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モンスターハンター カシワの書 上位編(13) BACK / TOP / NEXT |
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「アトリの旦那、カシワの旦那ぁ~! 待ちくたびれましたぜ~!!」 数刻後、夜明けを迎えた龍歴院前正面庭園にて。いつもの調子で気楽に帰還したカシワたちを出迎えたのは、なんともうさん臭い風貌の男だった。 つるんと剃られた頭は丸く、語気は人懐こく、背を丸めて低姿勢から物を言う。よく笑う大きな口には八重歯が光っていた。 対称的に、くぼんだ眼窩やそれに収まる目のぎらつき、血や何らかの脂汚れが染みついたマントは物々しく見えてくる。後輩狩人は思わず立ち止まっていた。 同じくツルッパゲ……失礼、スキンヘッドのマルクスに比べれば後ろ暗さを感じさせる男だ。さも知り合いのように声をかけられて困惑する。 「悪い、前に会ったことあったか?」 「なに水くさいこと言ってんでさぁ、カシワの旦那! アッシは……」 「おいおい、グレゴリー! 自己紹介もナシに旦那呼びしちゃ、カシワ殿がビックリすんだろ?」 「ややっ、こいつぁ失礼を! いやぁ、龍歴院の懐刀と名高いカシワの旦那に会えるなんて、興奮冷めやらぬってやつでさぁ」 「ふところ……なんだって? アトリ、知り合いなのか」 素直な疑問を投げた折、縹の狩人が不穏に笑んだのをカシワは見た。 訝しむ最中、グレゴリーに差し出された手を嗅いでいたアルフォートが、クサイ! とばかりに鼻を押さえて飛び退いている。 「グレゴリーはハンター兼業の行商人なんだよ。オレの古い知り合いなんだが、世界中飛び回って素材や交易品の調達をやってるんだ。なぁ、グレゴリー」 「へい! アッアッオーウ……じゃなかった、ヘッヘヘ。素材集めで困ったときに、アトリの旦那にお勧めのハンターを紹介してもらってんでさぁ」 「……素材回収のための協力者捜しってことか。わざわざ自分たちで手配しなくても、ギルドか龍歴院に仲介してもらえばいいんじゃないか」 「あいやぁ、カシワの旦那! 手数料に仲介料、依頼料だってバカになんねーですぜ!? そんな金、アッシだけじゃなく他の商人も持ってねーですよ!」 身悶えるオトモの頭を撫でて労いながら、後輩狩人は目の前の二人の言い分に眉根を寄せた。 素材の相場がどうなっているのかは知らないが、少なくとも同業のクリノスの実父らはそこそこ稼いでいるように感じられたからだ。 アトリとグレゴリーは口をそろえて「それはごく一部の商人だけだ」と顔をしかめる。あまりに強く言い返されて、そういうものか、と納得してしまった。 「それで、俺とアトリに何か用か。この時間だとクエストカウンターだって」 「それがですね、カシワの旦那。アッシが欲しい素材ってのは、旧砂漠の隕石の塊と飛竜の卵なんでさぁ。なんでも病気のお貴族様がいるとかで」 飛行船発着所の向こう、龍歴院のクエストカウンターはもぬけの殻になっている。見慣れた受付嬢やミッカルーの姿はなく、灯りの一つさえ点いていない。 骸龍の件以来の静けさだ――偽の承認印が出回り始めていることを知らない黒髪黒瞳は、物知り顔でうんうんと頷くグレゴリーを盗み見た。 「竜の卵が薬の材料になるこたぁ、旦那も知っての通り。隕石の塊、こいつはお貴族様お抱えの研究者からの依頼でさぁ」 「薬の材料か。俺も知り合いから頼まれたことがあったから、知ってるぞ」 「でしょう、そうでしょう! どっちも、かなり高位の御方からの依頼だってんで……ホラ、アッシが一足早く、受付から依頼書を預かってきたほどですぜ」 急ぎの依頼だ、浮浪者じみた男はそうしてカシワを急かす。どうしたものかとアトリを見れば、男は金瞳を輝かせて首肯するばかりだった。 知り合いというからには、二人の間には信頼があるのだろう……「商い」というものは、この後輩狩人にとって未知の領域に位置する職種に違いなかった。 これまでハンターとして素材を獲得し加工屋らとやり取りすることはあっても、他の業種との間で取引を交わした覚えはない。 ……無知とは罪だ。受け取った依頼書の記載になんの違和感も抱かないまま、後輩狩人は自前のハンターノートに確かにその控えを挟み込む。 「旧砂漠か……今から発てるか、アトリ」 「アー、悪ィ、カシワ殿。オレは受理したって話、カウンターとクリノスちゃんに話さねーといけねぇから。コッチに残るわ」 「そうか、なら代わりに頼む。アル、リンクにはお前から話しておいてくれないか。疲れも溜まってるだろ」 「えっ!? でも旦那さん、運搬クエストは危ないですニャ。それに超音波笛の術が……」 この中で唯一、反対意見を述べたのがアルフォートだ。「受付嬢を通さず」に依頼を受けることに、彼だけが遠回しに懸念を示す。 二人は一瞬、言葉を探して沈黙し合った。その仲を引き裂くようにして、先のグレゴリーが間に割って入る。 「大げさでさぁ、アルフォート。アッシもハンターとして同行するし、現地で仲間も合流すんですぜ? すぐ済みまさぁ!」 「だ、そうだ。大丈夫だ、グレゴリーもこう言ってるし、他にも何人かが参加するなら小型だってなんとかなるさ。心配しないで、ゆっくり休んでてくれ」 「でっ、でも旦那さん……フギャッ!」 なおも止めようとするオトモメラルーの鼻先に、グレゴリーのマントを押しつけた者がいた。言わずもがな、アトリである。 生き物の腐敗臭や薬品の臭気に耐えきれず、アルフォートは悶え苦しみ、商人、更には雇用主からも距離をとった。 その隙に、とばかりにグレゴリーがカシワの腕を掴んで飛行船にとって返す。強烈な臭いの元を涙目で見送り、オトモメラルーはふと縹の狩人に振り向いた。 「どっ、どうしたら……あれっ? アトリさん、どこに!?」 振り返れど、名を呼べど、アトリの姿はどこにも見えない。いつ、ここを離れたのだろう……後を追うべく、アルフォートもまたベルナ村に急いだ。 「ウヒョォー! 相っ変わらず、夜の砂漠は寒くてヤベーですぜ!!」 「ううっ、寒いなんてもんじゃないぞ。まいったな……」 幸い、デデ砂漠の運搬クエストはベースキャンプから出発することが出来た。地図を広げた瞬間、全身に走った寒気にカシワは身を震わせる。 時間帯は「夜」だった。ドスガレオスにハプルボッカ、ドスゲネポスと、これまで旧砂漠でこなしてきた仕事は全て日中に狩猟時間を指定されていたはずだ。 砂漠という狩り場は、昼と夜とで見せる表情を一変させる。 砂に溜め込んだ熱を夜間に一気に放出することから、日没と同時に急激に気温が下がるのだ。降雪こそないが、体感温度は極寒の地に匹敵することもある。 残念ながら後輩狩人は昼の顔の砂漠しか知らない。頼みの支給品ボックスも空っぽで、ホットドリンクは一本も入っていなかった。 「カシワの旦那! ホラ、急がねーとですぜ!」 「ちょ、ちょっと待ってくれ、グレゴリー。俺はホットドリンクなんて一本も……」 「あっちゃー、忘れたんですかい!? アッシのを分けたげますよ。それより急ぎやしょう、お貴族様は待ってくれねーですぜ!」 尻を引っぱたく勢いで同行者はこちらを急かす。確かに、依頼主が薬の材料を求めているのならもたついている暇はない。促されるままキャンプを後にした。 「……うお、凄いな」 キャンプを囲む岩壁を抜けると、満天の星が一行を出迎える。不意に遠くの空に赤色の流星が一筋走り抜け、否応なしに気分が上がった。 粉雪を踏むような足音を立て、一行は隕石の落下地点に向かった。グレゴリーを先頭に、彼の知り合いという軽装のハンター二人、その後ろにカシワが続く。 隕石の塊については飛行船での移動中に彼らに話を聞いていた。なんでも、宇宙から落ちてきた未知の金属であり……名前まんまである。 「隕石って……あれか。でっかいなあ、あれは運ぶの大変なんじゃないか」 「旦那旦那、ホットドリンクで酔っ払ったんですかい? 強走薬で先手必勝ってやつでさぁ」 大隕石は旧砂漠の南西、エリア八に鎮座していた。ガレオスやハプルボッカなどの潜行地点として知られる平地の、奥まった地下寄りの場所が相当している。 風化しかけた石段を駆け下りると、なおひやりとした風が頬を撫でた。