業拡大や育成にも熱心な豪胆な人柄だ。ときにはギルドにも臆せず意見することさえある。
ユカ自身は、そんな彼を尊敬しながらも厄介な人物であると踏んでいた。恐らく、同僚や共通の知人も同じ認識だろうと予想している。

「……まあ、いい。用件は以上です。失礼しました」
「ほお、それだけか。わざわざ密猟取締業務の最中に我が商会に立ち寄ってくれるとは。ご苦労なことだ」
「……何を、」
「いいや、気にせんでくれたまえ。『君が取り逃がした阿呆が我が孫を狙っている』という話を聞いたのでね。私も、年甲斐なく八つ当たりしてしまったよ」

話を切り上げようときびすを返しかけたユカの、次なる一歩が停止した。亡霊を見つけたような眼差しを視界に入れてもなお、グラハムは笑みを崩さない。

「私はだ、ユカくん。あの娘が我が商会に利を運んでくれると信じているのだよ。自力で培ったハンターとしての視点に実力、商人としての目利きがそうだ。
 ドンドルマには似たような労働環境に身を置く者も多くあるが、彼らの目は確かだ。さすが、現地で鍛えているだけはある……君にも、覚えがあるだろう」

よろめきながら向き直る騎士の硬直した顔を、商人は真剣に見つめ返す。重苦しい体感は、年老いた凍王龍に至近距離で見つめられているかのようだった。
ふと笑った男の豊かな白髪は、彼が溺愛する孫と同じ型に整えられてある。その笑顔に多くの嘘偽りが含まれることを、ユカは知っていた。

「……その、俺が逃がし、あの細工師と縁ある男というのは……どこにいる。あんたなら思い当たる節があるんだろう」
「いつもの薄っぺらい愛想はどうした? ふむ。最近、ドンドルマ下層に頻繁に姿を見せるハンターがいると聞いている。なんでも蒼火竜と同じ色の……」

足早に歩み寄る騎士の手が、飄々と応じる商人の肩をテーブル越しに掴みにかかる。戻った執事が駆け寄ろうとするのを、グラハムは視線だけで制止した。

「分かっていて、知っていて、何故だ! 何故、奴の身内を招き入れる!? クリノスの身に何かあれば……」
「どうにも、近頃の君は浮ついているように見えるのだ。まさかと思うが、件のハンターと同じことを考えているのではあるまいな」
「……! そんなことが、あるはずがないだろう!」
「そうだろうとも、君には『色恋にかまけている』暇はないのだからな。自分でそう吹聴しているのだろう? 発言には責任を持ちなさい、斟酌」
「……っ、孫娘に……ずいぶんと甘いらしい。私情で商いはつとまらないのではなかったか」
「利が見込めるなら私も『抑制の轟竜』さながらに立ち回る、ということだ。クリノスは血筋といい腕前といい金になる娘だ、みすみす余所にやりはせんよ」

やんわりと手をほどかれ、歯噛みしながらユカは男から距離をとる。立て直したのか、常のように慇懃に礼をして風のように部屋を去って行った。

「……なんだかんだで彼も若いな。血の気が多くて、老体には堪える」
「僭越ながら、旦那様。彼は繊細な方です。焚きつけるにしても少々やり過ぎだったのではございませんか」
「そうか? クリノスにはオルキスさんの血も混ざっているというのに、あんな幼体どもに御しきれると? 喉笛に噛みつく気概でもなければ無理だろう」

淹れ直された茶を自分で消費して、グラハムはふふふ、と意味深に深く笑う。

「セバスティアン。リラくんには彫刻の精密さを上げる訓練を続けさせなさい。それと『斟酌』が『縹』を制圧できるか、監視の継続を。否となれば」
「はい。如何なさいますか」
「クリノスは断じて譲らん。あの娘の所属を龍歴院からドンドルマか放蕩息子のキャラバンに移してやってもいい。やり方は任せる」
「かしこまりました。旦那様の仰せのままに」

