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モンスターハンター カシワの書 上位編(9)

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後輩狩人には悪いが、実をいえば、渓流はかつて技量も経験も乏しい頃に幾度となく立ち寄った狩り場だった。
はじめは幼少期に。
キャラバンがユクモ村に立ち寄った際、特産品の産出量や丸鳥の生息分布の調査に出た三兄におねだりをして同行許可をもぎとり、近辺を散策した。
その最中、たまたま出会った泡孤竜のあまりの美しさに自分は見とれてしまったのだ。
泡に取り囲まれた頃には大慌てで駆けつけた兄から助け出してもらえていたが、自分は「あのままあの場に残っていたら」とさえ考えたものだった。
一目惚れと言ってもよかったかもしれない。
堂々とした佇まい、切れ長の眼、こちらを意にも介さない涼しげな表情……タマミツネは幼い少女がハンターを志すのに相応しいほどの存在感を有していた。
以来、母や兄が持ち帰る虹色の煌めきを纏う彼の桜色を、自分は他の希少素材と同じように大切に磨いてテントのあちこちに飾って回った。
父や上の兄たち、はてには大都市ドンドルマに居を構える祖父には大層案じられたが、その危惧の通り、自分はモンスターにしか興味を持てない子に育った。
流通素材の希少性、取引のコツ、ランク差による外観の目利きなど、腕利きの母を爆笑させてしまうほど、彼らや素材について「ませた」子になったと思う。
最終的に、祖父と三兄には美点として受け入れられた。「ハンターとして利点となり得る」として、彼らは自分の進路を応援し、父への説得も積極的に行った。
現状、父や兄たちの望んだ「愛らしい娘」からは遠退いてしまった。それでも、モンスターが、彼らを形作る素材が愛おしくてたまらない。

「……なんか、いるね」

彼らの素材を知ることは彼らの生態を識ることに直結している。だからこそ、現在、クリノス=イタリカは眉間に皺を刻んでいた。
渓流の最北端。開けた大河とその岸辺、葦の群生地にて、彼女は目の前の水流をじっと凝視していた。
今回……新人ハンターとして活動し始めた頃には気がつけなかったであろう微細な変化をこの場に見出したのだ。当時から見慣れた景色に違和感が止まない。

「旦那さん? いるって、何が……」
「あー、リンクでも分かんないか。じゃあ『今はいない』のかもね」

いつもより、くたりと折れた水中の水草、岸辺の葦。そこらに散らばる、慌てて逃げたと思わしき丸鳥の羽根に、オルタロスらの妙に間隔が狭まった足跡。
決め手となるのは足元だ。無数の葦を薙ぎ倒し、砂利と泥とを抉り取り、あちらこちらに散らされた長く一直線に伸びる爪痕。
朽ちた雑草に遮られ、言われなければ分からない程度にしか残らない痕跡をクリノスは苦い顔で見下ろした。
一旦岸辺を離れ、爪先で半乾きの土を抉ってみる。ぐじゅりと多量の水分が奥から滲み出し、双剣使いはその場で嘆息した。

「確定かな。あー、やだなー。これ絶対、ペッコが後から持ってくる案件だよ」
「旦那さん。もしかして緊急クエもがっ」
「や、ない。ないない。そもそも無理。今のカシワの装備で『アレ』の上位個体とやり合えるわけないし」
「ムー、モガモガニャー」

……そう、「再訪」だ。彷徨う海上の村、モガ。かつて新人だった自分は、あの小さな板張りの拠点から孤島地方やユクモ地方に足しげく赴いていた。
その度に、何度この痕跡を見つけたか分からない。
鉄砲水を直線状に叩きつけたような、一直線に伸びる穿孔の跡。土や水草のめくれ方から察するに、川の本流から岸に向かって放たれたものだ。
「食餌の確保」や「縄張りの主張」以外の何ものでもない。こんな高威力の水ブレスを放てるモンスターには限りがある。

