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モンスターハンター カシワの書(26)

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苔のむせる水面が音を立て、宙に浮いた巨体を鮮やかに映し出す。緑色の鱗が陽光に煌めき、虚空を咆哮が貫いた。
力強い羽ばたきの下をかい潜り、女は水と小石を手でかき分け、取り出した器具を川底に作った即席のくぼみに埋める。
球体の半分ほどが水面に露出し、天井に取り付けられた円盤状のファンが、パリパリと小気味いい音で電流を迸らせた。
さっと飛び退く。刹那、女めがけて突進してきた巨体がファンを踏み抜き、切なそうな苦鳴を喉から発した。

「そーれっ!」

シビレ罠にかかったリオレイアに、クリノスが麻酔玉を放る。白煙が着弾を知らせたと同時、雌火竜は崩れ落ちていた。
よく見れば、竜の頭部はおろか翼膜、背中も傷だらけで、長い尻尾に至っては途中からすぱっと切断が済んでいる。
多数の部位破壊を成した狩人は、リオレイアが倒れた際の水しぶきを盛大に受けながら満足そうに微笑んだ。

「おーう。さすが、絞蛇竜を独りでしとめただけあるなあ、お嬢ちゃん」
「ありがとー、おっさん」
「ニャー。やりましたニャ、旦那さん。クエスト時間にもかなりの余裕がありますニャ!」

拍手を送るマルクスに、クリノスは仁王立ちのまま頷き返す。その表情は達成感で綻んでいた。
その横で、リンクが嬉しそうに手を振る。クリノスの狩猟を手伝いながらも、彼はポーチをぱんぱんに膨らませていた。

「本当に手伝うまでもなかったなあ……お嬢ちゃん。見たとこ、結構長く狩りをやってるだろう。手が慣れてる」

ベースキャンプに帰還する傍ら、マルクスの問いにクリノスは少しだけ遠くを見るような目になった。

「そうだねー。……おっさんは、『タンジアの港』って知ってる?」
「あー。聞いたことはあるな、なんでも、水中での狩りが堪能できるとか」
「そーそー。わたしの狩りは、そこから始まったんだよね」

ユクモ村行きの飛行船に乗り込みながら、クリノスは過去の記憶を思い起こした。整った顔にかすかな苦笑が混じる。

「殴られたり、吹っ飛ばされたり、カチ上げられたり。大変だったなー」
「……お嬢ちゃん、そりゃ、モンスターにやられたのか」
「まさか、そんなヘマしないよ。狩猟笛を使ってるのが、当時の相棒でねー。演奏と攻撃の合間で、よく殴られてた」
「狩猟笛ねえ。ん? その当時の相棒ってのは、今は何をしてるんだ?」
「さあ。たぶん、まだハンターやってるんじゃないかな」

自身の十代半ばの時代は、青くさく、それこそカシワのような新米故の初々しさもあったとクリノスは思う。
ほどなくして、飛行船は無事ユクモ村に到着した。リオレイア狩猟完了の連絡を入れようと、二人は村長の元へ向かう。
ユクモを治める村長は、ココット村やポッケ村のそれと同じく長寿の竜人族である。
色白の肌に長い耳、おっとりした雰囲気で、彼女は村人たちに古くから親しまれている人物だった。
紅葉の葉に目を細めながら、件の竜人はクリノスたちの到着を、緋色の鮮やかな毛氈を敷く長いすに腰掛け待っていた。
「あらあら、ハンター様」、穏やかな声色で、村長は女性にしてはそれなりに背の高い部類であろうクリノスを見上げる。
元より長く細い双眸を更に柔らかく細め、彼女はクリノスたちの戦果を讃えるように小さく笑った。

「リオレイアの狩猟成功の旨、聞いておりますわ。これでまた、村の子も山の恵みを採りに行くことができますわ」
「それは良かった。わたし、この村好きだし」
「嬉しいですわ。温泉といい、山の幸といい、この村の自慢なんですのよ。近くでは武具にぴったりの木材も採れますの。
 龍歴院のハンター様も、お時間がありましたらごゆるりと過ごしていって下さいましね。きっと、満足して頂けますわ」