同じように丁寧に礼をして、補佐官も颯爽と執務室を出て行った。残された主人は大きく息をついて二つの茶器に目を落とす。
……あの若者が孫娘に惹かれつつあることは、早いうちから調べがついていた。狩猟技術といい、知識量、気質といい、相手としては申し分ない男だと思う。
しかしながら彼は多忙の身だ。命に関わる危険度の高い任務もこなす上に、日頃寝食を疎かにすることも少なくない。
いざ上手く事が運んだとして、もし孫が悲しむ結果になれば。あるいは、例の縹の何とかとやらに横からかすめ取られることになりでもしたら――

「そうとも、商売は慈善事業では成り立たない。そしてハンターという仕事もまた奉仕活動ではないということだ。過去の清算くらい自力でしてみせなさい」

――悲惨な過去も根深い禍根も、全て飲み干してこそ「モンスターハンター」の銘が相応しい。
件の黒色洋装に希望の芽を見出した老商人は、再度手元の書類に手を伸ばした。しんと静まり返る室内に、筆記具が走る音ばかりが響いていく。






その足でドンドルマの街中を見て回ろうとして、ユカはすぐさまそれを取り止めた。
目立つ容姿の男ではあったが、アトリが足しげく通うのは人の出入りが多い酒場に賭博場、妓楼と、見つけるには手間と時間を要する店ばかりだったためだ。
今にして思えば、遊びの片手間に素材や金銭の動きをつかむための情報収集に勤しんでいたのだろうと理解できる。

「何をやらせても、厄介な」

舌打ち混じりに道を急ぎ、人の出入りが特に激しい大衆酒場に潜り込んだ。大層賑わう酒場ではあるが、その実態はドンドルマハンターズギルドの本拠地だ。
何人かの顔見知りとすれ違いざまに手を上げて軽めの挨拶を交わし合い、一直線に石造りの廊下を突き進む。
階段を下るにつれ、ひやりとした空気が肌を刺す。微かな話し声が耳を突き、最下層に着く頃には全身はおろか頭も冷え切ってしまっていた。

「聴取を俺が。人払いを頼む」
「これは、斟酌。了解、……あまり思い詰めるなよ」

見張りの人員と交代して区画に身を滑らせる。何故か気遣われたが、ユカはそれに対して礼を言うようなことはしなかった。

「……ゲッ、ユカのヤロウ! テメェ、今さら何しに来やがった!?」

四角い石造りの部屋、鉄格子のその向こうで、簡素な寝具に寝転んでいた小さな影が勢いよく跳ね起きる。
片足を引きずりながら寄ってきたスキンヘッドのハンター――グレゴリーは、騎士の姿を見るなり犬歯を剥き出しにして吠え立てた。

「久しぶりだな、グレー。俺のことを覚えていたか」
「ふざけんなっ! アトリの旦那にあんなことしやがって、よくもノコノコ顔を出せたもんだな!!」
「――グレゴリー? 誰か、来たのか」

グレゴリーが収容されていた牢の奥、暗闇に沈んだところから若い男の声がする。衣ずれの音が漏れ、次いで呑気に歩み寄ってくる足音がした。

「……ユカ。お前、先にこっちに戻ってたんじゃなかったのか」

間の抜けた緊張感の欠ける声色に、わずかに騎士の片眉がつり上がる。
黒髪黒瞳、上位狗竜装備、寝ぼけ眼。収監されている身でありながら、後輩狩人は「今までしっかり爆睡してました」という体でユカの視線に応えた。
前のめりになって鉄格子を掴みながら共犯者を見上げたグレゴリーの顔が、残念なものを見るかのように大きく歪む。
同意だな、口には出さず目を細めてぎしりと凶悪に笑んだ後、ユカは二人を隣に接した小部屋に通してそれぞれを席に着かせてやった。

「言いたいことは多いだろうが」
「てやんでぇ! 当たり前だろうがい!!」
「なあ、ユカ。明日じゃ駄目か? 移動中はあんまり寝られなかったから、まだ眠いんだよ」
「……」
「……寝ぼけているのか。内海に落として目を覚まさせてやっても構わんのだぞ、カシワ」
「うん? ああ、寝ぼけてはいる、と思う……」

そのままウトウトし始める様を見て、これは駄目だ、とかつて同じ猟団に属していた男たちは思わず顔を見合わせた。
わざとらしく咳払いをして、グレゴリーの意識だけをこちらに向け直させる。すぐに睨みつけてくる男の視線に、騎士は嘆息すらせずに笑い返した。