「リンク。ブナハブラの討伐、急ぐよ。そのうちギルドか龍歴院に急報が届くかも」
「ニャ! やっぱり緊急クエストの予感かニャ?」
「あー、そーだねー。はあ……カシワも回収して帰んなきゃ……」

雇用主の憂いに配慮してか、リンクはわざわざ離れた位置のブナハブラに直進していった。プイーン、と我関せずの体で寄ってくる飛甲虫に双剣を滑らせる。
「虫素材がほしい」、そう言い出したのは確かに自分だが、彼らの討伐依頼は昔から竜骨が折れた。
……祖父の話によると飛甲虫大量発生の条件は様々あるそうだが、多くは小型や中型、草食種らを脅かす大型モンスターの出現が最たる起因であったという。
縄張りの拡大と死守とを賭け、彼らは長期間狩り場に留まる傾向が強い。その闘争の最中、草食種は補食され小型モンスターは住処を追われ散り散りとなる。
そうした弱者側、安寧の地を奪われた者たちの行き着く先といえば――推測される答えは多くない。
「あのアオアシラももしかしたら」。撃墜したブナハブラの中心にどかりと剥ぎ取りナイフを突き刺して、クリノスは苦く顔を歪めた。

「……おーい! クリノス!!」
「ん? カシワ……」

どたどたと泥を蹴り散らして駆けてくる男の姿が見えた。あちこちに鋭爪で裂かれたと思わしき傷が見えたが、動くのに差し支えはなさそうだ。

「どうだった? 渓流のクマさんは」
「お前、馬鹿にしてるだろ」
「してないしてない。ほーん、ちゃんと狩れたんだ。お疲れ?」

ムギギと何故か猛烈に悔しがる後輩狩人の尻を叩き、金時計の針を睨みつけつつ甲虫駆除を再開させる。
隙があったら温泉にでも浸かりたかったんだけどなー、濃汁でべたつき始めた全身をそっと見渡して、先輩狩人はしぶしぶの体で歩を進めた。






渓流における飛甲虫討伐クエストの進行中、同時刻。龍歴院内部にて。

「……お疲れ様です。一度、お休みになられては?」

遠慮がちにかけられた声は、若い女のものだった。のそりと目だけを動かすと、視線の先に見知った顔が映る。
集会所の受付嬢だ。ハンターと龍歴院、ならびにハンターズギルドとの仲介役を担う彼女が院内にいるということは、今は夕刻過ぎといったところだろうか。
ユカはこめかみに片手の平を押し当てたまま、再度手元の書類に視線を落とした。

「ユクモ地方に問題が生じたようだ。残念ながら今日も残業だろう」

珍しく、仕事の進みがよくない。先ほど慌ただしく追加された新規案件に目を滑らせて、銀朱の騎士は我知らず小さく嘆息した。

「いつものことだ。君とミッカルーは仕事上がりじゃないのか、早く休ませてやるといい」
「それが、あの子は院長のお手伝いに。相手が相手です。孤島地方に見られる個体とは異なる生態とのことですから、事前調査は必要でしょう」

龍歴院のネットワークは今やハンターズギルドのそれに並んでいる。どこか誇らしげにこそりと囁く受付嬢を、ユカは忌々しいものを見る目で見返した。

「用件は」
「ふふ、クリノスさんとカシワさんからの伝言です。『仕事のしすぎはよくない』だそうですよ」
「……それだけか。君も大概、人の好い」
「ええ、それだけです。でも、確かにお伝えしましたよ」

頭痛が余計に酷くなった、ような気がして顔を上げる。よりによって、受付嬢は「私もそう思います」と蛇足を付け足した。
苦い顔を返した騎士に苦笑交じりに頭を下げて、受付嬢は山のような書類を抱えたまま部屋から出て行った。
あの物言いからして、彼女もこれから残業するのかもしれない。勤勉なことだ、ユカは自分のことをすっかり棚に上げて独りごちた。

(あの二人が、か)

