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モンスターハンター カシワの書 上位編(8) BACK / TOP / NEXT |
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龍歴院つきのハンター二人は、それぞれのオトモを連れて早々とベルナを発った。 手入れに時間がかかると思われた武具類も、彼ら――特に黒髪黒瞳の方の無茶ぶりに慣れた加工屋が気を利かせ、半日も待たずに整えられてしまった。 村の活気を見ていれば嫌でも分かる。誰もが彼らの活躍に期待を寄せていて、無事の帰還を信じているのだと……。 元龍歴院所属研究員という過去をもつ村長に至っては、帰還した彼らが困らないようにと新規クエストの発行を龍歴院に依頼する始末だった。 用意周到なことだと思う。それでも、それが彼らにとって最善の拠点の在り方だということも分かっていた。仕事がなければ彼らの腕も鈍る一方なのだから。 「……なあ、ノア」 自宅の裏手、あとは干すだけという洗濯物をヤマツカミのように籠に突っ込んだままノアはしゃがみ込んでいた。 草原を揺らす風が心地いい。目を閉じたとき、背後から遠慮がちに声をかけられる。降る影の大きさで、振り返らなくても相手が誰であるのか予想できた。 「あの子だけどな、ほら、リラだ。聞いたところによると行く宛てがないそうなんだ」 彼が言わんとしていることも予測がついている。だからこそ雲羊鹿飼いはその場から動かずにじっとしていたのだ。 いつものことだ、こんなことはいつものこと。リラという細工師のこれまでを耳にした時点で、彼がなんの考えもなくこう言い出すことは想像できていた。 「あなたにとっての家族とは誰なのか」。そう言えてしまえたらどんなに楽だろう。視線を前から離さずに、続くであろう台詞を待った。 「しばらくしたら仲間が迎えに来るそうなんだが、あの身なりだろう? それに若人たちの帰りも待たにゃならんわけだし」 「……要は、それまでうちに泊めてあげたいんでしょう?」 たっぷりと、五秒ほどを頭の中で数えてから返事をする。怒りで頭が煮えそうになったときはそうして数を数えるといいのよ、と生前母が教えてくれた。 実際には怒りは収まらなかった。ゆっくりと立ち上がり、スカートについた牧草を手で叩き落として振り返る。 「費用はお父さん持ちでね。それに、働かざる狩人食うべからず、だからお手伝いくらいはしてもらうから」 「いいのか!? そうかそうか、ノアはいい子だなあ」 「またそんなこと言って。お父さんも、ちゃんと働かないと駄目だからね」 「おお、分かってるさ! しかし、いやあ、いい子に育ったなあ……流石、俺とエレノアの娘だ!」 ……正直に言えば、ノアは爆発してしまう寸前だった。素性も知れない人間を思い出の我が家に招き入れておきながら、父は何一つ悪びれもしない。 そこが彼の美点であることも理解している。ハンターとして働く以上、他との繋がりも大切にしなければならないのだということも。 (でも、それとわたしの心は別物だわ) 父が嫌いになったわけではない。リアに恨みがあるわけでもない。 単純に自分が不快感を隠せずにいるだけの話だ。断りきれない、煮えきらない自分に対しての苛立ちもある。嫉妬も……もしかしたら、あるかもしれない。 一人うんうんと自慢げに頷くマルクスに背を向けて、ノアは足下の籠をたぐり寄せた。 「ねえ、龍歴院ってお仕事いっぱいあるんでしょう? お父さんは行かなくて大丈夫なの?」 「おっと、それもそうだな。よし、それじゃあ早めに帰ってこられるのにするか。ノアの手料理は毎日食べても美味いからなあ」 照れくさそうに笑う父の顔はどこか子供っぽくあり、愛おしさすら湧いてくる。立ち去る足音を耳に注ぎ込みながら、青空の下に真っ白なシーツを広げた。 籠の底から最後の洗濯物を手に取って、雲羊鹿飼いは小さく眉間に皺を刻む。