感謝のしるしに、とユクモ村の紋章が押印されたチケットを差し出しながら、村長はマルクスにも礼を言った。
構やしないさ、大男は手をひらひらと雑に振り、しばらく他のナルガクルガを狙うべく、村に残ると宣言する。
村長には動じた様子もない。分かっている、と応える代わりに、彼女は小首を傾げてみせた。

「お嬢ちゃんは、どうする? ベルナに戻るのかい」
「うーん。カシワもココットに行ってるし、どうしようかな。集会所に戻ってみても、いいんだけど」
「……あらあら。龍歴院のハンター様は、もしや、いま少し手が空いていらっしゃる?」
「え? 空いてる……まあ、空いてるけど」

それなら、と、村長は近くの集会浴場前に佇む、一人の少女に声をかけた。
紫色の素朴な衣装をまとう小柄な少女で、村長曰く、ユクモ村の下位クエスト受注を任されている身だという。
彼女は「コノハ」と名乗り、促されるまま、クエスト受注書を一枚手渡してきた。右下にはユクモ村の押印がされている。

「村長。じゃ、この人にお願いするんですか」
「ええ、コノハさん。思っていた以上に、頼りがいのある方のようですから」
「……ごめん、何の話?」
「あ、そうそう。実は、いま村付近でちょっと困ったことがあってですね。ハンターさんに解決をお願いしたいなって」
「困ったこと?」
「ええ。……龍歴院のハンター様は、『ドスファンゴ』というモンスターをご存知かしら?
 さほど手強いというわけではないのですけど、なかなかに面倒な子で……わたくしはあまり好きになれませんの」

ドスファンゴといえば、イノシシに似た大型の牙獣種だ。小型のブルファンゴ共々、猪突猛進であることで知られている。
かつて、ポッケ村滞在時のユカが泣かされた相手でもある――当時の赤髪の泣き顔を想像し、クリノスは密かに笑った。

「それで、そのドスファンゴがどうしたの」
「ひどく気が立った子が、村の畑を荒らしに来てて、被害も出ておりますの。この子の退治をお願い致しますわ」
「ギルドからの情報だと、今は渓流の縄張り付近をうろついてるそうなんです。しかけるなら、今がチャンスなんですよ」
「ついてきたブルファンゴは、村のハンター様が退治してくれているのですけど……数が数で、困っておりましたの」

クリノスはマルクスと顔を見合わせた。
ドスファンゴは雪山でドドブランゴを相手取る前後で、何匹か狩っている。生態もある程度は知っているつもりだった。
聞けば、マルクスも何度か退治したことがあるという。突進による吹き飛ばしは厄介だが、苦戦するような相手ではない。
肉質も柔らかく、属性攻撃も行わない。牙による薙払いにさえ気をつければ、近接武器でも十分に渡り合うことができる。
クリノスは快活な笑みで頷き返した。ほっとしたように顔を綻ばせる村長とコノハに、むしろ親指さえ立てて見せる。

「任せて。すぐ片付けて来るから」
「そうだな、俺は小型の片付けでも手伝うとするかね。村付きの旦那も、忙しいだろうしな」
「心強いですわ。お願いしますね、ハンター様」

クリノスもマルクスも、出発口近くに置かれたアイテムボックスでアイテムの補充を済ませる。
勝手の知れた相手だが、経験上、互いにいつ何が起きてもいいようにと、それなりの量をポーチに詰めることにした。
マルクスは集会浴場へ続く北門、クリノスは渓流入り口に通じる北東の門を潜る。
意気揚々と出発した二人に手を振るコノハの横で、村長はいつもの通り、頬に手を添えながら、ふと小首を傾げていた。