思えば、ずいぶん前から「働きすぎだ」と言われていた……ような気もする。いつくらいからだっただろうか。ごきりと肩を鳴らして席を立った。

「……支給品の音爆弾……」
「釣り……って現地調達でよかったですよね!? ……」

仕事用に宛がわれていた個室を出ると、行き交う研究員たちと何度かぶつかりそうになる。院内は慌ただしい空気に包まれていた。
道を譲り、すれ違い様に相手が落とした書類を掴んでやり、人気が切れたところで小脇に抱えていた封筒に視線を落とした。

(ガノトトス……常温の淡水に馴染んだ個体、か)

同時刻、クリノス=イタリカが渓流にて発見に至った痕跡の持ち主だ。
渓谷の水流をものともしない強靭な個体ということもあり、急ピッチで狩猟準備が進められている。依頼書が出されるのも時間の問題だろう。
顔を上げた直後馴染みの研究員と目が合い、騎士は片手を上げて軽く挨拶を交わしてから歩き出した。
……温暖期は砂漠地帯や火山帯、湿地帯に生息するモンスターが活性化する時期だ。仔育て真っ只中の雄火竜をはじめ、鎌蟹、鎧竜に炎王龍も忘れられない。
他のシーズンとの比較はもちろん、繁殖傾向、移動距離から推測される活動範囲の把握と、収集したい情報は山のようにある。
更に、活動期に入った彼らが人に害をなさないよう注視しなければならない。彼らに影響され普段と異なる動きを見せるモンスターも出るかもしれない……

(……休め、とは。あいつらも好きに言ってくれるな)

抱えた封筒は少しばかり古びていた。ちょうど周辺の死角になる位置まで歩み寄り、そっと中身を出して目を走らせる。
禍々しい滅紫に彩られた飛竜に、紅く身を染めた大熊、黒塗りの飛竜。一番手前の書類に添付されていた飛竜の絵にぐっと顔を歪め、ユカは再び封を閉じた。
龍歴院はギルド支部との兼ね合いで「亜種」の狩猟を禁じている。代わりにこれら特別な個体の狩猟権限を独占しているが、人手不足であることは否めない。
ユカがドンドルマとベルナを行き来している理由はここにあった。研究資材の確保とデータ収集の両立……学者には不得手な部分を補うパイプ役だ。
適任者たるハンターの指名、派遣。不足分のデータや素材の回収を並行すると同時に、緊急時にはハンターズギルドに連携を乞うこともある。
「斟酌(しんしゃく)のギルドナイト」とは誰の言だったか。封筒を抱え直して角から踏み出した瞬間、

「あっ、ユカしゃん! 探しましたのニャ!!」

ぐっと腕を引かれて、ユカはたたらを踏んだ。見下ろした先には三毛ネコ毛並みのアイルーがひっしとしがみついている。
見知った顔だ。着任したての頃に頻繁に世話になった、医療班に所属するフルフルネコ装備の看護士だった。

「お前か。どうし……」
「ニャムー。そんなことより、せんせが呼んでるのニャ。コッチ、コッチニャ!」
「おい、ちょっと待っ」

昔から、件の医師もこの看護士も他人の話をろくに聞かない。引きずられるまま医務室に連行された銀朱の騎士は、その場で羽根つき帽子を深く被り直した。

「やあー、ユカくん! 待ってたよー。さあさあ、まずはゼンマイ茶でも」
「結構。話とは?」
「ややっ、冷たいなあ。氷結晶より冷たいよ。ねえ?」
「せんせっ、ユカしゃんはいつも忙しいのニャ! 早く解放したげるべきなのニャ」

……腕にひっしとしがみついたまま、ミケアイルーはブーブー文句を並べている。害はないので、ユカはこちらは甘んじてぶら下げたままにすることにした。

「そっかそっか。僕よりアイルーの方がいいかあ。悲しいなあ」
「話とは」
「ああ、うん、ハイ……実はね、少し前に運搬クエストから帰ってきたハンターくんがいたんだ。ああ、もちろん、カシワくんのことじゃあないけどね」