あの細工師が自身の宝物と豪語するボロマントだった。 「仕事仲間か……よっぽど忙しくしてるのかしら。あんな小さい子に、マントのひとつも買ってあげないなんて」 気合いを入れて手洗いした結果、多少はマシな見てくれになってくれていた。全ての汚れは落ちなかったが、布地の元の色は申し訳程度に分かる。 恐らく鮮やかな朱色だ。夕焼けより濃く、血よりは薄い赤の色。ふと見知ったギルド職員の姿を思い出して、余計に眉間に力が籠もる。 似ても似つかぬ背格好の二人だが、他人を拒む言動がなんとなく似ている、とノアは思った。 気を取り直して干そうとした瞬間、自分が入れた切れ込みが空を切り抜く様を見つけて「あ」と今更声が漏れる。 ……縫合するのをすっかり忘れていた。濡れている布に針を通すわけにもいかないので、破れが大きくならないよう注意しながら、丁寧にさおに掛ける。 「……カシワさんたち、大丈夫かしら」 青空の下に朱色の布が、陸地を疾駆する飛竜の襟のように広がった。すでに遠くの狩り場に出立したハンターたちの背中を思い浮かべて、きびすを返す。 「……今更だけど驚いたよな。まさか、ノアのお父さんがマルクスだったなんてなあ」 「んー。なんとなく、そうなんじゃないかって思ってたんだけどねー」 北に、黄金の月が見えた。流れる雲が月影を曖昧にして、山河、渓谷に濃く薄く夜色の影を落としている。 視線を前に戻して、カシワは乾いた砂利を蹴って岩峰に駆け寄った。 何度か掘り返されたと思わしき裂け目は、これまで何年にも渡り近隣住民やハンターによって掘り進められてきた鉱脈だ。倣うようにピッケルを振り下ろす。 鉱脈そのものはこの地方特有の鉱物資源を含有することから赤みを帯びた藤色に色づいている。主成分を花香石と呼ぶらしい。 以前、ここを訪れた際に小さな欠片を掘り当てたことがあった。今は足下に転がり落ちる塊を、その都度アルフォートが受け止めてくれている。 淡い色とどこか懐かしい上品な香り、触れる、撫でるといった刺激で香る繊細な特性……昔からユクモ地方を代表する特産品だと、クリノスが教えてくれた。 「こすると匂いがするなんて不思議だよなあ。土産にしたら喜ばれるだろうな……」 「ノアちゃんに? 別にいいけど、ギルドより馴染みの交易商と交渉した方が手に入れやすいよ」 「うっ!? な、なにもノアにやるなんて一言も言ってないだろ!?」 「タマミツネの鱗の方が人気だけどね。錦ヒレもか。わたしは、そっちの方がありがたいかなー」 「タマミツネ? お前が言うなら大型モンスターってことだよな?」 「……あぁ、うん……なんでもない」 ところ変わって、渓流。新たに受注した上位ランククエストの最中に、本日の先輩狩人は物思いに耽るかのように妙に大人しい。 なんとなく調子が出ない理由はこれだ。先ほどから花香石だ厳選キノコだハチミツだ、ユクモの堅木やら特産タケノコなどなど……流石に採集のやりすぎか。 後輩狩人は己の忠実すぎる採集欲に口端をひくつかせながら、採掘した鉱石類を振り分ける手をふと止める。 「なあ、クリノス。お前の言ってた虫素材って……実は集めるの、ものすごく大変なんじゃないか」 「うん? ああ、毒けむり玉のこと? 効果は高いんだけど、使うのにちょーっとコツが要るんだよねー」 「いや、毒けむり玉もそうなんだけどな」 「もしかして剥ぎ取りの方? あんたの場合はそうかもね、虫素材って脆性が小っさすぎるから剥ぎ取りしにくいし」 「ぜ、ぜい……なんだって?」 「あぁ、壊れやすくて脆すぎる、ってこと!」 振り向き様、背後からプイーンと不快な羽音をたてて寄ってくる飛甲虫にクリノスは素早く双刃を叩きつけた。甲殻、翅の表面を薄く撫でるような剣捌きだ。 彼女が今回担いできたのは威力がうんと落ちる初期装備に近しい無属性双剣で、刃の部分は龍歴院に馴染み深い化石製となっている。 斬りつけず、斬り込まず、乱舞も無しで。二振りの打撃めいた攻め方は、ブナハブラに元の形を維持させたまま水中に死骸を落下させるに至った。 