「あら……季節柄、他の大型モンスターが出るかもしれない、とお伝えし損ねた……ハンター様、大丈夫だと宜しいのだけど」






リオレイア狩猟後の渓流は、とても静かなものだった。
それでも近くでドスファンゴが猛威を振るっていることは、無数の作物の根が散乱していることで容易に知れる。
リンクを伴ったまま、クリノスは恐らく、件のモンスターが小型を率いてくつろいでいるであろう奥のエリアを目指した。
時刻は夜。空には無数の星屑が散らばり、頭上高く、黄金に輝く丸い月がしんと息を潜める風景を照らしている。

「旦那さん、ドスファンゴはいいんですニャ?」
「うーん。せっかくだし、ハチミツも採っていこうかなって」

途中、クリノスは歩みをエリア五に向けた。ハチミツ好きの大型モンスター、アオアシラがよく居座るエリアである。
元より、クリノスはカシワほどハチミツを多用するような上物の回復薬の世話になっていない。
それでも回復薬グレートの調合以外にも、この栄養価の高い自然の恵みは重宝した。
集めない手はない――ボクもしっかり採取しますニャ、隣で得意げに胸を張るリンクにクリノスは軽やかに笑い返す。
獣道を抜け、いよいよ開けたエリア五に出た。入ってすぐ、北東の空に眩いほどの月光を降らせる月が見える。
思わず見とれたクリノスだが、その歩が不意に止まった。
手練れの狩人なら誰しも持つであろう、命の危機を報せる胸騒ぎ。切れ長の目を素早く動かし、フィールドの中央を見る。

「……え?」

「それ」は、月明かりに照らされ、暗がりにぼうと佇んでいた。
体躯を覆う薄桜色の鱗は独特の光沢を反射させ、木々の合間から七色の色彩を宙に溶かしている。
頭部に生えたヒレは、上は四枚、下は二枚と、さも花びらのように広がり、優美な面立ちをより美しく象っていた。
細い前足には細く長い鉤爪状の爪があり、まばらに苔や雑草を生やした土をしっかりと捕らえ込んでいる。
ゆるりと、長い尻尾が動いた。しなやかな動きにつられる尾は、特徴的な濃紫の毛を湛え、華やかさに花を添えている。
「それ」は確かに生き物だった。しかし、その美しさはあまりに整い過ぎていて一瞬息をすることを忘れてしまう。

「――ッタマミ、」

クリノスは、最後まで言葉を発することができなかった。顔を動かしたそれが、甲高い威嚇の咆哮を上げたためだった。
リンクともども、バインドから逃れるように疾駆する。フィールドの中央、端に追いやられないよう間合いを取った。
双剣を抜き、すぐさま構える。心臓が跳ね回り、耳元で爆発しているかのようだった。

「嘘でしょ、こんなところで?」
「だ、旦那さん?」
「リンク……やっと、やっと……『会えた』!」

彼女の表情が、驚きや恐怖ではなく歓喜に染まっているのをリンクは見る。見たことのない主人の変化に困惑する。
クリノスが短く叫んだ。左右に分かれ、それが放った「泡」から飛び退く。
人体が、まるまる一つ収まりそうな巨大な泡。出所は、観察しようと首を巡らせたクリノスは正面から二撃目を受けた。
無味無臭。どろりとした特有のぬめりを持つそれは、液体をブラシか何かで擦り上げて泡立たせてある。
ぱっと顔を上げた先、その美しい肢体が地面をかき分けるように突進してくるのが見えた。

「当たるわけない!」

避けると同時、クリノスはこのしなやかな生き物の腹、尻尾から、無数の細かい泡が滑り出しているのを見つける。
いや、泡ではない。液体だ。無色の液体が体から分泌され、腹や尻尾に生えた毛に染み込み泡立たせている。

(あの毛で、泡を作ってるんだ)