「カシワ」の三文字を聞いただけで騎士の眉間に深い皺が寄る。白髭の医師は、どこか意地の悪い顔でにやにやと笑った。
座りなさい、そう促されるもユカは立ち尽くしたままでいる。一口茶を啜った後で、医師は諦めたように手ずから用意した茶菓子をモリモリと口に含んだ。

「呆れたな。医者の不養生そのものだ」
「甘いものは脳にいいのさ。そう、それでその運搬帰りのハンターくんなんだけどね。裂傷が酷くてねえ」
「裂傷? セルレギオスか。災難だな」
「いいや、『地中から突き上げられそうになった』ところを避けて作った傷さ。思い切った判断をしたから大した怪我にならなくて済んだんだよ」

医師は片手でチーズクッキー――どこかで見たような気がする形をしていて、ユカはますます顔を歪めた――を摘まみながら、器用に白紙にペンを走らせる。
螺旋を描く特徴的な一本角だ。この季節、思い当たる節は一つ二つしかない。視線だけ上げた騎士に向かって医師は大仰に頷き返した。

「面白い話をしようか、ユカくん。こいつは、近隣の兵士団が訓練の一環で討伐にあたっていた相手だそうだよ」
「一応聞いておくが。飛竜か、それとも甲殻種か」
「パープー。正解は後者でーす。さて、ユカくん……ここまで聞いて何か引っかからないかい?」

ユカは、何の気もなしに右腕にしがみつく小さな獣人を見下ろした。見上げてくるくりくりとした茶色の眼は、純粋無垢そのものといった体で輝いている。
昔から、眼前の医師もこの看護士も他人の話をろくに聞かない。それだけでなく謎かけを趣味としている。
不正解の患者には問答無用でお節介じみたお説教が飛ぶようになっているのだ。にが虫を噛みつぶしたような顔で、騎士は医師に視線を合わせた。

「運搬クエストと狩猟クエストの重複施行……『過剰予約』か」
「パープー。大正解。多忙極まれりーの龍歴院であっても、これはなかなか『ない』よね?」

自然な動作で腕を払う。予想はしていたのか、ミケアイルーは素直に手を離した。
……通常、ハンターズギルドが発行するクエストには区分が設けられている。
討伐を課す「狩猟」、特定の個体の拿捕を義務とする「捕獲」、骸の龍のような危機的状況を招く個体を指定区域から追い払う「撃退」などがそれにあたる。
ギルドに所属するハンターの数は星の数ほどあれど、依頼区分そのものが重複することは稀だった。
複数の条件を詰め込めばそれだけ達成難度が跳ね上がるためだ。受注者に混乱を与えるだけでなく、クエストを認証する機関側も管理が難しくなってしまう。
「一つの狩り場で区分が被る方が異常なのだ」。調査や採集ツアーといった特例でない限り、ギルドも龍歴院も細心の注意を払っていたはずだった。

「相手はダイミョウザザミか。現状は」
「待った待った、ユカくん、困るよー。僕は善良な医者であって、龍歴院の研究員じゃ……」
「ハンターさんは退院したのニャー。ザザミーしゃんなら、火急の狩猟クエストとして新規発行されてるはずなのニャ!」
「そうか。……ヤブ医者より賢しいことだ」
「ええっ、ヒドーイ。僕、傷ついちゃうなあ。せっかく教えてあげたのに――」

苛立ちでも焦燥でもない、ただ無感情に手を伸ばして医師の胸ぐらを掴み上げる。白髭は唇を小さく尖らせ、上目づかいで馴染みの騎士を見返した。

「――『賢しい』ことだ。他にも何かあるんじゃないのか」
「タダで教えるのは面白くないなー。そうだっ、ユカくんの恋バナとかいたたたたたっ!!」
「ニャムー……せんせっ、意地悪しないでお話してあげるニャ。あたしたちだってまだオシゴト残ってるのニャ!」