はじめ、「なんでそんな手間を」と首を傾げていたカシワだったが、いざ自分が彼らを討伐するようになった瞬間このクエストの恐ろしさを知ったのだ―― 「どえーいっ! どうなってるんだ、全っ然剥げないぞ!!」 「あーあ、またぁ? ほんっと下手だねー」 ――いつもの要領で斬り込んだ瞬間、後輩狩人の目の前で飛甲虫の体は無残に散っていく。 先ほどから何度やってもこれだ。せっかくの討伐クエストなのだからどうせなら素材も得たい……だというのに、剥ぎ取りができるだけの死骸さえ残らない。 先輩狩人が持つ化石武器に甲虫派生、採掘で発見される古代武器の類。それらの生産、研磨、はてには強化に必ずといっていいほど要求されるのが虫素材だ。 自分が愛用する氷属性の片手剣、タスクギアの強化にも必要だと加工屋に言われていた。なら同行ついでに集めてみよう、そうして意気込んだ結果がこれだ。 剥ぎ取りをしたいのは山々なのに、彼らはすぐバラバラになってしまう。どうしろと――カシワはたまらずその場で地団駄を踏んでいた。 このハンターが「甲虫種を剥ぎ取るなら毒で弱らせてから」というセオリーを知ったのは、クエストに出てからのことだったのだ。南無三、合掌。 「うー……毒けむり玉、あと何個だ? くそ、こうなるって分かってたら調合分持ち込むんだったなあ……」 意欲はあっても実体がこれではいかんともし難い。ポーチの中を探りながら、カシワは足元の元ブナハブラを見つめて嘆息した。 「まぁ、慣れるまでは仕方ないよ。目標数までまだまだなんだし、ついでに気楽に練習してった方がいいんじゃない?」 そのすぐ後ろで、納刀を済ませたクリノスが丸めたネンチャク草を地面に投げつけている。彼女が数歩飛び退いた直後、毒々しい煙がその場に立ち上った。 「うおっ!? クリノス、お前!」 「いや、刺されそうになってたし」 「だったら先に、『避けろ』って言えよ!?」 「はあ? それより剥ぎ取りの準備したら?」 有毒キノコ、ドクテングダケの乾燥粉末と繊維を石ころで練り上げたネンチャク草でくるんだ原始的な狩猟道具。これぞ害虫退治の強い味方、毒けむり玉だ。 これよりうんと毒性を緩めたものが同様の目的で一般市場に解禁されているほど、庶民の間でもなじみ深いアイテムである。 思いきりクリノス手製の毒けむり玉の臭気を吸い込み、カシワは悪態をつきながらその場を離れた。 自分を囲んでいたらしい飛甲虫が、面白いくらいにぼとぼとと地表に落ちていく。びくびくと痙攣する最期を見て、なんだか悪いことをしている気になった。 「は、剥ぎ取り! ハギハギ……楽しくないッンバ」 「旦那さん……」 「よーし、『羽』ゲット。いい感じ! あんたはどう? ちゃんと剥ぎ取れた?」 「ヒッ!? も、もちろん大丈夫だぞ」 「ニャニャ? カシワさん、羽どころか堅殻もボロボロニャ! それじゃあ『モンスターの濃汁』くらいしか掬えないニャー」 「うわわわ、リンク! 余計なこと言うなよっ!」 ちら、と振り向いた先で先輩狩人が「あぁん?」と言いたげなガラの悪い顔つきをしている。後輩狩人はただ縮こまることしかできない。 「前から思ってたけど、仕事雑すぎ! 虫素材は取扱注意、って言ったでしょ」 「うぐぉ……ギャフン」 「だ、旦那さん、戦いを放棄しちゃ駄目ですニャァ」 足下に散らばる、月明かりを跳ね返す薄翅の類。水色と夕焼け色のグラデーションは、山河に溶け込むのに適した保護色のように思えた。 呆れ顔のクリノスは、岩場に身を潜めてこちらの様子を窺う野良メラルーを警戒している。 いつまでも死骸を見下ろすカシワに、これだってそのうち命のサイクルになるよ、と彼女はフォローなのか慰めなのか分からない呟きを投げかけた。 「それより、このクエスト討伐数えげつないからね? もたもたしてたら時間切れするから急ぐよー」 「お前なあ。気楽に練習しろとか、どの口が!」 「大量発生してるのは確かだけど、向こうは飛べるんだから。仲間がザクザクやられてるのを見るのは流石にしのびないんじゃない?」 