「何年ぶりだ、グレー」
「う、うっせぇ。馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇや。アッシはテメェを恨んで……」
「そうか、それはよかった。お前には聞きたいことが山ほどあるんでな」
「なっ、なに言ってやがんでい! アッシは口なんて割らねぇ!」
「言いたくなければ言わなければいいだろう。それで……アトリは今、どこにいる」

問われた瞬間、分かりやすく素材商は肩を跳ね上げさせた。口は割らないと宣言していたその口が、もごもごと忙しなく開け閉めされ、視線が泳ぐ。
昔から嘘をつくのが下手だったからな、ユカはぐっと口を閉じて苦笑が漏れそうになるのを堪えた。
ボロ机に身を乗り出して、グレゴリーとの距離をわずかに詰める。ヒッと悲鳴を上げた男の手が、隣でぐうぐう呑気に寝始めたカシワの片腕を鷲掴みにした。

「残念だったな。そいつの寝起きは壊滅的に悪いぞ」
「ちょ、ちょいと、カシワの旦那ァ! 起きてくだせぇよぉ!!」
「ずいぶん親しくなったな。この短期間でお前がそこまで懐くなんて、昔の知り合いにこいつと似た奴でもいたか」

涙目になりながらも強気にこちらを睨むグレゴリーに、ユカはいつものように凶悪に笑いかける。

「カシワは初犯だ。お前たちと違って前科もない。だが、お前たちも猟団解体後はしばらく大人しくしていただろう……今回、密猟は未遂に終わっている」
「な、何が言いてぇってんだ!?」
「アトリの居場所と目的を吐け。ことによっては、俺が上に掛け合って減刑を嘆願してやってもいい」
「!? なっ、なに言ってやがんでぇ。そんなこと、テメェにできるわけが……」
「俺には権限があるんだ、できるできないの話じゃない。さあ、どうする。お前が望むならアトリに何か言われたとしても、お前が吐いたことは伏せてやる」

ストレートに「仲間を売れ」と勧告され、素材商は目に見えて狼狽えた。後輩狩人の腕を掴む力がより強くなる。
尖った爪が狗竜の上皮に食い込んだのか、カシワが小さく呻いた。気に掛けてやる余裕もないのか、グレゴリーは二人のハンターを忙しなく見比べている。
これが落ちても落ちなくても、正直どちらでも構わない――自分としては、ささやかな手がかりの一つでも掴めたらそれでいいのだ。
アトリは確かに賢い男だったが、快楽主義な面もあった。奴が街のどの区画に入り浸っているか分かれば、懇意にしている人間を遡り探し出すことも可能だ。
「よもや生きているとは思わなかった」。だからこそ、今度こそは必ず奴を捕らえてみせる……デデ砂漠で旧い仲間を捕らえたとき、騎士はそう決意した。

「グレー、アトリは優秀なハンターだ。正直、猟団の復興に充てるだけというのも……俺は惜しいと思っている」
「うっ、それは。あ、アッシだって、旦那が強ぇってことくらい……」
「あいつの太刀筋ならお前も知っているだろう、もったいないとは思わないか。ただギルドに追われるだけの生活というのも、あいつにはきっと似合わない」

ユカは、聴取相手を労うように人当たりのいい笑みを浮かべた。絆されつつあるのか、男は目にいっぱいの涙を湛えている。
……夕方を過ぎ、夜に差しかかる頃。もうしばらく待てば、そのうち深い夜が訪れる。
翌日、昼の狩りをするなら眠りに就かねばならない時間帯だ。逆に夜間に出るならば、道具の補充や対象の下調べなどして心を落ち着かせなければならない。
カシワにしてもグレゴリーにしても、ハンターとして生活を営むならば、これからの時間は思考がゆるゆると鈍り始める頃合いなのだ。
師から聞かされたジョークだが、「わざわざ手製のホロロースカツの丼物を用意してやるまでもない」。
仲間想いの心をくすぐり、優しい言葉をかけてやるだけでこの素材商が容易く陥落するであろうことを、ユカは長いつきあいから知っていた。