入り口付近で氷結晶がクラスターを形成し、一種のオブジェと化している。 自生する熱帯イチゴをこれで凍らせれば、日中の暑さを誤魔化す食料になるのだが……文字通り寒さに身を縮めて、カシワは急いで結晶群から距離をとった。 その間、グレゴリーらはエリアの最奥、隕石の回収にあたっている。打ち合わせ通りだ、音を聞きつけて這い出てきたヤオザミに得物を振り下ろした。 「グレゴリー! こっち、片付いたぞ!」 「旦那ぁ、どうせなら討伐でいいっすよ!? わざわざそんな、気絶でしのいでやらんでも!」 「グレー。剥ぎ取りの暇はないぞ、『嗅ぎつけられる』前に済ませちまおう」 「狩猟依頼ではないのだから、できるだけ狩りは最小限に」。 しつこく爪を振ってくる甲殻種を盾で押しのけ、あるいは殴りつけて、後輩狩人はひたすら道の安全確保に専念する。 アルが使ってた超音波笛が俺も使えたらなあ、口内でぼやきつつヤオザミを退ける一方で、グレゴリーらはコソコソと元来た道を駆け上がった。 「ヘッヘヘ、カシワの旦那にゃ悪いっすけどねぇ……!」 カシワがヤオザミらに振り回されている間、彼らは突如、通常の帰還ルートから外れた場所へ隕石の大塊を運び出す。 彼らが目指していたのは、ゲネポスやアプケロス、ガレオスといったモンスターが休眠や移動に使用する、岩場にポツポツと開いた天然の洞窟だった。 いわゆるモンスター専用の獣道であり、安全上の理由からハンターズギルドからは通行することを固く禁じられている。 しかし、軽装の二人組は慣れたように穴の中へと飛び込んでいった。あらかじめ隠しておいた緩衝材や木箱を駆使し、隕石を慎重に穴の奥に運び入れていく。 「(グレー。こっちは終わったぞ、ゲネポスどももまだ眠ってる)」 「(ヘッヘヘ、合点だ。じゃ、アッシはカシワの旦那を連れて卵の方に向かいやすぜ)」 二人組は穴の中に取って返し、グレゴリーは後輩狩人の相手をするべく穴から素早く離脱する。 その速さたるや、急いで一行を追ってきたカシワが数分程度の出来事すら目にすることができないほど連携のとれたものだった。 「……やや、ヤオザミが踏ん張らなかったようでがす。思ったより早くおいでなすった」 統率、隠密、慣れ。つまるところ、グレゴリーら、そして彼らを仲介したアトリは「密猟」に手を染めたハンターだったのだ。 大量の希少素材に転売利益、またはそれらに賛同する人脈をも手中に収め、ギルドの目が届かないところで活動に勤しむ非合法のハンターたち。 ……ハンターズギルドが狩人の在り方として掲げる持論に「自然との調和」が上げられるが、ハンターや商人の中にはその理念に反発する者もいなくもない。 故に集団による密猟は後を絶たないが、その中でもグレゴリーらはかつて「双焔の猟団」と呼ばれた組織の残党にあたるメンバーだった。 運搬用素材や竜の卵に手をつけ荒稼ぎしていた少数精鋭だったのだが、十数年前に解体の憂き目に遭い、各地に散り散りとなり近年まで長らく沈黙していた。 「アッシらは、他に行くところのない流れモンでしたんでねぇ。アトリの旦那も前のボスも、アッシらからしたら神さんですわ」 誰からも見向きもされず、相手にもされず、救われもしなかった行き場のない優れた技能持ち。 アトリが好んでスカウトするのはそういった事情持ちがほとんどで、グレゴリーもまた例外ではなかった。 「自然との調和」。馬鹿らしくてやってられねーですわ、グレゴリーはエリア八から駆け上ってきたカシワに振り向き、目を瞬かせる。 「グレゴリー! ……あ、あれ? 皆は、他の二人はどうした!?」 「旦那旦那、落ち着いてくだせぇよ! あの二人は隕石運びですぜ、けむり玉もあるんで安心でさぁ。アッシらは竜の巣に行かねーと」 「そんなに早く……凄いな、お前の仲間って。よし、それなら俺たちも負けてられないな!」 勝手に意欲に満ち溢れる若い狩人を前に、グレゴリーは一瞬まん丸の目を見開いた。 瑞々しい言動に、かつて猟団を実質上の崩壊に至らしめた元仲間の面影を感じずにはいられなかったからだ。 「そ、それも……そうですぜ。