女狩人が指差す先で、複数のブナハブラがプイーンと音を立てながら西へ逃げ去る動きが見えた。 ハンターの登場に危機感を抱いたのか、単に餌を探しているのか。俺は甲虫種じゃないから分かんないな、カシワは眉間に力を込めて遠のく姿を見送った。 「えーと……ここは橋が架かってたよな? で、ここは一帯が全部浅瀬で……この瀧の先ってどうなってるんだ?」 「エリア六の南西でしょ? 簡単に言えば鍾乳洞かな、竜の休息エリアだね。使い古しの巣が残ってるから運が良ければ飛竜の卵なんかがあったりするよ」 二人は支給品ボックスから引っ張り出してきた地図を広げて、これまでの飛甲虫の出現場所を確認し合った。次の目的地に向け、クリノスの指が左下に滑る。 南西に位置する鍾乳洞だ。エリア六の南方に広がる瀑布の天然カーテンを潜った先にあり、ここにも飛甲虫は進出していると彼女は話した。 竜の休息地というならエリアの片隅に食べ残しが残されていてもおかしくない。実際、狗竜や牙獣が一息つくこのエリアにも丸鳥の屍が横たわっている。 ここはキャンプを出てすぐ近くのエリアだが、餌を求めて飛来したブナハブラが大量にわいたため先ほどまで総出で駆除に励んでいたのだ。 「生き物の死骸に卵を産みつけ餌にして」……出発間際に聞かされた彼らの生態を思い出し、カシワはぶるっと体を震わせた。 「いや、何も俺がここで産みつけられるわけじゃないしな……」 「死体になったら分かんないけどね?」 「お前なあ、人の心読むなよ! あと、おっかないこと言わないでくれ!」 「考えてること分かりやすいんだもーん。っていうか、カシワ……あんたに『お客さん』みたいだよ?」 「客? 客ってお前、こんなところに……」 満月の真下。遠く北のエリアから、砂煙を上げて駆けてくる巨影が見える。 力強い走りを支えるのは、四肢のうち腕にあたる前脚だ。見るからに固く発達した甲殻で覆われていて、ところどころに厳つさを主張する突起も備えている。 ふさふさした柔らかな青毛が月明かりを浴び、きらきらと輝いていた。むくりと起き上がらせた体は自分たちより遥かに大柄な体つきをしている。 それでも、いつかの雄火竜や雌火竜に比べればまだ小さい方だ。どことなく愛嬌を感じさせる強面がこちらを見つけて、丸眼を瞬かせた。 「ヴァオーッ!」 「……お、大型モンスター!?」 「アオアシラだねえ。別名、青熊獣。狩りやすいって言ったらそれまでだけど」 視線が重なる。途端、アオアシラは再び四つ脚体勢になり走り出した。 咄嗟にプロミナーを抜き放ち、身をひねらせて回避に挑む。直線的な突進を避けて振り返ると、この牙獣は爪で器用にブレーキをかけている最中だった。 「クリノス! アオアシラって……流石に俺でも知ってるぞ!」 「あ、そう? じゃ、任せてもいいよね?」 「ああっ、一緒に……って、なんでだよ! おかしいだろ!?」 「さっき『討伐数厳しい』って言ったでしょ。なんなら二手に分かれた方が早くない?」 端から乱入モンスターを相手にする気はなかったのか、クリノスは手をひらつかせて早々と離脱の意思を見せる。 邪魔をされないように先に捕獲を、という考えを見透かされたような気がしてカシワはうろたえた。何より、彼女の言うこともごもっともだ。 ……アオアシラは人里離れた森や山奥に暮らす牙獣種で、ユクモ地方ではなじみのモンスターといえる。自身の故郷でも彼らの噂はよく耳にしたものだった。 食欲旺盛な性格から時折こうして人前に現れることもあるが、音や臭気に敏感で、遭遇しても逃れること自体は比較的容易とされている。 「無理に狩らずとも成否には影響しない」。クリノスが言いたいことはそういうことだ。彼女にとって、青熊獣の素材はさほど重要ではないのかもしれない。 「だけどな、クリノス! 今は温暖期で、採取にくる観光客だって多いだろ!? こいつがいたら、危ないだろ!」 「んー、まぁ、そうかもね? 捕獲したら元の住処に戻す、ってケースもあるにはあるみたいだし」 どことなく反応が鈍い。