僕には味方がいないんだもんなあ、わざとらしい泣き真似をしながら医師は襟を正す。青灰の瞳が、すぐさま不穏な光を帯びた。
ユカは僅かながらに身構える。この男は仕事がらか、研究員らとは違ったものの見方で世界を達観しているのだ。彼の視線から教わったことも少なくない。

「例のハンターくんから受注書の控えを見せてもらったんだ。どえらいことだよ。コネで調べてもらったんだけど、最近似たようなのが出回り始めてるって」

差し出された書類を半ば強奪する勢いで受け取った。押印された朱塗りの承認印を見た瞬間、銀朱の騎士の顔色が変わる。

「少し、待て。……『線のブレ』に『点同士の接触』、これは……『印肉の盛り上がり』にも違和感があるな」
「そうそう。これはねえ、よっぽど腕のいい細工師でもちょっと……ねえ」

紙の材質、つまり手触りの時点で違和感があった。しかし、ねとりと艶めく印泥の色こそ、龍歴院が用いるものと色合いが少しばかり違っていたのだ。
懐から取り出したのは、狩猟の最中には用いることがほとんどないランポスの眼球を丸々一つ用いた拡大鏡だ。
細身かつ小ぶりながらも特別な加工が丁寧に重ねられていて、人間の視力では到底見えない小さなものも、これ越しではたちまち浮き彫りにされてしまう。

「舐められたものだ。どれほど『精巧』であろうと、『偽物は偽物』だからな」

書類の表層、端に押印された龍歴院の承認印、紙上に書かれた文字列などを、グラス越しに銀朱の色が舐めるように這っていった。
ぎしり、と奥歯を噛む音が鳴り響く。ユカくんの悪癖がまた出たよ、すでに嗜めるのを諦めていた医師は、気取られないようにして短く嘆息した。

「ユカくん、君ねえ、いい加減ちゃんと休まないと……体に毒クモリだよ?」
「ガノトトスどころの話ではなさそうだな。感謝する、こちらの件は俺が調べよう」
「あーあ、やっぱりこうなっちゃうか! それにしても、ユカくんはちゃーんと違いが分かるんだね。ハンターくんは見分け、つかなかったらしいよ?」
「無理もない、こちらは彼らの本業ではないのだからな。すぐに本部に問い合わせるとしよう」

礼は片手間同然に。すぐさまきびすを返したユカに、医師と看護士はそれ以上を問おうとはしなかった。
その割り切りが有難いとも思う。彼らは患者に積極的に節介を焼くが、個々の事情には深入りしてこない。自身の仕事に信念を抱くからこその配慮といえた。
石造りの回廊を進みながら、たまらず控えを握り潰しそうになる。堪える代わりにもう一度奥歯を噛み鳴らして、急ぎドンドルマ行きの船に乗り込んだ。

「……『偽の承認印』か。姑息な手を」

ベルナ上空を離れ、ドンドルマ支部の飛行船乗り場に着くまでの間、ユカは手元の書類から目を離せずにいた。
密猟、素材の独占、転売、流用。昔から「よくあること」だ。どれほど取り締まろうと、摘発しようと、数が減りこそすれゼロになることはない。
綺麗事は言わない。そうしなければ生き延びることすらできない人間が存在していることも分かっている。ユカは、独り叫びたくなる衝動をひたすら堪えた。

(偽造書類に偽の署名、ないし承認印。ここまで精巧なものを作れる人間など、そういないはずだ)

龍歴院の人間がどれほど忙しくしていようとも、ハンターズギルドとの連携に不可欠な印鑑を紛失、流失させることはまずないだろう。
彼らが求めているのはモンスターの生態情報と優秀なハンターであり、相手方の信用を失えばこれまで獲得してきたものですら失いかねない。
では、この「恐ろしく精巧な偽の承認印」はどこから出てきたのか。
どれほど腕のいい細工師、彫刻家であろうとも、出回っている本物を元に印章を一から作り出すことは難しい。
偽物の流通を防ぐために施される微細な凹凸や独自の削り方までを再現するのは、それこそ本物を製作した職人でもなければほとんど不可能であるからだ。