要は天然のブラシだ。しなやかで長い体と柔軟な尻尾が、攻撃している最中であろうとその作業を可能としている。
滑液に乗せ、見事な尻尾が振り下ろされた。泡の滑りによって勢いづき、直後、地面が軽く抉られている。
当たったら痛いどころじゃないなあ、クリノスはリンクが巨大ブーメランを放るのに合わせ、左手側から疾走した。
ほとんどのモンスターの弱点である頭めがけ、双剣を叩きつける。すんなり刃は吸い込まれ、端正な顔から悲鳴が漏れた。
血しぶきが散ることにも躊躇わず、ぐっと一歩を踏み込む。のけぞる獣の喉に何度も刃を走らせ、ひたすらに押す――

「よし、そろそろ鬼人化……」
「旦那さんっ!」

――手応えに頷いた、次の瞬間。たたらを踏んだ獣のヒレが、鱗が、たちまち薄紅色に染まった。
月に照らされ、透き通るように揺らめくそれらの輝きはいっそ神々しくさえあった。
間近での咆哮。ガードする術もなく、クリノスはこの海竜種……「タマミツネ」の眼前で硬直させられてしまう。
耳を押さえ、歯を食いしばり、しかし幾度も経験してきたことだから、と早鐘を打つ心音を振り切るように頭を上げる。

「えいニャッ!」
「リンク! っ、うわ!」

なんとか注意を引き付けようと、リンクが尻尾に斬りつけた瞬間。クリノスはその達者な口を封じられた。
全身に浴びた滑液。二度目の泡の直撃に、思わず舌打ちする。手を動かすには差し支えなさそうだが、彼女は頭を振った。

(だけど……なんだろ、なんか)

嫌な予感がする。
クリノスは、咄嗟に己の直感を信じることにした。一旦離れよう! タマミツネの気が反れた瞬間、駆け出そうとして――

「っ! うわっ、たっ、たっ、ちょっ!?」

――滑った。
文字通り、泡立つ滑液に足を取られ、その場に派手に転んだ。全身にまとわりつく泡で、まともに立っていられない。
好機を見逃すタマミツネではない。リンクからぱっと視線を逸らすと、彼は一直線にクリノスの元へ向かった。
器用に泡に乗り、滑るようにするすると高速で接近してくる。息を呑むクリノスだが、足がもつれて使い物にならない。

(……あれか、『だるま状態』!)

モンスターの中には、泥や雪などを用い、ハンターの体の自由を奪う術を持つものがいる。このタマミツネもそうなのだ。
過去、様々なモンスターを狩ってきたクリノスはタマミツネの泡がそれらと同じ、拘束の手段であるとすぐに察した。
それだけではない……寸でのところで体当たりを避けながら振り返る。
威嚇するタマミツネの、柔軟な動き。四肢で歩くよりも滑らかで、滑液を移動手段として上手く利用しているのが分かる。

(まいったなあ、消散剤もはじけイワシも、持って来てないや)

ドスファンゴが相手とはいえ、準備を怠ったつもりはない。しかし、泡やられ状態までは、想定していなかった。
ずるずると足を滑らせながらの回避。思うように動くことのできない狩人に対し、タマミツネの顔には余裕さえ見える。
尻尾で体を支え、爪で大地を掴み、滑液で身を滑らせながら移動する様は、まさに縦横無尽。
クリノスは歯噛みした。それと同時に、嬉しくて仕方がなかった。

(覚えてる……わたし、この日をずっと待ち望んでいたんだ)

足が泡に取られる。手を伸ばし倒れ込むことだけは防いだが、ふと頭上に影が差した。
振り上げられたタマミツネの尾が、たわわな紫毛に泡を纏わせながらクリノスの頭を狙っている。

「……あ、」
「だっ、旦那さん!!」

どこから現れたのか、ジャギィの群れに囲まれリンクは咄嗟にクリノスの元に駆けつけることができない。

(やばい、落ちた)

……クリノスは、昔、まだ幼かった頃のことを思い出していた。自身がハンターを志すことを誓った、あの日のことを。
こんなときにどうして――直撃を受ける間際、それでも彼女は目を開いたままでいた。
紫毛を見上げる双眸は、無力を嘆くようなものではなく、今なお深紅の火を宿したままでいる。





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 UP:21/11/07