いつもならどんな素材でも欲しがるはずなのに、と後輩狩人は動揺して振り向いた。 刹那、先輩狩人が「あっ」と声を漏らす。目の前に巨大な影が降り、はっとして背後を仰ぎ見たカシワにアオアシラが襲いかかった。 ぐるんと視界が回転して、気がついたときには捕獲されている。得物で振り払おうにも、力強い前脚でひっしと熱く抱擁されていて抵抗のしようもない。 「おわわわわわっ……」 「ニャ、ニャァー! だだだだ、旦那さーん!」 「あーあ。あいつ、ハチミツ持ち込んでたな?」 慌てふためくアルフォートを余所に、クリノスとリンクは傍観の体勢へ。ぶんぶーん、と上下に激しく揺さぶられ、カシワは彼らに反応することもできない。 辛うじて仰ぎ見た先で、アオアシラは眼をキラキラさせていた。至近距離で受ける鼻息は荒く、口からは大量のヨダレが垂れ落ちている。 ――食われる! ぎゅっと目を閉じた瞬間、浮遊感が全身を襲った。ぱっと体を放られて、直後雑にその場に遺棄される。 「……、……!? なんっ、何を!?」 受け身も取れずに身悶える一方、アオアシラは追撃もいれずにその場にドスンと腰を下ろした。見上げた先で、この牙獣は黄金に光る何かに貪りついている。 ……万が一を考え、回復薬グレートの調合分として持ち込んだ自前のハチミツだった。 強奪した壺を傾け、握力で割り砕き、彼は『甘露、甘露』と言わんばかりの勢いで花蜜を夢中でべろんべろんと舐めている。 中腰の体勢のまま、後輩狩人は黙って彼の恍惚とした至福の表情を見つめた。まるで眼中になし、目的はハチミツだけといった態度に心が急速に冷えていく。 後ろで「ぷはーっ」っと先輩狩人が耐えきれずに噴き出した。肩をわななかせながら振り向くと、クリノスは前見ろ、前、と指を差してくる。 「……ヴォッ」 「……そうか、そうか。俺の集めたハチミツ、そんなに美味かったか」 我満足也、そう言うようにアオアシラは舌をしまって顔を輝かせた。解放直後の反応がこれなので、カシワは恥ずかしさと情けなさに肩を震わせるしかない。 ケタケタと爆笑し始めた相棒を放置して、プロミナーを掲げて刃を横倒しにする。お前の相手は俺だ、後輩狩人なりの宣戦布告だった。 「クリノス! エリア八で合流するぞ!」 「はいはーい。っふ、ぷはーっ!! ひ、ひいー……がっ、がんばれ……」 「お前なあっ、こんなときに笑うなよ!」 「だ、だって……知ってて拘束攻撃って、あーっ、もう無理! あははは!!」 「カシワさん、ダメダメニャー!」 「この……っ、リンクも! あとで覚えとけよ!!」 怒り返したところで、怒鳴り返したところで、あったことがなくなるわけでなし、先輩狩人の記憶が消えてなくなるわけでもなし。 心底おかしい、と腹を抱えながらエリアを後にするクリノスの背中を見送って、改めてカシワは青熊獣に向き直る。 大きさは平均的、毛皮の艶や爪の鋭さから下位よりは上、上位なりたての個体と予想した。口の周りをべたつかせ、前脚もハチミツ一色で……以下、割愛。 「お前、お前なあ……お前に恨みなんて……うっ、恨みなんて……!」 「……旦那さん……」 「アル、そんな目で見ないでくれ。……いいか! お前に恨みなんてないんだ、ただ少し、少し大人しくしててくれ!!」 薄明るい、月夜の麓。宙を払うと同時に、群青の獣が灼熱の火花を虚空に放つ。青毛の獣は火の粉を前に、一瞬ぴくりと前脚を固めて眼を瞬かせた。 これはハチミツハコビアリでなく自分の敵だ、そう認識してかすっくと立ち上がり、半身を前傾させて威嚇代わりに大きく吠える。 彼に向かって、黒髪黒瞳は躊躇なく駆け出した。冷たい岩肌が赤色を写し取り、刹那、湿潤の外気に鋭い弧が走る。 赤と緋が噴き出した。アオアシラの苦鳴を前に、カシワは間髪入れずに右奥へ飛び込み、背後を取る。灼炎の切っ先が、豊かな青毛に牙を剥いた。 |
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