「俺が捕捉した後のことが心配か。まさか、今も昔もアトリは俺にとっての親友だ。そこまで非道なことはしないさ、約束しよう」
「ユカ。お前……アトリの旦那のことをそこまで。で、でも、ならなんであのとき旦那を斬ったりしやがった? 傷のせいで熱も出て、大変だったんだぜ!」

陥落寸前。グレゴリーは当時の思い出を噛み締めるように拳を握り、机に勢いよく叩きつける。
くっ、と切なげな声が嗚咽に転じそうになる光景を、しかし騎士は冷めた目で見下ろした。実のところ自分はアトリを捕らえられさえすればそれでいいのだ。
二人の決定的な別れのきっかけとなった、縹の狩人による飛竜幼体の密猟。私情ではあるが、それを赦すつもりは毛頭なかった。

「グレー。俺があいつを斬ったのは、あれ以上罪を重ねて欲しくなかったからだ。聞いているだろう? あの後、猟団跡地にギルドナイツも押しかけたと」
「それは知ってるけどよ、なにも得物で斬らなくたってよかっただろぉ!? 旦那はアッシらの神さまで、モンスターなんかじゃねぇんだ!」
「神様、か。そうだな。そう呼んでいたことも、確かにあったな……」

ふとユカは、視線を感じて顔を上げる。ぼたぼたと涙を垂れ流すグレゴリーのすぐ横で、眠りに落ちていたはずの黒瞳がこちらを見ていた。

「……ユカ。お前、仲間に剣を向けたのか」

地を這うような、臓腑を噛み砕くような、恐ろしい声が耳を打つ。

「か、カシワの旦那? いつ起きて……」
「グレゴリー、お前は黙っててくれ。俺はユカと話をしてるんだ」
「ほお、大した度胸だな。いいだろう。グレー、悪いがお前との話は明日、改めて詰めるとしよう」

退出を促すと、素材商は素直に指示に従った。アトリがドンドルマにいることは確定しているため、彼への質疑は明日でも構わないと判断したのだ。
否、それより、今は――扉を閉めて振り向くや否や、燃えるような眼差しが銀朱の色を睨めつける。
ユカは、きゅうっと目を細めてこれに応じた。なんで笑ってるんだよ、怒りを隠しもせずに唸る後輩狩人は、席に着いたまままっすぐこちらを見上げている。
騎士が目の前に立ってもカシワは態度を崩さなかった。これまで見たことのないような強い眼差しが、真っ向から噛みついてくる。

(……いや。骸の龍と対峙したときは、こんな目をしていたな)

ふと、あの青白いうろの中での出来事を思い返して思考が逸れかける。ユカは小さく息を吐き出した。

「ユカ。お前、グレゴリーの足も斬ってたよな。逃げられないようにするためっていうのは分かるけどな、そこまでする必要、あったのか」

怒気とともに投げかけられた苦言に失笑が漏れる。相変わらず人の好い、口から出かけた言葉を辛うじて飲み込んで、騎士は席に着き後輩狩人に向き直った。
手で三角錐を作り、テーブルの上に乗せ、尋問を始める際の構えをとる。受けて立つと言わんばかりの黒瞳が、逸らされることなく銀朱を見返した。

「それが俺の仕事だ。罪を犯した人間の一人や二人捕まえられずに、何がギルドナイトだということだ」
「罪、って……なんでだよ、おかしいだろ? 確かにグレゴリーは貴族からの正式な依頼だって、」
「阿呆、龍歴院から通達が出ていたはずだぞ。それに、受注前にクリノスに話をつけなかったのか。お前は誰と狩りのチームを組んでいるつもりだ」

気圧されたのか、怯んだのか、それとも思い当たる節があったのか。口を閉ざしたカシワに対し、ユカはあえて態度を崩さなかった。

「お前がしたことは密猟者の護衛、ならびに密猟の幇助だ。グレーに騙されたなどという話じゃない……この、大ばかが。『なんでだよ』とは、俺の台詞だ」

愕然と言葉をなくした黒髪黒瞳の前で、銀朱の騎士は苦く笑う。真新しい鉄錆の味が、静かに喉を伝っていった。





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 UP:23/07/07