とっとと済ませっちまいやしょう」 若く、夢と希望に溢れ、モンスターにも敬意を払う真っ直ぐな眼差しのハンター……自分だけでなく、あのアトリまでもが相手のことを気に掛けていた。 砂漠の通行を容易にする異国の大砂漠都市の衣の裾を握りしめ、グレゴリーは当時の苦々しい記憶を振り払うように頭を振る。 「ルートはどうする? 夜だからアプケロスもだいたい寝てるみたいだけど、警戒心が強いからなあ」 「起こしてどつかれたくはないっすねぇ。旦那、ちと面倒ですが、一旦回り道してオアシス経由で向かいやしょう。確認したいこともありやすんで」 隕石の梱包に急ぐ仲間に勘づかれるわけにはいかない、手間ではあるがこのハンターを近隣エリアから遠ざけることを商人は選んだ。 ホットドリンクを渡しながら道を引き返す。素直に着いてくるカシワの横顔に、疑いの感情はまるで見出せない。 「密猟」は、重罪として扱われる。同業がハンターズギルド――そういった違反者を取り締まる黒装束に連行されるところを、これまで何度も目にしてきた。 もしこの場で奴らに見つかれば、この後輩狩人とてただでは済まされない。しかし、アトリからは「いざというとき囮に使え」と言われている。 「まぁ、カシワの旦那にとっても……上手くやりゃ報酬だって……」 「グレゴリー? 何か言ったか」 「イッ、いやぁ、なんでもないですぜ!? それよりホラ、急ぎやしょう!」 念のため、ギルドの調査員や諜報部が訪れてはいないかと彼らの痕跡を探りにベースキャンプまで引き返したグレゴリーだったが、結果は杞憂に終わった。 支給品ボックスは空のまま、仮眠用の備えつけのベッドもひんやりしていて、足元には自分たちの下足痕しか残っていない。 さすがに気にしすぎだったか……ほっと胸を撫で下ろした後、独り武器の状態を確認していた黒髪黒瞳を促して北の抜け道に足を向ける。 「なあ、グレゴリー。お前はユカと仲良かったのか」 植物がまばらに生える岩場のエリアを抜けようとしたとき、思いもよらない質問を投げかけられた。 回想か所属を見抜かれたのかとどぎまぎしながら振り向くも、カシワと呼ばれた男はこれまでと変わらずのほほんと間抜けな面構えをしたままでいる。 「へ、へえ、まぁ。カシワの旦那は、ユカのヤロウを知ってるんですかい?」 答えた後で、しまった、と商人は内心で冷や汗を垂らして顔を歪めた。 自分は金稼ぎや相手に取り入ることを得手としているが、アトリほど元仲間の扱いに慣れていたわけではない。 ユカとは仲が悪い方だったと思う。当時、件の銀朱は常にアトリか今は亡き元頭領にベッタリくっついていて、まともに話をした記憶もない。 ……自分の見た目や喋り方がこうだから、嫌われているのだと思っていた。にが虫を噛みつぶしたような心地で、グレゴリーは己の頬を尖った爪で雑に掻く。 「ああ。忙しいみたいなんだけどな、時々俺と、俺の相棒の手伝いをしてくれてるんだ。感謝してるよ」 「へ、へえ、そうですかい。そりゃ意外というか驚きバサルモモ木アミノサンショウ木っつーか……」 「グレゴリーはユカが苦手なのか。悪い奴じゃないぞ? 狩りのこともなんだかんだで教えてくれるし、なんなら腕も立つし」 「へ、ヘッヘヘ、なんです、べた褒めじゃぁねーですかい! カシワの旦那、ユカのヤロウのどこがそんなに……」 「おかしな話なんだけどな。俺は、いつかあいつを越えられるハンターになりたいと思ってるんだ。まだ全然、そんな気配もしないんだけどな」 たまらず、商人は立ち止まっていた。 今も懐かしい、仲間と過ごした猟団での暮らし。その一方、今なお忘れられないのがアトリに招かれておきながらそれらを壊して回った、銀朱の狩人の姿だ。 何故、あいつばかりが好まれるのか。どうして、自分たちは今も逃亡生活じみた日々を送らねばならないのか。 ……あまりにも理不尽だ。 気にしていないように振る舞っているが、猟団崩壊の折、ユカから斬られた背中の傷が原因でアトリが生死の境を何日も彷徨ったことも自分は覚えている。 目の前の黒髪黒瞳は、さもユカが優れた好漢であるように物を言う。尊敬している、敬愛している、そんな風に嬉しそうに名を口にする。 「殺してやりたい」。