(押印した人間の癖、握力も影響に出る。さすがに、研究員がこれに加担するとは思えんが)

偽物の承認印を流して利を得る……そんな姑息な手を、研究という学問を志す人間がはたして選ぶだろうか。
ユカは頭を振った。どんな時代においても、真に恐ろしいのは生きた人間なのだ。モンスターも脅威ではあるが、彼らは人間ほど悪しき意思をまず持たない。
……昔、それこそ自分がハンターとしてまだ駆け出しだった頃。それこそ「世界で一番恐ろしいのはモンスターなのだ」と信じて疑わなかった頃。
ユカはそうと知らずに悪しき意思を持つ人間と接触したことがあった。色んな性格の輩がいたが、彼らなら偽の印で儲けようとしてもおかしくはないだろう。

「――ユカサーン。ドンドルマに、着いたよーう」
「ああ、助かる。急がせて悪かった」

ロハンの呼びかけに手を上げて応えた騎士は、回想を中断してすぐに飛行船を後にした。目指すはドンドルマの頂、ハンターズギルドの総本部だ。
本物と偽物、幸か不幸か、そのどちらもが今この手元に揃っている。
モンスターの素材はおろか、食材、狩猟道具、多くの情報が行き交う大都市ドンドルマ。ここならば、ある程度の根拠ある情報を得ることが出来るだろう。
無論、懸念も含めて報告も済まさなければならない。それだけでなく、対応策や抑制の術を乞うことも出来るはずだ。
気合いを入れて歩き出した銀朱の騎士は、人ごみをするすると避け目的地に急いだ。さながら竜門を登ろうとする水竜になった心地である。

(まさか、とは思うが……いや、『奴ら』ならほとんどが拿捕されていたはずだ。生き残りがいるとは、到底――)

――その瞬間、その刹那。
往来する多種多様の人間の中に、ぱっと目を引く鮮やかな色が過った。雄火竜の亜種、蒼火竜を彷彿とさせる彩度の鈍い青緑……「縹」の色だ。
たちまち忌々しい記憶が脳内を駆け抜ける。ぞっと悪寒に襲われ、ユカは反射的に振り向いた。

「気のせい、か」

心臓が激しく跳ね、どっと嫌な汗が噴き出し、体は硬直する。しかし予想した人物の姿はその場になく、ただ虚しく立ち尽くすしかない。
気付けば喧騒が四方を飛び交い、否応なしに常の冷静さを呼び戻さなければならなくなっていた。
青緑の髪が特徴的な顔見知り、忌々しい過去の因縁の相手。通称、縹の狩人……今も生き延びているとは到底思えないほどの悪人だが、だがしかし。
ぐっと歯噛みして拳を握る。「生き延びているはずがない」。口内でもう一度そう呟いて、騎士は再びきびすを返した。

(『双焔の猟団』副頭領、アトリ……まさかな)

ユカにとって、その集団は過去の亡霊そのものだった。
決して再会したくない相手であり、会えば最後、自らの手で捕らえなければならない相手ともいえた。
彼らの特徴を思い返すにも、胸にどよりとした淀みが湧き出るばかりだった。恐怖か畏怖か、思い出そうとしただけで手が震え、顔から血の気が引いていく。
それほどまでに、件の猟団で過ごした日々は重しとなって騎士の心身に圧しかかっていた。本音を言えば二度と彼らに関わりたくない。

「……見えてきたな」

過去に囚われているわけにはいかない。自分にはやらねばならないこと、返すべき恩がたくさんあるのだ。
目的地は目の前だ。意を決して歩を進めたユカは、件のハンターがベルナ行きの飛行船に乗り込んだことに気がつけなかった。
甲板に立った際、アトリの口端が静かに悠々とつり上がる。騎士にとって苦痛しか生まないこの男はしかし、見知った銀朱を見て歓喜さえしていたのだ。





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 UP:23/05/05