じわりと目の奥に憎悪が滲み、グレゴリーは隠し持っていた投げナイフを利き手の指先に滑らせた―― 「……イッ?」 「なんだこれ、霧……」 ――そうした一連の応酬の結果、どちらの狩人も、目の前にもたらされた急激な変化に対応するのが遅れた。 いつしか、あたりは真っ白な煙に覆われていた。少しばかり植物が焼けるような臭いも混じり、カシワは口を手で覆い、グレゴリーは困惑して立ち尽くす。 投げナイフを投げるどころの話ではない。はっと我に返った瞬間、商人は己の腹に鈍く重い衝撃が走るのを感じた。 致命的な遅れだ――気がついたときには、視界の端に見知った銀朱の色が揺れている。 「くそっ、グレゴリー、グレゴリー!? どうした、一体、何が……」 煙の臭気、次いで僅かに血の臭いがした。一帯を白く染める狩猟道具が「けむり玉」と呼ばれていることを、この後輩狩人はまだ知らない。 目の隅で何かが煌めく。血臭はそこから放たれていた。不意に、砂漠を駆ける冷たい風があたりを薙ぎ払い、閉ざされていた光景が一時的に解放された。 「……ユカ……?」 煙と煙の隙間、オアシスを満たす水面と月光で青く濡れる視界の先に。カシワは、見慣れた男の奇妙な出で立ちを見つけて固まった。 それは、ユカ=リュデルに違いなかった。銀朱の髪に同色の瞳、気難しそうに結んだ口に、眉間の皺も変わらず深い。 ただ、格好がいつもと違っていた。象徴的な羽根つき帽子は被っておらず、左目に龍の紋章を刻んだ眼帯だけが当ててあり、纏う洋装も常の赤一色ではない。 ……グレゴリーが恐れて止まない黒装束だ。それがギルドナイツの一部に許される「紅」の名を冠する装備であることすら、カシワは知らない。 「ユカ? お前、なんでここに」 ユカは答えない。なんとなしに視線を落として黒髪黒瞳は目を見開いた。 男の手に黒塗りの得物が握られている。年季の入った、迅竜ナルガクルガの片手剣だ。 尾棘と鱗で鍛えられた刀身は、月明かりで息を吹き返したかのように表層がじっとりと濡れている。 本来であれば片腕に装着してあるはずの盾は存在せず、剣一本だけが単独で鮮血を吸い上げ、飽和した分が砂地に滴っていた。 「グレゴリーを……ユカ、お前が斬ったのか。お前の、知り合いなんだよな?」 視線の先、男の足元に倒れているのは、先ほどまで明るい声で話を交わしていたグレゴリーの姿だった。 倒れ伏した全身のうち、膝裏や足首に深い切り傷が走っているのが見える。ぴくりとも動かないのは失神させられているからか、あるいは……。 そもそも、恐らく状況からして彼を斬りつけたのは――瞬時に頭に血が上った。怒りに任せて顔を上げ、騎士を睨め上げる。 「ユカ! 答えろよ、なんでお前がここにっ……なんでグレゴリーを……どうしてだ!!」 「――それはこちらの台詞だ。何故、お前がここにいる」 恐ろしく冷えた言葉だった。つい先ほどまで楽しく語っていたはずの相手が、見覚えのない怪異に見えてくる。 冷徹極まりない声に後輩狩人はたじろいだ。黒の騎士はそれ以上を語らない。双眸に収まる銀朱の色は、その気迫も相まって雄火竜の幻影さえ見せてくる。 「そっ、そんなの、お前には関係ないだろ!」 「よく喋る口だ。言い訳なら後にするんだな」 何が起きたか、カシワには判断がつかなかった。ふとユカの姿が視界から掻き消え、白煙の狭間から足音が一つ迫る。 その瞬間、側頭部に強い衝撃を受けた。辛うじて視線を走らせた先で、剣を振り上げ、こちらに柄頭を向ける騎士の姿を見出した。 殴られたのだと気づいたときには、あっけなく意識が泥濘に沈んでいた。倒れる寸前、意地で見上げた先で男が奥歯を噛み鳴らす音を耳にする。 「……大ばかが」 苦々しい独白を後輩狩人が聞くことはなかった。 やがて、竜車を曳いて駆けつけた職員らによってグレゴリーを筆頭にカシワらの身柄は連行されるに至った。 全ては昏冥のうち、極寒の砂漠の片隅、誰にも知られぬ夜半のうちに。ドンドルマに向かう道中を見送るように、不意に、天上を赤色の流星が駆けていった。 |
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